2014-01-11

男児の母になってフェミニストじゃなくなった。

雇用機会均等法に就活した世代だし、女性学みたいのが大学流行りだした時代学生時代を過ごしたから、

女性差別のことには敏感だったし、当然自分フェミニストだと思ってた。

だけど、男児の母になって見えてきたことがある。

女子はい・ぢ・わ・る。

男の子は基本ばかなので、特に小学校なんかじゃあ、圧倒的に女子言葉暴力さらされる。

「せんせー、○○さんが忘れ物しました~!!」みたいな告げ口魔みたいなのとかさ。

この間は、男の子鉄棒の練習をしてたら、わざわざ横に来て「わたし、得意~!!」とか大きな声でいって

何回もやって見せたりする。

で、練習して男の子もやっとできるようになっても「・・・・[無視]」

知らん顔して、つまらなさそうに離れていく。

男の子同士だったら「お、すげー、やったね!」みたいに単純に喜びあったりしてて微笑ましいのに、

なんなの、このいじわるな雰囲気。。。

最近の某学会イラスト論争は、本当はもっと気高い志と、崇高な理想に基づく、頭のいい人たちが言論を戦わせてるんだろうけど、

あれにも、根底はいじわるな女性特有言い回しを感じたりして、

結局女の子の意地悪な性根をそのまま持ち続けて大人になったってことなんじゃ、と思ってみてた。

女性がいろんな面で差別的立場にあるという主張はよくわかるし、性的搾取される立場におかれている、というのも

わかる。

だけど、男の子子どものころから女の子に散々ねちねちいじわるされて育って培われた「根っこにある女性への嫌悪感

みたいなのは人格形成に結構影響してるんじゃないかと思う。

対立の根っこにあるのは結構そういうところだったりするかもしれない。

そんなわけで、今のわたしは学生時代のように、また独身時代のように、口が裂けても自分自身をフェミニストだとは口外しなくなったし、

しろ、もし、今わたしが育ててるのが女の子だったら、きっと自分の中の女の嫌な部分をわが子から散々見せつけられて自己嫌悪になるだろうから

あほ男児でよかった、とほっとしてるくらい。

最近では、もし自分の子どもが将来ゲイになったとしても、むしろ、ああ、そう、すてきな人ができてよかったね、っていうかもしれないとも思ったりする。

ま、これは単なる女性としての同性嫌悪なのかもしれないけどさ。

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