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2024-08-26

進撃の巨人が好きじゃない

ファンが好きじゃない

自分は内容は途中まで読んで飽きて、完結してからストーリーネタバレだけ読んだ口。巨人が実はスパイだったというあたりで陳腐さを感じて飽きてしまった。

しかし飽きただけでそれまでは好き嫌いとかそういう気持ちはなかった。また、内容についてはほとんど詳しくない。

ただしばらくしてミーム化された進撃の巨人の語録を使う人のことを生理的に受け付けなくなった。

ネットミーム日常ドヤ顔で使う人が気持ち悪いのもあるし、バカの一つ覚えのように使っているのが印籠のひけらかしのように見えて権威主義的なところがあるなあと思うからかもしれない。

ファン層についての観察

こう言うと偏見だが進撃の巨人が好きな層は現実トラップされている人間たちが多いのではないか

行き場のない牢獄の中で暮らしていて、何者かわからない人間たち(巨人マーレ人)に支配されているような感覚

から解放される瞬間は、陰謀論見出した瞬間に近いはずだ。「そうか!そうだったのか」のような。

そうしたファンは、操られていた自分主人公たちに投影して、不思議な力・眠っていたすごい力を喚び起こし世界蹂躙するところにカタルシスを覚えていそうだ。

日常生活に大きな不満がある層に見える。物語構造追放系やルサンチマンなのかなと思う。

いわゆるアニオタへの偏見

とはいえ自分意見が非常に偏っていることは十分承知している。

ただ今のところ進撃の巨人が好きという人間や、そのセリフを使う人間でまともな人間を見たことがない。

自分もけっこう昔はアニオタだったから多少の理解はできるが、アニメ世界のすべて・日本のすべてのように話されるとげんなりする。

排除したいとかそういうわけではないが、大人同士なら話題のチョイスとしてはちょっと勘弁してもらいたいなと思う。

進撃の巨人という存在のものが嫌いになった

おそらくこれは坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなんだろうが、進撃の巨人という作品まで嫌いになってしまった。

嫌悪感がある。「進撃の巨人が好き」という人を見ると好感度マイナススタートになる。理性で抑えているがたぶん隠しきれていない。

作者の諫山さんのこと(今始めてググって知った)は別に嫌いではないが、出身を見て「あぁ、さす九か。納得」と思うぐらいには進撃の巨人に対していい印象がない。

おわりに

何かプラスの印象になるような要素があればおしえてください。

たぶん作品自体は悪くないし、ファンも全員が全員酷いわけではないと思うので。

2024-08-25

anond:20240825114928

権威主義だの参考文献をチラつかせていやらしい

あの反論にこの難癖言ってるアンフェ達ってリアルでどんな生き方してるんだろうね

多分健常者とは殆ど会話にならないと思われる

自己正当化認知の歪みが凄すぎて

とんでもねぇ話だなぁこれぇ!!

anond:20240825155054

ブログの「にわか」も、誰も聞いていないのに「俺は中卒だけど」「大学大先生なのに」みたいなこと書いてたね。北村権威主義的なんじゃなく、にわかやお前が学歴コンプレックス持ってるだけでしょ。

権威主義ってのは権威盲目的に信仰することであって、先行研究をしっかり調査するのは学問常識だよね。それをいちいち権威主義だとか言われてもな。

北村も言ってるけど、先行研究ではこう言ってるけど俺はこう思う、って単に独自見解を述べるだけなら良かったんじゃない?でも「北村はめちゃくちゃ言っている嘘つきだ」とまで攻撃するからには、最低限先行研究事実関係は調べなきゃいけないよね

