はてなキーワード: 量子力学とは
世の中はほとんどが、真実とも嘘とも判断できないことでできてますよ。
3才児は2つの答えしか理解できないわけです。「サンタがいる」「サンタがいない」。
でも「日本の家庭の80%にいる」、とか、「おまえにとっては永遠に居ない」。
という答えはどうですか?
あなたは複雑系への理解を拒否し、自分の労力を省略するため回答者におしつけ、単純化させて2択問題に加工しなおしてこいといっているだけです。
料理は甘いか辛いか2種類では決まりませんよね。あなたが2種類の味覚しか持たないとしても現実はもっとたくさんの味わいがあります。
全員その味覚という複雑なコミュニケーションを自分なりに楽しんでいます。
あなたのために塩と砂糖しかない世の中にしてくれ、それ以外は全部ウソとみなす。というのはわがままです。
中途半端にこじつけて2択にした判断をしていて、でも事態がかわって最終的にこじつけたのと違った解釈になったとします。
するとあなたは「ほおらやっぱり嘘じゃん!裏切られた!」というでしょう。
あなたがそう叫んだとしても、世の中では、もっと賢いプロの人がいて、
みんなはどういう条件でどういう結果におとしこまれるかがあらかじめわかってたよ。
あの人は真実をいっていたのに理解されなかっただけでさわがれて可愛そうよね」と
冷たい目でしか見られないんです。
「中途半端」で「複雑」な事象を理解しようとしても脳への負荷をうけいれられない人は、
量子力学や非ユークリッド力学といった今では基礎的な学問でさえ理解できないでしょう。
あたりまえです。
人類がどんな複雑さをも理解する能力があるわけないです。だからひとつひとつの問題にプロがいます。
人文系の文献の取り扱いとか業績についてちょっとだけ - dlitの殴り書き
確かに異分野の事情をお互いにわかっていたほうがみんな幸せになりますよね。パーマネントや学振の採用とか。
素粒子分野は大きく分けて
に分かれています。これらの間には超えられない壁がありまして全てをまとめるのはちょっと難しいのですがなんとか書いてみます。
間違いを見つけたら教えてください。
素粒子の論文は全て英語で書かれます。国内雑誌としてはPTEP(旧PTP)がありますがこちらも英文です。当然どれも査読があります。
業績リストの論文(査読なし)には国際会議や研究会の proceeding を載せたりします。
素粒子分野には論文投稿前に arXiv に載せる慣習があります。
これは投稿前に業界の人たちに意見をもらい論文を修正するためです。accept 後に査読済みの論文に差し替えます。
arXiv に載っているのは基本的に 投稿前/査読中/査読済み の論文及び国際会議の proceeding です。
特に素晴らしい研究は Physical Review Letters (Phys. Rev. Lett) に投稿されます。IF8.839 です。
Nature や Science に投稿することはまずありません。
おそらくは [ 業界の人数 ] x [ 1年間に発表する論文数 ] に依存するはずです。まあ人数の少ない分野は引用数も少なくなるでしょうね。
同じ素粒子業界でもその専門ごとにかなり違うはずですが、とりあえず Inspires によると以下のように分類されています。
# of citations | |
---|---|
Renowned papers | 500+ |
Famous papers | 250-499 |
Very well-known papers | 100-249 |
Well-known papers | 50-99 |
Known papers | 10-49 |
Less known papers | 1-9 |
Unknown papers | 0 |
自分で確認したい人は Inspires で fin a s Masukawa などと打ってみてください。
素粒子実験、特に高エネルギー方面ではなかなか論文が出せないことがあります。
理由は簡単で実験計画から結果が出るまで多数の歳月がかかるからです。
例えばLHCは計画からヒッグス発見まで20年弱かかりました。論文の著者数は5000人を超えました。
このような事情なので「博士課程単位取得満期退学後に研究を続けて論文を出すと同時に博士を得る」というような方がたまにいらっしゃいます。
博士号をもっていない素粒子実験の人に出会っても決してバカにしてはいけません。
まず 場の量子論/超対称性理論/群論・リー代数 あたりは三分野共通で勉強すると思います。
加えてそれぞれの分野の専門的教科書、例えば弦理論なら String Theory (Polchinski) 格子なら Lattice Gauge Theories (Rothe) など。
分野によっては位相幾何学、微分幾何学を勉強しなければなりません。共形場理論もですね。
この辺りでようやく基礎ができてきましてこのあと30年分くらいの論文を読みます。
研究に入るまでの勉強に時間がかかるので修論はレビューになることが多いです。
当然学振は出せない・・はずだったのですが最近どうも事情が変わってきたようです。
学生の方が学振(DC1)に固執して勉強も途中に研究を始めてしまう、勉強途中のM1に研究できることなんてたかが知れているので
必然的にあまり重要ではない研究に貴重な時間を費やしてしまう、というような話をぼちぼち聞くようになりました。
学振についての考え方は人によるとは思うのですが、ちょっと危うい傾向だなと私は思うことがあります。
そこでちょっとお願いなのですが
「学振は研究者の登竜門!取れなかったらやめよう!」などとblogに書いて煽るのをやめていただけないでしょうか?
