はてなキーワード: 仲間意識とは
続き
https://www.youtube.com/channel/UCODNLyn3L83wEmC0DLL0cxA
MaiRを見るようになったらそのうち確実に見ることになるであろう、彼女の相棒と言えそうな存在。
逆光のフリューゲルのカバーでは、この2人で力強い歌声が美しいハーモニーを奏でていた。
https://www.youtube.com/watch?v=xiBza4tejRE
コラボでは奇麗なハーモニーを見せ、ソロでも抜群の存在感と機微を感じさせる。
https://www.youtube.com/watch?v=CTXl0HbY4zc&t=68s
彼女らは同じ所属団体ではないけれど、大手の企業勢ではない、さりとて個人とも言えなさそうな、少人数で製作チームを組んでる様で、その点でも活動の同志としての絆がありそう。
(音楽やってるVは個人・企業問わず界隈の仲間意識が広く深く、そこらへんは「ホロライブの仲間内のワイワイ感」とかが好きな人に共通して楽しめる要素じゃないかなと思う。)
長く活動してる安定感と信頼感で企業・個人問わず多くのコラボに参加し、ライブイベントなどにも多く出演。
セクシーな3Dモデルを存分に活かし、下ネタもOKで、あっくん大魔王のNKDICE配信ではその奇麗な発声で「まんこ」を連呼し視聴者の心を熱くさせた。
https://youtu.be/QrqkkRWaRx0?t=5460
非大手で制作チーム体制ならエルセとさめのぽきも、というツッコミはキリがないのでやめてください。
MaiRも朝ノ瑠璃もAZKiも参加してる深海フェスはいいぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=Bizxhyzdx78
④アザミ
AZKiリスナー→歌枠が好きではないか、ということでオススメしたい。
配信の規模感は元記事で書かれてた「ホロに入る直前の星街すいせい」位で、渋滞しすぎてないけど賑わってる感じ。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLrToGx1incQghnqnmFdCXsSZeBUhgVgc3
多彩で気怠くも情熱的な歌声で、サラっと歌い上げてる印象もあって、聞いてて飽きない素の歌の上手さを感じる。
選曲なんかが最近のアニソンやボカロ曲よりも一昔前の邦楽が好きな、我々の様なはてな村のおじさんにピンズドな気がする。
シンガーソングライターであり、自作曲を他のVに提供したりもしている。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLrToGx1incQhW4iohHQiGyGvecOI8uxUL
元々音楽サークル所属で、V以外でも活動していたみたいだが、このコロナ禍の中Vの活動に重点を置くようになったらしい。
トマト組だったらまず高峰伊織だとか、他のメンバーもとか言われても記事には限りがあるんです。
そのツッコミができるあなた向けの記事じゃないしそこらへん詳しくわかってないから!
https://www.youtube.com/watch?v=RAM-FD_EFho
続く
■テレワークに向いている人、不向きな人
・通勤が何らかの理由で出来ない(家庭の事情、自身の身体的不自由等)
・自宅が働ける環境にない人(育児・介護・ペット、外部騒音等)
・仕事の全体要件が見えづらく、繰り返し情報共有をしないといけない人(新卒や転職直後等)
・大きな案件のクリエイティブ職(Face to Faceでの議論の方がイノベーティブな案が出やすい)
言語化が苦手な人 言語化が苦手な人も、テレワークには向いていないと言えます。 テレワークをする場合、対面での仕事以上にコミュニケーション能力が求められます。 チャットやメールでのやり取りが増えるためどうしても相手の顔色・声色で判断が見えず、ミスコミュニケーションが生まれやすい環境であることは間違いありません。
少し前にヒプマイにハマって、バトルシーズンも緩やかに楽しんでたけど、中間発表後のオオサカのオタクたちの様子がおかしい。それに感化されて他ディビ推しのオタクたちの様子もおかしい。
積む、積まない、積んだ方がえらい、積まないやつは要らない。
そんな同調圧力や排他性、趣味を楽しむのに必要か?日常の息苦しさから逃れるために、人生を楽しむためにオタクやってるんじゃないのか?
