はてなキーワード: TVとは
そもそもこの作品のテーマは使徒と人類の戦いじゃないんじゃないかな?
TV版でも終盤の使徒は精神攻撃みたいな奴らばっかりだし、そういう単純な構図に持っていかなかったところがエヴァを非凡足らしめてる点だと思うんだけど。
Yahoo! 映画の評価は4.32点で、お役立ち度の高い感想は概ね5点満点。概ね好評のようだが、ぼくはあまり楽しめなかった。ここ数日、このことをずっと考えていて、気持ちを整理するために書くことにした。
エヴァンゲリオンは、使徒という人知を超えた存在との、生き残りをかけた戦いがテーマだと思っていた。生き残りのためにエヴァという力にも手を出し、本当にギリギリのところで危うく戦っていく物語だと、少なくとも新劇場版の序と破までは認識し、そこに魅力を感じていた。
登場人物の内面を丁寧に描きつつ、ときに人類存続の危機を前に、個人の思いが非情に潰されてしまう。破で3号機に閉じ込められたアスカを守ろうとするシンジや、使徒殲滅のためにダミーシステムを使う判断をするゲンドウの行動、そしてその後のシンジの怒りなど、そのあたりはとても心に響いた記憶がある。
しかし、Qから雲行きが怪しくなってくる。使途との生存をかけた戦いというテーマは影を潜め、人類のために戦っていたはずのシンジは、逆に人類を滅ぼしかけた張本人になってしまう。そして戦いは使徒対人間ではなく、ネルフ対ヴィレ、つまり人間同士の争いになっている。シンジとアスカがエヴァで戦う羽目になるが、そこには使徒との戦いにあったような心に響く要素はなかった。
Qで共感できたのは、「何でこんなことになったのか、ちっとも分からない」と叫ぶシンジの声だけだった。
あれだけ切羽詰まっていた使徒との戦いはどうなったのか。勝ったのか負けたのか。結局人類を滅ぼしたのは使徒ではなくシンジだったということなのか。それなら、あの序と破で描かれた必死の戦いはなんだったのか。生き物がほとんど消滅した地球で、ゲンドウは今更何をしようとしているのか。Qを観たあとは疑問ばかりが残り、釈然としなかった。
ぼくは結局、「破の予告の続き」をQで観たかったのだと思う。しかし、それはQには描かれていなかった。
そしてシン・エヴァンゲリオン。そこに描かれていたのはQの続きであり、TV版と旧劇場版の再構築だった。終わらせ方としては、本当にきっちりしっかり終わらせたと思う。しかし淡い期待は裏切られ、「破の予告の続き」は描かれなかった。
ぼくは使徒とのギリギリ、ボロボロの戦い、多大な犠牲を払う戦いのなかで、最後の最後で使徒に勝利し、やっとのことで人類の存続を勝ち取るという展開を観たかった。しかし、描かれていたのはシンジの救済、そして主要登場人物の救済であり、戦いはある意味で添え物のようなものだった。
ひとつ言いたいのはゲンドウ。あいつはどうしようもない。ネルフの長であるゲンドウは、死んだ(消滅した)嫁さんに再会するためにヴィレと敵対し、ラスボスをやっていたのか? エヴァを使った謎の儀式は嫁さんに会うためにやった? 人類が滅ぶかどうかという状況で、それはあまりにも話が小さすぎる。共感できない。そんなことだから部下が離反するんだよ!
