はてなキーワード: モーニング娘とは
N村先輩へ
もう一度、整理させていただきますと、
・若人がわきゃわきゃやっているだけでコンテンツとして強力な訴求力がある(=アイドルの魅力)
・だけどそれってどう取りつくろっても「性の搾取」だよね
・その中でももクロは水着を着ない、握手会も(今は)やらないため、消費する側の罪悪感が少ないのではないか
というものでした。
・ももクロ:着ない
・AKB:ありとあらゆる場面で着る
というカテゴライズが可能なように思います。「水着と罪悪感」こそ、アイドルのターゲットを分析する上でコアとなる指標ではないかと考えています。
で、「性の搾取」と言い切った上で、「ももクロ、良いよね」と言った自分に対するN村先輩の冷たい視線が忘れられないのです……。
これで初めてアイカツの楽曲聴いた。クオリティ高くてびっくりした。
ラブライブ系(曲が自分には合わなくて駄目だった)の「キャラ」が歌うアイドルソングだと思ってたら、「歌手」の声で歌ってた。
まだ2曲しか聴いてないけど、これかなりはまる可能性ある。
というかたぶん「ジャニオタじゃない人にとっての嵐とかスマップ」とか「00年代前半のモーニング娘」とかそのへんレベルになる。
ライブにはいかないしグッズも買わないけどCDは買うよ、みたいな。
あと、関係ないけどここ数年アイマスがハロプロからAKB寄りになっててなんか悲しい。衣装とかも。
エージェントとかヴァンパイアみたいなちょっと懐かしい感じの曲もいっぱい聴きたい。
___
追記。
なんでアイマスは普通に聴けて、ラブライブは駄目で、アイカツはいけそうなのか考えてみたんだけど
結論としては
「自分が”ドリームモーニング娘。直撃世代の女”だから」
としかならないんだよなあ。
アイマスもラブライブも、メインターゲットは男性だけど、自分の感じ方には差がある。
やっぱなんだかんだいって感性は26歳のおばさん(あえて)なんだろうなあ。自分。
アイマスにはまったのって、たかねとひびき加入前で、好きな楽曲もその頃のほうが多い。
デレマスは全く追ってない、ということを考えると、やっぱハロプロ感が好きだった。
そしておそらく(詳しくないけど)もっと昔のアイドルの要素をアイマスが取り入れていたおかげなんだろう。(The アイドルマスターとか、私はアイドルとか、ちょっとスパイシー、かつ一部のおにゃんこの曲ほど露骨じゃない歌詞が気に入ったことから)
で、アイカツとラブライブ、両方ともキャラ等はほとんど知らない。
ラブライブだとちょんまげがことりちゃんで、ツインテがにこちゃんで、低いツインテの人が太っていると(ファンから)いじられている。くらい。
アイカツはにせこいの千棘っぽいのがいちごちゃんで、永遠の灯火を歌ってる縦ロールが厨二? キャラってことくらい。
2曲しか聴いたことないのは共通。スクールアイドルっぽいのも共通。
で、なんで差があるのかって考えたらもうこれ男性向けと女性(女児)向けの違いだろうな、と。
でも、本当に女性向けの「うたプリ」(スクールアイドル?もの?)は曲はほとんど聴いたことがない。
スターリッシュのメンバーの大体の性格(名前はうろおぼえ)と、りんごちゃん(彼について検索したら名字を間違っていたらしくいちごちゃんの親族らしき人がヒットした)は知ってるけど。
ちなみにアイマスは、ミリマス抜かした765プロ全員小鳥さん含むの名前と性格と、大体の生い立ちと、ジュピターの大体のキャラと、876プロのキャラの大体の性格を知ってる感じ。
曲はひととおり聴いてる。2次ネタも知ってる。はるちは好き。やよいおりも好き。美希→真←雪歩もすきだけど、FierstStageが好きな自分としては、雪歩を同性愛者にしてしまうのはキャラ解釈としては間違ってる気がする。選べって言われたら真美派だけどやっぱり二人セットが良い。あずささんと大学ですら一緒にいれない(あずささんは短大だったが)年齢差になってしまいショックを受けた。律子がなんで18で就職を選んだのか気になる。小鳥さんと本出したい。鬼ヶ島羅刹さんが俺様系だと思ってたら意外とオタク趣味でびっくりた。あえて北斗さんを弟にしたい。逆に翔太はおにいちゃんにしたい。
エグザイルは自信満々で狙っているだろうけど、もうその時期はおっさんだろうから落選。
AKB48も、もう駄目だろう。さすがに旬は過ぎてる。
モモクロももうつらいところだろう。もういい年になってるはず。
坂本龍一もなんだかんだでいそうだな。総監督とかちんぷんかんぷんな感じで。
サザンのひとも参加したそうだが健康状態が不安だし、外人に売れていないだろうから却下。
松田聖子もいそう。娘と一緒に歌うとかそういう付加価値をくっつけて。
カタカナとかアルファベット2文字系の女性歌手もウォーミングアップしてるだろうなぁ。誰だか区別付かないけど。
倖田來未(どうしても ぎょうだくみ と読んでしまう)も偉そうなポジションから歌いたがりそうだ。よくわかんないアカペラとかで。
おだかずまさもいるんだろうな。 あのへんの人たちが再結成して世界中をおいてけぼりにしそう。誰それ?みたいに。
ゴジラやウルトラマンはおっさん思考でぶち込んできそうだ。とんちんかんなクールジャパン。
それならガンダムとかそういうのも突っ込んできそう。
本日から私はボカロファンを全員ゴミ扱いすることとなりましたのでご報告いたします。死ねばいいのに。 - 今日も得る物なし
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20130617/1371473505
だそうですが、それ本当にボカロファンですか?
AKBのファン以外も人が集まる場所でアンチAKBが勢いづいてるのではないですか?
話題作りに使われた上に面倒くさい人たちまで連れてくるなんて迷惑この上ないです。
選挙特番組まれるくらい露出量がすごいんですからアンチが多いのは仕方ないですけどね。
AKBを大事に思うならコラボを盛り上げて、やってよかったと思わせてください。
そういうのがないってことは結局だれもコラボを歓迎してないんじゃないですか?。
それから最初のブログではAKB批判はブスの僻みという結論になってますけど違うと思うのです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm7630464
声優になる前の小倉唯のみくみくダンスなんだけど賞賛されまくりですね。
当然歓迎される理由としてはボカロ界隈への寄与ってのもあります。
そんなわけでアイドルでもパフュームやモーニング娘には感謝しています。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm21008085
http://www.youtube.com/watch?v=z9kUUc3eEZU
特にモーニング娘のOne・Two・Threeカメラの使い方でずいぶん面白さが変わって興味深い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm20110516
AKBファンもダンスモーション配布して布教もといステマすればいいのに!