生活費削って投票するというツイートも少なからず見かけた。それに大量のいいねやリツイートがついているのも見た。欲しがりません、勝つまでは、か?戦時中か?支持してる人達同士で仲間意識を持ち、支持しない者の不安を煽る。
悪いのは商法です。まだ運営の金の使わせ方に疑問を持てている人はいっそお金を使わないという選択をしてみませんか?黙って金だけ出し続けていたら運営体制は変わらないまま。コンテンツありきなのは分かってる。それを支えるためには金を出さなきゃいけないのも分かってる。でも消費者側にもお金の使い方を選ぶ権利はある。同じ金額を使うのでも、もっと別の使い方があるのなら、バトルのようなシステムとは別の使い道があるのなら、そちらを選ばせてほしい。
声をあげれば、体制を変えることはできるんじゃないだろうか。できなければその体制の中で生き残ったオタクだけが金を出し、その他のオタクは離れていくだけだろう。いずれにせよ、こんなに消費者側が消耗しているジャンルの息がそう長く続くとは思えない(そもそも最初から運営側もそういうつもりなのかもしれないが)。コンテンツはオタクの人生を保証してくれない。どんなにお金を出しても勝ちは約束されていない。お金を使い切ったあとで残るのは貧しい自分の生活だ。
投票しないのは不買運動と同じだ。商品は良くとも企業理念を肯定できなければ起こる不買運動と同じ。商法に賛同できないから投票しない。この理由で投票をしないという選択肢もあるのではないか。
色々言ったが、この商法嫌だよ〜…とかおかしくない…?とか思ってる人はいっそ投票しないでみるのはどうか、という提案です。
ヒプマイは運営がキャラクターを人質に取っている、なんて比喩も散見されますが、このシステムのままでは金で推しが解放されるわけではなく、どんどん縛られていきます。推しが息しやすい環境にするために声をあげてみるのはどうか、今回であれば投票しないのはどうか、運営に問い合わせてみるのはどうか。(運営への問い合わせは私もやります。)
投票を扇動する文章を書くような人たちは文章が上手だし、推しのために心込めて書いてるからそれに心動かされた人がいるかもしれませんが、一度冷静になって最初にあった違和感を大事にしてください。他人に強要し始めたらマルチや宗教になってしまいます。推しを信仰する気持ちは分かりますが。
ただ、キャラクターや楽曲はもちろん舞台やVRなどのコンテンツ自体はすごく良いのでそれはお勧めします。それだけにこのバトルの商法(によってオタクが色んなダメージを受けていること)が悔やまれるというか、コンテンツ豊富なので無理に手を出さなくてもいいはずなのにバトルに積まないとファンじゃないという空気があることがしんどいというか、資本主義クソ喰らえだぜというか…。
学ばせることができるのは○○したら自分が損するということだけ
でも○○したら自分が損するさえ子どもが学べれば社会ではやっていける
そのことを真摯に見つめないと不幸なことになる
CU特性とは?
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23659359/23659359seika.pdf
「CU特性」とは,ニューオーリンズ大学のフリック博士が提唱しているCallous-Unemotional Traits の日本語訳です.フリック博士によれば,CU特性はサイコパスとも関連のある特性で反社会的行動を表す児童に特徴的なものだとしています.また,注意欠如多動症(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder; ADHD)との関連も報告されています.
赤ちゃんには道徳心も仲間意識(差別意識)もあるぞ
科学読み物やTVで取り上げられた有名なのはこれ。イェール大学のヤツ
下記はイェール大学の乳児認知センターで公開している実験の動画
[Yale University] The Infant Cognition Center: Research in Action
他に科学読み物で取り上げられてたのはワシントン大学のこんなのとか
- 赤ちゃんは公平さを好むが、自分たちがより利益を得る場合には、公平さはそれほど重要視しない
- 白人乳幼児40名に研究者2名がおもちゃを配った。1名はおもちゃを公平に、もう1名は不公平に分配した。
その結果、70%の乳幼児はおもちゃを公平に分けた研究者をより好んだ- 実験対象にアジア人と白人の乳幼児を混ぜ、その中の何人かの白人乳幼児に、より多くおもちゃを配るという実験をした。
その結果、前の実験結果とは異なり、白人の乳幼児は「自分たち」をひいきする「不公平な」研究者をより好んだ[Frontiers in Psychology] I“I pick you”: the impact of fairness and race on infants’ selection of social partners
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2014.00093/full
○ その親切な行動、50%が遺伝!?
