はてなキーワード: カレンダーとは
そういえばさ、
事務所内にいたらなんか関節が痛み、
外に出ると痛みが和らぐと言うことは、
事務所内にいるときは常にストレスがかかっているかも知れない説。
不穏な空気に関節は敏感なのよ。
きっと。
なるだけ動かずに過ごして本当に早く100パーセントまで腰パワーもっていきたいところね。
で、
これ前に書いたっけ?
ちょうど腰やってるの2年前の今頃で
逆に言うと2年周期なの私の腰?って恐怖心に炙られて秋の秋刀魚ちゃんのようにこんがり焼けてしまうわ。
力はあるのよ力は
って権力的な話しじゃなくて、
腰に聞くかは分からないけど、
ああいう所でやったりする
骨をバキバキにしてもらった方が
一発で治ってる感じがするから
それも分からないわよね。
前回は1週間程度で回復しきった感じがあったけど、
カレンダー見てみたら3回通ってたのよね。
今回は4回通うから
これは明らかに治りが、ってことになるわよね。
もうちょっとは大人しくしておかないとってことかもしれないわね。
大人しくしておくわ。
と言うか久しぶりね。
冷えてると駄目みたいね。
うー。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まとめてやることで効率化する要件なら、それようのメモ帳を用意してそこに積み上げる。
ゴミ捨ては玄関のじゃまになる所においてドアをくぐるたびにゴミ捨ての日かを思い出すようにする。
そういった「必要になったら思い出すので、忘れてしまって問題がない状態」に持っていかずに、「あとでやることにして、簡単だからメモにも取らずに覚えておこう」とするのはコスパが悪い。
リマインドを物理的に脳の外側にセットしなければ、その「あとで」にたどり着くまでにそのことをずっと覚えておく必要がある。
そのことでロックされる脳のメモリが10%程度だとしても、それまでの間ずっと10%性能が下がった脳みそで過ごすことになる。
こんな無駄はない。
朝玄関を出てから思い出して、夜帰ってきてからやろうとしたとする。
10時間の間脳の片隅で10%メモリがロックされれば、それは1時間分その1日が無駄になっていることになる(よっぽど自分の頭を使わない仕事や遊びでその日を過ごしたなら話は変わるが)。
だが、スマホを取り出してリマインダーやカレンダーに10時間後にそれを思い出せるようなメモを残せば、それでもう脳のメモリーロックは不要になる。
大昔であれば、なにか予定が書き込まれてないかと手帳を確認する手間を日々生み出すのは効率的なのかという疑問があったが、今はスマホが勝手に震えだして予定を思い出してくれる。
現代社会は脳への負荷率がどんどん高くなっている。
パソコンの影響で漢字が架けない人が増えたから現代人は馬鹿になったなんて戯言を言う輩はいるが、それは「漢字なんていちいち覚えてられないような忙しい時代になったのだ」と考えるべきだ。
この時代を生き抜くために、「忘れるためにメモを取る」のは必須の技術だ。
情報の洪水、加速する生活の速度、的確に忘れていく技術は必要不可欠だ。
まあ正直な、さっさとやってしまうのが一番コスパがよかったりするんだよな。
洗い物を台所に貯めてあとでやらなきゃとモヤモヤするぐらいなら、気になった段階でやった方がいい。
なぜなら「あとでやる」という選択はそのあとを「いつにするか」という決断を迫られることになるからだ。
さっさとやれば、一度にやるより少しだけ表面的な効率は下がるかも知れないが、決断力の消耗は抑えられる。
忘れても良いようにメモを取り、さっさとやれそうならさっさとやってしまう。
(著:増田増)
二台持ちでiPhoneとAndroid両方持っている。ずっとメインはAndroidだったけど最近はiPhoneを使ってみてる。そこで感じたお互いの嫌なところ。
デフォルトでは微妙に使いづらくしておいて、周辺機器や有料アプリで補うビジネスモデル。
有料アプリは買い切りが多い気がする。Androidだと広告板があったりしてとりあえず試せるんだけどiOSアプリは無料版少ない印象。
なので色々買ったわ。結局合わなくて使わなくなったアプリもたくさんある。
端末にしてもツルツル割れやすいのはケースを買わせるためにわざとやってると思ってる。
Ligthning端子もそれで儲けようってことでしょ?
