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はてなキーワード: 親孝行とは

2024-11-16

あの日見た姥捨山を僕達はまだ知らない

私は車で10分ほど走らなければコンビニスーパーもないようなど田舎で生まれ育った。

以前は近所に数軒家もあったが、住んでいたご老人たちも皆亡くなり今はすっかり寂しくなった。

「何もないのがいいところ」と田舎を褒めたりする人もいるが、ずっと暮らしていると普通にしんどい。あれは嘘松

お店はおろか人も歩いていない。増えるのはソーラーパネル空き家ばかり。

ただ、空気や水はずっと綺麗だし自然は美しい。

そんな田舎に嫌気がさして20代後半で上京し、30代前半になった今でも何だかんだ楽しくやっている。


半年に一度くらいは帰省しているのだが、その度に親が小さく見えるのは気のせいだろうか。まるでカントリーマアム

60代だしまパートとして働いていて病気もなく元気ではあるが、どこか弱々しく見える時がある。

駅まで迎えにきてくれた親の車に乗りながら、いつか訪れるであろう免許返納のことをいつも見て見ぬふりをしてしまう。

電車もなくバスもとうの昔に廃線になったこの山奥のど田舎で、車が無くなってしまっては生きていけない。買い物にも病院にも行けない。

ワケあってもう1人の兄弟には頼れない。私がどうにかするしかないのだ。

でもこんなど田舎には戻りたくない。


地元小学校はいつ閉校してもおかしくないくら子供が減ったらしい。

私が通っていた頃はあんなに賑わっていた運動会も今はきっと規模が縮小されたものになっているに違いない。

子供会もどうなっているんだろう。カルタ大会はまだあるのかな。


別にこの土地の何もかもが嫌いなワケじゃない。

楽しい思い出もたくさんあるし家族のことも大好きだ。感謝している。

まれ育った県がたまにテレビで取り上げられたりネット記事で見かけるとやっぱり嬉しさはある。

ただ、今の自分が戻るメリットがない。

幸いなことにパソコンさえあればどこでも出来る仕事だが、それでも「犠牲になりたくない」と思ってしま自分が嫌だ。

自分お金を貯めて転職先を見つけて移り住んだ都会での生活に不満はない(家賃は高いけど)

休みの日には近所を散歩したり友達遊んだり楽しく過ごしている。まだまだいろんなお店を開拓できる。

あのど田舎ではそれができない。山の裾なので基本的上りだし平らな道も少ない。歩いたら人ではなく熊や猪に会う。


田舎に両親がいて、頼れる兄弟もいない。

免許返納、介護、墓…全部自分がどうにかするしかない。

似た状況の人はどうしているのか、将来的にどうする予定なのか知りたい。

こういう時こそ「老老介護」「ミニマリスト」「推し活」みたいなわかりやす名称が欲しい。何かコミュニティが欲しい。


地元結婚して近所に家を建てて孫を見せるのがやはり「正解」に近かったのだろうか。

簡単そうで実は一番難しかったりする。



そんなことをここに書く暇があるなら親孝行の一つでもしろよとか思いつつ、

今日中央線に揺られてはすっかり過疎化してしまった地元から目を背けている。

賑やかな商店街の灯りが愛おしい。人もたくさんいる。

やっぱり私は典型的お上りさんだ。


もうめんどくさいし、帰りは近所のほっともっとに寄ろう。

2024-11-12

anond:20241112004446

何の取り柄もない害悪オタクは生きる意味がないな

せめて父親のケツでも舐めて親孝行しろゴミ

2024-11-09

健常者は20代のうちに子供を作って子供のために生きるようになる、子供が22歳になったら独立させる

60代の両親に孫の顔を見せて親孝行をして、子供独立した頃には親も70代になり弱ってくる、80歳になった両親を見送る

世代・下世代、両方の面倒を見るのが健常者

 

障害者は親の稼ぎで暮らし、親に家事をしてもらう

親が老いたら親の年金暮らし、親が死んだら死体放置する(悪意とかでなく対処方法が分からないため)

