はてなキーワード: タンポポとは
功利主義に基づいて苦痛の計算をしているのなら、功利主義の問題点もまた抱えているのがわかるはず。
命に関わる事態では我々は功利主義をとらない。5人犠牲になるトロッコを止めるため、隣のおデブを線路に突き落とすか?
ヴィーガンを支持することは、ここで躊躇なく突き落とすことを意味する。サイコパスだろ。
(その他、功利主義は臓器移植で5人を助ける代わりに1人の犠牲を正当化する)
トロッコ問題で功利主義と対立する義務論に立つなら、我々は無為に殺しているのか、食べるために殺しているのかという意思を重視すべきだ。
殺して食べるのは道徳的だが、なんの目的もなく殺したり食べずに残すのは道徳に反する
俺はこの義務論に立つ
→食べる前にいただきますと言って残さずたべよう
植物や無脊椎動物も痛みへの反応があることは知られている。これに対するヴィーガニズムの反論は主として
「痛みへの反応と苦痛は違う」だ
なるほど
その論が成り立つとして、脊椎動物の苦痛が我々人間の苦痛と同等である保証は?
同等でないものを同じように計量し、人と
もちろんそこまで考えると人間同士だって同じ苦痛を感じているかどうかは本当はわからない。(クオリア問題へ)
なら、初めから道徳に苦痛の計量という概念を持ってくるべきではない。
なお、我々が今までの社会で育ててきた人権などの思想は、功利主義や苦痛の計量などから導きだされたものではないはないため、
【人と動物の取り扱いの差について】
野生動物は自分達の倫理を「理解できないもの」として放置するわりに
非ヴィーガニストに対して同じ倫理を持つよう強要する者がいるからだ
先ほどの例にも上げた奴隷解放、これは「自分は奴隷を扱わない」というルールを守る他に
「自分達の社会内で奴隷制度をやめさせる」という一貫性を持っている
自分の意思でルールを守る能力のない者をルール外にするか?という疑問にも答えはあり、
例えばルールの知らない赤ん坊が他の赤ん坊にケガをさせるような場合
保護者がそれを止める行為をして「自分達の場」のルールを徹底させるだろう
ヴィーガニストは野生動物が肉食を止めるため、なにか手だてを考えるのだろうか?
ただ、ルールとは必ずしも一貫させる必要があるわけではなく、説明可能であればよい
「理解が及ばない相手には行動を強要しない」という別ルールで上書きしてもよい
であるなら、その「理解が及ばない相手」に、野生動物と共に我々非ヴィーガニストも含めてほしい
野生動物でも非ヴィーガニストでも、変わらず権利と慈悲を保証してくれるのだろう、ヴィーガニズムとは。
命に関して功利主義をとらない我々は当然
愛玩動物と家畜に扱いの差を設けるのだが、ヴィーガニストも同じ差を植物につけているのではないだろうか?
例えば人が大事に育てている花は踏んだり雑に扱ったりしないが、路上のタンポポは特に気にせず踏むだろう。
無脊椎動物でいうなら、誰かが飼っているカブトムシと部屋に侵入したゴキブリに扱いの差を設けないのか?
ここでは直接的に対象の苦痛やら命を問題にしているのではなく、その持ち主の意思に対して倫理を発動させている
今までも反論で、動物の権利とはかつての人間への人権思想と異なり、
偏務的で適用範囲が非常に限られていることがわかったかと思う。
であれば他の財産権利と同様に権利の衝突として扱い、パワーバランスに任せた方が
みんな納得がいく。
再び義務論に戻ると、動物の権利を主張したとしても建物や施設を壊したのなら、それ相応の処罰が下るべきだし
法で裁かれない程度のいやがらせ(残酷なパネルの設置)をしたのなら
(俺は積極的にしないけど止めもしない)
はい!と低周波治療器を渡されて自分でやれと言われてから数日、
そのまま私は肩こりの解消をすべくそのまま実家から強奪してきて使ってたの。
引っ張って出したり戻したりするタイプなの。
コードの終わりかけに貼ってある、
黄色いテープと赤いテープを貼る作業にそろそろ戻るんだー!って
よくよく考えてみたら、
もとはと言えばタンポポをお花畑からつんでくる文字通り花形商売であったはずなんだけどね。
まあそれはさておき、
ケーブルを出したり戻したりしてると
恐らく断線したのか、
ビリビリこなくなったのね。
思いっ切り窓から放り投げて捨てたの。
早速新しく買ったのは、
本場オムロンのやつで
よく食べ物とかでも
どこの国の料理か分からない煮込み料理がめちゃくちゃ美味しくて
どこの国か分からないけど本場で食べてる感じ!って感じかしら、
言うならば。
でそのオムロンのは
壊れた旧治療器のレベル10でも物足りなかったぐらいだったのが、
肩がぶっ飛びそうで
いきなり悶絶してしまったわ。
それにべき乗で強さがアップするから、
これって逆にもう危険の域というか、
おかげ様でよく効くような気がするわ。
残り時間も表示されるし、
金ちゃんの仮装大賞ばりの合格点まで足してしまったら悶絶する1200なんとかヘルツを叩き出す
それを表示するインジケーターもリアルタイムに強弱が表示されてて見てて
おなさけで1点追加しちゃいたい気分。
まさにそのとおりねって思ったわ。
おかげで肩軽いわよ。
うふふ。
朝のタマゴはやっぱり嬉しいわね!
