はてなキーワード: ラサとは
私は持病の関係で発達の薬は飲めない
インチュニブ、ストラテラ、コンサータの添付文書を読んでみたけど、3剤に共通して処方禁忌と書いてあるのは心臓に重篤な障害がある人くらいだな。
インチュニブ
2.1 本剤の成分に対し過敏症の既往歴のある患者
2.2 妊婦又は妊娠している可能性のある女性[9.5 参照]
2.3 房室ブロック(第二度、第三度)のある患者[本剤の中枢性の徐脈作用により症状が悪化するおそれがある。][11.1.3 参照]
2.1 本剤の成分に対し過敏症の既往歴のある患者
2.2 MAO阻害剤(セレギリン塩酸塩、ラサギリンメシル酸塩、サフィナミドメシル酸塩)を投与中あるいは投与中止後2週間以内の患者[10.1 参照]
2.3 重篤な心血管障害のある患者[血圧又は心拍数を上昇させ、症状を悪化させるおそれがある。][8.7 参照],[8.8 参照],[15.1.3 参照]
2.1 過度の不安、緊張、興奮性のある患者[中枢神経刺激作用により症状を悪化させることがある。]
2.2 閉塞隅角緑内障の患者[眼圧を上昇させるおそれがある。]
2.3 甲状腺機能亢進のある患者[循環器系に影響を及ぼすことがある。]
2.4 不整頻拍、狭心症のある患者[症状を悪化させるおそれがある。]
2.5 本剤の成分に対し過敏症の既往歴のある患者
2.6 運動性チックのある患者、Tourette症候群又はその既往歴・家族歴のある患者[症状を悪化又は誘発させることがある。]
2.7 重症うつ病の患者[抑うつ症状が悪化するおそれがある。]
「グランドシネマサンシャインのIMAXでマナー違反」と「グランドサマナーズ 」は1ミリも関係がない。
でもきっと多くの人が、何故か脳裏に「グランドサマナーズ」という文字列がよぎり「グラサマ」という声が聞こえたことだろう。
何故、映画館が上映前にあれだけ嫌われているのに新作の宣伝を流すのか。
その理由がコレだ。
サブリミナル効果なんて利用するまでもなく、10回でも200回でも繰り返せば、ただそれだけで人間の脳には情報がこびりつくのである。
繰り返し聞かされた「グラサマ」により、俺たちの脳は「グランドシネマサンシャインのIMAXでマナー違反」の中に非実在の「グランドサマナーズ」を見出してしまうのである。
最近さ、
ずっとお昼のランチタイムは本をもって喫茶店にずーっと時間までいたりキーボードの付いた電子端末を持ち込んでなにかを取り組んで文字を打ち込んでいるんだけど、
まったく同じお店に通っていると
それはそれで楽チンだけれど、
新しい情報がまったく入ってこないのよね!
つまり
あたらしい街のニュースを取り入れないと
ネタが無くなっちゃうことに出会うことの確立が低くなるような気がして、
なんだかそれに気付いたのよね。
だからたまにはいつものお店とは別のところに通り道向かいのそういうお店でもいいじゃない。
いつも同じところをループしていると気付いた時は
ふと隣の行く回数の頻度が少ないお店に行って見ると実現を現実的に取り戻せるのかしら?って思って今日はどうしようかなー?って思うのよね。
早速行動に移すべく私はお昼ちゃんと真っ当に空いている時間帯で混む前にお店に飛び込み前転でき入店できるかなぁーって思うのよね。
一応事務所の周りはそんなんでもないけれど、
とはいえ、
お昼のランチタイムのピーク時間のそんな時間帯にはお客さんが割といっぱいになるから、
ちょっとでも時間がずれちゃうと行きたいお店に行きにきにくい感じになるのよね。
そんで最近は海外からのお客さんも多くて地元のお店の何でもないようなことが幸せだったと思うってロードの第256章の歌詞で出てきそうな地元の何気ないうどん屋さんも行列が出来ていて、
長く通った地元のお客さんも足が遠のいちゃってる感じよ。
わざわざ行列できてまではーって思うの。
ここは観光客とは無縁ね。
ほっぽど日本の食通で中華やインド料理がどう日本向けにローカライズされているのか!ってテーマを研究にして来日している人なら別かも知れないけど、
女将さんに聞いたらわざわざ観光に来て中華を食べに来る人は居ないってことで、
へーなるほどねー!って思ったのよね。
だからそう言った
いわゆる穴場に私は今日は行こうかなぁーと目論んでいるのよ。
でも逆に参加したら参加したで
あの白いお皿が増えまくって意外と困るってこともあるのよね。
なにしろあの白いお皿は頑丈すぎてほぼ一生使える代物で
そう思ったら食器屋さんって食器いつ買うタイミングある?って思わない?
