はてなキーワード: 固有名詞とは
などのように検索結果が汚染されるから、せめて何かしら単語を組み合わせてくれと思う。
タイトルも何チャンネルでやってたかも思い出せないけど、結構強烈に記憶しててたまに思い出す。
誰か分かる人いるかな。
シーンとしてはこう。
刑事2人で誰か(確か覆面の殺し屋っぽかった気がする)を尾行してて、場所は朝の満員の駅のホーム。
理由は忘れたけど2人が一瞬はぐれた隙に、その殺し屋が1人の刑事の耳元で
と話しかけて?きて、それに気を取られてるうちにもう1人がホームから突き落とされ、電車の下敷きになってる描写が映る。
観たのは中高生の時だったと思うけど、杏仁豆腐って固有名詞と起こったことのギャップが衝撃的で頭に残ってるんだよな。 あと殺し屋の声が妙に色っぽかった気がする。
一行目からこれだけの単語を記憶して適切に使ってるってことは言語能力自体には問題がなくて
その言葉自体に機能なり意味がある言葉なら多分覚えられるんだよね、否、「覚えてやってもいい」の資格を満たすんだよね。
その場合食べ物の名前とかも同じくらい苦手な気がするんだけどどうだろう?
もし人間だけに発動するなら、人の相貌を覚えられない方面の障害かもしれない。
その対策として役割で紐付けてなんとか対応している後手が「私のスタンダード」となり「どうしてみんなは私のスタンダードと一緒じゃないんだ」と怒ってる状態。
健常者は五感の内もっぱら視覚情報と名前を結びつけてて、増田も結局の所、そうなんだよね…(声とか匂いじゃなく、名札を見ればってことは視覚判断ではあるから)
他人と親しくなると、相手が身の上話をしてくることがよくある。
過去どんな体験をした、どこ行った、子供がどうした、とかそういうの。
相手の身の上話を聞くのは、自らの知見も深まり大変有意義。そこは全く否定しない。
しかし、相手に身の上話をされて困るのは、その話に合わせて自分の身の上話をする場合だ。
困るのは、自分の話をするのが恥ずかしいからじゃなく、過去の自分の体験を覚えていないからだ。
自分の体験って、この大きな世界から見たらちっぽけで、歴史的事象とかに比べたら覚えておくべきことだと感じられない。
なんというか、経験が自分の中で一般化されて、過去の体験にある固有名詞が記憶から抜けてしまうって感じなのだ。
(例えば、「○○温泉に行った」→「温泉に行った」→「出かけた」みたいな感じ)
そして、普段はそれで困らない。思い出すことも少ないし、必要なら日記を見返せば良い。
だから、本当に他人と話すためだけに、過去の体験を具体的な形で記憶しておきたいが、どうしたらいいのだろう。
いや、逆なのか。
会話以外に思い出を原型通りに記憶したいと思わないからこそ、結果的に、頭の中で早々に思い出は圧縮化され、具体的な言葉として出てこなくなるのか。
ぼくが思ってたよりお電話が苦手な人間が多くてびっくりしたっピ。でも安心したっピ。みんな頑張ってるっピね…!!すごいっピ!! ぼくももっと頑張るっピ!
みんながくれた解決策、とてもありがとうだっピ!参考にして改善してみるっピ!!
ぼくは前の会社にいた時、電話でお客様を怒らせてしまったことがあったっピ。これが少しトラウマになってるっピね。でも大丈夫っピ。今はお客様から電話かかって来ないっピ。
ただ、今はぼくの出る電話はほぼ毎回違う会社、違う人からかかってくるっピ。
だからいかに会社の名前を聞き取れるかが重要だっピよ。(個人名は聴き取れなくてもギリセーフの時あるっピ…)
用件は専門用語、固有名詞が並ぶっピ。片仮名、アルファベット多いから頭の中で混ざるっピ。
今日気を付けてみたのは以下の点だっピ
・聴き取れなかったら3回まで聴き返してみる
・言われたことをおうむ返しにしてみる
(例:先方「〇〇が××で〜…」
ぼく「はい、〇〇が××なんですね」)
緊張し過ぎ、敬語気にし過ぎって言われたっピ。
だから今日は敬語ミスっても(敬語分かんないっピ…)(みんなそんなに気にしてないはずっピ…)で乗り切ったっピ。少し楽に話せたっピ。
・聴き取れなかったら3回まで聴き返してみる
みんな優しいから根気よくゆっくり話してくれたっピ。ありがとうっピ。名前難しいっピよ。聴き慣れないと余計に分からないっピ。
1件、社名が途中からどうしても聴き取れなくて困ったっピ。でも途中までの部分で検索したらなんとかなったっピ。ありがとうインターネット案件だっピね!
