はてなキーワード: リスペクトとは
むかし公民館で花火大会の運営をしてた。毎年、地方の花火大会を無料でやっていたから知っているのだけど、本当にしんどい。なので、それを書き込んでみる。
とまあ、花火大会を無料でするというのは、今の時代は無理ですよ。かつては、花火大会をすることで公民館のメンバーが潤ったけど、もはや利益受給者がないのだからやろうと思えない。というわけで、夏の風物詩を欲すならば金を払ってくれ。貧乏人うんぬんではなく、花火大会には金と体力と気力が必要なのだ。金が無いと花火大会は実施できない。花火大会を無料で観覧させろというのは、「パンとサーカス」よろしく事業継続性に乏しいのである。
そういう所に飛ばされた事あるけど、中にいるおっさん達がやたらと女だからとバカにした発言やまともな仕事を分配しなかったりとか果てはストーカー化した人(私対象ではなかったが)普通に田舎の職場のそばに住んだら、病んで首吊りたくなる位毎日しんどいバカしかいない環境で仕事させられてたので意地でも23区から特急自腹で通ってました。気晴らしができる環境とまともな感覚の友人達は大事。
転職できて本当よかった。日本の若い女性が田舎に定着しない理由は女じゃなくておっさん達の他者にリスペクトもなければ女性であればある程度バカにした態度を取っても許されるという人を人ともみない態度にあるんだよ。分かってる人は分かってるけど、こういうおっさん達はもうどんなトレーニングしても変わらない。そんな所で働いて擦り減る位なら、気力のあるうちにやめるし出ていくでしょ。誰がバカの相手をして毎日イライラしながら生きたいか。
23年 7(3)
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21年 7(4)
20年 6(4)
19年 7(1)
18年 9(8)
17年 3(1)
16年 2(0)
14年 1(0)
「キノピオの頭は体の一部か、被り物か」長年のファンの疑問に任天堂小泉氏が回答。マリオの乳首への言及も
ルイージに“性器”は存在するのか。海外コミュニティがマリオの乳首に続きルイージの股間に注目、独自の計算式によりその大きさが測られる
がブクマ数で見るとバズり味をしめた感じか。
Ayuo Kawase氏の乳首記事は当時は確かに増田も楽しんでいたが、ここ数年は擦られすぎて辟易してた向きがある。ゲーマー全体で乳首文化が定着したのかもしれないが、こうして並べると記事数は増え、内容は過激に、煽るような表現になっていると強く感じた。主目的以外のノイズとして引っかかる他ライターやプラットフォームの規制記事との温度差、真面目差にはすでに崩している体調をさらに崩す危険すらあった。
とくにここ数年の記事は低俗だし、任天堂へのリスペクトにも欠けると感じてもしょうがないような内容で、一覧にしてみてあながち外れてもなさそうと判断できたので、ひとまず氏の記事を非表示することで平穏を得ることにする。
先日、はてなから「はてなブックマークガイドライン」が公開された。
冒頭で「表現の自由や意見の多様性を大事にする」一方、「安全性、健全性を保つことも不可欠」という大方針が示されている。
特に、他者へのリスペクトを忘れず、コメントの表現に気配りせよという指摘は重要だ。
はてなユーザーの中には、相手を批判する際に人格否定のような言葉を付記する人が散見される。
私は相手に面と向かって同じことを言えるのか、と考えてから書き込むよう心掛けている。
ただし、アルゴリズムによる掲載順位の調整には反対だ。理由は現状ではアルゴリズムより人間の集合知の方が賢いからだ。
ガイドラインでは「建設的な情報に多くの表示機会がもたらされることを目指してアルゴリズムを調整」しているとあり、
具体的には
の五項目を提示されている。
しかしながら、アルゴリズムがコメント内容を精査し、これら五項目に適合しているかを判断できるとは思えない。