最後のほうの劇中劇のような演出、登場人物の内面語りと救済の展開は、やっぱりエヴァならこうなるよねと思ったし、救われていく人たちを観るのは悪くなかった。でも、シンジ以外は軒並み非業の死を遂げて、最後にやっとのことで使徒に勝ち、使徒が襲来しない世界が実現するという話も、やっぱり観たかった。
エヴァンゲリオン新劇場版は、Q以降、方向性が大きく変容しているように感じる。変容する前の新劇場版に魅力を感じていた身としては、シン・エヴァンゲリオンは不満の残る内容だった。
もちろんこれは、ぼくの「チラシの裏」であり、ほかの方の感想を否定するものではありません。気に障るようなところがあったら許してください。
シンエヴァはご都合主義なところはありつつ、みんなが救われる物語だった。
この構図はすでに君の名は。や鬼滅の刃でやりきっており、シンエヴァは庵野お得意のオマージュでその構図をエヴァに持ち込んだだけだ。
しかも庵野はラストで明確に君の名は。をオマージュしたことを表現している。
学生っぽいカヲル君とレイも鬼滅の刃エンディングのオマージュとも見て取れる。
(まぁ、流石に鬼滅は最近すぎるので断定はできないが)
つまり、シンエヴァで救われた奴らはもうとっくの昔に君の名は。や鬼滅で救われているわけで、ただシンエヴァで答え合わせをしたに過ぎない。
ある意味鬼滅や君の名は。はエヴァよりご都合主義=清濁併せ呑んで清しか見せない=大人な物語で、
エヴァに救いを求めていた層はそう言うご都合主義な大人を嫌っていたのだ。
そんなご都合主義な大人を嫌っていた人達を大人の論理で救えると思うのか?
庵野は忘れてしまったかもしれないが、TVエヴァを書いた当時の庵野もそうだっただろう?
シン・エヴァンゲリオンは私にとって完璧なエンディングだった。
言うべき人が言うべきセリフを言い切って、みんなが解放されたと思う。ただ一人を除いて。
女子校に通いアニオタ声優オタ腐女子として目覚め、それらを順調にこじらせていた真っただ中だった。
そりゃドはまりするわ。謎めいた舞台装置は厨二病をこじらせた根暗な女子にはドストライクだった。
はまって、はまって、毎週ダッシュで学校から帰ってきて、18時だったか18時半だったか、録画もしつつ必ずリアタイしていた。
(今思えばウテナと前後した放映で、よくよく当時のテレビ東京の夕方アニメ枠は頭おかしかった)
前半は惰性で見ているところもあったが、物語が進むにつれてのめりこむようになった。放映時のことは今もよく覚えている。
MAGIにハックしかける使徒とその迎撃は、PCなんて持っていなかった私にこんぴゅーたーかっこええ!と思わせるに十分だった。
バルディエルのぐっちゃーのシーンが放映された日、夕飯は焼肉でさすがにちょっときつかった。
ミサトさんと加持さんの例のシーンはぴったり夕食時で(夕食時に食卓で親の前でエヴァ見るなよ、と今なら思う)、
母親から冷たい声で「あんた、いつもこんなん見てるの?」と言われたトラウマは今も忘れない。あれが私の冷や汗デビュー。
高校の声楽の授業でヘンデルのメサイヤ歌った時は22話のアスカのことを思い出して最高に興奮した。
でも私がひそかに熱狂していたのは、個性の強いメインキャラやストーリーそのものではなく、オペレータの日向マコトの存在だった。
上記イロウルによるMAGIハックの回ではやや出番は多かったが、基本的にセリフも少ない。
マヤちゃんほどキャラが立っているわけでもなく、人柄を掘り下げられることもない。
(が、ロン毛の青葉シゲルよりはやや目立つあたりがまたいい)
そんな彼に一瞬強いスポットライトが当たったのは、24話。いわゆるカヲル君の回。
