はてなキーワード: 優生とは
四国の田舎に住む女子高生すずは幼いころ母親が人命救助のため川で死んで以来人前で歌うことができなくなっていた。
そんな中友人の勧めでインターネット上の仮想世界U (ユー)に参加する。
Uの中ですずは自身の分身BELLとなって自在に歌うことができた。
BELLの歌と曲は瞬く間にUで人気になっていく。
ここまでが前半のあらすじである。
Uに参加する際はイヤホン型デバイスが装着者の生体情報をセンシングし、隠れた能力を引き出してアバター、アズが自動生成される。
ここで特徴的なのはアバターの造形や能力には利用者の自由意志が介在しない点である。
(無意識の希望は反映されるかもしれないが、それがはっきり分かる描写はない。)
アズの、ひいてはこの映画の問題は、「人の潜在能力はセンシングによって見つけ出せる」という思想を無批判に受け入れていることである。
考えてみてほしい、あなたの生体情報からあなたの潜在能力が定義できるとしたら…
このような思想は人の可能性を狭め、優生主義につながる可能性がある。
例えばセンシング結果の反映がいくつかの可能性の提示にとどまり、利用者の意思が介在する余地があったらそこまで倫理的な問題はないかもしれない。
一番手っ取り早いのは、隠された能力ではなく、本人の願望が具現化したアバターとすればよかった。
それか潜在能力を生体情報から導き出すシステム自体を批判的に描くこともできたはずだ。
この問題は倫理的な面だけでなく作劇上のひっかかりとしても感じられた。
「隠された能力を引き出して作られたアズ」と「成りたい自分」が偶然一致すれば幸せだが、そうでない場合は全く楽しくないのでは?と思えるのである。
これについてはU世界の住人は基本的に主人公の承認欲求を満たすだけの書割なので細田守監督的には全然気にならなかったんだろうが、、
ヒトラーとナチ・ドイツ、ってタイトルの通りヒトラーが政権を握り戦争に踏み込むまでをわかりやすく説明した新書読んでたんだけど、冒頭のほうはぶっちゃけ楽しかった。冴えない画家志望が敗戦した国軍に職を求めたら職場の雰囲気にあてられて筋金入りのやべーやつになっちゃったあと、同じような教義を抱えた零細団体は戦後雨後の筍のように数多くあったなかで、自身の天才的な演説や口撃手段を元に支持を増やしていき、イキって挫折し、ちょっとした幸運(この辺だいたいバイエルンの既存政治家の保身が理由というのがくっそ笑える)に助けられて生き延び、天才的宣伝家ゲッベルスなどに助けられて本格的に飛躍するという、なろうかよ的なストーリーだったし。
でも後半からいっきに怖くなった。共産党などへの武力行使はさんざん描かれてはいたものの、ピントは来てなかったけどまじかまじかって感じで。
国政の成功が共和国でいっきにすすんだ男女同権から女性を強制的に家庭に押し込めることでの失業率回復や、青年を市場労働力をボランティア()の形で制限させて代わりにマティズモ的な結束力を精神的に植え付けるという、いかにもナチスだわーって政策で、決してそれは成功でもないし賛同できねーよ!!ってのも納得した。こんなんホロコーストなくても認めちゃだめだわ。
ただ、納得いかないのが、国会議事堂が燃やされた前後、無能大統領につけ込み、合法的手段で授権法を成立させる鮮やかさで、当時の法規を隅々まで知った上じゃないとこうはならないと思うのだけど誰の補佐があったのか。
日本の政府内にいる人たちも時々口が滑ってナチスの名前を出すわけだ。全く理解できないけどそりゃ共感するよな。基本的人権なんて理解してなさそうだし、優生保護法で優生側だって絶対思ってるし。
とても読み応えがあった。
実際一番いらないよね。
優生論ガーうんたらとか、弱者をうんたらする社会ガーとか、そういうことを喋ってる余裕があるから出来るだけで、このままだと辛いだろ。何も弱者全員死すべしではなくて、弱者を維持できる最適なサイズというのはあるわけで、増え続けて良いっていうのとは違うと思うぞ。
