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はてなキーワード: デザイナーとは

2015-08-22

デザイナーっつってもさ、多摩美とか武蔵美とか偏差値40程度の大学でてるやつらの作品なんてたかが知れてる

佐野研二郎の騒動みててそういうことを思ったよね

やっぱ頭の良しあしってデザイン重要だよなってね

本来デザインお絵かきのうまさじゃ超えられないものなのに

お絵かきうまいからってどや顔デザイナー名乗ってるけどさ

東大に字がうまいから入学できるようなもんだよね

http://anond.hatelabo.jp/20150822141301

いやいや、デザイナークライアントって広告代理店、あるいはそのクライアントである大企業だろ。

そのへんの情弱相手の商売ならともかく、大企業がわざわざ佐野のためにそんなリスク犯してくれるかね?

今、佐野なんか使うよりも無名新人使った方がよほど損がないわけじゃん。

佐野研二郎さんの今後の人生

どうなるんだろう。

オリンピックロゴを作るデザイナーとして選考される訳だからさぞ輝かしいエリート街道だったろうに。

奥さんもそれを含めて好きになったろうに。

それが今回の騒動で全ておじゃん。

日本人って割と失敗って許さないし根に持つから佐野さんは今後なにかっちゃーパクリだのなんだのって言われると思う。

これってデザイナーとして致命的じゃない?

いくら今後独創性を持ったオリジナルデザイン作成しても「実はパクリかも、、、」って目で見られるんだよ。

俺だったら絶望するわ。

家族も鼻高々だったろうに今ではコソコソしなくてはいけない。

将来子供が親の名前をググったらこパクリ騒動が出てくる。

いわば日本デザイン界隈の頂点にいた人が立った一つの事で地位が地に落ちちゃったんだよ。

人生って本当に何があるか分からない。

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

・1行目でデザインクラスタであることを宣言

文章が長い

・伝えたいテーマがぶれているため、支離滅裂

デザイナーってみんなこんなやつばっかりなのか(観測3回目)

http://anond.hatelabo.jp/20150822100131

うまくパクって再編集して売るっていうのが新しいデザインの形なんだろう。

デザイナー大儲け。

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

デザイナーの卵を教えることが多い立場増田だけれど、今回の件(サノケンというか、世間デザイナーに対しての無理解に関して)で、美大デザイン科の学生モチベーションは大きく下がってるよね。

「この職業デザイナー)は、こんなに世間理解されてないものなのか」という言説はよく聞く。

そんな中、客観的に状況を分析し、統デに対して、デザインに対してあくまポジティブ姿勢である元増田は偉いな〜と思う。

数日前に別の増田が、「ものづくりに対する無理解とリスペクションの無さが問題」と言ってたが、まさにその通りで、今デザインを学んでいる学生さんたちを取り巻いている状況は決していいものではないと思うんだけれど、是非未来日本のために頑張って欲しい。

デザインに限ったことではなく、どの分野においても担い手すらいなくなってしまったら、文化死ぬので。

デザインは、なにか他のデザインと似てしまう時もある

とかドヤ顔でいいながら、その時、デザイナーはどうあるべきかを教えてないのか?

あるいは、「開き直れ」とか教えてるの?

中途半端学問ですね。最初からデザイナーとしてのあるべき姿とか、心とかは期待するだけ無駄か。

情デ卒の視点>"多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと"

多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと』という記事に対する考えを述べようと思います

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

エンブレム正当性についてー

・"最初自分があのエンブレムをみたとき直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムをは一線を化すような新しいデザイン

新しい東京イメージを担ってくれるような力強いものに感じました。"

・"現状では異端であるもののそれがこれからベーシックになっていくはず"

多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと』の筆者は上記の様な内容を、エンブレム批判されるべきではない理由としてあげていますしかし、どれも論理的ではなく、感情論しかありません。

デザインとはある程度の理論存在し、その上にビジュアルの様な表層に見えるかたちを構成するものです(私が学んだことが正しければ)。"直感的"、"シック"、"新しい"、"東京イメージ"といった感覚的な部分を持ち出し、それを理由として扱うのには無理があると考えます

私個人の見解エンブレム評価に価する点を述べるのであれば、ロゴが”展開する”という部分でしょう。文字への展開、ピクトグラムへの展開、映像への展開など、様々なメディアへの仕組みこそがこのエンブレム本質だと思うのです。これらの展開する仕組みの齎す価値は不動のものだと考えます佐野さんの会見でのプレゼンテーションに寄っては、印象が大きく変動したように思えるし、ビジュアルの印象が良くない点が今回多く取り上げられていると思いますが、それはモチーフ曖昧であること、形に込められている意味が表層に現れていないことなどが原因ではないかと推察しています。著名なデザイナーの方や、デザインを学んでいる学生などがこのロゴ批判しないのは、単なる擁護ではなく、ロゴの仕組みを推察し価値見出しての意見だと考えておりますが、もちろん一般にその仕組みをプレゼンテーションすることや、ビジュアルに仕組みを表すこともデザイナー仕事であると思っております。その点は佐野さんの今回の会見は残念で致し方ありません。