カヲル君がセントラルドグマに降下していき、管制室に緊張が走る中で当初のプランどおり自爆を考えるミサトとのやりとり。
ーーーーー
ミサト:初号機の信号が消えて、もう一度変化があったときは・・・
マコト:分かってます。その時はここを自爆させるんですね。サードインパクトが起こされるよりはマシですから。
ミサト:すまないわね。
ーーーーー
日向くんはミサトが好きで、そのためなら死んでも構わないと、すこし掠れた声で決意を伝える。
が、そもそもミサトは加持さんと付き合っているのはネルフ内でも自明で、つまり日向くんの恋は叶わないことが前提だった。
劇中で恋心はちょいちょい漏れていたが(そしてEOEで彼のLCL化を導く使者はミサトの姿をしていた)、明確に伝えたのはこの時だけで、
盛り上がるストーリーと逆に一瞬だけ静寂が訪れるこのシーンが、ミサトと加持さんの例の直接的なシーンよりも大人の世界に見えて、
14歳のあの時から今に至るまで消えない記憶として残っている。
私は報われぬ恋をしている日向くんに、ミサトではなく正面を向いてひとりごとのようにそっと告白する彼に、恋をしたのだ。
そんな日向くんは新劇でも登場はしたものの、TV版や旧劇で見せたミサトへの恋心を表に出すことはせず、
新劇だからあの片思い設定もなくなったのか、ま、尺の問題もあるだろうししゃーないな、と思いつつ見ていたところの、今回のシン・エヴァンゲリオンだ。
物語終盤で特攻するためにヴンダーに残るミサト。彼女を一人残して脱出ポッドに乗るクルーたちが映る。画面右に日向くんもいた。
そのシーンで残ったミサトを思い、自分も残る、と言ったのは、日向くんではなくQから登場した新キャラの長門っちだった。
いやいやいやいやいやいや、ちがうだろ、いや、ちがうだろ。そこは日向くんでしょう。そのセリフを言うなら日向くんでしょう。
画面にいるじゃん、長門っちの右にいるじゃない。いや、長門っちも思わぬ感じでいいけど、
でもそこに日向くんがいるのよ、なぜ彼がそのセリフを言わないの?
いや、新劇はTV版とも旧劇とも関係ないから、この世界線なら日向くんはミサトのこと好きじゃないしそんなセリフ言わない、ってことかよと一旦は自分を納得させた。
が、その後私を待ち受けていたのはTV版も旧劇も貞本漫画版すらもすべて包含した、完全なるエンディング。
繋がってるのかよ!!!!TV版と!!!!旧劇と!!!!!お帰り惣流の方のアスカちゃん!!!!
だったら日向くんの恋心はどこいったの?なぜ、彼にこそミサトのもとに残りたいというセリフを言わせてくれなかったの?
日向くんはね、ミサトが加持さんとの間に子供生もうがなにしようが、もうそういうのに左右されないんですよ。
そんなことはとっくに受け入れて覚悟して、仕事に生きるミサトを部下として支えていこうって決めて、ネルフからヴィレまでずっとついてきているんですよ。
彼女も作らず結婚もせず、日々仕事(というには壮大だな)に忙殺されながらも、ずっとそっとミサトを見守ってきたんですよ。
あのバイザーをつけて髪形を変えて自分を捨てて頑なに艦長として生きざるを得なかった14年間のミサトにずっと寄り添ってきたんですよ。
加持さんが死んでミサトは一人になったけど、そこに付け入るとかじゃなくてただそっと寄り添ってきたんですよ、メイ見たもん!!!
もうおっさんになってプラグスーツ着るの恥ずかしいだろうに、がんばって着ちゃうくらい覚悟決まっているんですよ。
(完全に余談だけど予告編でプラグスーツ着るシーン見て鼻血出たよね)
なのに最後の最後にすら、日向くんに思いを語らせてあげないなんて。そのシーンが無いならともかくあるのに!なんで!
