はてなキーワード: 背徳とは
他所では愛妻家のふり。あなたの周囲には奥さんが悪者にされてる。
あなたは浮気してるし金遣いも荒い。体調によっては態度が全然違う。
嫁の悪口で、浮気相手と楽しく付き合ってる。その背徳感に嵌ってる。
みじめな人。わがことのように周囲の人を愛せないなら手放しなさい。
強欲すぎる。
あなたと似た、強欲で、キツくて、表面だけは取り繕ってるような似た性格の女性がいいよね。
本当の心がない人にどんだけ尽くしても、
灰になるまできれいごとだけ並べて「綺麗でしょ」って言うだけ。
幹を観ないで、枝葉ばっかり切って、周囲に飾りつけしてるけど。
あなたが本当に好きな、欲望の対象になる相手に振り向いてもらえないから
お母さんが欲しいだけ。いつまでミルク飲んでるのかな。
匿名にかこつけて性癖の話をぶちまけます。扱う話が話なので、不快に感じた瞬間に読むのやめた方がいいです。
皆さんは知ってますかね、『TSF』っていう性癖。正式名称は『Trans Sexual Fiction』といいます。数年前に比べれば知名度も上がり、耳にしたことくらいはある人も居るんじゃないでしょうか。
最近(といってもニ年前のことですが)流行った作品の中では『君の名は。』などが該当作品に当たります。要は読んで字の如く、フィクションの性転換モノって意味です。
「えっ、TSと何が違うの?」って方も居るでしょう。分かります。『らんま』とかのアレでしょ? みたいな。若干違います。
この辺りは暗黙の住み分けがされているだけで、明確な基準は無いように思うのですが、TSは自分→自分の性転換で、TSFは自分→他者の性転換の作品にタグ付けされることが多いです。その中でも入れ替わり、憑依、他者変身、皮モノ、脳移植などにジャンルが分けられます。
入れ替わりは皆さん何かしらの創作で触れたことがあるでしょう。ここでは男女間の肉体の入れ替わりを指します。
憑依は、男性が幽体離脱をして女性の肉体に取り憑いて、肉体の主導権を得ます。当然、逆のパターンも存在します。フィクション様様ですね。この時、乗っ取られている身体の持ち主は意識の消えているものが多いです。その状態でR-18な行為に及ぶわけです。基本的にめちゃくちゃやります。自分の身体じゃないですから。昨今、女性の権利問題で騒がしい世の中、見る人が見れば烈火の如く怒りそうですね。
他者変身はポケモンのメタモンとかを想像してください。ちなみにメタモンは他者変身界のレジェンドです。敬ってください。
皮モノは異性を皮にして着ます。凄い発想だ。
長い説明も終わって、ここからが本題です。一つだけ説明が長いのありますよね。憑依の項目です。
私は基本的にTSFでしか興奮できない性質でした(過去形の理由は後述します)。特に憑依が一番好きです。異性の肉体を合意なく略奪し、自分のモノにしちゃうという背徳感。元の肉体との差異が大きければ大きいほど興奮してしまいます。何を言ってるんだと思われるかもしれませんが、私だってこんなこと書きたくありません。ただ説明に必須なんです。決して性癖を晒すタイプの自慰とかではないです。
そして憑依の設定に多い要素として「乗っ取った肉体の記憶を読みとれる」というものがあります。もし仮に憑依が実在していたら、もう世界は終わってそうですね。なんでもアリじゃん。話は若干逸れますが、憑依が存在する世界の割りにはカウンター役である正義の霊能力者などは存在しないことが多いです。幽体離脱はある世界なのにね。フィクションだから作者の匙加減です。
それでその「記憶を読みとる能力」を使って本人に成りすましたりする描写があるともう背徳感でお腹いっぱいです。満足度10000000億万パワー。背徳感だけで城建つ。
しかしここで疑問が浮かびます。何故それらで興奮するんでしょうか?
