はてなキーワード: めちゃイケとは
普段は老害丸出しのうるさいジジイ読者ばかりの投書欄が週に一度だけ小学生から高校生の投書のみ掲載する日があり、
ある日暇潰しで読んでたら俺と同じ中2の投書で「ぼくは、お米が好きです。お米は日本人の誇りだと思います」なんていう誰でも書ける幼稚でアホみたいな作文が乗っており
このレベルで掲載されるなら俺も楽勝だろう、と掲載されたら貰える図書カード3000円目当てに送った。
もともと深夜の芸人ラジオや雑誌の読者投稿大喜利コーナーで度々採用されていたので、こういうのは採用される自信があった。
俺は、それが学生時代の青春と言い切れるほどお笑いが好きで、小学生の頃から爆笑オンエアバトルを毎週チェックして漫才・コント・落語にのめり込んでいたのだが
小学校時代にめちゃイケのワンコーナー「しりとり侍」での、しりとりに失敗すると袋叩きにされるという演出が批判され放送中止になるという出来事があり、
それを元に「俺はお笑いが好きだが、これは暴力であって笑いではない」みたいなことを国語の作文の授業で書いたら
矢鱈と先生にウケがよく、プリントアウトされ全校生徒に配られ、それをもとに議論するみたいな特別授業までやらされて、「大人が求める文章」というのもなんとなくわかっていた。
で、小学校の時に書いた「お笑いは好きだがバラエティーの暴力描写はダメだ」的な内容を中2なりにリライトしたものを投書したら見事に採用され、俺の投書が朝刊に掲載された日、学校に行くと国語の先生と担任が滅茶苦茶テンションあがっておりべた褒めされた。
自宅にも、普段滅多に合わない色んな親戚から電話が次々かかってきては褒められた。
数日後、新聞社から待ちに待った図書カードと共に編集部による俺の投書への評が届き、
「きみの観察眼は見事だ、思い起こせば今のテレビのお笑いがこうなったのはタモリが登場してからであり~」で始まる、終始タモリdisをしている謎の内容で
「いやいや、確かにタモリもドッキリ特番の司会やってたみたいだけど、バラエティー番組を過激にしたのはどちらかって言えばたけしでしょ」と、編集部のオッサンはどこかズレていると思った。
そんな俺の周りでの新聞投書フィーバーが過ぎ去った数週間後、自宅に新聞社から電話があり俺と話がしたいと言ってるとかで、何事かと電話に出てみると
「あるお婆ちゃんの読者から問い合わせがあって、戦争のとき、友達と漫才をやって周りを明るくしていたらしいんだ。お笑いも好きだし、ぜひきみと合ってその話をしたいと言っている。その様子を記事にしたい」
えー!無理無理無理!!知らない婆ちゃんの戦争の話聞かされるとか無理!絶対寝る!1ミリも興味ねえ!拷問!
いや、そりゃ戦争の話聞いた感想書けって言われたら、大人が望む文章は書けますよ。
でも投書と違って、行っても何も貰えないっていうし、何が悲しくてただただ知らないババアの戦争の話聞かされなきゃならんのだ。俺はボランティアじゃねえぞ!新聞に俺の写真が載るのも御免だ!
そんな何の魅力もない誘い話、乗るわけないじゃない。電話の向こうの記者はえらく食い下がったけど、とにかく断った。
後日また新聞社より電話があり、「実はそのお婆ちゃん、20歳の孫がいて、最近漫才師としてデビューしたらしいんだ。そのお孫さんときみとで、漫才をしてほしいらしいんだ。その様子を記事にしたい」
いやいやいや!この前の話より更に地獄度が増している!
知らない婆ちゃんの戦争話聞かされて、デビュー間もない若手芸人だという孫と、どうせウケる訳もない寒い漫才させられて、何の報酬もない割に俺の労力がえぐい!
だいいち、俺中2だぞ。相手二十歳だぞ。そんな知らんガキと漫才しろだなんて、向こうも困るだろ!芸人とはいえ、知らん兄ちゃんと急に対面させられても何喋っていいかわかんねえし!