いや書いてもいいのですが主語を書いてください。「情報系では」「生物では」とかね。
「博士号は足の裏のご飯粒」と言われて久しいですが、弦理論では博士号を取るのはまだまだ難しいと思います。
まあとったところで「足の裏のご飯粒」なんですけれどもね・・・
放置していてすみません。まさか今頃上がるとは思っていませんでした。
new3 言いたいことはわかるけど、普通は「ヒッグス発見」を博論のテーマにせずもうちょっと控え目な研究に留めるものでは?日本でもJ-PARCからSuper-Kにニュートリノ撃てるんだし10年に1本はさすがに少ないと思う。
どうもありがとうございます。文章を少し修正いたしました。他にも間違ったところがありましたら教えてください。
niaoz 懐かしい。補足するとストリングやるなら一般相対論がベースの重力理論も必要/場の理論は確かに簡単じゃないけど楽しい。量子力学と特殊相対論(電磁気学含む)を修めたらやってみるとよいです。
monopole 素粒子理論分野では修士で論文書きにくいけどDC1の枠はあるので、採用者は実績によらずほぼランダムだったり有名研究室に偏ったりする。まあ論文なしでも通る可能性あるから学振は気合い入れて書け
kowa 素粒子系は知性の墓場だと感じてる。優秀な人材があまりに何もできなくて、消えている。魅力はわかるが、1/5000のcontributionだかでいいのだろうか
何万ものあさがおの花の 幾千回にもわたるあさがおたる所以をあつめて評論したところで
そこに咲いているあさがおの説明にはならない
科学はそこにあることを確実に表するために触れてかかわるわけで
触れられない事についてあれこれ経験を思い出してすきまだらけの理論を構築することが
実在しないことについて実行効果のない結果をあるとかないとか言う疑似科学に似てるのは確か
量子力学はないものや空想を式にする似非科学っぽいし実際まだまだそうだとしかいえないものもあるけれど
証明されているものの上にのせて式を証明していっているその試みは科学
量子力学という嘘と疑似科学と想像と実績のまざったジャンルであって
完璧に実証再現に重きを置く学問もあるしうそといんちきで都合のいいことばかりに変化する学問といってはいるけど
その名に恥じるものもある
無いものは実在しないので触れられないので科学的には無であるためにそれは科学になりえない
それが無という有がある といえば哲学であり それを想像する心理は心理学で
その無いもので健康になるとか光が差し込むとか言えば疑似科学 おなじもの
いい年した大人がまだ科学で証明されていない健康物質が入ってるとか言っていたら
おもむろにあさがおの観察日記をとりだして それでぶんなぐってやるべき
昔から独り言が多い方で家にいると常に何事かをつぶやいている。特に多いのが「帰りたい」「疲れた」「眠い」「だるい」などのネガティブなワード群なわけなのだけどこの間ふとつぶやいた言葉に「無限に休ませろ」というものがあった。完全に無意識の発露でありなにかを意識してつぶやいた言葉ではなかったが、自分で言っておきながら自分は何を言っているんだろうという、まあよくあることかもしれないが、一度口に出した言葉の意味を自分の中で反芻していた。確かに無限に休みたいという思いはある。ありすぎるほどにある。無限に休みたい。休めるものなら無限に休みたい。でもそれって結局死んでるのとおんなじじゃんと、それもまたまったく新鮮な考え方ではないけれど思ったものは思った。死んだら死ぬほど休めるから、生きているうちは可能な限り動くべきだ、というのはこれもまたよくある言説で、結局俺ごときが思いつくような考えなんて他人の模倣でしかない。そもそも自分というものはどこに存在するのだろうと思う。結局自分の話す言語や文体やしぐさやなんやらコミュニケーション手法なんてすべて他人のマネではないか。言語が思考を規程するというのもよく聞くことだし、思考の流れも含めて俺の考えなんて全て先人が規定したものの模倣なのではないか。っていうと決定論ってやつになるのだろうか。ラプラスの悪魔じゃん。