稼ぐことも家事をすることもできず親の寄生虫として存在してきたため「美緒生きていけないよおおおお」になる

2024-11-07

こどおばが親孝行できる方法

教えてほしい。

いままでやったこととそれへのリアクションは以下。

ちょっといいお店でご飯を食べる

→親が偏食であり食へ関心がないことからファミレスの方がいいと遠回しに言われた。

誕生日カバンアクセサリー等のプレゼント提案する

こちらもファッション無頓着であるため却下され、渡すことさえできず。

旅行計画する

夫婦仲は破綻しており2人で行かせるとストレスになる。かといって親子仲が特別いい訳ではなく、お互いに気を使う旅になりそう。

④日帰りで出かけようとする

そもそも出不精の親である。混雑、時間の捻出、金額に見あった価値など様々な言い訳をしてきて結局行かない。

⑤孫を見せる

自分ひとりでどうにかなる問題ではない。現状不可能

⑥自立し家を出る

家賃を払うくらいなら家に入れろと言われ、言われるがまま家賃相当の額を納めている。

家事を手伝う

→母の中での細かいルールが多く、休みの日にだけ手伝う程度で「やってあげた」感を出すなと言われる。後々黙って手直しされて手間をかけさせていることにもなり、こちらもいい気分はしない。

現金をわたす

→究極これなんだけど貯蓄されるだけなのは悲しい。

教授ください。

母が倒れた

先に書くが、母は亡くなっていないし、これは亡くなったり倒れた母を前に悲観する話ではない。

30代を目の前に控えた人間が、同世代より少し早く迎えたライフステージの変化に漠然と感じたことを書き綴ったものである

9月某日、母が倒れた。

本当に突然だった。

慌てながらも涙声で電話をくれた兄妹が状況を教えてくれた。

病名は脳内出血だった。

自分よりも動揺する家族の声を前に、悲観することもなく落ち着いて諭すことが出来ていたように思う。

倒れたその晩が“ヤマ”と言われ、覚悟もした。

それでも不思議絶望感は無かった。

少し余談だが、母は私が中学生の頃には大病患い、直近は潰瘍性大腸炎骨粗鬆症難病に持病を抱えていると聞いている。

から、という訳では無いと思っているが潜在的にはそういった要因も加味していたのかもしれない。

私は同世代より少し早く入籍し、結婚式を挙げ、父母を招き、恐らく死ぬまで忘れずに居られるであろう幸せ時間を過ごすことが出来た。

今思えば10から強く願った夢の1つだったのだろう。

さらに、結婚式の翌年には第一子が産まれた。狙ってその通りに叶えられるものでは無い。本当に私は運が良い人間だとつくづく感じた。

生後3ヶ月ほどして父母のいる実家帰省し、初孫としてお披露目することができた。口角は上がりっぱなしで、目も細めっぱなしだった父母が印象的だった。今でも写真を見返すと泣ける。それくらいの時間であり、これもまた私の夢だったのだと思った。

やはり私は本当に運が良い。

その後も1歳の誕生日実家でお祝いすることが出来、張り切って準備をしてくれた母、初孫にデレデレな父を見て、また1つ夢が叶うような感覚にいた。

その数ヶ月後の出来事だった。

決して頑丈な人間では無いことは理解していたし、それがなくても父母は自分より先に居なくなるのが世の常である覚悟していた。

から結婚できたことや子どもを授かったこと、それらを父母が健康なうちに行え、全て後悔のない形で終えられた。

それ以外にも父母に伝えたかたことは全て伝えた。文章に残して。

子どもとして“やりたかたこと”としての親孝行は全てやり切った。ここから先はボーナスタイム、私と父母の“贅沢”な時間だと考えていた。

から、母が倒れて生死の境を彷徨い、生還しても重い障害が残ってしまった状況も不思議と悲観はなかった。

やれることは全てやってきた。

実家で大変な状況になっている家族を遠方から支える。今、目の前にいる私の家族死ぬ気で守り抜く。

これからはこれだけで十分だと思っている。

大変な事態に陥って私以外の家族は悲しみに暮れ、絶望しているかもしれない。

私も絶望の淵に立ち、少し崩れれば精神が折れてしまってもおかしくなかった。

それでも、今は私には妻と子が居て、私は2人のために折れる訳にはいかないのだ。2人を支えていくために、死ぬ気で戦っていかなければいけない。

父母が居なくなってしまうことを事前に覚悟していたこと、妻と子が悲しい状況も支えてくれたこと、全てが私に覚悟を持たせてくれたと思っている。


一般的には悲観すべき事態なのかもしれないが、そんなに悲観することもなく、飄々と過ごしている。

もっと悲観的な文章に出来れば世間的なウケもいいのかもしれないが、そんなことは1ミリも考えていない。

元々火事場方が張り切ってしまタイプからなのかもしれない。

諸々含めて本当に自分は運が良いのだと思った。

おっとー、おっかー、次は俺が2人みたいに頑張る番だから、もう心配はいらないから。これから先の俺から2人に対しての全ては、100%純粋な俺の“我儘”で、“贅沢”だから、遠慮なく受け取ってね。また、近いうちに帰るから病院にもお見舞いに行くから