筆者はデザイン感覚のみで捉えているような意見しか述べていなかったので、理屈的な部分を理解していないのだと考えています。表層的な部分を見て判断するのであればデザインを学んでいる学生としての視点にすら及ばないと思われます

情報デザイン学科が失敗であるという意見

現在確認したところ記載内容を削除されておりましたが、"情報デザイン学科は、先端技術を用いて新しい可能性を模索することに力を注いできたが、”ただ新しいことをする”学科に陥っている。卒業制作展を見に行ったが、アニメーションクオリティーは低いし、キネクト使ってることがすごいというアピールをしているかの様で気持ち悪かった"

というのが大まかな筆者の内容です。

筆者は、”なにかから影響を受け、文脈形成されていくことを「パクリ」の一言否定しないでください。”とも仰っています

情報デザイン学科卒業制作展に赴き、感覚的に得た情報クオリティーが低い、気持ち悪い)を持ち出し学科自体批判していることは、ロゴパクリだと批判している意見と違いはないように思えるのです。

根本的に考れば、"学科が失敗"することの定義曖昧であり、失敗ではない例とはどのような存在かを述べていませんし、統合デザイン学科の"ベーシック"を学ぶこと()成功したという実績が存在するのでしょうか?対として情デが"新しいことをするだけの学科であるとすれば、統合は"ベーシックしかしない"ということになりますし、発言軽率であることは確実です(削除されたので自覚したとして捉えていますが)。この意見ロゴ批判と違うと思うのであれば、もう少し理屈で語っていただきたいと考えました。

最後

デザイン感覚がすべてではありません。機能意図的に含めた様々なアウトプットデザインです。それを学んだのが情報デザイン学科でした。

今回取り上げさせて頂いた記事があまりにも破綻しているように思えたので、書かせていただいた次第です。

長々と書きたくなかったのですが、文才のない私にはこれが限度でした....。

乱文ではありますが以上が私個人的意見です。ありがとうございました。

追記

とのことでしたが、情報源はどちらですか?これもまたネット批判の悪い点と同じで、情報源を明示することや自身理屈の元で意見として述べるのであれば良いと思いますが、それが事実かどうか、何故そう思うのか、という所を明確に述べないまま批評するのは、"なんとなくロゴがかっこ悪い"、"多分パクリ"、と言う方々となんら変わりはないと考えています誤情報錯綜するのがインターネットですが、発言する際に少しの考えを載せるだけでも変わるのではないでしょうか。

人が製作した作品に対して、展示を見に行っただけで"クオリティが低い"と述べる方は、本当にその作品クオリティーを見ているとお思いでしょうか。文脈によって形成されるロゴ否定しないで欲しいと本人が述べているにも関わらず、文脈の見えない視点から人の成果物批判をしていては矛盾が生じます。それがデザインを学んでいる方のするべきことでしょうか。ちなみに私は、クオリティ感覚であると述べている訳ではなく、引用元の筆者の述べている内容は感覚的に捉えたクオリティだけであると述べているのです。背景などを読み取らずに捉えたものが"クオリティ"であるかすら疑問ですが、私自身は文脈を含めてのクオリティである認識しています

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

トートバッグ監督不行届かもしれないけど、デザイナーとして絶対やっちゃいけないことだよね。

エンブレム問題トートバックの問題根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。

音楽アーティスト音楽と全く関係ない事故おこしても、CM降板される世の中で

そりゃ一緒にしますわ、てか貴方そういう花形仕事するのにまったくもってふさわしくないわ!!って事なんだとおもうけど?

2015-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20150821204104

それな。

経済的に優位に進めようとすると、デザインより、ブランディングを重視する可士和法に行きつく。

我々は生きていくために経済と付き合わなければならない。

であるために、デザイナーモラルなど守っていたら競争に負け生きていけないのだ。

 

どの業界にも言えるけどな。

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

言葉で説明すると、これだけの量がかかるところを、一目で良いと思わせたり、一目で説明したりするのが「デザイン」だろう?

デザインの裏には、書ききれない思いや説明があるのは分かるよ。でも、いや、だからこそ、デザインて、それそのもの一目でスベテを語るわけで。だからこそ、デザインは見た目や印象がスベテなわけで。

それで、あのエンブレム。あのエンブレムを見て、僕ら素人のみんなが感じたことが、そねデザインに対する評価のスベテだよ。

言葉で延々と説明するなら、デザイナーじゃなくて小説家を目指したらいいよ。

オリンピックロゴ

佐野さんの騒動がここまで大きくなったのは

ザハさんのコンペの審査において、その道のプロ審査に対する不信感を植え付けたことと、なんだかんだその審査結果がぐだぐだの末、白紙に戻ってしまったことも少なからず影響してると思う。

好き嫌いみたいな話になりやすものは、あれがいい!これがいい!みたいに大勢が言い出したら収集がつかないから好き嫌いをなるべく排除してそのもの価値を問えるような人として)プロ審査するコンペがあるのに、その重みがなくなってしまったんだろうと。

あと前からうっすら思っていたのだけども単純にデザイナーという職業に対する憎悪みたいなものも、あるのでしょうか?