・言われたことをおうむ返しにしてみる
相手の言ったことをおうむ返しにしてたら、聴いてた上司が助けてくれたっピ。
受け渡しもスムーズになったっピね。
って言ってくれたっピ! うれしいっピ!!
ありがたいっピ。ぼくが下手くそでも見捨てないで優しく教えてくれるいい上司だっピ。
上司と職場には本当に恵まれてるっピ。みんな優しいっピね。ありがたいっピ。
無意識に漢字でメモしちゃう癖は難しいっピ。今日も創作漢字が何個かできたっピ…。カタカナ統一も試してみるっピ。一度に同じこと(喋る・聞く・書く・たまに調べる)するの難しいっピね…。
明日も頑張るっピ。
人間のみんな、ぼくと同じように頑張ってるみんな、本当にありがとうっピ。
まだぼくにできることがたくさんあるって気付いたっピ!!
もうちょっと頑張ってみるっピね!!
頑張ってるみんなが幸せになれるようにお願いするっピ!
あと、メールで済む要件はメールで送って来るようにお祈りするっピね!!
追伸
コメントにいくつかあった聴覚情報処理障害(APD)軽く調べてみたっピ。
夜中、猫のか細い鳴き声が”聞こえて”「ンネチコャン〜ンカワイイ」ってなるのに人と話してる時の声が”聴こえない”の、なんでかなってずっと考えてたっピ。
耳は良いはずなのに、話し声は異言語みたいに感じるのたまにあるっピ。
でもまだ生活に支障が出る程じゃないっピね。様子見するっピ。
ありがとうっピね。
それでも反射で身体が受話器を取るっピ。
電話出るっピねぇ…。
専門用語分かんないっピ。
前の職場にいた時もそうだったッピ。
電話取れなくてすごく怒られたっピ。
最終的には「耳おかしいんじゃないの」って言われたっピねぇ…。
人間の皆はお話ししながら通話の内容を覚えて、お返事して、誰に渡すか考えながらメモを取るっピ。
人間はすごいっピ。
とてもたくさんのことを一度にできるなんてすごいっピ。
ぼくどうしたらいいっピ…?
わ、分かんないっピ…。
「頑張って慣れていこうね」
って言ってくれるっピ。
成長しない部下でごめんなさいっピ…。
職場の人もすきだっピ…。
みんな優しいっピ…!
だから役に立ちたいのに難しいっピ…。
ぼくは人間のフリ向いてないっピ…。
苦しいっピ…。
それにたまーに上手く取れる日もあるっピよ…?
でも、上手くできなかった日はすごく落ち込むっピ…。
分からないっピ…。
6/13追記
ぼくが思ってたよりお電話が苦手な人間が多くてびっくりしたっピ。でも安心したっピ。みんな頑張ってるっピね…!!すごいっピ!! ぼくももっと頑張るっピ!
みんながくれた解決策、とてもありがとうだっピ!参考にして改善してみるっピ!!
ぼくは前の会社にいた時、電話でお客様を怒らせてしまったことがあったっピ。これが少しトラウマになってるっピね。でも大丈夫っピ。今はお客様から電話かかって来ないっピ。
ただ、今はぼくの出る電話はほぼ毎回違う会社、違う人からかかってくるっピ。
だからいかに会社の名前を聞き取れるかが重要だっピよ。(個人名は聴き取れなくてもギリセーフの時あるっピ…)
用件は専門用語、固有名詞が並ぶっピ。片仮名、アルファベット多いから頭の中で混ざるっピ。
今日気を付けてみたのは以下の点だっピ
・聴き取れなかったら3回まで聴き返してみる
・言われたことをおうむ返しにしてみる
(例:先方「〇〇が××で〜…」
ぼく「はい、〇〇が××なんですね」)
緊張し過ぎ、敬語気にし過ぎって言われたっピ。
だから今日は敬語ミスっても(敬語分かんないっピ…)(みんなそんなに気にしてないはずっピ…)で乗り切ったっピ。少し楽に話せたっピ。
・聴き取れなかったら3回まで聴き返してみる
みんな優しいから根気よくゆっくり話してくれたっピ。ありがとうっピ。名前難しいっピよ。聴き慣れないと余計に分からないっピ。
1件、社名が途中からどうしても聴き取れなくて困ったっピ。でも途中までの部分で検索したらなんとかなったっピ。ありがとうインターネット案件だっピね!