無茶振りがすぎる。
もちろんお断りし、記者も食い下がったが長い押し問答の末ようやく記者も諦め、そこから電話が来ることはなかった。
まあ、日々平凡に暮らす中高生諸君にとって、急に大人たちから褒められる新聞投書は面白いのでオススメしたい、と言いたいところなのだが
ネットで文章書けるような学生(学生に限らずみんなもね!)は、何かしら投稿すると良いことはあるし面白いからやってみると良いよ~。
http://tablo.jp/serialization/yoshida/news003760.html
吉田豪氏のウェブ連載は好んで読んでいたが、今回の記事はいくつか気になったところがあるため、指摘しておきたい。
『いまでこそ加藤浩次は『スッキリ!』の真面目そうな司会者だけど、もともとは狂犬と呼ばれていたような人で、あの企画は彼の狂犬ぶりを復活させるのがテーマだから、事前にWikipediaぐらいはチェックしておくべきだったんじゃないかと
これは事務所無所属で、たまにテレビに呼ばれる素人枠という意味では彼女と近い立場の人間としての意見ですけど、ボクもテレビはほとんど見ないから知らない番組に呼ばれたときはWikipediaぐらいは調べるし、知らない共演者も調べるんですよ。今回の件は、そうすれば防げた事故だったと思うんですよね。
実際、番組のWikipediaにはこう書かれています。「加藤が収録前からアルコール類を飲んでおり、放送中もアルコール類を飲みながら番組に参加する。加藤の狂犬ぶりを甦らせ、本音をはかせる趣旨の企画」と。
だから、ボクは「狂犬キャラを求められた加藤浩次は期待に応える仕事をして、『スッキリ!』の司会者だと思って安心して出演したゲストは傷ついたという、不幸な事故なんだと思ってます」とつぶやいたわけです。そう、これはお互いにとって不幸な事故だったんですよ。』
(AbemaTV 加藤浩次の「番組内ハラスメント」をじっくり考えてみた 吉田豪)
まず、吉田氏が引用した部分「加藤の狂犬ぶりを甦らせ、本音をはかせる趣旨の企画」(Wikipedia)は
スペシャルの放送日は2018年6月21日。つまりこれは放送後に編集された文。
A氏は放送以前にKAKERU TVのWikipediaを見てもこのことは知り得なかった。
『女性蔑視の傾向があり、過去にオアシズに対して高圧的な態度で恫喝していたという。光浦は当時を振り返って「殺してやりたいと思っていた」と語っている。また、新人時代の小倉優子を泣かしたり、『本能のハイキック』でアシスタントをしていたモデルの田中美保に罵倒し、番組降板まで追い込んでいる。』(Wikipedia)
の記述の方が警戒に値すると思う。
(田中美保とは2013年放送のめちゃイケで対面し土下座謝罪をして一応「和解」しているが。)
次に
『ただし、このイケメン評論家と加藤浩次の罵り合いはこの番組ではお馴染みのもので、2人は当たり前のように取っ組み合いになったりのバトルも繰り広げたりしていて、要はプロレスだったわけですよ。「主に加藤氏、竹山氏の罵声もヒートアップしていきました。立ち上がって大声をあげ、平手で机を叩いて大きな音を立てました(卓上のジョッキがガシャンッと音をたてるほど)」というのも、つまりはそういうことだったんです。』
(AbemaTV 加藤浩次の「番組内ハラスメント」をじっくり考えてみた 吉田豪)
とあるが、これに関してはA氏の記述が正しく、#52(問題の回)で罵り合いをしてから後の回に何度か呼ばれ、似たようなやりとりをしている。
つまり#52の時点では加藤はイケメン評論家C氏とは初対面であり、決して約束された『プロレス』ではなく、C氏が即興で乗っかってくれただけだった。(台本がないのであれば)
そして、最後のギルガメッシュナイトの例えは暗にA氏の主張は見当はずれだと誘導しているように感じる。
バラエティが苦境に立たされても挑戦を続け、テレビっ子に支持され続けた。
末期は叩かれることも多くなったが、それでもバラエティファンからは厚く信頼されていた。