一人称の語り手がTSF的性転換をする作品も好きなのですが、他者がTSF的性転換をする作品も好きです。そしてどちらにしても、性交相手の精神は男です(肉体百合のパターンもありますがここでは話題に挙げません)。男×男が主流です。精神BLです。頭の中であの刃牙のキャラクターが「ホモなのでは?」って指くるくるさせてます。俺の頭から出ていけ。
でも語り手が女体化する作品も好きってことは、その語り手に共感を抱いて興奮を覚えている訳です。おそらく、というか確実に強烈な変身願望と女体化願望が存在します。性自認を間違えている可能性も出てきました。何かのはずみでタイに行って玉取っちゃうかもしれません。現状、そんな気はありませんが。
もう不安になってきて、性癖を知られている友人に「俺あのコラ画像が言ってた通りホモなのかな」と真剣な顔で相談したりもしました。こう文字にすると相談内容ヤバいな。
そんな悩みを抱えながら毎日生活していたのですが、ある日、一つの発見がありました。
「あれ? 女性同士の入れ替わりでも興奮する…………」
世紀の大発見でした。ここに来ての意外な展開!!!!!!! TSF以外の性癖を発見!!!!!!! いや、別に意外ではないか。意外ではないな。すいません。
ここでも差異が大きければ大きいほど興奮します。基本的に貧乳と巨乳が入れ替わってほしいし、身長差や年齢差はあればあるほど良い。ありすぎると嫌ですけど。
でも、そうなってくるといよいよ分かりません。"性別の異なる他者の肉体になる"ことで興奮してると思ってた訳です。もしかして違う肉体になる描写さえあれば、何でも良いのか? そう思った私は男同士の入れ替わりモノを見ました。ノンピク(ノーチンコピクリの略です)でした。感情が何も湧いてこなかった。
男性の肉体が好きという訳では無さそうです。同時に、自分が好きなのは女性の肉体だけだという可能性が浮上してきました。しかも変身願望が強い。とんでもないな。
例えばほら、憑依って肉体の持ち主への性交渉は無く、勝手に性的な行為を行う訳じゃないですか。そんなのほぼ形を変えたレイプでしょ。いや、フィクションに何言ってんだって話なんですけどね。要は肉体しか見てないんじゃないのって話です。
もしかしたら今はTSFという性癖に落としこまれているだけで、本当はもっと恐ろしい真の性癖が潜んでいるのかもしれません。プラトニック・ラブの欠片も無いような、現実で行動すれば即タイーホ案件の性癖が。それが恐ろしいです。だいぶ妄想入ってますけど可能性はあると思います。自分にはもう女性と話す権利なんて無いようにも思えてきました。
私は何に興奮してるんでしょう。肉体が変化する登場人物に感情移入して興奮している? 肉体を支配する行為に興奮している? 女性の精神性より男性の精神性が好き? もっと酷い性癖が潜んでいるかもしれない? 性行為の際、相手の精神は無視しても構わないと思ってる?
そんなキモいアキネーターみたいな自問自答をしています。「部分的にそう」か「分からない」を選ぶしかありません。トホホ。
特にオチなく終わりです。ずっと考えてたことを吐き出せてスッキリしました。
※追記
『「憑依した女の体で乱交して父親不明の子を妊娠させてその子の人生を壊す」って興奮する?それはさすがに可哀想?』
なんでこんな可哀想な話を書くんだ……クソッ! って思いながら興奮してしまいます。裸のまま外に出るやつとかも好き。あれ? 露出癖も潜んでる可能性あります?
『元の肉体の持ち主(女性)の屈辱を感じる精神描写とかは必要ないの?あと、エロコンテンツによくあるやつ女性が嫌なのに感じちゃう!悔ビク!とかそういうのじゃ駄目なの?』
必要ないし、駄目ですね。憑依の場合は、元の意識が残ってると若干萎えます。自分が気持ちよくなりたいだけなのかもしれません。自己愛も強いのか?
