はてなキーワード: 末っ子とは
どのくらい貯金があるかを聞かれたので、二百万と答えると、
「念の為に二十万くらい残してあげる、それだけあれば十分だよね」と言い放って、
それならと、私が体系立てて教えてあげたら、妹は怒り狂った。
たとえばみんなで政治の話をしていても妹だけが話に加われない。
私たちにとっては、言い方は悪いが「馬鹿な子ほど可愛い」というもので、
その成長を温かい目で見守ってきたつもりだったが、
「いつもそうだ! お姉ちゃんは私を見下して!」
普段は末っ子らしく暴君じみて傲岸な妹の、その目に涙が見えた。
私は立ち上がって、その小柄な身体をぎゅっと抱きしめた。
私が知っている妹は、自分から海外へ出ていこうだなんて思いつきもしない子だった。
そうか、いつのまにかこんなに大きくなっていたんだね。
「……っ、おねえちゃんっ!」
妹も強く抱き返してくる。
本当に優しい子だ。
二十万というのも、ただ金銭感覚に乏しいだけ。
彼女が心からこちらのことを思いやってくれていることは分かっているのだ。
「ごめんね……」
「ううん、私こそ……」
互いに抱きしめ合いながら、私も妹もすっかり涙声だった。
いえ、一銭も貸してないのでお気になさらず。
数年前のこと、このぐらいの時期の平日に元彼女で、一緒にバンドをしていた子から電話がかかってきた。
別れてからもバンド活動はしていて、彼女はシンガーだったので月に2、3回はライブやら、練習で会っていた(別れてから肉体関係は無し)
家もお互い、都内一人暮らしで、隣りの駅で近かったため、月に一回ぐらいは居酒屋で呑んだりしていた。
そんな彼女からの電話も、そうそう珍しくないのだが、その時は少し面倒だった。
面倒だった理由は、
・バンド活動があまりうまく行ってなかった。(毎年アルバムをインディーで1枚リリースしてたがこの年は予定がなかった)
・金も無いし、休みもなくいらいらしていた。(普段はサラリーマン)
今考えると、その時自分は軽く鬱だった気がする。
サラリーマンでバンドマンとはいえ、本気で音楽活動をずっとしていた。
とにかく自分のことでいっぱいいっぱいだったのを覚えている。
会話の内容は、
・寂しくて、ぬいぐるみを買った。(ぬいぐるみを買うような性格ではないのに)
そんなような、かまって欲しいという内容だった。
それに対して私は
みたいな内容で、突き放すように切ってしまった。
電話を切った後、邪険にしてしまったことを少し悔いながら、メールを送った。
内容は、週末ライブの予定だったため、3日後のスタジオ練習忘れんなよ!というメールだった。
いつもならすぐ返信がすぐ来るはずだが、その日は返信がこなっかった。
もう寝てしまったのか?
怒っているのか?
翌日になっても返信は来ない、電話してもでない。
またその翌日になっても返信は来ない、電話してもでない。
これはおかしい・・病気でもしてるのか?と心配になり、会社終わりで直接彼女の家に向かった。
以前、付き合って間もない頃、突然彼女と連絡がとれなくなったことがあった。
理由は薬物で警察に捕まり、拘置所にいたから、ということがあったのだが。
さすがに、今回はそれは無いだろうと思っていた。
向かう電車の中、もしかしたらという不安に駆られ、駅に着いた時には確信に近いものに変わっていた。
彼女の家についたのは、既に19時過ぎぐらいだったと思う。
2階にある彼女の部屋を外から見ると、煌々と明かりがついていた。
と思いながら、最上階に大家が住んでいることを知っていたので、事情を説明し部屋を空けてもらった。
中に入ると、すぐキッチンで、ドアの先が彼女のいる部屋だった。
ドアを開けようとすると、重くて開けられない。
何か邪魔してる感じだった。
私が来たのを知って、会いたくないから、わざと中からドアを押してるのであれば、どんなにいいだろうか。
と思いながら強引に部屋に入った。
中は、エアコンがびんびんに効いていて、肌寒いぐらいの温度で、彼女はドアのノブにタオルを掛け、首を吊って死んでいた。
その後、大家が警察、救急車を呼び、私は彼女の母親、バンド仲間、近所の友人を呼んだ。
私と、母親と、彼女の親友の女友達に宛てて、「ごめんなさい」という内容だった。
10年の間に、出会ってすぐに付き合いだし、5年同棲し、別れて2年、別々に一人暮らしをしていた。
別れてからはお互いに、別の彼氏・彼女ができたり別れたりしていた。
それをつまみに二人で呑んだりしていた。
自殺する1ヶ月2ヶ月前ぐらいに、二人で呑んだときに、私と結婚したいと、酔っ払いながらも本気で言ってきた。
一度、酔っぱらいながら私にヘッドバットしながら、お前だけ幸せにはさせねぇぞ!
と、ふざけてるのか、本気なのかわからないテンションでのやりとりもあったりしたのを思い出す。
彼女は、末っ子で寂しがり屋のAB型、ひっこみじあんだが、なぜかシンガーで大酒飲み。
仕事が終わると、帰宅中に缶ビールを飲みながら帰るぐらいで、アルコール依存症だったと思う。
リストカットや未遂などの実績はなく、とにかく酒をよく飲む人だった。
事後、彼女と結婚していればこんなことにならなかったのに・・・と後悔したり。
結婚しても同棲で一度失敗しているのにうまく行くわけがない・・・と納得したり。
こんな十字架背をわせやがって!むかつく!!!と憤慨してみたり。
音楽活動はほとんどやらず、地道にサラリーマンに専念している。
忘れようとは思うが、完全に忘れるのは不可能。(第一発見者だし)
私22(大学生)
彼氏のことは好きだし、やたら気が合うし、顔もお互いぶさいくで、そこそこ中身のある会話ができて、
収入もお互い釣り合う予定だし、これからもずっと一緒にいたい。笑いのツボも一緒なんだよね。大好き。
彼氏は気弱で私にベタぼれで、わがまま聞いてくれるし、この前は三万円くらいするプレゼントくれたの嬉しかったなあ。
性格も優しい。実家でも一度も怒ったことないって言ってた。末っ子で兄姉にいじめられて育ったからみたいだけどw
って書いてたらもう気になる人のことどうでもよくなってきちゃった。
好きな人は大学の非常勤講師で、既婚で、知的で、私が将来なりたいような大人で、
全然飾らない人で、とにかく会話が楽しい。彼氏と付き合う前から気になる先生。
でもあと3週間でその人の授業終わっちゃうし、来年からも年1くらいで会う機会もあるけれど、
ま、別にその時間くらいときめいても裏切りはならないよね?彼氏が一番だから。
嘘つけないから彼氏にもその先生大好きって冗談っぽく話して嫉妬させてる。
彼氏は私のこと信じてるから冗談だと思ってオカマっぽく怒ったふりしてくれるし。
彼氏最高♡
大家族で育ったジジババはあれを見て「懐かしいわねー」とか思ってるのかもしれんが、あの時代もヨメの犠牲の上に無計画に子供作ってただけで、
うーん、これは違うんじゃねえ?