なぜか。
バラエティファンの期待を裏切らず、バラエティ文化を守り続けるという思いを届け続けた。
規制やクレームといった逆風の中でも、めちゃイケらしさをやめなかった。
そこにファンは安心した。この番組は自分たちが好きなバラエティ文化の味方だと。
私もそうだった。
そんな厳しい風潮の中で過激なことを放送するのは「冒険」であること、
「作り手や演者は視聴者を笑わせるためにリスクを冒しているんだ、応援しないと」という気分になった。
だが、それと同時に違和感もあった。
思春期に80年代バラエティを観て育ったお笑い第4世代の芸人が特に強い。
彼らの番組では「ムチャクチャやっていた時代」へのリスペクトや、
「俺たちも規制を恐れずキワドイ部分を攻めていこう!」といったメッセージがよく発信される。
そして現に、暴力や犯罪、エロなどがテーマの「攻めた企画」を敢行している。
こうした「攻めた企画」は逆境で見せる反骨精神のようで、バラエティファンには心地がいい。
心地はいいが、私はそれで笑えない。
笑えないというのは「不謹慎だから」とか、そういう理由ではなく、
だが「攻めた企画」と銘打たれると、
彼らはバラエティにとってとても有意義なことをしていると錯覚してしまう。
「攻めた企画」が放送されるとSNSには彼らの冒険を称えるような投稿があげられ、
バラエティ史にまたひとつ伝説が刻まれた、とファンは安堵する。
応援しているのは古参のバラエティファンのみで、若い視聴者からは共感を得られない。
それもそのはずだ。バラエティの歴史を知らない子供がめちゃイケを観て、
「こんな時代にあえてゴールデンでめちゃ日本女子プロレスを復活させるのは冒険だ」などと、
それよりも今そこで笑えるユーチューバーの方が魅力的に見えるだろう。
「苦情も覚悟の魂込めた企画」を観たいのではなく、ゲラゲラ笑いたいからだ。
それこそお笑い第4世代からよくリスペクトされる「元気が出るテレビ」は、今そこで笑える番組だった。
基本的に誰かにイタズラをして怒ったりパニックになる姿が連発されるのだが、くだらな過ぎてゲラゲラ笑った。
手の込んだロケも多く、あのくだらない映像が出来上がるまで相当苦労もあっただろうが、
「元気が出るテレビ」は作り手の事情を出すことはなく、徹底的にくだらない番組であり続けた。
「俺たちはプライドを持ってバラエティを作っている」ではなく、
私も自宅でリラックスしながら「バカなことやってるな」ぐらいの温度でバラエティを観たい。
ただしめちゃイケが再定義した感のある「バラエティ」の文化は、
この先さらに年老いて、保守的で、閉鎖的で、形式だけが残る笑えない文化になると思う。
昨夜、数年ぶりにめちゃイケを観た。
終わるのなら、せっかくだし観てみようかなと軽い気持ちで視聴させていただいた。
社会人になって以来、テレビ番組自体をあまり見なくなっていた。
世間で話題になっているニュースはネットで確認出来るし、若い頃と違って毎週の様に発表される音楽を必死にチェックすることもない。芸能人の誰々が結婚しただとか熱愛発覚だとか、そういうものも自分の生活には何ら関係ないことだし興味もないからワイドショーなどを見ることもなく……というか、その時間は仕事だから見れるはずもなく、結果的にテレビから遠ざかる生活をしてきた。
それでも、幼い頃に自分が笑って観ていた番組が終わるのだからと久方ぶりにテレビを点けた。
テレビの中で、幼い頃から変わらないメンバーと噂に聞いていた新しいメンバーが笑っている姿は、見慣れていないこともあり新鮮だった。
めちゃイケらしい、お決まりとも言える展開は単純に面白く、ああそうだ、昔からこんなだったなと妙に懐かしく思えた。
幼い頃、母親に顔を顰められながらも兄弟達と笑い転げながら観た数々のコーナー。
クイズ濱口優、しりとり侍、Mの三兄弟……ただただ懐かしかった。懐かしかったし、面白かった。
くだらなさに笑いながら酒を飲む休日前夜―何よりも贅沢な時間を与えてもらったと思う。
