はてなキーワード: 車輪の再発明とは
M1 pro Macにて。ここ参照:https://github.com/magnusviri/stable-diffusion/tree/apple-silicon-mps-support
git clone https://github.com/magnusviri/stable-diffusion.git
cd stable-diffusion
curl --proto '=https' --tlsv1.2 -sSf https://sh.rustup.rs | sh
conda activate ldm
mkdir -p models/ldm/stable-diffusion-v1/
https://huggingface.co/CompVis/stable-diffusion-v-1-4-original から`sd-v1-4.ckpt`をダウンロードして、
ln ~/Downloads/sd-v1-4.ckpt models/ldm/stable-diffusion-v1/model.ckpt
以下のパッケージを追加した。https://twitter.com/hevohevo/status/1562364961481162754?s=20&t=KxNXNB9fz99fbosZ8TfnvQ を参考に。
conda install onnx
pip install invisible-watermark
それで実行
python scripts/txt2img.py --prompt "a photograph of an astronaut riding a horse" --plms
するとエラーになる。https://qiita.com/hevo2/items/e646148a05118074fecf に従い、下記ファイルの2511行目を書き換え。
vi /opt/homebrew/Caskroom//miniforge/base/envs/ldm/lib/python3.10/site-packages/torch/nn/functional.py
こないださ
私電子レンジ買ったのよ。
わざわざ隣の部署のところまで行って借りるのも面倒だしってわけで、
適当なやつを探していたのよね。
そんで昨年両親がネッツで冷蔵庫買ってくれってあったのことをもいだして、
その初めて使って貯まったネッツショッピングのポイントが無限にあったから、
そしてラッキーなことに!
期限が切れるのがその日だったのよ!
どうしようかな?って買うのを今まで躊躇していたんだけど
ついに買っちゃったわ。
だからトータル無限ポイントプラス登録限定クーポンであわせて1000円ぐらいで電子レンジが買えちゃうラッキーアンドラッキーを
ジョンソン・エンド・ジョンソンって言いたい気持ちのまま買えたのよね。
よく言うじゃない
その冷えたご飯はカロリーゼロって信じていた時代が私にもあったけど
やっぱり温かいものを温かいままで食べると美味しいってことを車輪の再発明の如く再発見したのよね。
そんなわけで、
俵万智さんばりの
俵万智のサラダやで!って言っててもあんまりサラダ記念日の値打ちがよく分かっていない感じの子どもにみごとにスルーかまされたってエピソードが大好きなんだけど。
まあそんな感じで
文明の利器は持っていなかった私は
持っていたのはせいぜい消臭力で
ちょっと私は人類の豊かさな意味では進歩したダーウィンがただやって来ただけで何もしないぐらいの進化を遂げたのよ。
そう言う焼き肉屋さんもあったり、
直でチャッカマンで火を付けるタイプの焼き肉屋さんもあるじゃない。
長いタイプのああいうチャッカマンって誰が考えたのかしら天才!って
ああいうのハーレーダビッドソンって言うの?あれに乗った西川貴教さんのシールが貼ってあって
あ!これだこっちの方だ!って消臭元か消臭力か迷わずに買うことが出来てホッとした安堵のため息なの。
私切れさせたらたいしたもんだ!って
切れてないけど。
切れていたのは消臭剤!
もう朝からキレッキレの感じがいいわね。
電子レンジとチャッカマンと消臭力のミッツ・マングローブさんに限るわ!
これもまた増田で
ブクマが300超えするヤツよ。
タイムマシーン3号の関さんが
西川貴教さんのホットリミッツのコントをしていたときにあのコスチュームを着てやっていたんだけど、
ずっと私忘れないからっ!
うふふ。
朝はしっかり食べておいて今週もてんてこ舞いで忙しい飛び込み前転な季節なので、
しっかり食べ込んでおくわっ!
作り置き助かる
ラスカルにも飲ませたい
水出しルイボスティーウォーラーは今週はこれでずっと行きそうなほど
作ってる暇ないってばさ!