パン祭であんな割れないお皿タダでシール貼って集めるとは言え配っていたら、
そう考えたらお皿って買わないわよね。
私は今のところに越してきてそこでちょっとお皿は買ったけれど、
いやそれよりも食器よりもルービーをキメて飲むパイントグラス、
ハイボールをキメて飲む専用の私のお気に入りの銘柄のガラスのグラスがあって、
どちらかというとそっちの方が割れちゃって買い直すことが多いのよ。
あとお箸ね!
これは食洗機対応!と謳っているお箸でも洗うパワーの強さ故かいつか駄目になっていたんでしまうのよね。
さすがにスプーンとかにふとかフォークとかパン祭の白いお皿とかは平気だけど。
でもそうなると
お皿ってそんなに頻繁に買うものでも無いからお皿屋さんの経営が心配になるわよね。
お皿ってかう?
あ!お皿で思い出したんだけど、
瓦割り体験のアクティビティできるところつくったらよくね?って思っちゃったわ。
それだと瓦屋さんも大儲けじゃない!?
凄いこと思い付いちゃったこの瞬間を抱きしめて、
やっていけば良いんだけど、
瓦はある程度チョップで割るもの!って図式があって罪悪感が無いけれど、
お皿を割るってのは狂気じみているわよね。
だから瓦割り体験が出来る観光施設で忍者の格好させて嘘忍術瓦割りの術!っていってやったらある程度人気が出るかも知れないし、
さすがに忍法皿回しの術!って言われても
それをしっかり術を身に付けたとて
忍者生活には役に立たなさそうなサバイバルでは活かせない技じゃない?
その土地の方言をめちゃ勉強して地元民として振る舞えるような感じの商人を演じるスパイをするとするじゃない。
そう言う時に、
大道芸でお皿を回していれば、あ!あの人はこの街の名物お皿回し達人だ!って町や村のみんなに愛されて仲良くできてその諜報活動をしやすくなるんだけど、
きっとそのスパイで潜り込んでいる同士だったら
町で皿回しをやっている町人がいたら、
あいつは絶対忍術学園で皿回しの術を習って習得して町で怪しまれずに皿回しをして地元民と仲良くしてるやつだな!って同業者には絶対に即にすぐにバレると思うから
お皿回しすぎ!ってのも困りものよね。
同業者ならあいつ忍者!ってすぐ分かっちゃうわよねお皿回していたら
先輩後輩とかならいいんだけど
何の話しだっけ?
あれはもう1枚あれば充分よね。
そう松たか子さんばりに思ったわ。
うふふ。
朝は節約したいところを思い出した春先神戸に行きたいわけではないけれど、
旅には出たいわよね。
あーどっか遠くへ行きたい!
