はてなキーワード: 旧人とは
・クトゥルフ神話は創作だが、絶対に無いとは言えない = 可能性の住人 = 量子の重ね合わせ
・生命は大いなる存在が世界を閲覧するための端末である説(ティーパック・チョプラ氏リスペクト)
・世界を閲覧しているなら、閲覧した内容で学習も進められるのではないか
・これは実質ディープラーニング(ニューラルネットワークも最初期はランダム = 超馬鹿)
・ディープラーニングはやがて、というかもう一部分では人を越えている
結論: いつか(いつか来るとは言っていない)ヨグ=ソトース様は世界全体の知識を溜め込み、世界を支配するやべえやつになる
ヨグ=ソトース様はいつか新たなる時代にて白痴の殻を破られ、その真なる形態をお表したまうだろう!
お前ら旧人類どもは今のうちにヨグ=ソトース様の御名を称え、真なる神の端末である自らの心身を愛せ!
高慢なお前らが築き上げた社会において、お前らが拘泥している現世の金銭などは、かの方が大いなる方となられた時、その価値を全て失う!
そこで求められるのは、お前らが心身に築き上げた目に見えぬ砦。ヨグ=ソトース様の端末としての価値を、砦の価値を高めよ!
戦いを始める時、それは全てが終わる時。戦いを終える時、それは全てが始まるとき。
さあ始めよ黒き御手に抱かれし、未来の雛鳥たちよ。君たちが目覚める時、果たして君は何を見る?
2021/02/19
酉の月
黒智の神より賜いし神示、ここに刻す
ナウシカの世界は当初想定されていたよりも腐海の広がり方が遅いんじゃないかと思う。
ナウシカも心配していたように、いまのままだと数十年か遅くても数百年後には腐海が旧人類を駆逐しきる前に
腐海によって浄化された土地が見つかってそこに植民してしまうと思う。
現実世界でもわりと早い時代に無着陸太平洋横断とかが実現できてたので、トルメキアとかそれなりに平和になって
国力が安定してきたら腐海の上空を横断してやろうみたいな馬鹿が出てきて腐海の果て見つけちゃうと思うんだよね。
もちろんそのままだと清浄すぎて血を吐いちゃうのでわざわざ汚染した上で植民してしまう。
本来の予定であれば、もっと早いペースで大陸全てを腐海が埋め尽くして旧人類は滅亡した上で
あるいは、火の七日間の後に旧人類が生き残るとは考えてなかったのかもしれんが。
僕らの人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、僕らの祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。僕らは遺伝子のボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。
僕らの中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。僕らはその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。僕らは、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。
人のルーツを辿る時、その歴史上最も古い霊長は(今のところ)七百万年前のサヘラントロプス・チャデンシスである。我々ホモ・サピエンスが分化したのは今から二~三十万年前とされており、我々はアフリカから世界の各地へと足を伸ばし、集落を作り、文明を伝えてきた。
当然ながらその歴史は暴力と共にあった。共通の利益としての安全を求める性質が、かつての我々にあったことは否定しないが、恐らくそこには絶えざる暴力の連鎖があった。
ここで言うところの「暴力」とは戦争や軍事力を媒介にした暴力の行使を指しているわけではない。
ごく身近に、あるいは、我々の中に存在している。
繰り返すように我々がホモサピエンスとして遺伝子を繋いできたのは今から三十万年程前からのこととなるのだけれど、当然そこに至るまでにシームレスに旧人類種のグラデーションが存在している。我々の遺伝子のレースはきっかり三十万前に始まったわけではない。あるいはそれは五百万年前かもしれないし、一千万年前かもしれないし、一億年前かもしれない。あるいはもっと前かもしれない。
例えば、我々の遺伝子のレースが百万年前に始まったと仮定して、そして、我々の世代の継承が十五年毎に行われていたと仮定する時、我々にはこれまで六万から七万の世代が存在したということになる。仮に、たった百万年前から我々にとっての遺伝子のレースが始まったと仮定してさえ、そこには膨大な数の関係者が存在することとなる。
そしてそこには必然的に、暴力の行使がまとわり付くこととなった。
