はてなキーワード: ふつうとは
自称「ロジックが身についた人」がガバガバロジック(笑)な主張をしているとツッコみたくなってしまうね
でも私の幼馴染にはこんな暴力的で卑劣で犯罪者な人はひとりもいないし、
そんな事件の話を聞いてこんな狂ったコメントをする両親もいない。
妻の前歯を全部折る夫の話なんて知り合いの話としてすら聞く機会がない。
あえていうと、ご自分の周囲の環境の異常性に気付いてるHanPannaさんご本人ですら
もしリアルで出会ってしばらく付き合ったら私は、相当強い違和感というか価値観や感性や習慣の差を感じるのだと思う。
ネットで物凄く攻撃的だったり上からだったりしつつ、異様な前提を振りかざしてくるフェミニスト、
それが通じなくて相手にキョトンとされたりドン引かれたりすると「とぼけるな!」と怒り出すフェミニスト、
追記前までの主張はこう
B.なので、DV加害者・被害者を知っているHanPannaさんの環境は異常である
C.ところで、フェミニストはもしかしたら自分の異常な生育環境や文化や空気を世界全体と混同しているんじゃないか?相対的な視点の無い田舎者っぽい
ここまで客観的なデータの提示が一切ない。ロジックってなんだ。主観を垂れ流すのがロジックなのか???
むしろ自分の環境を世界全体と混同しているのは元増田の方ではないか?無条件で自分の生育環境だけが「普通」だと思っていて、それ以外は理由の提示なく「異常」と断言しているので
元増田はまず、元増田が「普通」で、HanPannaさんが「異常」「相対的な視点の無い田舎者」だとした根拠を提示するべき
「珍しくもないこと。」 って言われても
あなたのそのエピソードは登場人物全員(それがふつうのことだと思ってる語り手含めて)が
あまりにも衝撃的であまりにもぶっ飛んでいるように私には感じられるんですけど。
前歯全部折る人もそれを肯定する人もそういうの良くないと思いながらもありふれたことだと考えてる人も
私はこれまでの人生で一度も接したことがない。珍しいとか軽く通り越してる。
それが普通だと思ってみんなの前提だと思って話を始めてるせいで
多くの人に「何言ってんのこの人 こわ…」と言う反応をされて
という不幸な循環起きてない?
「あまりにもぶっ飛んでいるように私には感じられる」っていう感情の話と、事実認定は分けて考えようね。ロジックに強いんでしょ???
「珍しくもないこと。」を否定したいのであれば、統計なり何なりを持って来る必要があるのね。でも元増田は「私はDVなんて聞いたことない」という主観の話しかしていない。
まずは検索してデータに当たる癖をつけよう。日本で年間何件のDVが起きているのか、なぜ行政がDV対策に力を入れているのかとかも考えてみようね。
事実としてDVは社会問題にとして行政が対処するくらいにはメジャーなんだから、もしそのメジャーなDVを知らず「何言ってんのこの人 こわ…」と思う奴がいたとして、不見識でバカなそいつが悪いでしょ
社会を語るなら極力自分を捨てて手に統計データだけ持って話をするしかないんじゃないかと思う。
自分の経験や感情を前面に出して社会を論じようとした結果の「おかしな人」であり
他者との(意識されない)認識の齟齬や感情の対立なのではないかというのがこの文で書いたことです。
ありがとうございました。
これはそのまま元増田にブーメラン。あなた自分の主観以外に客観的なデータとか提示しました?
なんとなんと、「自分の周りではDVなんて聞いたこともなかった」ってバリバリ主観を一般化して論じている無理な人間がいるんですよ。自覚あります?
