はてなキーワード: しよりとは
自分も正直、結婚したから次は子どもか~で産んだだけで子育てしんどいから闇落ちしそうになる。正直産まなけりゃもっと自由だったわと思うことが多い。
子ども好きじゃないんだよな、もともと。自分の子どもだからというのと責任感や理性でなんとかなってるだけだと思ってる。
子どもにも申し訳ないけど二度と出産も育児もしたくないから時間を巻き戻せるなら産まない生活を選択したいと思ってる。
でもそれ言うと自分で産んどいて何言ってんだてめぇ、お前のエゴで勝手にこの世に誕生させられた子どもの目見て言えんのか?みたいなことになるので
「子育てをしている自分はそうでない人よりも良い人生を送っている」ということにすることで自尊心を保っている人がいるんだと思う。
心の片隅で子どもいなけりゃもっと自由だったのにと思って子どもいない人に僻んでんだよ。
しんどいけど子無しより社会的ステータスもあるしwみたいに合理化してなんとか日々過ごしているんだきっと。
お疲れさまです。
我々は全ての非難をウクライナに転嫁する状況を作るよう土壌を耕している。ナルィシキン(ロシア対外情報庁(SVR)長官)と彼のSVRはウクライナが密かに核兵器を製造していたことを証明するために地面を掘り返している。F単語。彼らは我々はすでに分析し事案処理済としたものに必死になっている: 我々はただ証拠品とか証明とか専門職の存在とかウラニウムをでっち上げるということはできない。ウクライナは大量の劣化ウラン238を保有している──そんなものは何でもない。[核の]製造工程は密かに実行できるようなものではない。汚い爆弾は密かに作ることはできない。ウクライナの古い原子力発電所はそれら物質を副産物として極少量製造できるのみである。これらはアメリカ人がMAGATE[和訳者註: МАГАТЭ, IAEAのロシア語名称]とともに監視していて話題にするだけばからしい。
あと一週間で何が始まるか知っているか? 二週間でもいい。我々は大変ひどいことになり90年代の空腹の日々を思い起こさせるようになるであろう。株式市場も閉鎖しているから、ナビウリナ[中銀総裁]は正しい行動を取っているが、船に開いた穴を指で塞ぐようなものだ。状況はどのみち現状を突破するしより強烈になる。三日五日七日それ以上経とうが何も解決することはない。
カディロフは理由なくひづめを蹴っているわけではない。彼らにも旅路が待っている。彼は自分自身に無敵の者として名を付けた──彼が一度でも負ければ彼の人びとが彼を除去するであろう。
次。シリア。"諸君──待ち給え、ウクライナはすべて終わりになって我々はシリアの防衛を固めるのだ。" そうして今にも我々の現地増援部隊が補給品を使い果たせば、ばかげた熱風がやってくる……トルコは海峡を封鎖しており、シリアに補給を空輸するのは釜に現金をくべるのと同じことだ。留意されたい──これらは全て同時に起こっており、我々にはこれをすべて一つの書類山に投げ込んで分析する時間すらないのだ。我々の現在の状況は1943-1944年のドイツに類似している──しかしそれがウクライナにおける我々の _起点_ なのだ。時折筆者はこの過労状態の中で迷子になる。時折これはすべて夢ですべては以前のままであるかのように感じる。だ.っ.て.僕.は.星.だ.か.ら.。
刑務所について──状況は悪くなる。血を見るまで留め具の締め込みが始まるだろう。あらゆる場所で。正直に言って、純粋に技術的見地から、状況の統率を図るには、それが唯一の手である。
我々はすでに全軍動員状態にある。しかし我々はこの状態に長く在ることはできない。しかし我々の予定表は不明瞭であり、そして悪化の一途をたどる。統治は動員により道を誤る。そして想像したまえ: 100m走を走ることはできるだろう──マラソンでやってみたまえ。そして、ウクライナ問題に関して我々は100m走の構えを取ったが、しかし我々はマラソンに参加していたことが明らかになったのだ。そしてこれはどちらかといえば現在起きている出来事の簡単なあらましなのだ。
さらなる皮肉主義を提供するなら、筆者はプーチンが赤い釦を押して世界を破滅させるとは信じていない。第一に、これは一人の人間が決断することではなく、誰かが拒否するであろう。この手続きには大勢の人が関わり、たった一つ"赤色"の釦があるわけではない。第二に、これが実際正常に機能するかについてある種疑念がある。経験により制御手順がより透明であるほど問題の断定は簡単であることが示されている。そして誰が何をどう管理するかが不明瞭であるが、誇大表現に満ちた報告書がつねに書かれているところにこそ、常に問題があるものである。筆者には"赤い釦"装置が宣言された情報の通り機能する確信がない。だいいち、プルトニウム燃料は十年ごとに交換が必要なのだ[8]。第三に、これがもっとも不愉快で残念なのだが、彼自身の最も近い閣僚や助言役すら近づけないのであれば、筆者はそのプーチンの自己犠牲を信じていない。[9]