曾祖母の名前が「スエ」って言うんだが、名前の由来はぶっちゃけ「この娘が末っ子になってほしい」という意味だ。
曾祖母の一つ上の姉は「トメ」だ。止める、の意味だ。11人兄弟だったって聞いてる。呉服屋だったんで生家はサマーウォーズみたいに馬鹿でかいし、
実際裕福だったそうだから、子どもを労働力としてほしがっていたわけでもない。
生理周期と子どもが出来ることとの間に関係を初めて医学的に見いだしたのは日本人だが、
人類の歴史からすれば超最近のことだ。それまではセックスすれば出来る、ぐらいの知識しかなかったんだよ。
無計画で、ってのは現代的な発想だな。
懐かしいねーって感想もありえないと思う。大家族の長兄の方は子どもの子守りばかりやらされて親を恨み、末っ子は末っ子で親の愛情を受けずに育ってきたから。
こういうテキストは得てして不幸自慢や感傷に浸りがちになってしまうものが多いから
そうならないようにできるだけ書いていこうとおもう。もちろんこれを書く目的はそんなことのためではないし、
最後までかけるのであればこれはむしろポジティブな、読んだ人に何か得るようなものがあるものになってほしい。
両親はとある新興宗教の出だった。二人はその教会の教祖の祝福という名のいわゆる合同結婚の元、結ばれた。
自分はその5番目に生まれた三男末っ子だった。(長女は里子に出されたらしく、実質4人兄弟)
物心がつく前から教会にも行かされていたが、一般的な保育園や幼稚園にも行き
特に当時はうちが変わっているということも意識することはなかった。
それから母と子の4人の子供との生活が始まった。かろうじて離婚は母が嫌がったのでしていなかった。
一応、住んでいる地域も父に合わせ、父の住んでいる地域に家族も引っ越していた。
そのため月末にお小遣いをもらったり誕生日プレゼントなどでその頃まではまだ父と関わることができた。
ただ、住まいも違えば、両親が家族の前で顔を合わせている瞬間を見ることもそれからはなかった。
物心ついてから理由は分かったが、父が宗教を去った、いわゆる還俗によるものだった。
養育費などもないため、母は働くことになり、やがて子供たちが教会に連れて行かれることもなくなった。
教会では私達のような存在を二世と呼び、年頃になれば両親と同じように祝福とよばれる合同結婚をする。
その後、三世、四世、、、などと続いていくのだろうと思う。
小学校に入ると自分の境遇が特殊であることになんとなく気づき始め、
学校の友達とは一種違うこと、宗教という概念はどこかタブーなんだということも静かに悟った。
それから小学3年生になる頃、人生の岐路ともいえる出来事が起きた。
その頃になると家族内で信仰しているのはもはや母だけであった。私も教会のことは口にはしなかったものの小学校はとても充実していた。
その母が敬虔すぎたあまり、小3の夏に布教活動に出ると言い出した。
行き先は 家 族 で アメリカであった。
当時はなんのことかも分からず、旅行気分で帰ってくるものだろうと、旅行など両親の不和から一度も行っていなかったので
私は脳天気なまでに楽しみにしていた。
そのまま父を日本に残し(もはや家族間の交流はなくなり見送りすらなかった)、私達一家は渡米した。
現地での生活はその教会の保有する宗教施設で、自分らと似たような一家が何家庭か集まり、共に暮らす特殊なものだった。
うちの家族は母以外は教会から離れていたので正直まわりの人々としばらく温度差があった。それでも幼かったので多くの他の大人や子供たちとの生活は新鮮で楽しかった。
学校は州の公立の学校に通った。いまでこそ帰国子女という肩書きではあるものの、
一般的な帰国子女というのは現地の学校と併せて、日本人学校に土日通ったりする。
しかし、それはもちろん私立であり、シングルマザーで、かつ他にも兄姉がいるうちのような家庭には
公立学校で経済的にいっぱいいっぱいであった。(姉だけは女の子という理由で無理して通った)
母には話していないが、もちろん人種差別もあった。その分、優しい人々の思いやりにも触れることができた。
日本では禁句であった宗教の話は、無宗教であると伝えると逆に大きく驚かれたのが印象的だった。(これすべて小学校の段階での話である)
住んでいた地域は移民が多く、学校でもESOLの他にスペイン語なども必修科目に含まれていた。
アメリカ人は白人というイメージをしてしまいがちだが、今でこそ言えるが、そんなことは決してなかった。
その地に4~5年暮らし、中学校3年になる頃、宗教ビザが切れ帰国した。
今度の日本での引越し先は父のいた地域とは別で、母の教会でのコネによって貯金がなくとも引っ越すことだけはできた。
正直、日本人学校にも通っていなかった自分はゆとり教育云々依然に日本の勉強に着いて行くのがやっとであった。(漢字や理科など)
英語だけは生い立ちに恵まれたものの、自分だけ答えて授業を進行させてしまうと他の生徒が学べないことを悟り、あまり積極的に参加することも避けた。
一般的には苦手とされるものが、できてしまうとやはりいじめられた。さらに帰国子女という肩書きも裕福な家庭を連想させていたらしい。
しかしそれは人種差別を体感していた自分にとっては人間の本能なのだと甘んじることができた。
間髪いれず続いてきたのが『受験』という壁であった。欧米では高校は義務教育とされており内申のみで入れるものだったのでこればかりはどうしていいのかすら分からなかった。
周りの友達がどうやら塾や予備校というものにいっていることを知った。あれは一種日本の文化といってもいい。
もちろんうちにはそんな金は無かった。もはや家の光熱費すらままならないといっても過言じゃなかった。(学校の友だちにはもちろんそんなことは言えない)
それからしばらくして、当時、担任であった先生からある話を持ちかけられた。それは『帰国子女制度』というものを使う方法であった。
現地での滞在年数や帰国してからの期間などいろいろと条件はあったものの見事にパスした。
その制度を利用すると、体裁としては一般受験をするものの、その制度枠を設けている高校に空きがあれば、ほぼ確実に学力関係なしに入れるという最強チートであった。(大学にもあり)
それのおかげで高校に入学することができた。
http://anond.hatelabo.jp/20121107152244
私は社長の子だ。実の子だ。ただし後妻の子だ。先妻の子どもが2人いる。
幼児を2人抱えて、社長になった父は、仕事が忙しくて家庭は顧みなかった。女中を雇うより、女房をもらったほうが経済的だ。という理由で、母は嫁いできた。最初の子どもは「先妻の子を育てさせるために娶ってやったのに、自分の子が欲しいなんてぜいたくな。堕ろせ」と言われて中絶した。まだ、中絶技術とか高くなくて、母はその後3人流産する。4人目が私だ。母は珍しく「どうしても産む」と言い張って、妊娠3カ月目から入院させてもらっていたのだそうだ。祖父は「何をさぼっておるか!」と激怒して、病院のベッドから引きずり下ろそうとしたが、ベッドの柵にしがみついて、がんとして退院せず、帝王切開で私を産んだ。
