はてなキーワード: 教養とは
こいつらは、どんなに仕事やっていても、「親の育て方がカス。嫁と子供かわいそうすぎる。」と思われている。
で、実際の所、仕事もたいしてできていないんだー。(周りが言わないだけで。または仕事カスな自分に全く気づいていない。)
世間体。
寂しい。
家事してくれる女が欲しい。→共働きでも家事は女の仕事がから俺はしないよ!
子供が欲しい。→でも俺は見ないよ!
親を安心させたい→でも美人で金持ちの女がいい!学歴は俺より下ね!
だいたいこんな感じ。
「仕事が忙しい」を理由に家事育児ができないっていうなら、お前の嫁は何なの?
彼女達も、手一杯なのに家事育児やってる。というか、やらないといけない。なぜって子供が死ぬから。
ついでに彼女達の旦那は、お前じゃなくてもいいんだよ。というか、お前じゃ役不足だ。お前じゃダメ。
むしろ、もっと優良物件と結婚できたはずなのに、お前のようなアホと結婚してしまったせいで不幸街道まっしぐら中なんだよ。
お前の扱いが雑になったとか、お前の両親への関わりを嫌がらないか?
それは、当たり前。
原因は、お前なんだよ、アホカス男ども。
よくさ、「俺は毎日仕事頑張ってるんだ!家くらいゆっくりしたい!休ませろ!!」って言ってるバカいるじゃん。
え?じゃあ嫁は?嫁、休んでませんけど?
で、「俺の仕事の方が大変なんだよ!!!!」と、比べる物差しが全く違うのに、それ出してくるガチアホ男がいるんだよね。
これ言う奴、たいがい育ちが悪い。
ここで言う『育ちの悪さ』ってのは、実家が貧乏って意味じゃない。
両親の育て方がクソだったって意味ね。
きみの親は、躾や人間としての教養を自ら教えられる人間じゃなかったんだよ。
親からは、飯食わせてもらって、学校出してもらって、身の回りの世話だけしかやってもらっていない。
親として子に教えなければいけない重要な事を、全部放置されたせいでクソバカアホ価値観のダメ男になってしまったわけだ。
というより、『親が子供に躾をする』って発想すら頭になかった親から産まれちゃったんだよね、きみ。
そんなダメ男なきみに対して、嫁はイラつくわけよ。脳内クソガキのまんまの成人男性と暮らしているんだから。
そして、躾放棄してきた義両親に怒りを感じるんだよ。
義母に対して「躾できないなら子供産むなよクソトメ!!」って思ってんの。
「息子の嫁が他人行儀で、あまり家に来てくれない。」と思っているおじいちゃん、おばあちゃん。いるよね?
嫁は、毎日毎日疲れ果ててますよ。そんな中の貴重な休日は、ゆっくり休みたいんだよ。
おじいちゃん、おばあちゃんの接待なんぞしてたら、嫁は完全に年中無休。
「私たちの時代では考えられない」って言う、じいちゃんばあちゃんさ。
前者は見栄えだけ良いが家柄も能力もない嫁を金持ちが金で買って隣に飾りがたる事を揶揄してトロフィーと言ってるわけだが、
妻の方も例え専業でも夫に提供出来るもの(家柄なり教養なり人脈なり実家の財産なり)があり、夫もそれ目当てで結婚しているわけで、
私は今、うつ病を誤魔化してないものとしようと、大量飲酒した結果、アルコール依存症で入院してます。
TOKIOの山口さんのように、言葉は悪いですが、"流行" に乗って #metoo でもしたいのかとでも毒づかれそうな話です。
でもニュースを見るたびに、心が苦しいので、吐き出そうと思いたち、書きました。
結婚をして数年たってもこどもに恵まれなかったので、「太っていると妊娠しづらいらしいわよ」と言われたこと。
そして会社でのイジメから、ほぼ意地になってダイエットをしていました。
私は流行りものを冷ややかな目で見ているふりをしながら、つい取り入れたくなる、ただの30も過ぎた普通の女です。
糖質はほぼなく、更にアルコールを分解するには当然、人体はエネルギーを使うので、スルスルと体重が減って、当時はそれが楽しくて堪らなかったのです。
でも、もうその頃には、まずお酒を飲まないと、食べ物を口にする事自体に罪悪感を感じるようになってました。
