はてなキーワード: みなおかとは
昨夜、数年ぶりにめちゃイケを観た。
終わるのなら、せっかくだし観てみようかなと軽い気持ちで視聴させていただいた。
社会人になって以来、テレビ番組自体をあまり見なくなっていた。
世間で話題になっているニュースはネットで確認出来るし、若い頃と違って毎週の様に発表される音楽を必死にチェックすることもない。芸能人の誰々が結婚しただとか熱愛発覚だとか、そういうものも自分の生活には何ら関係ないことだし興味もないからワイドショーなどを見ることもなく……というか、その時間は仕事だから見れるはずもなく、結果的にテレビから遠ざかる生活をしてきた。
それでも、幼い頃に自分が笑って観ていた番組が終わるのだからと久方ぶりにテレビを点けた。
テレビの中で、幼い頃から変わらないメンバーと噂に聞いていた新しいメンバーが笑っている姿は、見慣れていないこともあり新鮮だった。
めちゃイケらしい、お決まりとも言える展開は単純に面白く、ああそうだ、昔からこんなだったなと妙に懐かしく思えた。
幼い頃、母親に顔を顰められながらも兄弟達と笑い転げながら観た数々のコーナー。
クイズ濱口優、しりとり侍、Mの三兄弟……ただただ懐かしかった。懐かしかったし、面白かった。
くだらなさに笑いながら酒を飲む休日前夜―何よりも贅沢な時間を与えてもらったと思う。
今回の最終回に関して、つまないと思った人もいるだろうし、様々な意見がめちゃイケという番組に対して寄せられることだろう。
だが、今回に限っては、出演者もスタッフも、その声に耳を傾けることはない。
最終回まで見ていなかった自分が言えたことではないが、今回の最終回はそういった批判や否定を寄せる人々の為に作られたものではないと私は感じた。
彼らは恐らく、番組を愛してくれた視聴者―めちゃイケという番組を心から好きだと思っているファンの為だけに、この最終回を制作したのではないかと感じた。
笑っていいとも!、ごきげんよう、スマスマ、みなおか、ポンキッキーズ。
数年前から今年までの間に、それなりに思い入れのある長寿番組が次々と終わった。番組の最後を見る度に幼い頃を思い出し感傷に浸っていたのだが、この度のめちゃイケ最終回を見終わった時、私はひとつの時代が本当に終わったのだと心から思った。
私は、三十代である。昭和終期の生まれだ。そして、平成初期から中期にかけて子供時代を過ごしてきた。
それをまざまざと実感したのが、この度のめちゃイケ最終回だった。
私にとって、めちゃイケは平成の象徴であったのかもしれないと今更ながらに気がついた。
否、もう既に始まっているのだろう。
今後、どのような番組が作られていき、その時代を象徴するのだろうか。
番組を作る人々には、どうか、その番組を心から好きだと思ってくれるファンを大事にしてやって欲しい。
最後に。
長い間、お疲れ様でした。
一部では「悪質な差別キャラの代表」として長年有名だった(らしい)あれを出しちゃったから炎上した感じ
あのキャラを今後出したら(どんな出し方であれ)抗議するぞと心に決めていた人たちが多かったんだろう
実際の番組ではここまで炎上するほどの露骨な同性愛イジリは少なかった
逆に言うと、登場時の2〜3分以外は単に変な仮装してる石橋が映ってるだけだった
お約束なので一応やっときます的な雑さすら感じたし、あるていど批判が来るのを見越した演出だと見ながら思った
あのキャラの「今回の放送内での言動」のどこがどう差別的なのか、きちんと言語化していくほうが今後のためだと思うんだが
あれが流行ってた当時あのせいで辛い思いをした人たちにとって、どこがどうと細かく分析するのもまた辛いわけだしな
個人的には最初のいいともパロディパートが予想以上に面白かったんで今回の件でそっちがまったく話題にならないのはちと残念だわ
その面白さはタモリと鶴瓶ととんねるずが自由にやってる雰囲気から来ていて
そしてその自由さには今回炎上したキャラのような下品で人を傷つける笑いは確実に含まれていて
自由な面白さは出せ、でも下品部分は出しちゃいけない、というコントロールをいかにしていくか
いいともパートではできたんだからやればできるでしょって意見はなあ、正論だけど役には立たないよなあ
タモリがやってたインチキ中国語芸だって差別的だと批判しようと思えばできるわけだしな
テレビ見ない自慢の人たちは個々のテレビマンや演者の反応なんか追ってないだろうから一括りにテレビはー芸人はーと言ってるけど
いろいろな反応がすでにあることは少なくとも自分は知ってるし、それを見てまた考えを深めようと思う