とにかく
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
数学者の岡潔の情緒論をたまたま動画で見たのですが、ところどころ自分と共通する結論に達しているところがあり、なるほどやっぱりなあと頭を何度か頷かせました。
は、やはり情報補完という技術の域をあまり出ない技術だと思いました。岡潔の言う情緒から発生する智よりもそれら技術は抽象度が低いのです。
とは言っても、欧米人が大好きな緻密な論理も、その発展物であるコンピュータも、情緒ないし直感も、相反するようで、内実それら二つの智は地続きで人の頭の中で常に相補相乗して何かしらの筋肉運動へと変換されていますから、これらの捉え方は政治における右翼や左翼といった不毛な論争をするための物差しのようであり、事を知るきっかけみたいなものでもあり、機会と思考の拡張以上でも以下でもない一種の流行的なら認識手法であると割り切って観察すれば何か穏やかな感じがします。
自分は高度な数学どころか高校生くらいの数学も、概念をチラホラと知るくらいで、まともな計算訓練をしたことがないですが、論理をカンストしたと自分で思ったタイミングがあります。論理をカンストするとは、「人間が人間である以上は習熟し得ない、もしくはまったく到達し得ない知の領域までの論理的な到達手法を発見した」というような意味で使っています。もちろん、現実的時間内での到達手法です。もしそうでないなら、無限の時間やエネルギーを想定しさえすれば誰でも簡単に論理をカンストできてしまいます。
その観点から観れば、今この社会の中を生きる多くの大人たちは、車輪の再発明を、時代と共にアップデートされた道具を使って、ちょっと違う色や形や量や時間の使い方でもって何度も再現しているだけのように観えます。これは継承という親から子へ引き継がれていく営みに対する喜びや自己満足の歩みであり、多くの場合その歩みの中に真なる野心などないということがうかがえます。本質的には、一人一人が自分の体と感覚とその時代にある新しい道具を使って先人の追体験をしているだけという場合がほとんどということです。そうした営みに対して尋常ではない対価が与えられるのが欧米人主導で生み出された現代社会です。
しかしこうした継承ないし営みは、ネタは出尽くしているから当然といえば当然であり、例えば元素の数が大きく変わったりしたわけでもなく、物理法則が変わったわけでもなく、人間のもつ感覚器の細胞の数や種類が誤差を超越して変化したわけでもありません。仮にそれらが変化したとしたら多くのこと、もしくは全てゼロからやり直しかもしれません。しかし、今のように先に進まないのであればいっそゼロにすれば良いのではないかとさえ思う時もあります。
中世という名の暗黒の時代を乗り越えた人類は現在、白黒の時代を生きています。この白黒の時代はいつまで続くのでしょうか。
制御を失った先には必ず痛みがあります。我々には身体中のあちこちに痛覚がありますが、この痛覚の上限を超えて与えられた刺激は周辺組織の量的な死と連続して繋がっています。我々は痛覚を頼りにこの死から免れて生き延びてきました。反面、代謝という緩やかな死は快楽でした。
現代社会はますます死の恐怖が増大してきているように思います。欲を与えられ、欲を満たす手段も与えられ、それに付随するように死への恐怖も増大したのです。過剰な欲は、死を過剰に恐ろしく禍々しいものへと変えます。情緒を失った人間とは実に愚かです。
どこか暖かい南の国のビーチでセクシーな水着を着た美女たちに囲まれてパフパフコンテストを開催したいです。一体どの美女が一番パフパフがうまいのでしょうか。
この世界観、設定、気軽さ、これはまさにメタバースです。メタバースなんて言ってますが、元々が人間一人一人の頭の中は小宇宙ですから、メタバース的な世界観の中を我々は生きています。最近だとイスラエルの歴史学者であるハラリさんのサピエンス全史で国家というフィクションへの言及があったようですが、共同幻想論は30年以上も前に日本人が提唱していました。そのルーツは海外かもしれませんが、そんなことは鶏卵問題の彼方でしょう。
いずれにしてもユビキタスをIoTと言ったり、真ん中分け(エロ分けとも言われた)がセンターパートとか言われたり、言葉の額面が時代や状況に合わせて最適化されていきます。不思議なことに呼び方が変わると人が肯定感をもって動き出すという事もあるようで、パフパフ コンテストにも早急に新しい名前が必要です。
勉強というものをロクにしてこなかったし、理系とほとんど縁がなかったんだけど、ずっと「車輪」について疑問に思っていることがあった。
