はてなキーワード: 優生とは
私は、元々々々々々増田、元々々々々増田、元々々々増田、元々々増田、元々増田、元増田、どれでもありません。
誰一人としてソースを読んでないようなのが気になる。
増田C(口が悪い)の*2で「オランダでは背の高い人たちが背の低い人たちより多くの子供を残した結果として全体の平均身長が150年で20cm高くなった」ことが科学的な調査で示されている。オランダ人はまだ絶滅していないし、他の集団と比べて突出した健康被害があるという話も聞かない。
だから増田D(”私は集団遺伝学系の論文も書いたことがある程度の人間”)の
という意見(個人の感想)は書く前から間違っているし、そのことは明示されている。
”集団遺伝学者(をほのめかす)”増田Dが反対意見を言う前に明示してある参照文献を読んでないのがおかしいし、集団遺伝学者がこの話を知らないということがすでにちょっとヘンだ。
増田Dがやったのは
これだけ。
ようするに
科学的な議論になっていない、というか増田Dが正しいと考えうる客観的な根拠がどこにもない。増田B(”ゲノム科学者”)の言ったことを「肩書」だけ変えて繰り返しただけだ。今回は間違いを指摘される可能性のある「自分で説明すること」さえ放棄している。
元増田(このコメントの一個上)を含む多くの人が言っている「増田C(口が悪い)は『自分が優生学に賛成か反対か表明』してない」というのは科学的議論には関係ない、というか表明しちゃいけないこと。読む者にバイアスを与えるし「倫理的に賛成できる方が科学的に正しい」と判断する者が出てくる。「(裏付けのない)権威・肩書の自称」もこれ。中身を読むより先に「この人が言っていることは正しい」ことになっちゃう。肩書に裏付け(自著論文の引用・第三者が肩書通りの人物の存在を確認できること)があれば信頼性を高めるが「自称だけ」では読む者にバイアスを与えるだけだ。増田Dは「私は集団遺伝学系の論文も書いたことがある程度の人間」と言っているだけなのに元増田(このコメントの一個上)も「実力派」という評価をしている。(「書いた」と言っているのにその論文を参照(サイテーション)していない・「査読誌に掲載された」とは言ってない・「集団遺伝学”系”の論文も書いたことが”ある程度”」と、明言を避け印象の話しかしていないにも拘らずだ。その論文の内容さえ分からない)
増田Dは科学的議論に必要なこと(実例・データ・調査結果の明示)はほぼ何もしてないし、やっても意味のないこと(客観的な根拠なしの「私は思います」)やらない方がいいこと(裏付けのない権威の自称)はいくつかやっている。科学的議論にはならないが「はてなでやらなければいけないこと」は要領よくカバーしてるので結局、「はてな内での評価」が目的だったということだろう。
ごめん!!!やっぱ元元増田そんなに間違ってなかったかも。元増田とも元々増田とも違う増田です。元元増田を勢いでブコメでDISってしまった。ほんとすまん!!!