最先端のAIであるChatGPTでも、生成内容に多くの誤りを含むことが指摘されている。はてなが使用しているアルゴリズムが、ネットの情報の中から信頼できるソースを選別してコメント内容と照合し、コメント内容が客観的なファクトかどうかチェックできるとは考えにくい。
他の項目も現状のAIの能力を考えると、人間より精度よく判定できるとは思えない。
実際問題、現状のアルゴリズム適用結果を見ると、五項目について上手く判定できているようには見えない。
このコメントは優れているしスターを集めているのに何で注目コメント入りしないんだと思ったことは多いが、スターが少ないが注目コメント入りしているブコメを読んで、他のスターが多いが下位になっているコメントより確かに優れている、建設的だと感じたことは一度もない。
はてなブックマークは人間の集合知によって有益な情報を集めるサービスだ。はてながブックマーカーの集合知を疑うのは、任天堂がゲームの面白さを疑うような会社の根幹を揺るがす行為ではないだろうか。はてなにはぜひユーザーを、ユーザーの集合知を信用して頂きたい。
次に、現状のアルゴリズムの内容について、ガイドラインで明示されたことや、コメントの表示状況から推察されることに関して私見を述べる。
注目コメントの表示状況を見ると、短いコメントは一律に弾かれているか、マイナス評価がかかっていることが推察できる。
「はてなブックマークガイドライン」のブックマークコメントでもdogdogfactory氏の「文字数が少ないことは「コメントが建設的かどうか」と何の関係もないとおもいます。文字数少ないコメントも上位表示させてください。」というコメントが圧倒的支持を集めていた。私も同意見だ。
百歩譲って、政治経済・社会問題に関する記事であれば、短いコメントは熟慮されずに書かれている傾向があるかもしれない。しかしながら、「あと一つは?」といったアンケート記事において短いコメントが注目コメントから排除されているのは弊害しかない。改善をお願いしたい。
ガイドラインでは「客観的なファクトを提示するもの」を良いコメントとして提示されている。であるならば、ソースリンクを張ることは推奨される行為であるはずだ。
しかしながら、現状ではソースリンクを張ったコメントが注目コメントに入らないという事例が散見される。改善をお願いしたい。
「はてなブックマークガイドライン」によると、「アルゴリズムによる掲載順位の調整は、利用状況に関する情報も加味したものになります」とあり、ユーザーが望ましくない利用をしていると、コメントが注目コメント入りしにくくなることが示唆されている。
しかしながら、誰が書いたかによってコメントの評価を変動させるのはおかしい。コメントの内容だけで判断すべきだ。
例えば、政治問題では暴言ばかり吐いているようなユーザーでも、おすすめの漫画を訊ねるような記事では非常に良い作品を挙げるような事例はしばしばみられる。このような場合に、普段の利用状況が悪いからと、良い漫画作品を挙げたコメントの評価を下げることが、利用者の利益になるとは思えない。コメントはユーザーによらず、コメントの内容だけで評価すべきではないだろうか。
アルゴリズムについて否定的な見解ばかり書いたが、唯一アルゴリズムが機能し得ると考えているのが「公共の場にふさわしくない表現は評価がマイナス調整」という機能だ。公共の場にふさわしくないような罵倒表現、人格を否定するような表現を登録しておき、マッチ度が高いコメントや記事を注目コメント、人気記事に入りにくくするというような操作はAIの得意とする所だ。
はてなブックマークコメントやアノニマスダイアリー記事の中には、必要もないのに他者を罵倒するようなものも散見される。そのような暴言が含まれていると注目コメント、人気記事に入りにくくなるのであれば、書き手も表現をセーブしようと考えるかもしれない。
アルゴリズムを導入した背景は、はてなブックマークコメントに暴言が飛び交っており、安全性、健全性が保てないという判断があったものと推察する。であるならば、アルゴリズムの適用は安全性、健全性を保つという目的に限定すべきではないだろうか。
