人間は紫の靄のように、掴むことができないかもしれない、もはや実在するかも定かでない、そんな不明瞭なイメージをもって美少女を探している。
美少女を引き寄せたり見失ったりかき消したり紛い物を拵えたりしながら人はそれぞれの人生を生きる。それが喜怒哀楽であり悲喜交交の人生を彩る。
ただ社会は、美少女を求めるには不純なのだ。あまりにも様々な美少女を巡る感情が交錯し不条理なことばかりが社会では起こる。
何が美少女たらしめるのかを忘れ彷徨う俺らは、美少女の宿ることのない無用の祠として過ごさればならないのかもしれない。
ただの入れ物、俺たちは空洞なのだ。俺たちになんか自我があるわけがない。自我を持ち得るのは美少女だけだ。正真正銘の美少女と美少女をその身に宿したものだけが自我を持つのだ。
この世は美少女かゾンビか。お前は自我を持たないゾンビなのか?美少女を求めないのか?
俺は俺が本当に心の美少女と対話できているのかわからない。本当にオレの心の中に美少女がいるのか、その美少女は覚醒しているのか自信をもって言い切ることができない。
俺はこの心の中に美少女がいると思いこんでいるだけなのかもしれない。俺は宿主を失った歪なゴーレムなのかもしれない。
自我を持つことを渇望するゴーレム、美少女でありたかったゴーレム。
俺はそれでも信じたい。ブルマを履いて心の美少女と対話したあの瞬間は確かに事実であると。錯覚でもいい。
この心の中に美少女がいると感じられる、それだけで俺は自分が知覚する全てがこの社会の転写だと信じられる。
この社会の片隅で出会う全ての人間がたしかに感情をぶつけているという実感をお前にも感じてほしいのだ。
そのためにブルマを履いて背徳に身悶えながらオナニーするのだ。ブルマ履いてオナニーは心の美少女との対話だ。お前なら心の美少女と一心同体になれるかもしれない。