今回の最終回に関して、つまないと思った人もいるだろうし、様々な意見がめちゃイケという番組に対して寄せられることだろう。
だが、今回に限っては、出演者もスタッフも、その声に耳を傾けることはない。
最終回まで見ていなかった自分が言えたことではないが、今回の最終回はそういった批判や否定を寄せる人々の為に作られたものではないと私は感じた。
彼らは恐らく、番組を愛してくれた視聴者―めちゃイケという番組を心から好きだと思っているファンの為だけに、この最終回を制作したのではないかと感じた。
笑っていいとも!、ごきげんよう、スマスマ、みなおか、ポンキッキーズ。
数年前から今年までの間に、それなりに思い入れのある長寿番組が次々と終わった。番組の最後を見る度に幼い頃を思い出し感傷に浸っていたのだが、この度のめちゃイケ最終回を見終わった時、私はひとつの時代が本当に終わったのだと心から思った。
私は、三十代である。昭和終期の生まれだ。そして、平成初期から中期にかけて子供時代を過ごしてきた。
それをまざまざと実感したのが、この度のめちゃイケ最終回だった。
私にとって、めちゃイケは平成の象徴であったのかもしれないと今更ながらに気がついた。
否、もう既に始まっているのだろう。
今後、どのような番組が作られていき、その時代を象徴するのだろうか。
番組を作る人々には、どうか、その番組を心から好きだと思ってくれるファンを大事にしてやって欲しい。
最後に。
長い間、お疲れ様でした。
フジテレビへめちゃイケで向かう時、レインボーブリッジを渡る時なんですけども、
ワクワクするという気持ちでレインボーブリッジを渡ったことは、実は一度もありません。
しんどかったり、苦しかったり、痛かったり、悲しかったり、悔しかったり。
ほかの番組と違って、キュッとこう心が苦しくなるような、
そんな気持ちでレインボーブリッジを22年間渡って参りました。
みなさんも色々な気持ち、悔しい気持ちや我慢、あったと思いますが、
岡村隆史という神輿をみんなで担いでいただいて、本当にありがとうございました。
(休養期間中)僕自身は「めちゃイケに戻ってくることはできないのかもしれない」
「テレビという所に戻ってこれないかもしれない」と思いました。
でも、本当に自分でも奇跡だと思いますけど、待っていてくれた旧メンバーにも感謝してます。
オーディションで受かって、共にやってくれた新メンバーのみなさんも、本当にありがとうございました。
そして、めちゃイケに携わって頂きましたすべてのスタッフのみなさま、本当にありがとうございました。
そして何より、
22年間、めちゃイケをかわいがってくださったお茶の間のみなさん、本当にありがとうございました。
めちゃイケ、そんなに終わりたくなかったら、そんなにまだ続きたかったら、まだやりたいことがあったなら、なんで今までダラダラしてたんだよ。もう何年も他の人気番組のパロディ企画ばっかりやってて「自分たちからこういう笑いを発信したい」なんて感じさせたことあっただろうか。もう何年もその時々の人気の芸人とか芸能人を引っ掛けたり、ひな壇に並べたり、持ち込み企画をやらせたりしておいて、「うちのメンバーはこういう事をやりたいんだ」って思ってたなら、もっといくらでもやっとけばよかったんだ。それを何を今までダラダラしておいて、いよいよ終わりってなってからも過去の遺産のリバイバルばっかりで新しいことも大してやってないのに最後の最後に「まだまだやりたかった」って何を言ってるんだ。そんな思ってたらタンバリン持って踊ってる暇なかっただろ。
と思ったけど、これってそのまま人間の人生なんだろうな。その時々ではやり過ごすのに必死でとても勝負なんてしてられないし長生きしただけでも大したものなんだろうけど、いざ終わりになったら「もっと勝負しとけばよかった」って後悔するだろうし、みんなは「いつまでダラダラ生きてるんだ」と思う。だからこれを教訓にするなら、残された者はせめて悔いのないように、いずれ来る人生の最終回まで頑張って生きるしかない。お疲れ様でした。