あなたはどのくらいバスで席を譲ったり、募金をしてますか?「親切さ」にも様々ありますが、今回ご紹介するのは見ず知らずの人に対しての親切さ(利他的行動)です。
バスでお年寄りや妊婦さんに率先して席を譲る人もいれば、寝たふりをしてしまう人もいますよね。
見ず知らずの人にどのくらい親切に振る舞うのかには、大きな個人差があります。これは、生まれもったものなのでしょうか?それとも、成長の過程で身に着けるものなのでしょうか。
研究によると、見ず知らずの人に対する親切さは、50%が遺伝要因による先天的なもの、50%が環境要因による後天的なもので形成されているそうです。
他人に対する考えや行動も遺伝するの!?と驚くかもしれません。しかし、他にも「他人に共感する(empathy) 」は、70%が遺伝要因によるという報告があります。
研究の結果、ドーパミンの代謝に関わる「COMT遺伝子」のrs4680というSNPが「G」である人は、「A」である人よりも、自分が持っている金額に対して高い割合の金額を募金する、つまりより親切に振る舞うと分かりました。
というSNPにはGG,GA,AAの遺伝子型がありますが、日本人平均と比べると
[mycode]
(当たり前の例)
[Psychology] Anxiolytic Treatment Impairs Helping Behavior in Rats
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2016.00850/full
[Current Biology] Harm to Others Acts as a Negative Reinforcer in Rats
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(20)30017-8
日本語記事:「誰かを助ける」のに理由はいらない(哺乳類なら):研究結果 (WIRED)
https://wired.jp/2016/07/01/rats-empathy/
会社でteamsが導入された。
皆が手探りの中、グループを作ったり、会議で画面共有したり、いい機能に気が付いた人が使って、それを見た人が使って……人から人へ、伝わっていくかのように徐々にやり方というものが伝播していく様は、ほほえましくあった。
その中でも、初期の初期から使われていた機能が「メンション」 相手に通知を飛ばす機能で、ツイッター的に@tanakaと、アットマークをつければできる。
当初は平和に利用されていた。
違和感に気づいたのは、一か月くらい後だっただろうか。
「〇〇 さん」
というチャットが見られるようになったのは。
teamsのメンションはツイッターとは異なり、ツイッター的に@tanakaと打っても、チャット上の表示は「田中太郎」とユーザー名が日本で表示される。
だが、メンションは機能だろう。呼びかけではない、自分の打った文章の一部ではない。
そうやってさん付けすることによって、文章の一部になり、呼びかけにしていくのか。
そうするといちいち名前をフルネームで呼びかける違和感が出てくるだろ。あと普通に気持ちが悪い。
第一面倒くさくないのか。社内でくらいメールの面倒を省くためのteamsじゃなかったのか。
物好きが何かやってるな、とその時は思っていた。
しかし、最初に見られてからそれほど時間がたたないうちに、便利機能が人から人へ伝播していったのと同じように、その文化は広がっていった。
少し広まれば、さん付けしなければ失礼な奴のように見えてくるからだろう。後期にさん付けするようになった人間を私は責めることができない。
いまだメンションにさん付けをしない人間が一部おり、私はその人々をレジスタンスと勝手に仲間意識を持っている。
共に戦おう。あなたがどういった意図で文化に染まっていないのかわからないけれど。
今、少しだけ願うこと。
自分たちの男性コミュニティ内部でのホモソーシャルな関係を優先して、平気で女性の尊厳を踏みにじるのも、二人が「早稲田大学の出身者」と聞くと納得がいく。
早稲田大学文学部の渡部直己のセクハラ事件が発覚した時も、被害者である大学院生の女性とその支持者に対して、大学側と渡部直己の子分の教員が「口を噤むように」と圧力を掛けていた。結果的に渡部は早稲田大学を止めたものの、結局は早稲田派閥と文学ムラのコネで仕事を恵んでもらって生き延びている。
まともに実験ノートも書いていない生物学者が学術上の新発見をしたと大々的に取り上げたのも、彼女が早稲田の人間だったから。
高校生の野球部員が練習試合でホームランを打ったとわざわざニュースにしたのも、彼が早稲田の人間だったから。
早稲田派閥は、悪い意味で「仲間意識」が強い。業績が怪しい人間でも「早稲田の人間」であれば、マスメディア内部にいる早稲田OBがスターに祭りあげようとする。
たとえ不祥事を起こして職を追われても、生き延びられるようにと早稲田派閥が便宜を図る。そのため、現在の早稲田内部に存在する不祥事予備軍の人間たちにも歯止めが掛からない。
女はクソ。
大した力も知能もないしそのくせうるせえしどう考えても男性と同等に働けるわけねえだろ。
昔の家制度だっけ?アレは理にかなってると思うんだがなあ。
身長も伸びねえくせして肉だけついてくゴミみたいな体。キーキーうるせえ声。女特有の仲間意識。全部全部キモいんだわ。
クソみたいな家庭だったので子供も欲しいと思えない。愛せる自信がない。愛がわからん。
なんで女なんかで生まれたんだろう。ハズレくじやんけ。キモいんだわ。無駄に曲線状の体とか、胸とか、見るたびに絶望する。数学の曲線は綺麗なのに。微積は楽しいねえ!