疑問といっても、本気で気になっていたわけではなくて、暇なときにあれこれ考えを巡らせたときに、これどうなってるんだろうなと行き着くぐらいの感じ。
車軸と車輪があるうち、地面を摩擦なく転がるのは車輪で、軸の全周は車輪よりも短いから、全周を地面と摩擦させるより軸を穴で摩擦させたほうが距離が圧倒的に短いので負荷が少ない。おおこれはよくできた仕組みだなあ!考えたひとスゲー!なんて思ってた。
それに至ったすぐあと、それでも結局軸と穴の摩擦はあるから、いずれすり減ってダメになるんじゃね?さすがになんか対策とか工夫で解決されてるんだろうけど、どうなってんだろうなとも考えてた。
それで今日、すごく暇でたまたま思い出したのもあって長年のプチ疑問だったこの内容をググった。あまりにもプチすぎて今までググったことなかった。
Wikipediaで「車輪」のページを読んでいたら「構造と機能」にまあまあ自分が思ってた通りの原理があった。
そしたら「摩擦面の摩擦を低減するのに軸受が使われる」とあり、これまさに俺が思ってた対策とか工夫じゃん!と思って意気揚々と「車軸」のリンクをクリックした。ボールベアリングのgifを見て衝撃を受けた。
ベアリングというやたらスムーズに回るなにか(それこそハンドスピナーとか)が存在していることは知っていたし、こういうボールで回る物体の存在も知っていたが、そのふたつが自分の中で結びついていなかった。あまりに完璧にプチ疑問の答えになってて衝撃を受けた。
ものを開発する人ってスゲーなと思った。自分の知識の中に答えはあったのに、それを導き出せない自分はやはり凡人なのだなとも思った。
やっと自己自宅待機のコロナ禍の中の隣の会社の部署の人員が復活したので
意気込みまくっているところなんだけど、
まあ陽性でなくてよかったわってところかしら。
これで陽性だったらまた何日私は借り出されたままの物語の主人公にならなくてはいけなかったのかと思うと夜はぐっすり関係なく眠れるわ。
でね、
うちのところじゃないんだけど、
なんもないんだけどおもしろ半分で
雰囲気で何となくPCR検査を受けてみたら陽性で社全体がみな自宅待機になったところとかもあるみたいなので、
カジュアルに雰囲気で検査は受けない方がいいのかも知れないわね。
まあとにかく隣の会社の部署の人員は何事もなくて事なきを得まくってよかったわ。
胸をなで下ろしたところよ。
なんかすごくその間働いた気がするので、
お休みが欲しいところなんだけど
私分かったわ。
美味しそうな料理はドン引きするぐらい砂糖が投入されているってこととかってことよ。
タマネギをストレス解消のために炒めつけてやろうと思ってバターを買ってチャレンジしようとしたのね。
デカいバター買っても持て余してしまうような気がしないでもないので、
何か小さいバターあったらいいのにな!って思ったら
長州力さんもビックリな切れてる100グラムの少量バターがあって私はブチ切れてしまったわ!
小さいのあるのね!ってまあ本当は切れてないけど
もう話しがややこしいわね。
そいで、
バターを半分使ってタマネギをみじん切りにしたものを例の飴色になるまで炒めつけて
そう言う料理にして作ってみようと思ったのね。
タマネギ切って2玉は多すぎるかな?って思ったけど、
炒めているとだんだんカサが少なくなってきて火が通るとしぼんで量が少なくなってしまったので、
こんなことなら4玉か6玉分ぐらい炒めつけてみてもよかったのかしら?って
いや6玉は多すぎるかも知れないので、
様子見で今度は4玉タマネギ炒め飴色メアリーを作ってみようかしら?って思ったわ。
でね、
その料理完成してやたらいいニオイするからもちろんだいたいの料理のいい匂いがするものは美味しいって言う法則なので
味もそこそこ決まって美味しかったのよね。
いい香りの元って言うのが
やっぱりバターの風味豊かなあの甘い香り漂いまくるあの香りよ。
結局はバターが美味しいんじゃん!って
バターなしだといつもいまいちコクがないのにキレもないなんだかぼやけた味付けのあまり美味しくないでも身体には多少良さげな料理しか出来なかったんだけど、
バターの投入でこれは一気にうまうまなトマト煮の出来上がりなのよね。
バターが美味しいんじゃん!って
なんだか飴色タマネギメアリーは役に立ったのかしら?って思うけど
たぶんタマネギの甘い成分の炒めつけた成分が甘いと思うので、
バターを多用してみようかなって
また再チャレンジングステージ突入!って次のステージに突入してみようかと料理の腕が一つ上がったような気がするわ。
バターって偉大ね!