とか素面で言えちゃう奴が実在するのキツすぎん?しかもどうも自分のことをロジカルだと思っているらしいんよな。。。
ブコメでツッコミもらってから追記でしれっと主張を変えてきているのもダサいし。。。異常って言い方が迂闊だったと気がついて、「普通」と「別の普通」って言い方に直しているけれど、結果として最初の主張と食い違いが出ているね
ただの耳だけつけた擬人化とかケモとかじゃなく、写実的に猫を描く漫画ならって男女差でないはずだと思うんだよね。
しかし猫漫画の場合、猫漫画を見たい人というのは現実で猫を鑑賞するのでは飽き足らず漫画でも見たいという人だから、どんな動きをさせようが猫が描かれてさえいればいい。どんな筋書きに則って猫が行動としてるとか、そういうので読者層が変わることはないはずだ。
だから現実でそれを好きな人の男女比が同数なら、たとえ漫画になってもストーリーによる影響がないような題材だから、その男女比がスライドされるはずだという結論に達する。(逆にたとえばミリタリー漫画麻雀漫画の読者層が男性に偏っているのは現実においてもそれが男性の文化だから)
あるいは、猫を漫画化するということが男性的じゃないのかもしれない。男は漫画で猫を楽しもうという考えには至らず、それは女性的な発想で、女性同士のコミュニティーを形成しやすいことなのかもしれない。
でもこの説には穴があって、たとえば寿司は男女嫌いな人はほとんどいない食べ物だけど、漫画となると男性向けという共通認識を持たれてる作品が多い。しかし「寿司について漫画にして楽しむ発想は男性のものであって女性のものでない」これはやや無理な仮定に思える。
以下のコツを徹底して実践すれば、間違いなく麻雀の成績が劇的に変わります(天鳳で言ったら安定3段は下がるでしょう)。成績が伸び悩んでいるプレイヤーは必見。
チャンタは麻雀牌34種中25種もの牌が使え、鳴いてもOKな、極めて成立させやすい役である。
その上、メンゼン2翻、純チャンになれば3翻、役牌や三色との複合もしやすく、高打点になりやすい。
さらに、自分がチャンタを狙っていると分かれば、相手は先に述べた25種もの牌を打ちにくくなり、絶大な牽制効果がある。
まず、ダマで5200や7700ある場合、1翻プラスによる得点上昇のメリットが小さいのでダマである。
そして、1000点や2000点の手で、防御力をゼロにし、リーチ棒供託までするのは割に合わない。
したがって、リーチしていいのは、
カンチャンだと和了れる確率がリャンメンの1/2になってしまう上に、追っかけリーチが入るとさらに不利になる。
したがって、リーチしていいのは6枚以上待ち牌が残っている場合だけである。
例外として、字牌はリーチをかけても出やすいので、字牌待ちのときもリーチしてよい。
まず、ふつうの手のときは、鳴かなくてもメンゼンでテンパイできるし、そちらの方が得である。
そして、悪い手のときは、鳴いても鳴かなくても結局和了れないことが多い。
ならば、鳴くのを我慢して他家のテンパイに対応した方がよい。手牌が3枚違えば守備力は相当変わってくる。
ただし、鳴いてもマンガンあったり、終盤で形テンが取れればいいという状況では、上記のデメリットは当てはまらないので、鳴いてよい。
自分の手が育つまでは他家の役牌は切らないようにしよう。
役牌を鳴かせると他家が和了に近づいてしまうが、鳴かれなければその心配はない。
また、字牌は安牌にもなるので、自分の手が勝負できる形になるまでは最低1枚は持っておくべきだ。
理由は3つ。
ただし、役なしになっても7700あるときなどは、早いテンパイが優先されるため、複合ターツを残す。
また、良形のターツが足りていない場合、344→3445→34456のように中膨れを経由した良形変化があるのでトイツ部分が3〜7のリャンメンは残す。
被ツモと流局があるため、他家の攻めに対してオリると得点期待値はかならずマイナスになってしまう。
したがって、他家のテンパイが入っても、自分に点数が入る選択肢を取らなければいけない。
この際、他家テンパイに対して、自分も攻められる手にしておくことが必須である。
したがって、上でも述べているようにのみ手や愚形にならない手組が重要なのである。
他家の攻めが来ることを考えたら2600カンチャンの最速テンパイを目指すよりも、安牌を持ったメンピンドラ1のイーシャンテンの方が優れている。
自分の和了が遠い手でも、愚形だからと言って鳴いたりせず、その部分は安牌として活用し、形テンを狙おう。