見終わった後、エヴァがこんなに見事に完結した余韻と、その中で唯一成仏しなかった日向くんの恋心を思い、私は虚脱状態になった。
そしてこのエントリーを書くことでやるせなさを供養しようと思っていたのだが、はたと気づいた。
叶わぬ恋だからかもしれないけど、決して自分の気持ちを押し付けることはなかった。
だから今回、ミサトの意思を尊重して脱出することこそが、彼の愛をそっと示す行為だったのではないか。
一緒にいたいとかそういう意思表明をするなんて表層的なことではなく、もっと深い部分で愛しているからこそ何も言わず、指示に従い下船したのではないか。
14年前からこの時までの長い時が、彼の恋を愛に変え、その最終的な結実があのシーンだったのではないか。
「日向くんが何も言わない」というシーンを見せるために、敢えて他のキャラにセリフを言わせたのではないか。
日向くんの恋心は消えてなんかいなくて、ちゃんと成就したんだ。
私が好きだった、他の人を好きな日向くんは、ちゃんといたんだ。
基本的にこのシリーズ自体TV版・旧劇のリメイクとして発信しており、小ネタを色々入れているので、セリフや映像にところどころに元ネタが感じられたり、知っていると楽しめる要素が多いです。ですが、ストーリー的には序破Qさえ見れば大丈夫なように作られています。一定時間が旧作ファンへのご褒美になってる節がありますが。
逆に言うと序破Qが無いとほとんどのシーンがわからないと思います。あらすじもざっくりとしているので。
登場人物にそれなりの思い入れがないと感動できるはずのシーンも流れてしまうでしょうし。
TV版・旧劇とは設定が変更された箇所が多く、旧劇を見るとかえって混乱するおそれもあるので、今から始めるなら画像検索だけして25年前と比べて絵柄がきれいになったんだなぁぐらいに思っていればいいです。時間があったら見てみるのも面白いとは思いますが、評判の通り癖の強い作品であることは否定できないので……
他作品言及については、むしろオマージュと感じるべき要素すらあるので、どの辺のどんなところを似てると感じたのかが明言できるなら歓迎すらされると思います。監督もオタクでしてね……
SF要素は、オーバーテクノロジーを人なりに模倣しようとする、というのが許容できるなら十分楽しめると思います。超常技術に真の意味での科学者的アプローチを取るタイプのSFです。それとは別に宇宙空間での作戦とか割とガチ目にやってるっぽい箇所もあります。
序・破のノリで面白いと感じたならQ・シンも見てほしいですね。序破で合わないなら無理することもないです。割と人の関わり方・独白にそれなりに重点を置いたものでも在るので。
Qの評判については色々言われてますが、「急激に変わった世界で翻弄されて何が何だか分からないをシンジ君と一緒に感じる物語」なのでよく分からなくても大丈夫です。が、よくわからない作品を楽しめるかどうかはあなた次第だと思います。
生じる疑問の多くはシンで(全部とは言わないが)それなりに回答が与えられるのだと思っていただければ。(本来セットであるべきだろというレベルなんですが、ここが9年も間が空いてしまいまして。正直この評判も無理もないという感じです)
シンでは分かりにくいQとは打って変わって登場人物たちが目的と行動を口で説明してくれるので、「なんとなくわかったような気がする」ラインはわりと維持されていると思います。
あと、画面としてやや地味なシーンが連続して、登場人物の独白が続くところがあります。聞いている分には面白いと思ってるのですが、メカ・ド派手画面目当てで来た人は退屈しますね。ここが不評を稼ぐ節があります。
長文失礼しました。
俺(庵野)と嫁(モヨコ)の話
純度100%庵野の俺語りをシン・エヴァでもう1回やっただけだったけ
もちろん、また虚構と現実に 旧劇(EoE)、ビューティフル・ドリーマーのように言及
付き合ってもいない相手に
『昔好きだったよ。今は大人になったから好きじゃない』(ただし無意味なサービスシーンは入れる)
『今までありがとう』を言って
『おれモヨコに出会って心の枷と孤独から解放されたんだ』と走り去る
TV版より EoE と Q が好き
ガンダムと戦うのがエヴァンゲリオンかと思っていたらそうではないらしい。
少し調べてみたら、「生命体」っていうのがキモらしいんだけど、
始まりがトム・クルーズ主演の「宇宙戦争」を彷彿させる部分が無い事もない。
などと言ったら、ファンには叩かれるのだろうか?
こんな頓珍漢な事をいう人間が「エヴァンゲリオン新劇場版」を観に行ったら楽しめるのだろうか?
エヴァンゲリオンの事を何も知らない人が観に行っても楽しめるもの? と、二の足を踏んでしまう。
ファンが多そうだから暫くは上映しているのだろうけれど、もたもたしていたらDVDしか無くなってしまうかもしれない。
でも観そびれたからと言って、さほど喪失感のようなものを抱くわけではないだろうが。
そうか、今上映中の前バージョンをDVDで観てから行けばいいのか?
