はてなキーワード: 優生とは
「護られなかった者たちへ」って映画、評判良いみたいだけど主演が佐藤健なせいで見る気しない……
羽生結弦とかも、持て囃されているのが許せない
一重まぶたは女だとそれだけで人権を認められず、蛇蝎の如く嫌われて整形を余儀なくされるのに
なんで男だと人権を認めれてしかもイケメン扱いされるの?って違和感が募る
一重の男が何故かイケメン扱いされてちやほやされ、結婚してその遺伝子を残すのが許せない
それで生まれるのが息子だけだったならいいが、娘が生まれて一重になったら地獄じゃねーか
まぶたは二重の方が優生遺伝(今は顕性っていうんだっけ?)らしいけれど、それでも親がその遺伝子を持っていたら子供に発現する可能性はあるし
子供への遺伝を考えたら「男も女も一重でもいい」か「男も女も二重じゃなきゃ駄目」かのどっちかになるべきなのに
なんで男は一重でもいいけど女は駄目なんだよ
■https://anond.hatelabo.jp/20211016225004
そのルッキズムが求められてるのって女に対してだけだよ
男は女だったらブスブスと叩かれるような一重まぶたであっても何故かイケメン扱いされてるし
■
「女は男よりも目が大きくぱっちり二重であるべき」も立派にステレオタイプだと思うよ
中国も日本も、欧米の押し付けるステレオタイプには反発するくせに自分達が自国の女性に押し付けるステレオタイプは無視するダブルスタンダードだからどうかと思う
■https://anond.hatelabo.jp/20220122221212
んな訳ねーだろ
hydeや西川貴教のような身長の低い男でもイケメン扱いされている時点で
■https://anond.hatelabo.jp/20220122221212
りょうとか常盤貴子みたいな一重や奥二重でも美人扱いされてた時代もあった
女の容姿への誉め言葉が「美人」から「可愛い」オンリーになって、
■https://anond.hatelabo.jp/20220122221212
「イケメン」っつーから顔の話かと思ったら殆ど身長と筋肉の話じゃん
男は一重瞼や面長でもイケメン扱いされてる時点で、イケメンの基準は全く画一的じゃないと思う
羽生結弦とかも細マッチョ通り越してガリガリな上に一重瞼だけどイケメン扱いされてるだろ?
あの手の顔は女だったら絶対ブスブス言われて潰されてた
(略)
本当の意味で美容整形に反対していいのはブスに生まれついたけれど整形なんてせずにありのままの顔で生きてるブスだけじゃないか
で、自分はそういうブスなので美容整形そのものには堂々と反対しているけれど、でも美容整形に反対するならそもそも二重至上主義の社会の方を先にどうにかしろよと思う
こんだけ女の芸能人は二重だらけ、一重に人権無しという社会で美容整形だけに文句を言われても矛盾にも程があると思う
イタリアかどっかでは体脂肪率何%未満の痩せすぎモデルの採用を禁じてたらしいし
そんな感じでモデルの何%以上は必ず一重瞼にすべきとかやれば?
■
性淘汰圧によって将来の日本人は最適化されていくって予測は部分的には正しいと思うけれど、
少なくとも現状では男女でそれぞれ好まれるルックスに違いがあるので完璧には働かなそう。
例えば男は一重でもイケメン扱いされるけれど女は絶対に二重じゃないと駄目!!
例えば男はガチムチ骨太でも許されるけれど女は細身華奢じゃないと駄目!!