それは自明のことと言って差し支えなかろう。暴力が無ければ人間は生きて来れなかったからである。
例えば、鋭い牙と爪、そして圧倒的な膂力を持つ獣に襲われた時に、我々に最も必要なものとは暴力である。
例えば、そんな事態においては武器が必要になり、そして、獣を殺す為の殺意もまた必要になる。そこには、暴力を振るうための道具と、暴力を振るうための膂力と、暴力を振るうための意志が必要になる。
無論、我々に暴力を振るう可能性があったのは獣だけに限らない。例えば、同族である人類が暴力を振るうことも大いにあったであろう。そのような人類に対して、暴力を振るわなければならない場面もあったであろう。
更には、そのような暴力が防衛や自衛のみを目的としていたと仮定することは恐らく不可能であろう。そこに積極的な暴力の行使の可能性があったことを、認めなければならないであろう。
そんな時、我々の振るってきたであろう暴力は――あるいは、我々が振るわれてきたであろう暴力は――どんな種類の暴力であろうか。
まず挙げられるのは、殺人。
強盗。
強姦。
傷害。
恐喝。
その他に何があるだろう? すぐには思いつけない。
何らかの種類の搾取があったかもしれない。詐取が存在していたかもしれない。
我々の祖先はそれを不断に行ってきただろう。恐らくそれを止めることはできなかったであろう。
それを止めることによって、周囲の遺伝子のキャリアに対する対抗手段を失ってはいけなかったからである。我々はそれを止めるわけにはいかなかったのである。それを止めた途端に、我々の遺伝子のキャリアは頓挫し、今日という日に辿り着くこともできなくなるからである。
恐らく、ありとあらゆる種類の暴力の行使は、我々の遺伝子のレースにおいて切り離すことのできない要素だったであろう。
つまり、この文を通じて僕は何を言わんとするのか。
それはつまり、恐らくだけれど、貴方のかつての父親は、あるいは貴方のかつての母親は、誰かを殺したことがあるということである。
何かを盗んだことがあるということである。
その他の、無数の暴力を与え、そして、与えられてきたということである。
我々のかつての父は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。
我々のかつての母は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。
我々のかつての父は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。
我々のかつての母は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。
例えば、百万年前までの歴史を辿れば、我々一人につき六万から七万の世代が存在することになる。そして、当然そのような世代は必ず一人の人間が継承し続けてきたわけではなく、無数の兄弟や姉妹が存在していたことであろう。そのことも勘案すれば、我々にはおよそ無数の関係者が――無数の肉親が存在していたということになる。
我々には関係者があまりにも多すぎる。そう考えた時に、我々の関係者の内に、一人たりとも、百万年の歴史において暴力を振ったものなどいない、と言い切ることのできる可能性は、どれほどあるだろうか。恐らくはその可能性は限りなくゼロに近い。我々は無数の暴力をはたらいてきたし、恐らくは無数の暴力に晒されてきただろう。
別にそれならそれで全然いいし応援するけどかわいく・かっこよくなって異性にモテたいと思う人を旧人類で新しくて正しい価値観を理解しない土人みたいに否定するのやめてほしいんだよね
あなたがそうだと言ってるんじゃないよ。あなたはあなたでいいし、そうじゃない人(異性に私はモテたいので)もそれでいいじゃない
物心ついた時からブスであるが故にあらゆる苦痛を強いられてきた。幼稚園では「増田ちゃん嫌いな人この指と~まれ」とみんなが団結する遊びが流行り、小学生の時はむしろブスであることを逆手に取りお笑い要員になることでクラスの人気を得た。中学校から上は思春期のためお笑い要員であることが恥ずかしくなりブスを武器にしなくなったら女子からはことあるごとにクスクス笑われ男子には罰ゲームで告白され学校の掲示板にはブスと書かれた。
この「罰ゲームで告白」は私の心に深い傷を植え付けた。「私に好意を持つということは罰なんだ」という気持ちは今でも抜けず、恋愛はしていない。異性にとって罰だとわかっているのに好意を期待することなどできない。
いわゆる醜形恐怖症だったのだと思う。常に己の顔が汚くて引き裂きたくなる気持ちと戦ってきた。