・言われたことをおうむ返しにしてみる
相手の言ったことをおうむ返しにしてたら、聴いてた上司が助けてくれたっピ。
受け渡しもスムーズになったっピね。
って言ってくれたっピ! うれしいっピ!!
ありがたいっピ。ぼくが下手くそでも見捨てないで優しく教えてくれるいい上司だっピ。
上司と職場には本当に恵まれてるっピ。みんな優しいっピね。ありがたいっピ。
無意識に漢字でメモしちゃう癖は難しいっピ。今日も創作漢字が何個かできたっピ…。カタカナ統一も試してみるっピ。一度に同じこと(喋る・聞く・書く・たまに調べる)するの難しいっピね…。
明日も頑張るっピ。
人間のみんな、ぼくと同じように頑張ってるみんな、本当にありがとうっピ。
まだぼくにできることがたくさんあるって気付いたっピ!!
もうちょっと頑張ってみるっピね!!
頑張ってるみんなが幸せになれるようにお願いするっピ!
あと、メールで済む要件はメールで送って来るようにお祈りするっピね!!
追伸
コメントにいくつかあった聴覚情報処理障害(APD)軽く調べてみたっピ。
夜中、猫のか細い鳴き声が”聞こえて”「ンネチコャン〜ンカワイイ」ってなるのに人と話してる時の声が”聴こえない”の、なんでかなってずっと考えてたっピ。
耳は良いはずなのに、話し声は異言語みたいに感じるのたまにあるっピ。
でもまだ生活に支障が出る程じゃないっピね。様子見するっピ。
ありがとうっピね。
3月に書いた記事以降も、たくさん新しい単語を覚えてしまったので、前回のものも含めて網羅するつもりで紹介します。
と思ったらトラバ(anond:20220530232733)で指摘してもらった。知らんかった。
片仮名のモラルはmoral 道徳 morale は 士気
昨日アマプラ会員向けに配信レンタルが安くなるセールがやっていてその中に『花束みたいな恋をした』が入っていた。
普段ならこの映画の宣伝の仕方とか、ぱっと見の内容を想像するに見ないようなジャンルの映画だなと思っていたんだけど、
以前この映画の感想がはてぶでもホッテントリしてたりして、みたいなと思っていたのでこれ幸いと思い視聴した。
で、まあ、すごく面白かった。終始どこか痛々しさを感じっぱなしで、共感性羞恥?というやつをくすぐられ続けた。
ああ、自分もこうだったなと。主人公の二人の麦くんと絹ちゃんが、所在のなさを、自己の存在の価値をなんとか感じるために、
サブカルチャー(この表現が正しいのかはわからないけれど)で壁を築き、自分を感受性の高い特別な人間でありたいとするが、
同しようもない薄っぺらさが漂う。それは例えば、天竺鼠のライブを好きなはずなのに当日に放り出したり、二人とも作家の固有名詞を羅列する
だけで、内容に関する話がなく、そうではなくてまるでその作家や作品の固有名詞をいかに多く知っているかの知識に価値があるかのような二人の
やり取りの悲しさ。そうすることでなんとか自分たちを特別な人間であろうとし、周囲の人間をある種見下す特権意識の現れ。
じゃんけんに関するエピソードで、グーよりパーのほうが強いのは納得いかないと言った一度は誰でも思うような事をなにか特別なことのようにことさら感じたり、
「電車に揺られる」といったありふれた陳腐な表現なのに、そうした表現を使用することで自分たちは違うんだ、特別なんだと思いたい若さゆえの痛々しさ。
また、終電を逃し居酒屋で二人でいるとき、途中から入ってきた麦くんの同級生に対する絹ちゃんのと拍子のない態度や、麦くんのなんとなくのいけてなさ、
そこはかとなく、周囲から浮いている、居場所のなさを暗示しているように感じる。
麦くんが就職し、働き始め、忙しさから次第に、かつて好きだったものへの興味を失い、頭に入ってこなくなる。パズドラしかできなくなる。
ああ、そうだよなっとついつい共感してしまう。生きていくことだけに目を奪われ、自分の現状への焦りや、未来への焦燥感や不安が募り、かつて大好きだった作品が頭に入ってこなくなる。
いやそもそもそこまで好きではなかったのかもしれない。麦くんの書いていたイラストは所詮イラスト屋で代替可能なレベルのものなのだ。
一方で昔のまま変わらないであろうとする絹ちゃんに麦くんは苛立ちをつのらせすれ違っていく。
麦くんが麦くんなりに「大人」になったように、絹ちゃんは絹ちゃんなりに「大人」になって行くのであって、これはどちらが現実的だとかそういう話ではない。