anond:20240825135042

まあどっちが権威主義的かと言えば北村某のほうだよな。

メディアはこう言ってるヒョーロンカはこう言ってるというのを並べ立てるだけなら

映画見てなくても言える。自分感想がなくても言える。

その点須藤某は自分言葉で語って、自分の肌感でニューシネマを捉えている。

まあ60年代後期以降のハリウッド映画が広いテーマを扱い出したのはヘイズ・コードのせいじゃなくて

スタジオシステム崩壊によって、監督をはじめ作り手の作家性を主導とした映画作りができるようになったおかげだと思うが。

社会から降りたか退場させられたかの違い

ネトウヨ認知の歪みと頭の悪さを見てると

どうやってこの程度の知能で社会を渡ってこれたのかと疑問に思ってた

でも彼らの書き込み時間からして確実にまともな職業には就いてないか

そもそもこいつらはまともに社会で生きる事を放棄してる負け組なんだなと理解した

これも所謂「男社会から降りた」と一応は言える

でも「男社会から降りた」人々がスマートエリートが多い一方で

ネトウヨはその降りた筈の男社会的なマッチョな主張とか国家マンセーみたいな権威主義にハマってる事は明らかで

この違いは何なのかと考えてたが、最近ある程度分かってきた

こいつら弱者男性は男社会から自主的に降りたのではなく、男社会から退場させられた存在なのだ

学校職場、友人関係などの色々な場面での男社会について行けず、合わせられず

追放された落ち武者なのだと分かってきた

からもう到底戻る事のできない男社会に未練がましく縋り付いてるんだなと

から肉屋を支持する豚になるんだなと

とんでもねぇ話だなぁこれぇ!?

北村紗衣と須藤にわか論点はずれているが、共通問題あぶり出している

太田出版Webマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。

私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。

発端となった元連載の内容

まず連載の企画趣旨は以下の通り

映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載

北村紗衣氏の主な論点は以下の通り

①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった

自分アメリカン・ニュー・シネマが好きではない

60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった

④ニュー・ハリウッド反体制的な要素と、あからさまな暴力セックス表現が主な特徴として挙げられる

アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流

⑥『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画

北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨みえる。

須藤にわか氏の異議

これに対して、須藤にわか氏の主張は以下の通り。

①「あからさまな暴力セックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている

アメリカン・ニューシネマフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー

アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない

④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える

⑤ニューシネマは「暴力セックス」の映画ではない

⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー

⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評カテゴリー自体差別的

北村氏の反論

須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかやすくまとまっている

①New Hollywoodの特徴のひとつセックス暴力があげられるのは当たり前

②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている

③広く使われているジャンル用語勝手に変更しない

論点のズレ

須藤にわか氏の明確な誤り

須藤にわか氏は

例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリー自分で見て「このカテゴリーには黒人映画女性主人公映画が入ってないか差別的」だと言っている

と述べているが、これは明らかに違っていて、

北村氏がいうように、

決めたのは私じゃなくて今までの批評

まり北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ

ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズのものに反発している。

北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張であるそもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的カテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しか知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である

(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)

さらなる食い違い

須藤氏は北村氏の姿勢について、

「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。

と言っており、

北村氏は

「(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー」なんだから批判されて当然ですよね?

という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象範囲が違うようだ。

須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーのものであると同時に、カテゴリーに含まれ作品群も含まれると私は解釈した。

須藤にわか氏の論の本質と、北村紗衣氏の指摘

須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。

60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力セックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。

そのくせに、結局は男性というか、主に白人男性が中心であることは問い直してないんですよ。

これに対して須藤氏は、

だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動実態がないもの運動責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。

アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評カテゴリー自体差別的

この点、北村氏も、

>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性主人公にした物語代表作として受容され、研究白人男性監督だけを対象としてきたこはいたるところで指摘されています<<

と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があることは認識しているように見える。

まり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズ問題があるという点では、共通認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネ解釈一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。

しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリサスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究白人男性監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。

なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動実態がないもの運動責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。

「問い直してない」論法は、レッテル貼りに使いやすい。

ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメ作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)

須藤にわか氏が作品擁護する姿勢理解できる。

増田感想

文系学問特に文学社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロ作品人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品人間もつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単差別につながる。「この時代に生まれ人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品人間評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。

