はてなキーワード: 一言とは
シナリオ演出や選択肢の小ネタが事前に聞いてた印象よりだいぶポケモンパロで笑った
戦闘システムはポケモンとは違い本編のを簡素化した感じだけどなかなか巧妙な作りだな
ポケモン収集と思いきや強力なパッシブスキルを提供するチップの差し替えが肝
常設化されるイベだからだいぶ凝っててゲーム的にも遊びの幅が広いってのはいいね
普段のホヨバは低年齢向けかってほど楽勝な知育ゲーをイベにするのがお決まりだから
ゴリ押しじゃきつい感じは新鮮だった
じっくりあれこれ考える時間の余裕がなかったからボビーさんの推奨チームで行ったわ
手動向きだけど手数が倍々で増えていくからこれはこれで無双できて楽しい
実際の競技ゲームだったら召喚された味方には連動しませんって調整が
絶対入るくらい強すぎるやつで草
劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活も精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。
便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。
固有名詞や用語の意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。
でも、どこかに、仲間がいると思うから。自分以外にも壊れた人がいるはずだから。
まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。
もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。
該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。
いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー的責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使いが組織を運営している。
自分は新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。
明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。
毎朝晩の入出待ち立ち会いからお茶会などイベント企画・運営、チケットの取次配席およびグッズ作成など...
会所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員数百人に対し、片手以下のスタッフで。
無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員。
睡眠時間も金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。
・入出立ち会い
よく日比谷の劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人のクレームに頭を下げたりする。
毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。
それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。
毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。
大体毎日何かしらの細かすぎる指導が上級生会から入り、寝不足により回らない頭で必死の謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい。
お茶会や新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画・運営。
ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れるまでつつかれまくる。
あらゆる方面の顔色を窺い、企画や台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。
それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。
三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたときは殺意が芽生えた。しんどい。
・チケット取次・配席
ファンクラブ会員はジェンヌ個人の販売成績に結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。
が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケットが劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。
それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。
そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセルに手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。
こちらも最大限のチケット確保に奔走するものの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。
データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい。
・グッズ作成
お茶会のお土産、総見のおまけ、お茶会で販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。
ジェンヌ本人にイラストや手書き文字の提供協力を頼みこむも多忙の一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサいと文句を言われる。
しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構な金額が必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。
結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。
しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。
グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい。
ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就任を引き受けた。
そのため会員から妬まれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。
しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族・関係者対応など、これが本当に一番きつかった。
ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。
朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...
大劇場のチケット出し前には劇場内レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎の待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。
上級生会代表の飲み物をお持ちし、その時通るルートや差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。
2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。
それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論。
劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表は毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい。