イジメの関連で通っていた精神科医にある日飲酒が発覚して、現在に至るというわけです。
祖母が大好きだった私にとって、"あのひと"は動物にしか見えなかった。
その祖父と同じような歳の人間が、私の今いる病棟にはたくさんいます。
廃人のように毎日、寝ている人もいれば、何かにとりつかれたように明るい人もいて、一言で「アルコール依存症」と括られるのだから、世界は窮屈だと思いました。
朝昼夜のホールでの食事は毎日、同じ席で赤の他人と食卓を囲みます。
それなりに会話を交わすうちに打ち解けるテーブルもあれば、いつまでも険悪なテーブルもありますから、すべては運です。
「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることが出来るならば。」
今朝、朝食をとりながら、毎日同じテーブルを囲む男性と、太宰治の「葉」の一文の話になりました。
たまたま、病院の近くに、太宰治の墓があって、まもなく桜桃忌だという話になったからです。
「酒は体に悪い」
これがシンプルで短い真実で、それを自分に信じさせることが出来れば、どんなに楽か、とふたりで笑いました。
たまたま、隣の席に恵まれたということも、もちろんありますが。
何故、私がここに入院するようになったか、彼が知らないように、
私ももちろん彼がなぜこの病院に入ることになったのかを知らないわけです。
でも林芙美子の言うとおり、私にとって「どんづまりの世界は、光明と紙一重で、ほんとうに朗らか」なのです。
こどものころ、こんな病気になって、こんな病院に入れられるような人間は
きっと碌でもなくて、自制心も、教養も、まともな教育も受けていないような人間だと、思っていました。
動物のように、欲求を抑えることも出来ない、そんなイメージしか持っていませんでした。
隣席の男性はともかく、私が「教養のある人間」だなんていう思い上がりはまったくありません。
多分、彼も私も、小さく、普通に、素朴に、生きてきた人間のはずだと思います。
それなりの勉学をこなし、それなりの大学を出て、日々与えられた仕事をこなし、小さく暮らしてきただけのはずなのです。
「普通」に生きる、というのはとても難しいことなのだと知りました。
偏見を持っていたこと全てが、鏡となって反射して、自分を許すことが出来ません。
周りは、「今気づいてよかった」「これから治療していこう」「前向きに」と誰も私をせめません。
一方の私は、どちらが"前"なのかすら、わかっていないのに。
お酒の影響もあり、脳の能力が低下している、こんな私の文章は今、さぞや読みづらいことと思います。
ただ、ひとつ伝えたかったのは、あの事件も「酔っ払ってあんなことして恥ずかしい」で片付けられるようなものではない、ということです。
全くお酒を飲めない人間以外には誰にでも起きうることです。ここ数日ニュースを見るたびに苦しいのです。
いつか、他の人ではなくて、自分が自分を許してくれますように。
太宰治はこうも言っていました。
「私は、独りで、きょうまでたたかって来たつもりですが、何だかどうにも負けそうで、心細くてたまらなくなりました。けれども、まさか、いままで軽蔑しつづけて来た者たちに、どうか仲間にいれて下さい、私が悪うございました、と今さら頼む事も出来ません。私は、やっぱり独りで、下等な酒など飲みながら、私のたたかいを、たたかい続けるよりほか無いんです。」
自分の師匠と見込んだ人との関係を大切にするという話を前回書いたが、その人と対等に話ができる位の人間力(というようなもの)も必要である。知識、教養、気迫、覚悟。
人の相性というものもあり、これはもうどうしようもない。要は気質である。嫌な人間と嫌々付き合うようなそんな時間はこの短い人生の中においてない。自分の好き嫌いで付き合う人を選んで良い。仕事は己の好き嫌いで選んで良い。
