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はてなキーワード: 末っ子とは

2009-07-26

一般的な家庭だと思うけど。

http://anond.hatelabo.jp/20090726130752

専業主婦で一人目の子なら、ごくごく当たり前だと思う。これが間をおかずに二人目が出来たりすると、愚痴ってるヒマもなくなって「私は赤ん坊奴隷かいっ」と叫びたくなるだろう。三人目になると「家庭にいるのが私の仕事」とでも思わないとやっていけなくなる、精神的に。

で、末っ子中学卒業して「やれやれ、ようやく自分時間を持てる」と思ったころには、あんなに熱心に誘ってきてた「元の会社」からも「今更」と冷たくあしらわれるようになり、誰でも雇ってくれるような近所のパートお茶を濁すことに。

で、挙句に夫が定年になって収入がガタンと減ったのに、今までと同じようにお金使ってたら「お前はお金稼いだことがないから無駄遣いできるんだ」なんて、お小言言ったりするんだよね。この手の男って。「男はえらい」感覚? やだやだ。

「あたしはあたしのキャリアが欲しいの」とはっきり言って、働きに出たほうがいいと思うよ。たぶん、先に行けば行くほど、息が詰まる感じがひどくなると思うよ。

2009-07-12

因果応報

きょうだいの一番上に生まれた。

両親はともに末っ子かそれに近い位置。

「一番上なんだから」と、自分のこと+きょうだいのことをやるのが当然!という環境だった。

今考えると、なんてダメ教育だったんだろうと思うけど。

「怒られたくないから」「ほめられたいから」こどもだった自分は健気になんでも頑張った。

しかしそれをほめられることはついになく、気付けば思春期受験、そして、大人になっていた。

自分の話を聞いて欲しかったら人の話をきけ、

優しくして欲しかったら優しくしろ、

とか、そんな風に厳しく言われてきて、それについては今でも納得している。

逆に言ってしまえば、

意地悪する相手に優しくする必要はない、と、思っている部分がある。

両親ともに、年を取り、きょうだいの半分は家を出た。

家にいる時間が長くなり、私たちこどもと接する機会や時間が増えた。

しかし、こどもといえども、もう大きくなってしまった。

私の話をこれっぽっちも聞かず、それでも聞いてくれとアピールすると、

①無視②うるさいと怒られる③殴られる のどれかだった。

のに、だ。

二人とも話しかけてくる。あれもこれも、と。

私は冷たく接する。

だってあのときあんなに冷たく接したじゃないか。

あのとき私はこどもだった。

両親以外に頼れる人も好きな人もいなかったのに。

唯一無二だった二人にあんな寂しいつらい思いをさせられてどれだけ悲しかったか。

そんなことなかったかのような、二人の現在

私は優しく接することができない。するつもりもない。

学費を出してくれたことには感謝している。

でも、それだけだ。

この二人は気付いているんだろうか。気付くのだろうか。

それとも、どんな風に接しても、こどもは大人になれば親を尊敬し面倒を見ると思っているのだろうか。

2009-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20090624234733

その人は優秀な姉達の後に生まれた末っ子で、「男子、かくあるべし」という圧力が非常に厳しい家に育っていた。

あー、なんか非モテっぽいねそれ。

ミソジニー非モテって、男は女より優秀でなくてはならないみたいな思い込みがあるから。

で、実際は世間の女より優秀でない自分劣等感感じまくってて、自分が女より上であることを見せ付けるために、女叩きまくってる。

まー、そこで女を叩くということ自体が的外れなんだけどな。

女叩いたところで、実際は全然女より上にはなれないどころか、ますます底辺に落ち込むだけなんだけど。

2009-06-24

処女厨だった彼は女性を恨んでいた

http://anond.hatelabo.jp/20090624232252

>本当に女に対する渇望がそれほどない人間なら、特に女を恨むことも無いという良い例だな。

ちょっとわかるなー。

昔付き合ったちょっとDV入った男が、すごい女性劣等感を持っている人だった。

そのせいで、付き合う相手(この場合私だがw)を支配したがっているのがひしひしと伝わってきた。

その人は優秀な姉達の後に生まれた末っ子で、「男子、かくあるべし」という圧力が非常に厳しい家に育っていた。

はっきり言ってリア充だったけど、ものすごい女性を恨んでいる人だった。

エロゲ萌えも大嫌いだったが、言っていることや、やっていることは、処女厨とまったく同じだった。

私が非処女じゃないことに、あからさまにがっかりした上、(がっかりなのがポイントだ。)

処女じゃなくても好きだよ」とか、微妙にズレたフォロー(?)をされた。

その人が処女厨かどうかは、エロゲ関係ないんだーと思ったね。

エロゲ処女厨の人は、エロゲ地雷を踏む前に、たいていは心の中に元々処女厨の要素を持ってて、それが地雷を踏むことで明らかになるんじゃね?推測だけど。

多分彼は、女性によってこてんぱんに傷つけられた経験があって、それをどうにかしたくてあがいてたんだろうと思う。

でも、そういう恨みを個人にぶつけられてもたいていは受け入れ切れないし、対象を間違えてるんだよね。

しかも、女性によってつけられた傷だから、女性によって癒されたいという渇望があって、

女性に求めるものが大きくなってる。

どうしようもなかった。

2009-04-15

勝手

俺の記念日電話してきて、自分が大変なこと、自分が聞いて欲しいことだけしゃべりまくって、そして泣いて、泣いたら疲れて眠くなって、眠くなったから寝るねっていって、おやすみっていって、電話が終わった。いやーほんと自分勝手だなーと思うけれど、そんなもんかな末っ子だしって思う気持ちもある。俺が長男だからかな。まあ何でもいいけど頑張ってきてくれ。祈ってるぜ。