以下はわたしの見解です。(私は集団遺伝学系の論文も書いたことがある程度の人間ですが、書いたのは昔の話なので、もし間違ってること書いてたらごめんなさい)
元元増田のこの部分:
遺伝病の断種は、遺伝病の根絶について特に有効ではないと考えられています。まず、潜性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、両方の染色体に、多くは遺伝子機能欠失型の遺伝子変異があると起こります。親は、片方しか持っていなければ健康なのですね。すると、両方の遺伝子変異を持つ遺伝病患者を断種させたところで、片方だけを持つ親が世の中にたくさんいるわけです。どれくらいの数いるか?実はね・・・地球上の全人類で、これを持ってない人はいないと考えられています。今、個人の全ゲノム塩基配列決定とか普通にできてますからね。観察的にそうです。さてそれでも、両方の遺伝子欠失を持つ遺伝病の人を断種させれば、徐々に遺伝病は減っていくでしょうか?実はね・・・そうならないと考えられます。ハーディ・ワインベルクの法則って言うんですけどね。
この部分は、元増田のブクマでurashimasanさんが指摘されているとおり:
いやいやいや、この増田も誤解している。HWから導かれるように、個体数が多くなると淘汰圧が最大でも劣勢変異はほぼ無くならないし、人類の現状はそれ。現実的な世代数に渉って劣勢ホモを除去し続けてもほぼ無意味。
という側面もあり、少しは減ってはいくんだけど、断種政策が"有効(*)"と言えるほど減るかというと全くそうではないだろう、という意味では元元増田の方が正しいかもと思いました。(いきなりハーディワインベルク則が衒学チックに出てくるから面食らいましたが、urashimasanさんのコメントで私は納得しました【追記4 ここの書きぶりは少し雑だったかもしれません。ハーディワインベルグそのものというかホモ接合頻度が自乗のため小さいことが重要で、除去するには長期の世代時間が必要ということが重要かなと思いました】/でもこの説明でここでハーディワインベルグをこういう形で出す人は少ないとは思う)[(*)ここではひとまず、(仮に倫理面をほぼほぼスルーした上で)人類に対して達成可能な淘汰圧の範囲内で、社会に実質的な影響を与えるほどの効果が得られる="有効"と定義します]
この件については、「率」のオーダーの議論としては、元増田が言うことの方が私としては納得感がありました。(とはいえ私の意見としては、多かれ少なかれみんなある程度はマイルドな有害顕性遺伝子もってたりするだろうので、もしそういうマイルドな有害顕性遺伝子(を持つ少し調子悪いだけの人々)を全部"断種"していこうみたいになるのは全く"有効"ではない(キリがない)ようにも思うし、一方で、強い有害性を持つ顕性遺伝子はそもそも集団内で拡がりにくい(からわざわざ断種によって拡大を防ぐ意味が乏しい)ので、その意味では顕性有害遺伝子への断種政策もやっぱり全く"有効"でないのでは、とも思う次第です)
これはどちらかというと(少なくとも「平均への回帰」という概念自体については)元増田の方が誤解していて、元元増田の方が正しいように思いましたが、元元増田の「正規分布」を持ち出す説明にも確かにちょっとピンと来ないところがありました。
私としては、cartman0さんの元増田のブコメでの以下の指摘が一番適切と感じました:
この増田も平均への回帰勘違いしてない?遺伝関係なくランダム要素で親の身長が高い低いケースが根本で、次の子はそのランダム要素がならされて全体集団の平均へ回帰する。そのケースを考えると優生学の効果はない
【追記1:補足すると、現象としての「平均への回帰」の原因としては、(1)ランダム要因(形質のランダムな上振れ/下振れ)に起因するものと、(2)極端な同類交配等が生じていない限り、極端な形質を持つ個体の配偶相手は(極端な個体よりも確率的に)平均的であることによるもの、であると私は理解している。どちらも、極端な形質が進化しにくい/させにくいことの理由となる。尚、もしかしたら「平均への回帰」概念の理解にはいくつかの幅があり、異なる概念理解の仕方がありうるかもしれません。】
【追記2:優生学は同類交配前提でしょ、というのはその通り。ただし、ある個体がもつ"極端に良い形質"が希釈化(平均化)されないような、「"良さの方向"がバッチリ合う配偶相手」を選ぶのは現実には簡単ではない、という話でもあります。名馬✕名馬が必ずしも名馬を生むわけではない、みたいな話の説明の一つとして捉えていただければと】
【追記3:もちろん外部との交配が自由に行われていない隔離集団に対して強い淘汰圧を継続的にかけつづければ平均値自体も変化します。「平均値への回帰」はなかなか思ったとおりに育種できない要因としてはこういうものがありますよ、という話です】
ここは元元増田が出した事例とレトリックと議論がちょっと胡乱なところがあって、元増田がツッコミたくなる気持ちも理解できるところです。まあでも多遺伝子型の形質に淘汰かけたときどうなるかはよう分からん、という元元増田のメインの主張はまあそうかなと思いました。
その一方で元増田の
優生思想がダメなのは「科学的に間違ってるから」でも「有効じゃないから」でもないんだよ。優生論の生物学遺伝学的手法が有効なのは動植物の繁殖で既に実証されてるから。元増田が優生学とは何かをそもそも理解していないのは確かだが、おまえの言ってることもほぼすべて間違ってる。
の部分については、「優生論の生物学遺伝学的手法が有効なのは動植物の繁殖で既に実証されてる」と言っても、動植物の育種レベルの苛烈な淘汰圧を多くの世代にわたってかけても理想どおりの形質を得るのは簡単でないのに、数世代にわたっての「育種レベルの淘汰圧」なんてかけられるわけのない人類に対して「優生論の生物学遺伝学的手法が"有効"か」と言われたら、私は全く有効でないと思います。【追記5 後から思ったので追加しておきますが、単純な話として、そもそも人類は世代時間が長すぎて育種の対象として向いてないというのも"有効性"を考える上ではかなり大きいかなと思いました。たとえば象(繁殖最盛期35-50齢)を育種しようと思っても人間の寿命では短すぎて実際問題として難しいのと同じ話で】
ともかく、言いたいのは、元元増田を勢いでブコメでDISってしまったのは本当にすいませんでした、ということです。反省します!(あとブコメ内にキラリと光る本物の識者の皆様に感謝です)
.
