はてなキーワード: 母集団とは
偏差値なんて正規分布かどうかだとか母集団が十分に多いかどうかだとか
色んな要素で信用ならん事になりかねないようなものを必要以上に重要視するのがそもそも間違いなのでは
あくまで受験においては有用、ってだけでしょ。人間の質を云々するに使う時点でズレが生じてる。
そもそも偏差値って別に勉強ができるかどうかだけに使われるわけでもないはずで
例えば身長の偏差値(http://anond.hatelabo.jp/20170130194321)とかも出せるし、勉強ができるかという指標に使うにしても別に全国との比較だけしかできんわけでもなく
校内偏差値とかも存在するんだけど、無視されがちなのは納得がいかない。
だいたいその全国とくらべての勉強の偏差値とやらも、2.5だ5だの差異ぐらい全体から見たら大したことない(http://anond.hatelabo.jp/20161227230331)でしょ
原文精査お疲れさま。
個人的な考えとしては、あんまサーバー関連の仕組みは興味ないかな。
「現金」「小切手」「買掛金」「売掛金」と言った勘定科目が、借方と貸方にどう仕分けられるかが重要だと思う。
F社のサービスを使っているユーザーの集合をF、M社のサービスを使っているユーザーの集合をMとする。
さらに、Fが生成するデータの集合をG、Mが生成するデータの集合をNとする。
ここで両社のサービスを使っているユーザーは異なる事を仮定すると、「G≠N」となり、集合Gと集合Nは一致しない。
このことから集合G、Nのある要素g,nにおいて何らかの操作(写像)fを行ったとき、f(g)≠f(n)となる。
日本語に直すと、F社のサービスとM社のサービスは、使っているユーザーの母集団が違うため、それに依って導き出される自動仕訳の結果も異なる。
神武天皇が御即位した頃から続く(ギネス認定)長寿番組『新婚さんいらっしゃい』の鉄板ネタで、
最初にエッチしたのはいつか?と、桂師匠が間接的にゲスト夫婦に尋ねる場面があるんだけど、
その手の回答に時々「あれ、それってレイプじゃねーの?」と首をかしげてしまうことがある。
もちろん、結果として夫婦になっているので、それは本人たちの中では「思い出」として美化されているんだけど、
女性(時には男性)を自宅に呼んで、成り行きで突然背後から襲いかかったとか、
嫌がっているのを押してやってしまったみたいな、みたいなエピソードが多いこと多いこと。
(交際開始当時に未成年女性と成人男性という組み合わせの若夫婦に多い。稀に女性が男性を襲うパターンも)
確かに恋愛においては、時に「押しの一手」が必要になるフェイズはあるんだろうけど、
「付き合ってなきゃやらない!」って嫌がっている女性に「じゃあ、今から付き合おう!」
と言って無理やりやっちゃうとか、どうなんだろう。
結果として責任取れば、つまり結婚すればレイプしても許されるのか? 性犯罪に目を瞑るのか?
しかも、そういう場面では決まって会場では笑い声が上がって、師匠も椅子から転げ落ちるパターン。
女性が半ばレイプされたことが「お笑い」になってしまっている。ハメれば官軍か?
それとも、世の多くの女性は「相手の自宅に上がった時点でOKサイン」という「神話」を内面化してしまっているんだろうか。
まるで昭和のホモソーシャル的な価値観(「女はやっちまえば黙る!」)が依然としてまかり通っているのか?
古事記でも川でトイレしてる女性をレイプして嫁にする(「赤い矢」)というエピソードがあったね。
まあ、こういう番組に出演しようと思う時点でカップルの母集団の特質が偏っている可能性も否定できないけど、
こんな平成の世の中になっても、レイプされた結果、オキシトシン分泌して相手に恋愛モードに入っちゃう
ような女性が多く残っているのが不思議な感じ。デートレイプ問題にも通じるし、シャレにならんと思うが。
ぶっちゃけ、みんなはそういうのってどう思う?