ことあるごとに「上の2人は愛妻の子、お前は女中代わりにもらった女の子」と言われ続けた。
もちろん、家庭内カーストでは一番下だ。単に、末っ子というだけではなく、私に対する遠慮や気遣いといったものはまったく与えられなかった。
母は父の目を盗んで、私にお金を送り続けた。月5万円。叩き返したこともあった。送って来なかったこともあった。送って来なかったときは「ありがとう。ようやく私を一人前と認めてくれましたね」と母に手紙を送った。すると「ちょっと遅れただけだ。勘違いするな。永遠にあんたは私のものだ。私が産んだ子だ」と返事が来た。
私は父の奴隷で、母の所有物だ。
外から見れば、お金持ちのおうちのお嬢様だから、そういう風に思われる。でも、中身はまったく違うので、違和感をもたれる。
金持ちの間に入れば「仲間じゃない」と認定され、日雇いの人間の間にいても「仲間じゃない」と疎外される。
私の仲間はどこにいるんだろう? と長いこと不思議に思っていた。
親とか、金とか、礼儀とか、身分とか、仲間うちの符丁とか、そういうこととは、まったく関係ないところに仲間はいた。
すなわち。増田の面々だ。ここに居れば仲間はいる。同じ魂を持った人は、そのうち見分けられるようになるだろう。
両親からお金をもらわないことが独立なんじゃない。自分だけの交遊関係を確立したとき独立は近づく。心さえ自立できれば、親が金をくれることも「いい星の元に生まれた。ラッキーだった」ととらえられるようになる。
私は細田監督の作品が大好きで、待望の新作ということで喜び勇んで見に行った。
作画はきれいだし、演出も見所が多く、繊細な背景や空の色などの色使いはため息が出るほど素晴らしかった。
ただ、ストーリーがところどころ受け入れられなかった。というより冷静に見られなかった。
何故ならば私の幼少期の、というか未だに引きずっている問題に直結していたから。
それは「ほら結局弟のほうを優先する!」ということだ。
基本的に男女2人の姉弟だと、母親の扱いというのは良くも悪くも変わってくるものだと思う。
母親は男の子をかわいがるし、女の子には協力を求める部分が多くなってくる感がある。
まぁこの辺は各家庭によって違ってくると思うけど、少なくともウチはこんな感じだった。
私は姉弟の姉で、「弟は必要な子で私は要らない子」と思いながら育ってきた。母は口には出さなかったものの、その扱いの違いは子供の身でもひしひしと感じていた。
必要な子になりたかったから家の手伝いを積極的に頑張ったし、なにもしないでも受け入れられている弟が憎くてたまらなかった。
印象的だったのは畑に失敗して落ち込む花に雪が大丈夫なの?という旨の問いかけをするシーンでの、花の「また手伝ってくれる?」みたいな台詞。まあ手伝いは子供ふたりともしてるんだけど。
最後にしたって雪の事そっちのけで雨の事探しに行くよね。「ここで別れたら最後かもしれない」って思ってるから、しょうがないのかもしれないけど。
まぁ単純に末っ子の方が可愛がられるし、どうしたってぐずる方を優先しますよね。何よりも物理的に母親は一人しかいないわけだし。女の子の方が先に自我が芽生えて独り立ちして、自分の思うように行動していくからだと思うし、それだけ信頼があるっていう事だと思うんだけど。どうにもモヤモヤするんだよなあ…
雪にはワンピース作ってあげたり、大切にしているのもわかるけど。愛情のかたちが違うだけなのかな。
多分普通に見てたら気にならない程度だと思うしどう考えたって気にし過ぎだと思うけど、こんなクソくだらない事を考えて映画を楽しめなかったことが一番悲しいわ…つーかいい年してこんな事気にする自分が情けないわ…
http://anond.hatelabo.jp/20111230232131
確たる才能もないつまらない人間であるぁたしゎ結婚相手への最低限の条件としてぇ~
・首都圏に4LDKの自宅マンション、子供には小学生から中学生にかけて1~2年置きに海外旅行に連れて行く
・子供には中高一貫の私立中学に行かせ、比較的金のかかる私大に行かせ、塾とピアノとスイミングの習い事もさせる
・妻は専業主婦で、手芸や料理などの習い事の教室によく通い、ジムにも
・お金のかかるアウトドア系の趣味にお金を使っても生活に支障なし
・年収1000万以上稼ぐ
で、まとまったかな?
私の場合、自分のことは自分で稼がないと、と思ってた(多分そう育てられた)ので、相手に何でもクレクレはありえなかった。結婚で退社とかありえない。定年まで働くし、もし給与が足りないならバイトもする気でいる。生きていくため、自分の理想?の生活のためならやれることはやる。
「働かざるもの食うべからず」とまでは言わないけれど、両親とも働いていたし、祖父母もかなり高齢にもかかわらず、ずっと働いていた。社会とのつながりを絶ちたくないというよりは、祖父母こそが「働かざるもの食うべからず」的な発想だったようだ。
祖母はかなりいいところのお嬢様だったが、家族の中では末っ子で乳母に育てられた。が、親だか兄弟が金遣いが荒く、家が凋落し、幼少期に親戚の間をたらいまわしにされたらしい。そこで彼女は生きるためには手に職をと考えたようで、高齢になっても年をごまかしてまでパートに出ていた(ぉ
祖父はある土地の大地主であったが、家を継がず、考えがあって大学に行き、公務員になってた。
祖父母の家は祖父の実家よりも劣悪な家庭だったと思うが、親を見るとそれに対してどうこうというのはない。祖父も自分で決めた人生に対しては特に親がこうだったからという考えは持っていなかった。
親からの庇護をアテにして生きてきた子供は、ずっと誰かの庇護をアテに生きていくしかないんだろう。そういった教育を受けてしまったのだから。↓これにはぞっとした。
社会に出たら(20代になったら)多様な生き方は周囲にあるし、選択肢も見えてくるはずなんだけどなあ・・・
親も含め、私に対して、非人道的とも言える行いや、人権意識を欠いた行いをした人たちというのは
みんな いいひと wwwwwwwww
「○○ちゃんの状態が、進んだかもしれない」
と言った友人だった人(註あり)は、教育学部の選択授業に来ていたW大学で言うと理工の学生に社会学を一般教養として教えてるだけのくせに、心理学と銘打った本を多数出版して、世の中を惑わす情報を含んだ情報を流布させるのに貢献している教授のような教育心理の教授が
と豪語するのも聞き流しているくらいに、いいひとだったwww
自閉症は精神分裂症(当時の言い方)の一つで機能的なものだから、治らないんじゃないの?