そのためには自分自身を鍛えていくことが大事になってくるわけであって、その中で最も大切であり効果的だったのが本と旅であった。継続的な学習は必須である。学習とはいっても嫌なもの興味のないものを無理矢理勉強するというのは大人のやることではない。自分が興味のあるものを片端から読んでゆく。直感的に興味を抱いたテーマの本を手がかりとして、芋づる式に片端から読んで行く。
学習とは苦ではなく楽しいものなのだ。本を読むのは上質な娯楽なのである。その上好奇心を満たしてくれる良い本もたくさんあるのであって、本を読まない理由はない。
仕事のために必要な本、仕事に関わってくる専門書とは、本当に文字通り最高の投資対象であった。
仕事とは事前準備が全てであって、自腹でそれなりの価格の専門書を買い、それで仕事に必要な知識を仕入れ、その上で現場に臨む。
そういう風にしていけば、結構高いレベルのパフォーマンスを仕事の現場で見せることができるのだ。そうすれば次もぜひこの人に頼みたいと思われるわけで、そうすると途切れなく仕事が入ってくるものであり、もう引き受け切れないから断ると。そうしているとやがて値上げも容易になってくる。
そういうわけで、極めて有望な投資対象として本がある。得られる価値に比べて本の価格は安い。安過ぎるくらいである。
https://anond.hatelabo.jp/20180505233446
ルールとは何だろう。
俺がその問いに回答するには辞書に頼らざるを得ないし、それ以上の答えは用意できない。
守るか、破るか。
それで十分だと思っていたし、実際それで何とかなっている。
でも、この世がみんな俺みたいなスタンスだと社会は崩壊するだろうな、くらいの思考は働く。
このように、登校した生徒に絡んでくる奴らがいるのは珍しいことではない。
違うのは、絡んでくる人間が教師ではなく、生徒会の奴らって点だ。
こういうのは生活指導の教員がやっているだろうが、俺たちの学校では少し趣が異なる。
「勉学だけならば学校は必要ない。社会、教養を、日々の生活で育むことこそ、学校に求められる役割だ。その資本とは、生徒自身なり」というのが校長の弁である。
要は社会性を学ぶのに、“生徒の自主性を重んじ”ているってわけだ。
まあ、これは名目で、実際には生徒の面倒を見切れない教師側が、仕事を減らすために作ったカリキュラムなのだろう。
とは言っても、大半の在校生にとって、この差に大した意味はない。
大きな違いがあるとすれば、この生徒会に対抗する“組織”が存在することだろう。
「なんだ、そのピンク色の髪は!」
クラスメートのカジマが注意を受けている。
「いやいや、地毛っすよ」
見え透いた嘘だが、カジマは強気だ。
「ピンク色の髪が地毛だというのか?」
「ふざけるな!」
「仮に染めていたとして、それが問題なんすか? 校則で『髪を染めちゃダメ』と書かれているとでも?」
「なっ……に。だが、風紀法には反するだろ!」
「風紀法には強制力がないっすよね?」
「カジマのやつは、また“不真面目団”の活動か」
「でなければ、あんな悪目立ちするだけの色に染める必要がないだろう」
「いずれにしろ状況は変わらん」
“不真面目団”
要は不良の集まりってことになると思うが、一般的に認知されているものとは少し趣が違う。
この集団は、生徒会のことを気に入らないと思っているメンバーで構成されている。
カジマみたいに、校則で罰することができない範疇で、生徒会が眉をひそめるような行為するわけだ。
しょうもない嫌がらせレベルのことしかしていないが、生徒会には効果的だった。
なにせ生徒会に所属する人間は意識が高く、真面目さと柔軟さが反比例するような奴らばかりだ。
そんな生徒会にとって、取り除けない目の上のタンコブほど邪魔なものはない。
そんな生徒会と不真面目団の小競り合いを横目に、俺たちはホームルームまでの時間を潰すわけだ。
「どうしたんだい。生徒会番号06」
カジマの小競り合いに、生徒副会長が割り込んできた。
普段はこういった活動には顔を出さないのに、どういった風の吹き回しだろうか。
「こいつが髪を染めているのに、逆らってくるんです……」
オーラでも出ているのだろうか。
さっきまで強気だったカジマが怯んでいるのが、傍目にも分かる。