http://agora-web.jp/archives/2020370.html
そりゃ、どう見ても鳥越氏は都知事どしてダメダメだとは思うが、
しかし、ノビーは鳥越氏が4年の任期中に死なない確率は15%以下と主張する。
その根拠は、肝臓がんの手術後10年後の生存率が15%で、鳥越氏は7年が経過しているからだそうだ。
しかし、どう見ても引用しているグラフを見ると7年間生存した人が、10年目まで生き延びる可能性は70%くらいある。
しかもこの統計に含まれる「術後7年後の患者」の中には、元気な人もいれば、その後も病気がちな人もいるだろう。
(鳥越氏の主張が正しければ)鳥越氏を含む「術後7年後の元気な患者」だけを母集団にとってみれば、あと4年生きる確率は8割くらいあるんじゃないだろうか。
ま、都知事なんかせずに、安静にしてればだけど。
とにかく、こんな無茶苦茶な統計の解釈で、気に食わない奴を叩くって、ノビーの大好きな反原発屋さんとやってることが全く同じ。
しかも、何件か間違いを指摘したコメントもあったのに、しれっと削除。
ノビーの取り巻きは、そんな統計解釈の(意図的な?)間違いなんか気にせず、サヨク叩きにご心酔。
もう馬鹿かとw
前者に近いデータはあった
http://idsc.nih.go.jp/iasr/24/279/dj2793.html
ムンプス難聴の発生頻度は、 Nelson教科書の記載(4)などをもとにムンプス患者1万5千人に1人といわれている。
日本においては1年間に100万~200万人がムンプスに罹患するといわれているので、
計算上は1年間に70~140人のムンプス難聴が発生していることになる。
しかしながら、 最近の報告を参考にすると、 母集団が小さく局所的な調査ではあるが、
200~ 400人のムンプス患者に対して1人の難聴発生が報告されており(5, 6)、 その発生頻度は決して低くないようである。
また、 耳鼻咽喉科においては比較的多い疾患である突発性難聴として診断された症例のムンプス特異的IgM抗体価の陽性頻度を検討して、
突発性難聴の約5~7%はムンプスによる不顕性感染の可能性があることが示唆されている(7)ため、
ムンプスウィルスってのがあって、それに感染する人が年間100~200万人、
そのうち難聴の症状が発生するケースが200~400分の1
某官僚作家の人が「偏差値50以下の大学は廃止しろ」とツイッターで主張し、それに対して、「偏差値50は平均値だから、毎年半分ずつ大学が減っていく」とのツッコミが行われていますが、このツッコミは間違っています。どういうことか以下、説明します。
いわゆる「大学の偏差値」とは大学そのものの能力を示した数値ではありません。模擬試験を受けた受験生に偏差値を割り当て、各大学の合格ラインを推定したものです。母集団は大学ではなく、受験生になります。
2思考実験
受験生が100万人いるとしましょう。一方、全国の大学の総定員が40万人だとします。受験生全員が受ける模試があって、偏差値50の人(平均点を取った人)の順位は50万位です。一方、大学には上位40万人しか入れないのですから、「偏差値50」の人はどこの大学にも合格できません。この時、すべての大学の偏差値(合格ライン)は50よりも高くなります。
3実際にやってみると、
「偏差値50以下の大学を廃止」を実行した場合、初年度は大学が大きく減るでしょう。しかし、次年度以降、大学進学希望の受験生が減らなければ、大学の数はそのままです。偏差値50以上ない受験生はどこの大学にも合格しない状況になります。
実際は、この政策を取ると、成績下位の人たちが進学をあきらめるので、受験生の母集団の学力は高くなります。偏差値50(平均点)の学力も徐々に上がっていって、少しずつ廃校になる学校は毎年あるでしょう。しかし、「毎年、半分ずつ、大学が減っていく」ということは起きません。
既に死ぬほど突っ込まれてるけど、この話の問題点は「教師が全然プロじゃない」という点に尽きる。
むしろ教師の方がその辺の主婦に毛が生えたような奴ばかりなので本当にどうしようもない。
結局のところ、教師という職業の社会的地位や報酬が低いために低レベルな人材ばかりが教師になっているのが問題なのだ。
そこで、「その辺の親はほとんどがそれ以下だろうがバーカバーカ」とやると、金持ちや教養のある層は私立に行かせて一般の小学校から切り離しにかかるので、一般の学校の質がどんどん下がってよりひどい状態になるだけ。
つまり元増田の行為は状況を悪化させるだけで何もいいことがない。「ほとんどはそれ以下だろうが」と言うが、実際にはその「ほとんど」は、人口の40%とか50%とか程度だったりする。教師業界のレベルが低いから。現役で子育てをしている母集団に限定すると「ほとんど」は実は2~30%程度かもしれない。そのラインで切り捨てを行うと格差が悲惨なことになる。