もうなんか間違ったことしか書いてなくて増田が何でこんなもの書こうと思ったのかちょっと意味が分からないんだけど
一応気になったところだけ訂正・説明を入れておく。(ほぼ全文にわたっているが…)
途中で「なんでこんな中間テストの採点みたいなことやってんの…」みたいな気分になったけど
万が一これを読んで本気にしている人がいるといけないので義務感で最後まで書きました。
あまりの衝撃に最初からテンション高いですけどね。もう疲れたからこのまま上げます。
なんなんやいったい...
遺伝病の断種は、遺伝病の根絶について特に有効ではないと考えられています。まず、潜性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、両方の染色体に、多くは遺伝子機能欠失型の遺伝子変異があると起こります。親は、片方しか持っていなければ健康なのですね。すると、両方の遺伝子変異を持つ遺伝病患者を断種させたところで、片方だけを持つ親が世の中にたくさんいるわけです。どれくらいの数いるか?実はね・・・地球上の全人類で、これを持ってない人はいないと考えられています。今、個人の全ゲノム塩基配列決定とか普通にできてますからね。観察的にそうです。さてそれでも、両方の遺伝子欠失を持つ遺伝病の人を断種させれば、徐々に遺伝病は減っていくでしょうか?実はね・・・そうならないと考えられます。ハーディ・ワインベルクの法則って言うんですけどね。
まず、
「ハーディ・ワインベルクの法則って言うんですけどね。」じゃねーよ。
選択があるのに対立遺伝子(A、a)や表現型(AA、Aa、aaの組み合わせ)の頻度が変化しなければハーディ・ワインベルクの法則じゃないだろ。
潜性のホモ接合aa(つまり発病してる人)を継続的に人口から取り除いていけば人口中の対立遺伝子Aに対する対立遺伝子aの頻度は低くなるにきまってるだろ。
対立遺伝子aの頻度が低くなるんだからAA、Aaの組み合わせに対するaaの組み合わせの頻度(発病する人の割合)は低くなっていくにきまってる。
つまり両方の遺伝子欠失を持つ遺伝病の人を断種させれば、徐々に遺伝病は減っていくんだよ。ハーディとワインベルクによれば。
学部レベル以下の知識がないぞ自称ゲノム科学者。というか論理的な思考が出来てないだろう。どうやって大学はいったんだ?