Pixelシリーズ→発熱の報告があったりするし、スクショの音がうるさいのが嫌
Reno A→値段的に妥当なスペックではあるがハイエンド機から移るとモタつく印象
Xperia→指紋認証のクソさが個体差であるっぽいので端末ガチャ
あと最近OSが新しくなるたびに何か個人的にコレジャナイ感の仕様変更。センスの不一致がちょっと気になってる。
スマートウォッチはApple Watch、タブレットはiPadが強すぎるのでどうしてもiPhoneになってしまう。
まあタブレットは別にiPhone関係ないけど。AppleWatch使いたいので今はiPhone。AppleWatchのためにiPhone使ってる。
私も大体これに賛成っすね。
で、これに「自社製品の広告」的な要素がない、と言い張るのは流石に厳しいでしょ。
私は「女性のお尻のカレンダー」は別に良いと思います。多分、世界中で(もっと際どい物も)売っているでしょう。
その事と、自社製品の広告として「女性のお尻のカレンダー」を使うのは別です。
この企業はお酒を売っています。女性のお尻を見たら、お酒を買いたくなりますか?
普通はなりませんよね?— kobouzu (@kobouzu6) November 10, 2020
ただし、これがもし「お尻を売りにしているグラビアアイドルを広告塔に起用すること」だったらまた話が変わってきて、その場合は問題が生じないこともありうる(というよりは、問題視という形で全体主義を押し付けることが個人の侮辱になりうる)とは一言言及しておこうかな。
今回の件、ほとんどがイラストは綺麗とか、場が相応しく無かっただけで、イラストレーターさんは悪く無い!とか意見を多く見かけた。
分かるよ、昨今の萌絵に対する炎上見てると、好きな作品とか、イラストレーターさんが悪く言われるし、
でも今回の事ってオタク文化の話じゃないしね。
https://note.com/yamako_k/n/nec26b8324113
ここにかいてある事がおおむね炎上した理由で適当かなーと思ってる。
その上で私は滅茶苦茶怒っている。
企画したATSUGIが全面的に悪いのは当然として、加担してしまったイラストレーターさん(以下長いので作家さんとする)にだ。
あと、反論(?)としてフェミさんが騒いでる〜とか、私女だけどエロく感じ無い〜とか、全く見当外れな事で火に油を注いだ外野にも。
以下取り止めもなく書いたんで、長文だし読みにくいよ、
途中口も悪くなるんで覚悟して読んでね。
18禁も読むし、同人誌で言うなら男性向け18禁の本の方が女性向けより多く持ってる。
可愛い女の子の絵が好きなので、自然と男性向けが多くなった感じ。
一時期はLOも所持してたが、流石に結婚前に処分した。(夫が持っていると間違われたら困るので)
あくまで男性向けなのを楽しんでる女性という自覚があるので、作品がどんなに女性を酷く扱うような作品であっても、
勿論抗議なんかしないし、わざわざ公共の場に持ち出して、
「見てーこの作家は女性を食い物にしてますよー性的消費ですよーフェミ団体さん、この作家潰しましょう〜」
なんて事絶対にしない。
だって男性向けに作っている物をこっちが勝手に読んでるだけなんだもん。
それを勝手に女性の言い分で良し悪しを言うのはおかしい話でしょ。
じゃあなんで、今回そんなに怒ってんだよって。
そしてそれを作家が全く気づいて無い事なんだよ。
タイツやストッキングにエロ、エモ、その他感情を持ってるのは当然知ってるよ。
でもそれを目の前の女性に向かっては言わないよね?言ったらどうなるか分かるよね?