少なくとも発端となった連載は素人映画をより深く鑑賞する視点提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。

たとえば北村紗衣氏がいうように、

「やっぱり、この映画ハリーのことをどう捉えているのかの解釈が難しい」

というところが、「ダーティハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。

あるいは、須藤にわか氏のいうように

そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代アメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから

ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。

須藤にわか氏のエントリについたクソブコメ

serio フェミニストはありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。

→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている

hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな

→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性さらけ出しているのがキモい

jassmaz 文学理論批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力である。87年出版アラン・ブルームアメリカン・マインド終焉』を読もう。

→「この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは

北村紗衣氏のエントリについたクソブコメ

tokuniimihanai あちらの記事批判相手職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる

→読まずに断じているゴミ

takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間大量発生するのが歪み

→態度を保留するって、どういう立場後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい

ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ

そもそも商業媒体ブログ応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。

どちらのブコメにも共通していえること

二人に対するクソブコメの数々は

権威主義的で映画のものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わず他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能

ではないか、ということを己に“問い直して”みてはいかがだろうか。

anond:20240825113938

反論記事に付いてるブコメを見ても、権威主義だの参考文献をチラつかせていやらしいだの、内容に対する批判になってないのが悲しいところやね……

2024-08-22

オタクネトウヨが多い理由

権威主義から

昔の名作がどうたらこうたら

あのクリエイターがこれ褒めたとか何とか

2024-08-17

anond:20240817233524

民主主義を正しく機能させるには国家権力へ常に厳しい目線を向けて、不正や怠慢、不公平がないかチェックし続ける不断努力国民ひとりひとりに必要

そういう意識を保たず国の権威を笠に来てアイデンティティにすらしちゃうミーハー権威肯定人間みたいな犬だらけになると、権力はすぐに腐敗し拡大しバリバリ権威主義や全体主義、果ては独裁に向かってしま

そうなってしまったら一市民風情じゃもう手も足もでない詰み状態になる

保守派はそれでも「優れたリーダーなら独裁気味でもむしろ良くなる」なんていう非現実的妄想に囚われて地獄への道を舗装しつづける

anond:20240817184012

今日漫画賞に応募する権威主義ワナビーなんてカモにされて当然だろう

描く奴はさっさと描いて公開していて人気がでていたら出版社人間は頭を下げてお願いをする

2024-08-13

名著からの「引用」を権威主義扱いするやついてビビった

反知性主義すごいなー

そもそもさ、人間思考なんてのはここ6000年くらいは変わらんわけよ

特に論理的な考え方は2000年前にはもう体系化されてる

引用というのはパッケージ化された思考プロセスであるからして、車輪の再発明の労を軽減したり、四角い車輪の再発明を防いだりする。

ところが無知蒙昧な輩は愚かに権威主義叫び、下手の考え休むに似たりを地で行くのだ

それはそうとして俺はアニメ引用別に構わないと思っている。

言いたいことが記号化されていればなんでもいいわけで、引用先にケチつけるやつこそ真の権威主義よ。

そいつそいつ反省しなさい。

2024-08-11

一部の左翼リベラルな人たちは、説明能力も読解能力もないだけなんじゃないかと思う

一部の左翼リベラルにいる印象なのが下記の人間

解釈説明せずに結果だけの意見を言い切り、それに対して「それはどう言う意味か」「こういうこともありあるのでは?」と疑問や質問をぶつけると「勉強が足りない」「⚪︎⚪︎を読め」としか言わない。

逆に、こちらの意見を表明したとしても、反論や疑問ではなく同様に「勉強が足りない」「⚪︎⚪︎を読め」と言ったこしか言わないので、話していてもなんも面白くないし、理解もできない。

