はてなキーワード: 放射脳とは
震災から5年も経ってるのに、情報を全くアップデートしないで不安だ不安だと喚く人は、流石にもう、どれだけ馬鹿にされても仕方がないんじゃないかなあ。
ttps://twitter.com/kakkokari_kyoto/status/805457344444305409
「放射脳と呼ばれるのは精神的苦痛だ」
「イジメだ」
うん、その一方で
「フクシマと蔑まれ苦痛だ」
「イジメだ」
って言ってる人もいるんだよね。
で、この両者のうち、少なくとも前者には、過失があるよね。科学的妥当性の無い感情的な判断に身を委ねている、って点で。
ttps://twitter.com/kakkokari_kyoto/status/805458803298746368
http://www.asahi.com/articles/ASJ807DWVJ80ULBJ017.html
まずタイトルを読んで、乾いた笑いが出た。
自分は「放射脳」というほどではなく単に国の原発政策にやや懐疑的な一市民に過ぎないが、
それでも、「国家」とか「政府」が歴史的にみて10万年続くものではないということくらいは常識として理解している。
10万どころかたった1万年でも、保証できる存在など今の地球上に存在しないだろう。
近代の国民国家だけを意味するのでないとしても、1万年続いた組織体などまだ人類はもったことがない。
政府は、10万年先にこの土地に居住する「なにものか」に成り代わって、勝手に
その使用権を代行し用途を決め権利を先取りしてツケを回しているわけだ。
もし10万年分の借地権料が、先払いなら、私たちは未来の世代にいったいいくら支払えばいいのだろう?
そして10万年分の借地権料の支払いを、どうして利益を得る我々でなく、未来の世代に背負わせるのだろう?
今後いったいどれだけの手形が必要なのか、誰も数える気すらなくしたまま原発は続く。
「1000年後まで管理しますよ」と私が保証してもあなたが保証しても、誰もそれを信用しない。
それでいい。誰もその寿命を超えて何かを保証することなどできないと思う。それが健全な常識というものだ。
なのに「国家」と「10万年」という取り合わせを、奇妙に思わないことがとても奇妙だ。
常識を失わなければ維持できない。それが原発というものなのか。
「信頼せよ」という。「任せろ」という。常識を失った顔で言う。
叩かれる覚悟で書くけれど、結論から言うとあらゆるものに絶対の安全などないというのが科学の帰結である。
それを踏まえた上で、福島の人々を助けると思って農作物を食うのか食わないのかはあなたの勝手だ。私はというと特に気にしていない。気にしても仕方がないからである。
この国では、マイナスイオンや水素水でわかるように、基本的に科学的な知識というものが軽んじられてきた。
そのことの是非はともかく、知識の不足から来た両極端が、放射脳と放射脳叩きである。
放射脳といった時に定義がないのでまあよくわからないのだが、世の中には一部、「穢れ」の思想、あるいは小学生的な「**菌」のような考え方で、福島を忌避する人々がいる。当然ながら自然科学というのは原因があって結果があるので、こんなものはただの信仰に過ぎない。
一方で、誰かが「福島の農産物は怖い」とでも言おうものなら、憲兵のごとく飛んできて取り締まる人々もいる。これは、知性的な行いなのだろうか?
彼らが根拠としているのは、例えば全量検査の結果であったり、疫学的な調査であったりと様々であるようだ。しかし、そのどちらも、未だ安全を結論付けるには、時期尚早である。
もちろん私は安全でない、と言いたいわけではなく、単に「わかっていないのだ」ということを強調したい。「そんなことを言ったら福島で頑張っている農家のみなさんが可哀想だと思わないのか」と思われるかもしれないが、農家のみなさんが可哀想であるのと科学的な考え方は完全に別物である。あくまでも物事を客観的に見るのが科学であるからだ。そこには可哀想だのなんだのといった主観は、残念ながら存在しない。「神が創りたもうた」地球は世界の中心であってほしいが太陽の周りを回っているし、空気は透明だけれど分子が飛び交っている。全て同じことである。
科学は安全であると結論付けられないのと同じくらい安全でないとも言えないので、以下の理由を見てあなたが農作物を食うのは全く勝手である。大体が私自身そこまで気にしているわけではない。しかしそれは安全だと思っているからではなく、単に外食などをする以上、気にしても仕方がないから気にしていないのだ。
確かに、全量検査でCs由来のガンマ線が出ていないのは、Csの含有量が少ないことを意味している。しかし、それで十分だろうか?