年末にやっていた元SMAPの中居くんとナインティナインが日本縦断するという定期企画。番組が終了予定ということもあり、「めちゃ×2イケてるッ!中居&ナイナイ日本一周FINAL 日本一周72時間ホンネの旅」として、元SMAPの3人がabema TVでやっていた「72時間ホンネテレビ」を意識しまくったタイトルまでつけていた。
FINALということで、強行スケジュールで日本を移動するフォーマットは変わっていなかったけれど、要所要所でいつものお約束を崩していて、それがはまっていなかったように思う。例えば、ご当地グルメを中居くんがいただこうとすると、進行役のナイナイが笛を吹いて強制移動というやつ。今回は普通にご当地グルメを食べていただけ。ここはいつものような展開の方が良かったんじゃないかなと思う。
あと、最後の打ち上げのところでの、めちゃイケメンバーのこれまでを役者がロール・プレイするやつもいらなかったなー。さして感動もなかった。
そして、もっとも雑だなーと思ったのが、大オチである中居くんのスライダー。
感動的なスピーチを読み上げていると思ったら、突然落とし穴が。するとカメラが切り替わって、以前のスペシャルでみた大スライダーでびしょ濡れになりながら落ちてくる。
最後にこれを持ってくるのは良いとして、流れが雑すぎる。宴会場で話を聞いていたメンバーが、スライダーの下に回り込んできており、見ている人が明らかに別撮りであることが分かるし、それにより「フィクション」感が強くなってしまう。めちゃイケの日本一周の旅は、フィクションなんだろうけど、ノンフィクションなんじゃないかと思わせる演出がよかったんじゃないのか。先のご当地グルメの話にしても同じで、カメラが止まったら、用意してもらったご飯をみんなで美味しくいただいているのかもしれない、けれど、番組の演出としては「本当に食べてないのかも」と思わせるような作りになってないと笑いが成立しないんじゃないの?
すべってきたあとで、ナイナイがしきりに「3000万かかってんで!」と言っていたけど、一般の人からしたら笑いよりも引いてしまう金額だよなー。数百万くらいならギリギリわらいになるのでは。かけた金額に対して得られる笑いが少なすぎる(最近宮迫が「もらいがすくない」と言ってるやつね)。もはやそういう感覚もなくなってしまったんかなと思うと寂しくなるね。
当方SMAPファンかと言われるとそこまでではないけど、友達に連れられて横浜の球場でコンサート観たり、新しい地図発足の時に感動してうっかりナカマ(会員)になる、それくらいの距離感(余談だけど、新しい地図のナカマへの手厚いホスピタリティに日々感動してる)
めちゃイケも昔は観てて、でもなんか人数がやたら増えていたくらいからあんまり観なくなった、それくらいの距離感。
日本一周の旅もこれまで一回も観たことなかったんじゃないかな、それくらいの距離感。
なんだけど、今回のFINAL観てちょっと感動しちゃったよ。TVの雑さと作り込み、双方兼ね備えてることにも感動した。72時間、って言ってるけど実際は別日でやったロケをつなぎ合わせてるし最後に「フィクションです」ってテロップが出る。さも大晦日から2日までに収録しました、って体をとってるから、まぁ「嘘つき」って言われても仕方がないかもね。でもフィクションだから。そうじゃなきゃ各地でのあの仕込み、できないから。生放送だと戸惑うから。
とはいえ、観ながらネットで感想を検索すると、「爆笑ヒットパレードが生放送なんだから、元旦に大阪にいるのありえない」みたいな感想もみかける。真実じゃないよ、フィクションなんだから。
でも人は真実を求めるし知りたがる。
けど、ホントのことって案外知らない、知りえないもんだよなーって今回のめちゃイケもだし、日常生活でも思う。ホンネとホントは違う。
とはいえ、ナインティナインと中居くんの仲はホントのことだろうし、22年という年月もホントのこと。ホントはちゃんとあるんだよなーなんて思った。