自分は子供のころナイター中継でいつも見たい番組が見られなくて野球嫌いだったんだけど、
この動画で野球ファンへの見方がガラリとかわりましたよ。マジでほろりときた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm4048581
というわけでAKBのファンの方は明日からMMDでダンスモーション作ってください。よろしくお願いします。
追記:ボカロとAKBの比較的上手くいった(?)勝手コラボ(題材にしただけ)はあるにはあるんだ。
でも、同時に申し訳ない気持ちになるんだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm16531235
↓なんかもうだめかと思ったら1位になったそうですねオメデトウ!
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm19042393
Facebookで次のようなやりとりがあったので、貼り付けます。皆さんの思考の一助となれば。
(補足:本題は、AとC、Eのやり取りです。B、Dのコメントは前振りです。また、イメージがわきにくいので、男女の別と肩書きを付しました)
AKB48メンバーの恋愛・丸刈り問題、フランスの新聞「リベラシオン」にも掲載されました。
タイトルは「日本のダンサー少女の丸刈りに衝撃」で、事実を淡々と伝えています。You Tubeの画像が24時間で300万回以上再生されたとか、日本で大騒ぎになってるとか。彼女は「自分で決めた」と強調しているとか。それで、「第二次大戦後ナチの将校と寝たフランス女性の懺悔を思い出させる」という反応とか、「これが先例になったら困る。青少年への影響を考えろ」というツイッター上の反応とか紹介してます。そのうえで、。「このように日本の懺悔の伝統に少女を追い込んだことについても、恋愛を禁止したことについても、このような有名人プレッシャーをそれを負うには若すぎる少女に課したことについても、誰も罰せられない」と皮肉っています!
私は、You Tubeは世界中から見られるので、日本の恥を世界にさらさないで!と危惧していましたが、恐れていた通りになりました。 http://next.liberation.fr/musique/2013/02/01/surprise-chez-un-danseur-une-chanteuse-japonaise-se-rase-la-tete_878485
どこかで、次回出すCDに、切った髪の毛を入れて発売するという記事を読みました。すべては商業的に仕組まれたことだったのではと思います。本当ならば、なんとしたたかなことか。
Bさん、私も作為的なものを感じます。でも、それが商業的に成功する国・社会であってはいけないし、フランスはAKBのような存在そのものが成り立たない成熟社会です。
商業的に成功するんでしょうか?さすがに切った髪の毛をCDに入れるのには、ファンも反対すると思うのですが。まあ、ファン以外の人がたくさん買うと思うので、売れることは売れるかもしれませんけど…。
AKBのような存在そのものが成り立たないことを「成熟」と捉えることには反対です。
Cさん、反対の理由は何ですか?確かに「成熟」にはいろいろな意味があるので、ちょっと良い表現ではないかもしれませんが。
Dさん、そうでしたか。うっかり、ひっかかりました。(^^ゞ
端的に、成熟(その裏返しとしての未熟)といえる根拠がないと思うからです。逆に、成熟と捉える理由はなんですか?
ところで、フランスでは、AKBは人気がないですが、モーニング娘。は結構ファンがいるようです。どういう差なんでしょうか…?
私の考える「成熟社会」とは、自由、平等、法の支配がより行きわたる社会です。子ども、女性、障がい者等、弱者の権利がより守られる社会です。
もちろん、この問題1つだけで日本が未熟でフランスが成熟しているという根拠には不十分かもしれませんが、たとえば日本の新聞で、上のように「誰も罰せられないのはなぜ?」と疑問をなげかける新聞があるでしょうか?フランスにももちろん闇の部分はたくさんあるので、100%良い国だなどといいう気は全くないのですが、女性差別とか児童・暴力ポルノ問題への批判に関しては、日本の数歩先を行っています。モーニング娘やコスプレが人気と言っても、あくまで「しゃれ」の範囲で、今回のような丸刈り事件には大多数が反対するのがフランス社会だと考えています。
Aさんのおっしゃるような社会を「成熟社会」と呼ぶことには違和感はありませんが、AKBのようなアイドルが存在しえないことは「自由、平等、法の支配がより行きわたっていること」と関係がないように思います。
児童ポルノ問題については、日本はアメリカやヨーロッパ諸国に比べると遅れていますね。性差別については、議論が盛り上がっているということ自体は先を行っていると言えますが、議論の進展状況については、フランスでのヒジャブ禁止問題を見る限り、単純にそう言えるか微妙なところもあります。
今回の丸刈り事件については、日本でも批判的な見解が大多数だと思います。例えば、朝日新聞の記事はかなり批判的です(http://www.asahi.com/national/update/0201/TKY201302010381.html)。この記事は、むしろ、上記のフランスの新聞よりも問題状況を理解していると言えます(この件について、坊主にされたフランス人女性の話と比較させるのは的外れです。もちろん、単に市民の反応を紹介しただけ、という言い訳はできるでしょうが)。
Cさん、朝日の記事は読みましたが、私には批判的とはあまり思えませんでした。特に、後半の危機管理のプロとかいう方の「謝罪は成功」とか、「アイドルは商品。ブランドコントロールは何よりも重要です」というコメントで締めくくる記事構成は、それを是認しているととられる可能性大です。「反省してるから許してあげて」と言いますが、反省する必要はないし、それを売りにしていること自体が明治時代以来の処女神話というか、女性の商品化(差別)の表れと思うと私には耐えがたいのです。フランス社会はそれに抵抗があるからAKBのような存在が(ごく一部のマニアックな層に人気が出たとしても)メジャーになることはないと思っています。
へジャブ禁止令もそもそもイスラムの女性差別に対する批判からでてきた話で、しかも禁止は学校内だけですから、問題ないと思っています。
察するに、今回の件に関してどのような理由から批判するのか、という点について、Aさんと朝日新聞とでは視点が異なるのだと思います。朝日新聞は、「アイドルの恋愛禁止」をやや批判的に描き、「反省の手段として丸刈りにする」ということを体罰あるいはパワハラに類するものだと批判し、また、マーケティング戦略として失敗したのではないかという角度からの意見を紹介しています。そこには、「女性差別」の話は登場しません。
今回の件を女性差別の問題と捉えることは、的を失していると思います。もちろん、女性の商品化→即差別と考える人がいるのはわかっていますが、自分はそうは思いませんし、そういう考え方が一般的だとも思いません(これに対し、男性女性問わず、性の商品化自体が心地良いものではないという意見は多いと思います。それは差別とは別の問題です)。
ヒジャブ禁止は、フランスの差別解消についての独善性が出たものと思っています。ムスリム女性自身の反対を押し切って、よく施行に踏み切ったなと思います。
それはともかく、AKBが存在しえないことが成熟社会である、という言明は、Aさんのコメント内容から推測すると、結局、「女性の商品化は差別である」→「AKBは女性を商品とするものである」→「AKBの存在は差別である」→「差別のある社会は成熟していない」→「AKBの存在は未熟を表す」という思考過程を経ているという理解でよいですか?