原発で問題になる放射線と言われる粒子は、高エネルギーの光子(ガンマ線)、電子(ベータ線)、アルファ粒子がメインである。
この中でγ線は透過力が非常に高い。光子は質量0なので、、止まれないからである。逆に、α、β線は簡単に止まる。そのため、そもそもガンマ線以外の放射線は、全量検査できない。
さらに問題なのが、簡単に止まるということはそれすなわち持っているエネルギーを全てある一点に与えるということである。これは、間違って食ってしまった時に非常に危ないということを意味する。
しかしそういうと、例えば放射性カリウムのように、自然界にだって放射性物質はあるじゃないか、と思われるかもしれない。
しかしこれも全く反論になっていない。原発事故で出てきた放射線は、自然界には存在しない核種である。長い進化の中で、生物がK40のような物質に対する抵抗性を獲得していったとしても不思議でない。例えば生体のうち危険な場所にとどまらないようにするというような対策である。一方人工的にできた放射性物質は、化学的挙動がそもそも異なるのだから、生体が対応できない可能性がある。
さらに外部被曝に関しても、たとえば自然界にはそもそも線量の高い地域があることが知られているが、これも関係ない。そのような地域に長く住んでいた民族ならば、抵抗性を獲得できているかもしれないからだ。
はっきり言って、福島レベルに広範囲に放射性物質を撒き散らしている(現在進行形!)事故は人類史上はじめてである。
もちろんチェルノブイリなどもあるだろうが、現在の海洋流出や、初期対応、さらにヨーロッパ民族とアジア民族など、異なる点が非常に多く、それらを根拠に安全であると結論付けるのがどこまでもっともらしいのかは全く不明である。むしろ、今回の福島事故が、疫学的に非常に重要なサンプルなのだといったほうがしっくり来るだろう。
福島事故の疫学的調査でポジティブな結果が出ると門外漢がこぞって放射脳だのなんだのと叩いているが、これはまったくもって反知性主義の極みである。今まさに調査しているものの結果を知っているのは天のみである。人間は、そこまで偉くない。。
私は政治家でも宗教家でもないので、我々がどうすべきなのかということに対する答えを持たない。
50年後に21世紀の水俣病と言われているかもしれないし、単に一笑に付されているだけかもしれない。
大切なのは、我々一人一人が現状と科学の限界を正しく知り、後悔のないように行動するということであろう。
その上で食べて応援するかどうかは個人の勝手である。何度も言うが、私は気にしてもどうしようもないので気にしていない。
ちなみに任意の反論に反論できるので、私の主張に間違いがあると思われる方は根拠を添えてトラバして欲しい。もちろん本当に間違っていたら訂正しますよ。
グリーンコープは、サマーギフトの商品で「東北5県」と表記したことについて、弁解した。
「もともと東北6県と表記していたが、福島の品物がギフトに含まれていないので、東北5県と表記しただけだ」
という趣旨。
http://www.greencoop.or.jp/news/gnn/201606/20160614-2/
しかし、実は、「もともとサマーギフトに福島県の品物が含まれていないこと」が問題なのだ。なのに、それについては、何も説明していない。
とはいえ、頭隠して尻隠さず。その隠された真の理由は、上記文書の後半の【補足】を読めばわかる。
「福島の商品は放射線だらけで危険なので、取り扱いは出来ません」
ということだ。直接そう書いてあるわけではないが、間接的にはそう書いてある。
グリーンコープは東京電力福島第一原発事故によって、今でも大変な状況にあると思っています。今も多くの方が被災の影響で5万7千人以上の方が避難されています。
県外避難5万7000人という数字を強調するということは、「県内にいる人々は危険な地域に留まっている」という認識だ。これはつまり、「福島は放射線だらけで危険な土地だ」(だからそこで作った農産物は危険で食べられない)という意味だ。
福島で栽培された食用ひまわりの種をグリーンコープの組合員宅や各施設に届け、種をまいて栽培し、ひまわりの種を収穫して、また福島に送り、食用ひまわり油を製造できるようにしています。
福島で栽培された食用ひまわりの種を、そのまま福島で育てずに、他の地域で栽培して収穫するわけ。
→ これはつまり、「福島で栽培した農産物は危険です」という意味だ。
グリーンコープはこの食用ひまわり油を販売して、その収益を福島の子どもたちが放射能の心配のないところで遊びまわれる活動費の一部に活用しています。
子どもたちが放射能汚染の心配のないところで元気に遊んでもらいたいと思い、2014年から年に10回ほど猪苗代のシェアハウスに子どもたちを連れていくことで子どもたちがのびやかに成長できるようにしています。(ぽかぽかプロジェクト)
・ 福島の子どもたちが放射能の心配のないところで遊びまわれる
・ 子どもたちが放射能汚染の心配のないところで元気に遊んでもらいたい
→ これはつまり、「福島の子どもたちが遊び回っている土地は放射能の心配のあるところだ」という意味だ。
※ 「放射線」でなく「放射能」という言葉を使っている点に注意。
放射脳の典型的な見本。