ジェンヌでもなく、会運営の委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである。
会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。
全ての言動の根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。
無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ。
妬み僻みも有難いご意見として真正面から受け止める。上級生会からの理不尽な指導も意味あるものとして理解・昇華する。
仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。
そんなことがあるわけないだろ。
平日フルタイムで8時間の仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事のパフォーマンスはそれはそれは最悪だった。
盆や正月の連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家に帰省することも友人と会うこともかなわなかった。
急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要なものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。
社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的な寝不足で眠気も止まらず、安価で血糖値の上がらないもやしやカット野菜しか食べられなかった。
周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分で判断できなくなっていた。
死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽の出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。
入院で強制的に劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女の生活円グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。
鬱も発症し精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。
もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。
携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷な環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。
会運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。
何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ。
社会的な常識が一切通用しない、異常な文化が形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである。
亡くなった彼女のおかれていた環境や報道の事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率な発言はできないものの、でも、遂にこうなったかと思った。
その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。
巨大企業やファンダムに抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人たちを見てきたから。
彼女の死は、自分も無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらないから。
溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。
このあたりで切り上げることにする。いつか追記や修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつつ。
自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。
もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。
かけがえのないいのちを、薄っぺらい言葉で葬ることがないように。
助けてあげられなくて、ごめんなさい。
靴底すり減らしながらとにかく歩いて、怒鳴られながら契約お願いする営業もあれば、
ふるさと納税という、事実上返礼品を税金の補助で安く買える制度でしかない、しかも低所得層は事実上使えない制度を一言も批判もしない連中が、首相のことを「増税メガネ」とか言うレッテルに乗っかっているとしたら、ひどいと思うよ。
インボイスなんて世界中で当たり前に導入している制度なのに、あまりにメディアのバッシングがひどいからこれまで見送られてきただけ。それをちゃんと世界標準にしようというだけで、ここまで叩かれる。
女性に汚染物に触れるような仕事をさせない理由、みたいなのを学んだのよ
ビデオで見たんだけど、発展途上国が舞台でそこは水や土が廃棄物で汚染された場所だった
もちろんそこに住む人たちはなるべく汚染物質を避けて過ごしてたんだけど、
10代から20代の若い人たちが医者を訪ねて口々に「何度妊娠しても流産してしまう」と相談する
そこで医者は「母体が汚染されてしまっているから赤ちゃんが育たないんだ」と理由を説明する
一度体が汚染されてしまうと、それを取り除くのはとても難しいことなんだって
体が汚染されても精子と卵子は機能しているから妊娠まではできる
でも女性の体が汚染されてしまうと育てることができずに必ず流産してしまう
先生は「こういうことがあるから女性はできない仕事があるのよ」と教えてくれた
あと私の母は看護師なんだけど、特定の科(放射線に触れる機会が多い科など)の
授業の最後に一言ずつ考えや感じたことを述べる機会にそのことを発表して終わった
「男女平等なら女も男と同じだけ汚れ仕事するべきだ」って人をたまに見かける
そういった弱者男性は危険なのでお触り厳禁だからスルーするけど、
こういう人は子供を産める女性たちが汚染されて出産できなくなることや
お近くの国の貧困層みたいに奇形児が産まれやすくなることを良しとしてるんだろうか?
といつも疑問に思う
妊娠出産へのリスクが減るならもしかしたら女性も作業参加するよって人いるんじゃないだろうか
実際震災があったときに私と姉もボランティアに行こうとしたら、
家族、特に母から将来のことを考えてやめなさいと強く止められた
食べ物もそれまで福島の農家から取寄せて桃食べてたけど、震災からは買わなくなった
「妊娠ってほんと大変!あのときボランティアいかなくてよかったかも」と言っていた
どれだけ男女平等を目指しても体の作りで無理なものは無理だということを
もっと周知したらいいのにと思う
なんで男性は妊娠出産は無理、そこは男女平等なんて無理って考え方はできるのに
その他の体の作りによる男女差は頑なに平等にできると信じてるんだろうな
『女性の体を大切に』
んで、「医師じゃない」と名乗ったうえで、医学的アドバイスをするのはどうかという問題ですが、これは実はNGです。
・少なくとも医学的に正しいと分かっていることだけを伝える
・アドバイスはせず、とりあえず病名だけでも伝える
法的には、これら全部駄目です。
ですので、知恵袋では「正しいかどうかの確認を、質問者本人が自分で必ずやってください」という免責事項をつけています。
「回答者のいうことが間違ってても知らないよ」ってわけですね。
逆に言えば?サイト側で免責事項をつけてなくても投稿者が書く書き込みの内部で「信憑性は保証しない」と一言書いてれば、病名とかアドバイスとか書いても合法になるってことか?なんかそれおかしくね?
医療的なことを言うからにはそもそも信憑性を保証しないこと自体許されない、保証できないなら言ってはならない、保証しないと断っても医療的なことを医師じゃない人が書けばアウトってなってそうなもんだが…まともな法体系ならどう規制するだろうかと推測するとさ
なんで、CGがイマイチ!演技がイマイチ!ストーリーがイマイチ!って
要所要所にケチつけたがるの?