きっと今頃バターの特許を持っている人は多額の富を得まくっているのよね。
そんなこと出来るのかしらね?
牛は牛、牛の耳は牛の耳って言うぐらいだから
よく分からないわ。
あの栄養素の高さから牛乳は牛のミルクと言われる由来でもあるし、
バターの魅力に取り憑かれたら
ある意味やばいなんでもバター投入しちゃいたいそうな気がして、
でも
大量のバターを買って持て余しているより、
100グラムで使い切りやすい切れているバターを使った方が便利ってことが分かったわ。
あと残り半分余ってるから
うふふ。
よかったわ!
毎日そう言うランチタイムだったらいいのになぁーって優雅に暮らしたいものじゃない?
柑橘買ってないから何か柑橘買わなくちゃって欲にも駆られてしまうんだけど、
液体レモン果汁があるので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
この業界が息苦しいなと感じているものの、この業界に居続けている
トレンドを追うと、高速化や効率化みたいな内容しか出てこない。
自動デプロイだの、描画速度の向上だの、テスト自動化だの、新しいAWSのサービスだの…
一からサービスは作れるし、外部サービスの連携はAPIを見ればプレーンで書ける。
VPSみたいにサーバー用してもらえれば、プレーンで運用も出来る。
でも、プレーンで描くと「車輪の再発明」だの「再利用出来ない」って言われる(幻聴かもしれんが…)
いかにシェア率が高いメジャーなライブラリや方法を使って開発する事ばかり
フロント周りもそう
この世界に入った時は、色々華々しい事ができるって思っていた
実際は、開発環境やらモダンな開発手法やらごった煮なお作法を勉強しないと「トレンドを追え」と鼻で笑われる
フレームワークやらECMAScriptを使わず、プレーンで描いたら白い目で見られる。
そこまで使いこなせて初めて新しい技術を触る権利がある位面倒くさい
追ったら追ったで、「これ今すぐ使う必要なくね?」ってなって勉強の意義を見出せなくなる
今の自分が、コピペで開発で満足していた過去の自分を見たら、自分を説教してくれた先輩のように説教をするだろう
「ブログを鵜呑みにするな、ドキュメントを見ろ」「コードはコピペすんな、書け」「闇雲に手を加えんな、ログを読め」ってね。
ただ、あの頃みたいに、とりあえず作ってブラッシュアップして行こうっていう気持ちが今もあればまた違ったのかもしれない
プログラムは所詮道具なのに、道具の手入ればかり勉強している気がして何か窮屈だなって思う
だけど、その思考で数年やって来たからこの思考から抜け出せない。
自ジャンルの歴史をしらないと一生かけて「車輪の再発明」してしまうかもしれないからだよ。
せいぜい苦労しても「そのLEDって20世紀に発明されてて今となっては高輝度化してるよ」っていわれたら悔しいでしょ。https://www.weblio.jp/content/%E8%BB%8A%E8%BC%AA%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%99%BA%E6%98%8E#
あいつら、ほんとに安直にマルチコプターそのまま大きくしやがった()とか、
ローターの間を通って操縦室に行くの怖い()とか正直思ってしまったが、
今更似た機体を国産で作って騒いでるのが正直悲しい
個人所有のマルチコプターの登録制とか免許制みたいなのも今更で、
日本ではあくまでおもちゃ扱いであり、そのおもちゃが迷惑行為をしたり、
プロペラは中国製が嫌なら、台湾でもベトナムでも今はどこでもある世の中になってる、
安全だと分かったら真似するというのが昔からのセオリーではあるが、
最近は単に初動が遅いだけでなく、真似に乗り出すのも遅い感があるので、
多分、日本社会が老人になって体力がなくなっているのだと思う
昨日見つけたいくつかのGitHubのリポジトリを面白く眺めてる