だとしたら、どうしてネガティブ感情が向けられているのかわからないのだけれど、ちゃらい感じの人が多いと思われているのでしょうか?

グラフィックデザイナー仕事をよくわかっていないような意見もたまに見かけるので、業界の偉い人含め、地道に説明して世間理解を足すことも必要なのかもしれないですね・・・

あ、デザインを盗用したしないの話を軽視してる訳ではないです。

盗用したんであればかなり腹立たしいですし、それなりの処遇があってしかるべきだと思います

ただそこを判断するのは、どんな業界でも素人判断するべきではないし、その道のプロがしっかりと精査して判断するべきだと思っているので、ここまで外野がわーわー騒いでいるのはなんでだろうかと思っているのでした。

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザイン歴史が深くなり文脈形成されていくと、そこには明らかな引用模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザイン歴史が続いていくことそれ自体否定することと同じになってしまます。なにかから影響を受け、文脈形成されていくことを「パクリ」の一言否定しないでください。

海外元ネタの方のデザイナー権利から批判されてる理由について、元増田見解を聞きたいな。

中には法的措置まで言い出す人もいるんだけど、彼らは「デザインの知識や歴史を知らない素人」だから怒ってるのか?

真摯デザイン歴史を学んだ人ならば怒ったりしないのか?

佐野研二郎さんはじめ、今回の件でなくてもあらゆる人が「在日」だとか「売国」だとか決めつけられ、それが批判のいち要素になる社会に疑問を抱きます・・・

在日ネタの発端は、佐野事務所するサイトネームサーバーが「zyappu.com」で、ホスティングサーバーNHNの子会社というのが元ネタだろ。

そしてそれが騒がれ始めた直後に「お名前.com」に変更されてる。

是非はさておき一応の火元はあるんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

造形的にベルギーデザイナーエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。

そんなに言うなら、過去オリンピックロゴマークについてもをパパッと元ネタなり何なり出してみせればいいじゃん?

とりあえず過去30年分の夏冬の五輪エンブレム置いとくから

別に全部網羅しろとは言わんから、ここ最近の分をいくつか「第xx回大会ロゴは△△のデザインの影響を受けてます」とか「第yy回大会ロゴは○○の流れを取り入れてます」みたいな感じで説明してくれ。

それで今回の問題ロゴと同レベルで似てるケースがゴロゴロ出てきたなら納得する奴も出てくるだろ。

例の件であのデザイナーに同情的な一線級のプロ達がそれをしない理由は何なんだろうな。

俺には不思議で仕方がない。

http://anond.hatelabo.jp/20150821213540

ベルギー美術館にもそう言えばいいんじゃね?

あんたらはデザイン素人から知らないだろうが、ああいデザインは偶然似てしまうなんてのはよくあることなんだからあんまりガタガタぬかすなよ」ってさ。

デザインの浪費

だいたい2000年ごろには新築をしなくなった。工場とか大型店舗新築ってほぼなくなった。建物が余りはじめて、店舗を出したければ既存空き家を使って内装看板だけやりなおせばいい時代になっていった。過剰な消費が終わってきて、健全な方向に向かったような気がする。でも、飲食店などを見ていると、売れないので閉店と新規開店を繰り返していた。看板だけ取り替えて。そこで出てくるのはデザイナーと言われている人の仕事。店のマークやらロゴやら、メニューやらを新しくする。でも、これも浪費されてる感があったよ。中身がなにもないのに、デザインだけ新しくして。そんなもんにカネを使って。という感じ。肝心の食べ物刷新されてない。

バブル崩壊後、建築屋はずいぶん批判されたんだよ。ムダな建築をつくっては壊してと。建て主の要望通りやってるから建築業者がそんな自覚を持つわけはないけど。デザイナーも同じだと思うんだよね。業界社会の浪費の元になっているとは気づかない。文化を低下させているとは気づかない。いっけん、新しく見えるもの大量生産して大量消費させて、自分たちは紙に描くだけなんだからエコじゃないかと勘違いしてる。でも、それは違うんだよ。目にするデザインが新しくなってクルクル変わること自体が浪費なのよ。

建て主が、建て替えようかと思っていても、ムダだと思えば、既存建物を利用して増築する案も提出する。いまでこそ、古い建築を利用するのが当たり前になっているけど、自分建築屋でやっていた時代は程遠いものだった。築30年なんて壊すのが当たり前で。古いってだけで壊すんだよ。痛々しかった。デザインやってる人は、まだその浪費の時代バブルの時代から抜けきれなくて、建築デザインやらせると、バブルっぽいデザインをするのね。デザイン業界って建築業界より20年遅れているような気がするんだよ。やっぱり紙に描くものからカネのかかり方に現実味がないんだろうなと思う。1980~90年代建築家設計事務所も、同じようにデザインを浪費していた。現実にできあがった建物があまりに使えなくて、取り壊されるなんていう浪費の極地みたいな無残な建築家もずいぶんいた。デザイン業界も、自分の作ったものが向こう数十年は使えるものとして、浪費の対象にならないように気をつけるべきでしょ。浪費だなあ~という感覚が、素人ユーザーになんとなく察知されれば、いまの時代ではそのこと自体バカにされる元になる。それがプロにはわかってないように思える。