まず、相手が223のようなターツを残すタイプかそうでないかを見極めよう。
である。
すばらしい高知中部~西部の風景とそれを再現した背景スタッフ、才能あるあまたのスタッフによるすばらしい仮想空間内のビジュアルと、音楽。(音楽に関しては見識がないのでどれくらい素晴らしいかわからん)とそれをまとめ上げる低レベルな脚本・ストーリー(テーマ)。
オープニング。ナレーションで舞台となる仮想世界の説明を15分くらい(体感です)やる。
予告で見た「竜の正体を探す」。容疑候補者リスト開陳シーンで、こいつだ、って一瞬で分かりましたよ。まあ、これは「吹き替え洋画で第一幕に出てきたモブキャラが、後半で実は重要人物だったと明かされるけど、大御所俳優が声をアテてたので最初からバレバレだった」くらいの話で、欠点にはならない。(画面に初めて映ってから体感60分後の”僕が我慢すれば”のセリフでふつうに「あーそういうことね・完全に理解した」とわかります。)
端的に言うと登場人物全員がのっぺりでうんざりしました。何の陰影もない。テーマの奴隷。敵も味方も全員監督の代弁者。
特に主人公グループ以外のキャラクター(敵側)の薄っぺらさ、記号性。 きれいに描かれたキャラクターに大文字で朱書されたレッテルが貼られた繊細チンピラ(ネット当たり屋)に正義マン自治厨。ソードマスターヤマトの最終回のキャラ並みにぺらぺらとよくしゃべる。
この映画。クライマックスで主人公の歌が流れるわけですが、映画館に座ってるスクリーンの前の観客が感動する前に、画面の中のモブキャラが泣くんですよ。もうね。滂沱。巨人の星みたいな。エシディシの あ ァ ァ ァ ん ま り だ ァ ァ ア ァ みたいな。
例えば、キートンなりチャップリンなりコメディアンは自分では笑わないじゃないですか。グルメ番組のレポートで「美味しい」と言っていいのは素人だけじゃないですか。
でも、細田守はそれをやる。
『べ、べつにあんたのことなんて何とも思ってないんだからね!』ってセリフを言ったキャラクターを見て、「ああ、このキャラクターは相手のことをなんとも思ってないんだな」と受け止めるレベルの観客を想定して作ってる。
ワクチン接種が始まり、光が見えたかと思ったら、自分の順番は一向に回ってこないし、予約開始もまだだし、職域接種も中止になってしまった。
しかも諸外国の情報を見た感じ、定期接種しないと意味無いし、接種しててもふつうに罹患するっぽい。
でもなんかオリンピックやってる。
平成狸合戦ぽんぽこで、神通力を持たぬふつうの狸たちがどんちゃん騒ぎをする場面がある。土地開発ですみかを終われ、食い扶持もない。乗る船が泥舟と知りながら、死出の旅に繰り出すその姿が今の人類と重なる。
より優れた予測が(欲を言えばちゃんとした機関から)出されることを、ずっと願っています。実際に、一時的に対抗(?)予測が現れたことはうれしく思いました。ただ、「感染者数」の数字の意味がこれから薄れていくのも確かだと思います。放っておいても自然とフェードアウトするでしょう。
わかります。もっと外してる各種の政府・大学・シンクタンク予測にも言ってやってください。
おっしゃるとおりです。でもひょっとしたらそこそこの精度で当たるんじゃないかと思って公開しています。それがどの程度の精度かというと、現在も検証中ですし、これまでご覧になってきた程度の精度だとも言えます。
一部にはモデルを「(あるのに)公開していない」との指摘さえありますが、解説記事(anond:20210726192034)がすべてで、書かれていない秘密の考慮事項や秘密の計算式はありません。言葉の定義の問題だとは思いますが、個人的にはこれをモデルと呼ぶのは・・・せいぜい一般名詞として、くらいじゃないかなと思っています。つまりモデルなんてないよ、ということです。
具体的にどのことを指しているのでしょう。デルタ株の感染力をイギリス報告からWHO報告の値に更新したことでしょうか、渋谷の人流データを新規に取り入れたことでしょうか・・・? たとえば将来の人口予測を、実際の出生率に合わせて毎年修正するのはふつうだと思います。まして、新しい移民政策が始まったり、その効果が実際に数字になって現れてきたら、取り入れるのが正しい姿勢だとも思います。コロナにおいても、イギリス公衆衛生局も日本の国立感染研も京大の西浦教授も用いる数値を毎週更新していますし、用いるデータや計算方法も随時変えていますよ。感染研など、これまでずっとデルタ株の影響を「考慮していない」とわざわざ注記までしていたのを(そして予測は当然大きく外し続けていた)、最近になって考慮するようになりました。いずれにしても、わたしは予測の精度を高めたいだけですし、何か変えたら記事で説明しているので、さも「最初からまったく同じ計算方法でやってますよ!」と騙っているわけでもありません。(もしくは、批判している方が「計算方法」について何か誤解されている気もしています)