2024-11-06

母が倒れた

先に書くが、母は亡くなっていないし、これは亡くなったり倒れた母を前に悲観する話ではない。

30代を目の前に控えた人間が、同世代より少し早く迎えたライフステージの変化に漠然と感じたことを書き綴ったものである

9月某日、母が倒れた。

本当に突然だった。

慌てながらも涙声で電話をくれた兄妹が状況を教えてくれた。

病名は脳内出血だった。

自分よりも動揺する家族の声を前に、悲観することもなく落ち着いて諭すことが出来ていたように思う。

倒れたその晩が“ヤマ”と言われ、覚悟もした。

それでも不思議絶望感は無かった。

少し余談だが、母は私が中学生の頃には大病患い、直近は潰瘍性大腸炎骨粗鬆症難病に持病を抱えていると聞いている。

から、という訳では無いと思っているが潜在的にはそういった要因も加味していたのかもしれない。

私は同世代より少し早く入籍し、結婚式を挙げ、父母を招き、恐らく死ぬまで忘れずに居られるであろう幸せ時間を過ごすことが出来た。

今思えば10から強く願った夢の1つだったのだろう。

さらに、結婚式の翌年には第一子が産まれた。狙ってその通りに叶えられるものでは無い。本当に私は運が良い人間だとつくづく感じた。

生後3ヶ月ほどして父母のいる実家帰省し、初孫としてお披露目することができた。口角は上がりっぱなしで、目も細めっぱなしだった父母が印象的だった。今でも写真を見返すと泣ける。それくらいの時間であり、これもまた私の夢だったのだと思った。

やはり私は本当に運が良い。

その後も1歳の誕生日実家でお祝いすることが出来、張り切って準備をしてくれた母、初孫にデレデレな父を見て、また1つ夢が叶うような感覚にいた。

その数ヶ月後の出来事だった。

決して頑丈な人間では無いことは理解していたし、それがなくても父母は自分より先に居なくなるのが世の常である覚悟していた。

から結婚できたことや子どもを授かったこと、それらを父母が健康なうちに行え、全て後悔のない形で終えられた。

それ以外にも父母に伝えたかたことは全て伝えた。文章に残して。

子どもとして“やりたかたこと”としての親孝行は全てやり切った。ここから先はボーナスタイム、私と父母の“贅沢”な時間だと考えていた。

から、母が倒れて生死の境を彷徨い、生還しても重い障害が残ってしまった状況も不思議と悲観はなかった。

やれることは全てやってきた。

実家で大変な状況になっている家族を遠方から支える。今、目の前にいる私の家族死ぬ気で守り抜く。

これからはこれだけで十分だと思っている。

大変な事態に陥って私以外の家族は悲しみに暮れ、絶望しているかもしれない。

私も絶望の淵に立ち、少し崩れれば精神が折れてしまってもおかしくなかった。

それでも、今は私には妻と子が居て、私は2人のために折れる訳にはいかないのだ。2人を支えていくために、死ぬ気で戦っていかなければいけない。

父母が居なくなってしまうことを事前に覚悟していたこと、妻と子が悲しい状況も支えてくれたこと、全てが私に覚悟を持たせてくれたと思っている。


一般的には悲観すべき事態なのかもしれないが、そんなに悲観することもなく、飄々と過ごしている。

もっと悲観的な文章に出来れば世間的なウケもいいのかもしれないが、そんなことは1ミリも考えていない。

元々火事場方が張り切ってしまタイプからなのかもしれない。

諸々含めて本当に自分は運が良いのだと思った。

おっとー、おっかー、次は俺が2人みたいに頑張る番だから、もう心配はいらないから。これから先の俺から2人に対しての全ては、100%純粋な俺の“我儘”で、“贅沢”だから、遠慮なく受け取ってね。また、近いうちに帰るから病院にもお見舞いに行くから