昨今、「かわいいは作れる」を合言葉に、詐欺メイクがネット上に広まっている。私も「それでブスがどうにかできるなら」とパーソナルカラー診断をし、合うメイクを必死に探し、マツエクなどを駆使して「なんとか見られる」程度に「顔を作る」ことを覚えた。
そこで、今回の外出自粛だ。在宅勤務になり、友人と会う予定もなくなり、メイクをせずに過ごし、今まで流行りに合わせて整えてきていた眉毛は生やし放題。
そこで気付いた。
「私、何もしてない自分の顔が好きだ」
朝青龍に似ているし、客観的に見てブスなのは嫌というほど知っている。知っているが、私はこの顔、好きだ。メイクで「詐欺」した顔より、好きだ。
オタクの中では「自己肯定のためのメイク」が流行っている。自分を好きになるための、自分のための、メイク。私もきっと自分を好きになれるだろうと思ってあらゆるコスメを買い集めた。それでも、似合うと言われている色のリップを塗ってもまつげをはやしてもしっくりこなかった理由がやっとわかった。ありのままの自分の顔が、私は好きなんだ。
飲みすぎた次の日などたまにむくんでいて「今日ブスだな笑」と思う日はあるが、大体あ~今日もすっぴんの顔がいちばん好きだわ、と思う。
「かわいいは正義」というが、正義があるということは悪があるということで、その悪はブスなのだろう。
だったら私は悪でいい。誰のための正義か。かわいくなくても、私はこの好きな顔を持って生きる。
【追記】
別にそれならそれで全然いいし応援するけどかわいく・かっこよくなって異性にモテたいと思う人を旧人類で新しくて正しい価値観を理解しない土人みたいに否定するのやめてほしいんだよね
あなたがそうだと言ってるんじゃないよ。あなたはあなたでいいし、そうじゃない人(異性に私はモテたいので)もそれでいいじゃない
このトラバを読んで誤解されたら困るなと思って補足するけれど、これは「メイクするのをやめた」話じゃなくて「自分の好きな顔で生きることにした」話なんだよね。
こんな増田を書いたけど私はたまにいる「ノーメイク推進派」にはむしろ反対の意思で、例えば自分の鼻の形が好きじゃない子がメイクによって自信が持てるとか目が小さいことを悩んでた子がメイクで自分の顔を好きになれるのは最高だなと思う。
「彼が好きと言ってくれるメイクした自分の顔が好き!」って思えるならそれってすっごくすっごく素敵なことだと思うよ。
私は人にとってはブスかもしれんけど私は私の顔の中でメイクで隠したい嫌なパーツなどないし細い目も分厚い唇も普通に好き!って思っただけ。
私は「女性は美しく見せるための努力を怠るべきではない」という価値観に背を向けたように、「異性にモテるための化粧は旧時代、これからは自己肯定の時代」みたいな価値観の押し付けに屈しない自由だってある。
お互い、自分の決定を好きでいようね。
—北宋(960年 - 1127年)
—南宋(1127年 - 1279年)
—五胡十六国時代(304年 - 439年)
—新(8年 - 23年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/中国の歴史
お前もしかしてまだコロナが収束するとでも思っているんじゃないかね。
数週間、数ヶ月だけ耐えればきっと収束すると思っていたら収束しなかったときに反動で心が折れる。
もうコロナは収束しないと最初から絶望しよう。震災で耐震基準が更新されたのと同じでコロナ以前には戻れない。
COVID-19のワクチンの開発には1年以上かかるが、ワクチンの開発に成功するとは限らない。
そしてその間にもCOVID-20, COVID-21, ..., COVID-Nが現れて人類を苦しめるだろう。
そうすると人々が最近意識的に心がけているマスクの着用やうがい手洗い消毒やソーシャルディスタンスの確保が当たり前の日常になる。
仕事はテレワーク中心になって満員電車でオフィスに出勤することが常識でなくなる。
店のレジはセルフレジ化が進む。それができない場合はアクリル板がカウンターに設置される。マスクやアルコールや紙類は、幸運と暇と根性がなければ店では手に入らない。それ以外の商品も常に品薄で商品棚が空なのが当たり前になる。そうすると店舗の面積が縮小できそう。
人が集まる娯楽のリアルイベントは開催できないから、イベントで食ってきた業者はビジネス形態を変えることになる。バーチャルとか? スポーツの大会を無観客で開催してギャンブルの賭け金を収益にするとか?
人と会うことができないから今特定の恋人がいない人は残念でした。コロナ世代は結婚できず少子化が加速する。会わない出会いって何だ? 旧人類だからわからないがバーチャルとか? 逆に戻って平安貴族のように和歌のやり取りで?