と私が言うと
○○ちゃんも、勉強しとるみたいやねぇ。
と言われた。
が、前から知っていた。
それで、こうも言った。
とか
その先生は、自分の家族にその療法かカウンセリングをして、それまで結婚できなかったのができるようになった
とか
むつかしーい理論がある
とか
自閉症をカウンセリングで治したと聞いて、先生すごーい♪というのも難しいだろうw
そんなすごい理論がなぜ学会に発表され論文が評価されてないのか、不思議だ
それは、もし言うとしたら、自閉症と診断されていた子供を、カウンセリングや親子関係の改善で治した
と言うべきではないだろうか?
もし本当にカウンセリングで治ったとしたら、診断が間違ってた可能性が高いと思うが、これだけでは何とも言えない。
でも、その言い方がおかしいと言うのはわかる。
治るというのが、どのような状態からどのような状態になったことを言っているのかもわからないし、何ともわからない話。
母が末っ子だったせいで、私が小学生の頃に従姉妹たちは結婚式を済ませたが、従姉妹の結婚相手もここの大学の教育学部で、教授と意見が合わず、自分の主張を曲げなかったので、卒論が通らず(詳しい言い方は何というかわからない)中々卒業できず、プラス4年行って最後の2年は親が授業料払わなかったという話を、うちの親がしたり顔でしていた事があった。
(余談だが、親と言う立場の人の負担が軽くなる事なら何でも喜んで話す 他には育ててもらったというのをあり難がる話とか すごいのだと芸能事務所の独立について、育ててもらったので独立はしないとあるタレントさんの親がインタビューで答えていたのを、わざわざ”育ててもらった”ので独立せんのてぇ と言ってきた事もあった。余談終わり。)
こんな教授が居るのだから、意見が合わないのも無理は無いと思った。
この教授の事は、保健所の保健婦(当時の言い方)も知っていた。
この間、職人さんの家に入ってもらいました
と言っていた。
うちの家には今4件抱えてる、やるんやったら親の方から頼みに来て、と敬語で断られた。
元友人は、評判のいいひと
元友人によると、その教授もいーいひと らしい(いーいと伸ばして言われた)
http://d.hatena.ne.jp/oooquree/20111022/1319275014
註 小学校からの友人 小学校の時のではない。 向こうから心配してるなど言ってきたことも。教育心理の先生の話は出したくせに紹介するつもりも最初はなかったようだった。 その教授の住所、電話番号を教えたものの、先生も忙しいからさぁとか言ったりもしていた。 本人から教授に家族カウンセリングを友人の家庭でやって欲しいと頼んだりしていない。 だから、もあると思う。(入ってくれなかったのは)
年収が600万円以上で ×
身長175cm以上で ×
年齢は35歳未満で △
貯金は500万円以上あって ×
自家用車持ってて ×
次男か三男で ×
自分として欲しい条件。
25歳喪女だから分からないだけなのかもしれないけど、世の中の女性は一体どんなハイスペックを求めているんだろうというのが正直な感想
>MARCH以上の大学出身で、 私も駅弁だしあんまり頭良くても話しが合わなそう
>東証一部上場企業の正社員で 安定して働けてるなら正社員ってだけで十分な気がする
>年収が600万円以上で 年収600万がどれほどの物なのか良く分からない。私は350万くらいしかないけど今のところ生活できてる。
>身長175cm以上で 自分(165cm)より低くなかったらそれで良い
>オタク趣味を持って無くて パンチラフィギュアとかコスプレ強要は勘弁して欲しいけど萌えアニメみて俺の嫁!とか言うのは平気
>年齢は35歳未満で 10歳も離れてると話あわなそうだけど自分が30歳なら気にしないと思う
>貯金は500万円以上あって 別にその貯金が私のお金になるわけじゃないと思うんだけどどういうことだろう。私は100万位しかないし。
>自家用車持ってて 都会暮らしなら維持費とか駐車場代考えたらむしろいらないと思う。田舎なら必須だけど。
>次男か三男で 逆に末っ子って親に溺愛されてそうで嫌だなーとは思うけど長男だから云々ってイマドキ重要か?
おかしい。
メンヘルばかりがよってくる。
普通の人だと思ってたんだがなー。
リスカ、アムカ、ボーダー、過食嘔吐、自己愛、躁鬱、パニック、糖質等々
俺はSAD(人見知りの激しいやつ)で少し薬を飲んでいた事はあるが、それ以外はいたってまともなんだけどなぁ。
共依存の気質があると言われたが、これは長男に生まれて妹たちの世話をしていたのが原因なのだが。
「(自分たちのような)末っ子は、甘えさせてくれる人を本能で見抜ける」
といわれた事がある(そして実際よく甘えられてる)が、同じようにメンヘルに本能で何かしら見抜かれているんだろうか。
昔婚活パーティーで粘着された糖失も「見た瞬間から決めてた」とわけのわからんことを言われたし。
お嫁さん欲しい。
自分は第一子。6歳離れた弟が一人いる。これまで初見の人に第一子と当てられることが多かった。理由を問うと「我慢強い」とか「面倒見が良い」とか「気を遣うから」とか言われることがほとんどで,自分が抱いていた第一子に対する印象とも一致していた。
が,先日知人に新しい指摘を受けた。「第一子は大人(というか年長者)を利用するのがうまい」とのこと。
その人曰く,「第一子は大人と接する時間が長いし,それに初めての子だから大人の愛情を(良くも悪くも)一身に受けて,関係度も濃密。大人の事をよく知る機会に恵まれて,ゆえに大人に甘えたり頼み事をしたりするのが上手になる」とのこと。
その人は末っ子。末っ子の方が大人の愛情を一身に受けて,甘えやすいのではないのか,と聞くと,「末っ子は特に求めなくても愛情がもらえる。第一子は求めれば自分が欲しい分だけ,きっかり丁度の愛情がもらえる」との返事。
「でも,大人は子供に頼ってもらうのは嬉しがる事が多いから,大人を上手にコントロールする第一子のスキルは大切だと思う」とも言われた。能動の愛情と受動の愛情,ってことですかね。目から鱗の指摘でした。
あと,兄弟の中で年長の者は両親が元気なうちに家を出ていけるが,年少者は老いてゆく両親との付き合いが長くなり苦労する,とも指摘された。その通りだと思う。今は自分も弟も家を出てしまって滅多に会う機会はないが,今度弟に会ったら姉貴の事をどう思っていたか聞いてみようと思う。
受験シーズンだなーとか思い出したから少し自分の大学受験のときのことを。
正直早稲田は確実に落ちると思ってて、マーチ辺りに入れたら御の字だと思ってたら合格した。
入院してたおじいちゃんに大学に合格したことを伝えたら、涙を流してくれた。
11月に脳梗塞?で倒れて、体の半分が動かなくなって声も出なくなってしまった。