頑張れ。もっと頑張れ。
さてそれでは、顕性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、染色体の片方にでも遺伝子変異があれば発症するもので、つまり、遺伝病を発症している人を断種させれば理論的に根絶できます、が、実はね・・・ヒトゲノムには突然変異が起こるのです。もちろんこれが進化の原動力なわけですが、これにより、顕性遺伝病も発生します。つまり、両親が健康で、遺伝子変異を片方持つわけではない場合でも、子に突然変異が発生して顕性遺伝病は起きるのです。デノボ突然変異って言います。
「実はね・・・」じゃねーよ。今どき突然変異が起こることを知らねー人間が存在するのか? 進次郎か。プラスチックの原料か。
そもそも突然変異の発生率がとても低くて、ひとつの遺伝子につき平均で一世代で一万分の一から百万分の一(*1)。しかもアミノ酸のコドンには冗長性があるからベースペアが一ヶ所変異してもアミノ酸は変わらないことの方が多いし、アミノ酸がひとつ変っても即タンパク質の働きに影響が出るわけではないから機能不全が新たに発生する率は実際にはひとつふたつ低いオーダー(十万分の一から一億分の一)。
だから新しい変異による発病はほぼ無視できるんだけど、実際の変異率がいくつにしろ発生率より速いレートで変異を取り除いていけば全人口中の有病者の割合が下がっていくのは当たり前のことだし、変異を取り除かない場合の有病者割合の増加率は継続して取り除いた場合に比べれば絶対に高くなる。当たり前の話だ。
そもそも(十万分の一から一億分の一の確率で)「子に突然変異が発生して顕性遺伝病は起きる」ことと「顕性遺伝疾患を持つ親の子供は100% 50%-100%の確率で(素で間違えた。恥ずかしい)おなじ遺伝性疾患を持つ」ことは別の話だ。子に突然変異が発生して顕性遺伝病が起きたら当然「その子が」生殖することを許さず新たな有病者の発生とそれによる社会の負担の増加を防止しようというのが優生思想だし、それは可能なんだよ。
優生学は「特定の個人が病気を持つかどうか」の話じゃあない。優生学は集団遺伝学の話(集団中の有病者の割合・それがどう変化するか)なんだよ。この違いが分かってない生科学者なんて存在するのか?
有効だよ。上に書いた通り。「抑制」は「根絶」じゃないしそもそも根絶は目指してないから。
問題は「個人に遺伝病が起こるか起こらないか」じゃないんだよ。問題は「全人口の中の有病者の割合をどう抑えるか」だよ。
さて、ここまで読んでくれば読者は気づいたでしょうが、運動能力、見た目の美醜、学歴、といったものは、これは単一遺伝子型ではありません。もし、学歴を問わない父親と、東大卒の母親から生まれた子の1/2が東大卒になると言うなら、これは単一遺伝子型の顕性遺伝と言うことになりますが、そんなわけはありません、経験的に。誰も行かないこともあるし、佐藤ママみたいに4人全部行くこともあるでしょう。単一遺伝子型なら、こういうばらつきは起きません。ばらつきが起きるが、一定の遺伝性はあるように見える形質、これは多遺伝子型です。
ちょっと待て。
「単一遺伝子型なら、こういうばらつきは起きません。」じゃねーよ。
たとえ「東大卒業する」が顕性単一遺伝子だとしても子供がその顕性遺伝子をもつかどうかは確率の問題で、必ず「生まれた子の1/2が東大卒になる」わけじゃねーだろ。ひとりひとりの子供が「東大卒業する顕性単一遺伝子」を持つ確率が1/2なら「子供4人中誰も東大卒業しない」も「4人全員が東大卒業する」も6.25%の確率で(ばらつきが)起こるだろ。
性染色体はひとつの遺伝子じゃないけどXとYはクロスオーバーしないから単体として遺伝するだろ? 男が生まれる確率(子供がYを持つ確率)は常に1/2だな? それでも全ての家庭で常に「生まれた子の1/2は男」になるか?経験的に。誰も男じゃないこともあるし、佐藤ママ(誰やそれ)みたいに4人全部男のこともあるでしょう? 遺伝というのは確率だから顕性だろうと単一だろうとばらつきは起こるんだよ。
この多遺伝子型の形質には、単一ではないとするならどれくらいの数の遺伝的変異が関与するでしょうか。これはここ10年くらいで確定してきた最新のところではあるのですが、どうも最低数千あるようです。それぞれの形質に、それぞれ数千です。こんなにたくさん因子があるとどうなるかというと、中心極限定理により正規分布します。多遺伝子型の形質は、正規分布するのです。すると何が起こるでしょう?