2009-03-30

結局人間って親だよね、親の育て方だよね。

母は子供のような人で、誰かに依存しないと生きていけない弱い人間です。

母は18歳の時に前の父と知り合い、少し年齢は離れていても金持ちだったので

結婚したそうです。(母が酔っ払ったときに暴露された)

父は私が6歳のときに殺され、それから母は仕事と嘘をつき夜中に恋人の所へ出かけていく日が

今の父が来る時まで続きました。

母は父が残した遺産と、祖父から私たちの養育費として大金を貰ったので

お金には困らず、貧乏な家庭で育った母はとてつもない浪費ばかりしていました。

ベンツを買い、家庭で着る洋服は全てブランド品、豪華な食べ物、好きでもない習い事を毎日強制的にやらされていました。

母は3人いる姉弟の中で、私だけにつらくあたり(虐待)、末っ子の弟だけを可愛がり、それが許せなくて

母に一番大事にされている弟を恨み、母が居ない間を見計らって

次女と一緒に嫌がらせをしたりするのが日課でした。

歪んだ価値観の親に育てられた私は、とても歪んでしまい、小学校でも浮いた存在になりました。

誰からも認められていなくて、自分の居場所がなくて、私は一生懸命人に認められようとしました。

間違った方向で。

その結果大コケ、はみだしモノになりました。

あの時は、「自分を認めない世界が悪い」と思い込んでいて、今思い返してみると胸が痛みます。

悪いのは世界じゃなくて自分なんだと気づいたのが中1の頃でした、気づくの遅いですね。

それから色々あって、今一緒に暮らしている父と出会って全てが変わりました。

結局人間って親で変わると思う、というか真っ白な赤ん坊に味付けするのが親や環境

私は13歳で親が変わったけど、それだけで激的に変化した。まじビフォーアフターって感じ。

2009-03-28

前進するためには。7

そろそろ自分の話。

とある地方都市に生まれる。

3人兄弟の末っ子

大きな病気にかかる。

処置が早くすぐ治る。

幼稚園時代。

運動の出来る子。

正月休みが明けて友達の名前が思い出せないという事があった。

原因は不明。

給食牡蠣フライがあたった子がいた。

もらいゲロ

以降牡蠣は無理。

たしか年長組の出し物で主役の一人だった。

昔の事過ぎてこの程度しか覚えてない。

__

http://anond.hatelabo.jp/20090324223741

2009-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20090323105433

先程の横増田です。

自慢するわけではなく背景事情としてですが、

両親とも、田舎の、かつては比較的裕福だった(らしい)家の出身ということもあってか、

それぞれの実家には、古い家、家具家財が、私の小さい頃まで残っていました。

なにより、(無礼な表現かもしれませんが)ゼロまで焼け出されなかったことが幸いしたのかもしれません。

それでも、広島某所の家ですので、原爆後遺症に対する得体の知れないデマ治療のために、

ずいぶんの家具家財を投げ打ったとも聞いています。

詐称抜きで、当方25歳ながら、オヤジは71歳で13人兄弟の末っ子です。

# そういや今日オヤジ誕生日だなぁ。

つい最近まで、オヤジは決して芋類を口にしませんでした。

オヤジ自身も、機銃掃射に追われたと聞きました。

オヤジの兄弟には、戦争から「石」で実家に帰って来た者もいます。

オヤジの兄弟には、シベリア捕虜から帰って来た者もいます。

ですので、元増田さんのお気持ちを全く察せないわけではないつもりです。

まったくの「いまの若い子」(私の同世代とも、私は少し違う見方のようです)は、

また違う視点から、見ていると思います。あくまでそういう背景の元で育った者の意見ということで。

2009-03-20

欲しい女性が全然いない

身近な女性母親ぐらい。エロ画像拾ってすぐ抜くのでエロ本AVも要らない。

アダルトサイトすら見ない。オカズも月数枚用意すれば十分。

合コンなんかも正直面倒なだけ。

一緒に遊ぶのは男友達で十分だし、話相手も会社の同僚で十分。

ネットがあればキャバクラソープも行く必要ない。

末っ子だから結婚なんて全く必要なし。彼女すら持つ気がない。

たまに断りきれないと思ってお見合いをしても、

「必要ない、最終的に険悪になる、従って時間と労力の無駄

と感じてしまう。

以前上司と話したことあるが、

「なんで彼女とか作らないの?」

「必要ないからです」

「欲しくなるだろ?」

「必要ないから欲しくならないんですが、むしろなぜ彼女を作るんですか?」

「必要なくたってデートしたいとか思うだろ」

「必要ない物を欲しいと思うのが理解できません」

「それで楽しいか?」

楽しいわけではありませんが、不要な人といると不快では?」

「そうかもしれないけど、女と遊ぶと楽しくないか?」

「むしろ、セックス苦痛になりますし」

「そうか」

世代の違いなのかなあ。

お互いに相手を不思議な奴だと思っただろうね。

http://anond.hatelabo.jp/20090320195508

2009-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20090226163707

末っ子結婚延期?真ん中の妹?お父ちゃん…?