あるメーカーで技術職をしてるオッサンなんだけどけど聞いてくれ。
先日会社のマーケティング主導の製品企画のキックオフミーティングに呼ばれたんだけど、非エンジニアの文化にはじめて接していろいろ面食らっている。
なんていうか、普段馴染みのあるエンジニアだけで動いている会議って論点が割と明確なのよ。工業デザイナーの製品イメージがあって、筐体サイズや電力の制約があって、納期やコスト、開発リソースから実現可能性を考えてという具合に、製品の要素を実装可能な状態に落とし込むために要件を絞り込んでいく的な感じ。
一方、この前初めて参加したマーケ主体のミーティングはソフトバンクの決算で孫正義がやってるような感じのポエミーなプレゼン資料がポンポン飛んできて頭がくらくらした。「プロジェクトに対する私の思い」だとか、「製品のコードネームを決めよう!(提案者は製品コンセプトが抽象画なのでピカソ推し)」とかエンジニア目線で見るとマジでどうでもいい話ばかりで会議に出てる時間が無駄に思えてとてもストレスフルだった。
で、そんな経験がすごく苦痛だったという愚痴を昔営業の仕事をしていた嫁に話したところ、自分にとってはへーと思う答えが返ってきた。
「マーケティングや営業といったコミュ力を要求される仕事って興味の対象が人間なのよ。だから製品の良し悪しより、思いやイメージといった感情に働きかける要素を重視しているわけ。私だって、商品はクソなのに取引先のおっさんに人間性を好かれて商談まとめた経験あるし、そんな環境に何年もいる人たちが集まった会議があなた達エンジニアの世界と文化が違うのは普通じゃない?」
そうなのかとハッとした。なんていうかエンジニアはいかに良いモノを作るか、いかに技術的に面白いことができるかに神経注ぐ。だけど非エンジニアはいかに人を動かすかに注力してるのかと。
そんな目線で会議に参加したらいろいろ発見があった。非エンジニアの人はオンライン会議でも顔出ししたがるけど、理由が表情が分からないと感情の変化が読めなくて、彼らの仕事スタイルからするとやりづらいということなんだなと思ったし、面識ない人の発言でも声の感情のこもり具合だけでエンジニアか非エンジニアか判断できるようになった。
だけどだ、違和感の理由がわかったところでこの手の会議が不快なのは変わらないわけで、マーケや営業のコミュ力重視コミュニティとエンジニアの見てる世界の差は簡単には埋まらないよなと思ってしまった。なにせ会議が退屈すぎるのでサボって増田に愚痴を書いているくらいだし。溝は深い。
分散化の時代だ!と歌っている方々がどこかの界隈に居りますが分散化時代は「過去既に来ています」。
古くは、封権主義で貴族と平民の時代から共和主義が広まることにより参政権や人権を得られた。
他にも、日本では平民でも金持ちや男性だけが参政権を持てた時代があった。
そこから「20歳以上」が参政権を持てるようになったのも「分散化」である。
物質的には豊かになったが争いも起きるしよりよくなった部分とよりよくなっていない部分がある。
大前提として間違ってしまう大勢の民衆がいるのは民主主義のコストとしてどうしようもない部分であり民主主義の影である。
根本的に、「全ての選択を間違わない正しい選択」を行えるのであれば政治なんて独裁制の方が綺麗に回ります。
某国のような独裁制ばかりを考えると間違ってるんですが、実際問題自分の生活がよりよく暮らせるのであれば
独裁の方が権利について余計な事考えなくって良いから楽でしょ?
分散化が進められるのは別に悪いことではないし、ある意味では正しい。
その意味とは「全ての人間が賢く自らが与えられた権利」について考えてよりよい道を選ぼうとする場合だけ。
なので、全能なる一人に全ての責任を持たせてしまう独裁制の方が「間違う可能性が一人」になるので楽でしょ。
今現在の世界では権利については「影響から知らんよ」とかインフルエンサーがいってるから・・・って流されて思考しない。
本当に何故その法律が作られるのか?を考えないし背景を調べない。
イギリスでのEU離脱でもそうだ、現在の日本の規制についても「日本は規制だらけだ!」と叫ぶが本当かどうか考えた?