でもあれは量子力学の世界で否定されているってのも聞いた。なにがなにやらわからんが。大学時代に久々に高校の同級生とあったとき波動関数について3時間ほど語られたて辟易とした覚えがあるが、なんかそういう変数多すぎなものについて語られてもふわっとしすぎて全然イメージが湧かない。俺はイメージが苦手なので、できれば一日中本物のなにかを触っていたいな思う。phaあたりが言ってたような気がするが、やっぱり手に触れられるものを触れるってっとても人間的に正しいと感じる。あんまり形而上的なものをうんうんうなって考えたってうつ病になるのが関の山じゃないかしら。わからんけど。ただ、こういった無責任な言説はやべえ糞眠くなってきた眠い寝るおやすみ。
こないだも漫画で「1/2で毒ガスが出るスイッチを入れた後の箱の中身は生きた猫と死んだ猫が重なり合っている」って説明されてたけど、ちょっと違わない?
量子力学の重なり合って存在するという特殊性があってはじめて成り立つ話だと思うんだけど、単純にブラックボックスの中をどう捉えるか、みたいになってるのって正しいのだろうか。
伸びるかなと思ってたら伸びたな。
観測者が「テセウスの船であることを認めない」と主張した場合は、その観測者にとってその定義が有効とされ、
別の観測者が「テセウスの船であることを認める」と主張した場合は、別の観測者にとってはその定義が有効とされる。
この場合、部品を置き換えられた結果の船を周知していながら関連者はテセウスの船であると認識しているため、
ただし、これにはオリジナルのテセウスの船自体に主観性がないとする。
日常において構成物質が変わっているのにも関わらず同一個体として認識されているものは「人間」である。
物体としては焼け落ちた城を再建させた城についても同じことが言える。
この場合も周りの観測者が大阪城と認めるから大阪城と定義できる。
◆水槽の脳
これは仮定としては十分成立する。
反論として現代科学において脳にこのような仮想世界を作り出すために必要なコンピュータを作り出すのは物理的に不可能だというものがある。
しかしこれは現実世界の科学技術や物理法則を元に論じられており、
「水槽の脳が実在する世界」においては別の物理法則や遥かに進んだ科学技術を持っているという仮定をするだけで条件をクリアできる。
そのためこの世が仮想現実であるという主張に対して、完全な反論は存在しない。
その説そのものが、科学的な進歩において何の有益性もないという科学者や論者がいるが、
◆哲学的ゾンビ
人間とまったく同じふるまいをする、主観的意識を持たない哲学的ゾンビを作り出すために必要な構成物質が定義できないから、である。
例えば魂と言われる霊的存在、主観的意識が人間のようなふるまいに必要不可欠であった場合、哲学的ゾンビは成立しない。
魂の研究に関してはまだ発展途上の段階であり、最近になって発見されたクォーツなどのように、
仮に未だ見つかっていない法則や粒子が主観的意識を構成する物質であり、必要な要素であった場合は哲学的ゾンビは成立しないからだ。
つまり、主観的意識の有無が哲学的ゾンビの成立に関与するかどうかを科学的に証明できない限りは反論が可能である。
地球が平らであると信じられていた時代においては端にいくとその先に何があるか、という論議は成立するが現代では成立せず、
仮に魂の構成物質と機能の発見が終わった後にもまた、この問いかけは成立しなくなる。
私自身は魂がまだ未発見の粒子により構成されているという説が正しいと信じている。
ある男が沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。
その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥に不思議な化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。
スワンプマンは死んだ男と全く同一の構造・見た目をしている。記憶も知識も全く同一である。
沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、
死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。
そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。
これは素人が本物とよくできた贋作を見分けることができない程度の認識問題となる。
また、仮に最初の落雷がある男に落ちずに沼に2度落ちた場合は、スワンプマンを含めた男は計3名となる。
その点だけをくみ取ってもスワンプマンたちに同一性は成立していない。
よって沼にはじめて来た男とスワンプマンは同一存在ではないと定義できる。
これは魂・霊的存在・主観的意識が科学において未だに解明されていないことを意味している。
科学的に解明されていない余地があるからこそ、思考実験のバリエーションが多く組まれる。
また、観察者の能力についても、人類は正確に把握できていない。
そのため主体性意識を持つ存在の認識や定義について論じない、触れない哲学も多くみられる。
観測行為は観測する者の不在では論じれない量子力学や最先端物理学においては必要不可欠であり、
哲学が未だ観測者の能力と機能性について、正確に学問体系に組み込めていないというギャップが引き起こしている問題だと考える。
ふむ、私の主張としては「結局あの世が実在しようがしまいが、心の作り上げる世界には関係ないのだw」なんだけれど、
それはいったん置いておくとして、もう少し詳しく解説をお願いしたい。
・「極楽浄土があるとすると矛盾する」とは具体的にどういうこと?
単に極楽浄土という定義自体の矛盾?それとも所謂「死後の世界」という概念全般が抱える矛盾?
・「他の人は幻になってるのはやっぱりヘン」とはどういうこと?
「心は脳に依存している」というのは全くその通りで、例えば人の視覚は物体そのものを映し出している訳ではなく、
観測しているのはあくまでも光の波長で、脳がそれを元に勝手に着色作業などを行って架空の世界を作り出し認識させている訳で、
実際の世界が、その色が、私達の心に映し出された通りのものである保証など何処にも無い訳で、
それこそこの世界がゲームの中の世界でない保証など、映画『マトリックス』みたいに幻の夢を見させられていない保証など無い訳だけれど、
それを踏まえて「他の人が幻になる」のってそんなにヘンなこと?現世も似たようなものでは?
・「脳が消えればそれもなくなるから無くなる」は確かに一理あると思います。
例えば、視力を失った人はそれを補うように聴覚などが鋭敏になるもの。
同様に、脳という五感の認識機能を失ったからこそ、大量の電気信号による情報の波に圧し潰されていた第六感的なものが顕在化する可能性は?
“Black hole explosions?” Nature 248 (1974) 30-31 (引用数 2592)
ブラックホールはあらゆるものを吸い込むだけで何も放出しないと長らく考えられていました。
ところで素粒子理論によると真空でも粒子が現れたり消えたりしていることが知られています。(対生成/対消滅)
ホーキングはブラックホールの表面付近を調べ、これらの粒子が放出されていることを発見しました。粒子が出ていく分ブラックホールの質量が減り最終的にブラックホールは消滅してしまいます。
“Particle Creation by Black Holes” Commun.Math.Phys. 43 (1975) 199-220 (引用数6991)
光さえ飲み込むブラックホールは熱放射をせず絶対零度であるとそれまでは考えられていました。
ホーキングは1. の研究に関連してブラックホールの「温度」と「エントロピー」を導出し、ブラックホールにおいて熱力学法則が成り立つことを示しました。
といういっけんすると奇妙な式でした。
本来ならエントロピーは体積(3次元)に比例するはず。それがなぜか表面積(2次元)に比例している。
ブラックホールーーー重力理論はひょっとして、1次元低い別の理論で表せるのではないか?