平均への回帰です。
「平均への回帰です。」じゃねーよ(笑)溜めをつくって関係ねーことを言うな。渾身のボケか。(ちょっとウケた)
無数の試行の平均が母集団の平均値に回帰するのは母集団が(またはサンプルが)「正規分布だから」じゃねーよ。大きい値も小さい値もランダムに抽出するからだよ。
親と子の身長に相関があり、長身の親(正規分布の一方の端)だけ取り出したら(つまりランダムではない。これが優生理論)、その子供の平均身長は「長身の親の平均値」に近づくにきまってるだろ。「長身も低身長も含めた母集団の平均値」に回帰するわけがない。
おまえ本当に大丈夫か? なんかわざと間違ったこと言おうとしてる? ツッコミ待ちか?(たぶんそうなんだろうなぁ...)
いみじくも優生学の創始者ゴールトンが明らかにしたのが、親の身長とその子の身長を比較すると、極端に身長の高い親の子は、どちらかというと平均側、普通っぽい身長の方にシフトする、と言う現象です。それで回帰というわけですね。平均に戻る、ってことです。
ゴルトンの観察が平均に回帰した(ように見えた)のは実験の条件が一定じゃなくて子供のサイズが親のサイズよりも環境から受ける影響の方が大きかった(つまり親のサイズという変数に対して無作為抽出になっていた)からだろ。だいたいゴルトン自身が気付いて生物学的根拠のない統計上のアーチファクトだって言ったものを掘り出して差し上げるな。晒し上げか。
どういうことでしょうか。メジャーリーグMVPの大谷翔平の子は、みんなメジャーリーグとかよりもずっと普通っぽい才能になるだろう、ってことです。ええ、皆さん、知ってますよね。長嶋茂雄の子もそうだった。野村克也の子もそうだった。あれが理論通りなんです。教育環境がいいから、それでも普通よりはいい方に行くわけですけど、親と同じような超絶スーパーエリートにはならなくて、それは統計学的に予想通りでして、確率統計の基礎の基礎、正規分布の性質により説明できます。大体さ、大谷翔平の親はどうなのよ。メジャーリーガーだったわけじゃないわけですね。
大谷翔平、長嶋茂雄、野村克也が周りより一歩も二歩も抜きんでてたのは遺伝形質(身体的特性)に加えて本人が努力したからに決まってんだろ。努力の結果が遺伝するわけがない。遺伝疾患や体格と一緒にするな。わざとか。どっかの詭弁のテンプレートにこういう例があるのか。
まあ、それでも、意味があるじゃないかっていうかもですね。平均への回帰って言っても極端だったのが極端でなくなる、ってわけで、身長が高い親の子の平均値は、身長が低い親の子の平均値よりは高いです。平均だけの話で、大幅にオーバーラップしますが。それでも平均を徐々に上げていけばいいじゃないかと。
だから初めから優生学の対象は特定の個人の能力(大谷翔平の子供は野球が上手いかどうか)じゃなくて集団全体の性質だって言ってるだろう。もともと「全体の平均を上げること」「全体の中で望ましい(くない)ものの割合を増やす(減らす)こと」が目的だ。「背が高いことが社会にとって良いことだ」となったら(どういう理由でそうなるのか知らんが。軍事強化?)長身の者に優先的に生殖の機会を与えて国民の平均身長を大きくするのが優生学の目的と手法だろう。むしろそれ以外になんだと思ってるんだ?
