はてなキーワード: タンポポとは
そもそもITって括りが雑すぎるけど「コミュ障でもSES・SIER系のしごとは得意です」っての完全に意味わからんからプログラマーだって推察は出来る。
黙々と作業する時間は多いけどその前に頭合わせをちゃんとしないと明後日の方向に走るだけになる。
そもそも、プログラムっていうのはよっぽど硬直化した技術以外は水物だから、頻繁な情報交換(それも多重構造の蛸壺の中で)をしなくちゃあかんからコミュ障に向いてないし。
同じ理由でそうなると伝統工芸以外の職人はまず無理で、伝統工芸の分野はコミュ障が入り込むには最初の敷居が高すぎるから無理だろうし「職人系全般がコミュ障には無理」って分かる。
で、「営業は無理」で「企画は無理」で「人事は無理」でとなっていくと出来る仕事はワープロマシンに徹することだけに見えるけど、ワープロマシンはワープロマシンで他人の要求を自分が理解できる形にしてから再度他人が理解できる形に表現し直すのだから結局無理、「ワープロマシンも無理」っと。
うーん……残ってるの肉体労働だけど、肉体労働の中でも頻繁なコミュニケーションが必要になる業務は無理だから……「完璧な提携業務かつ、他者との情報交換を要する複雑な要素が一切なく極めて単純な作業」ってなると、サシミタンポポしかねーよな。
おうおうおうこれはなんとも虚無だな。
ルーティンでは出来上がっていない作業を一般的に非定型業務というんだが、
ルゥ・ティンちゃんとかみたいなアイドル業とかは大体非定型業務に分類される。
非定型業務では基本的にタンポポのせみたいなマニュアル読めば一発で仕事できるような仕事は回ってこない。
私は単調な作業が苦手だ。
刺身にタンポポを乗せる仕事なんかやっていたら3分で発狂して首を吊りたくなってしまうかもしれない。
そこまで単調じゃなくても、機械を導入するには複雑で、人件費のほうがまだ安いよね、というレベルの単調な作業はこの現代においてもいくらでも残っている。
レジ打ち、ビス止め、ライン生産、皮むき、盛り付け、データ入力、真珠の見極め、新聞配達。
私は、これらの「誰にでもできる」と言われる類のルーティーンに我慢ができない。
馬鹿にしているわけではなく、これらを生業にしている人たちを心の底から尊敬している。
たまにコンビニや牛丼屋等で店員の段取りが悪かったりすると怒り出す客がいるが、信じられない。
なぜそんな仕打ちができるのだろう?
単調な作業を肩代わりしてくれていることに感謝こそすれ、叱りつけるなんて言語道断である。
そんなに物申したいなら自分でやってみればいいのだ。
この記事は過去二つの記事を前提としていることを、最初にお断りしておく。
https://anond.hatelabo.jp/20170315161240
https://anond.hatelabo.jp/20180403003916
うつの揺り戻しの勢いで後日談を投稿した後、自分で読み返して「これ書いた人相当病んでるな」と他人事のように引いてしまった。
可哀想な元派遣社員が身も心もすり潰されて不幸のドン底にいる、という筋書きの方が読み物としては面白いのだろうが、実際はそうでもないので、もう一つの後日談を綴っておく。「同情や心配して損した!」と思って頂ければ幸いである。
仕事を辞め、諸々の手続きを終えて少し経った頃、タンポポを堀りに行った。
子供の頃使っていた植物図鑑を見つけたのだ。野草を使った遊びが色々書かれており、ほとんどは試したことがあるのだが、大きな刃物を使うもの、食べるものは母が許してくれなかった。
で、そこに書かれていた「タンポポの根のコーヒー」を大人の力で作ってみようと思い立ち、近所の土手でタンポポを探した。長い根を掘り出して、洗って晒して刻んで炒って煮出す、二日がかりの大仕事である。
手間暇かけてようやく出来上がった飲み物は、格別に美味しいわけではないが、喫茶店で「そういうブレンドです」と言われれば納得するような、中途半端な味がした。いっそまずい方が、ネタ的に美味しかった。
この話を友人にしたところ、「そんなにお金に困ってるの?」と心配された。好奇心ゆえとの主張も空しく、彼女からは誕生日プレゼントとしてコーヒーチケットを頂戴した。