「さ、ホームルームに遅れてしまう。かといって走らず、自分の教室に行きたまえ」
カジマはそう促され、おずおずとその場を後にした。
このときカジマは、その生徒副会長の物腰の柔らかさが、逆に得体が知れなくて不気味に感じたらしい。
「で、ですが副会長!」
「仕方ないさ。ワシらにはどうしようもない」
生徒副会長は、その後に続けてこう言った。
「今のところは、な」
そう確かに聴こえたと、カジマは語る。
これらの記事が話題になっているので田舎出身の私の事をここに書いておこうと思う。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55505
私は今年で30才を迎える正真正銘、東北の田舎底辺校出身、都内勤務の人間である。
私の両親は共に高卒で父親は土木業、母親はスナックのママという家庭に育った。
勉強しろと言われたことは人生で一度もなく、部活動やアルバイトをして早めに社会勉強をしろといって育てられ、中学生の時から新聞配達をはじめ、高校に入ってからはコンビニ、スーパー、引越し屋のアルバイト等をしながらお小遣いを自分で稼いでいた。
テストが赤点であっても宿題をやらなくても怒られることがなく、お小遣いが貰えなかったため自分でアルバイトし、また勉強を疎かにしてバイトを増やしても怒られない家庭だったので、お小遣いが欲しかった私は勉強はまったくせずアルバイトに精を出し稼いだお金はゲームに費やして過ごした。
さらに遡ると小学校低学年の時に分数の計算でつまづいていた私は家で父親に宿題を見てもらおうとしたが「わからないからオレに聞かないで」と一蹴された事もあった。
さてそんな環境で育った私が高校三年生を迎えた時に進路について考える必要性がでてきた、周りの友人に話を聞くとだいたいが就職するか専門学校に進学すると言い、大学に進学すると答えるものはクラスに1、2人くらいだったと思う。
私も友人同様、当時ハマっていた漫画やゲームの影響で車関連の専門学校に進学しようと思ったが家庭の環境がちょうど悪くなっていた時期でもあり進学するのが厳しかったため進学をせず、また就職するわけでもなく、アルバイトして貯めたお金で東京に上京しフリーターになった。
私は当時、専門学校は自分が就きたい職業の専門性を磨くという場所でとても大切な場所だと思っていたのに対し、大学に行く意味というのが全くわからなかった。
大学に行っても中学のように相変わらず”将来役に立つとは思えない”5教科を勉強する場所と思っていたのだった。
そこで、そもそも大学に行く意味がわからない私が、その大学に入るために1年ないし2年かけて大学に入る勉強をするという予備校生に出会ったのだから私にはとても衝撃的な出来事だった。
しかし、それからそのバイト先で出会うさまざま大学生と仲良くなるにつれ自分の考えがおかしかった事に気づかされていく。
そのバイト先では東大生、慶應生、早稲田生、明大生と、日本で上位に位置付けられる大学生達と出会い、仲良くなり、彼らの頭の良さ、教養の高さ、人間性、将来目指している(自分とはまるで縁のない)職業、育ちの良さを目の当たりにしてしまったのだった。
また彼らと話していて大学というのがどういう場所か想像することができ、その中で私がショックだったのが、彼らには当たり前のように配られている弁護士、官僚、新卒で大企業に入るというエントリーチケットを私は持っていないという事だった。
もちろん全員が夢叶うわけではないが、そもそも私は今のままではそのエントリーチケットすら持っておらず彼らとは全く別の人生を歩まないと行けないんだという事実にその時初めて気が付いたのであった。
そもそもそれまではそんな職業に就く人や、目指す人が自分と同い年にいるという事をまったく想像すらできなかったのだ。
医者や弁護士は元より大企業で働くサラリーマンですらどこか異世界の話、自分とはまるで縁のないものと思っていたのだ。(プロ野球選手や芸能人を思い浮かべればわかりやすいだろうか?)