女性の商品化=即差別とは私も思いません。それこそ大人の男女が自らの魅力を演出してそれを売りにすること自体は、職業として成り立つのでしょう。でも、そこに「恋愛禁止」のルールなど入りこむすきはないですよね?その自由の否定とそれを受け入れる社会が未熟だという考えです。校則なども一種の自由の制限として私自身は反対です。
なので、上記の「女性の商品化は差別である」という命題からは出発しません。AKBのような未成年を商売道具として利用する大人に対する批判はあるので、AKBに限らず、「10代のアイドルは大人が子どもを商品とするものである」→「特に処女性を売り物にするアイドル(たとえばAKB)は女性差別である」→「子どもを商品としたり、女性に限らず、差別を許す社会は未熟である」という思考過程を経ているかな?と思います。
このAKBの構成員たる若い女子の丸刈りが、いかに多くの女性から嫌悪感を帯びて見られているか、秋元某はわかってないでしょうね。この嫌悪感は、まさしく「女性がオッサンから商品化」され、「搾取」されていると嗅ぎ取っていることからきます。また、「若いにーちゃんがこれを見て喜ぶだろう欲求」を充たしたと、商業ベースから判断されていることを嗅ぎ取っているからでしょうね。
法や人権に携わる者が、これらのことに鈍感であってはならないと強く感じます。そういう意味での「嗅覚」、とても大切ですよね。頭で理屈づけることなど、後から暇な人がすれば良いことです。これが社会的に、また若い女性、若い男性に与える悪影響から考えると、即刻このような「性の商品化」はやめるべしだと思います。また、森美術館の例の展示も、いま問題の体罰も、根っこに同じものを感じます。
Aさんの仰ること、私には大変よく理解できます。ロースクールも法学部も、真面目にジェンダー法に取り組むべきでしょうね。
そうそう思い出しました。キャリア教育などでも「自分を商品と思って売り出すなら、なんて売り出しますか?」というフレーズを使う講師に、それは不適切だと抗議したことがあります。人間は売り物ではありません!それを、いけしゃあしゃあとやっている大人たち、買う人間がいるから売るという発想の大人、これは本当に断罪しなければなりません。
謝罪って・・・誰に対して?写真集の犯罪については責任者=男性・権力者の落とし前は社会的にも不問で、労働者=女子は人権も人格も否定される不平等が搾取だし、キモい。日本はジェンダーバランスの点では著しく未熟な社会である。
AKBの女の子と同じくらいの年齢の娘がおりますので、この女の子の丸刈り姿を直視できません…。これがもし自分の娘だったら…と考えるだけで、死にそうなくらいイヤな気持ちになります。そんな集団に入ることを許してしまった、親としての自分のあり方を呪うと思います。
この画像に対する嫌悪感は、表現しがたいほどです。女性が「罰として丸刈りにする」という行為自体が、ナチスの収容所に入れられた女性や、大戦後、ナチスとの付き合いがあったことで丸刈りにされた女性たちを連想してしまうのです…。
こんなことがまかり通る「幼稚」な国であるということを、臆面もなく世界にさらしてしまったことは、本当に恥ずかしいと思いますね。
私も朝日新聞の記事を読みましたが、あれのどこが批判的なんでしょ?しかも、その記事の横に「板野友美引退」ですよ?スポーツ紙か?と突っ込みました。
テレビのニュースも然りです。この気持ち悪さ、不快感の本質をついてくれない。
Aさんのスレッドを読ませて頂き、やっと胸のつかえがおりました。
>Aさん
女性の商品化というよりは、子供の商品化が問題であり、また、それとは別に、処女性を売り物にすることが女性差別だということですね。処女神話はたしかに女性差別の意識の発現と言えるでしょうから、処女性を売り物にすることが女性差別意識を払拭することを妨げると言うことはできますよね。
ただ、たしかに「男はあの映像を見て喜ぶ」と演出サイドが思った可能性はありますが、実際にはそんなことはおそらくありませんので(喜ぶ人もいることはいるでしょうが)、演出サイドを責めるならともかく、今回の件に対する批判の声が多い現状に鑑みると、社会を未熟と言ってしまうのは、卑下しすぎではないかと思わないではないですね。
少数派の意見を正当化しなければならないときには「嗅覚」だけではどうにもならないので、理屈付けが必要です。もちろん、問題発見のプロセスでは、理屈付けの前に「嗅覚」が先に立つわけですが、正当化のプロセスにおける理屈付けがなければ、味方同士の馴れ合いで終わりです。
>Cさん
「嗅覚」が働かないような人は、学者にも司法関係者にも人権に携わる人にもはなれませんね。どこぞの弁護士みたいに人権が飯のタネ、なら別ですが。かしこぶっても、痛みをわからない人に理屈をつけられるよりは、まずは気持ち悪さを「共感」できる人でないと、自分はおろか他者の「権利」なんて守れませんからね。「正当化のプロセス」を他者がしたり顔ですることが、問題発生のすぐの時点でそんなに必要とは思えません。それを味方同士の馴れ合いなどと断言されるというのは、やはり第三者である自分を安全地帯において評論する、というところからですかね。
Cさん、大衆論理は常に正しいんですかね。女性のことに関して女性の意見を聞かない男性に何がわかるのでしょうか。古代脳である嗅覚すらないならもはや生物とも思えません。
リア充とコミュ障についての一般的理解についてはすでに得られているものと仮定する。ところでこれは世界一般の傾向とは言いがたい。コミュニケーション力のあるなしは、たしかに社会での成功につながったり、リーダーとして選ばれる資格ではあったりするものの、社会全体を二つに分けたりはしない。同じ趣味を共有する者たちは、リア充であろうとコミュ障であろうと仲良くする。同じようにリア充であっても価値観、例えば政治信条が違うなどすれば必ずしも仲良く話したりはしない。これは西洋社会のことを説明したのだが、アジアや中東やアフリカがそれぞれ違うかもしれないが、いずれにせよ世界で一般的な社会構造とはいえない。
日本での特徴は、コミュニケーション力が高く集団のリーダーになりうる人間に、その他大勢のある程度コミュニケーション力ある人間がコバンザメのように付着し、そしてその外的構造であるコミュニケーション力がかなり低い人間を自分たちの場にいれないように蹴落とそうとするところにあると考える。ある種のコミュ力の低い人間、たとえば極めて知能の高い人間や有名スポーツ選手などはリア充集団に歓迎して迎えられるが、それはリア充集団が彼をどう捉えるかによって決定されている。つまり、社会構造の決定因子はリア充クラスタの集団意思に拠っている。