同じ野草を食す行為でも、「山菜狩りに行きました」「自分で摘んできて七草粥を炊きました」はSNSのイイネを集めたというのに。美しい言葉には、現実を捻じ曲げる力がある。
粥に使ったお米は、親戚の田植えを手伝ったお礼として貰ったものだ。
手伝いと言っても、PC仕事にしか携わったことのない私の貢献度は、その辺で虫取り網を振っていた子供たちと大差なかったと思われる。だがお婆ちゃんは「遠いところを来てくれただけで嬉しい」と、後日お米を送ってくれた。
親戚の家の最寄り駅までは、着替えと文庫本を鞄に詰めて、特急料金の掛からない電車を乗り継いで行った。
大学生の頃、そうした小旅行を何度かした。本を読みながら電車に揺られ、行ける所まで行って、適当な店で夜を明かす。知らない街を少し見て回って、また本を読みながら帰ってくる。あれは結構楽しかった。
貧乏旅行は年を取ると辛いというのが一般的見解だろうが、今の私は完全インドアだった学生時代よりも体力がある。
働き始めてすぐの頃、背中が痛むようになった。病院で「体の前面の筋力不足で背面にばかり負担がかかっている」と指摘され、ジム通いとジョギングを始めた。
以前は多くて週二回だった運動が、最近は三回に増えている。体組成計の表示はもちろん、筋肉が補修材を欲するらしく、味覚まで変わってしまった。豆腐や卵がすごく美味しい。こういう時は肉を食べたがるのが普通じゃないか、とは思うのだが、安上りなので助かっている。
先日、桜吹雪の中を走るのは気持ちいいに違いないと思って川沿いのコースを選んだら、花びらと同じくらい大量のトビケラが舞っていて閉口した。文字通り、という納得と、しょうもねぇ、というツッコミが交錯して、一人でフフッと笑ってしまった。
この調子なら仕事も出来そうな気がして、求職活動に挑戦する度に泣いたりゲロ吐いたりするものの、生活自体は概ね楽しい。
あなたの「頑張れば必ず良くなる」は、視野狭窄と思考停止だ。「雇用主はそんなに悪い人じゃない」も同様である。そう考えているのは既に危険な兆候なので、転職先を探すか、休職も視野に入れた方がいい。
嫌だと思ったら、それは表明しておくこと。この人は多少薄暗くても嫌がらない、周囲がうるさくても集中出来る、汚れた場所なら掃除をする。そうした自他からの評価の積み重ねは、あなたの労働環境を改善するどころか、より暗く、うるさく、汚い場所へ連れて行く。
安心して逃げていい。収入はないし夢見は悪いし、揺り戻しで病んだ文章を垂れ流す夜もあるが、一年後も生きている。
逃げるタイミングの判断を誤ったのは自分のくせに悲劇の主人公気取ってバカじゃねーの?とか、そういう自責、全然要らない。ズタボロのメンタルに自分でトドメを刺すのはやめろ。自己憐憫も陶酔も、心の麻酔としてはすごく効くから、痛みが引くまでは好きに使え。中毒や廃人化の危険を伴うのは体の麻酔と同じだから、そこだけは気を付けような。
まだどうにかなりそうなら、上記を参考にして欲しい。
自殺を考えるほど追い詰められている場合、別に死んでもいいと思う。「生きてて良かった」は文字通りの生存バイアスに過ぎない。
ただ、私は「この世から消えたい」という感情のピークに文章を書く作業で手が塞がっていたため、なんとなく死に損なった。結果、なんとなく生きている。
そういう風に、死ぬことは確定だが今は保留にしておく、という選択肢もあることは覚えておいて欲しい。私は近々好きな作家の新刊が出るし、友人の誕生日も祝いたいので、少なくともその間は保留だ。たぶん自ら死ぬより先に、事故か病気か寿命で死ぬ。
当時の私は、「死にたくない」と「消えたい」の間でグラグラしていた。今でもよくする。生き延びて良かったのか怪しいとも思っている。
それでもやり直しの利く方を選び続けて来られたのは、あなたのお陰だ。厚くお礼を申し上げたい。
一週間前の自分へ。
いいから早く寝ろ。もう少し暖かくなったらザリガニ釣りに行くんだろうが。
野草食ったりザリガニ釣ったり、心の病とは別の意味で可哀想で心配されるかも知れないが、私自身は割と楽しい。さすがに用水路で釣ったザリガニを食べる勇気はない。
エリアル、母親のマキアをネタにオナニーしちゃって強烈な罪悪感に襲われたことがあると思うんだよね絶対。