(略)
だって少なくとも容姿における性淘汰圧は、女性に対するそれの方が圧倒的に強いじゃん。男は一重瞼でも許されるのに対して女は二重じゃなきゃ認められないし、それに加えて奥目人中中顔面口ゴボ骨ストとどんどん女の外見侮辱用語が発明されて際限がないぞ?自称弱者男性だって平均以上の容姿の若い子可愛い子に集中してるじゃん。恋愛が無理ゲーなのは女にとってもだよ。
(略)
[B! はてブ] 『20代独身男性「4割がデート経験なし」内閣府の調査』へのコメント
たとえば距離感を掴むのが苦手な男がいたとして…
友だちとして信頼関係を築いた後に告白しても、ビックリされて『ぬいペニ』と呼ばれる。
恋愛の「リスク」などと表現するのさえ、DV予備軍・性犯罪者予備軍とみなされる。
“ 男女がドアの閉じた部屋で二人きりにならないようにする ”
最初は、敏感な塾講師や教師が保身のために気をつけはじめた事だった。しかし最近ではエレベーターに乗り合わせたときにも、譲ったり降りたりしてほしい、という声が支持される(私はその状況を『エレベーター同衾』と名付けた)。
会社の飲み会を不意のセクハラ発言を防ぐために男女別で行って良いとする意見が人気になるのも無理はない。女性を「かわいい」と褒めることさえセクシャルハラスメントと言われてしまう時代なのだから。
若い人はもう、大半が恋愛経験はなく、男性の半数はデートの機会にさえ恵まれない★。
男女の距離感を掴むのが苦手な人は練習する必要があるハズだ。だが未熟なままに不器用なアプローチを実践すれば、誰かは必ず傷つく。
先進的にアップデートされた価値観の元では、もちろん女性を犠牲にするなどは許されない。
かと言って義務教育で恋愛術を教える方針も不人気だ。ひとりぼっちのままでいる選択は尊重されねばならない。内向的な子を無理に引っ張り出して傷つけるなど以ての外である。
個人の権利を尊重したい。しかし国を支えるために子どもたちは必要だ。
結婚支援として経済的なサポートを拡充したとしても、コミュニケーション能力を欠いた男女では結婚生活は早期に破綻するだろう。状況の深刻さ★を鑑みるに、子持ち既婚者に第二子を期待するのではまったく足りない。
だから、精子バンク活用+シングルマザー支援 が不可避の選択肢になる。
女性が他人の身勝手さに振り回されずに、自分の女性性を自由に活用できるチャンスのある社会へ。
この方法は、恋愛を介さずに将来を担う人材を確保できる、日本に残された唯一の希望なのだ。
オレって妙な性質を抱えていて、半年に一回くらいのスパンで滅茶滅茶に内向的になるんだ。
数日間、部屋の隅っこで過去を思い出し、ひたすらに反省を続ける暗いキノコとなる。
納得のいかない疑問を引っ張り出して、ああでもないこうでもないと、出口のない議論に浸る。
今日が2日目なんです。
若かりし日、中学生のころ友だちの女子に哲学的な話題を吹っかけて、逆ギレされた。
その事件が生んだヘイトが結局、後の告白の失敗を招いたのでトラウマになった。
「優生思想って何でダメなの?」——…切り捨てられる人たちが可哀想だからでしょ
「遺伝子に改変を加えて生まれてこないようにすれば」——…絶対上手くいく改変なんて出来っこない
「研究を重ねればいいじゃん。そうやって科学は進歩してきたんだし」——…
しかし、もしその先があるとしたら。
「でも社会を回していくリソースは実際には限られているよね。現実から目を逸らして『どんな形質も受け入れ可能です』って顔をするのは何も知らされず生まれてくる子どもたちに不誠実なんじゃないの?」——… 顔がキモいとかで虐められたとしても、そのお陰で人に優しくなれるかもしれない。どんな形質だって不幸を招くとは限らない。そんな風に、可能性の先は読みきれないよ