もうこれただの現実逃避だけどねー。
旅から戻ればまた、
いやもうこれ以上は言わないわ。
毎日の人をしっかり喰らいついて暮らすのよ。
お湯沸いてあると思ったら電源コードが抜けていて、
あちゃぱー!って自分のおでこをペシンと叩いちゃった失態だわ。
急いで別のケトルで沸かしたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
その個性を楽しめるという点からシングルモルトをバーで飲むウイスキーとして勧める。今までシングルモルトを飲んだことがなくても例えばバーテンダーに「シングルモルトを飲んでみたいのだけど何を飲むのか良いか」と聞けば一緒に選んでくれる。そういう質問にはバーテンダーも慣れていると思う。このようにバーテンダーに相談するのが一番であるがあえて増田がお勧めするシングルモルトの銘柄と理由は以下の通りである。
ところでオーセンティックバーでのウイスキーの値段であるがもちろん店とボトルによるがオフィシャルのスタンダードクラスのシングルモルト(例えば上記のグレンモーレンジィ オリジナル)1杯でその店のスタンダードなカクテル(例えばサイドカー)1杯と同じぐらいのことが多いと思う。
余談 上記の富士のシリーズはコロナ禍以降に発売されたものだが同様にコロナ禍以降に発売されたウイスキーで手頃な価格でなかなかコストパフォーマンスに優れるボトルがあるので紹介しておく。バーで飲むというより家で気軽に飲むのに向いていると思う。いずれもスーパー等でもよく見かける。
今のオーセンティックバーではオフィシャルボトルのスタンダードクラス(市販価格で700mlボトル1本1万円程度くらいまでのウイスキー)はハイボールかオン・ザ・ロックで飲む人が多い(シングルモルトに限るとストレートも多い)ように感じる。それを超えるオフィシャルボトルやボトラーズの場合はストレートで飲む人が多いと思うが中にはバーでの提供価格が1杯1万円を超えるようなウイスキーをハイボールで飲む人もいる。水割りやお湯割りで飲む人は少ない気がする。またトゥワイスアップ(ウイスキーと同量の常温の水で割る)は少なくとも増田はバーで注文しているところを見たことがない。ストレートで飲む人で加水用の水を頼む人はたまに見る(ウイスキーの品揃えが豊富なバーなら少量ずつ加水できるよう小さな水差しに入れて出してくれる)。
結局は好きなように飲めば良いのであるがアルコール度数が60%を超えるウイスキーやスモーキーなウイスキーなど人によってはストレートでは飲みにくいものもあるので飲み方もバーテンダーに相談するのが一番である。
ストレートやオン・ザ・ロックにはチェイサーとして水が出てくる。舌をリフレッシュさせるためだけでなく胃腸を守るためにも合間に水も飲みながらウイスキーを飲もう。
なおウイスキーの純アルコール量であるが1杯30mlアルコール度数45%とすると30ml×45%×比重0.8=10.8gでアルコール度数5%のビール500mlの純アルコール量20gの半分ほどである。言い換えるとウイスキー2杯で500mlの缶ビール1本よりやや多いということであるので飲む量やペースの目安にすると良い。
ちなみにオーセンティックバーではボトルキープはできない店が多いが中にはボトルキープできる店もある。ただ色々なウイスキーを試すことを勧めるこの記事の主旨には合わないので特に書かない。
バーでウイスキーを頼むと目の前にそのウイスキーのボトルが置かれる場合が多いがボトルを手に取ってラベルをじっくり見たい場合は必ずバーテンダーに「手に取ってボトルを見て良いですか」と聞いて許可を得てから慎重に触ろう(酔ってきたら触らないようにしよう)。カウンターの上にボトルを並べている店もあり、そのボトルを見たい場合も同様であるが密集して置いてある場合も多いのでそもそもあまり手に取らない方が良い。ボトルを許可を得て手に取って見る場合でも絶対に栓を抜いてはいけないし、ましてや匂いを嗅いだりしてはいけない。場合によっては出入り禁止になる。
またボトルの写真を撮りたいときもバーテンダーに許可を取ろう。店によっては写真を撮ること自体は良くてもSNSへの掲載は不可とかバーテンダーも含め人の顔は写さないようにとか注意事項を言われることもあるのでその場合はそれに従おう(そもそも何も言われなくても他の客の顔は写さないようにしよう)。
なおそのボトルを次に他の客がオーダーした場合はボトルはその客の前に置かれることになるのでラベルを見たい場合や写真を撮りたい場合はすぐ見たり撮ったりしよう。