破壊衝動や支配欲が強い、というのはあるかもしれません。言われるまで気付きませんでした。それが変な形で表出して、ニュースとかになったら嫌ですね(他人事)。
ゾーニング論争はエロ嫌いvs.エロ好きの戦いではないし、さらに言うならオタク嫌いvs.オタクの戦いでもない。少なくとも私にとっては。
エロ絵そのものはいいんですけど、エロ絵を日常に持ちこむ人、それを当り前だと思っている人の感性が怖いですよね。たとえば猫虐待してる絵が表紙の本が本屋にずらっと並んでたらどうですか。ツイッターで「猫いじめさいこー」とか盛り上がってる人たちがいたらどうですか。猫の飼い主、怖くならない?
以下、個人的な話なんですが参考までに読んでみてください。
私はかつて小学生だったとき、ネットを彷徨い偶然エロテキストサイトをみつけてしまい、最初はあまりの衝撃に速攻ブラウザを閉じたけど徐々に好奇心が湧いてきて一通り読み漁ったという過去があります。
ここで良かったのは私が元々本好きでフィクションに慣れていたので、『これは架空の物語であり特定の欲望を満たすための都合のいい展開である』ということを認識できたことと、文字媒体なのでどぎつい描写もモヤモヤ~とした映像しか頭に浮かばなかったこと。
小学生が明らかに18禁の小説を読むのはよろしくないことですが、ともかくそんな感じで私は『女性が性的に辱められる』『極端に男性に都合のいい設定』『とにかくエロだけを追求した話』『びっくりするほど下品であけすけな隠語』というものに嫌悪感はなかったのです。だってそれはそのサイトにいかなければ読めないものだったし、自分が読みたくないときは読まなければいいのだし。
それは刺激的で、斬新で、背徳的で、ジャンクフードのような中毒性がありました。普段は見ないけど、たまにひたすら頭の中の興奮ボタンを連打したくなったときに一気読みして、はー楽しかった、終わり、ってすっきりしてました。
しかし同時に、私はネットでしばしば予期せずでてくるエロ広告を嫌悪していました。私はあくまで刺激が欲しい時にエロを摂取したいのであって、いきなり飛びこんでくるエロはお呼びでないのです。むしろ「女を都合よく辱める創作を女に見せつけてもいいと思ってるんだ」と屈辱的な気持ちになりました。
おわかりになるでしょうか? 「私が見たい時だけでいい、あとはいらない」と言うとわがままのように思う方もいらっしゃるかもしれません。
これも本音なんですが、本質はもうちょっと深いところにあります。
エロテキストサイトとどこにでも湧くエロ広告の違いは、受け取り手の能動性の差です。
エロテキストサイトを見る場合、私は「荒唐無稽で現実離れしてる刺激的なエロい文が読みたい」と意識してから、サイトを開きます。私がそう思って行動しない限りサイトは開かれません。そして、サイトにはエロい話ばかりが集まっています。エロくない話の中に騙し打ちのようにエロい話があるわけではないので、そもそもこれはエロくてヤバい話を読みたい人向けのサイトだとわかります。つまり、「今から読む話では女性の人権が滅茶苦茶に蹂躙されてるけどみんなこれが架空だってわかった上のお遊びだから大丈夫」という安心感があります。
ところがエロ広告は、求めてもいないのに突然バン!と現れます。しかも絵なので防ぎようがありません。日常のなかに現れたドギツい描写にこちらは面くらい、そして、「こんなヤバいエロを日常のなかに放り込むなんて、この発信者はもしかしてヤバいエロと日常を別枠だと思ってないのでは?」という恐怖を味わいます。
まぁ、今思うとエロ広告はむしろ不意打ちをこそ狙ってるんでしょうね。エロのなかにあれば目立たないエロも、日常のなかにあれば目立ってありがたがられますからね。ジャンプで過激化するお色気系漫画とかもそうなんでしょう。エロ漫画としてはそこそこでも少年誌の枠内では超エロ、っていう。
でもね、人間、慣れるんですよ。
嫌がってる人はなかなか慣れませんが、好きな人や特に気にしてない人は普通に慣れます。ロリコン公言とかハイエースとかね、最初は「俺たち過激なこと言ってるぜ」っていう昂揚感、ヤベー奴スゲーみたいなとこから始まって、今ではすっかりネットミームでしょう。
小学生を恋愛対象に想定するタイトルとか、女の子がめちゃくちゃ露出してるとか、そういうのがありふれ過ぎて、日常に浸食している。意図せず目に入ってくる。そういう状況は怖いです。