粗探しのそう言うポイントばかり探して、普通に観て楽しめばいいのにと思う。
せっかく、チケット買って劇場に足を運んで、楽しめばいいのにと思う。
そのなかで粗探しの逆で、自分は思って感じた、このシーンだけは良かった!とかこの台詞の一言は印象的だった!とか
良いところを探したら面白いと思うのに。
なんで映画の感想を書く人はいちいちケチ付けたがるんだろう?って思う。
純粋に楽しめばいいのにって。
私はライオンについて全く無知だったので、なんで炎上してるの?と思って調べてみたら、円山動物園は悪くなさそうなことがわかった
これだけ円山動物園が集中砲火浴びてるなら、ライオンを出した2つの園も助けてあげなよと思ってしまった
以下理由
●ライオンは余剰動物であり、日本国内で飼育スペースが足りていない、海外に出せるような動物でもない
今回、プレスリリースの中に、一言、「国内で飼育できる数が上限に近づいてるため…」って追加できなかったのかなぁと思う
そしたら何も知らない人が動物福祉や繁殖計画とか余剰動物とかの問題を知る機会になっただろうし、大暴れしてる人も抑えられただろうから、もったいないよねと感じる
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/06/post-7a96.html
偶然はてなブックマークの上の方にあがっていた極東ブログの記事を読んでうんざりしたので、思うところを書いておきたい。とは言え、finalvent氏の議論それ自体を批判するつもりはない。その裏側にある、「不景気の主因を日銀に帰さないと気が済まない人たち」の困った思考パターンに対して一言もの申したいのである。
氏のちょっと出来の悪い陰謀論については措いておこう。気になるのは、というより、前から気になっていたのは、日銀を非難する人たちは何故こうも自分の意見の正しさに確信を持てるのだろうかということだ。自分たちの意見の方が間違っている可能性を慎重に考慮した議論をついぞしばらく見たことがない。現状の日本で金融政策が有効である、インフレターゲットを採用すれば期待インフレ率は上がる、量的緩和すべきだ、等々、自信満々でまくし立てておられる。たまに反論があってもまるで聞く耳を持たないご様子だ。
しかし、当の経済学界においては、これらの意見はどれもコンセンサスとは言えない。どちらかというと、2000年代半ば以降「ゼロ金利下での金融政策の有効性」についてはあまり目新しい論考が出ていないというのが現実と言って良いのではないか。「不景気から脱却した後も利上げをせず、過剰なインフレを放置することを約束すれば、ゼロ金利下でも中銀は影響力を行使できる」というKrugman他の議論は、「でもその約束を信じる理由がないじゃん」という十年来のツッコミに対して依然として回答できていない。この議論が死に絶えたわけではないが、最近の議論ではこの「約束」を信じてもらえない(=金融政策が機能しない)可能性にあらかじめ言及する論文が多いように思う(Mankiw and Weinzierl (2011)など)。
一方で、財政政策の研究は急速に進んでいる (ゼロ金利下では財政乗数が大きくなるとしたChristiano et al (2011)やWoodford (2010)などが代表的だろうか)。これは、むしろ復活したという表現の方が正しいのかも知れない。いわゆるDSGEマクロモデルでは財政政策の効果は無きに等しくなるので、マクロ経済学者の間では「景気対策は金融政策で行うべき、即ち、中銀が責任を取るべき」、という理解が一般的になった。いわゆる「リフレ派」とかその界隈の人たちが日銀をやたらと非難したがるのも、元々はこの理解を出発点としている(はずである)。だが、ゼロ金利下では、この常識それ自体が成立しないらしいことが少しずつ分かってきたのである。
この「常識の通用しない世界」では、色々なことが起こりうる。「ゼロ金利下では減税が景気を悪化させうる」としたEggertsson (2009)の論文もそうだし、逆に「消費税増税でデフレから脱却できる」と論じた論文もある。今年のアメリカ経済学会で話題になったCorreia et al (2011)の論文がそれだ。結論は、「ゼロ金利の下では金融政策は有効ではなく、むしろ消費税を緩やかに増税していく(同時に裏で所得税を減税する)ことで利下げと同等の効果が得られる」というものだ。大雑把に言えば、消費税増税でも物価は上がるわけで、これがインフレ(=実質金利低下)と同じ効果をもたらすという理屈になる。ちなみに、所得税減税を伴わず、消費税増税単体で景気回復が可能とする論文をWren-Lewis (2000)が10年も前に書いている。彼のブログに簡単な解説があったので、興味のある人は読んでみると良いだろう。
http://mainlymacro.blogspot.co.uk/2012/04/more-on-tax-increases-versus-spending.html