五輪ロゴの「俺の作ったロゴのほうがイケてるwww」っていうのうざい

最初に言っておくけど盗作問題には一切触れない。

デザイナーとかアートディレクターってクライアント課題を解決する立場なわけ。エンブレムとかロゴ企業の顔じゃん。

テクノロジー企業から先進的で、だけど人との繋がりを大事にする会社だってことを主張したい」とかさあ、「古い歴史のある旅館だってことをアピールしたい」とかアホみたいに漠然としてたりもするけど何かの要件定義があって、それを達成するためにデザイン作業をするんだよ。

もしクラが「田舎お土産からあんまり洗練された感じじゃなくてむしろちょっと絵心のあるおばちゃんが描いたようなダサくて素人っぽい雰囲気出したい」とか言い出したらそれを達成するためにダサいロゴ作る。これもう絵心のあるおばちゃんに頼んだほうが早くねって思いながら作る。クラがダサいものを求めてるから

ここでいやダサいもん作るんじゃなくて適切な提案しろよって言われるかもしんないけど、それお前ら的には「どう考えてもおかし仕様書が来てどうしようもないけど仕様通りに作るしかない……」みたいな話なんだよ。

飲食店から食欲を増進させるために青をメインカラーに使う」ってくらいおかしかったら仕様バグから確認するけどさあ、明らかに子供しかうけない商品なのに「イメージ転換のために新しいロゴを作る。今までのイメージを壊してシックで大人向けにして」とか言われたって、はあそっすかーって頷くしかないじゃん。自爆する気配しか無くても。ここで「いや、この商品には合わないしイメージ壊しちゃまずいですよ。子供向けに作ります」って返事するのが正解なの?なんでデザイナー商品販売戦略とかイメージ戦略にまで口出しすんの?おかしいだろ。そんなイメージ転換したら売上落ちるかもしれないですけどホントにいいんですかって確認するのがせいぜいだ。

何が言いたいのかって、持て囃されてるロゴはこの要件定義をされてないわけ。強いて言うなら日本国民が求めてたっぽい「イケてる感じ、華やかに、日本風に」に沿ってる。作ったデザイナー独断で。そりゃウケるだろうよ。

実際のコンペ時の条件は元ページが消えてるしググってもググっても情報出なくて検索力の低さを痛感してるんだけど、何かの記事で「展開性重視、前回の東京オリンピックロゴイメージ継承対照的パラリンピックロゴ作成」とか見た記憶がある。

実際、採用されたロゴを見ると華やかでわかりやす日本らしさはそんなに求められて無かったと思うんだけど。すげえシンプル路線だし。

なのに要件無視しておれのかんがえたさいきょうのろごでざいんをドヤ顔で出してる奴はひたすらにうざいから滅びろ。作るなら元の求められるコンセプト確認してから作れ。「多くの人で支えられている日本」をコンセプトにとか言ってるけど、それお前が勝手必要だと思ってるだけじゃねーか。

コンセプトから好きにできんのはアーティスト特権デザイナーにそんな権限はねーから!!

多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと

佐野研二郎盗作疑惑について(学生個人の意見です/2015年8月23日時点)。

彼はご存知の通り多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業し、現在アートディレクターをやりながら多摩美術大学統合デザイン学科の教授も務めています

実際には、まだこの学科自体設立から2年目で、佐野教授自身講義を行うことは今までにほとんどありませんでした(というか、私はまだ彼の講義を一回しか受けていません)

統合デザイン学

統合デザイン学科は、多摩美の本キャンパスとは別の上野毛キャンパス世田谷区)にあります

学科長はプロダクトデザイナー深澤直人教授で、そのほかに、ウェブデザイナーインターフェイスデザイナー中村勇吾教授HAKUHODO DESIGNの永井一史教授、そしてアートディレクター佐野研二郎教授の4人と統合デザイン学専任講師先生構成されています

現状、学校によくいらっしゃるのは深澤直人教授統合デザイン論)と中村勇吾教授メディア技術概論)で、あとのお二人は統合デザイン論に前期で一度講義をしたぐらいです。3,4年から講義が「プロジェクト」という形態に変わり、そこで教授別にクラスが再度編成され、たぶんそこからお二人もがっつり学校にいらっしゃるようになるはず。

世間的に言えば「つぶしのきく」学科だと思われがちなのですが、実際には「デザインベーシック」つまりデザインの基礎を最初の2年間で徹底的に教わり、そのベースを生かして次の2年間で社会的ローンチできるプロジェクトデザインを学んでいきます。具体的には現在グラフィックプロダクト・インターフェイス描写などの必修と、そのほか選択を受けています教授の顔ぶれをみてわかる通り、細分化されたデザインあらためて"統合"することで、「これからデザイン」に特化した人材を育成する学科です。現在デザインのものが非常に広い意味をもつようになり、そんな時代において「グラフィック」や「プロダクト」などに特化しているだけでなく広い知識と経験を持った人材必要とされています一見デザインとは直接関係のないようなこと(たとえば佐々木正人さんによる『アフォーダンス』の講義)や、表面的なグラフィックの造形技法からCADを利用した立体物、Webやメディアアート作品などに応用されるプログラミングなどいろいろな技術を学ぶことと同時に、それに付随する感覚みたいなもの学習しているように感じます。実際、そういった感覚みたいなぼわっとしたもの現場で役立つこともあり、領域の垣根を越えることでみえてくることや繋がることもたくさんあります

