ものすごい自己嫌悪、自己否定の状態にある時、自分はなるべくそこにいない存在になろうとすることがわかった。
感情をなくし、動作をなくし、声のトーンをさげ、無口になり……置物みたいになろうとする。
そうすることで自分を罰してるつもりになれる、らしい。
そんなときに、黒歴史のことを考えた。
大学一年の4月に天然ゆるふわキャラで行こうとしていたこと、小学校の校庭の樹の幹に自分の名前の相合傘をほったこと…
こういう、どうしようもない過去の黒歴史に消え入りたくなったりする時があるけど
黒歴史はたいてい感情の暴走なので、愛おしくなってくるね。
自由な感情の爆発、いいじゃないか。生きてる証拠だ。
生きてりゃ感情も暴走するし、黒歴史みたいなことも起こっちゃう。
みなぎる生命力の象徴みたいに思える。
黒歴史を愛そうと思った。
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