俺の人生は何だったんだろうと思わせてくる。
たとえばそれがスポーツにおける活躍であるならば、むしろそれは二十代、せいぜい三十代のうちしか出来ないようなことだからまだ耐えられる。
俺がいつかそこを目指そうと今から歩きだしたら実力を身につけるだけで20年はかかってしまう場所にすでにたどり着いてる人を見ると絶望する。
若さというエネルギーを振り回し、若さゆえに期待され、若い内に凄い世界に飛び込めた人間だけに許される圧倒的成長なしではとてもたどり着けない場所に彼らは居る。
長い時間をかけて十分な実力を身につければそこに届く事はあるかも知れない。
でも、人生の最大値で若くして成功した人に勝つ見込みはほとんどない。
若くして結果を出した人間はその後多少の減速を見せても、常人が人生2回分必要とするところまでいつかたどり着いてから人生を終える。
勝てないんだ。
一生。
勝てない事が絶望なんじゃない。
そういう世界で勝ち抜いた人間にだけ許されるような仕事がある。
いつかそういう世界で勝ち抜く可能性を秘めた人間しか門をたたけないフィールドがある。
そこに……俺達はもう二度と立てないんじゃないかと突きつけてくる。
同時に、泥を這い回れば自分のような凡人でもただその場所に行くだけなら……ただ砂を噛みに行くだけだろうけどたどり着ける可能性が完全に途絶えていなかった事も突きつける。
圧倒的な違いはあるが、その圧倒的は、絶対的な壁ではない。
越えられたかも知れない壁。
100mを9秒台で走るのは苦しいだろう。
だが100mを10秒台で走るぐらいなら、根気と目的意識、ないしはただそれが純粋に好きであれば可能なのだ。
それすら出来ないままにうずくまった奴に、嘆く権利なんて有るのか?
お前の人生には彼が産まれてからと同じだけの時間がまだ残っているんだから全部使ってみたらどうだ?そこまでする勇気はないか?
そう突きつける。
でも残りの人生で一番若いのは今なんだよな
大抵は親がそそのかすんだよ 親の夢を子供に果たさせるために でも、親に反抗して子供が拒否反応を起こして、 卓球やゴルフをやりたくない、 って言い出したらアウトなので、モノで...