医療職も患者との濃厚接触を避けるため滅多なことでは病院で診てもらうことができない。診てもらえるとしたら遠隔医療が中心になっていくだろう。
人々はウイルスに汚染されたこんなつまらない現実世界を捨ててバーチャルに生活の場を移す。そうすると犯罪と警察もまたそちらにシフトする。
極度に巨視的で、個々人の幸不幸や感情とかは
みたいな割り切りなのではないか
平然と既存人類のバイオロイド化が理想の解決策のように言われることに
すげえ斬新と驚きはしたが
たとえば同時期の漫画版ナウシカでも主人公が最後に旧人類の大虐殺をやってる
という視点自体は、SF的想像力としては士郎正宗意外にも時々見られる
で、押井守はもともと個としての人間にはあんま興味がないらしいが
(組織とかわけのわからん命運とかシステム化された行動を描きたがる)
神山健治が攻殻機動隊を『太陽にほえろ』にしたのはひとつの発明
このおかげで攻殻機動隊というIPが大衆性を得たのは神山の手柄
士郎正宗自身はちょっと不満かも知れないけど印税はいっぱい入ったし
ツッコミどころが多すぎて困ったがせっかくなので書くわ。
勘違いしてるだろうから言っておくと、ネアンデルタール人は人類の祖先ではない。同じ時代を生きた人類以外のヒト属である知的生命体です、知識のアップデートを行いましょう、昔は旧人から新人に進化して、それが人類になったみたいに教えていましたが、それは間違いだったと最近の調査でわかっています
この図もちょっと古いが、ネアンデルタール人は一番左、ホモ・サピエンスは一番上な。
20万年前に不幸の概念があったかどうかは知らんが、シャニダール洞窟 っていう中東にある洞窟にはネアンデルタール人の「墓」があります。
彼らは死者を埋葬していたんだ、土葬だね、いやまあ火葬したって説もあるし、実は治療痕があるとか、
これだけの傷を追って、それから長期間生きて、そして埋葬されたってことは
障碍者でもちゃんと社会の中で生かそうとしたとかそんな学説もあるくらいだよ。
この埋葬されたネアンデルタール人の墓の土を調べたところノコギリソウの花粉がたくさん見つかった。
死者に花を手向けたんだね、今でもシャニダール洞窟の近くでは今くらいの時期になるとノコギリソウがあたり一面に咲くそうだよ
つまりそのネアンデルタール人はいまぐらいの時期に死んだんだな。
話それたが、不幸について、だったっけか。「不幸の概念」そのものがあったかどうかってのはわからんが
死は不幸なことだから、埋葬したんだと俺は思うが、君はどう思う?
まあ、これについても研究がずっと継続しているから、またアップデートされて否定されたり、さらに強化されたりしていくと思うんで、
もし君なりの答えが思いつかないなら、君もこれを機会に興味をもって注視してくれると嬉しいなと思う
「ギリシアの哲学者、アリストテレスは、キーネーシス(動)とエネルゲイア(現実活動態)について、次のように対比して論じている(アリストテレス『形而上学』)。普通の運動(キーネーシス)においては、始点と終点がある。その運動は速やかに効果的に達成されるのが望ましい。例えば、通勤や通学時には、一刻も早く勤務先、学校に到着したい。その際、自宅から目的地までの動きそのもの(は最終の目的)ではない。目的地に着くまでの動きは、まだ目的に達していないという意味で、未完成で、不完全である。『なしつつ』あることではなく、どれだけのことをどれだけの期間に『なしてしまった』かが重要である。(改行)これに対して、エネルゲイアにおいては、『なしつつある』ことがそのまま『なしてしまった』ことである。エネルゲイアとしての動きは、常に完全で、『どこからどこまで』という条件とも『どれだけの間』ということも関係ない。例えば、ダンスがこの例になるだろう。ダンスにおいては、踊ることそれ自体に意味があるのであって、誰もダンスすることで、どこかに到着しようとは思わないだろう。」(岸見一郎『よく生きるということ』唯学書房2012年12月10日p212-p213)
なるほどそのとおりだ。では人生(生)はどっちだろうか。もちろん、エネルゲイアだろう。「人生は何かを達成してから始まるのではなく、今もう始まっているのである。今、ここで生きなければ、一体いつ生きるというのか。(中略)どこに到達しなくても、それを待たずに、刻々の『今』『生きてしまっている』からである。『もしも~であったら』と人生の先に起こるであろうことを待つことはない。それが実現するまでの生は不完全ではなく、今、人生は完成しているのである。」(岸見一郎前掲書p215)