ラノベは昔からエロ絵あったとかいう意見もわかりますが、さすがにここまで多くも露骨でもなかったですよ。ホライゾンの表紙はラノベの中でもわりと異色だったように思います。少なくともエロい絵として喜ばれるぐらいには。今、特にオタクの中で話題にならないじゃないですか、エロい絵の表紙。もう当たり前になっちゃったんですよ。
露出の多い女の子が恥ずかしそうにしてるとか、乳首が浮いてるとか、パンツ見えてるとかの絵、女の子を性奴隷に、だの、ロリがなんちゃら、だのいうタイトル、が『女性が性的に辱められる』『極端に男性に都合のいい設定』であり、『日常とは隔離された架空のおままごとである』という認識が薄れてきています。だって日常にあるんですもの。
大人になってから触れた人はまだいいですよ。それなりの分別はあるでしょうし、もし影響されて何かヤバいことしたとしても本人の責任です。それが大人ってものです。
でも子供のうちにあれが日常と地続きにある環境は確実に問題があります。ただでさえ子供のうちは架空と現実の境目が曖昧なんです。自分で言うのもなんですが私は特殊例で、ヤバいエロに触れるずっと前に親から子供の生まれ方や性的に気をつけなければいけないことを教わっていましたし、架空の物語との付き合い方をわかっていました。だから『女性の人権が滅茶苦茶に蹂躙されているエロ』という箱を脳内に作り、これは日常とは絶対に交わらないものとして区分けできたのです。
でも無視できない程度に日常にヤバいエロが浸食していくようになるにつれ苦痛を感じるようになりました。エロ広告ぐらいならまだ対処しようがありました。ネットを使って行くうちに、なんとなくエロ広告が出そうな場所を察知するようになり、それを避ける術を身に付けたので(もちろん取りこぼしはあります)。
でもアニメ、漫画、ラノベ、ツイッター、動画サイト、ありとあらゆるところに蔓延るヤバいエロ思想。オタクをやってると避けて通れない、どころか今やオタクじゃなくても目に飛び込んでくる数々の女体エロ絵。
かくして私は『女性の人権が滅茶苦茶に蹂躙されているエロ』を読めなくなりました。もはやそれは日常の地続きにあるからです。「お話の中ではとことんヤバいけど私は安全」とは思えないからです。
何故ヤバいものを日常に持ちこみたがる人がいるのか、私にはわかりません。まぁ彼ら怖くないんでしょうね。女体持ってないから。でも、自分達にとって『日常にあっても怖くないし楽しいもの』が他人にとって『日常にあったら怖いもの』だということはわかって欲しいです。
言われそうなので先に書いときますけど私は少女コミックとかもどうかと思ってます。今は知りませんが数年前に読んだときは「え~……?」と思いました。エロ描写自体はたいしてないですが、安易に性行為に突入する展開が多く、さすがに注意書きとかレーティングとかがいるのでは、と。あれは表紙は無難なのでその点はラノベエロ表紙よりはましですが。
BLの表紙も、扇情的すぎるのはキツいです。中身はエロくていいから表紙はやめてくれ。私はBLも嗜んでるんですがやっぱり日常に現れるエロは嫌です。エロ広告とかも最近はたまにBL系のやつをみかけることがあり、エロ広告の常として過激なとこを抜き出してくるので無理矢理描写とかが多いんですよね。日常に人権無視の思想を入れて来ないで欲しい。私は心構えをして、人権無視した話が読みたいと思って、自分で専門の場所にいったり専門の書籍を買い、そして初めて人権無視創作を楽しみたい。
要は「これは人権を無視している」という認識を確かに持った人々が愛好する人権無視創作じゃないと、「ひょっとしたら人権無視だと思わないでこの創作を楽しんでいるのでは?」という恐怖に苛まれるんです。被害妄想じゃないですよ、私結構な数の「ロリとつきあって何が悪い」って言ってる人見ましたからね……思い出すだけでキッツい。
だからゾーニング(○歳以下禁止、表紙にエロやら辱められてる人間やら未成年との恋愛を示唆する内容は出さない、コーナー作る)したいんですよ。日常とごっちゃになってるのほんと無理。殺人事件の本はあるじゃんとか言いますけど、本の表紙が首絞められてるとことか眼球に針刺されそうなとこのアップとかだったらぎょっとするでしょう?