「平均的な乳房のサイズが大きくなりつづけたのは個人レベルの優生主義が機能した証拠だ。ムネのサイズなんて性選択以外で役に立たないのにさ」——…
「どんなとき優生主義はセーフで、どんなときに優生主義がアウトなのか。そうなる理由は何か。自分の頭で考えていれば言葉で説明できるはずだよね。それが出来ないなら、『優生主義がダメ』なんじゃなくて『みんなに従わないのがダメ』ってことでしょ。多様性は、どこへ消えた?」
私は、元々々々々々増田、元々々々々増田、元々々々増田、元々々増田、元々増田、元増田、どれでもありません。
誰一人としてソースを読んでないようなのが気になる。
増田C(口が悪い)の*2で「オランダでは背の高い人たちが背の低い人たちより多くの子供を残した結果として全体の平均身長が150年で20cm高くなった」ことが科学的な調査で示されている。オランダ人はまだ絶滅していないし、他の集団と比べて突出した健康被害があるという話も聞かない。
だから増田D(”私は集団遺伝学系の論文も書いたことがある程度の人間”)の
という意見(個人の感想)は書く前から間違っているし、そのことは明示されている。
”集団遺伝学者(をほのめかす)”増田Dが反対意見を言う前に明示してある参照文献を読んでないのがおかしいし、集団遺伝学者がこの話を知らないということがすでにちょっとヘンだ。
増田Dがやったのは
これだけ。
ようするに
科学的な議論になっていない、というか増田Dが正しいと考えうる客観的な根拠がどこにもない。増田B(”ゲノム科学者”)の言ったことを「肩書」だけ変えて繰り返しただけだ。今回は間違いを指摘される可能性のある「自分で説明すること」さえ放棄している。
元増田(このコメントの一個上)を含む多くの人が言っている「増田C(口が悪い)は『自分が優生学に賛成か反対か表明』してない」というのは科学的議論には関係ない、というか表明しちゃいけないこと。読む者にバイアスを与えるし「倫理的に賛成できる方が科学的に正しい」と判断する者が出てくる。「(裏付けのない)権威・肩書の自称」もこれ。中身を読むより先に「この人が言っていることは正しい」ことになっちゃう。肩書に裏付け(自著論文の引用・第三者が肩書通りの人物の存在を確認できること)があれば信頼性を高めるが「自称だけ」では読む者にバイアスを与えるだけだ。増田Dは「私は集団遺伝学系の論文も書いたことがある程度の人間」と言っているだけなのに元増田(このコメントの一個上)も「実力派」という評価をしている。(「書いた」と言っているのにその論文を参照(サイテーション)していない・「査読誌に掲載された」とは言ってない・「集団遺伝学”系”の論文も書いたことが”ある程度”」と、明言を避け印象の話しかしていないにも拘らずだ。その論文の内容さえ分からない)
増田Dは科学的議論に必要なこと(実例・データ・調査結果の明示)はほぼ何もしてないし、やっても意味のないこと(客観的な根拠なしの「私は思います」)やらない方がいいこと(裏付けのない権威の自称)はいくつかやっている。科学的議論にはならないが「はてなでやらなければいけないこと」は要領よくカバーしてるので結局、「はてな内での評価」が目的だったということだろう。
ごめん!!!やっぱ元元増田そんなに間違ってなかったかも。元増田とも元々増田とも違う増田です。元元増田を勢いでブコメでDISってしまった。ほんとすまん!!!