20代のフランス人だったり、40代のブラジル人だったり、色々である
ブラジル人は体力有り余ってるのか、
絵だとやりにくいなぁ、と思ったりする
みんなでブクブク浸かって楽しむみたいな世界は、
で、思ったのは、やはりプログラミングというのは、
過去のゲームがルールの発明だったこととかは古臭いものとなり、
コードも言葉と同じように無償で自然と発するものに近づいていく
ここで思うのは、スティーブ・ジョブズがこの世界をIBMの、
いわゆる、ソフトはハードのおまけ、の世界に戻したことであり、
ビル・ゲイツだったか、ソフトウェアは無償化していくという予言は当たっていたのだろう
それをマネタイズするには、ApacheでWebサービスを立ち上げるみたいな、
いわゆるGNUライセンスであれ、運用やサポートではお金が取れるが、
Node.jsを開発したら、開発者は当たり前だが一番Node.jsに精通しているわけで、
企業を顧客にNode.jsのサポートを有償ですることでマネタイズできる
ソフトウェアは無償化し、コードは会話のように無償で、ライブなものになり、
あー、そういう世相を予測して、
先に牛耳っておこうという点でMicrosoftによるGitHub買収は正しかったのである
ソフトウェアがなんでも無償に向かうのはMSとしても良くは思えない動きだったはずだが、
今はまったく反対方向にMSは向かっており、収益の基盤をAzureなどに移している
今すぐはありえないが、WindowsというOSも意味はなくなっていく
これはAppleやGoogleのような企業でも同じ考えのように思う
もちろん、そのレベルでのシェア争いや小競り合いが今すぐ消えてなくなるわけではないが、
長い目で見ればいつかはそうなっていくことは容易に予想できるわけで、
つまり、ソフトウェア産業というか、近年のバズワードでもあるテック産業というのは、
人生だって、みんな崖に向かって歩いたり、走ったりしてるだけである
その崖がどれだけ近いか遠いかとか、どれぐらいのスピードで崖に向かってるかとか、
それだけの違いであって、誰もがいつかは崖に到達して落ちる、つまり死ぬのである
しかし、そこには一発逆転や一人勝ちするチャンスも乏しくなり、
そういった金を求めるギラギラしたアブラギッシュは寧ろ嫌悪される存在となり、
しかし、そうやってった末に待っているのはコモディティ化であり、
ただの暇つぶしにさえなっていく
今は楽しい
でも、その楽しさの果てに死が待っている
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/tencho731/entry-12702376619.html
dreamzico 「車輪の再発明」どころではない、壮大な無駄。古い建物を保存しろ!と騒ぐ人たちと同じ部類。個人的には好きじゃないね。こういうのを称賛する手合いも嫌い。
う~ん。たった70文字余りのコメントでここまで無駄なく間違いしか書いていないのも珍しい。
まず「車輪の再発明」というワードがなぜここで出てきたのか文脈がさっぱりわからないし(安直に自動車から連想したのだろうか?ちょっとかしこそうな言葉を使ってみたかった?)、
旧車パーツの再生はワンオフにしろ量産にしろ需要と供給がある、すでに根付いたマーケットのある普通の経済活動だから無駄なはずもなく、
そもそもdreamzicoの言う通りにこれが「壮大な無駄」であるならば骨董的価値を重んじる趣味はことごとく無駄ってことになるし、
自分の好きなものを自腹で自力で保存してるんだから「古い建物を保存しろと騒ぐ人たち」とは当然まったく種類が違うし、
そして、上のコメントを読んだ私のもっとも強い感想なんですが、この件に関してdreamzicoが好きだろうが嫌いだろうが、そんなことdreamzico以外の地球人全員にとって完全にどうでもいいよね。