最近本屋さんで見かけたタマゴサンド専門のムック本というか料理本というか
そんなのを見付けて、ものスゴく欲しいわ!って思っちゃいました。
炭酸水は以前は
カセットボンベをつけて自分で液体に充填するタイプの面倒くさいやつを使ってて、
今日はグレープフルーツアンドネーブルとオレンジ系は間違いない感じね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://note.mu/kotofurumiya/n/n31d401fce782
いろんな人がその後も賛否両論書いているけれど、そもそもお前らには人を教育するスキルがあんのか?
「俺はできるけどあいつはできない」「できないやつはさっさとやめろ」とか、教育スキルもないくせに上から目線のマウンティングゴリラじゃないか。
いいかげんに森へお帰り
この先はお前の世界ではないのよ
ねえいい子だから
怒りに我を忘れてる
静めないと
(爆発音)
閃光で王蟲が目を回した
(蟲笛の音)
蟲笛
(蟲笛の音 続く)
プログラミング出来なくてもいいから、女体盛りにタンポポを乗せる仕事がしたかった。
刺身じゃなくて、女体盛りケーキでも良いよ。色白な子には、ホイップクリームでもいいよ。パティシエにになれるなら、なりてーよ。
なんか、某サイトで3回ぐらいプログラムの仕事請け負ったけど、まーこっちは素人に毛が生えたぐらいで、ちゃんと体系的に学んでいなかったのだが。
時給を無視して、取りあえず勉強と思ってやってみた。(ぐぐったら、自分が下請けの更に下請けのようなことをさせられているに過ぎないことにも気がついたが)
なんとか、動くプログラムだったので悪いって評価にはならなかったのだが。
創造的活動がどうとか、生理的欲求がどうとかっていうと、やっぱし、性欲が解消してスッキリしたら働く気力が湧くでしょう。仕事の人間関係でストレスがあっても若い頃は、風俗でサクッと抜いてもらえば元気になれたけどさ。年を取って身体を壊してからは、そうはいかない。
まーでも、何の為に働くかって言うと、気持ちいい状態になりたいじゃないですか。
若い女の子の身体に、刺身やタンポポを置いてお金になるなら、それで暮らしていきたいよ。
もう、夢をみて生きるしかない。
出来れば、自分も女体盛り(リーマンギャンブラーマウスって漫画のインドマグロ子で知ったかな)にタンポポを乗せるような仕事で良かった。
まー、とはいえ、リアルにそんな仕事があれば、気楽じゃないだろうな。
実際に、そういう超底辺な環境だと、心がすさみそうではあるし。
北斗の拳に出てくる修羅の国のボロというか、大通りの交差点で『個室 DVD・DVDボックス』の看板を持っているオジサンになるような生活だろうか。常に人を募集しているデリヘルのドライバーとか?