増田が親世代なのか子世代なのかすらわからん。なんという悪文。

コピペ適当につなげた釣りじゃないなら、日本語能力をまともにするところから立て直そう。

りある貧乏

きついなぁ。

働いても働いても実家お金をとられるなぁ。必死に働いてやっと10万溜めたのになぁ。末っ子の入学資金に消えちゃうなぁ。

また結婚延期だなぁ。親に内緒社長から借りてる借金もまた返せないなぁ。

真ん中の妹は実家暮らしで稼ぎ頭だからもっとお金入れてるんだろうな、自分給料から。かわいそうだなぁ。

なんで末っ子は今年就職できなかったんだろうなぁ。たぶん、できなかったんじゃなくて、働きたくなかったんだろうなぁ。ひどいなぁ。

ひどいけど、私が高校生の時もそうだったしなぁ。責められないよなぁ。

父ちゃん仕事がもっとあればなぁ。私にもっと仕事する人としての価値があってお金が稼げればなぁ。もっと価値をあげなきゃなぁ。

でも働きすぎて、まだうつ病治ってないんだよなぁ。でも働かないとなぁ。

お金ほしいなぁ。

同世代のお金に余裕がある人が羨ましいなぁ。

きついなぁ。

2008-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20081124194753

http://anond.hatelabo.jp/20081124195007

左翼

サーセン

http://anond.hatelabo.jp/20081124195432

年収200万で子供希望と言う事は、家事子育て増田が主体となって行う予定という事でいいのかな。

よいです。ただあくまで共働きで、保育園に預ける方向がいいです。

仕事に関しては、同業の女性子どもを産んだ場合、仕事量を減らしてもやめはしない、という人が多いと思います。

http://anond.hatelabo.jp/20081124200633

>長女で末っ子はー?

下に弟か妹がいる人がいいです。

どうも一人っ子末っ子は合わない気がする。

2008-11-24

理想恋人

恋人に求める条件みたいなものってけっこう考えたりする。

実際恋愛をしたら条件なんてどうでもよくなるのはわかってるけど、こんな子いないかなーと妄想

でも自分ブログに書いたりはしない。条件に合わない人をはねるだけになるし。

男。30歳。イラストレーター年収は200万前後。持ち家なので一応やっていけるが将来は不安

結婚願望はそれなりにある。子どもは欲しいが実子でなくてもよい。

共働き前提、主婦願望がない

稼ぎがないのもあるけど、共働きが当然だとおもっているので。年収は高ければもちろん嬉しい。

好みの職種

医療、福祉、教育、保育、風俗などが好き。同業やライターデザイナーでも。

・土日が休みではない仕事

金曜の夜や土日に遊びに行くとかアホらしすぎるので。

・長女

自分末っ子なのと、今まで付き合った女性が全員長女なので。末っ子と聞くとそれだけで微妙に引く。

・オタ

ジャンルかぶりじゃなくても共通ジャンルが欲しい。

ライトノベルハードボイルドエロマンガ読み、TRPGなど。

マンガアニメジャンルが細分化していて難しいが、好みが重なった方がいい。

その他つらつら思いつくのは、

・酒が飲める

・食べることが好き

嫌煙者ではない

非処女

セックスが嫌いではない

・性に関する話題をタブー視しない

社会政治の話題に興味があり、右翼ではない

馬鹿じゃない

宗教を持っていない

巨乳

子どもが好き

書き出して思ったけど、右翼宗教はマジ勘弁だなー。

2008-10-27

女友達同士にもスキンシップ過剰なタイプってのがいる。

すぐ抱きついてきたり手触ってきたり頬触ってきたり腕組んできたり。

自分はその人間の中にも2種類あるように感じる。

・異性にも同じようにスキンシップ過多(無邪気な末っ子タイプ小悪魔タイプ)

・女限定(どちらかというとオタクっぽい傾向。これは私の偏見かも)

ってな感じ。もしアイスをすくったスプーン差し出してきても

前者普通に私にくれたあとも何事もなかったかのように食べ続け、

後者は「間接チュウ。」とかいってうふふと笑う。

前者タイプはあっけらとしてるから全然気にならないんだけど

後者タイプは一々主張してくるから少し苦手。

なんか知らんけど「私達、彼氏彼女みたいだねー」とか「やだ、○○は私の彼氏みたい??」とか言ってやたら彼氏面することを要求される。出会い頭にいきなり抱きついてきたり、

二の腕触ってきたり、隣に座ったら肩に頭乗せてきたり手の大きさ測りたがったり(大して

大きさ変わらないのに!)疲れてない時ならそんな気にならないが、一日の中にそういうのが続けて何人かいると少し気持ち悪い。大抵そういう人は彼氏がいない。で、処女(本人の話に拠ると)。だから擬似彼氏が欲しいんだろうなあと思うけど、レズりたいなら他当たってくれよと思ってしまう。あの子たち他の男の人にもああやってやってるのかなあ?