声にならない声で、顔の前で4を表した手を出しながら「4年制か」と言っていた。
というのもうちのおじいちゃんは小卒。
おじいちゃんは5人兄弟の下から2番目で、小学校を卒業したら働きに出た。
小卒で働きに出るといっても、住み込みで住んでた部屋はとても汚くて、畳の上で寝たら痒くてたまらなくなるそんな部屋だった。
ちなみに軍隊ではお偉いさんのカバン持ちみたいなとこで体より頭を使っていたとか。
小卒だったけど頭は切れたおじいちゃんだった。
それから商売を始めた。
今でもこの商売を続けていて、うちの家族は生活している。
でも色んな人と話してる中で学歴を気にするようになった。
「小卒ということで悔しい思いをしたことはいっぱいあったと思う」と母親がいつだか話してくれた。
そんな悔しい経験があったからか、教育にはお金をかけてくれた。
自分の子どもは四年制大学には入れなかったけど、孫の俺らにも同じようにかけてくれた。
塾とか習い事とかは頼めば行かせてくれた。
(自営業から引退してなかったからうちの家計はある意味おじいちゃんに握られていたのね。)
そんで俺の話になるんだけど、俺は4人兄弟の末っ子ってこともあり一番可愛がってもらった。
高校受験で地域のトップ校に入れたことを言ったらおじいちゃんはちょっと誇らしそうだった姿は印象に残ってる。
そして大学受験。
そんな経緯があっての、おじいちゃんの涙。
おじいちゃんは俺が大学に入ってほどなくして息を引き取った。
勉強したくてもできなかったこと、それで悔しい思いをしていたこと。
勉強することで人を喜ばすことも出来るんだと思った。
兄弟4人、奨学金をもらうことなく4年制の大学を卒業出来そうなのはおじいちゃんのおかげです。
俺も子供に対して、したいと思ったことをさせてあげられるようになりたいと素直に思った。
駄文でスマソ
おれの親父は高校を出てから20年東京にいた。これは11歳のときに聞いた話だけどバツイチらしい。九州に転勤するにあたってオカンとお見合い結婚。地元郊外に家を建てた。ただ、同じ九州といっても通勤できる距離ではなく、ほぼ単身赴任のような状況で、親父は週末しか家にいなかった。そんな状況で二つ年上の姉が生まれ、おれが生まれ、三つ年下の妹が生まれた。
家にはオカンと子供3人。何があったのかは知らないけど、オカンは何度も子育てが嫌になって、精神的におかしい時期があったらしい。そんな状況でもオカンは3人を育ててくれた。その点、オカンには本当に感謝してる。んで、親父はたまに家に帰ってくると、主に姉をかまって、オカンはといえば、末っ子の妹の面倒につきっきりだった。おれの遊び相手は、4歳のときに親父が家に持ち帰ってきたパソコンだった。
おれは、パソコンのことだけ考えながら小学校に進んだ。小6のときに胸倉掴まれて、「そんなんだから友達もできないんだよ!!」と親父に言われたけど、おれ自身は友達がいると自分で思ってた。パソコンじゃなく生身の人間の友達がいると。今思えば、あんなのは友達じゃなくて、本当の友達はパソコンだったんだろうな。認めたくない事実だけど。
県立高校の附属中学に入った。無勉で試験に合格した。最初の実力テストも上位2割に入れた。でもおれにはやる気なんて1ミリもなく、家に帰ったらネット上のコミュニティに入り浸ってた。
違和感は小学校高学年の頃からすでにあった。学校生活でうまくいかない。でもおれは勉強はできるし、これからの時代に必要なパソコンも人並み以上に触れる。だから大丈夫だ。中学に入れば、おれを本当にわかってくれるやつがたくさんいるはずだ。と思っていた。しかし現実は違った。周りが敵にしか見えなかった。なんで初対面のやつらに笑われなきゃいけないんだ。そう思っておれは入学二日目に、地元の中学に転校しますと言って学校を休んだ。親父が単身赴任先から飛んできた。「なんで転校するんだ」「学校いけばなんとかなる」伯母さんにも説教された。「アンタねえもうちょっと子供らしくしたらどうなの」
まあ、それから、けっこう回り道をしたと思う。なんだかんだで転校はしなかったけど、休む癖がついて、パソコンを夜遅くまで触って学校に行ったり行かなかったりを繰り返した。中2の学園祭で映像制作をしたのがきっかけで、周りの見る目も変わってきた。しかし違和感が残る。
中3になった。相変わらずパソコンが拠り所な、おれ。卒業記念のDVDをおれが作ることになっていたから、おれはそれしかすることがないって思ってた。んで、夜パソコンして、朝寝て、昼から学校。みたいなライフスタイルが学校で許容されてきたような気がしてた。でもなんか、かわいそうなものを見る目というか、なんというか。
だんだん、それについて思うようになった。生きた心地がしなかった。蓋をあけてみると、おれはチビなのにおっさんくさいし、パソコンばっかりやってて、勉強もろくにできないクソ野郎。そして気づいてしまった。自分が今までやってきたことは、しょうもないことだったと。自分は今までパソコンに支配されてきたと。そう思ったのが正月だった。
規則正しい生活をしよう。高校から運動系の部活をしようと思う。勉強もやろう。生身の友達をたくさんつくろう。人に評価される人間になろう。高校から第二の人生のスタートだ。今までおれを馬鹿にしてきたやつらを見返してやる。志望は東大文一。弁護士にでもなろうか。
そう思いつつ、今日も昼に起きた。学校行きたくないけど、卒業DVD作らなきゃいけないから、放課後に登校。女子にdisられた。そりゃそうだけどさ。どうせみんな、夜遅くまでネトゲやってたと思ってんだろうな。昨日、24時に寝たのに。どうしたら朝学校に起きられるんだろう。やっぱりまだパソコンに頼りっきりなのかな。パソコンとかを一切絶って、学校生活に全力を注ごうか。
おれはこの中学3年間を通して教育の必要性を痛感した。おれが子供をつくったら人間らしく育ててやりたいと思う。
まあ自分語りはここらへんにしとこう。
http://anond.hatelabo.jp/20101017084726
の続き。
泣いてるっちゅうか、よっぽど俺、怖い顔してんのかな、ガクブルしてる弟を見ながら、タバコをもう何本か吸いきった。
何かしゃべったら、うっかりひどいことを言ってしまいそうだったから。
ああ、そういえばそんなことがあったなあ、てそんな時に昔のことを思い出してしまうもんだ。中学生だった俺と、姉を前にして、両親が対面に坐っていて、お袋が「実はお母さん、子供が出来ました」と言った時、ついうっかり、「誰の子?」って言ってしまって、お袋は「お父さんの子に決まってるでしょ!」と激怒したなあ。
あの時、お袋の腹の中にいた子がねえ。大きくなったというかなんというか。