2024-11-02

anond:20241102210039

>どうも女は自分に嫌な思いをさせたアイツはモテない奴だと思いたがる習性があるようであり、モテる奴に迷惑をかけられたと考えることは耐えられないみたいなのである

>なんかのプライド問題なのだろうか。

他称弱者男性=生まれときからどこか悪かった、育った環境が悪かった、入った会社が悪かった、そのせいでハンデがある、税金で救うべき層

自称弱者男性モテない俺は可哀想、という妄想金もあるし病気でもないのに卑屈さ/攻撃性のどちらかを必ず抱えたヤバい

非モテモテないだけで何も悪くない、寧ろ良い人

こういう感覚でおりますし、多分殆ど女性がそうだと思うんだけど、違うのだろうか。

-----------


自分自称彼女いたことない同僚と気軽に話すし気軽に飯にもいくけど

私の知ってる「モテない人」って割と善人なんだよね、だからいやなイメージもなかった。

彼らは本当にただのモテない人。

真面目に働いて貯金なり親孝行なりしてて、温和で、会話も成立して、同僚からも信頼の厚い、弱者ってわけじゃない人。

でもネットだけみてると、俺に媚びない女はゴミ、って誰かに親切にするでもなく、ただそれだけ本気で繰り返してる人がたくさんいて、増田にもたくさんいて、あれと自分の知ってる非モテがどうしても繋がらなかった。

私の思う「非モテ」は「単純に恋人ができたことがない、それ以外普通の人」。もちろん非モテなことに卑屈な発言もしない。

弱者男性」はもうほんとなんか年収3~800万あっても彼女いないから俺は恵まれてないんだって言い出す「頭のおかしい人」。身近にはいない。現実生活で見たことがない。怖い。

今ならアスペルガーとかASDとかの文脈の方で回収されている層=生活貧困者は「気の毒な人」、月に10万稼げない層というか、多分働けない疾患だか事情があるから仕事に打ち込めないんだろう…、本来弱者男性なんだけど、非モテな俺は可哀想っていう↑のアホに居場所を乗っ取られてしまった人ってかんじ。友達の親戚とかの範囲でちょいちょい現実にいる。心配

2024-10-31

https://inukawatama.com/father/

父が死んで3年になる。死んだときは喜びの感情しかなかった。

もっと親孝行しておけばよかったと後悔することがこの先来るのだろうかなどと考えていたか結局そのような事は一度もなかった。今でもあのタイミングで死んでくれてよかったとしか思えない。

ただ一つあるとすれば、子どもたちが私の死を喜ぶようなことがあるのは嫌だ。父には子育て反面教師になってくれてありがとうと言いたい。

2024-10-12

大学生パチンコパチスロをやるな

大学時代パチンコパチスロで作った借金さっき返済し終わったから書く。書き殴りの駄文からそこはすまん

大学時代パチンコパチスロにハマった

元々チー牛趣味なので好きなアニメの台を打ちに行ったのが始まりだった。

ビギナーズラックってほんとにあるんだなと今になれば思うけど、1000円が1万円になった。

そっからは転がるように転落。

気がつけばサンドに万札突っ込むのは躊躇わないのに晩飯に500円出すのを渋るようになった。

バイトと親の仕送りでどうにかギリギリ…って時に新台10万負けた。

5万以上入れてからは正直記憶がないし、単発で10万入れて1000円ちょっと返してもらうという馬鹿時間を過ごした。

最近は決済アプリで金借りが出来たりする。学生扶養ギリギリまでバイトしてたから30万まで借りれた。消費者金融避けて実態消費者金融のとこで借りてるんだから笑えるよな

人は借金すると限度額まで借りるって聞いてて、正直そんな人を馬鹿にしてました

簡単に30万限度額まで借りてました。ほんとに怖い。

俺は依存症じゃないし笑とか思ってたけど、講義サボって打ちに行ったり、大学研究すらやらない時期もあった

手元に5000円しかない時に1パチで増やそうともした。

親に嘘ついて金もらって打ったこともあったな。いまだに言えないけど、早いとこ親孝行でなんかして気持ちだけでも返したい。

せいぜい30万の借金で〜〜って思われるかもだけど、誰にも言えない恥ずかしい借金って情けなくなるしほんと恥ずかしいよ。辛いよ。しんどい

パチンコパチスロ打つ友達との会話とか並び打ちとか確かに楽しいけど、絶対他のことした方がいいぞ。

レア確率とかモード推測できて何になる?パチ屋以外でなんか役に立った?

パチスロとか演者かになるならともかく、その時間バイトしたほうが期待値高くない??