私の中ではやっぱり前者の方が可愛い。そりゃ男にもモテるぜ!ってなる。

意識してないか、意識してても見せないか知らんが、参考にしようと思えるくらい可愛い。

後者の子からは漫画的表現を要求されてる気がして気持ち悪いんだよなあ。

頬とか何もないのに突かれたり触られたりするの気持ち悪い

2008-10-14

酔った友達とお祭り騒ぎついでに初めて手相占いちうものを経験してみたら

貴方結婚するなら貴方が面倒を見る、つまり“長女的役割”に 

 なったらうまくいくわよー」

って言われたんだけどさ。何だそれ。私、相手の男の面倒見なきゃいけないの?

長女的役割ってつまり、お母ちゃんみたいなもんか?とも姉さん女房みたいな

思い当たるフシはないわけでもない。末っ子なので年上に恋をしがちだけどこれが大抵

上手くいかない。緊張しすぎて挙動不審になってうまいこともいえず甘えられない。

逆に年下の男とはもう超超盛り上がる。からかい甲斐もあるし。

しかし、年下の男には自分の悩みとか何にも打ち明けられないんだよなー。

こう、仕事の悩みとか家庭の悩みとかそういうの、言う気にならないというか。

普段の子供っぽい言動を諌めてる方としては、私の相談に乗れるキャパシティないよなって

思っちゃってつい年上に悩みを話しがち。

だから年下には明るい面しか見せてないんだよなって思う。

そんなんじゃ付き合うってのは無理だべさ?結婚なんてできんのかよーとも思う。

頼りに思える年下がいつか現れるんだろうか?

私が楽になるように「からかわせてあげてる」な年下。

…そんなのは既に彼女がいそうな気がするけどなー。

追記:

同年代は話の合う人(つまり私がいじってしまう)は年下扱いしてしまい、

快活で活発な人は上手に気を遣ってくれるのでつい萎縮して年上扱いしてしまいます

2008-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20080920141058

うわ、そういうのってやっぱりありふれた話なんだw

うちの場合ちょっと違うんだけど揉めてるのは同じで、じいちゃんの介護から何からカーチャン(3人きょうだい末っ子)がやってた。じいちゃんを看取って、いざ遺書を開いてみたら「カーチャン家には老後とても世話になったから、遺産の半分近くをカーチャンにやる」って書いてあって、ほかのきょうだいが「なんで3等分じゃないんだ!」と大騒ぎだよ。

家裁まで行ったあげく、最終的にはほぼ遺書通りになったけど、きょうだい関係は完全にぶっこわれた。

悲しいのは、じいちゃんの法事にほかの家はおばさんしか来ないこと。おじさんもいとこも一度も来ない。一回忌、三回忌、七回忌、十三回忌もどれも。自分の父親や祖父の法事なのに!

親より兄弟に文句を言うのは、やっぱいまそこに生きてる人からでしょ。

うちのケースでは、生前のじいちゃんが他家への根回し(遺産はあんまりあげられないヨの情報提供)に消極的だったのが原因かもしれない。あるいはおじさんが若くて仕事がうまくいってなかったころ、じいちゃんはたびたび資金を援助していたらしく、その感覚で「もっともらえるはず」と思いこんでるのも問題かもしれない。

じいちゃんの資産バブルですっかりやられて、何分の一にも減っていたのにね。

できれば、われわれ孫の世代はいとこどうし、うまくやっていきたいな。3きょうだいの誰かが死んだあたりから、関係改善を積極的に進めていきたい。

2008-09-14

いつまで経っても中2病

数年前に父が癌になった。転移もしていて手術は出来ない状況。

だけど見た目にはすごく健康で、定年した後も働いてもいるし、併発している糖尿の治療以外はいたって普通に生活している。

それは良い事だし、親には長生きして欲しい派な私としてはとても嬉しい事だ。

ただ父は精神的な部分ではなんとなく変化していて、だいぶ子供っぽくなった。

何かに当たったり、拗ねたり、ぷいっとどこかへ行ったり、昔からそういう所が無かった訳ではないけど、だいぶ顕著になってきたようだ。

私が子供の頃、親とは「絶対的な大人」という存在だったから寂しい。

定年になるかならないかの頃から「自分が今までやってきた仕事で誇りに思うこと」語りも多くなってきた。

まぁ、この語りは、私が社会人になった時にいくらか役に立ったが、同じことの繰り返しだから少々疲れてきた。

でもこのことに関しては帰省する度に聞いてあげようと思う。たぶん父の人生で一番の拠り所だから。(だからこそあんなに誇らしげに語るのだろう)

私は父親が不惑を過ぎてからの子供なので、よそから見ると相当可愛がられていた(る)ようだ。

実際私も父親が好きだし、思春期の頃に友人が「親父マジキモイ死ねばいいのに」という感情が良く理解できなかった。もしかしたらその頃の友人には「こいつファザコンwww」くらいは思われていたかもしれない。

