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はてなキーワード: 通信制とは

2021-10-08

中学の頃国指定難病潰瘍性大腸炎発症して不登校になり校長室で卒業式をして高校通信制に行き大学もいっぱい落ちて親に迷惑かけたけどなんとか受かった大学卒業して今立派生きてんだよ

もこうには幸せに生きて欲しいんだよクソ女邪魔すんな

2021-09-26

夢を中途半端に諦めきれない自分が憎い

夢を中途半端に諦めきれない自分が憎い

才能もなければ努力もせずになあなあと高校3年生きてきたくせにほんのちょっとやってたdtmに活路を見出し音感もないしピアノも弾けず中学時代吹奏楽部だったってだけなのに音大行こうかななん大口叩いた自分が憎い

dtm自由にできるって建前といじめ受けず楽に生きたいって本音で受けた通信制ダラダラと通って真面目に勉強なんかしたことないのに意気込んじゃって結局試験一ヶ月切ってもなかなか机に向かわず一日一時間勉強するかしないかってレベル自分が憎い

無能なら無能らしくハードル下げれば楽なのに見栄切った手前逃げられなくなってる自分が憎い

どう考えても受かった後のビジョンが見えないし結局のところ合格を最終ゴールにしている逃げの姿勢自分が憎い

やるしかない

やるしかないのはわかっている

勉強運動も人脈も何も積み重ねて来なかった俺がこうやって好きな道に進むチャンスを与えられていること自体ありがたいことのはずなんだ

やるしかないんだ俺は

2021-09-23

高校在学中のまま成人して働いてる友達がいる

通信制高校に通っている状態だけど勉強はしてなくて単位も今は取得してない、でもやってた時の分と合わせて一年くらいまじめにやれば卒業はできるらしい

俺はその友達高校卒業してほしいと思っているが、これは友達のことを考えてとかではなく100%自分のためにそう思っている

俺は今年で専門を卒業する身で友達はもうずっと前から働いてる

偉いし立派だし俺なんかよりずっと凄いやつだと心から思っているけど、時々無性に「でもこいつは高校学業も修了してない」と思ってしま

学歴で人を判断するのは最低だと分かっているし俺もそう思っている

から友達に対してそんな学歴厨みたいなことを思う自分が心底嫌になる。思うたびに自分は最低な人間だということが頭にこびりついてしんどくて仕方ない

さらに最低なことに俺は俺がそう思ってしま人間だということから目を逸らしたいがために友達高校卒業してほしい、そんなことを俺が考えなくていいように友達努力強制しようとしている

高卒という資格汎用性に関しては言うまでもないが、それを友達必要としているかは別の話だ。今までずっと働いてきて今もアルバイトではあるが仕事が見つかっているのだから大したメリットにはならないと考えるだろう

から俺が俺のエゴ努力を強いるならそれ以上の何かを差しさないといけないわけで、それになり得るのはやっぱりお金だと思う。でも俺はまだ働いてないしこれから働きたいと思ってる仕事給料は良くない

もし納得してもらえるような金を払えない場合、俺は友達良心人質に取るか縁を切られるかのどちらかになってしま

友達は偉いしメンヘラホイホイになるくらい良い奴だし尊敬もしてる

ずっと仲好しでいたい

こんな失礼すぎる願いを打ち明けることは憚られる

だって大した学歴なんかないくせに

人を人柄でないところで判断するような不道徳人間友達でいてくれるだけで感謝しないといけないくらいなのに

なんで俺こんなにクズなんだろう

いっそ打ち明けて縁でも切られた方が友達のためなのかもしれない

良い人でいたい

つらい

2021-09-18

ほぼ中卒の不登校児だった私がどうにか働けるようになったけど…

中学で虐めに遭って不登校になり、高校通信制卒のほぼ中卒の底辺人間だったが、どうにかフルタイムで働けるようになった。

色々な職場転々ときた。販売や夜の仕事コールセンターのような誰でもできると一般的に言われる仕事ばかりをこなしてきた。

そんな私が契約社員として働いている今の職場正社員登用の話をされた。一部上場企業IT系仕事だ。

正社員になれば、給与も平均年収ほどは貰えるようになるだろう。

 