はい。でも解説記事に挙げたような散布図を見て、突拍子もない場所に点をプロットしようとする人はいないでしょう。「その程度」の精度は得られるとご理解ください。逆に、解説記事に書いたような弊害を無視して、この人力部分を機械的な回帰分析に変えることは誰にでも(わたしにも、あなたにも、今日からでも)できますから、ぜひやってみてください。もちろん「こうすれば弊害を回避しながら人力を排除できる」という提案や批判は大歓迎です。
そんな人はまさかいないとは思いますが、感染者数の最大値と人流という着目点についてはすでに東京都医学総合研究所が指摘していますから、この予測自体には論文にするような価値のある要素はひとつもありませんし、むしろ途中に人力が入る論文なんてありえないと思います。誰にでもできそうなことを、少し手間をかけてやっているというだけのことです。でも、それこそ誰かが再検証性がある数理モデルを作った上で論文にされるのであれば、本当にすばらしいことだと思います。
相手にとっては掃いて捨てるほど届いているであろう有象無象の意見のひとつと思って書いたものですが、個別の反論やご指摘は、すでにいただいたものも含めていつでも歓迎しています。むしろ「はーなるほど!」と納得したいという思いもあります。ただ、その後、感染研はデルタ株の影響を考慮するようになりましたし、デルタ株の感染力も結局イギリスやWHO報告に近い数字で推移するようになってきました。(ところで、みんなもブコメや増田やTwitterでいつも意見してると思います。しかし、メールを送るのがまずかったとすれば、確かに、5秒で捨てられる運命のメールなんて送らないほうがよかったのかもしれません)
わたしの口からこんなことを言うのはどうなんだと思うので大変言いにくいのですが、予測の「割に合う」ほど送られてきているわけでは、もちろんありません。あくまで関心があるから予測しています。でも、おもしろおかしい投げ銭文化はもっと広まってほしいと思っています。ありがとうございました。フィンガーチョコおいしい。
熱が出たらクソだるいわやる気なくなるわモノ食べるのつらいわ
こんなに風邪の症状があるけどさ、コロナは風邪って言ってる人って風邪の症状のことすっかり忘れてるのかな?
あと、コロナは存在しないという人達のなかで、発熱したら袋叩きに遭うらしいけど、
コロナじゃなくて普通に風邪ひいて発熱しても袋叩きにするみたいで破綻しまくってるよね。
普通に体調悪かったら病院行くのに、病院行くのすら叩くのって人の生活を舐めてるとしか思えんよね
なんでそういうこともわからんひとが増えちゃったの……
仕事で英語読み書きするのに全く不自由してないんだけど、中学英語復習したらこれ難しすぎるな。
ここらへんが鬼門。
個人的にはオークションサイトなどで目にするタイプの転売屋は最悪だと思っているし、そういう商品を買ったこともない。
その上で、しばしば転売屋とセットでやり玉に上がる「転売屋から商品を買う人」の是非について思ったことをちょっと書きたくなった。
言うまでもなく、大半の商売ではお金を払えない人は客とはみなされない。
ところが逆に、金ならいくらでも出せるという人があらゆる物を好きなだけ手に入れられるかというと必ずしもそうではない。
その極端な例が政府が配給制度をしいて供給量をコントロールしている場合だ。配給品はいくら金を持っていたとしても決まった量しか手に入らない。
このようなとき、お金を出せる客とお金がほしい生産者がマッチングすると、闇市が生まれて闇相場ができる。
ひるがえって今のプラモとかPS5とかiPhoneとか他のなんでも小売りの世界について考えると、売値についてはたいていメーカーの思惑で一定範囲に決まっている。
金をたくさん出せば必ず手に入るという状態ではない。「金なら出すから何とかしろ」という人たちはある意味客層として想定されていない。
供給量に不安があって、客の手元に金があり、ネットによって売り手と買い手のマッチングは秒でできる。
そんな今は闇相場を作ろうとする力が強く働いていて、転売屋はそれにタダ乗りしているだけじゃないかと俺は思う。