ここでアニメ・ゲームをはじめとするオタク文化を考察すると、ここは実のところ必ずしもコミュ障 ∋ アニメオタクという符号が成立しないことには、この分野に詳しい諸家はすでにお気づきのことと思う。大方コミュ障はアニメ好きを許容し、リア充はアニメを毛嫌いするような一般的合意があるように思われるものの、その結果としてリア充クラスタにおける「アニメ好き」趣向は、まるで韓国における「親日」と同じレベルのタブー、クラスタからの脱落を意味しかねない極度にセンシティブな因子なのである。かくしてリア充構成員はたとえアニメ好きであったとしてもそれを隠蔽する傾向にあると推察される。一見すると強力に両クラスタ間を分別する因子がオタク文化のように感じられるかもしれないが、実のところ本質的な差異である「コミュニケーション力(あるいは空気を読む力)」に比較するとオタク文化の識別能力はさほど高くない可能性がある。リア充クラスタにおいて本来オタク文化を好む傾向を持つものは、宮崎アニメ好きやゲーム好きなどという仮の衣をまとっていたりすることがあろう。
ここでコミュニケーション力の高い人間の中でもリア充クラスタを引っ張るほどに実力の高いものには、上記のタブー要因が作用しないことにも注意したい。かくしてリア充リーダークラスに認められたオタク文化、例えばゲームであるとか、エヴァンゲリオンなどと言ったものは、一時的ではあってもリア充クラスタに受けいられることはある。しかしその発言権を有するのはリーダークラスだけであって、構成員はたとえエヴァンゲリオンが面白いと感じてもそれを口にだすべきではないわけだ。
もしこれを読むリア充構成員が、そんなことはなくて本質的にアニメなどくだらなくて毛嫌いすべきもの、自分はどこまで言ってもあんなものを理解することはない、と思うとしたらそれは知性のなさを吐露するものと捉えられよう。どんな文化にもその文化の理解と経験からなる文脈的解釈があって、たとえば夏目漱石を読みたいたいならその背景のあの時代の日本の小説文化をわかっていないと凄みがないし、ゴダールを楽しみたいならヌーヴェルバーグについての一定の知識がないと到底わからないだろう。これらのマニアックな趣味ならばこの発言はすぐに受けいられるが、これはたとえばレディー・ガガだって、浜崎あゆみだって、「読モ」だって同じ事だ。「読モ」なんていうのはあからさまに文脈的文化であり、芸能界と大衆一般文化・特に女子高生文化との異常な接近を意味しているに過ぎず、これがたとえば欧米社会に言って受けいられるようなスター性がある人間たちだとは到底思えない。それはしかし逆も真であって、現在の欧米のセレブリティが普遍的価値を持っているわけでもない。さらに欧米であったって、日本のアイドル文化の文脈を理解した者たちは、熱烈にモーニング娘を支持したりする。結局のところ文脈だ。そしてその文脈を理解した時、アニメの面白さというものが血となり肉となって味わうことができるのであるが、アニメの文脈を捉えようとしたことのないリア充が「アニメなんて子供のものでつまらない」と言った時、文脈をきちんと理解した時彼が同じようにつまらないと思うかどうかはわからない。本当はそのアニメの強力な支持者になりうる資質をもっていたかもしれない。
ここでまず第一の議論に入ろう。先日、プリキュア好きのアホな若者が未成年者略取の事件を起こした際、プリキュアを見るような成人男性は幼い女の子を誘拐しかねないから監視すべきかという議論があった。ここで、金銭目的ではない幼女略取事件を起こすための決定要因はロリータ・コンプレックスの存在にあるとする。これはいいだろう。
おそらくコミュ障・ロリコンの人間はプリキュアを見ている。それは否定しがたい。相関も出るだろう。コミュ障でミリタリーが好きな人はエリア88を好むかもしれない、そういった趣味傾向の行先として当然の帰結であろう。しかし、リア充・ロリコンは、上記の社会的プレッシャーによりプリキュア好きを公言しないか、もしくは好まないもののそれは文脈理解の不足によるもので、コミュ障と同じだけのアニメ文化の洗礼を受けた上で見てみると、その人間の本質的な趣向はプリキュアを是とする可能性がある。プリキュア視聴という因子は、リア充でロリコンの人間を識別する能力を全く持たないと考えられる。
そこで、プリキュア視聴の幼女略取事件発生に関する精度が高いためには、コミュ障の条件付けでは相関があるものの、リア充の条件下では相関が出ないと思われることから、そもそも幼女略取を起こすのはコミュ障であってリア充は起こさないかもしくはとても可能性が低いという前提が必要だ。しかしこれは確認されていない思い込みである。過剰な前提である。コミュニケーション力の有無によって幼女性愛傾向が決まるというのは過剰な前提だ。そもそも幼女に話しかけてつれさってどこかで何かしようという行為はコミュニケーションによって成立しているように思われる。
であるから、現在の情報をもとにプリキュア視聴によって幼女略取を推定できると考えられるとは思われない。しかし研究対象としては興味深い。本当にコミュ障でプリキュアを見てという人がほとんど幼女略取事件を起こしているのか、それとも実はリア充で、社会的理由によりプリキュアを見ていない者が、ロリコンなので幼女略取事件を起こすのか。報道などを総合する限りは、野球選手で幼女にイタズラした事件なども含め、必ずしもコミュ障だけがこの手を事件を起こしているとは思われない。私の直感では、「プリキュア視聴」の識別能力はさして高くないものと思われる。私はここでことさらプリキュア好きな人を擁護したいのではなくて、我が子を守ろうという社会的行動にあってプリキュア好きを調査する行為はおそらく無意味であって、それよりももっと他の面を充実させることで犯罪抑制を図ってもらったほうがよいだろうという思いから述べたものである。
次に第二の議論に移りたい。
最初に述べたようにリア充クラスタにおいて、アニメ好きというのは集団からの集中攻撃を受け、個体として排除される可能性を生むほどの強烈なタブー因子である。それでは、人生のある時点においてコミュ障クラスタからリア充クラスタに移動した人間においてはどうであろうか。これは一般には「大学デビュー」などと称される現象として観察されている。