……と思っていた矢先、まだ病名は定かではないが、免疫異常を起こす疾患じゃないか医師に言われた。

しかに人より疲れやすいし、血液検査CRPは常に高い。これから原因追求のために病院へ通わないといけないらしい。

この病気ストレス関係しているようだ。

10代の頃に虐めに遭ったことや、学がなくてまともな仕事ができず、ブラック企業で働くことが多かったことなどの影響もあるだろう。

 

疑われている病気は、進行したら寝たきりになることも多々あるらしい。

私もいずれそうなってしまうかもしれない。

10代の頃に「こんな社会不適合者は社会で生きていけないし、大人になって自殺するなら今しておいたほうがよいだろう」と何度か自殺未遂を繰り返していた。

今思えばあの頃死んでおけばよかったかもしれない。あの頃の私の考えは正しかった。

社会不適合者なりに努力はしてきたけど、やっぱり不適合者が社会に適合なんて無理なんだろうな。

2021-09-14

もうすぐ放送大学テキスト来るからクワクしてる

10/1から通信制とはいえ大学生

高卒から老人ホームキッチンで働いてて

卒業たからといって何があるわけじゃないし今の仕事好きだから転職したいわけじゃないんだけど

いっぱい勉強して自分人生に活かせたらいいな

2021-08-29

anond:20210829071932

ところで今の大学生特に都内にあるとこはほぼ通信制みたいなもんだけどそれを面接官に指摘されたりしないのかな

2021-08-09

anond:20210809182906

もちろん浪人前提だよ

ただマジで情報関係基礎や簿記(もうすぐなくなる)とか使わないなら通信制いってオンライン予備校でも観てたほうが可能性高いよ

2021-08-08

anond:20210808123836

いま宅浪してて現役時代の学区調べてたんだけど

去年はある公立高校以外全てで定員割ったらしい

で学区のセオリーとしてはオーソドックス公立普通科は全部ゴミだとわかった

学区がガチガチなので偏差値トップでも定員割れ

しかもせっかく勉強して入ってもなんのメリットもない

俺も現役のときそう思ったくらい

から本当に俺みたいな場所に住んでるやつは通信制でも行ったほうがいい 通学時間かける割にそんなにいい高校周りにないなら

2021-07-23

anond:20210723182621

22~24卒が面接官に「え~○○大学卒?でも君らリモートだったし通信制みたいなもんじゃんw」って落とされる未来が待ってる

貧乏家庭の進学についての論

短大はいって就職して働きつつ3年次編入単位認定させて早慶通信制入って働きながら学習する

ストレート卒業できたら大学求人新卒カード使って就職

時間かかって2留以上しても学歴職歴の長さで転職出来る

これなら貧乏と金持ち家庭が平等(笑)大学受験の競争も避けられるし競争でなく努力で何とでもなる

難点は男が短大行くことへの疑念だがジェンダーフリー社会にすればスポーツオカマ女子大会出る見たいなことが就職戦線でも起こるかもしれないし

2021-07-22

日記

嫌なことがあった。

母親毒親兆候があるとか、でもそれは自分の不甲斐なさを親のせいにしたいだけだとか、考えてるだけで午前中が終わってしまって不快だった。通信制高校に通っていてよかった。普通高校に通っていたら粉々にされている。

最近はみんなピリピリしている。怒っていない人間ネコを前にした人間くらいで、みんなオリンピックがどうとかコロナがどうとか怒っている。

自分は知らない人間が怒っているだけでとても怖くなってしま性格だ。けれど他人の悪意とか不幸とかが好きで、Twitterやら2ちゃんねるやらをよく見ている。そういうところを見ているから、余計に怒っている人間しか目にできないとわかっていても。