社会の人口構成を子供、生産年齢、高齢者と分けた時に、優先順位は 「生産年齢、子供、高齢者」のはずなのに、現状「高齢者、子供、生産年齢」の順で優遇されてるよな。(子供は一番でも良くて、一番最後に高齢者であれば良い)
生産年齢が一番辛いから、それを見た子供は悲観しがちだし当事者たちも現実見てる。晩婚化、子持ちなしが経済合理的な選択。片方だけでもめちゃくちゃしんどいのに介護しながら子育てとか地獄でしかないだろ。それで会社行って労働で成果出さないといけないんだぜ?禿げるわ。認知症の相手とかもっと無理。俺がそうなった時は殺してくれよな。
あいつらべつに社会を進めるわけじゃないし、ネット社会となった今は有難い知恵を授けてくれるわけでもないし、未来にとって重要な決断をしてくれるわけでもないやん。もちろん、農業とか労働、あるいは子供の世話してくれるならまだ全然良いよ。
かといって、最新技術やイノベーションをもたらしてくれるわけでもなく、ただただ停滞・現状維持するのみ。それが生産しない奴かつ高齢者は死んでくれという願いの背景になってる。
維持できるサイズの社会の話したけど、少なくともテクノロジーによって少子高齢化の構造が維持できてるだけであって、超少子高齢化が進んできたらもっと無理ゲーになることは目に見えてる。そういう技術投資もしてくれるんですかね?理解あるんですかね?ロボットやAIとか自動化進めて、生産性あげてくれるんですかね?電子化の進みが遅いのって大体どの層のせいですか?子供はスマホやタブレットを嬉々として使いこなしてますよ。ちょっと抽象ワード使って強引になってきてるけど、全体的にそうだから勘弁な。
あと一番ムカつくのは自分たちがそういう厄介な存在だと自覚していない、あるいは行動に反映されていないところ。最近の若者はーとか思ってるんだろ?でもその実自己保身しか考えてなくて、政治も政治で高齢者主導です。経験豊富だから安心ってなんだよ、耄碌してるだろ。そいつら含め老害乙です。
コロナウイルスで、ちょっとは少なくなってくれるかなーーって思ったけどあんまり減らなかったなー。ワクチンも高齢者最優先で当てられてたのはワロタ。
シロクマ先生の反出生主義=優生思想であるという議論なんだけど、はっきり言って何周遅れなのだろうかと思っている。
ずっと社会から虐げられてきた喪女は、子供を作る気力すらなくしている場合が多い。
はっきりと「ブスは子供を産むな、それは虐待だ」と言われたこともある。
仮に自分が子供を作ったりして、自分の醜い顔の遺伝子が子供に遺伝したらどうすればいいのか。
自分のようなブスは子供を作らない、それが子供に対するおもいやりになるのではないか。
シロクマ先生の言説を読んで一番ダメージだと感じたことは、容姿の悪い人間=優生主義の差別主義者である、と言われたような気がしたことだ。
他人に向かってブス!と中傷する人間と、自分自身をブスだと自虐して「子供を作るべきではない」と自戒する人間は、違うように見えても実際には同じなのではないか。
優生主義というのは、ナチスを見ればわかるが「国家の為に優秀な遺伝子のみ残そう」という主張でありその悪性は「誰を伴侶とし子を為すか(あるいは為さないか)という基本的人権を制限して、国にとって都合がいい形で子供を作らせる」という横暴に他ならない。優生思想の問題点は優秀だのなんだのといった理由は本来関係なく、目的がなんであれ「個人の領域である生殖に対し第三者が介入しようとする」のが問題なわけである。そしてこの第三者が国家など権力者である場合は、優生主義という抑圧になる危険性があるわけだ。
そこへいくと弱者男性なる人々は(の一部かもしれないが)、女性の「誰と生殖行為をするか」という基本的人権に対し「そんなだから少子化が進む」やら「選ばれない男が無敵の人になったらどうする」やら「選ばれない男性の幸福度が下がる」やらと、社会の為に我慢すべき!と制限をかけようとする。これは「社会の為に生殖行為をすべき」という考え方であり、優生思想なのではないか?