これは私の話である。高校時代はエヴァやガンダムW、3x3アイズやああっ女神さま、ロードス島戦記といったそんな世代だ。コミケは所要で行きそびれたが、今から考えると正解だったか。萌えとかいう言葉はなかった、と思う。大学に入った当初くらいはエスカフローネやウテナを見ようとしていた記憶もある。しかし内容については一切記憶が無い。私は結果として、アニメ好きを決して公言せず、周囲に同調して「この年齢でアニメ見るとかヤバい」「twitterのアニメアイコンキモい」とか言い始めるようなそんな人間になっていた。実際には周囲の人間は、「こいつちょっとオタクくさいよな」とは思っていたかもしれないが、リア充クラスタというものは、大学レベルで就職なども視野に入りポリティカリー・コレクトな発言を志すようになると、「僕はリア充クラスタに入信したいです!過去のことは水に流します」という気持ちでありさえすれば受け入れてくれるものである。そしてなれないおしゃれな服を買ったり、カラオケではやりの曲を歌ったりするのである。高校まではバカにしていたような、軽薄な恋歌を。そうやっていると、「彼女」が得られるのだ。現代日本社会において、古代ローマ帝国における「ローマ市民」を意味する社会階層に移ることができる。
ところで彼女を得たり、彼女を得るための努力をしたりしているうち、軽薄だと思っていた恋愛の歌が、実際に経験してみると自分の気持ちや彼女の気持ちをわりとうまく表現しているということに実感が至り、そうそう軽薄といってバカにすべきものでもないなとも思う。とはいえ思ったこと感じたことを書いただけで、より深い洞察はどこにもないが。ショッピングも、自分がその中で役割を演じる主体となってみると、無駄な時間と思っていたそれがわりと楽しいものと感じる。買ったものが無駄であることに変わりはないが。
結局のところ彼女に最高のプレゼントを購入し、サプライズ込みの記念日を演出する自分がいながら、その傍らでそれを冷めた目で見つめている自分がいる。オタクコミュニティの言説への親和性はその後もずっと高く、それになんとなく寄り添う気持ちは持ち続けている。
ところがだ。たとえばネットで、オタクへの攻撃的言説があったとしよう。両世界を知る人間としては私は言うが、そのほとんどは謂れ無き差別、思い込み、妄想のオンパレードで、リア充側に理があるといったことはほとんどない。実のところ私と同様に二つの世界を移った人間が、コミュ障的世界への決定的決別を宣言するがために、わざと理不尽な攻撃を繰り出しているのではないかと思えるほどである(そもそもネット系ツールで自分の主義主張をかましてしまうような人間が、オタク文化に一度も染まったことがない可能性はどれほどなんだろう。はてなならまずそれはないと言い切れるが、twitterなら真っ当な人間もいるのかもしれない)。ここでわたしは実名世界ならば「まあまあ」といったところでお茶を濁すところだ。一方匿名であれば、コミュ障側への深い理解と共感、リア充の身勝手さへの反感を述べるのである。それができるのがネット世界であった。わたしの年齢だと、大学くらいから徐々に浸透してきたものだ。
ところがそれに対する反応はどうか、「上から目線だ」「こいつオタク装ってオタクじゃねえ(やはり短期間でも離れると会話についていけなくなる世界だ)」「とにかくむかつく」というような、つまり、リア充がリア充そのものの発言をした時よりもよりいっそうの猛烈な反発をくらっちゃったのである。うん。くらっちゃった。僕はコミュ障のオタク達を助けたかっただけなのに・・・
ここでは韓国において、日本のリア充にあたるのが「反日」、コミュ障が「親日」と考えよう。親日っていうのがいるのかいないのかわからないと言われるかもしれないが、私は少なくともそれなりに知っている。しかし強烈なプレッシャーがあり口にだすことができないという。社会で生きていくのに困難さすらともなう、場合によっては転向を要求される、転向しさえすれば許される。これがコミュ障クラスタと似ていないと言えようか。一方、反日クラスタの中では、ちょっと過激すぎて理不尽とも思われるような反日的発言(日本の高校生のバットは圧縮バット、みたいな)が容易に許される、やや知的に劣等な面が見られる。そう、これがリア充クラスタだ。「親日」側は日本の「コミュ障」よりもはるかに強烈に弾圧され法律まで持ちだされて言論封殺されているような環境ではあるが、構造としては似ている。
そこで李大統領は、就任前の経緯や就任当初の発言を見るに基本的には「親日」側の人間であるように思える。韓国政界でもそのように攻撃されていた。であるが、そこは韓国だ。私が実は井上喜久子姉さん(17)が好きなんですーなんて口が裂けても言えないのと同様に、李大統領も本来の親日発言をすることはできないのだろう。した瞬間に引きずり降ろされる。しかしそれでもなんとかしてやりたい。僕はもうアニメ好きには(親日には)決別してしまったように社会的には行動していたとしても、自分は自分として評価されなくてもいい、ただし何か一つでもアニメ好きの人たちが嫌われない、少しでもよく思われるように、こちらがわ(反日側)の内部からそのクラスタを説得できるようなことができないものだろうか・・・
アニメが危険なものだなんて証拠はないって言わなければ(過去の記憶だけにとらわれず前向きに行こう)、でも僕自身はアニメ好きなわけじゃないって付け加えないとねリア充の人たちから疑われるし(従軍慰安婦への謝罪が不十分だ)、あとアニメ好き側の人も振る舞い方を少し気をつけたほうがいいよねって書こう(天皇陛下に来てもらって謝罪をするなど大胆な行動が必要だ)、そうするとリア充側も納得するだろうし・・・
で、もちろんリア充の方に向けて発言してるわけだから、自分はアニメを支持するわけではないっていうニュアンスをちゃんとただよわせなきゃ(来たいなら来ればよい)、そうしないとむしろ自分が攻撃されてしまうしね・・・
それで猛烈な反発を食らってしまった。ほんとは僕はあなた方のために行動したかったのに・・・(日韓関係の専門家を集めて、真意が伝わっていないと不満をもらす)
どうだ、見事にハマっているわけではないか。李大統領はかつてオタク文化にハマったコミュ障住人で、ある時点でリア充クラスタに移ったのだがあの時のオタク文化に恩を返したい、そんな義理堅いやつなんだ。だけどそんなことしてオタク側から猛烈に反発くらっちゃったわけなんだな。
という壮大な妄言はここで終わりです。
アイドル業界に詳しくない人は驚くかもしれないが、根っからのアイドルオタクは秋元康が嫌いな人が多い。
なぜか?