こうしてホーキングの導出したエントロピーの式から「ホログラフィック原理」の発見へとつながったのです。
“Wave Function of the Universe ” Phys.Rev. D28 (1983) 2960-2975 (引用数2143)
量子力学ではあらゆる可能性を足し上げて計算します。(経路積分)
一般相対論と量子力学を融合すると「あらゆる時空の”歪み方”(計量)について足し上げる」ことになります。
ホーキングはこの”歪み方”を足しあげるうまい方法を提案しました。
専門外なので間違いがあったらごめんね
適当にInspiresしてabst読んでまとめようかと思ったら
への反応を見ていると、文系の就活は不毛だってコメントが目立つ。
だけど、実際に社会で働く上で必要な能力って折衝や誠実さ、計画性の高さや実行力だったりして、
それらをアピールするには自発的にコネを作って気に入られるってのが一番手っ取り早い気がする。
自分も理系だけど、学んでいた専攻の知識以外の上述の「人間力」的な面が一番必要だと思うし、
知識はあっても絶望的にコミュ力(大学でのウエーイの類とは違うよ)が無くて仕事ができない人なんて少なくない。
専攻について言えば、量子力学が専攻でも化学系の品質管理で働いていたり、
機械工学出身でも金融だったりで、専攻知識の深さよりも、新しい分野でも学習する意欲だったり、
研究系でない限りは、大学院時代にゆるい研究室に所属してきて高専生より知識がない連中でも、就職してから頑張れば間に合うことの方が多い。
多分はてなはIT系が多いから、プログラムなどで自身のポートフォリオが組みやすく、
ある程度客観的な能力を証明しやすいが故にそういう意見が多いのだろうけど、
そうではない人たちの能力の証明をどうするべきだというのだろうか?
個人的には今の就職活動なんてのはヤル気さえ見せていれば内定がもらえるくらい簡単だと思っている。
例えば碁盤の目の上に電子をずらっと並べて、スピンはどっちを向きますか?みたいな研究。
スピンがよくわからないなら小さな磁石を考えてもいいよ。隣り合う磁石と反発しあって向きを変える様子を想像してみて。
高温ではみんなバラバラの方向を向いていたのに、ある温度になったらみんな向きをクルッと揃える。これが相転移。
どんな方向を向くのかな?相転移の温度はいくつかな?みたいなのを調べるのに物理学者たちはイジング模型を計算していたわけ。
たとえば、巡回セールスマン問題。これは「佐川急便の配達トラックはどのルートを通るのが最短か?」みたいな問題ね。こういうの最適化問題と呼ぶんだけど。
並んだ電子のスピンの向きを計算することで佐川の配達ルートがわかっちゃうのよ。すごいね。でも、スパコン使って時間と電力とたくさん消費するの。大変。アルゴリズムめっちゃ研究されているけど大変。
何も計算しなくてもさ、実際に電子をずらっと並べてスピンがどっち向くか観測したらいいんじゃない?
これが量子コンピューター。
現実的にはそんなことできないので、実際に並んでいるのはちいさな回路(超電導閉回路)。
回路を電流が「左に回る」か「右に回る」かが、スピンが「上を向く」か「下を向く」かに対応しているの。(D-waveとかね)
この発想すごいよね。
もっと身近な話で例えてみる?
放物線状に飛んだよね?
実はね、量子力学によるとボールはあらゆる軌道で飛ぶ可能性があるのよ。
で、それらの可能性を全部重ね合せると打ち消しあって(経路積分)、
エネルギー(正確には作用)の最も低い軌道だけを残して消えるように見えるの。
ここでさ、
単にボールを投げたのが、エネルギーについて最適化問題を解いたとも言えるわけ。
こんな感じの発想。すごいよね。
計算をするのに物理現象に手を入れる(イジング模型の結合定数をいじったり外場いれたり)という発想がね、
ちょっと思いつかないな、考えた人すごいなって感銘を受けたんだよ。
誰かと共有したかったんだ。
読んでくれてありがとう。
知の拠点あいち(あいち産業科学技術総合センター)に少し前に行ってきましたわ。
平日しか開いていないのですわ。
「科学技術展示コーナー」ではボタンを押すと実験を見せてくれる
展示が多く、お子さまも楽しめそうでした。
光速に近い速度に加速した電子の進路を磁石で曲げると有用な光が出る
もう一つの展示コーナーが「新エネルギー実証研究エリア」ですの。
少々雑然としていました。
太陽電池の説明に一日の日照量変化示す電気照明をダイヤルで調整して、
太陽電池パネルに発電をおこなわせ、発電量を表示する展示がありましたわ。
電気をつくらせ、その電気で水を電気分解させて、水素と酸素を生成し、
水素を燃料電池に入れて生じた電気でモーターを回すものでしたわ。
私の目も回りましたわ。