以下はわたしの見解です。(私は集団遺伝学系の論文も書いたことがある程度の人間ですが、書いたのは昔の話なので、もし間違ってること書いてたらごめんなさい)
元元増田のこの部分:
遺伝病の断種は、遺伝病の根絶について特に有効ではないと考えられています。まず、潜性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、両方の染色体に、多くは遺伝子機能欠失型の遺伝子変異があると起こります。親は、片方しか持っていなければ健康なのですね。すると、両方の遺伝子変異を持つ遺伝病患者を断種させたところで、片方だけを持つ親が世の中にたくさんいるわけです。どれくらいの数いるか?実はね・・・地球上の全人類で、これを持ってない人はいないと考えられています。今、個人の全ゲノム塩基配列決定とか普通にできてますからね。観察的にそうです。さてそれでも、両方の遺伝子欠失を持つ遺伝病の人を断種させれば、徐々に遺伝病は減っていくでしょうか?実はね・・・そうならないと考えられます。ハーディ・ワインベルクの法則って言うんですけどね。
この部分は、元増田のブクマでurashimasanさんが指摘されているとおり:
いやいやいや、この増田も誤解している。HWから導かれるように、個体数が多くなると淘汰圧が最大でも劣勢変異はほぼ無くならないし、人類の現状はそれ。現実的な世代数に渉って劣勢ホモを除去し続けてもほぼ無意味。
という側面もあり、少しは減ってはいくんだけど、断種政策が"有効(*)"と言えるほど減るかというと全くそうではないだろう、という意味では元元増田の方が正しいかもと思いました。(いきなりハーディワインベルク則が衒学チックに出てくるから面食らいましたが、urashimasanさんのコメントで私は納得しました【追記4 ここの書きぶりは少し雑だったかもしれません。ハーディワインベルグそのものというかホモ接合頻度が自乗のため小さいことが重要で、除去するには長期の世代時間が必要ということが重要かなと思いました】/でもこの説明でここでハーディワインベルグをこういう形で出す人は少ないとは思う)[(*)ここではひとまず、(仮に倫理面をほぼほぼスルーした上で)人類に対して達成可能な淘汰圧の範囲内で、社会に実質的な影響を与えるほどの効果が得られる="有効"と定義します]
この件については、「率」のオーダーの議論としては、元増田が言うことの方が私としては納得感がありました。(とはいえ私の意見としては、多かれ少なかれみんなある程度はマイルドな有害顕性遺伝子もってたりするだろうので、もしそういうマイルドな有害顕性遺伝子(を持つ少し調子悪いだけの人々)を全部"断種"していこうみたいになるのは全く"有効"ではない(キリがない)ようにも思うし、一方で、強い有害性を持つ顕性遺伝子はそもそも集団内で拡がりにくい(からわざわざ断種によって拡大を防ぐ意味が乏しい)ので、その意味では顕性有害遺伝子への断種政策もやっぱり全く"有効"でないのでは、とも思う次第です)
これはどちらかというと(少なくとも「平均への回帰」という概念自体については)元増田の方が誤解していて、元元増田の方が正しいように思いましたが、元元増田の「正規分布」を持ち出す説明にも確かにちょっとピンと来ないところがありました。
私としては、cartman0さんの元増田のブコメでの以下の指摘が一番適切と感じました:
この増田も平均への回帰勘違いしてない?遺伝関係なくランダム要素で親の身長が高い低いケースが根本で、次の子はそのランダム要素がならされて全体集団の平均へ回帰する。そのケースを考えると優生学の効果はない
【追記1:補足すると、現象としての「平均への回帰」の原因としては、(1)ランダム要因(形質のランダムな上振れ/下振れ)に起因するものと、(2)極端な同類交配等が生じていない限り、極端な形質を持つ個体の配偶相手は(極端な個体よりも確率的に)平均的であることによるもの、であると私は理解している。どちらも、極端な形質が進化しにくい/させにくいことの理由となる。尚、もしかしたら「平均への回帰」概念の理解にはいくつかの幅があり、異なる概念理解の仕方がありうるかもしれません。】
【追記2:優生学は同類交配前提でしょ、というのはその通り。ただし、ある個体がもつ"極端に良い形質"が希釈化(平均化)されないような、「"良さの方向"がバッチリ合う配偶相手」を選ぶのは現実には簡単ではない、という話でもあります。名馬✕名馬が必ずしも名馬を生むわけではない、みたいな話の説明の一つとして捉えていただければと】