単純に「駅名 バー ウイスキー」で検索して探せば良いと思う。検索するとウイスキーが豊富にあるオーセンティックバーとともにウイスキー専門のバーが見つかるかもしれない。ウイスキーを専門とするバーが自分の行動範囲にあれば行ってみると良いと思う。マニアックな世界が見られて面白いはずだ。マニアックなバーほどウイスキーをあまり飲んだことが無いならそのように最初に言った方が適切に接してもらえる。逆に知ったかぶりは何のメリットもないしどうせすぐばれるからやめよう(バーテンダーだけでなく他の客にもすぐばれる)。オーセンティックバーだけでなくウイスキー専門のバーで飲むことも含めるためにこの記事のタイトルには「オーセンティック」という言葉を使わなかった。
終わり
アラサッサ~ならよかったのか😡
元というなら
Gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā
"bodhi svāhā"(菩提・僧莎訶)は、菩提が叡智・悟り、僧莎訶が成就を願う感嘆で、お釈迦様の名前ではないのでは?
菩薩(bodhisattva)のことである菩提薩埵(ぼだいさった)と混同されているかも?
(参考)般若心経について: 極東ブログ
(参考)『般若心経』をサンスクリット原典で読む! - 甚之助の小屋 ※音読例がいくつか動画で載ってるし、語釈も詳しい
(参考)サンスクリット語、中国語、韓国語の「般若心経」: エムズの片割れ ※これも各国の音読例が載ってる
※中村元氏の『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫)が著名と思うけど、良さそうな解説ないしは随想のページが見つからなかった
①翻訳文
初めに彼はさっそく、二つの寺院を破壊させて四町四方の地所を得たが、日本の諸王候と貴人がことごとくこの工事に奉仕するために来たので、通常二万五千名が従事した。
彼らは皆、カルサン(丈の短いズボン)と皮製の短いカバイア(上衣)を身に着け、彼は筆頭の現場監督として鍬を携え、大半の時間は手に竹を持って工事を指図した。
既述の通り、いっさいの工事はかつて日本で見たこともない石造りとしたが、そのための石がなかったので、石の偶像を多数破壊するように命じ、それらの偶像は首に縄をかけられ、引きずって工事現場に運び込まれた。
都の人々は偶像を大いに崇敬していたので、このことは彼らに非常な驚きと恐怖をもたらした。
然して領主の一人と兵とともに毎日、各僧院より或る数量の石を彼のもとに運び、諸人は何事であれ、ひたすら彼を喜ばせ、少しもその意志に反しないようにしたので、石造りの祭壇を引き出し、仏、すなわち偶像を地に倒して破壊し、これを荷車で運んだ。
また、他の者は堀を造り、土を車で運んだり、山中の木を切ったりしたが、これは正しくエルサレムの殿堂の建築か、或いはカルタゴにおけるディドの工事の絵図を見るかのようであった。
(城の)外に水を満たした非常に大きな堀を造り、ここに多数の家鴨や種々の鳥を入れ、幾つかはね橋を架けた。
壁の高さは六、七ブラサあり、幅は場所により建築上の必要に応じて六、七、八ブラサであった。
そこにたいそう大きな門を三つと石造りの防塁を設け、その内側に別の狭い堀と日本で能う限りの趣に富んだ遊歩場を造った。
彼は工事が続く間、市の内外の僧院が鐘を鳴らすことを禁じ、城中の鐘のみは人々を参集し、帰らせるために鳴らすよう命じた。
この鐘が鳴ると貴人や大身は皆一様に、各自の手勢を率い、鍬や(運搬用の)担架を手に工事に入る。
信長は常に座るための虎の皮を腰に吊るし、はなはだ粗末な衣服をまとっており、諸人は彼に倣って同様の皮を携えていたが、何ぴとも宮廷の装束で彼の前に現れる者はいなかった。
作業が続いている間、(工事を)見ようと欲する者は男女とも、尻切(しりきれ)と称する藁の草履を履き、頭に帽子を被って彼の前を通った。
或る時、工事に従事していた一人の兵士が一婦人の顔を見ようとしてその被り物を少し上げるのを、偶然、国主が目撃し、彼は即座に自らの手で彼の首を斬った。
この工事に関してもっとも驚嘆すべきは、彼がこれを信じ難いほどの短期間で行なったことである。
すなわち、少なくとも四、五年を要すると思われるものを七十日間で完了したのである。
以上は石材工事に関することである。https://ameblo.jp/ukitarumi/entry-12046841406.html
大したこと言わないよ。
大昔だ。ブラウザがNetScapeでWindows2000からXPに移行し始めたみたいな頃。
MS SQLにMS AccessをUIにしたクラサバシステム。それなりに需要があったんだ。
んで、データベースが何なのかすらわからない新卒の自分が参考書どおりに作って言われたことが
DoCmdは使うな!