優生主義っていうのは、本来「誰を好きになって子供を作るか」っていう個人の最低限の尊厳をに対して第三者が介入して「国の偉いやつや多数派が決めた“優秀な遺伝子”を残すべき!=社会に都合のいい生殖をしろ」って押し付けることを言うんだよ。だから「誰かに押し付ける」をせず自分の好き嫌いで相手を選んでる限りは優生主義の主体でも客体でもないし、むしろインセルの「少子化解決や男男間の不公平解消の為に高望みするな=社会に都合のいい生殖をしろ」という押し付けの方がよっぽど優生主義近いのでは?
結局家族制がある限り「他人より有利に子育てしたい」って願望は消えないじゃん?
正社員になって十分な福利厚生の恩恵にあずかりたいという欲望、夫婦2人十分な収入を得た状態で子育てスタートさせたいという欲望、子供の競争を有利に導く形質(容姿や頭脳)を遺伝させたいという欲望、子供に潤沢な文化資本を与えたいという欲望、保育園併設のタワマンに住みたい、幼稚舎受験させたい、etc……
こういう欲望を前提として恋愛自由主義という名の優生思想が回ってる(自由恋愛自体が優生論の文脈で日本に持ち込まれたことに関してちくまから本が出ている)以上、いったん人間から子育てを取り上げないことにはルッキズム・メリトクラシー敗者の男女にはどうやっても挽回の目がないと思うのね(まぁ、キモカネ女性は子育てに巻き込まれないほうがもしかしたら幸福度が高いかもしれず、似たような境遇の男女間にある「救済しろ」という声の大きさの互いにはそれが関わっているかもしれないが……)
これらの欲望自体は社会によって規定されている部分があるから、ある程度は再配分によって是正されるかもしれないが、かと言って社会構造がすこし変わったところで結局「競争に有利とされる形質」がすこし変わるだけで競争自体の生み出す苦しみは避けられないと思うのね
子育てが、生存が、競争だから苦しいのよ(それを調整するのが修正資本主義の政府の役目だとは思うが、まぁ、現状はご覧の有り様で……)
特に男性の言う「生きやすさ」に「子孫の残しやすさ」が含まれてるとしたら、たぶんただ再配分するだけで救済されるとも思えないよね、ただ多少金を持たせて「選ばれやすくする」ということしかできないんだから(そしてこちらを選択すると相対的に女性が貧しくなり、男性へ、家へ、子供へと縛り付けられていき以下素敵な無限ループ)
そんなことをつらつら考えてみて、あてがえ論とか女性の自由意志の尊重とか、そんなことでヤイヤイやり合ってもあんまり芯を食ってる気がしないなぁってずっと思ってんのよ
家族制ドリブン、子育てドリブンの欲望が、つらい競争とその結果の格差を生んでるんじゃないの?