家族みんなでつい甘やかしてしまったよ。俺なんか子供の時はゲームソフトとか買って貰えるのって誕生日とクリスマス、しかも12月23日生まれなんでしょっちゅうイエス様と合同誕生日にされてしまって、泣いた夜さえ、笑い話になるものさ、サチコ。
ゆうくん(弟、仮名)何か欲しいものない?お父さんが、お母さんが、お姉ちゃんが、兄ちゃんが買ってあげるよ、ってのはまだしも当たり前だとしても、叔父叔母の類までがさ、自分とこの子は憎らしい反抗期の最中、弟は可愛い盛りだったもんで、何か買ってあげずにはいられなかったんで、弟は我が家一の物持ちだったよ。
そのわりには優しく素直に育ってくれて、人が嫌がることは絶対にしない。俺はするけどね。
あれは弟が5歳くらいだったかなあ、トランプを組み合わせてタワーを作る遊びね、あれを教えてやったら一日中もくもくとやってんの。で、「兄ちゃんできたよー」ってニコニコしながら俺をひっぱってってタワーを見せてくれたんだけど、俺がフーッって息を吹きかけたらはらはらと倒れちゃって、弟、号泣ですよ。あはは、可愛かったなあ。
「兄ちゃんのばかー、だいきらいー」
って(当然言うわな)、言ったそばから、「ゆうに嫌われた・・・」って落ち込んだ俺を見て心配そうな顔になって、「だって兄ちゃんいじわるするもん」って正当性を主張するも、「兄ちゃん、ゆうのこと大好きなのに。世界で一番好きなのに。ゆうは兄ちゃんのこと嫌いなんだ・・・」って俺が言ったら「僕も兄ちゃんしゅき」って態度をひるがえして、ふたりでダハーッと笑いあったあの日。
嫌いになんてなれないよ。
ただ、いろいろと。なんとかならんもんかと。
なんとかなるくらいなら、親兄弟を困惑させたり苦しめるような真似を弟がわざわざするはずがない。
もちろん、こういう問題で、困惑する方が偏見もちだってのは分かってるけど、さて、身内のことになったら、こうも困ってしまうものなのか。
そして思い出した。
何年か前、俺一人で実家に行った時、居間でこたつに入って、母と俺と弟とで、テレビを見てたのね。おすぎとピーコが出ていて、面白いことを言って、俺たちもひとしきり笑った後、お袋が言ったんだ。
「でも、この人たちの親御さんもお気の毒よね。息子さんがふたりともこんな風だなんて。お母さんだったら耐えらないわ」
別におすぎとピーコのファンじゃないけど、たまたま「ピーコ伝」を読んだばかりだったこともあって、カチンときたんだよ、その言い方に。
「それって、すごい失礼な言い方だよね、おすぎとピーコにもそのお母さんにも。おすぎとピーコ、すっごい親孝行だよ。こないだ本にそう書いてあったし」
お袋はまたこいつは、みたいな目で俺を見て、
「もう、あんたはいつも説教ばっかり。あんたに言ってないんだからいいじゃない。ゆうに言ってんの。あんた、さっさと帰りなさいよ。晩御飯、用意してあげないからね」
弟はいつものように心配そうな顔をしてたけど、あれをどんな気持ちで聞いていたのかな。
お袋、おすぎとピーコのお母さんの半分の気持ちはもうすぐ味わうことになりそうだよ。
「そう簡単にはいかないぞ」
と俺は弟に言った。
「年寄りはなかなか自分の価値観を変えないし、変える時は相当な苦痛だと思う。それでも、打ち明ける気なんだな?」
弟はうなづいた。
「もう、浩介(弟の彼氏、仮名)に嘘をつかせたくないし、それに、近いうちに俺、家を出て、浩介と暮らしたい」
えっ? それはどうかなあ。末っ子の弟が出て行って、老夫婦ふたりきり、むちゃくちゃさみしいでしょ。さみしさが浩介(もう面倒くさいんで呼び捨て)への敵意に変わってしまいそうだなあ。
「まあ、それはちょっと待て。ひとつひとつ考えてみよう。な。親父はなんとかなるかもしれん。つかなんとかなるだろう。ただお袋はな、そう簡単にはいそうですかとはいかないと思うよ」
「兄ちゃんはどうなの?」
「どうって・・・」
「俺のこと、嫌いになった?」
馬鹿だなあって思う。こんなことで嫌いになるなら最初から兄ちゃんやってないよ。でも、不安にさせたのは俺だな。
何十年かぶりに、弟をぎゅっと抱きかかえた。でも、でもな。
いろんなこと考えてしまうんだよ。俺の奥さんはなんていうかとか。俺の奥さんが(わりあい保守的な人だ)、おまえのことを蔑む感情を持ってしまったら、俺はどうしたらいいんだ?
姉ちゃんはなんていうだろう。甥っ子、姪っ子は受け入れられるだろうか。
甥っ子、姪っ子の将来の触りにおまえがなってしまうんじゃないだろうか。
そんなことを、こうしておまえをぎゅっと抱きしめていても、俺は考えてしまうんだよ。
釣り無し、マジ話です。
こないだ、俺の恋人に会ってくれって、弟から電話があって、それじゃあ、お会いしましょうかって、休日に連れ立って家に来ることになったんですよ。
母、父と同年齢、専業主婦。
姉、バツイチ。息子と娘を抱えてシングルマザーとして奮闘中(実家近くのマンション在住)。
俺、既婚者、子無し、電力会社勤務。実家の近くのマンション在住。
こう書くとごくふつうの家族みたいだが、俺と弟は年齢は12歳離れている。そこはちょっと珍しいかも(ちなみに同じ両親から生まれた100%の兄弟姉妹です)。
弟からそういう連絡があったとき、ちょっと嫌な予感はしていた。だって、彼女を紹介するなら、普通、まず実家に連れて行くじゃん。別世帯の兄に最初に会わせようとはしないでしょ。
「できればまずは兄ちゃんひとりで会って欲しい」
ということだったんで、平日にそれぞれ有給をとって、うちの奥さんがいない時にうちで会うことになった。
うちの両親は平凡な地方人で、それはつまり悪意ないまま偏見まるだしな部分があるってこと。
俺はわりあい、戦うリベラルだから、親のそういう部分にも意見してきたのね。
弟は可愛がられるばかりの末っ子で、よく考えれば反抗期もなかったような大人しい子で、親であれ誰であれ、歯向かうとか、全否定するとか、そういうことは一切しない。俺と親父やお袋が喧嘩するのをいつもはらはらした顔で心配そうに見ているだけ。
でもまあ、そういうわけで、俺はきっちりかっちり主張するタイプの人間だから、俺を介して、弟は親に何か言って欲しいことがあるんだろうなあって思っていた。たとえば彼女が外国人とか。親が反対するような事情を何か持っているとか。
そうしたらさ、連れてきた子が男だった。想定外。
弟の高校のときからの親友で、ずっとそういうことだったらしい。
「俺たち結婚は出来ないけど、付き合っていることを家族に認めて欲しいんだ」
もう俺は頭の中がぐるぐるよ。何を言ったらいいのか。その子は以前、俺も実家で会ったことがあって、ちょっと事情がある家庭で育っていて、高校生のときから安アパートに一人暮らしをしていた。うちのお袋とかさ、母性本能刺激されまくりでさ、飯もさんざん食わせたし、いろいろと世話も焼いた。
そのお返しがこれか?