エロく見てるのは知ってる上で、加害が無ければ勝手にエロく見てろよって思いながらタイツはいてるよ。
だからこそかな?描いてる作家さんも、勝手にエロく見てごめんなさい、タイツ姿素敵ですねって
心で思いながら描いてるもんだと思ってた。
まさか作家が、女性のタイツ姿はエロいのが当たり前だから、それを公の場で言っておかしく無いって
ATSUGI公式から熱烈なラブコールを受け、企業案件だし舞い上がったのかもしれない。
ATSUGIや他読者からのよいしょで、自分達が勝手にエロく見てるっていう前提忘れてない?
大袈裟に言うなら、タイツはいて見せてくれる女性に対してのリスペクト無いよね?
(勝手に作家に女性リスペクトさせてごめんだけど、それで食ってる以上リスペクトして欲しい)
ATSUGI公式が以前RTしていたとある作家さんの画集の宣伝。
明らかにエロ目的の絵が数点あって、ATSUGIは自分の会社の購買層を知らないんかと震えたよ。
その作家さんとATSUGIの対談もあって、タイツを通してこの二名が相思相愛なのは別にいいんだ。
ただ、作家さん的にはATSUGIがコンタクトをとって来た瞬間に、自分が普段描いてる物がATSUGIの購買層から見たらどうなのか?
ATSUGIの購買層が一番作家さんが描いてる物を見せちゃいけない相手だって気づかなかったのかな?
あれかな?タイツ好きでタイツ描いてたら、タイツの大手企業から声掛かっちゃって、自分が勝手にエロく見てるって認識すっ飛ばして、
タイツ業界から認められた!になっちゃった?ATSUGIの購買層が自分の読者になると思った?
ASTUGIのお客さんに、タイツ履いてる姿エロいですね〜って言ってる事に気づいて無かった?
本当気づいて欲しかった、ATSUGIから声掛けられた時点で、ATSUGI中の人の裏アカで繋がるとか、
性的な内容を含めない別名義のアカ作るとか、やりようはあったでしょ。
その上でタイツの絵が認められて嬉しいけど、ATSUGIのお客さんには自分の普段の作品は見せれませんとか、
暴走していたATSUGIを止めれたのも、その作家さんだったと思う。
依頼したATSUGIが100%悪い、でも一緒に暴走したようにしか見えなかった。
特定の作家さん出して申し訳ないけど、#ラブタイツで性的な絵を描いた作家さんはみんな同罪だと思うよ。
企業案件、PR、金払いも良い上に、知名度が広がるチャンスなのは間違えないけど、自分が普段描いてる絵が、
果たして依頼者の為になる絵なのかは、プロで、それでお金を貰っている以上考えないといけない。
実は私自身も細々とイラストやデザインでお金を貰っている身である。
依頼があってまず考えるのは依頼者のお客様だ。
広告であれば、誰に、どの層に、どう思って欲しいかを考えながら制作していく。
PR、広告である以上、依頼者は私のイラストにお金を払うのではない、
私が作ったイラストから得られる広告効果に対してお金を払うのだ。
エンドユーザーを考え、こうすれば効果的ですと提案する事もある。
もちろんその分、自分が作る広告効果が上がるので仕事の値段も上がっていく。
最近は手軽にネットに絵を上げれるし、そこそこ有名になれば企業から声が掛かかる事もあるし、
若いうちに仕事が貰えて、こういった広告の勉強をせずに来た子が増えたと思う。
気軽に依頼が来るようになったからこそ、自分を、表現の自由を守る為にPR、広告の勉強をして欲しい。
自分の絵の使い所を知っていれば、適切な場所で知名度は広がって行く。
明らかに自分に合わないと思ったら断っていい、断ってもちゃんとした依頼者なら、信頼出来る作家としてまた仕事を回してくれるし、
変な依頼者であれば、依頼を受けた所で今回のような事故に巻き込まれるだけだ。
散々既出だと思うが、一連のイラスト群はATSUGIのPRで無ければ、どれも可愛く素敵な作品だったと思う。
それこそ作家さんが個人的な企画として#ラブタイツをやっていれば、こんな炎上にならずに、私もいいねを押しまくったし、
(まあATSUGIがいいね押しまくって、フェミさんに目をつけられる事に変わりは無かったと思うけど、ATSUGIの自爆で済むし・・・)
イラストに罪は無い、ただ、広告として一般的にどう見られるのかを、自分のイラストのアピール場所を考えられなかった作家の無知に、罪はあると思う。
監督が指示したデッドボールも、バッターはピッチャーに怒りを向ける。フリーランスのイラストレーターのみんな、安価で責任まで押し付けられぬよう、どうか気を付けて。とにかくきちんとターゲット層と狙い方の話は最初に聞こう。その上で、断る勇気も時には持とう。長生きしよう。応援してます。— 中村佑介🎨2021カレンダー&ぬりえ2巻 (@kazekissa) November 3, 2020
私より短く分かりやすく優しく中村さんが言ってくれてるけど、こういう事。
アップされてた絵はどれも本当に可愛かったし、綺麗だったので、広告をもうちょっと勉強して、
また描き続けていって欲しいです。いつも素敵な絵達をありがとう。
#ラブタイツの中でも、性的な感じがしない、タイツをはいた女性を溌剌に、綺麗に描いたイラストも複数存在していたので、
これらの作家さんは、ちゃんとATSUGIの購買層を意識してるとしてプロモーション効果も高く、今後もPR案件が舞い込むんじゃないかなーと思っています!!