まぁこの辺はもうすでにマルクス主義で通った議論ではあるし、かなり赤い主義主張であることは否定しないんだけどさ……
たとえば国民は求められたら卵子や精子を提供する義務があるだけで、子供は国が勝手にAIで多様性を保持しながらマッチングして作って、知らないところで職業的に子育てや教育に従事する人々が育てて労働人口として送り出す
整形当たり前だったり、バーチャル空間で望みのVアバター纏って生活するのであったり、方法は問わないけど、生まれ持った見た目や能力を問われない世界であれば、ただパートナーとして共に生きていくことを選択するハードルは「友達になる」程度には大きく下がるんじゃないか?(この辺は希望的観測であり、コミュ力はどうしても必要になるだろうからなんか自分で言ってても厳しいような気がするが……)
こうなってくると過去のSF文豪たちがディストピアとして警告した世界そのものではあるんだが、労働人口を確保せざるを得ない以上、競争による過度な苦しみは避けるにはこうなっていくしかないと思うのよね
個人的に、どうやっても「今生きてる人間のために次の世代の人間が労働してくれることが必要な世界」では、この選択は俺は別に悪くないと思う
いつかこの苦しみの連鎖を技術が止めてくれることを願ってる(が、多分資本主義の世界からはその技術は生まれないだろうと思う)
優生主義を考えるにあたって、進化論の適者生存のコンセプトが重要になる。
「この生き物が今ここにいるということは、この環境に適合したからだろう、いない生き物は環境に適合できずに死滅した」
という結構シンプルなものだ。別にその個体が優れているわけでも劣っているわけでもない。「生き延びたからここにいる」ということだ。
優生主義においてはこの「適者生存」のコンセプトが「優れているから生き延びた」にすり替わっている点だ。たまに創造論とかのアンチ進化論者のなかにわざわざこの優生思想を持ち出してだから進化論は間違いだという論をはる人がいるがお前も間違ってるからなとか突っ込みたくなるが閑話休題。
優れているから生き延びたのなら優れた遺伝子だけを次代に残せばもっとすごくなるんじゃね?という考えになるのだけど、そもそも生き延びる条件に優先劣後なんかないというポイントを思い切り間違えているという点で優生思想はおかしい。もっと言うなら間違っている。
優生思想を弱肉強食にまで昇華させてしまったのがナチスドイツだ。その結果虐殺行為にまで及んだわけだが、このときの優生思想、と言うよりは、食べる側に回る強者の条件、というのが政治的に決められたという点だ。科学的にではない(そもそもそんなのを決める科学はないと思うが)。
というように優生思想の問題は「何を持って優れているか」の基準がないという点だ。言う人が言うなら「単なる一左翼思想」でしか無い。
ちなみに優生思想が本当に間違っているかと言うと、ある意味正しい。競馬のサラブレッドなんかはまさにそうだろう。ただ、これは競走馬を競馬場で早く走らせるという限定された条件のもとでの優生思想なので、成立する。
単純に「優れた馬だけを残したい」といっても、優れた馬の条件は時と場合によって変わる。早く走れる競走馬、重い荷物を引っ張れる馬力のある馬、御者のコントロールをキチンと理解できる馬車馬なのか、馬という動物にすら簡単には当てはまらない。
社会、環境条件が変わるので、ある一瞬優れている(様に見える)特性が永続的に優位を保てない。
したがって、多様性を確保しておこう、という戦略に落ち着いている。
ここを行ったり来たり出来ると最強かも。
ちょっと前まではこんなこと言うやつはよほど知能の発達に支障をきたしているか分かっててネタで言ってるんだろうと思ってたんだけど、去年くらいからいわゆる「普通の人達」の話を聞く機会が多くあって「あれ?ひょっとして日本ではそっちの考えがデフォなの?」とちょっと困惑というか落胆してるんだけど。まあそれはそれで知能の発達に支障をきたしてると言えるんだけど。それでもあまりにも「そっち側」の人が多すぎるんで、ちょっとね。