表情がね、みるみるこわばっていくのが自分でもわかるの。弟はさ、家族の中で一番俺が話せるって見込んでうちあけてくれたわけだけど、どう考えても茨の道だよ。高齢の両親がね、これを聞いたら卒倒するってこともね、どうしたらいいんだよこれ、って感じ。
よくよく考えたらさ、うちの弟は超がつくくらいイケメンで(俺とは大違い)、むちゃくちゃもててきたんだけど、浮いた話がこれまでまったく無かったのね。俺もさ、中高生の頃、付き合っていた彼女をいちいち親に紹介したりはしなかったから、俺の目に付かないだけで、それなりによろしくやってんだろうくらいに思ってたんだよ、これまでは。
ああ、ってそれで分かったんだ。たぶん最初に好きになったのは弟の方。でも、やっぱり弟は責められないんだよね。身内の勝手でさ、怒りは相手の男に向けられてしまう。
うちの弟をこんなことにしてくれて、いったいてめーどうしてくれんだよ、って気分。
リビングで吸うのを奥さんに禁じられてんだけどさ、タバコを一服して、やっと搾り出した言葉は、
「ごめん、弟と話し合いたいから、君、帰ってくれない?」
だった。
弟はもう泣いちゃってたけど、恋人くんは分かりましたと言って、立ち上がった。
「でも、俺、絶対こいつのこと諦めませんから」
知り合いの知り合いの知り合いの(中略)の話であってあくまで僕の職場の話ではないのだが、とある職場に非常に有能な50歳くらいの女性社員がいたとしよう。いたとしたんだよ。その女性社員は、人とのコミュニケーションスキルが非常に高く、物事の理解も早く、またここぞというときに絶対に折れないだけの強さを持つ。しかし雰囲気としては女性的で、いってみれば職場のお母さん的存在といっていい。というより昔扇子持ってお立ち台で踊ってた雰囲気がやたら濃厚にするんだけど、あれ隠せてない。まあ知り合いの知り合いの遠い知り合いの職場の話だが。
そんな彼女の娘さんが、学生アルバイトのいない時期だけ臨時で職場に入ってくることになった。「あの人」の娘さんということで、職場の面々は興味津々で待った。女性社員いわく「鍛えてあるつもりなんだけどね。おっとりしてるところもあるから、がんがんこき使ってやってよ」とのことだ。娘さんは大学生。ふだんは遠い場所で寮暮らしをしている。
そして当日。確かに口数がそんな多いほうではないけれど、娘さんはよく働いた。これが臨時の戦力だなんてもったいないくらいだ。
しかし娘さんの真価があらわれたのは、別のときだった。その職場に、外人さんが来た。英語しか話せない人のようだ。なにか質問しようとしているのだが、だれも言葉を理解できない。そこに通りがかった娘さんは、その状況に気づくと、なにごともなかったかのようにネイティブ顔負けの発音で応対しはじめた。職場はパニックだ。「たいへんだ! 英語だ!」「日本語じゃない言葉しゃべってる!」「なんかrが来てる!」落ち着け純日本人ども。「時給500円アップ!!!」俺も落ち着け。まあ知り合いの知り合いの親戚の幼なじみの話だが。
「あ、そういえば妹さん二人いたよね。妹さんたちも?」
「ええ、みんな」
すげえ。英語三姉妹だ(まだ落ち着いてない)。長女がおっとりだった場合、末っ子はわがままだったりするのか。最近あんまり三姉妹設定の作品を見ない気がする。
姉妹3人揃って英語ぺらぺら。そういえば下の娘さんは、なんかこう、この地域ではまず行く人のいない進学校に入ったと聞く。
別の機会を探して主任は聞いてみた。
「職場だけでお母さん見てると、家でのあの人って想像がつかないんだけど、どんな感じ?」
「いつでもあんな感じですよ。あ、でも怒ると怖いかな」
「なんとなくわかる気がする……。どんなお説教すんの? 俺はいつもしっかりしなさいよ!って叱られてるんだけど」
「お母さん……店でもやってるんですか……」
「やってるやってる」
「負けるの嫌いなんですよね。負けるな、逃げるな、って。それはよく言ってます」
ああ。
娘さんの隙がない化粧。おっとりはしていても、わからない仕事があると食らいついてくる負けず嫌いの感じ。物怖じしない雰囲気。姉妹すべてに短期とはいえ留学の経験があること。英語が日常会話レベルでまったく問題なく話せること。そしてこの教育方針。「教育はねえ、お金かかるから」という母の言葉。
勝てる人間を作ろうとしているのだと思った。娘さんの母親は、おそらく50年の人生のなかで、ずっと勝ち続けるべく努力をしてきた人で、その戦いのなかで「効率のよい」戦いかたを知ったのだろう。
実は、個性的で強い自我を持つ母親のもとで育った娘ならば、もうちょっと抑圧された雰囲気なんじゃないかな、と事前に主任は思っていたらしい。しかし抑圧されて人のいうことに従うようでは「勝てる」人間にはならない。そこまで含めて女性社員は娘たちを育てたのだろう。独立していけるように。社会のなかで生きていけるように。
まったく、正しい。非の打ちどころが見当たらない。
しかし主任は思ったらしい。それでいいんだろうか。
主任の人は非常に育ちが悪く、人格もなんか変なふうに歪んでいて、歪んだ状態からどうやったら生き残れるかを考えてきたような人で、その結果としての現在には特に不満がない。しかしどこかでは恨みのようなものを持っている。その恨みが、主任の視点を歪めるのだ。まっすぐに育ってきて、負けたら戦ってでも勝ちに行き、努力を続け、明るい場所で笑っているような存在に対して。
なにが幸福かなんて、まったくもってどうしようもないほど主観的なもので、巨万の富のなかで懊悩に苦しんでいる人もいれば、明日をもわからぬ境遇のまんなかで爆笑しているような人だってきっといる。娘さんは、おそらく初期条件において恵まれているだろうが、そのことが彼女の未来を永遠に保証するものでもない。現在はそれなりに幸福である主任が、彼女に対して複雑な感情を持つ理由などまったくないはずだ。
その主任とこのあいだ酒を飲んだ。
「わかっちゃいるんだけどね。初期条件の違いってのはでけえなあ、ってな」
「まあ、そうかもね」
「まともな学歴なんか持ってなくても、まちがいなく仕事できるヤツってのはいるわけよ。だけど、どこかに限界がある。その限界ってのは、数字に暗かったりとか、それこそ英語しゃべれねえとか、立ち居振る舞いとかさ、まあいろいろなんだけども、親がどれだけしっかりしてるかによって、子供の限界が決まるってのは、あるんだろうなあ……ってな……」
「例外だってあるだろ。たくさん」
「そりゃあるさ。だが、例外が全体を保証するわけでもあるまいよ。スタート地点が違うってのは、でけえんだよ」
「おまえ、それグチか?」
「ああ……そうだ。グチだグチ。わかってんだけど……ままならねえなあ、こういうのは」
主任がそうした感情を表に出すような人間でないことは、大急ぎでつけくわえておく。
幸福とはなんであるか、という問いに対して一律の答えが出せないことと同じように、このエピソードに結論はない。知り合いの知り合いの妹の幼なじみのお兄ちゃんの話だ。僕の話ではない。
もっとも、たぶん僕の話でもあるのだろう。
ヘット・ドルプの何人かの住人と,性について本音で語り合った彼は,セックスの時には「健常な体をしている自分」を無意識に想像しているという自己欺瞞に気づく.その晩,彼は,自室に戻り,上体ばかりが発達し下肢が未発達の「サルのような自分」の裸身を鏡に写し,その姿を見つめながら自慰をする.その時彼ははじめて本当の性の喜びを感じ,それこそが,本当の自分だと実感するのである.