http://world-fusigi.net/archives/7289570.html
高いIQって、130以上なのか。
でもそれって単なる勘違いだと思う。
偏差値65っていうと、大学受験で言えば、だいたいMARCHと早慶上智ICUの中間くらいの偏差値です。
しかも、大学受験の母集団は、同世代のだいたい上から2/3くらいでしょ。ということは、知能偏差値65は、せいぜいMARCHレベルですよ。
これで頭いいとか思う? 少なくとも天才とかではないよね。
なお私は、小学校の5年生のころに、IQ130を出して担任の教師から親が呼び出されました。
「勉強の成績と比べてIQが低すぎです。何か無理して受験勉強とかさせてませんか?」と。
うるせーばーか。IQテストは内容が退屈過ぎて別解を探索しすぎて、推定回答可能数の7割くらいしか回答できなかったんだっつーの。
1億人以上のネイティブスピーカーがいる言語の中で(事実上)公用語として使ってる国が1カ国だけなのが唯一「日本語」
つまり「日本語」を話す人は、おおよそ見積もっても、95%以上は「日本人」なのである。
なので、英語やスペイン語で差別的な言動をしても、その本人が国籍や出身地を話さないかぎりわからないのに対し、
日本語で差別的表現をとったら、「お前は日本人の恥」「日本から出て行け」と、即座に日本人認定される。
従って、日本語は日本人と特定されやすいため、日本語は差別に向いてる言語であるのだー。
ところで、日本人ってのは日本語話すから特定されやすく、「日本人が○○した」っていうのはネットでは即広まることが多い。
ここで、英語での差別発言も日本語での差別発言も、ある母集団の中に一定の割合にあると仮定すると、
英語話者は日本語話者の10倍以上いるから、差別表現も10倍あるという単純計算になる。
しかしながら、英語での差別表現は誰が話したのか区別がつかず闇に立ち消えるのとは違い、
日本語で差別した場合は、とりあえず「日本人」って決めつけとけば95%の確率で当たるわけだし
「ある英語話者が差別をした」よりも「日本人が差別をした」の方が情報が特定されるため、「ネットの海に沈みにくい情報」となる。
たとえば、世間的に「まあ可哀そうに」といった話題でも、自分は「ぷぷ、ざまぁ」と思うことだって、世の中の殆どの連中が感じていることだろう(サンプル母集団は私の周りと匿名ネット)。そう感じたいきさつを探れば、実はその話題に矛盾やうさんくささを感じていたり(2○時間テレビの類とか)、もしくは自分自身を理不尽に攻撃してきた奴と顔や声がそっくりだったりね。
感情って、それにじっくり浸って味わってみることだけで、解消されるんだよね。と、心理学者から聞いたことがある。
あと、とある性格テスト(職業テスト)で、「君はそもそも仕事に人格が向いていない」とかいった趣旨の結果が返ってきたことがあるのだけど、別のところのテストを受けてみたら絶賛された。ぺらぺらおしゃべりな奴は敬遠される社風の会社や職業だってたくさんあるし、世界にはデブのほうがモテモテの社会もあるし、適材適所だよ。
関連事項として、コミュ力どうの、とうるさい求人を出している会社は、避けたほうがいいね。その会社自身の現在のコミュ力が低いからコミュ力高い人を求人しているのよ。会話以前に社会的スキルの低い(=常識がないという意味)連中ばっかりで面倒くさいぜ。
教えてやるよ。
帰国子女でも、留学経験もないお前らでも英語ができるようになるほぼ唯一の方法を。
だから、意味のない英語勉強法のサイトを1000ブックマークとかするのをもうやめろ。
恥ずかしいから。
頭悪すぎるから。
1000ブクマのサイトのやり方で英語ができるようになったやつってどれだけいるわけ?
長ければ長いほど「後で読む」でたくさんブックマークされて、たぶん読まれてもいない。
読まない奴が悪いんじゃない。
最近のは特にだが、アフィリエイトをベタベタ貼って、勉強法を列挙。
超長い。
そんなものは偽物なんだよ。
著者自身も本当に効果があると思っている方法ならば、「列挙」しない。
自分がたどり付いた教材を一つだけ書く。
違うか?
まがい物なんだよ。
1人がやれる分量だけにまとまっていないから、読むことすら苦痛なんだよ。
ブクマするだけなら只だから、失ったのは知性と羞恥心だけだけどな。
さて、その方法をそろそろ教えてやるよ。
そこらへんのふつうのサラリーマンが、今まで英語に縁もゆかりもない人生を送ってきたサラリーマンが、
たった11文字だ。
お前らでも最後まで読めるだろ。
T O E I C を 猛 勉 強 し ろ
以上。
簡単だろ。
本物がゆえにシンプルだ。
これならお前らにもできるだろ?