いずれにしろ「身長が高い親の子の身長も身長が低い親の子の身長も平均に回帰する」というのは単純に間違い。もしそうなら長身の者だけに生殖させても平均値が高くなるわけがないし(どういう理屈で「平均への回帰」と「平均を徐々に上げていく」が両立できるんだよ?)長身のものが優先的に子供を残せば集団の平均身長が高くなるのはすでに事実としてわかってる。(*2)
ところが、多遺伝子型には数千もの遺伝的変異が関係するというのはどういうことかというと、単一遺伝子型のように、どれか一つの遺伝的変異はどれか一つの遺伝病に対応する・・・ということになりません。重複しちゃうんです。ある遺伝的変異は、ある形質にも、別の形質にも、関係する。多面的関連と言います。例えば身長を高くする遺伝的変異は、同時にがんになりやすくする多面的関連を持つことが多いことがわかっています。するとどうなるか。身長を高くするように、集団の結婚相手を操作していくと、がんが多くなって寿命が短くなるでしょう。では学歴はどうか?学歴を高くする遺伝的変異は・・うつ病になりやすくすることがわかっています。
ここの部分は必ずしもすべて間違っているとは言えないが、身長の高さとガンの発生にについてはそれぞれが関連する遺伝子座の間に統計的な相関が見つかったというだけで身長を高くする遺伝子がガンの原因になるというわけではないし、長身の集団が低身長の集団に比べ短命であるという証拠もどこにもない。後者(学歴)に至っては関連が指摘されているのは「うつ病」と「低学歴」だし(*3)、それが共通の遺伝子の多面作用によるものだという考えは否定されている(*4)のである。
ていうか今気付いたけどこいつ遺伝的変異ってずーっと 「mutation(突然変異)」の意味で使ってない? 遺伝的変異は variation だから「数千もの遺伝的変異」とか「どれか一つの遺伝的変異」とかないんだけど...
これ、マジでまちがい探しかなんかか? なんで書いてあることがことごとく間違ってるんだ? 罠?
どうでしょうか。基本的に優生学というのは、国家の文脈で語られます。学歴の高い国民をより多数生み出し、国家の生産性を上げたい、というわけです。しかしどうでしょうか。うつ病が増えると、生産性はどうでしょうか。私はうつ病の人は生産性が悪いと言いたいわけではありません。しかし、優生学論者のロジックは成立しますか?(明示的に成立するとは言えないのではないですか?)と言いたいのです。
多遺伝子型の遺伝構造はまだわかっていないことも多く、「優生学的操作」をしてどうなるかすらわかっていないんですよ。形質に遺伝的因子があるなら、優生学的操作をすれば人類は必ず優秀になる・・・というのが元増田の議論の開始点だと思いますが、そこ、すでに間違ってるんです。
だからなんで話を「まだわかっていないこと」だけに限定するんだよ。じゃあわかってることには優生学的手法を使ってもいいのかよ。国や医療システムにかかる負担を軽減するために「遺伝病患者は子供つくっちゃいけません」っていいのか? 問題はそこじゃないんだよ。
優生思想がダメなのは「科学的に間違ってるから」でも「有効じゃないから」でもないんだよ。優生論の生物学遺伝学的手法が有効なのは動植物の繁殖で既に実証されてるから。元増田が優生学とは何かをそもそも理解していないのは確かだが、おまえの言ってることもほぼすべて間違ってる。
結論としてすでに社会的に受け入れられてない優生思想を否定したいんだったら、ウソを書いてまで「科学的」根拠をでっちあげる必要がないだろう。
なにが目的だ?
まさかゲノム科学者(自称)がこれらの間違いを本当に信じているはずがあるまい。
特にうつの「高学歴」と「低学歴」入れ替えてるところなんてワザとじゃなきゃどうやって間違えるんだよ...
*1 https://www.sciencedirect.com/topics/biochemistry-genetics-and-molecular-biology/mutation-rate
*2 https://www.science.org/content/article/did-natural-selection-make-dutch-tallest-people-planet
途中で書いちゃったのでもう一度。
生物的血縁関係のある親族間で障害の遺伝子があると、近親婚で生まれた子は障害が遺伝しやすくなり、劣等な子孫の生まれる確率が通常より高まり、生まれた子が生きづらくなり、リベラルではなくなり、下手をすれば優生主義社会の到来を助長する。
血の繋がった男女間では、元々他人同士だった男女のケースとは異なり、二人の間に不思議な権力関係が働く。
兄と妹。
父と娘。
叔父と姪。
あるいは、姉と弟、母と息子、叔母と甥の間柄ですら、男系親族が性的に暴走し、圧力をかけながら手に負えなくなる。
あと親族間で障害の遺伝子があると遺伝しやすくなって劣等な子孫の生まれる確率が通常より高まり、生まれた子が生きづらくなり、リベラルではなくなり、下手をすれば優生主義社会の到来を助長する。
これが成人間の同性婚を異性婚に連ねて称揚しつつ、異類婚・少年婚並びに近親婚、多数婚を忌避する人権主義自由派の論理なのだが、同意していただけるか。
うーん
https://news.yahoo.co.jp/articles/5de82663454a455916a42062eceb0b0db615241f