ちなみに、アメリカ経済学会ではこれ以外にもゼロ金利関連で面白い論文が発表されていたのだが、The Economistの以下の記事が良い要約になっているのでそちらを参照してもらいたい。金融政策に対して学界が悲観的になりつつあることも、これを読めば概ね理解できるだろう。書き手は金融政策の有効性を信じる人らしく、金融政策はもう無効だという考えを少し批判的に書いている記事なので、自分に都合の良い記事しか読みたくない類の人も気持ちよく読めるのではないかと思う。
http://www.economist.com/blogs/freeexchange/2012/01/monetary-policy
蟲毒の壺の物語
さて、ここまで読んでなお「日銀は議論の余地なくワルモノ」と思えるものだろうか。日銀改革が景気対策の最優先課題と断言できるのだろうか。別にリフレの信仰を捨てて日銀を真の神として崇めなさいと言いたいのではない。世の中には正誤定かならぬ「よく分からない」ことが山ほどあるのであって、この金融政策をめぐる議論もそのひとつだと理解してもらいたいだけのことだ。
知識の足りない人ほど目の前の景色が世界の全てだと思い込む。その景色を共有しない人を見下したがる。知識が足りないことが悪いのではない。自分だって景気対策は門外漢で、趣味で気が向いたときに論文を追っているに過ぎない。大切なのは、自分は世の中をろくに理解できていないということを理解した上でモノを語ることだと思う。
Twitterでの議論を見ていると、知識の足りない人同士が互いの誤解を肯定しあって自信を漲らせていく過程をたまに見かける。なんだか、毒虫が相食んで更に自らの毒を強める蟲毒の壺を覗き込んでいるような気分になったのを今でも覚えている。たまには壺から出て外の空気も吸おうよ。
参考文献
Christiano, Eichenbaum, and Rebelo (2011) “When is the Government Spending Multiplier Large?”, Journal of Political Economy.
Correia, Farhi, Nicolini and Teles (2011), “Unconventional fiscal policy at the zero bound”, mimeo.
Eggertsson (2009), “What fiscal policy is effective at zero interest rates?”, FRBNY Staff Paper.
Mankiw and Weinzierl (2011), “An exploration of optimal stabilization policy”, Brookings Papers of Economic Activity.
Wren-Lewis (2000), “The limits to discretionary fiscal stabilization policy”, Oxford Rev of Economic Policy.
Woodford, (2010), “Simple analytics of the government spending multiplier”, mimeo.
もう20年近く前なのだけど、4人のグループでランチに行ったら、
別の同僚(45歳くらいのオッサン)が無言でついてきて、無言で同じ席に座って一言も喋らず去っていったこと。
あれは普通にあたおかだったなあ。
いろいろ想像はできるが、おそらくハブられまいとした必死の行動だったのだろうか?
「いや~奇遇ですねランチ一緒いいですか?www」とかならまだしも、一言もしゃべらず去っていったのはびびった。
「しゃべるのは恥ずかしいけど、ランチの席だけは一緒になることが死守だ!」みたいな発想だったのだろうか?
頭おかしかったけど元気でやってるかな。
セックス教室?なんて聞けばエロ漫画みたいな話に思うかもしれない。
だが実際に存在しているし、おそらく今想像しているようなものとは少し違う。
そもそも俺は昔から器用不器用なところがあり、数学で例えれば問が分からずとも答を見れば、そこから解析して解き方が分かるような。
だが逆を言えば答がなければ正解が分からない。
これまでセックス中に「上手い」「下手」等と言われたことはなかったし、寧ろ言われることこそ稀ではないか?と思うのだ(判断基準を持つということは己の貞操の緩さを露呈することにもつながるだろうし)。
先生は20代後半の女性で、少しぽっちゃりしている。Fカップだ。
各種体位をしながら注意点を指摘され、気持ち良くなるためのポイントを教わる。
挿入されながらも先生は表情を頑なに崩さず、喘ぐこともないのが逆に新鮮だった。
腰を掴んで俺は腰を振る。
先生は四つん這いのまま半身を翻すように首をもたげ、そこはもっとこうした方が良いとアドバイスをする。
はい、と返事し、年下の言うことをこれほど素直に聞くこと自体久しく思えた。
お互い汗だくになり、慣れてくると俺は何度も射精した。
どうやら先生を好きになりつつあるのかもしれない。
だが、それはここだけの秘密だ。