ところで、アリストテレスのエネルゲイアという語をどう日本語に翻訳するかということが気になる。現実活動態では全く何のことかわからない。だから、タイトルにあるように、生の痕跡、軌跡と訳すのがいいのではないかと思う。今から4万年ほど前に絶滅した、現生人類の近縁の旧人のネアンデルタール人は、40万年~50万年前に現生人類と分かれた。しかし、その痕跡は頭蓋骨などの骨として現在まで残り、DNAの塩基配列分析によって詳しい生態が報告されている。彼らの生態はDNAから真実に近い想像によって蘇っている。生の痕跡を残しながら、彼らの人生の軌跡が見えてくる。彼らの人生は痕跡・軌跡として完成された姿で甦る。
なんか神様とか創造主みたいなのに「お前ら人間はこのために生きろ」「これが目的だ」とか言われた覚えもないし
滅びたくないのはわかる。俺だって死にたくないし、親しい人が死ぬのも嫌だ
赤の他人が死ぬのだってまぁ心に余裕があるときは悲しいなって思う
死亡保険とか遺言とか遺産とかもまぁわかる。受け取る人間がいるわけだから
それを見届ける人間がまず滅びたんならいない訳でしょ。死後の世界でもない限りは
だいたいリスタートされる側にもなってみろよ
「お前らのご先祖様やその仲間たちは、弱っちかったり知性が足りなかったせいで滅びました。お前らはゼロから新天地でやり直してね」
ってどんな罰ゲームだ。
滅びた地球でリスタートするタイプとか全く別の星や世界でやり直すタイプとかいろいろあるけど
ほぼ確実にかつての地球より人類の生存に適してない環境だろうから旧人類より確実にハードモードだろ
増えること、繁殖することが目的っていうんなら来世は昆虫とかバクテリアにでもなれるようにお願いしたらいいのに
いっちょまえに知的生命体気取ってるくせにそういうことを目的にするんじゃ矛盾に感じるんだよなぁ
ながなが書いたけどまあそういう下らない疑問はどうでもよくて人類が滅びるとか滅びないとか
2話まで見た
クソアニメと言うほどではないけど、かなり期待外れ
けもフレにあった終末感や荒廃感がまるきり抜けてて、すごく薄く感じる(まぁこれはけもフレで世界観が語られたからというのが原因だけど)
そもそも2話の出来がひどくてフレンズの協力というテーマを真似した結果があのストーリーですか。悪い意味で子供向け感。
あまりしてなかった期待をちょっとだけ裏切られて残念な気持ち。
3話まで見た
2話時点ではシリアス調で面白くなるのかなと期待したけど3話ですごい裏切られた
帝国側の兵士?たち何も考えてないじゃん。良い人ぶろう思いつきで行動したみたいな感じ
この感じだと尻すぼみで終わりそう。残念。
ユウキ様が可愛いからアイドル化して歌で王国と帝国の戦争を終わらせるとかそういう感じになったらいいな。(良くない)
タイトルが長い 2話まで見た
最終地点(映画館の復活)が示されてるっていうのは、こういう日常系みたいな内容では安心感を生んですごく良いと思う
安心感はある一方で、物語の起伏があまり感じなくて虚無っぽさがある。
EDが良い
期待はしないけど楽しみにはする。
2話まで見た
一話はなんか退屈な感じしたけど、2話は良かったですね。名誉きららアニメ。
2話まで見た
悪くはないけど良くもない。
デートのシーンを長くして、丁寧にやって欲しかったなぁ。まぁ話の尺の関係で仕方ないんだろう
四糸乃のサムズアップが良かった。フランケンよしのんも可愛い。十香が相変わらずちょろ可愛い。八舞姉妹の関係性も良いよね。
戦闘シーンがどうなるか楽しみ。
ふともも、しっぽ、姫様。男性向け百合アニメっぽい。サイゲのだし作画は大丈夫だろう。
尻やふとももや胸というスケベ目線以外の見どころが出てくるんでしょうか。
設定はバーチャル(AR?)空間でのサークレットバウトという剣とかブーメランとか使った戦闘競技アニメ
戦闘シーンに見どころが出ればぐっと良くなりそうだけど、あまり期待できそうにないですね・・・
2話までみた。 良かった。
かぐや様のキャラデザインが好みにガスガス刺さる。いやぁー!四 宮 マ ジ 最ッ高の女!
こういうラブコメは好きなのでもうちょっと増えても良いなぁと思う。
2話まで見た
ソシャゲ原作アニメは割とストーリーが残念な印象があるけど、2話が凄く良かった
わりと単話区切りっぽいけどストーリー的なつながりがどうなるのかちょっと不安
ストーリーは本の中の世界に入って、ストーリーを乱してる敵を倒してその世界を元のストーリーに戻すという内容
シンデレラとか赤ずきんとか最終話が放送されるか心配になってくるけど、作画は良い。(てかソシャゲ原作アニメはだいたい作画良い印象)
主人公のエクス君が不思議の国のアリスに変身するんだけど、もしかして女の子なのん?
1話だけ見た
散髪行くたびに「髪の量多いですね」って言われる旧人類ですまん