全能なる独裁として分散化しているクラウドは「実装された通りに動く」から間違わないので時折発生する障害だけがリスクとなる「分散化」されている。
政治とか規制について分散化の時代だ!って叫んでる奴はそれによって得られる利益があるからであって
これは神学命題。プロテスタンティズムと決定論に対して言及がないので不完全。
アメリカの歴史の初期においてピューリタンが重要な役割を果たした。彼らの思想の一部は今も残ってる。
フス戦争やカルヴァン主義やその前史にまで言及すると長くなりすぎるので省くが、重要な要素が【予定説】(神学的決定論)である。カンタンにいえば「全知全能の神。神は全知全能なのですべて予定済でお前の自由意志なんかねーよ!なので善行した"から" 天国に行けるとかあるわけねーじゃん。俺が "善行する" と思うことまで神は予定済なの!」
というのがあった。
こうなると、「えーじゃあ善行しようと思うこと意味なくね?」ってなって人々は悪事を働きそうなものであるが、実際にはそうはならなかった。
人々は「私は神によって救済される(=天国に行く)ことが予定済の人間なので、そうあるべくふるまう(=善行を行うしより良くなるため努力する)」となった。
因果が逆転してるというかなんというか。
この因果の逆転によって、ダラダラ働いてシエスタするようなカトリック圏と異なり、プロテスタンティズム圏では修道院のように禁欲的に働き、禁欲的に自己研鑽し、禁欲的に金儲けをしその利潤を禁欲的に再投資する…ことによって世の中を良くする。なぜなら私達は神に選ばれているので!それができる!
となっていった。
(※ 禁欲的に慎ましく暮らすタイプのプロテスタントもあります)
「世俗社会の修道院化」によって、日常生活の全てを信仰と労働に捧げる。
節制と禁欲のために複式簿記を導入…。合理的精神で禁欲的に社会を発展させる(なお奴隷制ry)。。
この辺の時期の代表例としては、ベンジャミン・フランクリン(アメリカ建国の父にして実業家であり学者であり外交官。そして偉大な政治家。今も100ドル札に顔がある)など。
勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像の象徴。
…というあたりで、発展しすぎた禁欲的資本主義は本来の宗教性を失い、資本主義になり、「内なる光=神との対話」みたいなあたりが「自由意志」に変わっていく。
自己研鑽しない者たちに対する憎悪や侮蔑は、従来の「つまり予定説におけるアイツラは地獄行きになる怠け者」から、「侮蔑すべき怠け者」だけが残った。
・・・というあたりはマックス・ヴェーバーが"プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神"という本とかで書いてたこと。
今のアメリカ人は直接プロテスタントというわけではないが、連綿とこの思想を引きずっているのである。
(なぜならそのほうが発展に有利だからね)
----
補足すると、こんだけ「プロテスタンティズムがー!」と書いておきながら、実は西海岸のカリフォルニア州は全米でももっともカトリックが多い地域である。なぜならもともとあそこはメキシコであり、今でもスペイン語圏からのカトリック移民が多いからです。
ただ、思想的な主流派は?というと難しい。モルモン系やユダヤ教徒(思想的原理は異なるが同様に資本の蓄積が宗教的にOK)もスゴイ多いし、西海岸を語るなら中華系の人々に言及を避けることが出来ない。
そして何より、【西海岸のリベラリズム】と対極っぽそうな南部のバイブル・ベルト。
この地域は基本的にプロテスタントだ。そしてめちゃめちゃ保守的。
ただまぁ、この辺はそもそもバプテスト派なので同じプロテスタントと言ってもなというのと、更には南北戦争で負けたエリアっていうのと、そもそも南北戦争以前から移民が少なかったため思想が固定化されたっていうのとかありそう。
利益に税を掛けようとすると「いや利益じゃないから」っていうやつが多く、内部の数字だからいじりやすい。なので、目に見えやすい「売上」に税をかける。
ただし最初から税を含んだ値段にしていいから損はしないでしょ?っていう発想だな。
トータルで値段が上がるという点を解決できるのならいい方法だが、サラリーマンのように所得からたっぷり保険や年金という形でこれは税じゃないから!と言って引いておいて、支出にも税がかかるというところをクリアできていないのが難点。所得が把握しづらいクロヨン(のうちロヨン)事業者から税を徴収するには良い方法だが、所得がクリアなのに所得からもガッツリ引かれるサラリーマンには不利な税制。制度の良し悪しよりも運営のバランス次第。
職域接種もみたことねえ
接種券あるけれど予約した人みたことねえ
たまにくるのは布マスク
おらこんな国いやだ〜
おらこんな国いやだ〜
コロナになるなら
コロナになるなら
墨田区がいいな
カクテル療法受けんだ〜初期!