最初なんで?と思ったが、確かにこれはある意味正しかったと思う。
全ての処理をVBAで組むことになるので、VBでも同じような処理を書けるようになった。
レコードセットとかカーソルとか、DoCmd使っていたら理解できなかっただろう。
後々ASP(.netじゃないほう)での開発やら、OracleDBの…なんだっけ?oo4oか、とかの操作がイケたのもそのおかげだろう。
その後の勉強不足で、VBの呪縛から抜けられないまま現状に至るわけだが。
なのでもし、仮に、万万が一Accessで恒久的に使うかもしれない何かを作ることを迫られたら断れ!
神社は割と人通りの多い小道に面しているため、静謐、といった雰囲気はないが、左右に砂利が敷かれた短い参道を抜けて、背の高い木々に囲まれた昼でも暗い拝殿の前に来ると、「ほぼ現世、少しだけ異界」ぐらいの空気はある。
境内に一本、御神木なのか、ひときわ大きい樹が立っている。木には人の胸ぐらいの高さに縄が巻かれていて、汚れ一つない純白の紙がそこから垂れている。
…
夏になると、境内の地中から蝉が出てきて、この木に登る。羽化するために現れて木を登っていく。
蝉、しめ縄をよじ登って越えていくか、反対に縄の下であきらめて羽化すればいいのに、わざわざ縄に下げられた白い紙を羽化のポイントに定めるやつが何匹かいる。真っ白な紙の上に点々と、透明で茶色い抜け殻が残る。
しめ縄というのは、どっしりとした円柱の大木に風雪で少しささくれた縄が巻かれ、そこから新しくぱりっとした純白の紙が垂れている、そういう宗教的かつ美的な意匠なんだと思うが、まあ蝉には関係ないもんな、と思う。蝉にとっては、ちょうどいい高さにあるちょうどいい場所でしかない。
…
神社を出て100mほど、道なりにいって曲がると、今度はだいぶ由緒あるらしい寺が建っている。高名な僧が数百年前に開いた名刹らしい。
俺が住んでいるのはある有名な地方都市で、住民も多いし、観光客も大勢行き来している。しかし、この寺のお堂へと向かう広葉樹と苔だけの道を1分ほど歩いて境内に入ると、まったく何の音も気配もしなくなる。聴こえるのは、それこそ蝉の声ぐらいだ。
俺はときどき、お堂の廊下に座って、物を考えないで風景を見る。廊下は南側と北側があって、南だと境内に植えられた木、北だと目の前にそびえる岩壁を清水が伝うのが見えて、両方飽きない。
…
この前、南側に座っていたときのこと、でかい羽音を立てて蜂が一匹飛んできた。
虫が好きな人間の固有スキルの一つに、蜂が刺すやつか刺さないやつか瞬時に判断できる、というものがある。そのときも、クマバチ=刺さない、とすぐにわかったので、むしろ観察するぐらいのつもりで様子を見ていた。
蜂はぶんぶん言いながら、お堂の庇に近づいていった。
お堂の庇は木を組んだ複雑なアミアミになっている。蜂は庇のどこかの一点が気になるらしく、決まった範囲をホバリングしていたが、急にふっといなくなってしまった。
「?」と思ったが、少し観察を続けてみて、さらに驚いた。
庇に直径1cm強ぐらいの穴が空いている。ある種の蜂は木に穴を開けてそこに住むが、どうも、クマバチが巣を作るためにお堂に穴を開けてしまったらしいのである。
美しい建築も、あるいは宗教的に洗練された意匠も、生き物としてあるがままにやっている存在には太刀打ちできない。物体であることの限界というか、この場合、お堂<蜂、もしくはご神木<蝉、そういう力関係と言える。