※厳密な話をすると闇商人としての転売屋は配給米を闇市に流しているような輩であって過去の闇商人たちよりも数段タチが悪い
日本の配給制度と闇市を巡る問題については、とある裁判官が闇市の利用をよしとせずに配給食料のみで生活して餓死した事例がよく知られている。
べつにプラモが買えなくたってPS5で遊べなくたって死にゃあしないけど、金はあるのに金で解決できないフラストレーションに公式は応えてくれない。
じゃあ転売で買うのは正しいかって言ったら正しくは無いんだが、自分の需要を認めてもらえない人たちにとっては法に触れるわけでもなく自己解決の手段の一つである。
そもそも転売屋を滅ぼすことはできたとしても「転売でもいいから入手したい」という需要を滅ぼすことはできない。
それが人の夢、人の望み、人の業だとえらい人も言っている。転売は結果に過ぎないんだよ。
公式の供給が有限で、かつ一般販売しか想定されていない商品では、闇市の発生を防ぐことはたぶんできない。
「暇がない、金ならある」という人がいる限り、売らんかなとする輩によってすぐに闇相場が形成されることになる。
不幸なのは一般販売に関わる参加者全員が、今やその闇相場の影響を受けていることだ。
いま転売屋から商品を買っている人を責めて転売屋から買うのを止めさせるよりは、その需要に応える転売以外のルートというものを考えてみたほうが幸せになれるんじゃないかな。
知人に実際に転売に手を染めていたものがいて一度口論になったことがある。
このような手合いは自分をごまかすための理論武装を多重に備えているので、その場で論破できるなどとは考えないほうが良い。
依頼があって瀬取りする商人とネットオークションで活動する転売屋の差はここにある。
「俺の代わりに買い物してきてくれ」と頼まれない限り、転売屋のサービスの需要はゼロのままであり彼らが手にするべき真の価値は無である。
販売価格が卸価格に比べてずっと高ければ、誰かが市場のパイを一切れさらっていったということであって供給側にとっても隠れた損失がある。
都市経済の影響をあまり受けていない地域はそれに近い雰囲気がありますね。
とくに大都市圏に属さない地方都市圏は太平洋ないし太平洋ベルト沿い沿いの大都会、札幌・福岡とくらべて断崖絶壁ほどの格差があります。
とくに中国地方・九州地方とくらべると北関東や東海地方がマシに思えてしまうくらいです。
ふつうに考えればそうですね。
でもああいう袋小路や大陸と離れた島の地域はいろいろ投資してもロクな結果は出ないのです。
根本的解決策として、科学研究施設をたくさん建てるとか軍事基地を設けるなどの
必要だけども迷惑な施設を集積させるなどの方策がこういった地域にはもっともよいのです。
でも直線距離では経済的に豊かな大陸の国々にあまりに近すぎて危険な軍事施設や科学研究施設を日本地域に設けるなんてのは
かといってほったらかすと貧困からアウトローが人口からして異常な割合の高さで
つぎからつぎへと涌き出てきてしまいます。これははっきり言って新型コロナウイルスより厄介です。
「文明の光」をあててあげて「文化の香り」をかぐわせてあげるのが現実的なもっともよい方策です。
外国地域からきた人たちと日本に住んでいる人たちのあまりの風体の違いに私は驚いたものです。
日本に住んでいる人たちの連中がそろいにそろって成金や地方人を連想させるパリピや田舎者のようにダサいオタク
みたいなんですから。あれじゃ20年前の中国人とたいしてかわりません。
しかしオリンピックが開幕してからは日本人たちはいままでダサいJ-POPや醜悪の塊のヤンキーなサブカルチャーや気持ち悪いオタク文化を消費していたのをやめて
外国の文化を聞いたり見たりしてその文化の高さに愕然としつつ受け入れて、
オリンピックの開催現場に津波のように押し寄せてオリンピック観覧についての日本人の民度の低さで炎上してしまい、
またアスリートやオリンピック関係者が野蛮人どもの犯罪の犠牲になっていたことでしょう。
しかし観客が禁止されたおかげで品性下劣ながらも時間と金はあるテレビ視聴者とインターネット民などだけが
リアルタイムで競技を見ることになり、彼らが高い文化を持ちかえって
オリンピックをリアルタイムで見れないパリピやヤンキーやオタクたちは
彼らを通して間接的ながらも高い文化に感化されていっているのです。
東京オリンピックによって
日本国内のアウトローや背徳サイコパスの大量発生やそれに感化された悪い外国人が世界各地で増殖する原因が