アルゴリズムによる掲載順位の調整については撤廃してほしい。どうしても適用するのであれば、公共の場にふさわしくない表現の抑制のみに機能を絞って適用して頂きたい。
ダメな場合せめて、アンケート記事にアルゴリズムを適用することによって短文コメントが注目コメント入りしない事態を改善して頂きたい。
具体的には、「当該記事の平均文字数に比べ、著しく文字数が少なくなければマイナス評価しない」といった風にアルゴリズムを修正することが考えられる。
また、アルゴリズムの適用カテゴリを限定するという方法も考えられる。「安全性、健全性を保つ」という目的であれば、議論が荒れがちな「世の中」と「政治と経済」カテゴリの記事にだけ適用すれば十分であり、元々安全・健全な「おもしろ」等のカテゴリに適用する必要はないのではないだろうか。
全部俺の感想だよ。
タイトルみたいな話は無限回されているので、今更その社会的背景がどうたらとか書きません。少子高齢化のくせに子どもを産む風潮ができず、外国人を入れるか入れないかとかいう目先のことにだけ集中して、とにかく先のことを考えなさすぎた政府および国民の怠惰さのせいで滅びます。本記事では、この「怠惰さ」って所を少し深く見ていきたいです。
で、この怠惰ってのが具体的になんなのかというと、これ「人が人を尊重しないこと」に起因してくると思います。
言い換えると、「人が人をバカにし続けている」ってことです。こちらの方が実態を表しているかもしれません。
本当にこの国の人間は、家族や友達といった繋がりのある人間はともかく(とはいってもそれすらバカにしてるやつはしこたまおりますが)、他者に対するリスペクトってのが圧倒的に足りないです。もちろんそういうのが備わっている人もいるにはいるのですが、少なすぎて薄れています。筆者はこういうの「備わっているのが当たり前」だと思っているんですが、皆さん全然ダメです。 じゃあどういう場面でこのイカれた国民共が「他者をバカにしている」「他者をリスペクトしていない」のかなというのを見ていきたいです。
①ブルーカラーへの軽視
ブルーカラーの人手不足が半端ないです。 なぜかって、そういった人たちをバカにしまくってきたからです。 世の中の親御さんがこう言ってるシーン、あるあるでは?道路工事をしている人を見て、子どもに「勉強しないとああなるよ」って。職業差別・軽視も甚だしすぎてもうどうしようもないんですよね。彼らが作ってくれる道路を歩いて、運転して暮らしているのに、それを作ってくれる人を軽視するのはどういう理屈なんでしょうね? 確かに彼らが一律に高学歴であるとか、そんなことは無いかもしれません。 確かに彼らが不良っぽいとか、そう見えるかもしれません。 でもそれとこれとは全然関係がないですよね。相手は仕事を「してくれている」自分は「恩恵を受ける」立場なんだから、相手のステータスがどうであろうと感謝の意は示すべきだし、そうでなくても軽視する方向に行くべきではないですよね。 なんだろう、小学生でもわかってるやつはわかってると思うんですが、改めてこういうこと書くのって「1+1=2」っていうのと変わらないですよね。
これは、その言葉の範囲の中にいる人と人が、職場内ー職場内の人間関係と、職場内ー職場外の人間関係という点で異なると思うんですけど、どちらも「人をバカにしている」ことに変わりありません。 相手が「若い・能力が低い・弱そう・なんだか気に食わない」からといって、自分のストレスをガンガンぶつける反社会的な人間が多すぎます。一見普通の人に見えても、いざ自分が相手の不手際によってちょっとでも損害を被ってしまった場合、鬼の首を取ったかのように変貌する人が大多数います。まあこれは「お客様は神様」とかいう言葉を曲解して自分の都合のいいようにしか考えてないバカが広まり切ってしまったという背景もあるんですが、この言葉を言った人はほんとこの国に大きな禍根を残したなと思います。 