■火に油を注いだ外野
特にリプライに、エロいですとか、これが性的とかフェミさん何にでも湧くなとかさ。
ダブスタやんけ。
同一人物が言うてないとしても同じリプ欄に並んでるだけで破綻してんねん。
炎上の一部はお前らのせいや。誰に向けられたPRか考えて発言しいや。
(作家さん、例え自分が性的な物描いてるつもりなくても、普段性的な物描いていればリプ欄に性的な目を持った人がワンサカ湧きます。
あと何でも、フェミさんは何言っても通じないで逃げるな。問題矮小化すんな。宇崎ちゃんの時と一緒?全然ちゃうわ。
フェミと不快に思ってる女性の区別位つけろ。萌絵に文句言う女性=フェミって構図やめろ。まじで。
私女だけどイラストが素敵でタイツはいてみようと思った〜、私女だけどタイツにエロさ感じないし絵も素敵〜とかとか
あれだろ、君らもうとっくに成人してるけど、(服装が子供っぽいから)中〜高校生位の年齢かと思った〜って言われるのを真に受けるタイプだろ?
一度は性的な目で見られた事あれば、あのPRはどんなに絵が綺麗だろうと気持ち悪いしか言えないんですよ。
お菓子やジュースのパッケージでは、写真に見えるけどよく見たらフォトリアルな「イラスト」ってことがよくあるよね?
あれは、消費者にとって「好ましい」と思える部分だけを抽出して表現できるからワザワザ手間暇かけてそうしてるんだよ。
別に、完璧な野菜・果物を見つけるのが難しいからとか、イラストの方が安いからという訳ではないの。
むしろパッケージのフォトリアルなバナナやマンゴーのイラストは、リアルワールドの「生々しさ」を消して
消費者の無意識の世界にだけ存在する「理想のたべもの」を見せてあげるためのものなんだ。
ところで、この構図を「女性の画像表現」に当てはめると結構ヤバい感じがしない?
写真でもいいようなものを、ターゲットの消費者にとって「好ましく見える」要素だけ抽出して絵に描いてみたら、
人格を象徴するような「顔」は未熟な子供の要素を残しつつ、「胸」や「腰」だけ十分に発達したキャラになりましたって、
「いったいどういう無意識の願望をダダ漏れさせてるの?」って気になりません??
話が逸れたから香港の看板に話を戻すと、もしあれを写真より「生々しい」と感じたなら、
それは「肉体表現」として生々しいというより、「欲望の表現」として生々しいと感じたんじゃないかな?
(無意識の部分が大きいから「欲望の表出」というべきかもしれないけど)
それは、単純に写真より絵の方が「生々しい」ということでもなくて、
同じメディアで、同じ露出度で、肉体表現として同等の作品だったとしても(作品か?商品か?はともかく)
そこから透けて見える「制作者」や「オーディエンス」のまなざしに差別的なものが含まれていたから、
「バレてますよ」「生々しく見えちゃってますよ」とツッコミが入ったってことなんじゃない?