これで権威主義の人な印象もつよく、業界で有名な誰々が言っている内容を言うだけで、自分エピソードを交えた解釈だとかは全然出てこない。

私自身は左寄りやリベラル意見も興味はあるから理解するためにちゃんと掘り下げたいなと思っても、こんな様子で掘り下げを拒否されるから理解が出来ない。

質問や疑問は否定の内容でないにも関わらずこれになる。

これはX等のポストにかかわらず、現実言葉を扱う職業の人でもそう言う人がいる。

もちろん、左翼リベラル界隈の人じゃなくても、似たような人はいると思うが、個人的な肌感覚だとそちらの界隈が顕著だなという印象。

多分そう言うコミュニケーションを界隈の中でして一般化してるのかなと思うけど、説明能力も読解能力もないと多くの人には支持されず、先鋭化していってしまうのかなと感じる。

個人的には非常に残念で、ちゃんコミュニケーションを取って、知見を深めたいと思うのだけど。

2024-08-06

これは元増田が「私はサヨクです」と自己紹介しているだけ

https://anond.hatelabo.jp/20240805223215

動物人間同士の政争のダシにするサヨク、端的に言ってカス

右翼の特徴として、排外主義権威主義保守志向があるけど、これらは全て「動物本能に従ってる」で説明できるよ。

こんなの全部「動物右翼。なぜなら世界の中心である私より右にいるから」としか言ってないのに右翼ブクマカ鵜呑みにしてるんじゃない

元増田の主張には「野生動物は"どの程度"よそ者を怖がるのか」という量的な概念がまるっきり欠けているし、だからもちろん「人間比較して排外性が高いかどうか」という肝心な部分がない

見る人のスタンスによっては「私より動物のほうがずっとよそ者に甘い。動物本能左翼」ともなるだろう

ドードーという民族移民流入に甘く軍備も重視しない左翼だったので滅びていった

>群れを作る動物リーダーを頂点としたピラミッド構造を作る

野生のハイイロオオカミの群れに階級ピラミッド存在しない、というのははてなみたいなハイソ場所では常識だと思っていた

https://www.newyorker.com/science/elements/the-myth-of-the-alpha-wolf ハイイロオオカミ階級ピラミッド説を著書で唱えていた研究者は己の間違いに気づき絶版にしようとしたが、出版社はなかなか同意してくれなかったという)

野生のニホンザルの群れにはピラミッド構造があり、また基本的にオスのほうが階級が上なので確かに保守的社会構造のように見える

しかニホンザル母系社会であり、母の地位が子に引き継がれ、また夫婦という概念はない

これは今の日本人欧米人が思い浮かべるいわゆる保守的社会とは真っ向から反している

チンパンジーピラミッド構造があるが夫婦はなく、またオスの地位が子に引き継がれることもない

ハイイロオオカミは生涯一夫一妻を貫くことが多いものの先ほど言った通り階級はない

メスを従えるライオンのオスはいかに人間の「強い男」のようだが、オス同士ではピラミッド構造以前にそもそも付き合いがほぼない社会である

このように動物といってもいろいろある中で「保守の目指す社会チンパンジーのように階級ピラミッドがあってハイイロオオカミのように一夫一妻制があってライオンのように夫が妻を従えているか動物本能に沿っている」と主張しても、チンパンジーハイイロオオカミライオン同意してはくれないだろう

それが通るなら「チンパンジーのように夫婦がなくハイイロオオカミのようにオスメスの地位が同じでライオンのように男同士は離れて暮らすから動物本能に沿っている」も成り立ってしま

もっと言うと生涯一夫一妻を貫くのは哺乳類には珍しく、鳥類が圧倒的に多い

人間社会は鳥の本能に沿っている」と正しく主張してもらいたい

>動物ちょっとした変化を嫌がる

>動物対話による解決なんてせず、ヤるかヤられるか

動物は「ひたすら変化を避けてひたすら敵を攻撃する」などという方向性で生きているわけではない

変化を避ける←→好奇心を持つ 敵を攻撃する←→和解を図る の相反する方針にはそれぞれ一長一短があるので動物たちはその時々の環境に合わせてこの両極の間を揺れ動いている