んで、こういう反社会的な人間が増えると、当然相手も人間ですから、「アホくさ」っつって別の場所で幸せを探すようになるんです。ここの部分を甘く見ていつまでたっても対策もせず「客」を増長させ続けてしまったところにこの国の罪業があるんですが、その結果、必要な人員が確保できず、色々な面で衰退していく一方になってるのですよね。そうしてケツに火が付いた状態で慌てても、無いものは無いし、一度染みついた印象というのは、インターネットの情報の波に刻まれ続けて消すのは非常に困難になりますよね。 店員だろうがなんだろうが、相手は同じ国の人間だし、親兄弟もいるかもしれんし、友達もいるかもしれん。その時たまたま役割が違うだけの普通の人間で、タイミングによってはその役割が真逆になるかもしれない。そんな当たり前のことも理解しないでただギャーギャー騒いでいる「カス」タマ―が本当に多いよね。カスハラなんて言葉が流行るわけですよ。自分が、あるいは自分の身内がカスからハラスメント受けたとしたら、どう思うんでしょうね?相手の痛みを知らない人間が多すぎる。日本人って世界でも有数な「意地の悪い民族」らしいですよ。
①、②を踏まえて少子高齢化
①と②と少子高齢化ってすごく関係がありますよね。高齢化はぶっちゃけどうでもいいんです。子どもがバンバン生まれれば薄まります。問題は子どもがバンバンところかバンも生まれてない。何でかって言ったら、「子ども」および「子どもを産む人(つまり親)」に対するディスり具合もすごいんですよねこの国は。 育休取ろうとして、快く取らせてくれる職場ってこの国にはそうないです。表面上は良い感じかもしれませんが、内心クソだるいと思っている人もいます。代替の人員が必要ですからね。すぐ見つかるなら良い。けど人手不足で見つからないだろうから、残っている人に負担がかかるわけで、救済措置もロクにない所が大多数ですよね。だから子育てするヤツにヘイトが向けられていきます。まあこれは救済措置がとれないぐらい余裕のない職場もどうかと思いますが。
あと、子どもの声がうるさいと言って公園に怒鳴り込む老人とかもニュースになりますよね。自分が子供のころの事を棚に上げて、自分だけが実害を被ったらキレだすあたり、意地が悪いですよね。家に悪戯されたとか窓割られたとかじゃない限り、声ぐらい受け入れてしかるべきではないでしょうか。
あーあと、出産子育てを「誰か他の人がやってくれる」って感覚の人間も多すぎな。まあこれは自由恋愛における弱者の増産と、低給料高税金のせいで子どもを産み育てる自信がない人が増えたってのがデカいし半分くらい政府のせいなんだけど、政府がおかしなことしてるなら是正することができるのがこの国の仕組みなのに、面倒だからといって何も行動しない人が多すぎますね。面倒だからって選挙に行かない若者の割合とか、見たことありますか。んで、そういうのが積み重なった結果、「自分には子育て出産とか関係ない」「他の人がやってくれるだろう」っつってぼんやり毎日を過ごす人が増えまくっている。増えまくっているから、今こうなっている。とことん他力本願な人が増えていて、黙っていてもどうもならんのですよねこれは。
というわけで、人が人をバカにしまくって、尊重しない結果、インフラも経済も仕事環境も全部ボロボロになってオワるのでした。ちゃんちゃん。上位数%の有能は海外に逃げて助かるかもしれませんね。でもそれ以外は、沈みゆく国でブラックと貧困と弱った国を強奪しようとする外国人に苦しみながら死んでいきます。天寿を全うできるなら良いかもしれませんが、脆弱になったインフラによるしょーもない事故とか、医者が足りなくて病院にかかれなくて死んでいくとか、自殺とか増えてくでしょうね。 この国の行く末が本当に楽しみだ。
バービー×オッペンハイマーの件、宣伝担当の問題であって監督のクリストファーノーランや主演のマーゴットロビーたちは関係ないみたいな擁護が目につく。