今のが第4話らしいから、前3作を観ることになるのか?
それともそれ以前の劇場版か?
どれから見ればいいのか、誰か教えてくれ。
わかり手さんの予想がだいたい当たっていてすごかった。
やはり日ごろからメンヘラを人間観察しているので詳しいのだろうか。むしろわかり手氏にエヴァ作ってみてほしい。
監督はTV~旧劇場版は非リア充マインドで作ったが、新劇場版はリア充マインドで作った。オーディエンスは何を見せられているのだろう。監督の心情を、人生を見せられているのかな。一言でいえば旧劇場版から新劇場版にかけて非モテがモテになれました。というサクセスストーリーだった。某キャラと某キャラが子づくりしてその子供が出てくる所もリア充感を加速させる。グッズ販売にぬり絵とか自由帳といった子供向けアイテムがあるのもそれに油を注ぐ(親子でエヴァを見に来る人がおるんやろか?)
そもそも破の時点でシンジくんが成長してしまってウジウジしておらず男らしくて置いてかれてしまった感してたがその路線の延長だった。「そうだよな!非リア充だよな!」つって拗らせたやつらが共感してファンを集めたTV~旧劇場版だったが。新劇場版では作品がわりとリア充になったのでリア充になれないオーディエンスは置いていかれたことになる。
これはつまり、ぼっち・コミュ障・非リア充芸でガチ恋営業してファンを集めた地下アイドルやVTuberが、急に恋人できて結婚して引退してファンを捨て去り置いけぼりにするような構図と重なって見える。そう、声優の「ご報告」でCDを割るやつと同じで。表では恋人いませーんムーブしておきながら水面下でちゃっかり人生を進捗させていてある日突然手のひら返しするのだ。アイドルもVTuberも声優も監督もみんな置いていくんだ。結婚したのか俺以外のヤツと・・・
今後の後世に語り継がれるエヴァンゲリオン像は、非リア充こじらせ系と、リア充系に二極化して語られていくだろう。
昔のインターネットは非リア充のすくつだったが、いまはもうリア充に占拠されてしまい、いつまでもリア充になれずに拗れている者の居場所は狭まるばかりなのか・・・。
これ、少しのネタバレを説明したうえで「こういったような(ろくろ回す)イメージのエヴァを信じて期待していた人は、こういうネタバレがあるんで、ショック受けるので見ないことを推奨する」という熱気溢れる記事を書く人が現れるだろうね。予言。キャラ愛が強すぎる人とか、二次創作するうえでのイメージ崩したくない人向けとか。
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前半、ポカポカムードが長く続いて(どうすんだこれ..)ってなった。でもなぁ。庵野監督のことだから上げて落とすの繰り返しだしなぁ虚淵みたいに。そんでまぁまぁ期待を裏切らない感ある展開であったが、なんだかあっさりとスルーされた感があり、というかそこでシンジくんが急に大人になったターニングポイントでもあるのだがもうちょっと拗れてほしかった。
途中、ここ笑うとこ?真剣なとこ??って気持ちの緩急が激しく揺さぶられてどうしたらいいのか良くわからなかった。あと戦闘シーンでBGMが急に劇画チックな特撮みたいになるのも庵野監督ぽかった。親子喧嘩シーンまるっきりウルトラマンやね。良い。
テーマのひとつに「犠牲」があるのかもしれない。色んなものが犠牲になっているし、自らを犠牲にして誰かになにか託す者もいれば、家族が犠牲になった恨みもある。非リア充にはできない、リア充の肝が据わった男らしい覚悟。明日世界が滅ぶとしてもすいかの種を植える。覚悟と達観と1日1日を大切に暮らす話。そのへんはシンゴジラからの地震や台風とか災害のイメージなのかな仮設住宅が立ち並ぶところなんかまさに。無人在来線爆弾のようなものも登場する。
虛淵をイメージしているのだろうか、セリフに「円環」って何度か出てくるのまどかマギカ意識している?オマージュ?2回目を見てあらためて終盤のシンジ君のセリフよく聴いたらまるっきりまどかだった。シンジくんはアルティメットまどか。いや逆なのかな、旧劇をオマージュしたまどマギ、それををオマージュした新劇、っていうこと?そのへんの関係よくわかんないや。