本当にそろそろやめたほうがいい。ゴミ捨て場でうわー!ゴミだー!と叫んでいるのと一緒なので。

わかっていてもやめられない。他人の不幸は蜜の味アル中人間がこの世に大量にいるらしい理由がわかった。

今日の嫌なことナンバーワンは、インターネット世界中に繋がれる時代のに、いやだからこそ話に聞く昔よりずっと窮屈になっていることだった。まだ午前3時半だが。

デザインあは見たことあるけどコーなんとかは初耳で、ピタゴラスイッチは見たことあるけどラーメンズとやらのどっちか区別はつかない。何も知らない。知らないことを誇ろうとする自分はクソだと思う。ただクソは食べるものじゃないと思うので、無理に食べさせたなら反省してほしい。クソを食べるのが我々の業界ではご褒美ですって人もいるだろうが、自分にはよくわからない。

自分は人が死ぬ書物が好きで、どうしてそんなめんどくさい方法で人が人を殺すのか不可解な書物も好きなので、いつかはそういうもの規制されていくのかもしれないと思うと悲しい。そういうものがなくなっていくなら、特に自分みたいな人間は生きていくのが厳しく真っ先にいじめられるであろう時代でも、その時代に生きたかったと思う。

インターネットは素晴らしい発明だ。それは間違いない。グーグル神によって生かされていると言っても過言ではない。少なくとも自分は。でもインターネットがない時代のほうが、自由で気ままなんじゃないかと思うこともある。

物心ついたときには携帯電話があった人間言動だが。

インターネットがなければ、一人の人間所業が近所の町以上に広がることなんてそうそうなかったと思う。たぶん。遠くに流通する、たとえば雑誌とか本とか新聞に載らない限り。たぶん。

一人の人間の、人によってはかなり悪どく感じる所業に、多くの人間が異様なまでに怒っていることが本当に怖い。現実で誰かが一人に対して悪口を言っている場面があったとしても、悪口を言っている姿を見られるのはせいぜい2人とか3人とかだった。でもインターネットには1000人とか10000人いる。本当に怖い。

話に聞く昔のほうが窮屈ではなかったように感じた。それが今日の嫌なことだ。

こういうものを書く気分になっているのも朝4時だからで、寝て起きればすっきりさっぱり忘れているだろう。Twitterアンインストールすれば全部解決するし。でもたぶん朝起きてTwitter見て嫌なもの見たり、ネコ画像見てにちゃにちゃするんだと思う。気持ちいね

こんな時間に寝て昼間起きても、さらに昼寝しても許される通信制学校は最高。引きこもりが許されなさそうな昔じゃ、やっぱり生きられないと思う。

2021-07-09

これからは人工の街ブームが来る

オリンピックが終わってHARUMI FLAGが売りに出され、そう時間も経たないうちに、人工の街が物凄く快適で住みやすいことに一部の人が気づく。

 

その後、トヨタのウーブン・シティが出来て、安全で煩わしさの無いスマートな街に注目がどんどん集まる。

 

その後は、デベロッパーだとか超大企業がこぞって土地探しを始めるだろう。国とか自治体も協力するかもしれない。

 

以前、○○ニュータウンっつって、ゴミをエアシュートで流せるようにしたり、色々と頑張って開発した街があった。

一部の街は今も魅力を保っているけど、結局都心からアクセスの悪さや建物が一気に古くなってきたことで、かなり微妙な感じになってしまってると思う。

それを覚えている人は、人工の街に否定的な考えを持っているだろうけど、HARUMI FLAGやウーブン・シティはそれらとは全く違う。

土地から区画から建物から設備から構造からスマートティを目指して、計画された街だからだ。

大きい土地に家と商業施設と駅を適当に配置しただけじゃないんだ。

 

人工の街が出来ることによって、

細い道に電柱が立っていて、車が走る横をびくびくしながら歩くこととか、

クソ使いづらい袋地に立てた狭小戸建てで日照権とかプライバシーとか全部放棄して暮らさなければならないこととか、

学校までの道のりが遠いこととか、

無料Wi-Fiがどこにもなくて通信制限になった途端に何も出来なくなることとか、

バリアフリーが全く意識されてないこととか、

そういう、細々とした危険や不便が無くなったら、みんな幸せになれると思う。

2021-05-27

anond:20210527084432

高校生17人に1人は通信制時代に、都立がそこまで配慮する必要があるの?