「えぇ……(大丈夫かな)」
でしょうけど
とかになりかねないわけで、この人らが内心「もちろん冗談だけど」という気持ちだったとしても字面だけ見れば既に倫理は崩壊してるんですよ。正直眼球刺されそうな絵より可愛らしい絵柄の「ロリが俺のこと好き」みたいなタイトルの本の方が怖いです。これ(https://twitter.com/traductricemtl/status/1039259936453283841)の「今日から俺はロリのヒモ」ってやつ、さすがに萌え絵のエロ本かと思ったらMF文庫でヒィッってなりました。マジか……。
元ラノベ読みなので別にラノベみんなこうなわけじゃないのは知ってますが、各社サイト行くと恥ずかしそうな顔で露出したり胸と股強調された服の女の子の絵ほんと多いなぁと思いますしMF文庫特にヤバいな。
露出過多で恥ずかしがってる女の子可愛いって言うのぶっちゃけいじめっ子の感覚だし、纏足して足が小さくなったせいで転んでしまう女の子を可愛いって言ってるのと同じですよ。
ここ数年、ずっと疑問に思っている。
例えば、二次元の美少女アイコンを使ってひどい差別的なTweetを投げてくる人は、その美少女キャラがどういう物語のどういうキャラクターなのか考えて発言をしているのかな、って。
そりゃー山野車輪のひどい漫画であるとか、どこぞのレイシスト団体の嫌韓本であるとか、そういうのを読んで溜飲を下げたりもしてるのだろうけれど、
でも普通に本とか漫画とか映画とか音楽とか、アニメや2ちゃんまとめの「いい話」とかにも絶対触れてるだろうと思うんだよね。
(2ちゃんの某スレで一緒にゲームの話で盛り上がった中にも、ネトウヨさんがきっといたと私は思うんだよ。
そうやってお互いに笑いあったりクソゲーを嘆きあったり労わりあったり、本の内容について議論もしたと思うんだ)。
現在、人が親しんでいる物語の中で、差別主義者が善として描かれることなんてのはとても少ない。
差別者にも様々な過去や事情があり、みたいな展開もあるにしろ、「差別行為」そのものを善として描くことは稀だ。
差別を肯定し楽しむ胸糞悪い悪趣味な話があり、 また、悪逆を悪逆として魅力的に描いた話もあるとはいえ、それはそれで背徳的に楽しむケースが主だろう。
そういう話「だけ」を摂取する人というのも少なかろう。ましてや「善なる話」として読んだりはしていないと思う。
きっと、当たり前のように少年少女の青春を慈しみ、人情話に涙して、悪を悪と認識し、自己犠牲を賛美して、
人間の尊厳の回復を言祝いでるんじゃないかって、私は想像してる。
物語の中にひどい差別主義者が出てきたのなら、「こいつ最悪」って受け止めるんじゃないかって、想像している。
で、そこで自分の物言いや行いを振り返ったりしないんだろうか、って。
私はずっと不思議だった。
自分のしていることを、自分が心動かされた物語に引きつけてみた時にどういう位置づけになるか、考えたりしないのかな、と。
私はずっと不思議だった。
極端な話をすると、レイシストは「デビルマン」を読み通せるのかな、って思ってた。
牧村家のあの展開を、自分の行いを考えながら読み通せるのかなって思ってた。
私は人間の読解力をそのくらいの基準で見積もっていた。信用していたと言ってもいい。
今はそこらへんが瓦解している。
数年前、美容整形をした。
顔にメスを入れるもので、ダウンタイムが一カ月くらいの大々的なもの。