860点、できれば900点以上取るようにな。
TOEICは2年間で20回くらいあんのか?必ず毎回受けろ。受験自体も勉強だ。
20回受けろ。
10万ちょっと必要だが英会話学校なら50万払ってたいした意味がないわけだから、安いだろ。
以上だ。
おっと、大事なこと言い忘れた。
できれば30歳までに取れ。
じゃあな。
900点でも話せないやつが多い?
ほんっと頭悪いな。
だからいいんじゃねーか。
本当の英語力が必要ないからこそ、お前らでもできる方法なんだろうが。
英会話学校とか通うのは無駄だからペーパーテストの勉強に集中しろ。
そもそも、英語に縁がなかったサラリーマンがいまさらシコシコ勉強して英語ができるようになるか?
そんなの土台無理なんだよ。
いや、いるよ、確かに。
映画で勉強して話せるようになったとか、フィリピン人とスカイプで毎日欠かさず会話してできるようになったとか。
信じられないことに本当にいるんだよ、少数のそういう人たちが。
でもさ、そういう人達は、もともと英語が好きなんだよ。だから自然と勉強するんだよ。そして自然と英語ができるようになるんだよ。
これは生まれや環境や、それまでの人生の蓄積によるものだから、今更心の持ち方でどうにかなるもんじゃない。
続かない。
それでできるようになる人は、今までも英語が好きでコツコツやってる。
そういう人って自分を突き動かす外国や外国人への憧れがあるんだよ。
でもお前らはそうじゃないだろ?
これも十分退屈だ。退屈すぎる。
だが、できる。
何故か?
ペーパーテストがゆえに、何をすればよいかが明確だ。
これなら人は動けるんだよ。
あれやってみたり、これやってみたりフラフラして時間を浪費せずに、信じて進んでいくことができる。
すまんな、最初に言わなくて。
これが唯一の方法なんだよ。
身も蓋もないけどな
英語なんて、特別なモチベーションを持っている人以外は、海外行かなきゃ無理だ。
本物は常にシンプルだ。
そのためにはTOEICだ。
TOEICなんて話せる話せないと無関係だが、ほかに良い尺度があるわけじゃない。
学歴とか難関資格とかいろいろあるけど、TOEICほど割のよい資格はない。TOEIC900点は難関大学受験の10分の1の努力で取れる。
860点以上が意味のある点数だ。900点なら更にインパクトがある。
英語ができるようになったら人生が変わる可能性があると思わないか?(まあ何も変わらないけどな笑)
そのために、もう1度ペーパーテストを勉強する努力はできないか?
十分だ。
今の海外派遣者はそんなに甘くない。仕事で海外に行けばよほどのボンクラ以外は簡単なビジネス英会話は身に付けて帰ってくる。
そこに達すれば、そこから先は普通の人でも自分の努力で伸ばしていける。
自走が始まる。
国内にいるだけでは、普通の人には、自走するレベルまでのハードルが高すぎて越えられない。
これが現在のすべてだ。
もちろん全員できるなんていわない。
だが、たとえば大学受験をある程度頑張れた人ならば、できる。
フレンズで英語ができるようになる人は20代の1%くらいじゃないのか。
20%の人にしか可能性はない。嫌な現実を書いている自覚はある。
でも、少しでも多くの人が、何かの制度をみつけてチャレンジしてほしいと思っている。
俺は家が貧乏だった。
親戚中で初めて大学に行った。
誰も海外なんていったことがなかった。
「英語で」ってなんだ?