うだうだ愚痴をいいながら、このまま、どうなるんだろう。
https://note.mu/kotofurumiya/n/n31d401fce782
多分記事執筆者もコメントつけてる増田もレベルが高すぎて、世間一般の言語能力ってものを理解してない。この場合の言語能力ってのは、別に小説風の気の利いた文章を書く能力や、BlogでHit数を稼ぐ能力、あるいは豊富な語彙なんかを指し示す漠然とした「すごい能力」ではなく、自国語を用いてなんらかの論理を伝達したり受け取ったりする能力だ。
例えば中学の教科書から引用した「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」の一文と、「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」の一文とが同じ意味かどうかを尋ねたところ、「同じ」と誤答した中学生は約43%を占め、高校生でも約28%が間違えた。
上記のようなニュースにもなってるようなレベルで。このニュースはアンケートやテストなどの方式なわけだから、自国語の塊を音声じゃなく文章という視覚で把握できる上に、ある程度時間をかけても許される環境でもこのような数値が出てしまっている。つまり日常会話においてはもっと多くの人が、もっと劣悪な能力で生きている。
ごく普通のそこらにいる一般人において、会話における(つまり日常に用いる)言語コミュニケーションとは、感情伝達がメインだ。つまり会話の内容に関係なく、対話者がいま機嫌がいいのか悪いのか、どんな反応を欲しがっているのかを伝える/受け取るのが主な役割で情報量が少ない(というか、情報量という概念がほぼない)。何らかの意味を伴うコミュニケーション、例えば待ち合わせ(時間や場所が伝わらないと困る)も多くの場合テンプレート化されて含まれる情報の種類が決まっている。――この2種類程度の言語能力で一般的な人間は十分に社会生活を送ることができる。
もうちょっと高級な、つまり情報量の多いコミュニケーションにおいても、その一連の塊から単語を抽出して脳内補完で意味を類推するくらいが一般人の平均レベルだ(単語抽出レベルなので、「AがBにCされた」と「AがBにCした」は同じ意味だと理解されてしまう。ABCという登場単語が同一だからだ)。
でも、プログラミングにおいてこの言語感覚は致命的だ。機械は入力者の感情を読み取って忖度してくれないし、登場単語が同じでも構文(つまり論理の係り受け)で意味は全く違うものになってしまう。つまりはなんてことはなく、「プログラミング能力が低い/伸びない初学者がいる」わけではなく、それ以前の段階で「自国語さえも論理の記述レベルで使えてない人間が過半数」というだけなのだ。
彼らの多くはそれで日常を問題なく過ごせているし、「AがBにCされた」と「AがBにCした」が「違う意味を指しているその価値」が理解できない。日常の交友関係では、AとBのどちらが悪者か対話者の口調や顔色で自明だから。助詞を的確に使う習慣そのものが、無い。
はてなでコメントしてるひとは、そこの部分を甘く見すぎてるようにみえる。それはプログラミングあるいはプログラミング教育の問題じゃまったくないんだよ。だからプログラミング教育をどういじったところで全く解決されない。
お前は絶望的にプログラミングに向いてないから諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事でもやってろ がバズってるようで、私もかねてから考えてることをちょっと発信してみようと思う。匿名での投稿にはなるが、私は日本国外の大手企業でフルスタックエンジニアをしている。
私の主観では世の中の人の99.9%はプログラミングに向いていない。もしかしたら、9をもうひとつ増やしてもいいかもしれない。それくらいプログラミングに向いている人は希少だと思う。
ある程度数学の素養があったりする人の方がプログラミングに向いているというけど、理系でもプログラミングが苦手な人は多くいる。どういった人がプログラミングに向いているのか、もしくは向いていないのかという点については、この投稿では特に言及しない。
この投稿はプログラミングに向いていないのにやらざるを得ない環境にいて無理をしている人に向けて書いている。
自分の高校時代の友人が仕事でプログラミングを始めたけど、ボロボロになって仕事を変えるという姿をいくつか見てきた。以前の職場にも、経験者として入ってきてはいるが、向いてないなあと思うような人物を何人か見てきている。また、大学在籍時にTAとしてプログラミングを教えた経験上、向いていない学生というのも多く見てきた。この記事では、そういった人たちがプログラミングを諦めて他の道へ早く進めるように、私の意見を書き連ねていこうと思う。
こういった人々がプログラマとして多く採用されている環境では、本当に優秀なプログラマというのが少ないので、以下に書き連ねるような問題点はあまり可視化されてこない。ただ、こういう人が集まってプロジェクトを進めている環境では、プログラマとしての仕事は全員にとって辛いもののように思える。仕事は難解だが、納期の関係上残業が多くなり、精神を擦り減らしながら仕事を進める。反して、プログラミングに向いている人にとってプログラムを書く仕事というのは、美しいプログラムを書くことで自己肯定感を得ることができるという点で天職なのである。
プログラミングに向いている人は、簡潔なコードを短時間で仕上げてくる。読んでいて疑問に思いそうなところに対しては適切にコメントがなされていて、システムデザインも適切である。