…いざ書くとなると思いつかない。初めての投稿がこんなのでごめんなさい。
自己嫌悪が強すぎて自分の性別が嫌いになった私個人の感想です。でも今は胸も子宮も取れるっていうんだから良い時代です。金貯まったら取りたい。
だとしてもオタクはキモさを自覚した上でキモい言動をしているのではないのか? むしろ身内でわざとキモい言動をしあうことで仲間意識を育んでいるのではなかったのか? なぜそれを今さら外部から指摘されただけでブチ切れるんだ。「俺たちキモいよねー」とか言い合ってキャッキャしてた奴らが外部から「お前らキモいよ」と言われただけで顔真っ赤にして「傷ついた!」とか、自分で言ってておかしいと思わないのか。それとも、あのキモさはあくまで内輪受けのためのおふざけで、内心では「自分はキモくない」「あえてキモいフリをしているんだ」とでも思ってたのか。そういうところも引っくるめてキモいんだよ。
結局こんにちの混乱は、「政治的な意見を自信をもって発言する模範的な市民になりましょう」という、極めてうさんくさい学級委員長的規範めいたものから発せられていると言えるでしょう。
例えば政治学のせの字も知らない人々がこの風潮をうけたときまず何をするでしょうか。
GoogleやTwitter、YouTubeで話題のキーワードを検索し、ある程度の注目を集めているようである刺激的な「新常識」を目にするのです。なるほどそれらの「新常識」をめぐって、多くの人々が賛成と反対の意見を交わしているのを彼らは目の当たりにします。
なかにはテレビに出ている有名人や、なんとなく肩書きの堅い大学の先生もいるようです。
自分も早くたくさんの知識を吸収して話に追いつきたい、周りの人間よりも一歩賢い人間として自信をつけたいという、学校のお勉強以外ではじめて学びを得ることの楽しさや知的好奇心を発見した彼ら。次第にどこかのコミュニティめいたものに所属するようになり、仲間意識や自尊心も形成されていくことでしょう。
いったい彼らのどこを責められるでしょうか。
彼らは真面目な努力家で仲間思いの、社会や国を良くしたいという立派な目標をもった模範的な市民そのものです。
少しばかり学問の体系についての知識が足りないだけで、日々ひたすら誠実に新たな知識を探し自身の成長を求めているのです。たまに批判者に対して汚い言葉を使ったりもしてしまいますが、日本の文豪たちがユーモラスに罵り合っていたエピソードがあなたたちに人気であることを彼らは何度も目にしています。
で、こんにちの混乱を収めるために何が必要となるでしょうか。上のプロセスを踏まえていくつか挙げてみましょう。
・学問の体系が少しだけ身につくような挑戦の機会を義務教育中に与える
・インターネットには嘘と悪意がはびこっていることを知らしめる
・労働や趣味に打ち込むことで日常生活から充実感を得られるような社会構造にする
なんだかありきたりで見たことのある意見ばかりですね。最初の一つは除くとしても、どれも教育的で正しい、凡庸でつまらない意見に言い換え可能です。
ただ、これらの実現には相当の期間と多大な努力が必要となることは間違いありません。
この手間を避けて強引に混乱をなかったことにしようとするから、インテリたちは真面目な彼らを小馬鹿にする書き込みをするのです。いや、小馬鹿にする書き込みしかできないと言ってよいでしょう。
彼らもまた、一分野での成功を願い努力する才能をたまたま得られただけの人々なのです。政治や社会についてまともに勉強する余力がないので、なんとなく賢そうな社会学者の小言に同調しつつ、業界内の空気読みにふけっている賃金労働者に過ぎません。
ではこんにちの混乱を収める方法はもはや存在しえないのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。われわれは2つの可能性を無視してきました。
ひとつは、よくわからない観念は一掃し平静を取り戻した心で、日常と少しの非日常を真面目に生きる伝統感を獲得することです。これは、各自が自分の人生を一回きりのものとしてなるべく味わい尽くすように努め、それに多少のまぼろしを混ぜ合わせて一体感を作り出す、保守的な社会を目指すものとなるでしょう。
もうひとつは、すべての意見を外部のシステムに依存し、ひたすら物質的な世界に満足できる身体を社会的に創りあげ、民主主義を脱皮することです。これは、政治機構や巨大IT企業にイデオロギーを一任し、それに従うだけで正しさが付与される、内と外の善悪の熱気を帯びた合理的な共同体を目指すものとなるでしょう。