xxxもyyyも大人になったのは、つまりはエヴァの呪縛が解けたという意味だ。"人間"の"大人"になったということだ。非リア充のガキが、リア充の大人になった話だ。たとえ金太郎飴みたいにそっくりな量産型であっても、自我を持ち、成長できるのだという希望の話。就活や大学生のファッションや髪型なんかがしばしば"量産型"と揶揄されることへのオマージュ、エールかも知れない。
見ながら思ってたけどゲンドウくん喋りすぎじゃない?説明しすぎ感はあるなー。Qの反動のAなのかな。それ以外にも答え合わせ、ネタバレ、種明かしがたくさんあり、スッキリはしたけど謎が減りすぎてミステリアスさや考察や二次創作の余地やが減った気もする。そんな考察なんてしてないでエヴァの呪縛(ダブルミーニング)から解かれておまえらもリア充になれ。やめやめ。解散。おしまーいみたいなメッセージなのだろうか。そんな印象も覚えた。
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(↓以下は自分の語彙力が不足していて、なぜダメなのかがうまく明文化できていない。より語彙力の高い人がうまいこと説明してくれるのを期待)
毎度恒例の精神世界電車のゲンドウが下車した以降の早足に一人ずつ問題解決していくパートは、なんだか雑な感じを受けてしまう。 駆け足に答え合わせ、辻褄合わせされたような...
全体の映像を通して言えるのは、ミックスが未熟な音楽を聞いているような印象を受けてしまう。シーンによって映像の解像度の差が気になるというか、質感の統一感が低い箇所があるというかうまくいえない。あのリアル綾波フェイスがとくに浮いている印象がしてしまうんですが・・、斗和キセキの1000万円かけて作った生首みたいでシュールなんだ。
すごくエヴァらしい!と感動するシーンもたくさんあるんだよ、例えば前半の村でアスカがシンジにカロリーメイト(2400kcal)を無理やり食わせるシーンのカメラワークがすごい。フレーミング、ロール、レンズズームをグリグリ動かしているような映像的にすごいし、構図もエヴァらしいと思った。
ピンク髪の人、北上だっけ?全体的にあの人のセリフが空気を悪くしてズレた感じにしてしまっているのが残念だった。でも親の仇でキレるシーンは良かった。けど、納得して脱力しての引き下がる理由とか心情の変化が良くわからんかった。
あれだ、昔の人間なら電子メールでビジネス文章を書くが、ナウなヤングは仕事の連絡すらLINEだったりするのでチャラくて薄くて軽い文章しか書けない、そういうTPO違いの文章のような嫌悪感なのかも知れない。最近では仕事の会議や講演なんかもライブ映像配信なので、YouTubeのノリで「わくおつ~」とか新人がコメントしちゃうやつだ。もう俺も老害だと思うとつらい。
それ以外にも、なんだか薄ら寒いメタをちょくちょく差し込んで来るのでその度に調子が狂うというか、音ゲーでタイミング外してうまく演奏されなかった小節みたいな印象を受けてしまうま🦓。
先述のとおりシーン毎に気持ちの切り替えが追い付かないというか、いま笑うところ?シリアスなところ?という空気読みに苦労してしまう。これってアニメ艦これでもそうだったよね・・・。
わからん。睡眠不足状態で見てしまったので脳が働いてない可能性はある。
後から見なおしたり、誰かの解釈を参考にしたりすると、また違った見え方もする。
あと、ゲンドウがにゃるらさんの提唱する理想郷、twitter2のコンセプトみたいな話を早口気味でするのおもしろかった。差別も貧富の差もイジメもなんたらもかんたらもない世界みたいな。
にゃるら絵日記10話「Twitter2(だれも社会や政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS)」|にゃるら|note
にゃるらさんありがとう。
シン・エヴァンゲリオン見てきた。
Twitterも会社のチャットもお通夜ムードというか絶対に触れるなって雰囲気で、この見た後の誰かと語り合いたい気持ちをどこで発散すれば???