対して、向いていない人は時間をかけて煩雑なコードを仕上げてくる。本人も「動けばいいや」程度の意識しか無い(私の推測だが、時間がかかっているので次の段階へ進むことしか考えられていない)ので、コードは読みにくく、洗練されていない。
こういった傾向は私が観測してきた範囲内でのことでしかないのかもしれないが、おおよそ一般的に当てはまると考えている。これを前提にこの先の内容を書いていくので、納得などをできない方はここで読むのをやめてほしい。それでは、向いていない人のもたらす問題点について書いていこうと思う。
向いている人のコードはシンプルであるがゆえに、バグが入り込みにくく、コードレビューもすんなりと終わる。対して、向いていない人はコードを仕上げるまでに時間がかかるだけでなく完成度も低いので、レビュー段階でコメントが付きやすく、多くの修正も必要になってくる。また、コード自体が煩雑になる傾向が多く、そういった部分にバグが混入しやすい。
向いている人にとっては早く問題なく終わる仕事が、向いていない人にとっては時間がかかり、不確実な結果を出すことになりがちである。
他人に任せた仕事のアウトプットを見て、自分が実装していたらもっと上手く速く出来ると思うことは稀ではない。実際にバグが混入して対応する可能性、コードレビューにかかる工数、そういった点を考慮すると、生産性は10倍以上違うのではないかと思う。
正直に言うと、プログラミングに向いていない人が書いてくるコードは見ていて辛い。仕事の場合、そういった人の書いてきたコードが100%美しい状態に達していなくてもマージせざるを得ない場合もある。私は整ったコードだけをマージしたいのだが、コードレビューに時間がかかるほどマージコンフリクトが発生しやすく、他の変更との競合も発生しうること、また全体の納期の兼ね合いやタスクの依存性を考えて、早くマージせざるを得ないという状況になりやすい。
簡単に言うと、向いている人の場合は「成果9:技術的負債1」程度で変更を加えていくのに対し、向いていない人は「成果7:技術的負債3」程度の変更が最初にコミットされ、この段階での技術的負債の割合を減らすためにコードレビューをじっくりしていく程の余裕が無い場合が多いということだ。もちろん、これはプロジェクトの内容に依存するということは言うまでもない。
そして、途中から入ってきた優秀な人材がコードを見て萎えるのである。「いや、僕もその辺のコードはあまり良くないとは思っているんだけど、事情があってね」なんてことを苦笑いしながら、説明とも言えない説明をすることになる。
向いていない人がプロジェクトで多くなってくると地獄である。本来、簡潔で完璧なコードを書ける人がコードレビューをする側へと回らざるを得ない状況になってしまうからである。本来、コードを書くことに専念した場合に、向いていない人と比べて10倍の生産性を発揮する人材が、数人の向いていない人を管理することに忙殺されてしまうのである。
もしかしたらあなたの周囲にはいないかもしれない「デキるプログラマー」に任せれば、あなたの仕事は一瞬でより美しく完成させられます。出来ない人は精神と肉体を擦り減らしながらプログラムを書いている傍ら、本当に出来る人たちは楽しみながら完璧なコードを仕上げていきます。
無理してそこで働く必要はあるか?向いていないのであれば、新しい仕事を探した方が身のためだ。特に、10年20年先のキャリアを考える上で、あなたの輝ける未来は今のレール上には無いのではないか。今は目の前の仕事に忙殺されているかもしれないが、これを機に考え直してほしい。
半ば見限られてるんですけどね、もう……。でも意思疏通が出来ないくらいで見限ってたら人手不足で店が潰れるからなんとか勤め続けていられます。
コンビニのバイトは相棒と軋轢がなければそこそこやっていけるのでいいです。関わる同僚の人数が少ないのがポイントです。
なお、サシミタンポポのライン作業こそコミュ力無いとヤバいと思う!
ライン作業って十数人のチームを組んでやってるから、そのメンバーからはぶかれるとどうにもなりませんわ。チームの中の強い人に嫌われれば他のチームからも嫌がられる様になるし。
ラインに着く前にタンポポがどこの冷蔵庫に仕舞われてるかも教えて貰えないとか、「お前はそこに立って見てろ!」なんて言われてラインから弾き出されて、正社員に見つかって叱責されて評価も下がり、居づらくなる……。そんなもんだよ、ライン作業って。
そもそもITって括りが雑すぎるけど「コミュ障でもSES・SIER系のしごとは得意です」っての完全に意味わからんからプログラマーだって推察は出来る。
黙々と作業する時間は多いけどその前に頭合わせをちゃんとしないと明後日の方向に走るだけになる。
そもそも、プログラムっていうのはよっぽど硬直化した技術以外は水物だから、頻繁な情報交換(それも多重構造の蛸壺の中で)をしなくちゃあかんからコミュ障に向いてないし。
同じ理由でそうなると伝統工芸以外の職人はまず無理で、伝統工芸の分野はコミュ障が入り込むには最初の敷居が高すぎるから無理だろうし「職人系全般がコミュ障には無理」って分かる。
で、「営業は無理」で「企画は無理」で「人事は無理」でとなっていくと出来る仕事はワープロマシンに徹することだけに見えるけど、ワープロマシンはワープロマシンで他人の要求を自分が理解できる形にしてから再度他人が理解できる形に表現し直すのだから結局無理、「ワープロマシンも無理」っと。
うーん……残ってるの肉体労働だけど、肉体労働の中でも頻繁なコミュニケーションが必要になる業務は無理だから……「完璧な提携業務かつ、他者との情報交換を要する複雑な要素が一切なく極めて単純な作業」ってなると、サシミタンポポしかねーよな。
おうおうおうこれはなんとも虚無だな。