まず、秋元康という人は、実は王道を好まない。アイドルにアイドルらしいことをさせるよりも
アイドルにアイドルらしくないことをさせたがる。その方が面白いと思っているのであろう。
おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」でSEXのことをズバリ歌詞にしたりするのが良い例で、
根っからのアイドルオタクにとっては、こんなものはアイドルが歌う曲として認めらないのだ。
AKBも初期の頃は、「援助交際」「孤独」「自殺」「いじめ」といったネガティブなテーマな曲が多い。
しかし、こういった異端の曲は王道があって、そのアンチテーゼとして初めて評価されるもので、
当時はアイドル業界が冬の時代で王道が不在だったためまったく売れなかった。
AKBは、その後、王道路線に変更することでブレイクするが、正直、秋元康としては不本意なのだろう。
もう一つ、秋元康は、アイドルは消耗品だというスタンスを貫いている。
AKB自体、芸能界に入るための学校という位置付けにして、アイドルは卒業しないといけないものとしている。
この秋元康のスタンスは現実的に正しい。例えば、AKBの前は、モーニング娘がブームだったが、
当時、モーニング娘のファンだったアイドルオタクたちが今でもモーニング娘を応援しているかと言えば違う。
辻ちゃんなり、加護ちゃんのファンは、彼女たちがアイドルというフォーマットから外れればファンを辞めるのだ。
アイドルオタクは、アイドルを消費して、そのアイドルが消耗したら、また違うアイドルに移るのだ。
64円のペンに「モーニング娘」とプリントして1000円で販売「これが現代の錬金術か」
ttp://www.nihongodeok.net/entry/353
302.名無しさん@十周年[sage]2010/03/19(金) 08:30:10 ID:NuTvkLLm0
おまえらも子供をもつとわかるが、アンパンマンのはびこり具合は異常だぞ
やなせたかしどんだけ儲けてんだよ
357.名無しさん@十周年[sage]2010/03/19(金) 08:44:39 ID:LHX8K7wn0
»302
たしかにアンパンマンには恐怖すら覚える
368.名無しさん@十周年2010/03/19(金) 08:49:51 ID:F+SlF2mj0
»302
やなせさんは銀座で豪遊してるかもしれんが、一方で町のパン屋さんが
餡パンマンを作って売るのはOK、だそうで、幼稚園バスなんかもおなじく
OK、なんだそうだ。
器が大きい。
芸能界とか疎いんだけども、たまたま韓国の女性アイドルグループらしき人たちの動画をYoutubeで見た。
そしたら日本の今のアイドルと呼ばれる人たちのパフォーマンスと比べて、歌もダンスもスタイルも、あるいは芸能の道に生きる意識もめちゃレベル高いように感じた。
一言で言うとプロっぽい。
日本じゃ素人っぽい親しみが売りのアイドルがここ10年ちょっと主流に見えていて、なぜかというとモーニング娘とかあの系譜をイメージしているからだけど、あれって一般の女子からオーディションで選出してたんだよね?まあ一般とプロが地続きのような演出と、芸能のレベルの高低とは別だけれども、結果として甘さとか緩さが見えちゃう。これからその韓国のグループを調べて、一般から募集したメンバーだったら、まったく馬鹿な話だけど。
まあ、かわいいだけじゃない凄みのようなものを感じたといいたかったんだ。
担当というのはその人が一番好き!という事。
たとえになりますが、A子ちゃんはジャニーズの中のBというグループが好きでBメンバーのLという人が一番好き。二番目はR。三番目はK。あとはどうでもよかったり、好きでなかったりするメンバー。
この状態のA子ちゃんはL担となります。副担はR。
これだけなら判るのです。担当というのは一番ファンの方を判りやすくしめす言葉ですから。
判らなかったのは「同担無理」でした。
:同担の方はごめんなさい。
:L担の方は大切な友達がいるのでごめんなさい。
これが本当に理解できなくて。
どうせ友達や知り合いにになるなら同じ人のファンの子の方が会話も合うし楽しくないの?と。
で、いろいろ友人に話を聞いたところ理由の一つがコレでした。
「自分の担当の人にファンサされても、隣に同担の人がいたらどちらのうちわや行動をみて反応して貰っているか判らないから」
ジャニーズのコンサートにはファンサービス(略してファンサ)があります。
メンバーが自分のうちわを持っている(ジャニーズのコンサートグッズの定番はメンバー顔写真のついているうちわです)ファンの人に手を振るとか、うちわにかいてある文章(投げCHUして!とか)を行うというモノ。
友人だとコンサートも隣同士の座席に座ることが多いです。
自分の担当の人に手を振ってもらえたと自分が思っていても、隣に同担の人がいたらどちらのうちわや行動をみて反応して貰っているか判らないから。
…ええええ。どっちでもいいじゃないか。
ここにあなたのファンがいますよ、大好きですよ、がんばってねって応援してますよって判ってもらえれば。
と私は思うのですがやっぱり違うようです。
私がメンバーにアプローチしたい場合なら同担を避けるんじゃなく同担で固まると思うのです。絶対に。
チケ取りで制限枚数ぎりぎりまで取って同担で固まって座って。メンバーカラーがある子ならそのカラーの洋服を同担全員で着て、担当の子の公式うちわ改造して表面がその子の写真。裏に全員で内輪かざした時にその子へのメッセージが文章になるように文字入れして。
その方が単品でいるより絶対目立つよ!担当に反応してもらえる確率格段にあがるっ!!