私の幼なじみの間ではそれほど特別なことではありませんでしたが,ゾラ家にとっては,ハーバードの大学院まで進んだ私は大したものでした.私の父は10人兄弟の末っ子でしたが,親戚の中で大学に進学した者は私のほかに2人しかいませんでした.ウェストエンドの調査に私が参加したことは,そんなゾラ家にちょっとした波風をたてることになりました.母は,長年そこから抜け出したいと切望していた下流階級の暮らしに息子が「潜伏」するという研究には困惑していたようです.一方,父は大喜びでした.父は,私が大人になってからは,初めて私と一緒に行動する機会を得た上,父の得意な技能を私に伝えることができたからです.父はたいそう自慢気に,私をビリヤード屋に連れて行き,「ハーバード大学教授」の息子にエイトボールやローテーションの技を教えてやるんだと吹聴していました.加えて父は,私にバーでの俗語やふるまい方を教えて,ギャンブルの手ほどきをしました.これには母はすっかり狼狽してしまい,私の研究については一切聞きたくないと言って,子どもの頃以来私に言いつづけていた「勉強はどうなの?」というセリフを初めて言わなくなりました.(中略)こうして私は,見たり感じたり聞いたりといった五感を用いるだけでなく,伝統的な参与観察では言及されることのない調査者の出自という「私自身」の一部を調査に役立てることができました.ドチェスター地区やマタパン地区の労働者階級のユダヤ人家庭に育ち,数年間工場で肉体労働をしたことがあるポリオの少年という私の出自は,たんにウェストエンドの仲間内の会話の種になっただけでなく,私の研究に直接影響を与えました.(中略)そして,ウェストエンドに始まり,ヘット・ドルプではっきりした事実とは,愛情あふれるユダヤ人の両親によって社会化されたこと,私が受けた教育,および,ポリオとその後の交通事故による障害を「克服」するためのすべての努力は,実のところ「私自身」の一部を切り離し,遠ざけることだったのです.私は大学に行くまで自分が労働者階級であると考えたこともありませんでした.大学に行ってはじめて,ブルーカラーの父をもつのは自分だけだと気づいたのです。(Zola, Irving Kenneth "Missing Pieces: A Chronicle of Living With a Disability" 1982)
もう30近いのにお盆が具体的に何をする日なのかわからない。
周りにもきくにきけない。
父親は勘当されてる。
母親は農家の末っ子で拾われてきた子と言われつづけて姉妹からもはぶられていて、まだ10代の頃逃げ出すようにかけおちして結婚した。
俺が小学校の頃に母親と二人でこっそり墓参りに行ったら見つかって「何をしに来たんだ帰れ」といわれたくらい親族に嫌われてる。
そんな俺はお年玉もまともに貰った事が無いし親戚づきあいというやつの経験が無い。
だからお盆が具体的に何をする日なのかわからない。
うちの墓がどこにあるのかも知らん。
当然お盆になにかしたという経験もあの恐ろしい叔父に追い返されたガキの時の記憶以外にない。
今後のために墓の事とか調べておきたいけどどうしたものだろう。
あなたと同い年(多分)の弟がいるけど、年上の女に養ってもらってるってのがまんま同じだわw
最初の文章からしか増田や相手、相手ご家族のことは読み取っていないので、念のため。
というのがキーになるのではなかろうか。
自分たちと同質のものはOK、だけど違う異質のものは受け入れられない的な。
「金髪でロッカーくずれのフリーター」とか「熱心な新興宗教信者」とか
だったとしても、お父さんは反対したんじゃない?
それがたまたま増田の場合は「外国人の血が入っている」ことだっただけ。
「外国人の血」が問題なんじゃなくて、「自分たちと違う異質」が問題。
それを、外国人だから! 差別! ってヒートアップしちゃってるように見える。
ずいぶんと親を見くびった「重要なこと」だこと。
内面性は評価する、でもその中の異質なところが受け付けられない、だったらどうするの?
増田は日本人だと言いながら「中国人の私」とか言ってるし、言動一致してないよね。
国籍とか血が云々以前に問題なんじゃない?
そういうところに「違い」を感じて、やっぱり外国の血が入っている人とは考え方とか違って
だめなのかも、って思われてたらどうします?
確かに血統よりも育ち方だと思うけれども、実際この反応見てると血統もあるのかなぁと思っちゃう。
親世代が異質なものを拒む環境で、はたして増田はうまくやっていけるんだろうか。
増田に育てられるであろうその子供はうまくやっていけるんであろうか。
正直、危惧を抱いても仕方がないかなぁという印象を持ちます。
元増田です。
というか、元増田の内容は元嫁に送るつもりで書いた内容だったのですが、携帯のメールアドレスが変わっていたため
送信できず、増田にぶつけてしまった次第です。
調停は来週、ただし調停は「養育費増額の申し立て」で、差し押さえとは別、と相手方は思っているようです。
パートナーには「会社に差し押え請求きちゃった、てへ」くらいにしか伝えてません。
思い詰めているとは思っていないでしょうし、胎教にもよくないでしょうから…。
実際はいろいろ調べていくうちに半分取られると知り、戦慄とともに絶望しているところです。
実は、30過ぎて情けないのですが、両親に相談しに行ってました。
住宅ローンの保証人にもなってもらっているので、僕になにかあれば当然影響は受けると考えたためです。
結果、悟られて、叱られました。
トラバいただいた方のように、方法はまだあるのではないか?探るのがさきだろう?と。
とはいえ、命を絶つ以外に良い方法があるかは、分からないのですが…。
何らかの事情というのは、たしかにあります。
今の妻に懐いていた末っ子(当時4歳)を、誘拐まがい(保育園から連れて帰った)に相手方の親がつれていってしまい、
今の妻が「あきらめよう」と思ったことが、調停を受け入れた一番大きな原因です。
最初は、「あの人には引き取る資格はない」とつっぱねていたのですが。