最後のオチも含めてああ、こういうのって歴史がないとできないものだな、というのを見せつけられた気がします。ありがとうございます、フジテレビ。
ていうか、そこまでファンじゃないけど、テレビVSネットでも、ネット企業VSネット企業でも、SMAP含めてジャニーズ周りが代理戦争してるようにみえてしまうところがあるので、そこはなんとかならないかな、くらいにはジャニーズファンです。
今思うと、
左右の目で大きく視力が違い、黒板の字がぶれて見えるレベルだったのにずっと眼鏡をかけず過ごしてきたこと
扁桃腺が風邪でもないのに常に腫れていて喉がふさがっていること
とにかく運動音痴で小中高大と体育は何をやっても駄目だった
特に球技が無理。バレーもバスケも卓球も全部無理。目のピントが合うのにタイムラグがあるのでボールの正確な現在地が分からない
陸上だって誰よりもゼエゼエ言ってるのに足が遅いせいでクラスメイトからは白い目で見られ
時には「ずるをしている」などと言われた。本当に地獄だった
しかし、アメトーークの運動神経悪い芸人、めちゃイケ運動会、リンカーン大運動会などは好きで何度も見たことがある。今もアメトーークを見ている
自分は非コミュでアニヲタではあるがお笑い番組も好きで、お笑い芸人に好意を持っているので
(と言っても島田紳助は苦手でテレビからいなくなった時はほっとしたし、今炎上中のニューヨークはフォローのしようがないしフォローしたくもない)
アメトーークでは弄る側も弄られる側もスタッフも仲がよいであろうことを知っているし
あれは自分にとって、例えば子犬がポテポテ歩いていたら転んで隣の子犬とぶつかるとか、
猫が着地に失敗してつるっと滑ってしまうとかその手のほのぼの映像の延長であり
自分と違って「お前ほんっと運動神経悪いなwww」「いやぁ~www」と仲間同士で明るくネタにして笑い合えることへの憧れも感じる
あれはけして嘲笑ではない。学生時代、体育の時間に自分に向けられた冷たい視線とはまったく異なるものだ
自分のように学生時代体育で辛い思いをした人たちがあの番組を批判しているのを見るたびに
なんとも言えない気持ちになる
自分も物凄い運動音痴で、体育の時間あまりの辛さに涙が出たこともあるし心無い言葉を投げかけられたこともあり
思い出すと息苦しくなる、体育の時間があると思ったら小学生や中学生の頃に戻りたいなんて絶対に思わない
体育の授業を受けなくてもよくなったというのは大人になってよかったことベスト3に入るくらい体育が嫌いで運動音痴だ
リンカーンの芸人大運動会、ロンドンハーツのスポーツテストも何度も見たことがある
辻・加護が若い頃にめちゃイケで運動会をやってて、足が遅いわすっ転ぶわで大変なことになっていたのもよく覚えている
自分は社交的でなかったのもあり、体育の時間で失敗したら貶されるでもなく励まされるでもなく周囲は静まり返った
教室で辛そうにしている人を見たら「大丈夫?」と声をかける子も体育の時間はどれだけ相手が肩で息を切らしゼエゼエヒューヒュー喉を鳴らしていても何も言わなかった
中学生の時はみんな気を使ってバスケの時はパスを回さなかったし、高校の時は先生も一切口出ししなかったのでバトミントンの時間ではひとりで壁打ちをしていた
なので運動音痴芸人たちがボールさばきを失敗する様でスタジオの芸人たちが笑っている姿はとてもほっとする
あの芸人たちは仲の良い者同士だし、けしていじめで笑っているわけではないのだ
運動ができないことを笑ってもよい関係、笑ってもよい空間がそこにはある
自分にとってあそこで起こる笑いは、野球の珍プレー集であるとか、
歩き始めたばかりの子犬がポテポテと歩いていたら足がもつれて顎から地面に滑り込んでしまう姿だとか、
赤ちゃんが積み木のおもちゃをうまく積み上げられなくて崩してしまう様だとか、そういったものを見た時に起こる笑いと大差ないのだ
あのコーナーをよく思わない人は、自分が芸人という人種を良く思っていないから、彼らが笑うことや笑われることが「嘲笑」に見えてしまうだけなのだと思う