新しい物をなんでもかんでも食べていたら食中毒になるが、警戒しすぎてなにも食べなかったら餓死してしま

身を守るために軍備は必要だが、むやみに戦っては負傷で死んでしまう(ところで動物対話による解決くらい普通にやる)

というわけで増田の主張する「右翼動物本能に沿っている」は全く間違いなので動物に謝れ


蛇足人間のオスは他のオスの「勇気」を喜ぶ傾向にあるが、これは動物としては珍しい。オスウサギは外敵からとにかく逃げるし、オスライオンはよそのオスライオンが勇気なんぞ出しても邪魔なだけである

anond:20240805223215

増田の言う通り、本来左翼人間の頭で考えた理想を実現することが正義とするものだよ

ただし日本では違う

日本左翼は、長らくソビエト中国共産党の子分的な組織であった時代が長く、上位組織方針に異を唱えること自体裏切りとされて追放された党員も多い

結果として、日本左翼党派(社会党共産党)は権威主義的なふるまいに慣れてしまい、若い構成員同調圧力によって権威主義的なふるまいに染まってしまっている

リベラル思想はいものもよくないものもあると思うが、まるごと全部肯定しなければ、味方を背後から撃つなと糾弾されてしまうのだ

2024-08-05

右翼左翼をお前らにめちゃくちゃわかりやす解説してみるよ

右翼左翼に関して、こういう疑問を持ったことはない?


これらの疑問はどちらも「右翼保守」「左翼革新」という誤った認識のせいで生まれてるよ。

かに右翼保守であることが多いんだけど、それは右翼本質ではないんだ。

ではまず右翼本質とは何かを説明していくよ。

右翼とは「自然主義」のこと

右翼の特徴として、排外主義権威主義保守志向があるけど、これらは全て「動物本能に従ってる」で説明できるよ。


このように動物的な本能を重視するのが右翼本質であって、保守はそこから導かれる系に過ぎないんだ。

左翼とは「思考主義」のこと

左翼はその逆で、本能よりも思考を重視するよ。

左翼大学に多いのもそのためだよ。

こう書くと「左翼の方が優れてるって言いたいのか?」とピキっちゃうかもしれないけど、そうじゃないよ。

思考偏重」ってのは必ずしも「頭が良い」って意味ではないからね。

思考をこねくり回した結果、山岳ベース事件クメール・ルージュみたいなバカたこともするわけだ。

爆弾とか文明の利器で危ないことをするのも基本左翼だよね。右翼は単純な暴力事件が多い)

あくまで「本能」「思考」のどちらを重視するかの違いであって、どちらが上という話ではないよ。

■なぜ左翼憲法を「保守」し、右翼憲法を「革新」しようとするのか?

ここまで来ると、この疑問もそう難しくはないね

人類思考の果てに作り上げた平和憲法左翼にとって大事なのは当たり前だね。

しか右翼にとっては闘争本能否定する不自然まりない代物なんだね。

マジックギャザリングで言うと右翼は赤緑で、左翼は白青黒と言ったら(一部の人には)伝わりやすいかもしれないね

■なぜ低学歴は(弱者の味方であるはずの)左翼を嫌い、ネトウヨになるのか?