それこそアスカで抜いちゃったシンジなんか比べ物にならないレベルで激しく後悔したと思う。
でもマキアはエリアルをいつまでも子どもだと思ってるからエリアルが悶々としてることに気づかないで一緒のベッドで寝たがるし、もしかすると一緒に風呂にも入ろうとしたかもしれない(あの世界のお風呂事情はよくわかんないけど)
エリアルの抱いている思いは限りなく恋愛感情に近いものなのに、自分が幼い頃に織ったヒビオルを大切にしているマキアを見ると、この人は絶対に自分を恋愛対象としては見てくれないのだということを嫌でも思い知らされる。かと言って他の誰かとくっつくのかと思えばそんなこともなくて、徹頭徹尾自分の母親であろうとする。もう自分のほうが背格好も上だし、見た目だって年上にしか見えないというのに……。
こう考えるとどうあってもエリアルはマキアから離れざるをえない。あんな生殺し地獄のような女といつまでも一緒にいたら、そのうち何かのはずみで衝動的に一線を越えて、一生悔いるハメになるかもしれないし。
レイリアが娘のことを「忘れる」「ヒビオルには織らない」と言っていたのに対してマキアがエリアルのことを「覚えている」「私のヒビオルの一部」と言ってたのは対象的だった。さよならの朝とはマキアとエリアルの別れの場面だけではなくて、レイリアと娘の別れの場面も指しているのではないか。ならば、そこに飾られる約束の花とは「あなたのことを覚えている/忘れる」という約束のことなのかもしれない。知らんけど。
物語中盤以降のレイリアは、あの花でいうとイレーヌさんみたいな雰囲気のキャラだけど(ここさけの順の母親とも近いかも? クーデリアの母親はどうだろうか?)、あの辺のキャラって舞台装置以上の役割が与えられていないというか、脚本家がそこを描こうとしていないというか、ぶっちゃけ興味が無いんじゃないかという気がちょっとだけする。
レイリアにとって「飛べること」は自らの意思で置かれた環境から抜け出せること、新しくやり直せることを指しているんじゃないかな。レイリアの最後の大ジャンプは自殺でもあり、あの城での出来事を全てなかったことにすることでもあったのかもしれない。元気な娘の姿を見たことで、レイリアにとってあの城で思い残すことは何一つなくなって、昔のレイリアに戻る踏ん切りがついたということなのかも。
(これは一応 anond:20180307093757 へ向けたトラバ)
髪を染めてた頃のマキアはなんとか人間であろうと努力していたように見えるけど、金髪に戻ってしまってからは、もう自らが人間社会にとってのアウトサイダーであることを当然のこととして受け入れているようなフシがあったっけね。ラストでも、あの家族の曾祖母としてではなく、あくまでもかつてエリアルの育ての親だったものとしてあの家を訪問しているように見受けられたし。そういえば、最後に贈られたタンポポにはどんな含意があったんだろ。
イオルフの村、石灰質っぽい山に囲まれた盆地っぽい場所なので、あの山は武甲山でヒビオルは秩父銘仙なのでは。
岡田麿里にとっての花(もしくは華)って一体全体なんなんだ
グリッドガール/レースクイーンについてのはてなの主流意見がよく分からないのだが。
モデルや女優は主役だからOK。グリッドガール/レースクイーンは添え物だからNG。
モデルや女優の美の振りまきは自己表現だからOK。グリッドガール/レースクイーンは男性目線の露出だからNG。
え?え?何で、何で?
ナチュラルに職業差別としか思えないんだけど、そういうブコメが軒並みトップになっててマジで困惑中。
いやぁ、別にF1や他のレースがイメージに合わないとか時代遅れとか経費削減とかで辞めるのはいいよ。ファンが美女なんていらねー車見せろって言ったりね。
ただ外野のはてなーが「こういう職業には意義がない」みたいな主張で職業を否定してつぶそうとしてんのはっきり言って怖いし、マジで良識派死ねって感じだわ。
コピーライターが、きらい。
だって、たかがコピーっておもいません?ちょっとした思いつき、それが『作品』だなんて。
もっとこう、つつましくあってほしい。お刺身に乗ったタンポポみたいに。
あのひよっこライターと、あのなーんかえらそうなライター、どれだけ違うんだろう?