(だが私は自他共に認める家族全員大好きっ子であり、ファザコンと言うよりはファミコンである事を補足しておこう。くにお君マジパネェwwww)

さて、問題なのは父の病気発覚後の母だ。

先ほど私が「帰省」という単語を使ったとおり、親元から離れて暮している。上の兄弟も同様なので、実家には両親しかいない。

母親は幼少期から家族運に恵まれず、だからこそ今の家では人一倍、夫にも子供にも尽くしてきた。今考えると過保護・過干渉な所があったようにも思う。

その母が、父親の病気が発覚してから、その過保護・過干渉を父に向けているのだ。

構われすぎて煙たがってる父と喧嘩になるくらいならまだ可愛いものだが、その度に私に連絡してきて

「オカーサン、疲れちゃった……」

と言ってくるからたまらない。

父の病気のこと、家族のことで人一倍真摯に悩んでいるのは母だが、昔から悩みすぎてスパークするとネガティブ精神攻撃か、逆ギレで当り散らして来るので本当に困る。(唯一の同性で、末っ子だから当たり易いんだろう)

ファミコンなので母の事も当然好きだが(普段は可愛いカーチャンなんだぜ!)、この時ばかりは本気で憎らしくなってくる。

ちなみに父は己の病の事なのに、しばしば食事に気をつけなかったり、変な市販薬買ってきて具合が悪くなってたりしている。こっちもこっちで殴り倒したくなる。

こちとら長生きいて欲しいんじゃい!私には爺さんいなかったから、おとんにはナイス爺さんになって欲しいんじゃい!

何度か

「カーチャン、おとん構いすぎて疲れてるんだよ。ちょっと距離置いたら?」

と伝えたのだが、

ダメダメっ・・!そんな事出来ないっ・・お父さんが、心配・・っ!」

と返されたのでもう何をかいわんや。

今日、どうしても人恋しくなってきて、ちょっと甘えたいなと実家電話したら夫婦喧嘩したらしくてネガティブ攻撃くらいました。

「もうお母さんにはお前しか、相談したり、頼ったり、甘えたり出来る人はいないの」

あぁーそれまんま今の私がしたかった事だわ。すげーな親子って、テレパシーじゃん?

・・・なんて思いつつ、抱きつく予定の腕は受け止めるための腕に変わったのでした。

もう社会人なんだから親に甘えるとかキメェ考え捨てろ。むしろ親に頼られる事を目指せって事なんだろうけど、なんだろうね、今日は珍しく本気で親に甘えたかったんだ。

あぁん。・゜・(ノД`)