ぶっちゃけたまたまスロで勝ちまくって奇跡的に返済できた依存症脱出出来てない新卒だけど、まず学生パチ屋入るな。近づかな。

入ってもいいけど毎日行くのやめろ、途中で金下ろすのもやめろ。天井狙いする立ち回りならそもそも打たねえ方がマシな場合多いぞ。

つんなら財布の中身の軍資金でやりくりしろ

生活を削るな

俺も依存から脱出できてない自覚ある。

今も打ちたい台とかあるし、SNSで流れてくる勝ち報告見ると明日行くかーとも思うよ

でもあんなの一握りだぞ

おんなじ日に何万人とやってたまたま上澄み引けた人が自慢してるだけだぞ。お前がそうなれる自信はどっから来てんの?

遠隔とか店長スイッチとか信じてないけど、賭け事は基本胴元が勝つように出来てるんだから辞めとけ

サンドに突っ込む1万を口座に叩き込んだ方がマシじゃないか

社会人になって自分で稼いで突っ込んでるならともかく、親に何か施されてる間は賭け事なんてしない方がいい

俺みたいになるな

俺も最初3万とか借りて限度額まで借りたんだぞ

親に言えねえ金の使い方はするな

これ読んだ賭け事やってる学生が少しでもマシな道を歩めるように祈ってる

2024-10-10

自分は目が大きかった

アラサーにして初めて気がついた

会社社員写真をばーっと見れるんだけど、先日何となく眺めていた時に、自分は周りの人より目が大きかったことに気がついた。

何度見返しても真剣に周りの人と見比べても目が小さいとは思わない程度にはぱっちりしていた。

ずっと親や家族から目が無いねwとバカにされてきたから、驚きすぎて1分くらいまじまじと見てしまった。

私って目が大きかったのか。本当に驚いた。

話は変わるが私の親は過干渉だった。(今も)

常に監視し、私の行動全てに口出ししてくる親だった。

容姿はもちろん服装趣味喋り方食べ物体調進路人間関係etc本当に全てに干渉してきたし、私も長年の母親教育の結果、勝手自己開示するようになっていた。

だけど、一人暮らしを初めた時に自分母親が居なくても生きていけることに気がついたし、親の言うことを全て肯定しなくても死なないことに気がついた。

意外と自分で何でも出来る。


そして、この間自分の目が大きいことに気がついてから、急に世界解像度が上がり始めた。

どうやら給料って自分で好きなものを買っていいらしいし、映画とかテレビってって途中で消されたりしないで最後まで見れるらしい。

好きな音楽を聞いていいし何か言うたびに逐一好きなものについて小一時間批判されなくていいらしい。

親の娯楽のためによく10単位お金を払ってしまうが、もしかしたらそれは親孝行じゃないのかもしれない。このあたりはまだ半信半疑だ。


洗脳が溶けるってこう言うことなんだろうか。

皆が楽しげに生きているの理由ちょっと理解できた。

出かけて、買い食いってしていいんですね。服って好きな色のものを買っていいんですね。


しかすると私って人間なのかもしれないな。

2024-10-09

anond:20241009024212

👆これ。

・お母さんに親孝行をたくさんすること。

・お父さんのお墓参りマメにすること。

2024-10-08

anond:20241008110549

じゃあなんで年に一回も帰ってるの?そんなのは上京たから年間に会えるのは正月のせいぜい5日間で、親がこれから20年生きるとしてしてもあと100日くらいしか会えないんだ…」と考えたら泣けてきちゃうような親孝行モンがすることだよ。

姉と気持ちが一緒なら、警察行政から連絡くるがまで没交渉でいなさい。

没交渉ならピンピンバタコロリのところが、連絡を密にしていたばかりにピンピンバタリ→発見入院→要介護ですよ。

2024-10-02

anond:20241002222345

親健在で仲悪くないなら親孝行

将来の自分のためになる

2024-09-30

借金完済したったwww

総額数百万の借金をようやく完済した。

社会人になりたての時期からアラフォーに至る今まで、約20年にわたる返済人生を歩んで、ようやくここまで来た。
これまでに借りた総額で言えば数百万円ではきかないと思う。借りては返し、返しては借り、を繰り返していた長い時期を考えると、これまでの所得10%を借りていたとしても、総額1,000万円近い金額だったのかもしれない。恐ろしいことだ。



借金問題に詳しい増田読み手ならお察しだろうが、多額の借金を返済できたのは任意整理を行なったかである。数年前に思い立って法律事務所へ赴き、相談を経たのちに任意整理に至った。借入先には忍びないが背に腹はかえられぬ。実行可能な返済計画に従って、利子を除いて淡々と返済を続けた結果、ある程度前倒しで完済することができた。