【追記3:もちろん外部との交配が自由に行われていない隔離集団に対して強い淘汰圧を継続的にかけつづければ平均値自体も変化します。「平均値への回帰」はなかなか思ったとおりに育種できない要因としてはこういうものがありますよ、という話です】
ここは元元増田が出した事例とレトリックと議論がちょっと胡乱なところがあって、元増田がツッコミたくなる気持ちも理解できるところです。まあでも多遺伝子型の形質に淘汰かけたときどうなるかはよう分からん、という元元増田のメインの主張はまあそうかなと思いました。
その一方で元増田の
優生思想がダメなのは「科学的に間違ってるから」でも「有効じゃないから」でもないんだよ。優生論の生物学遺伝学的手法が有効なのは動植物の繁殖で既に実証されてるから。元増田が優生学とは何かをそもそも理解していないのは確かだが、おまえの言ってることもほぼすべて間違ってる。
の部分については、「優生論の生物学遺伝学的手法が有効なのは動植物の繁殖で既に実証されてる」と言っても、動植物の育種レベルの苛烈な淘汰圧を多くの世代にわたってかけても理想どおりの形質を得るのは簡単でないのに、数世代にわたっての「育種レベルの淘汰圧」なんてかけられるわけのない人類に対して「優生論の生物学遺伝学的手法が"有効"か」と言われたら、私は全く有効でないと思います。【追記5 後から思ったので追加しておきますが、単純な話として、そもそも人類は世代時間が長すぎて育種の対象として向いてないというのも"有効性"を考える上ではかなり大きいかなと思いました。たとえば象(繁殖最盛期35-50齢)を育種しようと思っても人間の寿命では短すぎて実際問題として難しいのと同じ話で】
ともかく、言いたいのは、元元増田を勢いでブコメでDISってしまったのは本当にすいませんでした、ということです。反省します!(あとブコメ内にキラリと光る本物の識者の皆様に感謝です)
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もうなんか間違ったことしか書いてなくて増田が何でこんなもの書こうと思ったのかちょっと意味が分からないんだけど
一応気になったところだけ訂正・説明を入れておく。(ほぼ全文にわたっているが…)
途中で「なんでこんな中間テストの採点みたいなことやってんの…」みたいな気分になったけど
万が一これを読んで本気にしている人がいるといけないので義務感で最後まで書きました。
あまりの衝撃に最初からテンション高いですけどね。もう疲れたからこのまま上げます。
なんなんやいったい...
遺伝病の断種は、遺伝病の根絶について特に有効ではないと考えられています。まず、潜性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、両方の染色体に、多くは遺伝子機能欠失型の遺伝子変異があると起こります。親は、片方しか持っていなければ健康なのですね。すると、両方の遺伝子変異を持つ遺伝病患者を断種させたところで、片方だけを持つ親が世の中にたくさんいるわけです。どれくらいの数いるか?実はね・・・地球上の全人類で、これを持ってない人はいないと考えられています。今、個人の全ゲノム塩基配列決定とか普通にできてますからね。観察的にそうです。さてそれでも、両方の遺伝子欠失を持つ遺伝病の人を断種させれば、徐々に遺伝病は減っていくでしょうか?実はね・・・そうならないと考えられます。ハーディ・ワインベルクの法則って言うんですけどね。
まず、
「ハーディ・ワインベルクの法則って言うんですけどね。」じゃねーよ。
選択があるのに対立遺伝子(A、a)や表現型(AA、Aa、aaの組み合わせ)の頻度が変化しなければハーディ・ワインベルクの法則じゃないだろ。
潜性のホモ接合aa(つまり発病してる人)を継続的に人口から取り除いていけば人口中の対立遺伝子Aに対する対立遺伝子aの頻度は低くなるにきまってるだろ。
対立遺伝子aの頻度が低くなるんだからAA、Aaの組み合わせに対するaaの組み合わせの頻度(発病する人の割合)は低くなっていくにきまってる。
つまり両方の遺伝子欠失を持つ遺伝病の人を断種させれば、徐々に遺伝病は減っていくんだよ。ハーディとワインベルクによれば。
学部レベル以下の知識がないぞ自称ゲノム科学者。というか論理的な思考が出来てないだろう。どうやって大学はいったんだ?