結局、グリーンコープは、「福島は放射線だらけで危険な土地です。だからそこで作った商品は取り扱いできません」と言っているわけだ。
だったら、最初から、その本音をはっきり言えばいいのに。こんなふうに変に隠すのは、舛添そっくりだ。
グリーンコープが本当に反省しているのなら、今すぐ、福島県の農産物を取り扱うべきだ。
しかし、それは決してできないだろう。「放射線が少しでも含まれているものは、取り扱いません」というのが、グリーンコープの方針だからだ。放射脳というのは、そういうものなのである。隠せば隠すほど、露見する。
→ http://ramap.jmc.or.jp/map/map.html
人の住んでいない一部地域では、いまだに高い線量が観測されるが、人の住んでいる地域では、何ら問題のないレベルに下がっている、とわかる。
というか、初めから、何ら問題のないレベルと言えた。問題がある地域(飯舘村や原発近辺)からは、さっさと退避していたからだ。
初めの線量については、過剰反応する人もいたが、今ではそのときの数値をも大幅に下回っている。今では放射線について騒ぐ必要はまったくない。なのに、「福島県の子供はまともに遊べない」なんていうふうに述べて、福島県を危険視することは、風評被害をもたらす。
うちの親父も癌になったし友達のとこのガキは20歳で白血病で死んだわ。
まぁ年取ればだれだって癌にはなるけどな。一時期の有名人の心不全多発の頃の方がこわかったけど。あれ2012年とかだったし。
がん患者は増え続けてるけど、がん検診自体盛んになってきてるのもあるし、ちゃんと詳細データが出た上で分析しないと2011年以降にどういう変化があったのかなんてわかりゃしないかな。そういう意味で言えばあと5年10年は闇の中。仮にホットスポットあたりに住んでる人が1万人に一人くらい癌になったからと言って、それが現在の全国単位の速報値で分かるわけもない。首都圏全域でいっても3000人くらいしか増えないからな。全国の癌の罹患数は100万人近いし。1000人に一人が癌になったとしても首都圏で3万人。
実際にホットスポットはもっと少ないわけで、特定の町単位で見ないとなんとも言えないよねー。そんな詳細データなんて公開されないし、紛れて終わるだけじゃないかな。
あと、放射線耐性は遺伝されるであろうから、ホットスポットあたりに住んでいる耐性が弱い家族は怖いことになってるかもね。事例がないといいけど、あってもそうそう表には出てこなそうだけど。
@tomonobu0802 というTwitterアカウントがある。
女性声優は全て生活保護を受ける存在になるから、自分の手であらかじめ潰さなければならない、と言う頭のおかしなロジックを
かなり本気で振りかざし、呼吸するように女性声優アカウントを罵倒する人間だ。無論、彼は誰からも相手にはされていない。せいぜい2chのヲチスレが10年近く機能している程度だ。
ついでに、安いネトウヨで、アジア方面を呼吸するように罵倒しないとおのれの非才さを直視して死んでしまうタイプの人間だ。
どうも15年くらい前はごく普通に同人活動をやっていたようだが、人間関係をまともに構築できないタイプのようで
今やさわるモノ全てにウンコを投げつけるマシーンになりはてている。
また、「俺は過去に3度会社をクビになっている」と、己の信念が社会と折り合いをつけるのを拒んでいるかの如く胸を張っているが、
単に仕事が出来ないのに正社員待遇を迫り、いちゃもんをつけまくった挙げ句に訴訟を行い、示談をもぎ取ったと言うが完全に「手切れ金」を渡されて捨てられただけのことになっている。
この手の頭のおかしい人を遠巻きに見ていると、「批判・反論されることでより自分の狂ったロジックが正しいと確信を持つ」という性向が確認できる。
これはまぁ、陰謀論者も「放射脳」と揶揄される先鋭的反原発主義者も、最近話題の「広義の「しばき隊」」あたりもなんだが
自分の正しさって奴に懐疑を持つ能力そのものを失っている、あるいは自分の正しさを否定するとアイデンティティそのものが消失する人間だ。
彼の抱えている「信念」ってのは、そういう自らの狂気・妄想の類を「正しい」と思い込まないと自分自身も堪えられない「妄執」でしかない。
だから、他人を罵倒しておのれを省みたら必要性を一切感じ取ることさえ出来なくなっている。省みるというのは、おのれの心臓をえぐり出すことに等しいからだ。
こういう人間が、「反レイシズム」だの「環境保護」だの一件社会的に反論しにくいテーマを持ち出して、そこに居る「悪党」に見えるモノを罵倒すると
奇妙なカリスマを持ち始め誰も止めることが出来なくなる。
現在の @kdxn が完全にそれなのだが、かつてのmixiでの彼の傍若無人な態度を知っている人間は、
しばき隊やCRACをバックアップしはじめた頃から「あいつに関わるとろくな事が無い」「奴は人語を繰り出す獣でしかない」と初期から警鐘を鳴らしていた。
その結果が、今のありさまである。
社会運動を、こういう頭の可笑しい、反省する能力の無い人間に仕切らせてはならない。女性声優を罵倒し続ける程度の頭の可笑しい人間程度に納めておかないと
結果事故、は置いておいて
原爆は人を殺すために作られた。原発は人を生かすために作られた。
なんとなぁく批判してるだけじゃないの?