武蔵美の基礎デザインとどう違うのか、と聞かれることがあるのですが、基礎デとは根本的に近いはずです。学科長は原研哉さんで、そもそも深澤教授は基礎デザイン学科の教授だった)

(とにかくやることが多いので、課題の量は半端ないです。たまに自分がなにやってるのかわからなくなります。あと先生たちもまだどのくらいの量の課題を出したら学生達の生存に関わるのかをよくわかってないっぽい。勘弁して欲しい。)

先ほども言った通り、まだ学科が生まれから2年しか経っていないので、3,4年を経験した学生はいませんし、卒業生もいません。だから就職先のデータもなく、倍率はそこまで高くないのですが、統合デザイン学科特有のコンセプトに魅力を感じて、たとえば多摩グラ受かったのに蹴ってこっちに入学したり、試験内容が東京藝大のデザイン学科に似ているところがあるので(平面構成)そこを目指す人たちが受けたりすることもあるみたいです。

〜〜

ざっと学科についてはこんな感じです。詳しくは学科サイトをみたり、各教授のNHKプロフェッショナルとか本をみたりしてみてください。デザインに興味のない人でも、おもしろいと感じる点はきっとあると思います

さて、たぶんこれを読んでるみなさんが一番興味があるのは佐野研二郎さんについてだと思うので彼の話題に。

オリンピックエンブレムについて

 関係ない話ですがエンブレム発表の前日に佐野教授現場の手伝いに行った視デの友人曰く、めちゃくちゃ笑顔だったようです。彼自身亀倉雄策さんのオリンピックエンブレムがかなり好きで、それを(いい意味で)引用して新しいエンブレムを作り出し、それが選考で選ばれたんだから、嬉しくない理由がわかりません。

 最初自分があのエンブレムをみたとき直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムとは一線を画すような新しいデザイン、新しい東京イメージを担ってくれるような力強いものに感じました。そしてそれと同時に、あ、きっとこれ佐野さんのデザインだ!と思いました。たぶんそう思った要因の一つに、中央の「黒」の棒の部分があります。完全な黒ではありませんが、こういったエンブレムで無彩色の黒を使うのは一般的にはわりと暴力的結構批判もきそうだなと思ったのですが、そもそも佐野教授自身黒色を多く用いることで有名なので納得がいきます。たとえば、「統合デザイン学科」のロゴやその周辺のデザインはすべて白と黒形成され、学科の、現状では異端であるもののそれがこれからベーシックになっていくはず、という考えや、力強い勢いを感じられ、学科学生の多くはこのデザインを気に入っています。他にも東京国際映画祭ロゴをはじめ黒を多用したものは多く、今回のエンブレムに関して喪章だなんだと言われていますが、まあそういうネガティブイメージで彼がデザインしたということはないかと思います

 造形的にベルギーデザイナーエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。というか、そもそもロゴの本とかをみると似ているもので種類分けされているぐらいです。造形的に似ているからといって、そのなかにあるコンセプトは異なります。造形的な点のみで「パクリ」だと決めつけてしまうのは、あまりにも強引なのではないでしょうか。今回のエンブレムは、エンブレムとしてのオリジナリティよりもその拡張性や普遍性を追求した、シンプルで力強いものだと感じています

 さらに、ベルギーデザイナーはそのロゴ商標登録していないとのことです。となると、エンブレム側にまったく問題がないと言っても大丈夫なのではないでしょうか。

 記者会見佐野教授感情的だったという話がありますが、もともと彼は自分自身でも「おれはキレキャラだ」とおっしゃっていたり、講義中に実際にキレてくれたりするので、まあ無理はないかなと思います。余談ですが彼は最近藤子・F・不二雄関係仕事が多く(映画TOYOTA広告成功から)、ドラえもんミュージアムにあるレストラン新聞広告用の写真を撮りに行った際「ジャイ子の“ハット”シュッドビーフ」がもう販売中止ということを聞いて、レストランの方に無理を言ってその場で作ってもらい、その写真新聞広告に載せメニューを復活させたという逸話があります。好きなものに対してのオシは誰よりも強く、普段から感情的にはなりやすいような人なのだと思いますhttp://fujiko-museum.com/blog/?p=18605/

 このエンブレムに唯一問題があるとすれば、なんとなく「高揚感」が感じられないところです。ただ、それは佐野教授問題があるのではなく、それはこのデザインをたくさんの候補の中から選んだ選考委員問題があるのです。他に、もっとオリンピックらしさ」があって、高揚感の感じられるデザイン案なんていくらでもあったはずです。