「やっぱり、そういう目で見てたの?」
「結局、人格には興味なくて、性的なパーツばっかり見てるのか。はぁ…」
「公共の場に掲示するからには、そういうモノの見方を公認しろってこと?オイオイ」って…
結局、広告やエンタメのような商品として流通しているモノって、
お客さんの「まなざし」を先廻りして取り込み、お客さんが気持ちよくなるように「作られたモノ」なんだよね。
なんだかんだで。
(商品パッケージに描かれた「理想の野菜・果物」達は文句言わないからいいけどさ)
私たちは、そういう「生々しい欲望」に囲まれて毎日を過ごしているけど、
でも、ポリコレとかフェミニストのおかげで、オフィスに水着グラビアのカレンダーとか
貼ってあったら、ギョッとする程度にはなったよ。
ギョッとするというのは、「画面の中の肉体表現に」ではなくて、
そういうみっともない状態を誰からも批難されないと思ってる人がいるってことにだよ。
実際、もっと露出度の高いロバート・メイプルソープのヌード写真を見ても、
そこから十代の男の子とか欲求不満のサラリーマンの「まなざし」が透けて見えることはないもの。
むしろ自分の「内的過程」や「オーディエンス受け取り方」をすべて承知した上で
【追記】
あと、「現実にそういう格好してる人がいる」ってコメントについては、
鼻穴にくすぐったいような違和感を感じて目覚めると、目の前は一様に桃色だった。
起きたてで白濁する視界だが、枕元にあるメガネを手に取ってしっかり眺めると、今日も天井には今日もみみずが今日も一方向に並んでいる。
いや、天井にみみずが並んでいるわけではない。天井と呼ばれる家屋の主要部を100パーセント混じり気なく構成しているのが、みみずなのだ。
みみずがこうして雨風を防ぎ、ともすれば地震からも救ってくれる。さすがは建築材なだけあって、同じ大きさのみみずが使用されているのは見事だ。
みっちり隙間なくその天井を埋めている。しかし、今日はそのみみずの中に埋もれた筋となる太いみみずがこっそり垣間見えてしまっている。
筋たる年季の入ったみみずとは違い、小さなひとりひとりの構成材は命ある存在がゆえ、うごめきとともに剥離し、重力とともに落下する。
最近は寒くてみみずにも体力が失われているからかなのかコロナなのか、落下する人数が増えてきた気もする。
こうして冬はみみずが目覚ましがわりだ。そんな鼻をティッシュで噛む。つまり、鼻水と鼻みみずを面状のみみずで拭い取る。
でも、床板だってみみずなのに、なんで天井から落下したみみずだとわかるのか?って聞かれる。聞かれる?聞かれない。
床板と天井の見分け方。それには動きを見ればいい。床板を構成するみみずは動かない。重力で剥離することは無いので。
ただしたまに死ぬ。例えば私がつま先立ちしたら、つま先に居るみみずが何人か死ぬ。つまり圧死。私のさもない行動が命を奪う。死と隣り合った世界。
そうなると彼らは表面の湿気を失い、床板から剥がれる。その尊い役割を終えた彼らを誇り、いやホコリとして毎週の掃除で除去する。
死んだみみずは、生きているホウキのみみずで集められ、生きている床板のみみずから離される。集めることは分けることなのだと毎週思う。
そして、ホウキの湿り気で集められた死んだみみずは、生きているゴミ箱のみみずに投じられる。これが彼らの夏の葬列。もしくは桃色の雪国。
ゴミ箱というトンネルの中も桃色だった。そんな仲間に送られ、そんな仲間に見守られる。みすずはいつだって仲間が一緒なのだ。
そうだ、世の中では、♪みみずだっておけらだって1777700066666*だってみんなみんな生きているんだ友だちなんだ、
と高らかに仲間意識をみみずらしく、桃色吐息で歌う。そうなんだ、みんなが仲間なんだ。みんなが仲間なんだ。私を日本唯一の仲間外れとして。