原発に頼らないのなら現状火力発電に頼るんだけど、火力発電は原発以上に人を殺してるわけだよ。
原発以上に、労力がかかってるんだよ。石炭掘ってるの誰だと思ってんだよ。石炭の採掘事故で毎年1万人死んでるんだよ。犠牲の上で電気が使えてるんだよ。石炭は放射能よりただちに影響が出るだろうよ。最近異常に空気が汚い中国ではただちの影響で何万人死んだんだよ。CO2たれ流しの件については、どう考えるよ。
原発より安全?笑わせないでくれ。文明社会で安全なんてものが欲しいなら天国で幸せに生きるしかない。ゴミの問題?火力発電の方が何倍も出てるだろう。相対的に見てマシ、なのは原発だから世界では原発が増えているんだから。放射性物質の汚染が何年も続くから原発がダメ?じゃあ火力発電で出る水に溶ける年間22トンの水銀は、永遠に消えないよ。
じゃあさ、太陽光発電にしようという話になるけどさ。
太陽光発電だって、危険だよ?水害のときに救出の妨げになったという近年の報告が出てるし、あれすげー毒があるからね。しかも使用できる時間が短いんだよ。廃棄処分にしようとしたらもう大変。企業によって設置された周辺が高温になっててまともに住めなくなって、裁判とか起きてるよね。
風力発電とかの話になると、騒音や低周波音とか、発電量とかの問題になるでしょ。災害大国には向いてない方法だし。
自分は原発推進派でも火力発電否定派でもなく、これは解決していかなくてはならない問題だと思っているけどさ。
無くすことがすべてでは無いはずだよね。技術者は日々そういうことを考えて生きてるんだろうし。
今回の震災で確信した。原発はこの国から滅ぼさなくてはならない。
昨日熊本で震度7の直下型の大地震があって、被害は甚大だけど、でも正直、二次被害は東日本に比べて少ないことに安心した。このまま余震は段々小さくなっていって収まるもんだと思ったんだよ。
今これ書いてる時点で、ド深夜だよ?昨日よりデカい地震が2回あったって。前回よりも九州全体に範囲広がってて。
もうさ。
自然災害には、1分後の安全の保証もないってことを、1日で忘れた。
次の瞬間に川内原発の真下で大地震が起こる可能性が、この世にはある。それはセーフかもしれないし、アウトかもしれない。
でも、2011年より後の世界でその二択を優しく見守ってる状況、おかしいだろ。日本はもう一度負けてんだよ。何がセーフなんだよ。アウトだったら今度こそ日本どうなっちゃうんだよ。
俺たちは何で、地震があるたびに「原発大丈夫か!?」って思わなきゃいけないんだよ。
国民が原発にビクビク「させられて」るんだよ。俺たちは現在進行形で精神的ハラスメントを受けてんの。
反・反原発?逆張り系?の人がTwitterとかで放射脳とか色々言ってるの見るけど、
「被災者より前に原発の心配をしている。震災を政治的主張に利用している」とか
地震があったら地震被害と被災者の心配だけしてたいのに、何で原発の心配しなきゃいけないんだよ。
安全神話の一度崩れた原発の存在のせいで、被災地を越えて日本全国でその精神的被害者も増えるんだよ。
一時の利益のためにこんなリスク高いもん作ってさ。廃炉にするっつったってこれから何十年も付き合わされる訳じゃん。
政府はさぁ何ツーアウトもスリーアウトもあるような顔して「(今回は)異常なし」とか言ってんだよ。
もう無えよ。
何で俺は俺が生まれる前に誰かが作ったものにビビらせられてんだよ。
ふざけんな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/956291
「騙されない自分」病だ。
ネトウヨもレイシズムもミソジニーもミサンドリーもまとめサイトも
twitterもはてブも増田も陰謀論も放射脳も疑似科学も文春もネタもマジもデマも何もかも
全部「騙されない自分」のイメージを求めた結果、陥穽にハマってしまっている。