 その選考一般的選考会の方式をとっているのであれば、いまいわれている佐野さんのデザインから特別に選んだということ憶測もありえないのではないでしょうか。基本的選考名前を伏せるはずだし、原研哉さんや葛西薫さんをはじめ他にも応募した有名デザイナーはたくさんいらっしゃいます(応募基準も厳しい http://www.fashionsnap.com/news/2014-09-19/olympic-tokyo-emblem/)。

トートバックについて

 これについては、一人のデザイナーとしても、いち仕事人としてもありえない行為だと私は思います。まったく擁護できません。佐野教授下の人がやったとしても、「佐野研二郎デザイン」と書いてしまたからにはそれなりに彼にも大きな責任が生じるし、そもそも画像からまるごとトレース(というよりコピペ)するのはまさに「パクリ」で間違いないと思います。いかに制作環境が劣悪だったかがわかります一般的デザイナーであれば、なにかをトレースする際、そういう素材の揃ったサイトに月額とかでお金を払って利用したりしていることがほとんどかと。こんなやっつけ仕事お金がもらえるなんて、純粋に「いいなー」と思いました。バレてよかったですね(今後のMR_DESIGNのためにも)。

デザイン業界は"腐っている"?

 ネット上では佐野教授周辺の関係図みたいなもの話題となっています審査委員が同じだとか、広告代理店が牛耳っているだとか、いろんな話があります。つまりデザイン業界は身内のなかで行われているということです。残念ながら、それは確かにあると思います業界内で評価するシステムというのは確かにあるし、長嶋りかこは彼の直属の後輩です。

 自分の話になりますが、私は実はまったくデザイナーになりたいと思っていませんでした。多摩美の、統合デザインに入りたいと思ったのは、まさにそのコンセプトに魅力を感じたからです。深澤教授のおっしゃっていた「いいものを触った時、『これがほしかったんだよね』と人は言う。本当に欲しい物のかたちは、すでに決まっている。」この言葉が、デザインのみならず広い意味で今後の「デザイン」に応用できると思ったのです。だからいまでもグラフィックプロダクトをやりつつもそれが最終地点ではなく、デザインという思想や考え方をあらゆる事柄に応用していきたいと考えています。そういうことを学ぶには、ぴったりな学科です。そして受験勉強をするために、予備校に通い始めました。そこの授業ではあらゆる有名デザイナー作品が取りあえげられるのですが、その中にはどうしても理解できないものもありとても悩んだこともありました。もしかしたら、そういったものなかに現在問題視されているような業界評価システムの土壌でうまれものもあるのかもしれません。

 一般人に受け入れられにくいデザインは、果たして優れたデザインと言えるのでしょうか。なにをもって、ただのデザインは優れたデザインになりうるのでしょうか。その答えはまだ私にはわかりません。

そのほかのデザインについて

 いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザインの歴史が深くなり文脈形成されていくと、そこには明らかな引用模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザインの歴史が続いていくことそれ自体否定することと同じになってしまます。なにかから影響を受け、文脈形成されていくことを「パクリ」の一言否定しないでください。

 今回の件で佐野教授問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。

亀倉雄策仕事で一番好きなのは1964年東京オリンピックエンブレムだ。シンプルで力強く、唯一無二のデザイン。いつの日かこのようなシンプル骨太仕事がしてみてみたい、と思うようになった。ニッポンを、世界を、あっといわせる仕事。一生に一度でいいからそういうデザインをしてみたい。シンプルであること。明快であること。太くあること。Simple. Clear. Bold. ある日から僕のデザインの指針となった。デザインとはなんだ。デザインにはなにができる。そういう自問自答を繰り返した。(中略)目の前の画面は世界に確実につながっている。デザインシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザイン思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に。ストレスはある。でもいつも朗らかである。そういうデザイナーでありたい。デザインの道はまだまだ続くのだ。負けない。僕には亀がついている。亀はゆっくり、確実にやってくる。

佐野研二郎

 エンブレム問題トートバックの問題根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。

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(追記1) より主観的意見です

エンブレムについて、おそらく審査員も彼の作品だと見ただけで分かる人もいたかと。黒を使用したこと、そしてあのTOKYO 2020のフォント。あれは東京国際映画祭ロゴでもおそらく使用していましたし、彼のデザインだと一目でわかる点でもあります。正直、あのフォント幾何学図形を用いたあのデザインにとって最も理想的フォントであったとは思いません。

学生じゃないだろみたいな意見をみて「いや学生ですけど・・・」と匿名なりに思ったりしたしそれを証明できないのもなかなか悔しいのですが、多摩美術大学統合デザイン学科の学生です。「業界の端っこにいるみたいな気分になってる時点でこの界隈の闇を感じた」美大って、セミプロみたいな人が集まるんだと思います。それは、一般大学とは別の特殊試験内容が課せられるからで、それをクリアするために誰しもある程度のレベルの状態で入学してきます。そういった意味で、業界の端っこみたいな感覚私自身拭えない点です。生意気だと思われてしまったら、申し訳ないですが・・・

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(追記2)