ベッドもねえ 医者もねえ
救急車まいにちぐーるぐる
おらこんな国いやだ〜
おらこんな国いやだ〜
コロナがあるなら
コロナがあるなら
台湾がいいな
補助金ねえ 売上ねえ
申請したけど入金ねえ
上流の国民が職域接種で持っていく
おらこんな国いやだ〜
おらこんな国いやだ〜
エッセンシャルワーカーは
換気とディスタンス
不織布マスク付けよう〜
喫茶も無ェ 集(つど)いも無ェ
ジイさんとバアサンは早めに打つよ票田だ
おらこんな国いやだ〜
おらこんな国いやだ〜
選挙になるなら
いることわからせたい
おらこんな国いやだ〜
おらこんな国いやだ〜
テレワークができたら
通勤やめて
zoomで引きこもろう〜
YouTube内部の処理的には評価なしよりも低評価がついている方が価値があるらしいぞ
性格によっては喜んでいるぞ
1万人耐久配信とかでチャンネル登録だけして、ずっと放置するのも
善意でやっていても酷いことかもしれんな
この人マジでどうしようもないな。学術や職業倫理は二の次の完全にホリエモン・DaiGo側の人
茂木健一郎先生をリツイートするときはその自覚を持ってすること
そもそも先生の本を読んだことある?これで金取るのかよレベルでうっすいぞ?
@kenichiromogi
·
社会学者、作家の古市憲寿さんのここがいい! と思うことをお話します。
https://twitter.com/kenichiromogi/status/1348436884817543168?s=20
⭐️古市憲寿氏
「謝ればいいってものじゃない」って怒るひとは、どうせ謝らなくても怒るひとなので、結果的に「謝らないで無視する」が最適解になってしまう。個人的には謝罪や許しよりも、忘れることが大事だと思っている。忘却がないと、断絶は広がるばかりだよ。社会も、愛情も、友情もね。
↓
DaiGo氏
謝ればいいってもんじゃないと思うなら裁判でもすればいいだけの話よな
https://twitter.com/Mentalist_DaiGo/status/1416060500920602624
↓
⭐️古市憲寿氏
【古市】財務省の友だちと、社会保障費について細かく検討したことがあるんだけど、別に高齢者の医療費を全部削る必要はないらしい。お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の一カ月。だから、高齢者に「十年早く死んでくれ」と言うわけじゃなくて、「最後の一カ月間の延命治療はやめませんか?」と提案すればいい。胃ろうを作ったり、ベッドでただ眠ったり、その一カ月は必要ないんじゃないですか、と。
▼安楽死を選んだ人が「立派」と褒められる社会で生きたいか
どうでもいいけど、科学読み物レベルで生と死の定義は曖昧なのは常識になっていると思います
たとえば、食肉処理場から、食用に解体された(お肉になってるので臨床的には当然死んでいる)の 豚🐖の頭部を使った実験
[Nature]Pig experiment challenges assumptions around brain damage in people
https://www.nature.com/articles/d41586-019-01169-8
[日本語記事][Nature ダイジェスト]死んだブタの脳を体外で数時間生存させることに成功
⭐️日本語記事のタイトルの通り、食用に解体されお肉になった豚の脳が復活
> 研究チームは、BrainExに組み込んだブタの脳が6時間でどの程度回復できるかを調べた。
> その結果、保存液を注入しなかった対照群の脳の細胞は崩壊してしまったのに対し、
> BrainExに組み込んだ脳では個々の細胞や部位の構造が保存されていた。また、ニューロンや他の脳細胞が正常な代謝機能を再開したことや、
> 脳の免疫系も機能しているらしいことが分かった。さらに、BrainExに組み込んだ脳から採取した組織試料に通電したところ、
> ただし、高度な脳活動を意味する脳全体の協調的な電気的活動パターンは全く見られなかった。
> 研究チームによれば、そうした高度な機能を復活させるには、電気ショックを与えるか、もしくは、もっと長い時間にわたって脳を溶液中で保存し、
> 酸素供給がない状態で受けたあらゆる損傷から細胞を回復させることが必要だろうという。
>
本人ですら線引きできないものを他人が嬉々と線引きするなど選民思想(優生思想)・命の選別以外のなんだというのか?
こういう人らと嬉々として付き合っている茂木先生の脳科学に対する姿勢や職業倫理はひかめえめに言ってもかなり疑わしいものだと思います
https://www.tfm.co.jp/dreamheart/index.php?catid=1745&itemid=149134