頑張れ。もっと頑張れ。
さてそれでは、顕性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、染色体の片方にでも遺伝子変異があれば発症するもので、つまり、遺伝病を発症している人を断種させれば理論的に根絶できます、が、実はね・・・ヒトゲノムには突然変異が起こるのです。もちろんこれが進化の原動力なわけですが、これにより、顕性遺伝病も発生します。つまり、両親が健康で、遺伝子変異を片方持つわけではない場合でも、子に突然変異が発生して顕性遺伝病は起きるのです。デノボ突然変異って言います。
「実はね・・・」じゃねーよ。今どき突然変異が起こることを知らねー人間が存在するのか? 進次郎か。プラスチックの原料か。
そもそも突然変異の発生率がとても低くて、ひとつの遺伝子につき平均で一世代で一万分の一から百万分の一(*1)。しかもアミノ酸のコドンには冗長性があるからベースペアが一ヶ所変異してもアミノ酸は変わらないことの方が多いし、アミノ酸がひとつ変っても即タンパク質の働きに影響が出るわけではないから機能不全が新たに発生する率は実際にはひとつふたつ低いオーダー(十万分の一から一億分の一)。
だから新しい変異による発病はほぼ無視できるんだけど、実際の変異率がいくつにしろ発生率より速いレートで変異を取り除いていけば全人口中の有病者の割合が下がっていくのは当たり前のことだし、変異を取り除かない場合の有病者割合の増加率は継続して取り除いた場合に比べれば絶対に高くなる。当たり前の話だ。
そもそも(十万分の一から一億分の一の確率で)「子に突然変異が発生して顕性遺伝病は起きる」ことと「顕性遺伝疾患を持つ親の子供は100% 50%-100%の確率で(素で間違えた。恥ずかしい)おなじ遺伝性疾患を持つ」ことは別の話だ。子に突然変異が発生して顕性遺伝病が起きたら当然「その子が」生殖することを許さず新たな有病者の発生とそれによる社会の負担の増加を防止しようというのが優生思想だし、それは可能なんだよ。
優生学は「特定の個人が病気を持つかどうか」の話じゃあない。優生学は集団遺伝学の話(集団中の有病者の割合・それがどう変化するか)なんだよ。この違いが分かってない生科学者なんて存在するのか?
有効だよ。上に書いた通り。「抑制」は「根絶」じゃないしそもそも根絶は目指してないから。
問題は「個人に遺伝病が起こるか起こらないか」じゃないんだよ。問題は「全人口の中の有病者の割合をどう抑えるか」だよ。
さて、ここまで読んでくれば読者は気づいたでしょうが、運動能力、見た目の美醜、学歴、といったものは、これは単一遺伝子型ではありません。もし、学歴を問わない父親と、東大卒の母親から生まれた子の1/2が東大卒になると言うなら、これは単一遺伝子型の顕性遺伝と言うことになりますが、そんなわけはありません、経験的に。誰も行かないこともあるし、佐藤ママみたいに4人全部行くこともあるでしょう。単一遺伝子型なら、こういうばらつきは起きません。ばらつきが起きるが、一定の遺伝性はあるように見える形質、これは多遺伝子型です。
ちょっと待て。
「単一遺伝子型なら、こういうばらつきは起きません。」じゃねーよ。
たとえ「東大卒業する」が顕性単一遺伝子だとしても子供がその顕性遺伝子をもつかどうかは確率の問題で、必ず「生まれた子の1/2が東大卒になる」わけじゃねーだろ。ひとりひとりの子供が「東大卒業する顕性単一遺伝子」を持つ確率が1/2なら「子供4人中誰も東大卒業しない」も「4人全員が東大卒業する」も6.25%の確率で(ばらつきが)起こるだろ。
性染色体はひとつの遺伝子じゃないけどXとYはクロスオーバーしないから単体として遺伝するだろ? 男が生まれる確率(子供がYを持つ確率)は常に1/2だな? それでも全ての家庭で常に「生まれた子の1/2は男」になるか?経験的に。誰も男じゃないこともあるし、佐藤ママ(誰やそれ)みたいに4人全部男のこともあるでしょう? 遺伝というのは確率だから顕性だろうと単一だろうとばらつきは起こるんだよ。
この多遺伝子型の形質には、単一ではないとするならどれくらいの数の遺伝的変異が関与するでしょうか。これはここ10年くらいで確定してきた最新のところではあるのですが、どうも最低数千あるようです。それぞれの形質に、それぞれ数千です。こんなにたくさん因子があるとどうなるかというと、中心極限定理により正規分布します。多遺伝子型の形質は、正規分布するのです。すると何が起こるでしょう?