彼らは小中高と勉強をしてきて、当たり前のように塾に通い、進学校に入学し、予備校に入り模試を受け、入試を受けいい大学に入る。
これらが彼らの周りでは至極当たり前のことで、彼らにしてみれば私の方が異端児だったのだ。
その時19才の私は、例えるならレースをしていてスタート地点から1/3程度進んでから貴方が走っているのはコースではないのでコースを外れた地点まで戻ってレースに戻って下さいと言われているようなとても理不尽な感覚に襲われた。(コースアウトしていたのであれば、コースを外れたその瞬間に教えてくれないとあまりに先行者と差がつき過ぎて追いつく事ができないよと)
私の場合はスタートした時点で明後日の方向に走ってしまったか、スタート地点をグルグルと回っていたのだ。
そして世の中の仕組みを教えてくれなかった両親や生まれ育った田舎を恨むようになった。
誰も世の中のルールを教えてくれなかった、知ってさえいれば努力ができたはずだと涙する事もあった。
間はだいぶ端折るが、その後私は一念発起し世間一般にブラックと呼ばれるような待遇の零細企業に就職し、自分で学費を捻出し国立の夜間大学へ通い、無事卒業し、転職をして最終的に東証一部に上場している業界の大手企業に勤める事ができた。
私はまだ人生のやり直しが聞く時期に、たまたま運良くバイト先でそういった人たちと巡り会うことができ、気がつき、努力ができた為、今はそれなりに普通の暮らしを送ることができているが、もしそういった気づきが今だになければ30才の今フリーターを続けていた可能性もある。
世の中には私が若かった頃と同じような境遇の人が沢山いて、そういう人たちに勉強してこなかった自分が悪いんじゃんと一蹴することは簡単だが、そもそも勉強の意義を知らない人は勉強するはずもなく、単に怠けて努力しない人とは違うということである。
そして私は宝くじに当たったのと同じように運良く気がつくことができた為、そこから脱出できたのである。
もし全員が生まれた瞬間に同じカードを配られていたとしたら、それをどう使おうが(または使わないか)は個人の勝手だが、はなから配られたカードが違うのでは理不尽である。
3限の授業がおじいちゃん教授で「最近の若者は皆美しい顔をしてる」って言い出して何事かと思ったら、戦時中は顔に大火傷した人が多かったかららしい。だから自分の顔をブスとか卑下するな、平和の時代 に生きてる美しい顔だ。そういう顔をブスと罵るのは歴史を知らない教養のない奴だけだって。— 太一 (@taichi093) 2018年4月27日
なんかこれが良い話みたいな感じで回ってきたんだけど、
それなら顔に火傷した人はブスと罵っていいのかよ…と思ってなんかモヤモヤした。
それも否定してもらわないとちっとも良い話じゃないわ。
ド田舎で車なしで暮らしてたら、休日は外に出るより引きこもってた方がストレス少ない。
田舎の
・質の悪さ
・民度の低さ
・不便さ
に、外に出ると、ストレスが溜まる。
まずJRで一番大きい駅まで行って、それで一番大きい郵便局まで歩く。
喫煙可ではない場所で喫煙する、小汚いジジイ、歩道で信号待ちをしてたら、歩道に乗り上げてくる、軽トラ(中年男)
田舎は都会以上にクソな男が多いのかな、都会でも田舎でも女性はルールやマナーを守ってるのに、男は守らない人間が多くて、殺意がわく。
迷惑行為をするのって、男ばかりじゃん。
道端にゲロしたり、唾を吐いたり、男がしてるのは見たことあるけど、女がしてるのは見たことない、それだけで、男って存在は要らないし。
迷惑行為ばっかり。
この日も、好き勝手な場所で喫煙するクソジジイと、歩行者の安全無視な、クソ軽トラ男がいて。
低学歴低収入の底辺かつ男っていう人種が主に乗ってるから、まともなドライバーがいなくても、仕方ないのかも、だけどね…