英語なんて言語に過ぎないのに英語を使うなら何でも良いという発想が信じられなかった。
そんな俺が会社の奨励でイヤイヤTOEICを受け、最初は460点だったけど、ペーパーテストならなんとかなると思って一念発起して、
900点取って、最初にTOEICを受けた日から2年後に、アメリカに派遣された。
40前にして、ぎりぎり英語が一応できると言えるサイドに立つことができた。
自分の人生を振り返っても、英語が一応できる、というレベルになる道はこれしかなかったと思っている。
その可能性が開けている人は、その幸運に感謝して、つべこべ言わず進め。
評判の良い対策本を1冊買って、そのとおりにやれ。公式問題集と単語集を買ってきて、本試験をマイルストーンにしてひたすら勉強するだけだ。
はてブは手斧を持ったモヒカンが背景全無視で「行為」を断罪する論理荒野のパラダイスだが、
手斧を投げつける手法が「個人攻撃」に見えることが多くのドラマを生み出しているとも言える。
平たく言えば「オマエの主義は知らんが、その論理展開の主張は気に入らん」という投擲だ。
「オレの生き方サイコー」なら良いが、それに「他の生き方はダメだ」と続けてクサスのが良くないってのを観て
なんかそれもまた違くね?と思ったのが、この批判を書くに至った理由だ。
自分の主張を補強するつもりで、他の論を持ってくるなんてことは、良くある。
論文は大抵「過去の研究ではこう言ってる」「が、俺は違うと証明した」「が、俺は新たに良い手法を見つけた」みたいなのばっかりだ。
つまり、比較することそのものは、別に批判の対象になるようなことじゃない。
比較が雑だったり、優位を主張する部分に誤りがあるから、批判の対象になるわけだ。
コレは結局のところ「スタートの立ち位置が変だから、組み立てが変」なんじゃなかろうか。
例えば、「菜食主義者」の「菜食主義」そのものは、「手段」だ。
宗教上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者と、健康上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者とは、
外側から見える行動そのものは変わらなくても、その思想的な背景である「目的」は、大きく異る。
例えばミニマル・アート(Minimal Art)は、視覚芸術におけるミニマリズムだが、これは縛りプレイと呼んで良い。
徹底的に削ぎ落としたその先にも表現はあるはずだという、抽象美術の一つの縛りプレイの形といえる。
これも目的は「アート」の追求であり、色数を減らすのは手段の一つにすぎない。
手塚治虫のブッダで覚えている人も居るだろうが、コーサラ国にスダッタという富豪が居た。
ブッダの説法を聞いて感動し、ハコモノを建ててブッダを誘致しようとした人だ。
ジェータ太子の土地を譲ってもらう条件の「土地を金貨で敷き詰めたら」を素で実行しようとした人だ。
必要最低限のモノだけを残して全ての財を金貨に変えて土地に敷き詰めまだ足りないと実行し続けた奉仕の人だ。
「目的」が明確で、「手段」としてミニマリズムを実践した人、とも言える。
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「目的」が見えない。
知り合いのヒンドゥー教徒は、結構ユルイヤツが多い。日本に来てる時なら酒は飲む、とか。
手段である「主義」は、厳格な人間でなければ、そう厳密に守ることでもない。
(もちろん厳格な人が、厳格でない人を批判する事は、ままある)
本人の主義に関してアレコレ言うことは(同じ主義を持つ集団でなければ)、無意味な干渉にしかならないだろう。
ただし、それは「相手もまたそうであろう」という暗黙の了解に基づくから、そう言える。
ヒンドゥー教徒の知人は、仏教徒に仏教の戒律に関して「バカげている」という話はしない。
当然、仏教徒の知人も、ヒンドゥー教徒に対して「その食の制限は意味が無い」という話はしない。
お互いに違う宗教を信じていても、相手のことを尊重しているからだ。
(敬意を持った上で、教義上の疑問点を話す、なんてことはある)
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「他者の主義に対する敬意」が見えない。
結局のところ、目的も無く、自覚的に自身の主義を捉えることもないので、想像力が無いのだろう。
そうした場合、「自分もそうだから、相手もそうだろう」と想像してしまっても、無理はない。
というよりも、想像することそのものが出来ないのだろう、と想像できる。
全く知らない宗教団体と事前知識無く出会うことになった時に、何がタブーかなんて想像も付かない。
自分以外に配慮出来ないのは、何も「最近はてブを騒がすミニマリスト達」に限った話では無いと思う。
あれは「症状」みたいなもので、クシャミと同じたぐいの「結果が目に見える形になっただけ」では無いか。
それは「自身の立ち位置に無自覚」で「他人の思想的背景を理解しようとしない」という、結構怖い人達なんではないか。
つまり、インド人のベジタリアンに向かって「夏バテなら肉を食べれば元気が付くじゃない」と無邪気に言える怖さだ。
きっとその個々の無自覚さは、ソコココで小さな軋轢を生み、全体としてその母集団の信頼が失われていく。
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「自分の主義に対する思い入れ」が見えない。
自分の正しさを証明するために、他人の主義を引き合いに出すのは、それそのものは別に悪く無い。
他者に敬意を持っていれば、引き合いに出す際にぞんざいに嘲ったりすることは、出来ないだろう。
オンデマンドっておっそろしく儲からないんだなあ。もちろんたまにブレークすることはあるけど、宝くじ当てるみたいなものだからな。今のところは、持ち出し覚悟で作って少しでも回収できれば恩の字っていう感覚。クラウドファンディングもね。
こんだけネットネットって言われてるけど、やっぱりTVのリーチってものすごく強い。桁が違う。他に展開するにしても、どんだけ観られてるっていう基礎部分の数字がものを言うんで、逆にTVでリーチした母集団があって円盤が何千枚ってことなんで、母集団の桁が少なければ他の儲けのチャネルも同じスケールで縮むんだよなあ。