ひろゆき氏は「男性が京大では無く、別の国立大卒で、既婚者だったことが良くないらしいです。精子提供なら既婚者かどうかは関係ないし、子育てをせずに児童福祉施設に入れちゃってるし、子供をブランド品のように選別する考えは如何かな、、と。あと、遺伝情報に国籍は無いです」と私見を述べた。
遺伝情報に国籍はない、というと一見それらしく聞こえるが、遺伝情報はある程度明確な集団に分かれます。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2561928/figure/fig2/
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2790583/figure/fig1/
韓国人も分かれる(これは北朝鮮のゲノムデータがないからかもしれない)し、
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7385432/figure/F2/
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2561928/figure/fig3/
そしてこれらは、たまたま、ある程度国籍とも大体一致します(ただし一対一ではありませんし、ゲノム研究が国ごとに行われ、一般に周辺部よりも中心にありがちな首都周辺でのサンプリングが多いかもしれないためサンプリングによる分離が見られている面もあるかもしれません)。
が、もちろんそれらは優劣を意味しません。集団に分かれるというだけです。
つまり、遺伝情報によって国籍らしきものが分かれるが、しかしそれは優劣を意味せず、それを理由に精子を選別すると言うことをしてはいけないと言うのが本質だと思います。
原告側は遺伝的差別をすることができなかったと主張しているのであって、そんな権利を認めるべきではないと考えます。
結果としてはひろゆきの言っていることとそう大きくは違いませんが、そもそもそんなものはない、と言う誤ったことを言うよりも、遺伝情報は集団として分かれはするものの、それは優劣を意味するものではなく、それをもとに精子を選別するような優生主義的行動を取るべきではない、と主張するべきです。
全然ブサイク、ブスな子供が自分たちの時代よりも減っているということだ。
圧倒的に減っている印象がある。
つまり、これは、社会的に、「ブサイクと、ブスの遺伝子が淘汰されている」ということだ。
どうしてこんな事になってしまったのだろうか?
ある程度美男美女でないと子孫を残せないという社会的な淘汰が圧倒的に進んでしまったのだと思う。
これは進化論的な結果だろうか?
種の多様性という観点からすると、かなりヤバいと思っているし、何より「ナチの優生政策をいつの間にか社会が受け入れてしまった」
という敗北の証でもあると思ってる。
昔はそもそも、そういうブサイク、ブスであっても、お見合いおばさんがそれなりに相手の満足できるように相手を探して引き合わせて結婚まで話を持っていったのだが、そういう救済策もない。
そもそも社会全体が、「結婚して家庭を持ち子孫を残す」という人間としての当然の営為にたいして、あまりにも高いハードルを掛けすぎている。
これは外見だけではない。給料も、時間も、親としての義務についてもである。
という婚活女性の言葉があるが、アレは常識がないと思いつつ、しかし、「東京で結婚してあるていどの文化資本をキープできるボーダーラインの生活を送るとなると、それぐらいはほしいよな」ということも理解できるのだ。
少なくとも、偏差値が60以上の人間でないと真っ当な親としては認められない社会であると思う。
自由恋愛も大いに結構だが、同時に、ブサイクとブスに貧乏人が子孫を残せないという社会になってしまったことには非常に危険性を感じている。
これは、リベラル的な価値観も、結局のところつきつめれば優生政策になってしまったのだと思ってる。
こういうことを言うと、「女をあてがえってことか」と言われるが、そうではない。
ルッキズムから弾かれた男女や貧乏人がが、家族を持って子孫を残すという機会が、社会的に異様にハードルが高くなっていたという話をしているのである。
「護られなかった者たちへ」って映画、評判良いみたいだけど主演が佐藤健なせいで見る気しない……
羽生結弦とかも、持て囃されているのが許せない
一重まぶたは女だとそれだけで人権を認められず、蛇蝎の如く嫌われて整形を余儀なくされるのに
なんで男だと人権を認めれてしかもイケメン扱いされるの?って違和感が募る
一重の男が何故かイケメン扱いされてちやほやされ、結婚してその遺伝子を残すのが許せない
それで生まれるのが息子だけだったならいいが、娘が生まれて一重になったら地獄じゃねーか
まぶたは二重の方が優生遺伝(今は顕性っていうんだっけ?)らしいけれど、それでも親がその遺伝子を持っていたら子供に発現する可能性はあるし
子供への遺伝を考えたら「男も女も一重でもいい」か「男も女も二重じゃなきゃ駄目」かのどっちかになるべきなのに
なんで男は一重でもいいけど女は駄目なんだよ
Daigoさんが本人の誤算によって炎上して,謝罪するに至った話はまだまだ鎮火しない勢いの炎上だと思う.