そうして二人はすれ違っていくわけだが、最後に二人でカフェで別れ話をするシーンには、かつての自分たちを彷彿とさせる若いカップルを見て
涙を流す。ああ、自分たちは特別ではなくどこにでもいる代替可能なbotでしかないんだなと二人はそこでひしひしと感じる。
麦くんの言うように、彼らにも子供を作ってワンボックスカー乗って、ディズニーランドへ行くそういったよくある様な家庭を築けたかも知れない。
しかし絹ちゃんは言う、いや、そうじゃないんだと。そういうのじゃないでしょと。
全編を通して自分自身の若い頃の痛々しさ、未熟さ、滑稽さ、いやらしさを感じさせられ、本当にグサグサきた。
でも、麦くんは絹ちゃんがいただけ良かったなと。自分には何にもなくって、自我を必死に保つための選民意識で壁を作り、
もうどうしようもないぐらい取り返しのつかないとこまで来てしまい、本当に薄っぺらい代替可能なbotでしかないんだなと。
https://anond.hatelabo.jp/20220505163243
確かに、自分ももうどうしたらいいんだろう。仕事に興味もないし、パートナーも家族もいない。
好きだった、小説、映画、マンガも頭になかなか入ってくなくなって、スマホゲームすらすぐに飽きて、twitterやはてぶの記事を眺めるくらい。
本当になんにもないんだよ。
まずは『長野まゆみの偏愛耽美作品集』より『魔術師』と『昆虫図』を。
実を言うとあまり得意ではない作家の作品(いうて主に食わず嫌いなのだが)が多々収録されているので、買ったはいいが読む気にならず、遅々として読み進まない。長野まゆみ作品のファンなので、頑張って読むけど。買ったし!
主人公の「私」は異国の町にいた頃のある夕べ、恋人から「公園」に行ってみようと誘われた。その公園とは日本でいうところの浅草六区をもっと酷くしたような場所だった。いい歳をした男女達の狂乱する怪しげな公園の最も奥まった所にある城が、恋人の目的地。そこでは魔術師が見世物をしており、どんな人でも一度観たら病みつきになってしまうのだという。「私」はついノリで城に入ってしまったが……。
中二病が二十歳を過ぎても治らなかった人の好きなやつ……THE大正ロマンって感じの。こういうのあまり詳しくないんだけど、航海技術の発展で新大陸への憧れが強まったりとか、産業革命からの社会不安なんかがまざりあって世界的に流行ったのかな。
まあこういうのに憧れたシーズンが私にもありましたね、という感じ。似たような路線だと、スティーヴン・ミルハウザーの『ナイフ投げ師』と『パラダイスパーク』も私は好き。
「十二階」という建物に少し言及されているけど、これは「浅草凌雲閣」という建物のこと。明治時代には東京で一番高い建物だったよう。長野まゆみ先生のインタビュー記事に、「十二階」という固有名詞は今となっては校正者にすら通じない、と書かれていた。
選集に入れられた理由は魔術師が美少年だからなのか。面白いオチだった。『春琴抄』ほどクレイジーではなかった。
すごく短い話なので省略。タイトル通り虫がうじゃうじゃする話ということだけ。
えっ、これ「耽美」なの? ……グロいんだが。耽美とは美に耽ることなのであり、常人が忌み嫌うようなものにすら美を見出だす、通人の遊戯なのだとすれば、まあ、耽美なのか? 『魔術師』に出てくる浅草六区だって、悪所の代名詞のように使われているみたいだし。
気持ち悪いし、とりわけ過激というほどの話でもないのだが、サクサク読めてなんか心に嫌なものを残す。なるほど、「文体の魔術師」か……。
『長野まゆみの偏愛耽美作品』は今回はここまで。これでやっと半分読んだことになるのか。先はまだまだ長い。うへぇ。
絵本『たくさんのふしぎ傑作集』シリーズのうちの一冊。ポルトガルのお菓子パン・デ・ローが日本に伝わり、カステラという名の伝統和菓子となるまで。
絵がなかなか渋くて好み。昔の日本の人々の顔が、そこらへんに普通にいそうなリアルさでいい。華美だったり汚らしかったりする着物を着て、髷を結っていても月代を剃っていても、現代日本人と地続きな存在っていうのがよく伝わる。
そんなに珍しいことは書かれていなかったが、パン・デ・ローの作り方は伝わったのに、パン・デ・ローを焼くには欠かせないオーブンは伝来しなかったというのには、ちょっと驚き。和製フライパンのような鍋に蓋をし、蓋の上に墨を置いて上から下から加熱してカステラを焼いていたというの、面白いなあ。何で誰もオーブンを作ろうとしなかったんだろう?
今日はここまで。