と思うのです。
私自身はうちわは手が痛くなるので嫌いな上、おばさんなのでメンバーに眼をとめてもらいたくないので絶対にしませんが。
ハロプロ界にはこんな制度なかったと思うのですが…あったのかなぁ。
景気がいいときほど暗めの歌が流行って、景気が悪いときほどやけに明るい歌が流行るってのは昔からの鉄板だろ。
反抗的な歌が流行るのはそれだけ反抗してる余裕があるってこと
今の若者はそんな余裕もなくて、普通40、50と落ち着いてきてからようやく思えるような「おかんありがとう」を、20代で既に言っちゃってる。なんかふけてるんだよ。皆あんまり無理しないし。安定しこうだし。若者なんて無謀な夢を目指すもんだが、20代辺りですでに母、父という身近な幸せみたいなのにしがみついてる。ある意味、そうさせたのは上の年代のせいだし、仕方ないんじゃないのか。
ぬ、ちょっとわかってきたやうな。っていうか何が議題に登ってるのかは俺自体もさっぱりわからないのですが
俺は男子だから、「女子は??」というくくりでしか話せなかったが、こうして女子の意見を聞いてみると同意できる部分が多々あります。
私は男性の方が女性の表面しか見てない傾向が多いように思うけどなあ。
表出してる言動だけ見て、どうしてそういうことをしているのかという動機の部分までは全然見えてない(興味がなくて見ようとしてない)感じだ。
正直なところ、これは多々あることだと思います。
自分の身近にある少ないサンプルから考えてみても、男子はそういう側面が多いです。
そして、あまりその女子の内面に価値をおかないことが多々あります。
それは、内面をみない、というか、判断基準が相容れない、といったことも同時に多いような気もします。
それが女子にとって「彼氏は私を理解してくれない」というふうに映るというか。どっちもどっちでよく見てませんね。
ビジュアル系のライブとかアイドルに群がる女性たちは、相手のアーティストが自己演出したいイメージだけでなく、そういう自己演出を選択するに至ったバックグラウンドまでひっくるめて受け入れてるんだよ。
男性の方がむしろ、グラビアアイドルを顔とかスタイルとかせいぜい売り出し路線ぐらいまでしか見てなくて、どうしてそういう路線で売り出すことにしたかなんてことまで見てない人が多いように見えるけどなあ。
ここに関しては少し異った思いがあります。
個人的な経験からですが、『そういう自己演出を選択するに至ったバックグラウンド』これ自体が理想化されていると思うのです。
ビジュアル系のある程度ファンついてる人たちとぶっちゃけの飲み会したらそういう気分にもなりますよ?
しかし、男子のほうもそうでしょう。
しょこたんとかのアイドルだって、モーニング娘とかにしたって、ほんとにファンの妄想が押し付けられた形であると思います。
(例外は多々あると思います。できれば今回は一般的な例で目を細目にしてまとめてみてくれはるといいかと思います。)
とりあえず何かをまとめてみました。
これ自体が暴力的なきめつけかと思いますが、どうでしょうか。訂正あればどなたでも是非。
完全に元増田の話からはずれてしまいますが、個人的な話題のレスに絡めて話します。もやもやー
あなたが自分を曲げて相手の女の子を釣ってるなんてことは相手にはお見通しだと思うよ。
自分に好意を持ってくれたから、そうやってこちらに合わせてくれてるんだな、と思って、それを嬉しく思って受け入れたのに、お付き合いの段になったら釣った魚には餌をやらんとばかりに今度は相手が一方的に自分に合わせることを強要するからうまくいかないのでは。
前半部分そのとおり。
エサがどうとか正直なところ思ったことはないですが、「餌を欲しがる」彼女を見てげんなりしたことはあります。
別にそれをするのにはやぶさかではない、むしろ喜んでくれたら嬉しいほうなのですが、
恋愛って、ものすごく利害関係の一致をベースとしているんだ、みたいな直感を得てしまってげんなりしたのです。
それは、そのときの私自身の「恋愛」に対するイメージを基にした幻滅でありますが、そういうげんなり感を得た男子は多いのではないでしょうか?
(あたし|おれ)はここまでがまんした。だからあなたは(あたし|おれ)の望むことをすべきだ。
こういった思いがどこかにあるような気がどうしてもするのです。
もし、本当にこういったものがあるとするならば、この思いは一体どこから紡がれたものなのでしょうか?
友人関係ではほとんどこういったことは起こらない。幼馴染とかでもそうです。
好きだからなにかしてあげる。喜ばせてあげよう。そんな程度ですよね?
なにか、女子(男子も、でしょうか)が得意げに語る「恋愛」の根底には、もっと言語化できないどろどろとした感情があって、
そこが「恋愛」という言葉でオブラートにつつみ隠されて正当化されているような気がするのです。
そのオブラートで守られているからこそ、そういった要求が互いに違和感となって感じられるのではないかと思います。
だからこそ、恋愛で、女子は男子の本質を見てはくれない、といったことを自分は書いたのです。
ちなみに、書いてる途中に発見したのですが、このもやもや感といいたいことをうまく表してくれたのがこのエントリ
http://anond.hatelabo.jp/20080404171531
現実世界をトレースするだけの「おままごと」でさえ、その行為の前には、
「誰がどの役をやるか(誰に何を求めるか)」というグロテスクなやり取りがあるんだよ。
正直、これだけ抜き出すのはこのエントリの誤読にあたると思います。
ですが、これこそが違和感の根源に近いような気もするのです。まるで、恋愛って、非人間的なロールプレイゲームのようなものな気がしませんか?
あと、ここだけは全力で反論したい。
それにそういう女性がいいけどそんな相手は滅多にいない、なんて嘆く男性に限って、女性の方が自分よりそのフィールドに詳しかったらこれまた不機嫌になったりするんだよね。
そんな女性がサイコー、大好きと言う男子はかなりいるはずだ!!!!!!!