日本でよく知られた歌だから日本でよくご存知の通り、この「生きている」という言葉は、みみずを構成要素として生きているという意味合いだ。
だから、みみずが「生きている」のは当たり前であって、私はそのカテゴリーに入らない。つまり、「みんな」の構成物はみんなみみずなのであって、
私という存在だけがみみずではない。つまり、天井やゴミ箱は「みんな」の仲間。つまり、私は「みんな」の仲間じゃない。青色吐息。
これで、僕という存在が芋虫だったら「みんな」の仲間になれただろう。それは、みみずと同じ様態の気持ち悪い存在という共通点を持つからじゃない。
もっと直接的に、芋虫は私ではないので、私では無いものはみみずであるという命題によって、私は「みんな」の仲間になれるのだ。
そう考えると、カフカがうらやましい。私はみみずが嫌いじゃない。芋虫の方が嫌いだが、私も芋虫になって「みんな」と仲間になりたかった。
そうして、失われた床板ことみみずはホームセンターで買った補充材ことみみずで補填する。その上にはワックスを塗る。
ワックスとはみみずであるが、みみずのための栄養剤でもある。湿り気も与え、その輝きを増しその死を防ぐ。ワックスとは掃除であり生育である。
ワックスワックス。ってそうか、天井のみみずと床板のみみずの見分け方の話だった。まあ、床板がその死によって剥離するのだとしても、
床板はどっちみち動かないものなのだ。だから、生きて動くみみずは天井からの存在だと言える。そして、みみずは天国を目指す。
落下したみみずが床板のみみずに同化しないのは、堕天使ゆえのプライドなんだと思う。床板のみみずが動かないのも同じく建材ゆえのプライドなんだし、
そのあたりの感情は人間みたいで、みみずなのにいじらしく感じる。まあ、身を持って知っている通り、人間もみみずで構成されているわけだけれど。
そもそも、お前もみみずなんだから、床板と天井のみみずの見分け方なんて説明する必要がないだろう!!
そんなの「みんな」の当たり前なんだから!!壁を登るみみずは自分の役割を求めて居場所に帰っているんだよ!!俺は壁を登れないんだよ!!
なんでお前は1メートル半もの生体を成したみみずの群れなのに、そんなこともわからないの!!みみずは神経回線にならないとでもいうのか!!
筋となる大きなみみずはどのように工業生産されるのだろうとその苦労を忍びながら、掴んだ布団には軽い湿り気を持った柔らかさがある。
枕には軽いうごめきを感じながら、桃色を感じるメガネをかけつつトイレに向かう。そう、筋となる大きなみみずも気にはなるが、
光を通すその一生体を識別できないほどの細いみみずはどうやって生成され編まれ、そのメガネとしての光学的特性を得るのか知りたいと思った。
これを今日のテーマとしよう、と思いつつ生命の神秘液こと尿を放つ。それと便座カバーことみみずに座り、尿たるみみずはみみずの水に放たれる。
天井からみみずが落下すると、そこはライトの影となり黒ずんで見える。そんな天井のシミを数えながら尿を終え、鼻垂れるようにティッシュで拭う。
ティッシュという面状のみみずもみみずの水の中へ。それは流れない。トイレットペーパーでないからではない。それはみみずに消化されるのだ。
そしてみみずなのにふわふわしない固く締まった床板を歩きながら、ふわふわしたカーテンを開ける。レースカーテンも桃色こそ呈しているが、
その地に使われたみみずは非常に細く、メガネのように光を通す。レースゆえに所々に空いた穴はみみずのうごめきで日々形を変えるのが面白い。
というか、窓がそうだ。私にはひとりひとりのみみずが見えないほどの細かさ。いい仕事してますね。しかし、そのひんやりとした湿った感触。
結露もしている。みみずは人間のように涙を流すのだろうか。だから、人間はみみずなんだってば!!