2008-09-13

分類してみた

両親や周りの人間が与えてくれたものがあってこその自分だと認識していて、それに恥じない自分でいたいし、何らかの形でそれを返したいと考えている。

両親や周りの人間が与えてくれたものがあってこその自分だと認識しているが、もっと与えてもらうにはどうすればいいかと画策している。

両親や周りの人間が与えてくれたものがあってこその自分だと気が付いておらず、自分は自分の力だけでここまできたと思っている。

両親や周りの人間が与えてくれたものがあってこその自分だと認識しているが、そんなものは与えられて当然のことだと思っている。

2008-08-03

ばあちゃんと自転車


俺、老人苦手。

「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。

老人慣れしてるヤツってスゴイ。

電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。

年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。

敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。

胃が痛くなる。

親がいなくなると、話題ゼロ

田舎帰るの嫌い。

で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。

高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識

ところが、

去年、じいちゃんが死んだ。

葬式はさすがに帰省

正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。

ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。

それから一年

親父がいきなり

「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」

発言。

いやいやいやいや、ないないない。

とか、とても言えない。

親父曰く、ばあちゃんは、このところ体調を崩しがちで、入退院を繰り返していて、

一人で暮らしていくのは厳しいと医者から言われたらしい。

いや、うん、でも、えーと。

俺だけではなく、何となくどんよりとした空気家族に流れる。

誰も反対しなかったけど、なんかみんな歯切れが悪い。

母さんも「部屋をどうするの」とか「手すり」がどうとか、ネガティブ発言。

妹は「なんでウチなのー?お父さん末っ子なのにー」とか言って雷落ちる。

で、先月、ついにばあちゃんが福島から東京我が家に越してきた。

母さん余所行きの笑顔

妹、部屋から出てこない。

俺の部屋にじいちゃんの仏壇置かれる。夜怖い。

福島の家は売って、荷物もほとんど処分したみたいだけど、ばあちゃん、変な自転車持ってくる。六蔵って書いてある。

すげぇ古い。じいちゃんの形見っぽい自転車。錆びすぎ。ちょっと邪魔

そんな感じで、ギクシャクした生活が続く。

母さんと気の使い合い。

たまに作るばあちゃんの飯の味付けがイマイチ。出てくる料理も見慣れない。

家でリラックスできない。

ばあちゃんもばあちゃんで、あんまり喋らない。

2週間前のこと、うちにばあちゃん宛の手紙が来る。

入院してた病院看護婦さんかららしい。

その看護婦さんはじいちゃんが亡くなるときも立ち会った人みたいで、

手紙の内容は、まぁなんつーか、その時のことをつらつら。

じいちゃんの最期はとても感動的だったらしく、

ばあちゃんがじいちゃんの手を握りながら、

「もっと一緒に暮らしましょうよ。もっとお話しましょうよ。

 もっと私を怒ってくださいよ。もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

 死ぬときは一緒ですよ。もっと一緒にいたいですよ。ずっと一緒ですよ。」

と何度も何度も語りかけながら亡くなってたらしい。

10代で結婚し80年連れ添った二人に凄く感動した、という内容が9割で、

あと1割、新しい環境で元気にやっていますか?という手紙だった。

その日の夕方、ばあちゃんが我が家を震撼させる発言をした。

自転車の練習をしてみようと思うのだけど、ユウちゃん教えてくれる?」

ユウちゃんは、俺。

ばあちゃんは90オーバー

さすがに止めた。

ばあちゃん、自転車経験もちろんゼロ

先月まで、病院リハビリとかしてた人。

家族、総出で止めた。

全然、折れない。唯一の戦前生まれ。

朝には母さんが諦めたように「ユウちゃん頼むね、見てあげて」と言った。

あと、「絶対絶対絶対、ケガさせないでね!寝たきりなんかになったら、ほんとに困るからね!」と小声で念押し

その日から、近所の公園で俺とばあちゃんの不毛な特訓が始まる。

話なんて、そんなしたこともないから、黙々とやる。

敬語。目、合わせない感じ。

やや呆れ気味で、練習開始。

はっきり言って、全然乗れない。

足をペダルに乗せる段階から無理。

跨いでサドルに乗るとこまでに2日費やす。

ペダル漕ぐとか、全然別次元

二日間、俺はひたすら自転車がこけないように支え続けるのみ。

毎日帰り道、10分間のばあちゃんとの会話が苦痛。

「今、学校ではどんな勉強をしてるの?」

「ユウちゃんは昔から、算数がよくできたからねー」

そればっか。

じいちゃんの自転車がガコガコガコガコいう音ばかりが目立つ。

三日目にして、俺ギブアップ。

買い物行くのを理由に、帰りはじいちゃんの自転車に乗って、先に帰ってくる。

んで、気付いた。

サドル高すぎ。

油をさして、錆びだらけの自転車サドルを一番低くする。

翌日、どうにかこうにか、跨ることができる。

「ありがとね、ユウちゃん、ありがとね」

拝まれる。

でも90歳のバランス感覚は風前のともしび

漕ぐとか本当、別次元

なのに、めちゃくちゃのハンドルさばきで漕ごうとする。

俺、自転車支えるっていうより、抱えてる感じ。

全身筋肉痛

この頃になると、帰り道第二次世界大戦話。

空襲とかを家財道具を抱えて逃げまどった話とか聞くと、自転車くらい乗れる気がしてくる。

10日する頃には、どうにか漕いでる。

ただ後ろは支えてないと絶対無理レベル。ふらふらなんてもんじゃないドリフだ。

で、ある日、変な石に乗り上げちゃって、

支えてたけど、二人で転んでしまった。

ばあちゃんは思いっきり足と肘とこめかみの辺を擦り剥いた。

血が出てる。

死んだんじゃないかって本気で思った。

救急車呼ぼうかと思った。

ちっちゃい子どもが転ぶような微笑ましさは全くない。

俺、さすがにショック。

ばあちゃんも、とても怖かったようでショック。

家に帰って、母さんに一方的に怒られて、俺は思わず部屋で泣いた。

その日の夕飯、ばあちゃんが話す。

じいちゃんが病気になるまでずっと自転車で町内の牛乳配りをしてたこと。

それは割と町内でも有名で、手紙をくれた看護婦さんも、そんなじいちゃんをよく見てたこと。

六蔵さんの自転車の音がすると元気が出ると評判だったこと。

そんなじいちゃんの自転車に乗れるようになって「心配しないでね」って「みんなも元気で」って

町のみんなに手紙を書きたかった、と。

福島で生まれて、福島で生きてきた。

90年暮らした土地を離れて、人生の最後に、俺んちに来たばあちゃん。

「んだ、全然だめだったぁーって手紙書くからねー。ユウちゃんありがとねー」

と言う。

次の日、昨日言った通り、練習は無し。もう無し。

洗濯物を畳んでるばあちゃんに、何か言いたいけど、何も言えない。

すると夕方、親父がスゴイ勢いで帰ってくる。

「ユウ、庭でコレつけろ!ばあちゃん、自転車に補助輪つけっから!

 もう一回乗ってみろ!」

親父、補助輪買ってきた。

それを見て呆れた妹は、バレーの練習に使ってるサポーターをばあちゃんに渡した。

母さんの夕食のメニューがほとんどタンパク質中心になった。

バカ家族

それから、我が家では夕方になると、家族総出で公園

公園自転車の練習。

そしてついに昨日、俺が支えることなく、15メートルくらい漕ぐことができた。

それを見て興奮した母さんが、ダッシュで家に戻って、息を切らせて公園に戻ってきた。

ビデオ!お父さん、ビデオ!」つって。

で、まるで我が子の自転車デビューを撮影するかのように、

90歳のはじめての自転車を撮影。

公園の端から端。

「ばあちゃん、手離すよ!行け!」

ばあちゃんがカメラを持ってる親父のところまで、必死に自転車を漕ぐ。

ヨロヨロと。ガタガタと。でもまっすぐと。

「行けっ!行けっ!」

「いいぞっ!いいぞっ!」

ばあちゃんの後ろ姿に、声つまる。

親父の声も、裏返ってる。

20メートルくらい、新記録を漕いだ。

すげえ。すごい。すごい!