こんなに見事にズレまくったコメントを書くに至った背景が知りたいものだが、dreamzicoのほかのコメントを見て多少のみこめた気がした。
https://b.hatena.ne.jp/dreamzico/
とりあえず何にでも逆張りで悪態をつくだけの薄っぺらいストレス解消アカウントかと思いきや、わりとアカン口調でコメントバトルしたりもしてるのでつまりは根本的にアカン人のようだ。
定型詩のような歌詞・メロディ構造があるから、心地よく聞こえるのだろうという考察
恐らく、車輪の再発明になるだろうけど、調べるのが面倒だったので、論を構築しておく
各小節は、①と②で韻を踏んだ上で、③でオチをつけるような構造になっている
Aメロと同様の構造をAメロ’で再現(構造を同じにする=マクロ的に韻を踏む)してBメロにつなげる事で、①と②で韻を踏んで③にしたのと同じ構造にしている
①ミセモノの君が 見せる 愛を
②ニセモノの僕が 似せる “I”と
①バケモノの指が 示す愛の
③綺麗な歌を歌いましょう いびつな手が空を向く
Bメロ(第二節)も、Aメロと同様に2小節構成であり、やはり各小節内は①と②を足して③でオチをつける構造になっている
また、前述のとおりAメロ・Aメロ’を受けてBメロでオチをつけるフラクタル構造になっている
第一小節も「遠い街の鉄塔の」「足元に揺れる花が」という名詞節と、「煙と共にちぎれたのは きっと少し先の話 」と動詞節?で分割されているのがお洒落な感じを受ける
第二節(Bメロ:サビ前=AメロとAメロ‘をBメロで纏める:二小節構成)
①遠い街の鉄塔の
②足元に揺れる花が
③煙と共にちぎれたのは きっと少し先の話
①イツワリだと叫ぶもの
②イツワリに気づかぬこども
③それをかき乱すケモノ
サビ(第三節)も2小節構成であり、各小節は①と②で韻を踏みながら③でオチをつける構造は変わらない
また、AメロとBメロでの抑圧をサビで開放する役割があり、A+B⇒サビという構造になっている
①嗤え、睨みつけても
②嗤えないよ だから、
③僕の心臓も ニセモノだったらよかった、 のに。
二番(2章)も一番と全く同じ構造であるが、サビに入る前に間奏が入ることで聞いている側が飽きないようになっているところが音楽的に楽しい
①欺くために生まれたなら
②僕も欺いてくれよ
①ソノママで良かったのでしょう
②ソノママを拒んだのでしょう
③綺麗な歌を歌いましょう いびつな手が牙を剥く
第二節(Bメロ:サビ前=AメロとAメロ‘をBメロで纏める:二小節構成)
①宝石で着飾るほど
②顕になったバケモノ
①痛くないよ、とうたえど
②君になりたい、とうたえど
③その感情 似ていない 似ていない すべてがニセモノ
3番(ラスサビ、三章)は、サビのみではあり文章数は少ないものの、構造自体は一番・二番との類似性が高い
第一節・第二節はこれまでのサビと同じ構造だが、一番盛り上がる第三節は①+②⇒③の構造ではあるが、全体を統括するようなメロディになっている
また、マクロ的に言えば、一番と二番で同じ構造が来たところを、三番のラスサビでオチをつけるという構造であり、これもフラクタル的である
第3章(3番=ラスサビ)
①綺麗で醜い愛を
②終わらせてよ、さらば
③花の種をさがす手が、君の雨を拭うとき
①─今日はきっと素敵な日だ。
全体的に同じリズムや構造が続いており、統一感があるために聞いていて「整っている」と感じる展開になっているのだと思われる
こうした定型詩のような構造が聞きやすさ・心地よさを生じさせるのだと考えられた
以上、
私の増田投稿は、本来オモチャに過ぎないが、君たちのオモチャではないよ。あつちへ行つてくれ。私は、もう、ねむい。
一番~三番の最後の文を見ると「○○、のに(後悔)」「××たんだ(過去~現在の確認と諦め)」「△△だったよ(過去からの決別)」といったニュアンスが香るようになっており
後半になるにつれて物語=心境が変化していくことが察せられるようになっている