となったので熱が冷めないうちにうだうだ書いてみる。
以下ネタバレで、絶対初見で劇場で見た方が良いと思うので、見てないひとはここでもどった方がいい。
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なんか、やっと大人になれた気がした。
シンジくんたちと同じぐらいの年齢でエヴァに出会って、追いかけ続けて、Qで衝撃を受け、そこから8年放置。長かったよ流石に。
シンジくんたちチルドレンに感情移入していたのに、ミサトさんのくだりが一番刺さったもん。ふしぎ。
もうさ、最初に第三村で???ってなって、あ、これトトロじゃんってなって。
でもたぶん庵野のことだから鬱展開くるっしょとなったら8年寝かせただけあってささっと次のシーンにいって感動したし。
アスカとケンケンくっついてるし、トウジとヒカリの大人な対応も、子供との生活も刺さる刺さる。
アヤナミレイがパシャっとなった時にもっかい鬱展開かと思ったら違ったし。シンジ君8年でおっきくなったね・・・
で、南極いくじゃないですか。
なんかナディアみを感じるなと思ったらナディアなの。もうね庵野天才。
ボタンポチ―ひとつとってもエレクトラ押しなの。UKERUNE。
ここら辺からめちゃ熱い展開からの怪しげな雰囲気を感じ取って、良く調教されたエヴァファンとしては身構えるわけですよ。
アスカの目からアンチLシステム生えてきた時なんか「あっ」って感じですよ。これ以上アスカが可哀そうな目に合うのはやめてちょんまげ。
裏宇宙以降の精神世界なんてもう、TV版の終盤や旧劇ラストがフラッシュバックしていつ庵野が暴走するかとハラハラしてましたよ。
でもね、8年越しのエヴァはエンターテイメントとして高い完成度になっていた。
たとえ説明的だと言われても、ゲンドウやアスカ、他のキャラクターの想いやこれからをしっかりと描いたのは涙が出るほどうれしかったし。
ゲンドウがあっさり下車して、男前シンジ君が戻ってきたときなんかもう親目線で見てました。感情めちゃくちゃだな自分。
シンジ君じゃない・・・彼は・・・・シンジさんだ・・・!!!!!!!!
って感じ。
ネオンジェネシスの下りはちょっと意味わかんなかったというかまさかTV版にループさせる気か庵野ォ!と一瞬日和ました。すみません。
でも、これまでのエヴァのシーン、タイトル諸々全て映して、緒方恵美の最後のセリフが「さよならすべてのエヴァンゲリオン」ってのはとてもすっきりしました。
そして最後のシーンはもう考察班にまかせますが、自分は「大人になってエヴァを卒業しような!な!」と受け止めました。
やっぱりエヴァって自分の中でとても大切な作品だし、濃淡はあるものの人生の中でこれほど熱くはまった作品ってなかったと思うのですよ。
考察も語りあうときも、リアルな人生でいろいろあった中でもやっぱりずっと追ってきてたし。
すっと追ってこれたのはやっぱり不完全燃焼なところがあったからだし、庵野ォ!シンゴジラ作ってる場合じゃねーだろ!名作だけど!!!!となったりしながらも、やっぱりエヴァを待ち望んでいたんだなと。
最終作もいくつもの考察ポイントがあって、昔取った杵柄を振り回そう(?)としているいにしえのオタクたちが腕まくりして待っていると思うので、その考察を眺めながら今夜は余韻に浸りたいと思います。
あとやっぱ「アスカが好きだったんだ」はグサッときた。そう、昔はアスカが好きだったんだよ・・・・
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親となった立場としてゲンドウがシンジを抱きしめて「そこにいたのかユイ」と気づいたのは鳥肌だった。
そう、模造品を作ってもユイには辿り着けなったのに、一度は捨てたユイの血を分けたシンジにはユイが宿っていることを感じたというのがすごい。
エヴァ初号機にはユイの魂がある、ユイとゲンドウを重ねた初号機と13号機が槍を突き刺すシーンにもつながる秀逸な場面だった。