多くの人にとってDaigoさんの発言は許せなかったと思うし,許されざる発言だったと思う.
さて,この発言において許されなかったのは,「生活保護の人が生きてても得しなくない?」,「ホームレスはいないほうがよくない?邪魔だしさ」といった優生思想,選民思想的な発言が原因だ.このような思想は人権の概念から外れた発言である.社会には様々な事情で生活保護をとることになった人や,ホームレスとして生きている人がいる.その人達が生きる権利は決して蔑ろにされるべきでないし,その人達が生きることを社会が支援することは当然のことだと思う.それを軽視する発言は人権を尊重する社会では許されざる発言であったといえるだろう.
以上の話は人権の中でも生存権にかかわる話である.人権は生存権以外に自由権や参政権,そして性と生殖の権利がある.
性と生殖の権利とはセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)と呼ばれ,性や生殖にかかわる自己決定や自認の自由を認める基本的人権のことである(参考{https://www.ippf.org/sites/default/files/ippf_sexual_rights_declaration_japanese.pdf}).この権利によって我々は自由に自己の性を決定でき,結婚や性交をする相手を選べるのである.このような人権思想のもとで,政略結婚や見合い結婚が衰退し,自由恋愛が発達してきたと考えることは至極自然なことであろう.つまり,我々の人権を尊重するために自由恋愛は発達し,我々は自由恋愛の中で人権が尊重されていると考えているわけである.
しかし,本当にそうだろうか?我々全員がこの権利を享受できているのだろうか?
実態はそうではなく,自由恋愛の下ではすべての人が権利を享受できるわけではなく,選ばれた優生の者のみこの権利を享受できていることが実態である.わかりやすい例では,年収が低い男性は結婚ができないだとか,容姿が劣る人は結婚ができないなどである(参考{https://toyokeizai.net/articles/-/293571}).自己の決定で結婚しないと決めているならそれは個人の自由だが,結婚したいと思いつつも結婚できない状態は,性と生殖の権利に反している.特に結婚できない理由が年収が低いという理由なら,人権の種類が違うだけで,仕事のないホームレスは生存権が認められていないといった状態と似通ているように思う.なぜこのような状態が許されるのだろうか?
これは単純に,誰と生殖するかが自由であるという権利と,生殖をしたいという権利が衝突しているからに他ならない.子供が欲しい人が無理やり生殖することは,他者の自由な権利を侵害するのである.よって,結果的に優生の者が生殖でき,劣っているものは生殖ができないという状態に陥る.ただ果たしてこのような状態を社会は看過できるのであろうか?
衣食住がない人を生活保護で支えるように,生殖したくてもできない人を何かしらの手段で支えることが人権を尊重する社会では必要ではないか.ましてや結婚ができない所謂非モテを犯罪者予備軍のような扱いや,キモイ劣った存在として排除してよいのだろうか.そのような思想は冒頭のDaigoさんのような思想とは言えないだろうか.
確かにホームレスの人の窃盗率は高いかもしれない.確かに海外では非モテ(所謂インセル)の犯罪が目立つかもしれない.ただそのような理由で社会が拒絶してよいのか?
人権を尊重する社会ではそのような人の権利を守るためにセーフティネットを用意する必要があるのではないか.
今回のDaigoさんの発言で人権の尊重を訴えた人はもう一度過去の自分の発言で,他者の人権を蔑ろにしていなかったかを考え直してほしいと思う.