軽トラだからって警戒しない馬鹿な人間(そいつも男)が、軽トラの危険運転にクラクション鳴らして、横付けされて怒鳴られて、私が嫌な思いしたから、その軽トラ男も許せないけど、底辺を警戒しないその男も許せない。
そいつは自分が底辺側で育ってるから、警戒心・偏見がないのかもしれないけど、そのせいで、危険な車に遭遇しすぎ。危険な車を避けないから。
その男みたく、初めて自分のお金で買う車が軽、みたいな、低学歴低収入の親のもとで育って、底辺側の価値観しかない人間も嫌い。
そうして、郵便局で用事を済ませて、20分ぐらい歩いて、文化施設について。郵便局からその施設まで、歩くっていう選択肢しかないのが、不便すぎ。
無料でやってる講演会に参加してみたものの、ど田舎の無料の講演会のレベルなんかたかが知れてて、低レベルで役に立たなくて。
そういう、田舎のコンテンツのレベルの低さ、文化資本の差だよね。
そもそも、美術館や博物館が少ないし、水族館はないし、映画館も県内に3箇所しかないし。
そんな、文化資本の観点から恵まれてない環境で、ずっと実家暮らしで、大学にも行ってなかったら、大人になっても常識やマナーを知らない、教養もない、何も知らない・見えてない人間が出来上がるっていうの、実際にそういう人間と深く関わって、衝撃だった。
そんな人間が勉強して、自分の置かれてる立場や世の中のことを知って、人並みに自分の頭で考えられるようになったら、「勉強しない方がよかった、馬鹿な方が生きやすかった」とか言うから、さらに嫌悪感を感じる。
無知なまま、搾取されてる側を望むとか、どれだけ頭が悪いの、と。
反知性主義ってやつなのかな、その発言への嫌悪感は強く、そいつとの関係修復は難しいかも。
その低レベルな講演会に、またまたキモい男どもがいて、ストレスを感じて。
田舎ほど精神障害者は多いと思うけど、キモい男も都会より多いのかな…
1人はじっとしておけない、精神障害者の男。
もう1人は身なりが不潔、禿げ散らかした頭に汚い服に汚い靴の、気持ち悪いおじさん。こういうのは、都会にもいるかも。気持ち悪い、清潔感のない中年男、全員死ねばいいのに。
男の一部は、自分たちの身だしなみに無頓着すぎる、自分たちが見られる側であるという意識がなさすぎる、気持ち悪い、死んでほしい。
後ろの男はずっとゴソゴソしてて、それも腹が立った。
女性もたくさんいたのに、迷惑な行動をするのは男ばかり、低レベルな男の多さに、腹が立つ。
なんで、女性ができることをできないの?
男だからって甘やかされた結果がそれなんじゃないの、って思うから、許せない。
その講演会が終わって文化施設からまた20分ほど歩いて一番大きな駅、その近くの、一番大きな駅の近くにある唯一のカラオケ屋に行ったら満室。
2時間は空かない、と。
ど田舎なら、一番大きな駅前でも、カラオケが一箇所しかない、終わってる。
あとは車でしか行けない場所に何店舗か集中してて、駅前には一箇所だけ、という…不便すぎ、くそすぎ。
駅前のビルのなかの、チェーン店の専門店で買い物したら、過剰接客にイライラするし。
このクソ田舎の嫌なところって、不便で民度は低いのに、市内に自然がなくて、働き方は都会に近いということ。
いくら不便でも、自然があって、のんびり働いてるなら(沖縄や北海道みたいに)ストレスも少ないだろうけど、不便で自然は近くになくて(市外には観光客が来るような自然が何箇所かある)働き方が都会に近い、ロボット的なものなら、ストレスの方が多くなって、当たり前だよな…と。
こんなクソ田舎、早く出て行きたい。
クソ田舎でずっと育って、世間知らずに育って、勉強して視野が広がって、勉強しない方がよかったとか言うような人間がいるところ、早く出て行きたい。
かつて好きだった相手を憎むのは、疲れる。
好きが無くなれば、憎しみもなくなり、無関心になるのかな…