平均への回帰です。
「平均への回帰です。」じゃねーよ(笑)溜めをつくって関係ねーことを言うな。渾身のボケか。(ちょっとウケた)
無数の試行の平均が母集団の平均値に回帰するのは母集団が(またはサンプルが)「正規分布だから」じゃねーよ。大きい値も小さい値もランダムに抽出するからだよ。
親と子の身長に相関があり、長身の親(正規分布の一方の端)だけ取り出したら(つまりランダムではない。これが優生理論)、その子供の平均身長は「長身の親の平均値」に近づくにきまってるだろ。「長身も低身長も含めた母集団の平均値」に回帰するわけがない。
おまえ本当に大丈夫か? なんかわざと間違ったこと言おうとしてる? ツッコミ待ちか?(たぶんそうなんだろうなぁ...)
いみじくも優生学の創始者ゴールトンが明らかにしたのが、親の身長とその子の身長を比較すると、極端に身長の高い親の子は、どちらかというと平均側、普通っぽい身長の方にシフトする、と言う現象です。それで回帰というわけですね。平均に戻る、ってことです。
ゴルトンの観察が平均に回帰した(ように見えた)のは実験の条件が一定じゃなくて子供のサイズが親のサイズよりも環境から受ける影響の方が大きかった(つまり親のサイズという変数に対して無作為抽出になっていた)からだろ。だいたいゴルトン自身が気付いて生物学的根拠のない統計上のアーチファクトだって言ったものを掘り出して差し上げるな。晒し上げか。
どういうことでしょうか。メジャーリーグMVPの大谷翔平の子は、みんなメジャーリーグとかよりもずっと普通っぽい才能になるだろう、ってことです。ええ、皆さん、知ってますよね。長嶋茂雄の子もそうだった。野村克也の子もそうだった。あれが理論通りなんです。教育環境がいいから、それでも普通よりはいい方に行くわけですけど、親と同じような超絶スーパーエリートにはならなくて、それは統計学的に予想通りでして、確率統計の基礎の基礎、正規分布の性質により説明できます。大体さ、大谷翔平の親はどうなのよ。メジャーリーガーだったわけじゃないわけですね。
大谷翔平、長嶋茂雄、野村克也が周りより一歩も二歩も抜きんでてたのは遺伝形質(身体的特性)に加えて本人が努力したからに決まってんだろ。努力の結果が遺伝するわけがない。遺伝疾患や体格と一緒にするな。わざとか。どっかの詭弁のテンプレートにこういう例があるのか。
まあ、それでも、意味があるじゃないかっていうかもですね。平均への回帰って言っても極端だったのが極端でなくなる、ってわけで、身長が高い親の子の平均値は、身長が低い親の子の平均値よりは高いです。平均だけの話で、大幅にオーバーラップしますが。それでも平均を徐々に上げていけばいいじゃないかと。
だから初めから優生学の対象は特定の個人の能力(大谷翔平の子供は野球が上手いかどうか)じゃなくて集団全体の性質だって言ってるだろう。もともと「全体の平均を上げること」「全体の中で望ましい(くない)ものの割合を増やす(減らす)こと」が目的だ。「背が高いことが社会にとって良いことだ」となったら(どういう理由でそうなるのか知らんが。軍事強化?)長身の者に優先的に生殖の機会を与えて国民の平均身長を大きくするのが優生学の目的と手法だろう。むしろそれ以外になんだと思ってるんだ?