任意整理によって信用情報に傷がつくのを躊躇していた私に司法書士が放った「客観的に見てあなた家計は終わっています任意整理すべきです」という言葉が強く印象に残っている。


ではなぜそのような借金をするに至ったのか。借金問題に詳しい増田読み手ならばお分かりだろう。


そうです。ただの浪費です。


私はギャンブルもせず、酒も人並み、衣食住も身の丈にあった暮らしをしていると自認している。少しずつではあるが人並みに地位を築き、所得を絶やさず増やしてきた。にも関わらず振り向けば常にそこに借金があった。


新卒入社した会社手取りは約18万円。当時にしても決して低くない金額だった。将来に投資しようとかなり安いアパートにひとり暮らしをして、家賃を除いた生活費が毎月13万円程度あったはずである携帯代1万円、ネット電話代1万円、奨学金返済が1万5千円、光熱費8千円。残りは少なく見積もっても毎月7万円程度は生活費・食費として残るはずだった。今振り返ってみても、余裕のある生活が送れる所得、なんなら貯金をしっかりすべき所得に思える。


所得だけを見て「自分は人並み程度にはお金心配がない生活が送れるはず」「支出傾向から考えても普通生活が送れないわけがない」という思い込みがあったことが、借金生活スタートする土台であったと確信できる。要するに、自分借金とは無縁の生活が送れる、借金などとは無縁の人並みの暮らしができないはずがない、という甘えた考えがあったのだ。


当時の暮らし。毎朝起きてすぐタバコを吸って、朝食は会社デスク菓子パン缶コーヒー、昼食は数百円の弁当、夜もラーメンやら外食やら。一杯ひっかけて帰ることもしばしば。たまに自炊休日映画館やらDVDレンタル、欲しい本や漫画があれば躊躇せず買い、ブックオフ古本を買いあさり、季節が変われば新しい服やスニーカーを新調。出かけたらタバコが吸えるコーヒーショップ一服。誘われれば飲み会にも行くし、彼女には奢るし、休日はどこかで外食をする。


気がつくと、手元にお金は残らなかった。残るわけがなかった。
自分欲望ささやかもので、日々の労働の対価として当然に享受してもよい消費だと思っていた。
これくらいの消費行動・金銭感覚は周りを見渡しても当たり前で、パチンコで数万円負けた、なんて笑う同僚よりも自分はまともなんだと思っていた。
だが当然に現金はすぐになくなり、給料日を心待ちにする日々が続いた。

ある時、ATMキャッシングという項目を見つけ、クレジットカードを入れて1万円を引き出してみた。すると現金が現れた。
返済方法リボ払いという選択肢がある。押すと返済額が毎月定額になった。
当時よく上司や友人がクレジットカードのことを「魔法カード」などと笑っていたが、買い物だけではなく、まさか現金までも引き出せるとは。
給料日までの現金に飢えた自分にとって、まさに魔法であった。


ここから先の展開は予想に難くないだろう。足りない現金を埋めるためにキャッシング預金がなくとも借入金の上限はまだまだある。毎月遅れことなく返し続けていれば問題ないのではないか。だが一向に元本が減らない。まあそんなもんか……。今月も借りては返し、返しては借り……。

若い時の苦労は買ってでもしろ、などと見栄を張って、自分は劣っていないと思い込むために金を使うことは未来への投資

そんな欺瞞自分正当化する。
結局、そんな生活を15年以上送ってきた。


そんな私でも結婚をした。結婚式なんてできず、子どもを作る余裕なんてなかったが幸せだった。この人を幸せにしたいと心から思っていた。

短い結婚生活だが幸せだった。借金はあったけど幸せだった。正しく言うならば、幸せだったけど借金はあった。

借金とは別の問題離婚をしたが、借金は遠因のひとつであった。自分本位の生活を送ってきた仇だ。

夫婦間のストレス言い訳風俗に通いを覚えて浪費する額が一気に増えた。離婚ストレス言い訳女性遊んだ。遊ぶ金はもちろん自転車操業だ。住宅ローンなんて組めやしない。

自分はこれでも極度の貧困よりはマシなほうで、借家もあるし仕事収入もある。地位も得てきたし、借入先も銀行系で闇金ではない。だから自分普通暮らしをしてしかるべき、という勘違いをこの期に及んで続けてきた結果、皮肉にも、自分は明らかに普通ではない生活をしていたのだった。