他に理由があるのでは?って穿った見方をされても仕方ない

2021-05-13

きょうだい実家と縁を切ったせいで被害が及んだ人いる?

 私が実家と絶縁したことによって、姉ちゃん被害が及ばないか心配

 母は、「産んでやっただろう、育ててやっただろう、あの時ああしてやっただろう」っていう恩着せがましいタイプ毒親で、私は子供の頃からちょっとした洗脳を受けていた。

私は学生時代うつ病不登校になったり高校中退通信制転入したり、母に沢山心配させて親不孝したものから自分の残りの人生は母への恩返しのために生きるんだとナチュラルに思っていた。

母は酷いヒステリーで考え方が歪んでて、一緒にいるとものすごく疲れるしイライラするけれど、自分ニコニコ笑って我慢していれば、母を怒らせなければそれなりに良い母娘でいられると思ってた。

何をするにも決めるにも母の意見を優先し、母の意見が私のすべてで、気が付いたら自分で考える事ができないアラサーBBAに。

 結婚して実家から出た事がきっかけで洗脳が解けた私は、数か月前にLINEで母に手短に「子供の頃から実家が嫌だった 距離を置きたい」と一方的に告げてブロック

絶縁というほどではないかもしれないけれど、顔も見たくないし声も聴きたくない気持ちは変わらず、このまま関わりたくないと思っている。

 そして先月、姉から母の日プレゼントを用意したから共同ってことにしよう」とLINEが来た。

姉と私は気の合う真の仲良し姉妹という感じではないが、同じ親を持つ「同志」という意識が強い。 だから姉の言動が信じられないし、そんな事したくなかたったから断った。

そしたらそれ以来姉から連絡が来なくなってしまった。

 姉は現在二子妊娠中。 最近双子だと判明した。

姉は極力実家は頼らないって言ってるけど、ただでさえ今正社員で働きながら娘を育てるわけで、この先双子が生まれるとなると実家を頼らないとキツイ

でも、両親は高齢挙句貧乏で車も持ってないし、「孫=面倒事」くらいにしか思っていない。 私自子供を産んで育てた経験もない。

姉の力になってあげたい。 でも、かといって両親が頼りない分、叔母の私が姪っ子達にサービスし続けるのもなんかおかしい。

 一番の心配は、次女(私)という母のサンドバッグが消えたことにより、姉や姪っ子に視線や期待が集中するんじゃないかって。

なんていうか、母自身が見栄っ張りな挙句コンプレックスの塊で、我が子で自分コンプレックス払拭させる人だったのね。

から娘に必要以上に干渉するし口出しもする。 自分の言いなりにならないとキレて手に負えなくなる。

もう既に姉と姪っ子が被害を被ってるんだろうな・・・

 多分だけど、姉的にはこれ以上自分被害が及ぶ前に実家と仲直りしてほしいんだと思う。

でも、私は嫌。 言葉の通じない両親の為にサンドバッグになり続けるのは嫌。 話がわかる人たちなら、こんな強硬手段はとらなかった。

両親のありがたみはきっと自分が親にならないとわからない。 姉も親になって母のありがたみも異常さもわかったのかもしれない。



 ずっと姉に言えなかったことがある。

母は、姉が父親似なのが気に入らなかったようで、姉のいないところで姉が悲しむような悪口クスクス笑いながら私に聞かせていた事。

小さい頃からお姉ちゃん私たちと違う」って、陰で姉を余所者みたいに扱っていた事。

私の事を「あんたはお姉ちゃんと違ってお母さん似だから幸せになれる」ってずっと馬鹿みたいに言ってたけど、子供の頃の私を何かにつけ「やっぱりあの男の子供だな!」ってなじっていた事。