親父のカメラの前で半分こける感じで自転車を降りて、ばあちゃんはカメラの前にピースして大笑い。

俺は、ばあちゃんに何か言おうと駆け寄るけど、声にならなくて、

目を反らした先の自転車に書かれたじいちゃんの名前を見て、もう たまらなくなってしまった。

骨張って、角張って、マジックでしっかりと「六蔵」って書かれてた。

あの日、死んじゃったのは、この人なんだな。

なんで、死んじゃったんだよ、じいちゃん。

ばあちゃん、自転車乗っちゃったんだぞ、って。

その日、撮ったビデオは、家で再生すると、ブルブル震えすぎで、とても見れたもんじゃなかった。

親父、感動しすぎ。

もうスタートから、涙ぐんじゃって、ばあちゃん ぼやけて見えなかった、らしい。

仕方ないから、福島へは写真を送ることになった。

それからも ばあちゃんは、ちょっとした出先に六蔵自転車で行く。

もっと一緒に暮らしましょうよ。

もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

もっと一緒にいたいですよ。

ずっと一緒ですよ。

を体現してるみたいに。

就活における父親という存在

就活を考えなければいけない年になってしまった。

自分の就活には現時点で色々と問題があるのだが、そんななかでモヤモヤと引っかかることが一つある。

それは父親の存在である。

自分はずーっと好きなことをやって来た。

おかげで捨ててきたもの多い。だから決してオールマイティに何でも出来る、という人間とは程遠い。

だから就職においても、ある程度自分の強みを活かしたい、活かさないと無理かも、と考えている。

ただ、それはあまり現代社会的とは言えない分野だったりする。

どんな所に就活すればいいのか、そう考えると結局公務員だったり、ちょっとマイナー企業だったりする。

それでも良い気がするのだが、でも引っかかるのは父親である。

別に父親が反対しているとかではない。多分親は、俺みたいなタイプは無事就職してくれればそれで良いと思ってる。

ナニが引っかかるのか。

父親は大企業っつーか元財閥の、それも上の方の役職に就いてるんだ。

もともと結構土地を持ってる家だったりするし、正直怖すぎて年収とか聞けません。

だから何だといわれればそうなんだけど、やっぱり心のどこかで親を超えたいってのがある。

どんな軟弱系であっても、男にはそういうところが結構あると思うんだよね、俺しかり。

それに姉達も大企業就職していった。それが=人生を楽しんでいるかどうかは別問題だと思うが。

そういうのも末っ子とはいえ一応長男だったりするんで、やっぱ父親を超えるのは俺しかいないじゃん、とか思ったりする。

短い人生ながら"良い子"でいることが全てではないと思うし、自分にとって面白い人生を歩んだほうが、やっぱり幸せ人生だろうと思うようになった。

でもそんな面白い人生リスクハードルも高い。常に自分を高める自信なんか既にない。

そうすると世間的評価、収入の額面というのは安定した成功評価になる。そういう保険というのはすごく魅力的だ。

もし俺が父親の存在を丸無視した場合、おそらくある程度好きなことが出来て、標準的な生活は出来る程度のとこに就職するんだろう。

でもそんなんで良いのかなぁ、と。

父親みたく大企業に自力で就職して、バリバリ稼ぐなんて所業自分には想像も出来ない。

そうではなく自分の道を切り開き、自分の成功を勝ち取る。まだこっちの方が俺には近い。でも出来る自信が今はない。色々あってさ・・・。

なんでだよ。

なんで父さん、社長と一緒に行動してるのさ?その人、凄い人なんじゃないの?

なんでだよ。

なんで父さん、望めば縁故とか協力もするっていうのさ?

なんでだよ。

なんで超えたい壁がこんなに高いんだよ!

2008-07-09

雇用のときにきいちゃダメなことだらけなんだぜwww

血液型とか占いでもう採用するしかねえんだよ。日本雇用は。

マジやべぇ。日本終わりすぎ。

誰だかわからない人を形容するとき「どこの誰それ」というじゃない。

でもな、まず面接で「君どこの出身?」って聞いちゃだめなんだ。

意味ワカンネwww

ほら出身地で差別されることがあるから!

なんだソレ!

ま、出身地は部落の問題とかがあるからしょうがないのだろう。

まだそれくらいはわかってあげられる。

でもな、最近家族構成とかも聞いちゃダメなんだ。

一人っ子なのか兄弟いるのかがわかるだけで結構性格の基本的なところわかるだろ?

兄弟の兄なのか末っ子なのか・・・とか。

どんな家庭で育ったのかでそいつのキャラクターがわかるじゃないか。

続柄:父 サラリーマン

続柄:父 会社役員

続柄:父 農業

続柄:父 自由業

続柄:父 公務員

続柄:父 冒険旅行

どんな家庭で育ったかわかればそれに越したことはない。

でも、ほら母子家庭とかかもしれないからこれも聞いてはだめなんだと!