私もノーランはほとんど見てるしマーゴット主演作も複数見てて今回も観るつもりだったから気持ちはめっちゃわかる。
これがもし人種問題やホロコーストでもネタにしてたらどうなってたか映画ファンの人ならよく知っているはず。
即座に配給が声明を発表、監督や主演俳優もSNSでコメントしてファンを窘める、不支持を表明する、そういうムーブメントが起こる。
残念だけど今回そんな動きはない。
昨日今日起きたばかりの話ではないしもちろん期間的に全米俳優組合のストも関係ない。
つまり彼らはこれをまったく問題だなんて思ってないということ。
だから抗議するならノーランもマーゴットも対象であるべきだし、「やられた側」が安易に「やった側」を擁護するような動きは慎むべきだと思う。
何を当たり前なと言われそうだけど、来日した彼らの「日本大好きです!リスペクトしてます!」みたいなリップサービスを聞いているとつい勘違いしてしまう。
こちらのことをよく理解してくれてる、味方になってくれるような気がしてしまう。
でも実際には住む国が違いバックボーンが違い価値観がまったく違う。
たとえファンでも迎合したり一体化してしまうのではなく、時に毅然と要望も伝えられるような適切な距離感は忘れないようにしたい。
ハリウッド映画は世界にアメリカを売り込むプロモーションとして機能している。
そこで描かれる戦争は勇ましいものが基本だし原爆や水爆描写というと単なるストーリー中の派手なアトラクションでしかないことが多い。
アメリカのコンテンツが輸出されることでそうしたアメリカの考える戦争観や原爆観が世界に広まってしまう。
幸い日本には自国の豊富なアニメ漫画ゲームのようなコンテンツがあり世界に輸出されて人気が高まっている。
戦争や原爆を直接描いていなくとも、日本人が作るものには戦争は悲劇で原爆のような兵器は悪という価値観が根底にある。
そういう価値観がコンテンツと共に世界に知られ浸透していくことは日本の平和の維持にも世界の平和にも資すると思う。
バービー配給のワーナージャパンはアメリカの本社に対応を求めているという。
どうなるか見守りたい。
俺の中の燃え尽きたと思われた熱情を呼び覚まして、涙と共に、俺の中にまた何かを灯した。ありがとう!ながやす巧!ありがとう!浅田次郎!
ながやす巧は、20年かけてコミック化したんだ。コミックが売れなくて、貯金がなくなってもコミック化を諦めなかったんだよ!(あとがきからの受け売り)
20年の間、連載誌を替えながら、転々として話を紡いできたんだよ!きっと、その中には、人に言えぬような屈辱と、そしてそれを助ける周りからの助けもあった筈だ!その歩みが!その熱情が!その執念が!俺には、最後に石を割って故郷に花を咲かせた吉村貫一郎の生き様と重ならないでいられようか!?
(追記)
実はかなり以前に、原作浅田次郎の小説版「壬生義士伝」を買っていて、恥ずかしながら小説版の方は途中で脱落していたので、改めて少しずつ読み比べている。
当時小説版を読み進めていた時にも思ったのだが、小説版とコミック版とで、登場人物の語り口が一致している。これは、ながやす巧が原作に対して寄せているリスペクトによるものだと思う。浅田次郎があとがきで「劇画版では原作から一語一句変更されていない」と書いているが、これはウソで(笑)それなりに落とされてしまっている表現もある。一方で、コミック化にあたって、追加されている表現もあり、それが読み手に感動を与える効果を生み出している。
最終巻で、次男が記者に対して握り飯を勧めるシーンがある。ここは、小説版では、「おや、お口に合いませんでしたかな」という表現もが入るのみだが、コミック版では、父貫一郎が死に際して握り飯を与えられ、それを口にすることなくこの世を去っていったシーンが記者の回想として描かれている。このくだりの表現は、コミック作者としてのさだやす巧が浅田次郎の世界を魂のレベルで深く理解し、それをコミックだからこそ可能な形として描き出すという、異次元のイタコ芸ともいえる凄味のある場面と言えるとおもう。