若林や千鳥がカウンセリング案件だとか捕まってないだけの詐欺師だと諌めつつ笑いを取ることで一種の禊になってしまっている
宮迫ロンブー亮や渡部の謝罪会見以降の扱いを見るに、テレビで謝罪してしまう状況だとおしまいだが、その後でもTVでネタにしてあげれば元の行動はうやむやに問題ないことにされてしまう
尾形のほうは一個一個の行動を社会的DVだとかフリップで示していたことで番組を肯定的に捉える人も多いし、
踏み込んだ内容のつもりかもしれないが浅い理解に終わるだけだしバラエティの禊文化から結果的に“問題なし”と追認することになってる
本当にやめてほしい
id:BigHopeClasicです。以下Twitterから転載
#シンエヴァ 見た
もちろんネタバレはせんよ
せんけど、これだけは言わせて
b:id:p_shirokuma シロクマ先生、これで解呪されん人は、この後どれだけ生きても解呪無理ですわ
庵野秀明、やりきった
① これ、旧世紀シリーズから入った人と、新劇場版から入った人で、物語の強度が全く異なると思う
そして、どちらの人にも、きちんと落ちている
そういう意味で、本当に庵野秀明は、エヴァを見事に荼毘に付して、骨の髄まで焼き切って供養したなと思う。
「すべての子供達に、おめでとう」
今度は全ての人の胸に、すんなり落ちると思う
なので、これは同人ドリヴン、二次創作ドリヴンで動いてきた21世紀20年のネット創作の潮目が変わる、ことになるのかもしれない、とも思った(ここは完全に個人の偏見)
シンエヴァの物語の「強度」について言えば、劇場で序を7+1(2020)、破を10、Qを3回見た自分が、これは一度でいいと思ったということ
(以下、Twitterに書かなかった部分)
庵野秀明のアンチが庵野に浴びせる罵声の典型的なもののひとつとして、「畳んだ風呂敷を畳めない男」というのがあったけど、24年時間はかかったけど、今回しっかりと畳み切った。
厳密に言えば「○司令とhogehoge」とか「イスカリオテの☆♯*」とかなくはないんだけど、この作品見終わったあとでそこをウダウダ突く人はいなさそう。
CG技術が当時なかったとかそういうことを別にして、多分97年の夏にエヴァファンが見たかった「夏エヴァ」が、それはシン・エヴァだったのではないのかなと思う。
もしあのタイミングでこの映画ができていたら、エヴァは見事に綺麗にそこで終わっていた反面、四半世紀も鮮度を保ったまま続くコンテンツにはなっていなかっただろうなと。
この新劇場版シリーズが「Rebuild of Evangelion」として始まり、序・破・Qが見事にTV版をRebuildした作品であり、そしてシンが夏エヴァの最高のRebuildとして終わったことを、ただ、嬉しく思う。
(追記)
とはいえ、あのラストシーンは、TV版最終話の英語サブタイトル「Take Care of Yourself !」を旧劇場版ともう1回、都合3回目やったんだろうなと思えて苦笑。先にああは書いたが、これでも呪いの解けない亡者は当然出るわけで、そういう人に対する「もう出せるクスリはないのでお大事に」が、あのラストシーンに込められているように思えてしまった。
(だからこその英語サブタイトル「Thrice Upon a Time」(『未来からのホットライン』の原題だけど、直訳すれば「3回目に起きたこと」だし)
辛いとき誰かに甘えたくなる。けど彼女がいないからよけい辛くなる。
まあ正直脱いでもらわなくてもなくていいからAVである必要もないし、VTuberのASMRみたいに喋らなくてもいい。
ただ隣で好きにTV見たり飯食ってたりしてて、たまにこっち見てくれたり撫でてくれるだけでいい。
そもそも本来はシュールでブラックな作風が売りの作家なのだとかここもワニと同じだね
ワニと違うのはTV媒体でやってる・癒し(どこが?)として人気が出たので
シュール・ブラックを理由に気軽にブチ殺したりはしないだろうということ
これからもモルカーは見ない