良家のぼっちゃんだけより好みされないように、親の学歴や収入、家の間取りとかも聞いちゃだめなんだ。

愛読書とかも思想にかかわることだから聞いちゃダメなんだぜwww

なんだそれ。

人となりを知りたくて面接するのに、個人情報なので質問できないとか、

もうね、いったいなんのための面接をするのかわかんねえよ。

そりゃ口利きだけで採用しろっちゅうようなもんだよな。

本人がもってくる情報だけで判断しろとか、

それで雇ったら本人辞めるいうまで辞めさせられないとか。

日本雇用まじやべぇ。

サラブレッド道産子馬とを走らせてみるまでわかんねぇっつうの。

2008-05-14

私は、偉大な母と、あんまり偉大でない父の間に生まれた。

子供の頃は逆だと思っていた。いくらか成長して、逆であるべきだと思った。成人してしばらくたって、事実を受けいれた。

母は今日も古い家を維持するためにせわしなく働いている。

私は頼りない性格の末っ子で、父に似ている。

父は退職後すっかり萎縮してしまって一日中下らないテレビを見ている。

父の老いを見ていると、かなしくなるものがある。しかし私は、精確に彼と同じように老いていくのだろうとも思う。

私は、偉大な母と、あんまり偉大でない父の間に生まれた。

しかしまあ、結局は、偉大であるかどうかなんて、どうでもいいのだ。

2008-04-02

はてなダイアリーキーワード松本人志のところに突っ込みたい。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%BE%CB%DC%BF%CD%BB%D6

松ちゃん』の愛称で人気のダウンタウンボケ

1963年9月8日兵庫県尼崎市出身。吉本興業所属。

B型左利き。3人兄弟の末っ子身長173cm。

まあここまでは普通

「笑いの天才」と称される事もある。

尊敬する芸人志村けんで、生涯お笑い一本という職人気質スタイル尊敬に値するとの事。

確かに天才と称されることもあるな、うん。

自身もそうでありたいと願いドラマ出演等のオファーは全てNG。例え浜ちゃん友情出演で出る事があっても、必ず松っちゃんらしさを出すという。

いやこれ「全てNG」じゃないじゃん。後のフォローがかなり苦しいぞ。

そんな中、唯一主演したドラマ伝説の教師』でも、

おいさっきの「全てNG」はどこ行った。職人でありたい気持ちはどこ行った。

松ちゃんらしさを出してドラマコント風に仕上げ、ドラマの設定で中居正広漫才するシーンでは、数年ぶり(深夜特番ではあるがゴールデン枠での話)に漫才を披露する等、松本人志芸人でありタレントではないと職人気質スタイルを貫く。

「数年ぶり(深夜特番ではあるがゴールデン枠での話)」って意味わからねぇよ。

いや深夜番組では漫才披露してたけどゴールデンじゃしてなかったよ、ってことなんだろうけどそれ「数年ぶり」って言わねーから!

大体数年ぶりに披露したら「芸人でありタレントではないと職人気質スタイル」になるのかよ!

ドラマの中でも芸人っぷりを発揮してますよ、ってアピールは結局「芸人なのにドラマに出ちゃってますよ」ってことになるだろ。

はてなキーワードウィキペディアじゃねーから思い入れ入ってるのも多いけどこれちょっとどうかなーと思った。

2008-03-28

恋愛遺伝子

祖父(84)は呉服屋の第9子で末っ子の甘ったれだ。

二言目には「テル子ー!」と言う。テル子はどこだ、テル子は、テル子は。

テル子は祖母の名前である。祖母は師範学校を出て定年まで教師として勤め上げた

現代で言うところのキャリアウーマンである。しっかり者で賢い。

祖父は祖母にほれ込んで、一族の反対を押し切って駆け落ち同然で結婚したそうである。

とにかく祖母がいないと昼も夜も明けない。

子供である父が帰省すると祖母の関心が父へいくので帰ってくるなと怒るらしい。

今は祖母の具合が悪いので買い物から炊事まで何くれとなく世話を焼いているらしい。

そんな熱愛の祖父母から生まれた父(60)。

父と母が出会ったのは大学時代。知人の紹介である。

3年の付き合いを経て、母の卒業を待たずに二人は結婚をした。

父は母を「ユリ子ちゃーん」と呼ぶ。今でも呼ぶ。

母が洗い物をしていれば背後から「ユリ子ちゃん」といって抱きついて振り払われ、

母が昼寝をしていれば「ユリ子ちゃん」といって上に乗って抱きついて怒られる。

月に2・3回は一緒に外食をする。年に3・4回は二人で旅行に行く。

娘の私が一緒に行きたがっても父に断られる。

父は出張の多い職種だが、成田空港から、着いた向こうの空港から電話を入れ

向こうのホテルからEメールをまめに送っているらしい。

なんだかなあ。祖父や父はこんな感じで熱烈な愛の人なのに

何で私は愛しく思える相手に出会えないんだろう。

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