いずれにしろ「身長が高い親の子の身長も身長が低い親の子の身長も平均に回帰する」というのは単純に間違い。もしそうなら長身の者だけに生殖させても平均値が高くなるわけがないし(どういう理屈で「平均への回帰」と「平均を徐々に上げていく」が両立できるんだよ?)長身のものが優先的に子供を残せば集団の平均身長が高くなるのはすでに事実としてわかってる。(*2)
ところが、多遺伝子型には数千もの遺伝的変異が関係するというのはどういうことかというと、単一遺伝子型のように、どれか一つの遺伝的変異はどれか一つの遺伝病に対応する・・・ということになりません。重複しちゃうんです。ある遺伝的変異は、ある形質にも、別の形質にも、関係する。多面的関連と言います。例えば身長を高くする遺伝的変異は、同時にがんになりやすくする多面的関連を持つことが多いことがわかっています。するとどうなるか。身長を高くするように、集団の結婚相手を操作していくと、がんが多くなって寿命が短くなるでしょう。では学歴はどうか?学歴を高くする遺伝的変異は・・うつ病になりやすくすることがわかっています。
ここの部分は必ずしもすべて間違っているとは言えないが、身長の高さとガンの発生にについてはそれぞれが関連する遺伝子座の間に統計的な相関が見つかったというだけで身長を高くする遺伝子がガンの原因になるというわけではないし、長身の集団が低身長の集団に比べ短命であるという証拠もどこにもない。後者(学歴)に至っては関連が指摘されているのは「うつ病」と「低学歴」だし(*3)、それが共通の遺伝子の多面作用によるものだという考えは否定されている(*4)のである。
ていうか今気付いたけどこいつ遺伝的変異ってずーっと 「mutation(突然変異)」の意味で使ってない? 遺伝的変異は variation だから「数千もの遺伝的変異」とか「どれか一つの遺伝的変異」とかないんだけど...
これ、マジでまちがい探しかなんかか? なんで書いてあることがことごとく間違ってるんだ? 罠?
どうでしょうか。基本的に優生学というのは、国家の文脈で語られます。学歴の高い国民をより多数生み出し、国家の生産性を上げたい、というわけです。しかしどうでしょうか。うつ病が増えると、生産性はどうでしょうか。私はうつ病の人は生産性が悪いと言いたいわけではありません。しかし、優生学論者のロジックは成立しますか?(明示的に成立するとは言えないのではないですか?)と言いたいのです。
多遺伝子型の遺伝構造はまだわかっていないことも多く、「優生学的操作」をしてどうなるかすらわかっていないんですよ。形質に遺伝的因子があるなら、優生学的操作をすれば人類は必ず優秀になる・・・というのが元増田の議論の開始点だと思いますが、そこ、すでに間違ってるんです。
だからなんで話を「まだわかっていないこと」だけに限定するんだよ。じゃあわかってることには優生学的手法を使ってもいいのかよ。国や医療システムにかかる負担を軽減するために「遺伝病患者は子供つくっちゃいけません」っていいのか? 問題はそこじゃないんだよ。
優生思想がダメなのは「科学的に間違ってるから」でも「有効じゃないから」でもないんだよ。優生論の生物学遺伝学的手法が有効なのは動植物の繁殖で既に実証されてるから。元増田が優生学とは何かをそもそも理解していないのは確かだが、おまえの言ってることもほぼすべて間違ってる。
結論としてすでに社会的に受け入れられてない優生思想を否定したいんだったら、ウソを書いてまで「科学的」根拠をでっちあげる必要がないだろう。
なにが目的だ?
まさかゲノム科学者(自称)がこれらの間違いを本当に信じているはずがあるまい。
特にうつの「高学歴」と「低学歴」入れ替えてるところなんてワザとじゃなきゃどうやって間違えるんだよ...
*1 https://www.sciencedirect.com/topics/biochemistry-genetics-and-molecular-biology/mutation-rate
*2 https://www.science.org/content/article/did-natural-selection-make-dutch-tallest-people-planet