姪っ子を「旦那さん似で ざんね~んw」って小馬鹿にしている事。 半日預かっただけで「一日中泣きやがって。酷い目に遭った」と醜く顔を歪ませて私に愚痴った事。

 お姉ちゃん子供の頃からお母さん子だったけどさ、お姉ちゃんが思う程の親じゃないんだよ。 ねえ、お姉ちゃん

anond:20210513152046

非対面授業で単位を与えるかどうか判断するにはどのようにすれば妥当かというノウハウ通信制には多少ならずともある

ある程度は必要な量といえる

オンラインで授業を受けてました

って通信制学校卒業者とどう違うんですか

2021-05-05

anond:20210505210455

1.2年途中から高校生活が楽しくなくなったから。勉強するのが現実逃避情報工学を学びたかった。

2.小学校クラスでTOP3ぐらい。中学校不登校だったから成績なし。

3.高3の夏まで一日2〜3時間、夏からは一日13〜15時間ぐらい。(通信制だっから予備校自習室あいから閉まるまで12時間ほど滞在、家帰ってからも寝るまで勉強してた。風呂の中でも数学してた。)

2021-05-01

anond:20210501231219

高卒後、労働経験を経てから学びたいと思えば大学に行くような学生が増えればいいんだよ

通信制だって夜間だっていい

学ぶ気があればF欄の先生だってちゃんと教えてくれる

2021-04-25

不登校対策に第2の学校を作ればいいのでは

保健室登校もっと力を入れるとか、フリースクールかにもっと公が介入していくとか。通信制中学校とかもいいね。とにかく自室以外の社会とつながる居場所を作らないとだめだと思うんだよなあ……

スマホ通信

リモートワーク中心なのでウルトラギガモンスターやめて3GBプランにしたら、途端に外出の機会が増えて、思ったより通信してたようだ。10日で1GB程度なので一月なら丁度良いがやはり不安にもなるもんだね。節制してみるか、と思ったけど会社支給の端末ある。しか職務上使い放題、むしろいろんなAppを試してUIUX学べって方針出し通信制限も実質無し。

折角なのでテザリングだな。

なんで使わなかったんだろう。これワイモバとかに変更すりゃもっと安くできんな。

会社もガタガタいわねーだろー。たぶん。

2021-04-24

5年間不登校だった息子

昨日、めでたく高校入学式に行った。

涙が止まらない。

 

不登校になったのは、小学生五年の時だった。

理由は、ゲームに熱中し過ぎたかである

しかし、他にも要因があって、息子が不登校になる前に、上の娘の方が不登校だったのである

娘は息子の三歳上だが、小学生六年の時、悪質な担任に当たり、とんでもない差別というか、エコ贔屓を超えたレベルほとんどいじめに近いことをされ、担任からなかなか原因が発覚せず(本人は自分が悪いと思い込んでいた)、相談相手最初担任なので、全然からなくて娘を叱ってばかりいた。担任が原因だと分かったのは不登校になって三ヶ月くらい経ってのことである

それは、なんとか解決したが、その時、下の息子は「学校へ行かなくてもいい」ということを覚えてしまったのである

最初は、親も全然からなかった。

今日はなんかしんどい

などとしばしば言っては、ほんとにずっと布団の中で寝込むので、親も仕方ないかなと思って休ませていた。

共働きから、昼間は息子しか家にいない。

実は、しばしば学校をそんなふうにして休んでは、親がいなくなると、ずっとゲームをしていたのだ。

それがエスカレートして、学校いじめられてるとか言い出し、問い詰めても誰がいじめてるとか内容とかをまるで言わず、娘の例があるもんだから、原因がわかるまで待つしかないとなった。

しかし、ある日、やはり息子はどこか嘘をついているという感じがしたので、「家にいてもいいけど、ゲームは親がいない間は禁止する」としてゲームを取り上げた時に、息子は半狂乱に近い状態になったのだ。