また、けして怠けてやっているわけではなく、本気でやっているのにどうしてもうまく体が動かせない、ボールが追えない、そういった人間が本当に存在しているのだ、ふざけているわけではなく全力でやっているのにできない、というのを周知することに役立っている、と思う
指スマなどスマスマ内で彼らがやっていたゲームは次の日から学校で流行った。
ダブルダッチを彼らがやれば、翌日の休み時間には二本の縄跳びを回し、そこに入っていく生徒達の姿が校庭のいたるところにあった。。
同年代の人達と話すと、ほぼ全員が『私の所もそうだった』と盛り上がる。
少なくとも、私が出会った同世代たちの間でスマスマ、学校へ行こう、ラブラブ愛してる、めちゃイケあたりのバラエティー番組は見てて当たり前だった。夏休みにはいれば、ここに笑っていいともが加わる。
年を重ねるにつれてテレビ番組を見る時間は減っていき、当時の定番番組は次々と終っていった。
でも、何故だろうか。この番組は続いていくものだと勝手に思っていた。
昨夜の最終回を見ながら『ああ、この時はこんな事があったな』と幼い頃から現在に至るまでの思い出があふれ出し、同時に終ってしまうのかと切ない気持ちになった。
ファンではないし、ライブに行ったりしたわけでもない。それでも彼らの曲はいくつか知っているし歌える。
夜空ノムコウ、ライオンハート、世界に一つだけの花は実際にCDを買った。いつ聞いても良い曲だと思う。
ファンの人達とのイメージ格差はあるかもしれないが、テレビの中でそれぞれがどんなイメージの人物だったかも大体分かる。
自分が生きている間、こんなに世間に浸透しきっているグループはもう他に出てこないかもしれないなと改めて思った最終回だった。
ただ、最後の世界に一つだけの花を歌うメンバーを見、この人達は本当に解散を望んでいたのだろうかという疑問が残る。
総集編の中で森さんの脱退や稲垣さん、草なぎさんの逮捕等の対応を見ていて、やはり何だか今までと違っているように思えてしかたがない。
昨夜の放送を見るかぎり、グループの存続を揺るがす何かがあったとき、彼らは自分達の口から直接、実際に目の前にいるファン達へと言葉や思いを伝えてきた事が窺える。
同様に放送された記者会見の様子を見ていても、自分達の非を認め、反省し、責任を負う覚悟が見えた。
だからこそ、今回の一件はどうにも腑に落ちない。
何が真実かも分からないし、誰が悪いというのもファンではない自分には言う資格はない。
そこは彼らと共に歩んできたファンだけが言う資格があるのだろうと思う。
しかしながら、これがもし本当に彼らの長い歴史の終わりなのだとしたら、この注目を受けている中であえてはっきりとした終わりを見せない終わり方と言うのもまた、逆に新鮮だなぁと思ってしまった。
もしかしたら、彼らの中には『一人ひとりがSMAPである』という意識があるのかもしれない。
久々に見た
吐き気がするかと思った
内容はワケあり女子5人が高収入男子7人と顔合わせしてカップルになろうとかいうもの
ワケありってのもまあDQN男に捨てられたシングルマザーとか、リーマンで倒産した借金1億の元令嬢とか逮捕歴があるとか
まず出演者。
女子5人って言ったけど、先の3人の他に「EXILEメンバーの妹」と番組の別企画(とんねるずが突然訪問する?)に出てた人が現れる
ロケバスの運転手にテレビ局のプロデューサーとか当たり前に出てくる
正直この時点でドン引きなんだが、顔合わせからの質問タイムがもっともっとひどい
女子側の紹介になると石橋がEXILE妹の「ネスミス」さんを「エネオス」「エネゴリ君」とか散々弄る
人の名前弄るのって正直最低だと思ってる。本人にはどうにもならないし、アイデンティティに関わる大事なものでしょ
男の紹介になると帰国子女の男性の喋り方がちょっとおかしいのをテロップ芸でバカにしまくる
挙句にネタ枠のテレビ局プロデューサーがバカ発言で場を濁してとんねるずが適当にツッコむ糞の塊のような展開