外見を重視していなかったし、美容整形はグレーゾーンというか、社会的にあまりいい印象ではないと思っていたから。
でも、家族のすすめと、当時自分が人生に行き詰まっていたことが重なり、本当になんとなく実行に至った。
手術台に横たわったとき、
「あ、これから私の第二の人生が始まるんだ、生まれ変わるんだ」「人生が動き出すんだ」という直感が頭を過った。もちろん、失敗したり理想通りにいかなかったりするのではという不安が思考のほとんどを占めていたけれど。
結果、まあまあうまくいったのは本当に運がよかった。ただ、中の上の顔面偏差値のような「手に入れたもの」よりも、「積極的オペ」という体験の方が心に強く残っている。旅行自体より旅行前の準備が楽しいのと同じ心理状況かもしれない。
今でも特段美容医療自体には思い入れもないし、善悪についてはよく分からない。
でも、ときにはちょっと冒険してみるというか、常識の枠を飛び越えてみたら、新しい世界が開けるのかも、という感覚の発見は、すごく大きな財産となった。
今も、ジャンルや手段は違えど、こういった大きなリスクを伴う行動をしている。というか、無意識にしてしまう。あの無敵感をもう一度味わいたいのだ。けれども、「未知へのわくわく」と「少しの背徳感」がちょうどいいバランスで混ざり合っている体験はなかなか存在しない。
やっぱりまた、手術台に乗るしかないんだろうか。
年々高騰が続いて今では高級魚となった鰻
あの鰻を食べてしまったのです。
ずいぶん前に絶滅の恐れ等の情報が出てから、鰻だけは今後、資源回復するまでは食うまい。
と思って生きてきました。
好意で送って貰った鰻。流石に意思の力をもって処分することは出来ず、食べてしまったのです。
冷凍でしたが、ええ美味しかったです。 ああ 美味しかった! 送ってくれて あ り が と う!
もともと鰻は高級魚で良かったのではないかと思うほどにおいしい。
食べ終わって、この気持ちは吊るされるべきなのではと 思ったのです。
信仰に耐え切れなかった気持ち。弱い気持ち。この気持ちは増田のような懺悔室しか話せないと思ったのです。
資源回復の芽もないままな現在。 機会と金銭があれば店舗まで行って調理したてを食べに行ってしまわないでしょうか。
タレだけかけて満足できるのでしょうか? 恐ろしい。変わってしまっていそうな自分が恐ろしい。
どうか鰻禁欲派の方は私のようにならず、信仰に準じて欲しいのです。
私はわからなくなりました。
人間は紫の靄のように、掴むことができないかもしれない、もはや実在するかも定かでない、そんな不明瞭なイメージをもって美少女を探している。
美少女を引き寄せたり見失ったりかき消したり紛い物を拵えたりしながら人はそれぞれの人生を生きる。それが喜怒哀楽であり悲喜交交の人生を彩る。
ただ社会は、美少女を求めるには不純なのだ。あまりにも様々な美少女を巡る感情が交錯し不条理なことばかりが社会では起こる。
何が美少女たらしめるのかを忘れ彷徨う俺らは、美少女の宿ることのない無用の祠として過ごさればならないのかもしれない。
ただの入れ物、俺たちは空洞なのだ。俺たちになんか自我があるわけがない。自我を持ち得るのは美少女だけだ。正真正銘の美少女と美少女をその身に宿したものだけが自我を持つのだ。
この世は美少女かゾンビか。お前は自我を持たないゾンビなのか?美少女を求めないのか?