ベルギー側が商標登録していないためエンブレム盗用疑惑について私は「まったく」問題がないと書きました。著作権がある、ということだけでエンブレムとの類似性を訴えられるのであれば、本当にどんなデザインでも訴えられてしまます商標というシステムは、そういう意味でも機能している。ただ、自分自身勉強不足でもあるのでもっと調べてみますhttp://ipfbiz.com/archives/olympiclogo.html たださっき調べたら、東京オリンピックエンブレムもまだ商標登録が済んでいないとのことで・・・w

佐野教授への評価は、私自身、下がりました。学生とき評価とかなにを偉そうにと言われるかもしれませんが。こんな仕事をするひとにはなりたくないな、と純粋に思いました。トートバックのような小さな仕事でも、しっかりと制作しなければ、大きな仕事、つまりオリンピックエンブレムのような仕事ダメになるというか、結局ものをつくるとき姿勢ってそのひとの評価デザインにもちゃんと反映されるんですね。この一件はデザイナー関係者、それを学ぶ学生、もしくはいままでデザインの外部にいたとされていた人たちにとって、デザインとはなんなのか、パクリ模倣とはなんなのか、そういったことを知り考えるきっかけとしては良い機会になったと思うのです。だからこそ、そこで歪んだ考え方や間違った見解が社会に浸透していくことは、できるだけあってはならないことだと思います。なにが正しくて、なにが間違っているのかすらよくわからない時代ではありますが。

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(追記3)

多摩美情デに関する批判は完全に話題から脱線している内容であり、改めて読んでも全く的を得ていないものです。訂正しお詫びします。大変申し訳ありませんでした。

・ご指摘の通り「在日」や「売国」などに関しては一部のネットユーザー根拠のない事実拡散しているだけだと認識しています。この一件を複雑化させるだけだと感じたので訂正しました。

http://anond.hatelabo.jp/20150821030205

金だけじゃなくて「オリンピックロゴやったデザイナー」と言う宣伝効果も莫大だよね。

ここ踏まえてないのはおかし過ぎる。

佐野研二郎さんの東京オリンピックエンブレムの件、議論の整理

ちなみに私は佐野さんとは全く関わりがないし、デザイナーでもない。

さん付けしてるのは全然知らない人なので、最低限の礼儀です。

オリンピックエンブレムは何のためのものか、あるいは制作者は何のためにオリンピックエンブレムデザインするのか

前者に関して、たぶん明確な要件などなくて、そこをクリアに明文化するだけでも正直相当骨がおれる作業だと思うのでパス。誰か書いてくれ。

後者に関して、基本的にこういうほとんど金のでない仕事自分のためにやるものだ。

仕事としての意味よりも作品としての意味合いの方が大きい。

作品として」というのは、デザイン歴史に対する作業だ、ということだ。

現在視点から歴史を丁寧に編んで、なんらかの判断を加えたものを形にしたのが作品だ。

なのでデザイン歴史を知らないやつが文句を言っても意味がないし、

未だ言語化されていない違和感感覚して指摘する訓練を積んでいないやつが文句を言っても意味がない。

グラフィックデザインとしてのポテンシャルや位置づけに関する議論審査委員会である程度尽くされているはずだ。

一般的に、プロ素人が考えるようなことは大抵全部考えてきてるので、おとなしくプロに任せよう。

長くなったのでこの上に書いてあることを要約すると、この件に関して素人趣味判断には価値がない。

ベルギーの件

あれは当たり屋みたいなものなので、気にするだけで無駄な気がする。

商標登録もしてなかったみたいだし、土俵にすらのっていない。

仕事自体エンブレムと比べ物にならないくらい雑。

サントリーは残念だけどエンブレムとは無関係

これはアートディレクターとしては監督不行き届きでアウトだけど、今回のロゴとは全く無関係の話。

だいたいデザイナーが外から素材をパクったかどうかなんて(誰が考えたって当然ダメなので)アートディレクター確認しないし、暇じゃないんだから現実的にできないだろう。

実作業してたデザイナーNDA結んでクビにして、再発しないように仕事環境改善するしかない気がする。

アートディレクターという職位について

なんか文句言っている人多いけど、正直ないと回らないと思う。

別に日本特殊制度というわけではなく、効率的なので一般的に取られる分業体制の一つ。

Pinterestの退会とか

これも無関係

事務所対応企業として不味すぎただけで、別にエンブレムとは関係ない。

税金を使っているけれど

これは余談だけど、国の仕事報酬は指名される人クラス標準的報酬からすると大概ゴミみたいな額で、基本的には受けた側はだいたい損してやっている。

そして国から指名されるような人たちは文句言ってるやつらの社会サービスのために税金を大量に払っている側だ。

ちなみに今回の公募に関して「評価」が報酬だというかもしれないが、応募資格は世の99%のデザイナーパスできないものなので、応募できる人はすでにめちゃくちゃ評価されている。

国民税金を使っているから、俺たちにも文句言う権利があるみたいなやつは1円やるから黙れ。

というわけで、

基本的にはそのままでなにが問題なの?まだ文句言ってるやつバカじゃん?という意見です。

2015-08-19

心が折れそうになる画学生デザイナー

「これもパクりじゃん!」って見つけて来るわりに、賛同の声が多い1時間で作ったエンブレム招致エンブレムにもパクリ元があるのではという疑いの目を向けない辺りに、結局は面白おかしく叩きたいだけという姿勢が見えて呆れる