ライターが10人いればコピーも10通り、どれが1番だなんて、見る人によって違うはず。おそらくね。
ほら、えらそうなライターがまた言ってる。「あのCMのフレーズ知ってる?あれ、僕のなんだ」とかなんとか。
でも、それってテレビでいっぱい流れたのがすごいだけじゃない?
たとえば、いくつかコピーを並べてみて、よーいドンで効果をはかってみる。
それでもし、やっぱりあのえらそうなライターの作品が1番なら、まあしぶしぶ認めてやってもいい。
でも、やっぱりピンとこないな。ほんとにスゴイものなの?
オリンピックの「あの件」以来、クリエイティブがしんじられない。
みんな、自分をかっこよく見せたいだけじゃないの?
最近じゃ、お寿司の握り方だって学校でひといきに教えちゃうって聞くし、
コピーだって、学校でちゃっちゃとコツを教わって、はい一丁上がり、そんなものじゃないの?
だから、やっぱり知りたい。
だれか、教えてほしい。
(そっち界隈ぽく改変してみた)
たかがコピーを一つ考えただけで数千円~大物だと何十万円も取って、それが使われた広告やCMを自分の『作品』呼ばわり。
いわば刺身のタンポポ程度の存在でしかないと思うんだけど、何であんなに偉そうなの?
駆け出しのコピーライターが作ったコピーと大物が作ったコピーでは広告効果に天と地ほどの差があるの?
例えば、コピーライター10人(底辺9人、大物1人)にそれぞれコピーを書かせて、
その中から「一番良いと思ったのを挙げて」ってアンケートを取ったら票はバラけるんじゃない?(多分)
よく有名コピーライターが「〇〇のCMで使われたあの有名フレーズは自分が考えた」的なことを宣伝するのを目にする。
でも、それってコピーが凄いというより”全国ネットで放送されたCMに使われたフレーズだから広く知れ渡った”、って面も大きいんじゃないの?
”ウェブサイトでABテストした結果、無名が考えたコピーを大物が考えたコピーに置き換えたら1か月で売り上げが10倍になった!”
みたいな話があれば「コピーライターって凄い!」って思うけどさ。
オリンピックのエンブレム問題を起こした佐野研二郎 の一件以来、自分にはクリエイティブに関わる仕事をしている人は
”大した能力も無い癖に自分がいかに有能かを力説することだけは得意な意識高い系”っていうふうに見えて仕方ない。
近年、寿司職人の権威が養成学校のせいで揺らいでるって話をよく聞くけど、それと同じでコピーを作るっていう仕事も蓋を開ければ実は大したこと無いんじゃないの?
詳しい人いたら教えてほしい
生産現場の高度化について。
この古典的議論は、クラーク・カー著「インダストリアリズム」(川田 寿 (翻訳) 東洋経済新報社 1963)に見ることが出来るらしい。
下記のような論である。
産業の発達により職業の専門分化が進み、技術者やホワイトカラー職を中心に高学歴者の雇用が増えた。
生産現場(ブルーカラー職と言って良いだろうか?)でもオートメーションの導入により、仕事の責任水準が上昇し、労働者に対しても高度の認知的能力が必要になっていると指摘された。
このような論である。
まさか、「刺身にタンポポを乗せる仕事」のギャグを本気にしている人はほぼいないだろうが、しかし、単純労働のイメージから未だに脱却されない職業分野というのは存在するように思う。
例えば製造業である。何故か分からないが、人のイメージは当てにならない事は分かる。
※余談だが一言言っておくと、工場というのは職種では無くて、職場でしかない。
では今後はどうなるのか?