クーデレしかり、理系女性に対する一部男子の需要をなめちゃいけないと思います、いやほんとに。
書いてて思いました。
やっぱどこかにそういう思いがあるんでしょうね、だからこそこのエントリは糞なのです。そして私の意見(だったのか?)はひっくりかえる。ちゃぶだい返しです。
いやいや、それは違うと思うよー。
確かにハロプロに夢中になってたヲタ出身のサブカルオヤジ達は(ライムスの宇多さんを先頭に)こぞってPerfumeの方に移動してるけど、
それはPerfumeファンの総数から見て割合的には決してそう高くないと思う。
Perfumeには他にも「とにかくグッドミュージックなら何でも聴く重度の音楽ファン」、「ただの可愛いもの好きの女の子」、「なんか最近よく出てくるから気になってるただの中高生」、
「QJとか読んでるようなサブカル気取りの『私って変わってるんです』系」、「いわゆるクラバー」、「普通のアイドルオタク」、「ファッションとしてPerfumeを聴きこなす人々」etcetc,
ありとあらゆる人々がそれなりの割合でなんとなく集まって、なんとなく「Perfumeって最高だよね」で一つになれてるのがすごい所だと思う。
そういう意味ではPefumeはモーニング娘やHALCALIが越えられなかった壁を越えられるかもしれない。無理かもしれない。どうでしょう。
最終弁当さんのブログ,更新頻度高いし内容も濃いと思うのでアンテナ登録してるのだが,正直更新が楽しみなサイトというわけではないんだ。ここ言ってること矛盾して聞こえるかもしれないが,なんというか,読んでおくべきという思いで読んでるという感じ。読みたくて読んでるというよりは。
色々いいこと書いてるんだろうけど感動したことはないし,なるほどと思ったこともない。大抵,読み終わった後ちょっと不快になる。なんなんだろうこの感じとずっと思ってたんだよね。
こないだっつっても1??2日前だけど,やる夫のクラシックのやつあったじゃん。あれ俺面白いなーと思ってさ。クラシックってよく分からなかったし,あの切り口はいいなと思った。
最終弁当氏もこれについて言及してたんだけどさ,「ようつべのリストが良かったのかな」とか,「ここらへんは実はちょっと違う」とかそういう態度なんだよね。
いや,えーと,最終弁当氏クラスになればクラシックも当然把握してるんだろうし,あのエントリに俺ほど心動かないのは分かるよ。間違いが見当たれば言及してしまうのも分かる。
たださ,この人って一事が万事この調子だと思うんだよね。他人の粗探しばっかしてるというか。いいところを褒めないで悪いところはけなす。ある程度ものが分かってくるとそういう境地に達しちゃう人っていると思うんだよ。世の中を皮肉的に捉えるという。そういうとこあると思うんだよね。
昔2ちゃんのモームス板に「りょーしん」って男が出没してたんだ。知ってるかな。モーオタの巣窟に「モーニング娘の何が良いのか全く分からない」ってスレを立てたんだな。当然何人か文句言いにくるじゃんか。そいつらをさ,論破するわけよ。凄まじい勢いで。ものすごい理論的に反論するの。口癖は「意味不明」。
それ読んでてさ,すげーと思ったんだよ。なんて議論がうまいやつだと思った。ただ,ものすごいイライラしたね。りょーしんが勝ってることは分かったけど,りょーしんの側に立ちたいとはこれっぽっちも思わなかった。まあそう考えると「議論がうま」かったかどうか微妙なとこなんだけどさ。
りょーしんの特徴として,自分の感情を一切表に出さないってことがあったのね。「じゃあお前は誰が好きなんだよ」とか聞かれるじゃんか。そういう質問には一切答えない。「言う必要を感じない」とかなんとか。とにかくさ,自分の感情を出しちゃったら,そこにつけこまれるってことをよく分かってたんじゃないかな。議論に勝ちたかったら,淡々と,ロボットのように受け答えすること。そうすれば相手がそのうち勝手に自滅する。今思えば,りょーしんの議論術ってそういうことだったんじゃないかと思うわけよ。
そういうニュアンスをね,最終弁当氏にも感じる。今有名ブロガーなんてのが結構いてさ,dankogaiとか池田信夫とか。そういう人らって結構熱いじゃん。だからそこを叩かれるときもあるなあと思うのよ。でも最終弁当氏が叩かれてるのってあんま見ないのね。なんでかなーと思ってたんだけどこういうことなのかもしれない。ブログを書くにあたって,叩かれないようにしながら一定の位置を確保するという目的に照らし合わせると,最終弁当氏のやりかたってのはひとつの結論なのかもなーとか思う。ただ,最初の話に戻れば,俺はあんま好きじゃないなーということ。否定はできないけど,肯定したくない。そういう感じ。
Perfumeについて、たくさんたくさん好きな人が人がいて、褒めまくってる人もたくさんいるのは知っているけど、未だにその褒めるために使われている言葉の数々が「Perfumeじゃなきゃ出て来ない賛辞」に全く聞こえず、なんか置いて行かれたような気持ちです。
えー?だから、どこがいいのかもっとわかりやすくはっきり言ってみてよ。って。
例えば、モーニング娘を褒める時と違う言葉で褒めてみてよ。って。
(私(女です)が好きなのは踊りが変だからですかね…。
踊る女の子ってすごい活き活きしてるっていう先入観と言うか、概念があったのですが、あんなカクカク踊られた日には気にも好きにもなりますって感じかな)
perfume好きなのはわかったけど、それ、Perfumeじゃなくてもよかったんじゃないのみたいな。
そんな思いが離れません。
おっさんにもわかりやすく語ってくれる人がいたら、ホントに、モーニング娘。並みにPerfumeは流行ると思うな。
Perfumeの、Perfumeだけの良さ、誰か教えてくれる人いたら教えてください。これはマジで。
素直に音がいいとか、かわいいとか、なんでもいいです。
#追記
なんか私がPerfume好きじゃないみたいにブクマでも書かれてるけど(笑)
えーっ!?どうして!?好きだって理由も書いてるじゃんね。。。
ものを好きな態度って人それぞれだし、私みたいに薄いファンで
もっと好きになりかけてる時に、まわりの濃さに「なんでそこまで思ってるんだろ?」って感じる人とか多いと思うけどなぁ…。
ファンが排他的なのはよくあることだから仕方ないから気にしなくていいコメントだとは思いつつ。
決め付けとレッテル張りをすぐしちゃうなんてさみしいわ。。。
これみたいなもんか。
1 名前: 水先案名無い人 投稿日: 03/11/23 12:08 ID:+Ciz7U4v
しぶいところではサザンなんかもきっちり押さえてますよ。
ロック以外でもいろいろ聴いてるなあ。浜崎とか林檎とか好きだし。
宇多田も倉木も両方好きだし。意外に思われるかもしれないけど、
でも近頃はオアシスとかも好きになってきた。
あと落ち込んだ時なんかにはレディヘとか聴いたりして・・・
まあモーニング娘を聴いてるような人とは音楽の話はしたくないね(笑)http://that.2ch.net/gline/kako/1069/10695/1069556884.html
1.ミーハーな人、2.ミーハーな人を叩いている(けど実体はミーハーな)人、
3.それを叩く人、4.俺、5.お前、6.大(略)