要は左翼が「思考的」過ぎて共感できないからだろうね。

左翼共感するには学問的な教養必要だけど、右翼本能に訴えかけるから惹かれやすいんだね。

左翼弱者を救いたいなら、もっと目線を合わせることが必要かもしれないね

■なぜ右翼資本主義で、左翼共産主義

資本主義って要は経済自然状態だからね。

そもそも資本主義」って言葉自体共産主義者が作ったもの

現状の経済を指して「資本主義」と呼んだのであって、誰かが意図的資本主義経済を作り上げたわけじゃない。

右翼自然状態が好きなのだから自然発生した資本主義が好きなのも当然だね。

蛇足

この理論に当てはまらない人が稀にいるよ。

一番わかりやすいのはユナボマだね。

彼は天才頭脳思考をこねくり回した結果、「産業社会破壊する」という普通右翼ドン引きするほどの超極右になった人物だよ(諸説あるけど)。

あくまでこの理論は傾向の話であって、全ての人に当てはまるわけではないことに注意してね。

でも多くの場合は「本能思考」の対立説明できるはずだよ(少なくとも「保守革新」の軸で考えるよりはずっと当てはまりがいいはずだよ)。

■お便りコーナー

本能対義語思考ではなく理性では?」

そうだよ。ただ「理性」という言葉は良い意味を持ち過ぎてるから避けたよ。

クメール・ルージュ蛮行を「理性」と呼ぶわけにもいかいからね。

人間簡単に二分できると思ってるのか!」

思ってないししてもないよ。

例えば統計的には男女には色んな生まれつきの差があるよ(ラディフェミ否定するかもしれないけど)。

でも全員キッチリ男性的・女性的に二分できるわけではない。傾向的な差があるに過ぎない。それと同じことだよ。

左翼が陥りがちなセクト主義本能的では?」

はい。ただ左翼セクト主義批判しているのだから、やはり「左翼本能的なもの批判している」ってことになるよね。

左翼の中で肯定的に使われる言葉ならともかく、批判されているものを持ち出しても、むしろこの理論を強化することにしかならないよ。

anond:20240805194953

こういう陰湿誹謗中傷、昔の2ちゃんねるの人文系スレッドのようで懐かしさがある。

だいたい書いているのは人文系アカデミアかそのなりそこないの陰キャで、権威主義的にくさしながら嫉妬感情を隠しきれない素朴なお勉強けが取り柄の田舎者である

2024-08-01

anond:20240801103256

ちょうど今さっき目に入ったから…

この件に関わらず普段から左翼の皆様も結局権威主義だなって感じてたんでつい

クラフトワークなんて聞いたこともなかったけど知らんのか!って感じでキレてる権威主義者もおかしくね?

有名なら批判すんなってバカでしょ

2024-07-25

anond:20240725094546

生成AIインボイス周りでのブコメを見る限りでは、クリエイター全般に甘いんじゃなくて

一部のトップ層には媚びてそれ以外を叩きまくる権威主義が見て取れるよ。

2024-07-23

アサクリ・弥助・黒人武士問題は軽視して良いものじゃない

日本戦国時代では黒人奴隷流行ってた、イエズス会奴隷禁止してたのに。

真田広之SHOGUN黒人武士が出てこないのは差別糾弾された。

○弥助の活躍を認めないのは日本人が差別主義者だからだ。

こんなのが一般的になってんだぞ

人種的ポリコレ配慮戦国モノしか作れなくなるだろうね

東大准教授の岡美穂子先生論調

ちなみに東大准教授の岡美穂子さんは誤りを正さないことに肯定的

理由は「それを信じた彼らが可哀想からじゃないか」という趣旨しかも、外務省から言われたらやるという権威主義

彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。

https://x.com/mei_gang30266/status/1815158811931603395

権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的国益問題」と判断すればですが。

https://x.com/mei_gang30266/status/1814970333448790232

ちなみに岡先生配偶者ルシオ・デ・ソウザさんは、このデマ発信元ロックリーさんの著作の推薦文を書くなどの近い関係

東大教授隠岐さや香先生論調

オープンレター隠岐さや香東大教授も参戦。

趣旨は「歴史学者へのオンラインハラスメント言論弾圧だ!」とのこと。

先生はじめまして。大変お疲れ様です。横から失礼します。

日本研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧一種として国際的にも認識されています

https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/

https://x.com/okisayaka/status/1815268791099764775

ちなみに隠岐さや香先生の例示した報告では、日本におけるオンラインハラスメントの事例として安倍晋三によるものを挙げている。なんとその出典は新聞記者映画)。あれは望月衣塑子記者によるフィクションなんですが・・・隠岐さや香先生大丈夫

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