やっと、ゲームが原因だと分かったのは、多分5年生の夏休み前くらいだったと記憶する。

 

ところが、怒っても怒っても、息子は頑として学校に行こうとしない。

色々聞いてると、どうも不登校が続き過ぎて、クラスメートに恥ずかしくて学校に行けないという気持ちになったらしかった。

しょうがないので、保健室登校から始めようということになった。

ゲームは、この時、禁止したり、或いは時間制限したりはしていたが、たまに取り上げたりと、方針一定していなかった。

但し、不登校児童はできる限り自分意思学校に行かせようとしないといけない、と学校などから指導されるので、夫婦で話し合い、息子を叱るのはやめようとなった。

そして、一週間に1、2回だけど、保健室登校をするようになった矢先の出来事

妻のせいだとは思わないけど、妻が息子をこっぴどく叱りつけ、ゲーム機をバケツの水に沈めて使えなくしてしまったのである

その時息子に生じた不信感が、彼を五年間自宅に閉じ込めるきっかけになってしまったのだと思う。

 

正直、「どうして、あれほど息子を叱ってはいけないと二人で決めたのに……」とは思ったけど、反面で妻の方が、家にいる時間の少ない私よりは一生懸命対応しているので、責めはしなかった。

それから、散々、色々な関係機関への相談や、或いは、中学校を学区外にして、小学校友達に合わないようにしたり、色んなことをしたけれど、結局、この五年間、何も出来なかった。

そのうちに、引きこもりが酷くなって、息子は家族とも顔を合わさなくなった。

食事だけは、自室ではなく、ダイニングで取ってもらおうと、息子の食事は必ずテーブルに用意し、息子がリビングに出てきやすいように、夕飯時などは他の家族全員が顔を合わせないよう息子が食事の間は別の部屋に引きこもった。

 

そんな生活を続けて、とうとう、ほんとに顔を合わさな父親の私のことを、息子は大っ嫌いになったらしい。

何故なら、不登校になるそもそもの原因、任天堂Wii u とスプラトゥーンを、息子への褒美にと買い与えたのは私だったかである

一年間、自宅の風呂洗いを続けたら、買ってやると約束し、彼はきちっとそれを守り通したから、買い与える以外にはなかった。

どうして大嫌いになってるのを知ったのかは覚えていないが、私は息子と顔を合わせないどころか、自宅にいる間は咳すら我慢し、存在を消す以外になかった。そうしないと、あからさまに息子は自室のドアをバンバン蹴ったりして暴れ出すからだ。

 

そして今年かな、一月頃に、息子は私がブチ切れるざるを得ない行動に出た。

死ね

と、他もまぁ色々と書いてあったけど、そう書いた手紙を私のいる部屋の扉の下に滑り込ませたかである

怒り狂った私は、怒鳴り散らしながら、彼の部屋の鍵のしまっているドアを外から開け(外から簡単に開く)、送風機を持って待ち構えていた息子を布団の上に押し倒して二、三発軽く殴った。

その時、散々私は息子に色々なことを言った。確か、「「死ね」などと書いた手紙を書ける神経があるのは、お前が五年間も友達とかコミニュケーション取らなかったからだ!」みたいな話かな。

それまでの数年間、会話らしい会話どころか、息子の声すら聞いたことがなかった。

やっと話し始めた。

「本気で書いた訳じゃなく、パパのイビキとか咳とか聞こえてくるとめちゃくちゃムカついたから、冗談のつもりだった」

こちらが、あまり意識し過ぎたせいで、逆にちょっとしたことが息子には気に触るようになってしまたからだと思う。

 