つまりみみずは涙を流す。そして涙で視界もハッキリしてくると、そのみみずにも濃い色のみみずや薄い色のみみずを発見する。それはテレビである。
垂直面を器用に泳ぎ回る回遊魚、やはりみみずなわけだが、彼らは光の加減なのか、赤かったり青かったり黄色かったりする光の三原色。
幾人もの色相で一つの景色を見せるダイナミック。しかしカラフルな熱帯魚と違うのはその俊敏な動き。さすが30フレームパーセック毎秒。
しかし冬は動きが鈍く、画面がちらつく。人物の顔が2つに割れて見える。それでもテレビは右下45度から叩くと治るという故人の逸話。聞こえるうめき声。
もちろん、画面のそれはみみずだから人間なんだけど、私の唇のような赤、私の髪の毛のような青とは違い、ハッキリとした色彩ではない。
しかし、そんな色彩が自分以外のどこにあるのだ。テレビの登場人物もみみずなのだし、テレビの登場人物もみみずなのだから、
みみずによる桃色に偏った色彩でもその表現に間違いは無いのだ。表現するものが制限されていれば、表現方法に制限があったところでそれは満点なのだ。
満点だと知覚すればいいのだ。みみずは赤色だし、みみずは青色で、みみずは黄色。そう認識するように、この35年間生きてきたじゃないか。
生まれてからの35億年というもの、ゴミ箱は常にみみずだったし、ホウキは常にみみずだった。天井はみみずだったし、
天井のシミもみみずだった。尿はみみずの水だったし、ティッシュは面状のみみずだった。そもそもメガネがみみずだったはずじゃないか。
どうしてその色彩が目に入らないのだろう。今晩はみみずステーキにみみずサラダにみみずワインにみみず豚カツです。みみずハイ。
そう思った瞬間、世界は色彩を取り戻す。要はお腹が空いていたわけだ。重要なのは事物がみみずで構成されていることを隠すことじゃない。
今日も今日とて、みみずのマスクをしてみみずの電車に乗ってみみずの人間に押し潰されることを思れば吐き気がする。する?しない。
これはフケ?みみず。それはコロナ?みみず。それは、みみずである色彩を光の三原色として認識することなのだ。
そうすれば、みみずの人間は人間に見えて、みみずのステーキは素敵に見える。いつだって、真実はいつもひとつなのだから。
そうしてお腹も気持ちも十分に満たされ、卓上カレンダーにはバツをつける。今日のテーマはファクトチェックだったと思い出し、まずは明るい日差しに飛び出すのだった。
などというと何十周遅れだよと罵られそうだが同じところをグルグル回ってバターになるほど暇でもないし、そもそも何十周もしていながらきちんとした共通見解が出ない概念をどう扱うべきなのかもよくわからない。
たとえば電車の中で許可なく性的な目的を持って女性の身体を触れば痴漢である。
では性的消費に関してどれくらいのコンセンサスが取れているのか?
・裸婦像
・バ美肉おじさん
これらの中でどれが性的消費に当たり、どれが当たらないのか。
それが自分にはよくわからないし、おそらく皆よくわかっていないのではないだろうか。
しかしそうやってよくわからないまま性的消費とはとりあえず悪いものだとして議論が展開されるのは、ワイドショーで日本学術会議のあり方が批判される問題に似ているかもなあとついつい思ってしまう。
毎年6月になると、今年も半分を過ぎた、とか、後半戦とか言い出す人を見かけてまた今年も一ヶ月分の時間をちょろまかされそうになる…とがっかりする。お願いだから同じ発言を7月の頭に云い直してほしい、そしてこれからの6月には云わないように気をつけてほしい。
今年は10月の頭に、今年も残り少ない、と云っている人を見かけて「4分の1残ってて少ないかな……もしかして6分の1だと思ってる人がいるのかもしれん」と危惧したが今日とうとう、年末まであと一ヶ月半ぐらい、みたいな発言を見かけて、いやいやいやいや、どう考えても11月と12月の丸々二ヶ月、絶対ありますじゃーん!
どちらもインターネットで見かけたのだ。身近な人ではないのだ。ただ毎日インターネットを見ているからそんな言葉が飛び込んでくるのだ。これがただ目の前の人が口にしたのなら、いやいや違いますよってその場で言って(なんならカレンダー見せて)こちらは済むことなのだ。インターネットでそれをするのは難しい。