自分の愚かさを認めるのは、決して難しいことではない。毎月1万円ずつ返済していた時ですら自分は愚かだと自覚はしていた。

難しいのは、その愚かさを改めることだ。

借金借金と思わずに、限度額いっぱいまで余裕があると感じてしまっていた愚かさ、自分普通収入を得ているし闇金にも手を出していない、それゆえ金銭的苦悩とは縁がないという短絡さ、支出を抑えてもどこかで気を緩めて使ってしまう消費依存傾向、こうしたアホ思考マネーリテラシーの低さ、それを改めようとしないバカさ。

それらの問題根本的に見つめ、改めることが早い段階で必要だったはずだ。

自分はアホでどうしようもない、という自己憐憫だけにとどまらず、何がなんでも事態改善する行動、改める意思。それが何より困難なことだった。

もちろん固定費を削ったり、家計簿をつけたり、支出管理したり、食費・交際費節約したりもした。だがそうした行為破綻してからでは遅かった。アンコントロール状態に陥った借金と利息はもはや手がつけられない。燃え広がった火災にコップで水をかけるようなものなのである


世の中は様々な借金に満ちている。闇金消費者金融キャッシングリボ払い住宅ローンに割賦サービス、おまとめローン奨学金

これを読んでいる増田読み手におかれては、借り入れなどとは無縁で、支出収入バランスを保ち、資産形成にも励んでいることだろう。

だが、もしそうでない方がいるのであれば、どうか借金とはうまく付き合っていってほしいと心から願う。

返すために借りるとか、複数社の借入であるとか、イリーガル借金に手を出すなど、引き返せない状況に差し掛かるまえに、信頼できる人、あるいは窓口へ相談してみて欲しい。そして、どうか思いとどまって欲しい。どんなに苦しくても引き返す手段ちゃんとある。私だって完済できたのだ、まずはあきらめないことだ。


借金は、欲望ブーストさせ、思った以上に人生スポイルし、自らの可能性を削っていく。

それが私の愚かしい借金人生を通じて学んだことである

もしこの世に「人生に利する賢い借金」というものがあるのならば、あなた自分が思うよりずっと賢くなければならない。

少なくとも私はそう思う。


今日最後の返済をした。これで完済となります、と電話口でオペレーターが言うのを聞いて、電話を切った。

空に向かって「……やっと終わった」と言った。やっと終わった。何回か口に出した。身体が軽くなった気がして、めまいがした。

人生の半分をともに過ごしてきた借金負債文字通り負ってきたものをようやく手放すことができたのだ。

さあ、これからどうしよう。どんな生活をしよう。

ずっと我慢していた本を買おうかな、ぱりっとしたシャツを仕立てようかな、スマホを新しくしようかな。

もう給料日10万円を借入先へ振り込む必要はないんだ。これからストレスのない、幸せ生活が待っている。


別れた妻が笑う顔が好きだった。

なのに泣かせてしまった。

将来は人並みに結婚式をして子どもを育てるものだと思っていた。

ずっとなりたかった職業があった。せまくても自分の家が欲しかった。心から友達が欲しかった。親孝行をしたかった。

幸せ人生だと胸を張りたかった。


今はただ後悔しかない。

借金なんてしなければ良かった。

これからいくら幸せになれたとしても、得られず失ってしまったものばかりが目にうつる


長かった夏が終わり、秋が始まろうとしている。

さようなら、おれの借金よ、おれの後悔よ。

もう二度と帰ってくるなよ。

2024-09-25

「こどおじFIRE問題」がトレンド

「こどおじFIRE問題」は、日本社会問題経済的トレンドに関連する用語です。「こどおじ」とは「子供部屋おじさん」の略で、成人後も実家で親と同居している中高年男性を指します。「FIRE」とは「Financial Independence, Retire Early」(経済的自立と早期退職)の略で、早期にリタイア自由生活を目指すライフスタイルです。この2つの概念が組み合わさった「こどおじFIRE問題」は、次のような社会的経済的懸念を含んでいます

1. 経済的依存と自立

「こどおじ」は、家賃生活費の負担が少なく、親の援助に依存していることが多いです。そのため、収入の多くを投資や貯蓄に回すことができるため、「FIRE」達成が現実的可能場合がありますしかし、これには親の経済的な援助が前提となっており、経済的に自立していないまま早期リタイアを目指すことが「本当のFIRE」なのかという疑問も投げかけられています