一切のビジネスにならない税収に繋がらないというのは、確かに極端な考えだというのは説明してもらって理解できた。量産体制の中で栽培される品質の高いモノはある程度の市場価値を持ち続けるのは間違いないと思う。
ただ、この場合においても社会的な危険性が排除できるかというとそうは思わない。まず、有効成分の高い品種が日本の気候で育たないという情報は確認できなかったし、大麻の自生力そのものを改良するのが難しいのは間違いないだろう。種子を持ち込めば日本でも改良品種が自生する可能性は十分ある。海外での設備投資をして行われる生産方法はあくまで品質確保と量産体制の為のものだろう。
そしてコモディティ化した場合、違法組織が参入するメリットがないということだが、これはその可能性もあるという程度のものだと思う。仮にタバコの成分がタンポポから取れるとなった場合、違法業者が劣化タバコを生産して正規のタバコが高いと感じている低所得層に売りつけるという事態は容易に想像できる。それをしないのは、実際は栽培コストを考えると商売にならないからだ。違法組織が参入してくるかどうかは、価格設定や需給次第だろう。しかも、違法組織が撤退したとしても、個人での小遣い稼ぎとしての栽培まだ食い止めることはできない。その場合は、品質が保証されない安全性の低いものが流通することになる。組織化された犯罪から個人レベルの犯罪へと変化するだけかもしれない。
別の視点からもう一つ。大麻合法化の問題は、対違法組織、対ギャング、治安、健康だけの問題ではない。
優先順位の上位はその内容で間違いないし、社会システムを大きく変化させるにはそういった喫緊の課題が必要だ。
やはり、大麻を取り巻く事情が日本と海外では大きく違うということを無視しちゃいけない。大麻合法化の議論をしている国では、大麻を使用したことのある人が四人に一人はいるような状況だ。アメリカに至っては二人に一人。一方、日本では百人に一人。海外では、大麻をドラッグとして取り締まるのか、アルコールのように各種法整備で取り締まるのか合理的な手段を選択しなければいけない状況にある。治安と言っても意味は広いから、そういった課題のある状況だからといって安心に暮らせないかというとそうじゃない。そういう意味で治安が悪い訳ではないのはその通り。ただ、対応を迫られていない日本で合法化すれば、未成年使用の規制、運転時の禁止、公共の場所施設での禁止など起き得なかった取り締まりを始めなきゃいけなくなる。そんな馬鹿なことはするべきじゃない。実際、違法大麻の嗜好品としての定着なしに、大麻合法化の議論をしている国は今のところ確認できてない。
大麻使用を個人の権利にするかどうかについても当然社会の現状、影響を考慮して国ごとに決めるもの。ポルノやらなんやら上げてるけど全部国次第では禁止されてるものじゃない。どっかの国でありだからうちもなんて決め方はあり得ない。
瓶にラベルを高速で貼り付ける自動化の機械に1日つきっきりで、機械に対する指示出しや上手くラベルが貼り付かずラインから吐き出された瓶の処理やその他エラー対応や機械の清掃やらをしているらしい。
高校時代以来の友人を私はそれなりに大切に思っていて、いずれ正規雇用になって欲しいと思っている。
しかしその製薬会社では正規雇用の門戸は相当に狭いらしく、ラインの責任者として長年バリバリ仕事している人間が契約社員だったりする。
ライン作業なんてそんなものだ、と言われればそうなのかもしれない。
なので、私は今の段階で転職を見据えて友人に何か「スキル」をつけてもらって、転職先で正規雇用になれないものかと色々提案したのだが、どうやら本人は仕事以外の時間に勉強をする気がイマイチ湧かないようで、お節介を押し付ける私と少し喧嘩になってしまった。
曰く、お前とは元々頭の出来が違う、とか、若い頃に勉強をもっとしてればよかったんだよな、とか、仕事のなかで使わないと勉強しても忘れてしまう、とか。
勉強に早い遅いは無いと説得はしてみたものの、仕事のなかで使わないと〜というのは、もっともだと思った。
刺身にタンポポを載せる仕事、とまでは言わないが、友人のしているようなライン作業は、いわゆる「スキル」が付きにくい。
仕事自体単調で人を無力にさせがちだし、ラベルの色、印字の大きさなどを決める機械のUIは多くがその会社独自のもので、それを必死に勉強したところで、他所ではほとんど役に立たない。
仕方がないので、仕事の中でできることの提案もしてみた。作業改善とか、人を育てることとか、リーダーになるとか、工場の仕組みを捉えるとか(危険物はどこに管理されている?ボイラー室は?電気室は?クリーンルームの等級や並び方は?工場のどこかで必要になる資格は無いか?)。
とにかく、転職先にアピールできる具体的なものが欲しい。本人は「工場、向いてないのかなぁ」などと言っていたが、今20代後半、さしたる資格も経験もなく、他の業界に正規雇用で入っていけるほど甘くはないと思うのだ。
どうにか、今の環境からでも、できるだけたくさんを学び取ってもらいたい。
私にできることはないだろうか。