…
風情的には少しあれかもしれないが、寺社建築をよく見ると火災報知器がついていることがある。安全面もそうだが、文化的にも重要なものだから、火には注意しているのだろう(法律的に必須なのかは知らない)。
同じことが蜂に穴を開けられた場合にも言えるはずで、歴史ある建物としては損なわれない方がいいに決まっている。
俺は寺務所に言いに行こうかと思ったが、少し考えてよした。
主な理由は「お堂に蜂が穴を開けてますよ」というところから会話を始めるのが我ながら気色悪く、億劫だったからだが、もう一つ挙げると、そもそも仏教的に、「かたちあるものが虫によって損なわれようとそれがなんだろうか」というノリなのでは、とも思ったためである。
皮相な理解だが、一切皆空の世界だし、悉有仏性の世界である(と聞く。宗派的に色々あるのかもしれないけど)。
人がつくったお堂に蜂が穴を開けようが、それでお堂が朽ちようが、お堂につくった巣で蜂が栄え、その蜂もいつか滅びようが、すべてが等価というか、はじめからそういう、かたちを結んで消えていくのを織り込んでいる世界観が仏教なんだっけ、と思った。
それで考えると、神道もいわゆる「八百万」の世界観であって、序列はあるのかもしれないが、蝉にも蝉の神…というか、「土中で数年暮らしたあと地上に出てきて飛んだり鳴いたり(オスだけ)したあとあっけなく死ぬ」神性? みたいなものがあるのかもしれない。
どういう神性だよ、という気もするが、ヨモツヒラサカに生えた桃の木とか岩とかを神と見なすのだから、蝉の神がいてもおかしくはない(おかしくはないのだけど、実際のところ、虫の神を日本神話で見た覚えはなくて気になっている。アゲハの幼虫を信仰していた宗教が大昔にあったみたいだけど)。
そういう意味では、自然界の営みによってシンボルが物質的に損なわれたり、上手く機能しなくなったりしても、一部の宗教はシステムとしてあらかじめ、そういう破壊や変質をうまく組み入れているのかもしれない。これは生命よりも宗教の法理の方が、包括的という意味で上位ということで、生命<法理であると言える。
…
で、最後にどこに着地するかというと、信仰もただの理念や言葉、ロジックだけでは生き延びたり広がったりしていくのは相当難しい、やっぱりモノ・カタチにする必要がありますな、というところに着地する。
心を寄せるためのシンボルや、目で見て手で触れられるオブジェクトがあった方がいいし、大衆の政として考えても、建築やでっけえ像とかがあった方が広めやすい。
仏像でもピラミッドでも教会でも、最低限、紙の聖典でも、とにかく、教えとして生き残り広まっていくためにはブツが必要だ。水を汲んで運むのに器がいるように、信仰にはどうしても、ブツが要る。その点では信仰<モノである。
ただ、モノはいずれ、壊れるか変形するかするわけで、俺なんかはもう、「物質を伴わなければ存立・拡大できない宗教は、戦略として物質化を伴うがゆえに、滅んだり変化することも許容し、あきらめることをどこかに織り込まないと理屈が破綻してしまう宿命でもあり、拡大と必滅の板挟み」なのでは? とさえ思う。まあ考えすぎかもしれない。
…
いずれにしても、これでお堂<蜂<信仰<お堂の三すくみが完成した。ありがたいことである。