俺は俺が本当に心の美少女と対話できているのかわからない。本当にオレの心の中に美少女がいるのか、その美少女は覚醒しているのか自信をもって言い切ることができない。
俺はこの心の中に美少女がいると思いこんでいるだけなのかもしれない。俺は宿主を失った歪なゴーレムなのかもしれない。
自我を持つことを渇望するゴーレム、美少女でありたかったゴーレム。
俺はそれでも信じたい。ブルマを履いて心の美少女と対話したあの瞬間は確かに事実であると。錯覚でもいい。
この心の中に美少女がいると感じられる、それだけで俺は自分が知覚する全てがこの社会の転写だと信じられる。
この社会の片隅で出会う全ての人間がたしかに感情をぶつけているという実感をお前にも感じてほしいのだ。
そのためにブルマを履いて背徳に身悶えながらオナニーするのだ。ブルマ履いてオナニーは心の美少女との対話だ。お前なら心の美少女と一心同体になれるかもしれない。
作るのも 買ってくるのも メンドウだ
そんな時 図らずも やりたくなる食事
隠していたソレを取り出す
あけすけに言ってしまうと
早く早くと袋から
乱暴なまでにソレを取り出す
そして恥ずかしい位にそのまま かじる
ザクザクと
耳応えの良い食感が 比類なきリズムを生む
碎かれて粉となった麺と
恥ずかしい程染み込んだ油が
口の中一杯に交じり合う
恥ずかしいまでに私を高揚させた
今この時間にこんな食べ方をしている人は私だけなんじゃないかと考えるだけで
1/3食べたところで そこはやはり人間
味の変化が恥ずかしいくらいほしくなる
そこでこれだ
デタラメに取り出したそれを 恥ずかしいまでにアレする
アレした中にデタラメに私のソレを入れてみる
恥ずかしいまでにソレをアレに入れるのである
アレをなめてはソレに行く
恥ずかしいまでにソレを繰り返すことによって
デタラメに空腹はアレして行き
脳もみたされるソレである
そして仕上げとばかりにコレを
恥ずかしいまでにもみしだいたソレを
容しゃなくアレにコレる
火に薪がくべられた
基本的に今までは「オープンなラブラブカップル」が好きだったんですよ
こう周りのみんなも付き合ってることを知ってて「よっバカップルおあついねー!」的なリアクション含めて、カップリング的な?
具体的にいうと、しゅがしゅがみーん(イベントおめ)とか。
なんだけど、この間、渋谷凛と赤城みりあがみんなに隠れて付き合ってて、全員の仕事やレッスンや終わった後、別々の方向に一旦帰った後、少し離れた駅で待ち合わせて夜の街に消えて行く的なシチュエーションを思い浮かべて以来
隠してこっそり付き合ってるってパターンもありだなあ、と思いました。
そこで、いろいろな組み合わせを考えて見ました
お互い、春香と真美という仲良しがいるだけに、彼女たちに隠していちゃつくさまがとてもよく浮かぶ。
また、千早の考え込む感じと、亜美のあっけらかんなところがなんとも背徳的。
・心と飛鳥
あのですね、二人とも5chの女神スレで承認欲求満たしてそうじゃないですか?
なんていうかこう、二人とも割り切った肉体だけの関係だったはずが、若さゆえに飛鳥くんが暴走してしまう的なやつですやん?
せやな。
あーごめん。
めんごめんご、ゲッサンミリオンの世界線で二人が付き合ってるのは公式だもんなあ。
・三峰と霧子
アンティーカってさ、世界観が天野しゅにんたにのドロドロ百合漫画みたいだから、どのパターンでも妄想できてしまう
その中でも一押しなのが、この二人。
ちょっと考えたけど、ちくわの穴にちんこが入るかどうかと言われたら、入らないという言う人が多いと思う。サイズによるけど。
例えばちくわの穴にさきっちょをくっつけて、クッポクッポしてみるだけでもいつもと違った感触を味わえるのではないか
本来なら食材に使われるものをオナホに使っているという背徳感が手伝って興奮できるかもしれない
いろんなちくわを試してみるのもいいかも。人参とかごぼうとか練り込んであるやつとか試して、自分なりのランキングを作ってみるとか
温めたりしても違うと思うし
レストランで例えるならオードブル的な立ち位置にするのが無難かも
先っぽを刺激したり、思い切って突っ込んだりしてるして楽しんで十分興奮したあとで、メイン(本物のオナホとか右手とか)でフィニッシュするという方針はどうか