それから少し経って、息子が「学校に行きたい」と、妻にLINEした。

息子が学校に行きたいと思っていること自体は、少し前から知っていた。

息子は息子なりに、このままではダメだと思っていた。

でも、親が何も言っていないのに自分から言い出したのは初めてだった。

から普通高校は無理なので、週少しだけ登校のある通信制だけど、いいか? と聞くと、行くという。

そして、その高校から提出書類をもらって、息子は所信表明のようなことをその提出用紙の一つに書いた。

そこには

友達が欲しい」

と書いてあった。

私が、「死ね」と書かれて息子に怒ったときに「友達コミュニケーション取らないからだ!」と言ったことに影響されたのかどうかは知らない。

でも、それを見た私は、ほんとに死ぬほど嬉しかった。

もちろん、それがぬか喜びになってはいけないから、現時点でもそうだけど、まだまだ様子見を続けなければならない。

 

だけど、きっともう大丈夫だと思う。

彼は、自分一人で、高校入学式に行った。

がんばれ、負けんな! 心の底からそう思う。

2021-04-11

中学校不登校だった

自分は詳細をよく知らないけど、中学校不登校を表明したYouTuberがいるらしい。

自分中学校不登校だった。

高校も結局普通全日制行けなくて、通信制を出た。

それでもなんとか生きてて今正社員で勤続3年勤められている。後輩も去年できて、それなりにうまくやってる。

でも、Twitterの友人の何気ないYouTuber叩きが自分に刺さってつらい。

学校ってそんなにちゃんと行かないといけないのだろうか。ちゃんと行ってないと、そんなにダメなのだろうか。みんなちゃんと行って社会性を身につけられた自信ある?

2021-04-09

解離性障害とかの話

普段文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。

 

タイトル解離性障害については興味があれば調べてほしい。

解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。

今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。

かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢独りよがり子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。

 

 

少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。

・少し裕福な家庭で育った

きょうだいの一番上

なんやかんやあって中学不登校高校不登校再発→退学

・その後、高卒認定を取り、浪人生活を経て大学進学

大学在学中に体調を崩して就活を諦める

・数年フリーター生活ののち、現在会社員

 

冒頭の10年前の時期は、この中の浪人生活辺りの話である

なお、家族名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。

家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである

ここについては語るとキリがないので割愛

 

中学高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。

学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。

朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康まりない毎日を過ごしていた。

出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。

あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問先生と友人には本当に感謝している。

同級生引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。

この時期、何度か心療内科カウンセリングに通っていた。親がドクターカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。

心療内科ドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。

 

当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校部活顧問先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。

教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。

高卒資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。

その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験合格する……といった算段だったのだが、志望校センター試験できわどいライン

二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。

予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。

予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。

人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。

 

 

最初の症状は、予備校休みで、家に居た時のことである

中学生の頃から身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。

朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。

意識ははっきりしている。右手携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。

痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。

起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。

呆れた顔をされたが、微妙理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。

 

それから一週間ほど後、今度は予備校自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来直行した。

身体症状が出ていたので、最初外科検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査時間がかかった)、最終的に精神科となった。

どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり

入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。

退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。

入院中に、精神科先生からさいころの話を尋ねられた。心療内科カウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。

それをふまえて、「一度別の病院心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害テストじゃない。

精神科先生曰く、「まだ脳の病気可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。

ここで診察をしてもらった精神科先生が、その後7,8年の間お世話になる人である

 

 

心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。

この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。

結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃からからの風当たりが更に強くなった気がする。

 

心理テスト小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。

空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。

結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)

 

色々と話が逸れた。

アスペルガー症候群

うつ病

解離性障害

脳の検査心理テストカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。

発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。

解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。

とりあえず受験第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。

 

 

それから数年、志望校とは違うが大学生活を送っている頃。

無理が祟ってうつ悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。

教育実習を控えた直前のことだったので、担当教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。

余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事ことなんだけどね。

いかんせんマイナーな例なので、免許センター警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。

 

解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。

高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。

よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。

結局、診察中に先生の前で出たことはなかったのだ。

診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。

遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。

過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)

過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたこなのだろうなぁ。

 

 

うつ寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。

ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。

また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。

では、これにて。

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