2. 親の介護世代負担

こどおじFIREを目指す人々が、将来的に親の介護負担をどうするのかという問題もあります。親が高齢になった場合介護必要が生じると、その負担がこどおじに集中する可能性があります。また、親が亡くなった後、遺産相続によって一時的資産が増えることがあっても、介護費用相続税などの負担が新たに発生することがあります

3. 社会的孤立精神健康

こどおじとして実家に住むことは、家族以外との社会的な関わりが少なくなることがあり、社会的孤立精神的な健康問題を引き起こすリスクがあります。また、社会的に「自立していない」とみなされることで、自己肯定感が低下することもあるかもしれません。

4. FIRE達成後の生活の質

こどおじFIREを目指して貯蓄や投資をしても、リタイア後の生活が充実していなければFIRE達成の意義が薄れます経済的自由を得たとしても、社会的なつながりや自己実現の機会が欠如した場合精神的な満足感を得るのが難しいという課題があります

5. 批判ステレオタイプ

「こどおじFIRE問題」は、特に日本メディアSNSでしばしば取り上げられ、批判ネガティブステレオタイプと結びつくことがあります。例えば、実家で親に頼って生活する「こどおじ」像は、自己責任果たしていないという批判を受けがちです。しかし、経済的合理性親孝行という側面から見ると、必ずしもネガティブライフスタイルではないとも言えます

まとめ

「こどおじFIRE問題」は、日本社会の変化や経済的な状況を反映した現象です。一見経済的に安定しているように見えるこどおじFIREライフスタイルには、長期的な視点で見たときリスク社会的な影響が隠れており、その解決には個人意識改革社会的サポート必要かもしれません。

もし、このテーマについてさらに具体的な質問や関連するトピックについて知りたいことがあれば、どうぞお知らせください!

2024-09-21

anond:20240921000918

国立大学部大学院に行ったのは親孝行だったかもしれないが、留年と退学をしてしまったやで、親不孝やで…😟

国立の某研究所インターンしたりもしたけど、コネもつくれずに終わってしまったやで…(まあ、ボスちょっとパワハラ酷かったので良かったのかもしれんけど…

2024-09-16

anond:20240916131701

これある人の言葉なんだけどね。

子供を育てる。

中でも、子供赤ちゃんの時から3歳くらいまでの一番かわいい時期の子供を育てるというのは親がどれだけのお金を払っても他では絶対に手に入れることが出来ない人生の中での最高の幸福なんだよ。

その幸福を親に与えた段階で子供の親に対する親孝行というものはすべて終えているの。

から、もう親孝行ことなんて考えなくていい。

少なくとも、どうしたらいいのかなあ?なんて真剣に悩むほど考えるものじゃないんだよ。

親孝行って何すればいい?

27歳会社員わたし、この三連休実家帰省してきたのだけど、父母が老けてきたことを実感して寂しさを感じてしまった…。

夫の親には何も感じないのは、年取ってから知り合ってるからかな…。

両親とも50後半だから白髪も増えるし皺も深くなってくるのは当たり前なんだけど、若い時の記憶があるからギャップを感じてしまうなぁ。

両親の老いを感じて何か親孝行をしたいと思いつつ、具体的に何をすればいいんだろう。

旅行に連れて行く?孫を早く産む?

何すればいいかからないけど、後悔しないうちに親孝行をしたい。

2024-09-12

anond:20240912182431

フルリモート仕事探してんの?まぁ、教えてあげるよ♡現実逃避してんじゃないわよ、クソ雑魚ナメクジ

まず、フルリモート仕事って色々な業界で出てきてるけど、やっぱりIT系が多いわね♡プログラミングできたら確かに有利だけど、他にもたくさんあるわよ♡

例えば、ライターとかデジタルマーケティングカスタマーサポートデザインとか色々ね♡後はプロジェクトマネジメントとか、営業系なんかもリモートでやれるところ増えてきてるわ♡

経歴とかは、リモートワークの経験があれば強いけど、なくてもインディードとか働き方の柔軟性を重視してる会社を探すといいわよ♡特にコロナリモート化が進んだ会社とかは、リモート前提の求人が増えてるしね♡

まとめると、IT系以外でもリモート可能仕事はいくらでもあるから自分の強みを活かせる職種を見つけて、リモート可能会社を探すといいわよ♡田舎お仕事しながら親孝行もできるし、いいんじゃない

もっと色々教えてあげるから、しっかりメモときなさいよ♡

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