今回の件で、ただ叩いて煽るので終わりにしないで、いつも見ている物がどのような流れでできあがってきたのか、どのようにして生まれてきたのかという探る視点を持つところまで行けばいいのに

2015-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20150818180254

いまのところ出ているのは、招致ときに使われていたやつ、どっかのデザイナーが一時間で作ったやつ、外国デザイナーが対抗して作ったやつくらいか。

どれも微妙でむしろサノケンを利する結果にしかなっていないが。

netgeekがまたデマをまき散らし真に受ける人たち

試しに公開されている佐野研二郎氏のメールアドレス入力してみると、なんと「すでに使用中」と出た。

pinterest_sanokenjirou (1)

※このメールアドレス佐野氏本人がネット上で公開しているもの

やはりPinterestを見たことはあったのだ。正直に話せばいいのに一体何を隠しているのか。

▼なお、Pinterest登録する際に、メールアドレス承認用のURLが送信される仕組みになっている。

これ自分でやってみたら、別にメールアドレス確認しなくても使えるんだよなー!

警告画面は出るけど、ふつうに使える。

 

 

これ、デザイナー佐野代表アカウントから

迷惑メール多すぎて他人登録した確認メールに気づかなかっただけって可能性もあるんじゃねーの?

つーか、さすがにデザイナー佐野だってデザイン盗用する気満々だったら会社メール使わなくねーか。

最初に訴えてきたのが韓国デザイナーだったら

どっかのコメントで見てちょっと考えさせられた。

ロゴパクリ問題最初に訴えてきたのが韓国博物館だったり、韓国ロゴデザイナーだったら世論はどうなっていただろうか?

ブコメ論調もサノケン擁護が主流になっていたかもしれない。

今回の提訴に対する対応毅然で立派なものというニュアンスになっていたかもしれない。

欧米になんか言われたら「日本側が悪い」と考えてしまう。

アジア諸国に対しては強気でOK。(なぜなら日本の方が偉いから。)

戦後教育がうまくいっているようです。

例のデザイナーコメントを訳してみた

https://www.facebook.com/pages/Zaricor-Originals/109247355769680

The red sun slightly to the right or the east is self explanatory. While it serves as the sun and Japanese spirit it also symbolizes the flame in the Olympic torch.

Below is a great wave, dominated by the spirit of the sun. The wave is also in the shape of a T representing Tokyo and also symbolizing the torch itself. Both these 3 meanings in the torch and the sun also relate to the 3 marks of existence.

The font styles on TOKYO 2020 and the spacing of all elements as well as the size of the Olympic rings will be tweeked as I continue the larger finished painting.

Although the design will change slightly and become more refined as I continue this is the basic idea and all seeing may serve as witness.

I hope this serves as a testament of my respect for creativity, the Olympics and the wonderful people of Japan.

Thank you, Benn Zaricor

少し右、あるいは東(※the eastは英語だと東洋を指すことがある)にある赤い太陽は、それ自体が説明的だよね。太陽大和魂として機能する一方、オリンピックの聖火の炎を象ってもいる。

下のはグレートウェーブ(※葛飾北斎神奈川沖浪裏は英語だとThe Great Waveとして知られる)で、太陽の魂に気圧されている。波はTの形にもなっているけど、これはTokyoを表すのと同時に聖火のトーチ(torch)自体を象ってもいる。聖火と太陽の3つの意味は、三相(※仏教無常、苦、無我のこと Wikipedia。ただし、これはタイなどで信仰される上座部仏教の話で、日本などの大乗仏教とはちょっと違う)とも関係があるんだ。

TOKYO 2020のフォントスタイルや、全要素のスペース処理、五輪の大きさなんかは、もっと大きな完成版の絵の作業をしていくうちに修正されるよ。

作業をするうちにデザインは少しだけ変わって、もっと洗練されるはずだけど、これが基本的アイディアで、見えるもの全てが証拠品となるだろう。

これが、創造性、オリンピック日本の素晴らしい人々に対する、僕のリスペクトの証になることを願っている。

ありがとう。 Benn Zaricor


ちなみにロケットニュースによる訳

http://b.hatena.ne.jp/entry/rocketnews24.com/2015/08/17/621055/

「少し右側、すなわち東側に赤い太陽があるのは自明のことです。それは日の丸日本人精神を表すとともに、オリンピックの聖火の象徴でもあります。下には日の丸スピリット支配された大きな波が描かれています。この波はまた、Tの形をしています東京のTであり、聖火(torch)の象徴でもあります」(Zaricor Originals Facebookより引用

「1時間で作ったエンブレムが絶賛の嵐!」ってアレ

佐野氏のロゴは発表当初からデザインクラスタでも賛否両論だった。

ただ「フリーデザイナーが1時間で作った!」とあちこちで紹介されてるエンブレムは、デザインクラスタ(や美大生)の人に見せると、ほぼ100%「うわぁ…ナニコレ…ひどい…」って反応が返ってくる。面白い

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