簡単に言うとな、個人というのはただ個人が存在するから存在しているのであって、社会のために社会の役に立つために社会をよくするために個人が存在するわけじゃねーんだわ。話が逆。社会というのは個人に奉仕するために個人の集団の合意の上に形成されるもんだから「社会をよくするために」個人を虐げてたら意味がねーんだわ。だったら初めから社会はいらねーわけ。もちろん個人は自ら合意した上で社会に参加してるわけだから社会(自分たち)のきまりは守らなくちゃいけねーよ? 守りたくなければ参加しなければいいだけの話だから。自分で選んだことはちゃんとしようや。人間として。
だけどな、それと「能力が上だから」とか「上位互換下位互換」とかは関係ねーんだわ。個人は全部違うってのは単なる事実で良い悪いじゃねえの。個体の発生の仕組みとして個人は全部違うようになるようにできてる。だがそれを横に並べて「上だ下だ」とか果ては「上は良くて下は悪い」とかってのは人間がいろいろ作った価値観の中のひとつに過ぎねーんだわ。絶対じゃないの。そして近代民主主義社会ってのはこの「人の間には上下があります」っていうアイディアを明確に否定するところからスタートしたわけ。わかる? 俺たちは自分で選んで「人間は平等です」ってルールを作って、そのルールのもとに運営される社会に参加することを自分で毎日選んで生活してるわけ。自分で選んだことはちゃんとしようや。人間として。それが嫌なら参加しなければいいだけの話なんだから。
で、優生思想だろ? 明らかに間違ってるよな? 社会より前にまず個人がいる。個人の中にはいろんなやつがいる。たまたま社会に役立つ能力に秀でてるやつもいればそうでないやつもいる。または特に理由もなく何となくエエなとされている形質(目が青いとか)を持ってるやつがいる。ここまでは単なる事実だ。優生論というのはこの事実の上に「人間の作った価値観の尺度(頭いいだとか背が高いだとか)に沿って人間に上下をつけて異なった扱いをすることを正当化しましょう」という思想だな? それは「人間は平等だ」というルールがある社会の外でやってください、という話になるわな。優生論は「その方が社会の為だ」とかいう詭弁を「自分の価値観」を正当化するために使うわな。それは俺たちが自分で選んできまりに同意して参加してる「平等な社会」とは別の社会だわな。どうぞ他所でおやりください、となるわな、当然。「そんな社会は虐げられる個人の為にならない」んだから。
わかるか? 世の中に絶対の悪なんてねえ。能力の低い自分が恥ずかしくてしょうがなくて「生まれてきたくなかった」と思うのはおまえの勝手だ。おまえがそう思うならおまえの価値観に賛同するやつを集めてダメ人間は最初から生まれてこない社会を作ればいい。そのことに構成員全員が同意してればおまえを止める奴は内にも外にも誰もいないだろう。そんなもん相手にしてられっか、馬鹿馬鹿しい。
世の中にはな、他人よりできなくても人生楽しんでるやつはたくさんいるんだ。そして俺たちは個人一人一人の幸福を実現するために一生懸命この社会を維持してるんだ。たとえそれが「完璧な社会」でないとしてもな。社会より人間の方が大事だからな。おまえはおまえの惨めったらしい自己憐憫をカワイーカワイーしてればいいだろう。そんなおまえにも社会の中で生きる権利は保証されてるし、嫌なら自分の足で歩いて出てくことさえ自由なんだからな。
ということだ。「自分の価値観」を「社会正義」とはき違えるな。自分のつまらん劣等感を社会のためとか言って正当化するな。
本当の社会というのはな、そこに暮らす人達は、おまえの程度のよくない妄想なんかよりもずっとずっと良いもので幸福なんだ。
そしておまえでさえそこに参加することが許されているんだ。おまえがそうしたければな。全て自分次第なんだよ。他人のせいにして逃げるのはガキだけだ。
資本主義というゴリゴリの優生社会に受け入れながら優生思想をよく徹底的に批判できるね。
もはや遺伝子並に継承される資本により、金、教育、教養という遺伝子なんかより明確に差異がつく優生を継承して、
劣った者は優れた者に勝てっこなく場合によっては死に、生活保護を取ったら優れた者に「俺たちの金でぬくぬく生きる穀潰し」と罵られる。
正直、優生思想のほうがよっぽど優しいと思うくらい優生社会の方がエグいと思う。
直接手にかけなければ綺麗なのか。