何も進んで水素水を買えと言っているわけじゃない。
「騙されない自分のパブリック・イメージに固執している」ことだ。
みな賢くあろうとしている。それ自体はいいことだ。懐疑や相対化は視点として常に大事だ。
ところが、他人に賢く見せたい、賢いと認めてもらいたい欲、それがインターネットを病ませしまう。
人は「賢い自分」を見せようとするとき、かならず自分の面子以外のことに考えが及ばなくなる。その言葉は攻撃的になってしまう。
なぜなら、賢さとは相対的な概念であって、「賢い俺」が存在するとき、他の人間たちは必ず「俺よりバカ」に位置づけられるからだ。
こういう心理状態になるときほど、近視眼的で酷薄な人間はいない。
しかし、それならば賢しらに振る舞わなければ万事解決なのか。
違う。
そうなってしまったら、インターネットなどに利用価値はなくなってしまう。
我々はみな自分の賢さ、ポジション取りのうまさを見せつけるためにインターネットをやっているのだ。
見栄がなければネットではない。
では、どうすればいいのか。
ハンドルネームやIDを含む顕名制度をやめて、みな記号ですら無い完全なる匿名に帰ればいいのだ。
といっても掲示板はダメだ。集団化という別の暴力の温床となる。
では約束の地はどこに?
ここだ。
増田だ。
我々は群れない。我々は同化しない。我々は顕れない。
国会デビューをしたからといってtwitterアカウントを立ち上げるなどは、見下げ果てた所業である。
我々は存在しない。
我々に魂はない。意識もない。
騙すことも、ダマされることもない。
我々の書くことは「真実か、虚偽か」ではない。真実であると同時に虚偽である。
増田がウンコを漏らす時、その記事を書いた都内在住の誰かは実際に脱糞してないかもしれない。
書き手の人格は肉をもったリアルな誰かとは切り離され、一人の偉大な分裂症患者の名のもとに統合される。
増田。
私はあなたの名前を知っており、あなたは私の名前を知っている。
増田は増田を傷つけない。わたしはあなたを傷つけない。あなたもわたしを傷つけない。
「裁かれた者」サバカレーの使徒であり、「死を刻む名の者」しなもんの化身であり、「剥がす鬼」hagexの下僕である。あるいは水曜日の天使である。
わたしたちはあなたたちブックマーカーである同時に、あなたたちに相対する者である。
実名を捨てよ。
ハンドルネームを捨てよ。
twitterを、Facebookを、メルカリを、LINEを、Yahoo!IDを、amazonのアカウントを捨てよ。
そこは肛門。入る時はさまざまな形をとるが、出る時は常に同じ色形。
父親は震災復興のボランティア?的な手伝いもしているので、たまに福島産のお米をもらってくる。
無論母親はそれを食べることはない。
もったいないから私がもらうよ、というと「あんたそんな汚い食べ物食べるの?!ガンになって死ぬわよ!」とか言う。
まぁ、ガンになって死ぬだろうね。うちの家系ほぼ全員ガンで死んでるし。ていうか多分あなたもガンで死ぬんじゃないかな、いつ死ぬかはわからないけど。
自分が福島産のものは食べたくない、と言って食べないのは自由だからもう勝手にしてほしい。
うっかりままどぉるをお土産に渡したときゴミのような扱いをされたのはショックだったけど、持ち帰って私と旦那でおいしく頂いた。
けど、その時もまず福島に行ったことをこんこんと説教され、おみやげも今この場で捨てて食べてはいけない!とか言い出した。
無関係な他人にまでその生活様式を強要するのはやめて欲しいんだ。
震災の時にはすでに結婚して実家を出ていたけど、出ておいてよかった。一事が万事これだったら耐えられない。
この前親戚が福島出身の女の子と結婚し、その結婚式にも出てきたのだが、帰りの車内は酷いものだった。
デキ婚だったこともあるからか、「あんな土地で生活してる子供なんてちゃんと生まれてくるのかしら」とか平気で言ってる。