…
正しいかは知らない。
…
何年か前に泊まった旅館は山寺のふもとにあって、せっかくだから登っていったら、と宿の人に言われ、お遍路でつくような杖をわたされた。
要らねえけどなあ、と思って登り始めたら、山道というレベルを超えて文字通りのマジ崖であり、むしろ杖あっても登れねえよ、と思ったが、どうも引っ込みがつかなくなり、気合いで登り続けた。
道がどんどん狭くなって、「落ちたら普通に死ぬなこれ」と思っていると、やがて、ほとんど空中にかかったような、ひと回りするのに10秒かからないほど小さいお堂にたどりついた。
当たり前だが、誰もいなかった。辺りは静寂に支配されていて、青い空が近くて、山の中が一望できた。
厳密に言うと誰もいなかったわけではなく、小さめのスイカぐらいあるスズメバチの巣が完全に完成してお堂の庇からぶら下がっており、スズメバチが「竣工式でーす」と言って飛び回っていた。
俺はふもとに降りてから、「蜂です」と宿の人に言った。さすがにスズメバチは言う。
ただ、蜂には当然、あれがお堂かどうかは関係のない話である。また、お堂サイドも、まあ仏教の法理に人格のようなものがあるとして、「こういう世界だからしょーがねえな」と言って苦笑する感じというか、空の近くにある静かな山中のちんまりした古刹で蜂が生命を躍動させているのに、なんかすげえ調和としか言いようのないものを感じたのを覚えているので、書いておく。🦑
一応言っておく。
するぞ?
ちょっとだけするぞ?
日本における最古の『行きて帰りし物語』とされる『ヨモツヒラサカへの旅』がこの作品の骨子(ベース)だと思う。
元ネタというよりも「とりあえずこれを背骨にしてここに肉と別の他の骨もつけてこ」みたいな感じ。
いきなりジブリベースで読み解いてしまうと「ヒミ様ってなんで火属性なの?」という所で、「炎上のメタファーでは」「本能寺の変がモチーフ。君たちは宮崎駿の敦盛」と意味不明な方向に考察がすっ飛んでいきかねない。
ヨモツヒラサカベースであれば、「母親が火で死ぬ所から物語が始まっているのは、カグツチを産む所から物語が始まるヨモツヒラサカへの旅そのままじゃないか」となるからこの辺の混乱は少ない。
開いてはいけない産屋だったり、母親が帰れと言うのとかも、ヨモツヒラサカベースあるあるだなあでまずは終わらせてそれからじっくり考えようと思えば地に足をつけて考えられる。
小学生低学年ぐらいの子は仕方ないにしても、高学年ぐらいだったら日本の歴史として「イザナギとイザナミがいたという設定があって、イザナミがカグツチファイヤーで自爆して死んでまあそこから色々ダークファンタジーじみて来たんすよ」と授業で習っていると思うし、子供もついていける内容だったのではと。
宮崎駿が最後の物語に選んだテーマとして古事記に挑戦ってのも、ラスボスのチョイスとして納得感はあると思う。
いや本当、この「ヨモツヒラサカ」解釈って全く大発明感がないというか、「素直に見てたら普通に分かるよね?」と俺は思ってたんだよ。
誰もその話しないでひたすら「後継者争いがテーマで主人公は宮崎吾朗」「インコはテレビ局の社員」みたいな考察ばっかが飛び交ってるんだもの。
「こんなオタクにしか伝わらない映画やっちゃってさ―」じゃなくて、中学生以上なら皆知ってる内容がベースだから。
じゃあ俺から言うよ。
作画は凄かった。