はてなキーワード: 拳銃とは
自分は京王線沿線に住んでいる。そのため日常の足として京王線を利用している。
車内では中吊りを眺めていることが多いが、ここ最近とある放送局が中吊り広告を出しているようだ。
その広告は同局が放映する番組を紹介する内容だったが、その中に深夜アニメを紹介するものがあった。
しかし深夜アニメの持つ残虐性、わいせつ性を踏まえた場合、少なくとも不特定多数の目にする場所で宣伝するのは問題がある。
昨年放送された報道番組では人気を博した深夜アニメの実例として、以下のようなものが挙げられていた。
また、同番組ではこれらのアニメが凶悪犯罪を誘発した可能性があるという説が提示されていた。
もちろん深夜アニメを見ただけで凶悪犯罪に手を染めるという単純な議論には同意できない。
特に人格が確立した成年の場合、深夜アニメを見たぐらいで凶悪犯罪に手を染めることは考えにくい。
たかだか深夜アニメごときに影響を受けるなら、所詮その程度の人間でしかないのだろう。
その程度の人間なら深夜アニメがなくとも、ほかの何かに影響を受けて変なことをしでかすに違いない。
一方人格形成期の青少年が残虐な、あるいはわいせつな深夜アニメを見た場合、人格形成に何らかの悪影響を及ぼすように思える。
たとえばこれらの深夜アニメの場合、「勧悪懲善」的な価値観を賛美する内容のものも多いと聞く。
先に述べた「男性教師と女子小学生が性的に接触するアニメ」がその典例である。
無力な女性を成年男性が性的に搾取する卑劣な行為にもかかわらず、それを賛美するという倒錯した内容である。
この他にも殺人を正当化する深夜アニメなども存在するという話を聞いたことがある。
この点より、格形成期の青少年が深夜アニメを見た場合、人格形成に何らかの悪影響を及ぼすように思える。
また、成年であっても残虐な、あるいはわいせつな深夜アニメに不快感を催す人も大勢いるだろう。
これらのことを踏まえると、公共の場で深夜アニメを宣伝すべきではない。
成人した人なら、ロリエロ漫画を読もうが西村喜廣のゴア映画を見ようが別にかまわないと思っている。
しかし人格形成期の青少年の場合、人格形成に悪影響を及ぼす事物にはなるだけ触れるべきではないと考える。
この際、人格形成に悪影響を及ぼすであろう深夜アニメを公共の場を用いて宣伝するのは、青少年の健全育成の観点から問題があろう。
まさか京王電鉄が18禁のエロ本や「東京残酷警察」の中吊り広告を許可するとは思えない。
しかし深夜アニメの中吊り広告を出すことは、18禁のエロ本や「東京残酷警察」の中吊り広告を出すのと本質的には変わらないのではないか?
京王電鉄には熟考を願いたい。
日本国は、いまや世界最大級の盗聴国家であり、恐怖政治国家だ。
なぜなら日本には盗聴法があり、年間1万件以上の盗聴捜査が警察官によって実施されているからだ。
理屈の上では、組織犯罪幹部を逮捕するために盗聴するという当初の立法者による「大義」があり、立法目的がある。
しかし、「結果」や「実績」はその正反対の事実を証明している。
内閣の国会報告によれば、2014年1年間に実施された1万3778回の盗聴捜査で逮捕された人数はわずか72人しかいない。
しかもそのほぼ全員が組織犯罪の幹部ではない一般犯罪で、組織犯罪の幹部の逮捕は皆無だった。
しかも72人という数字はあくまでも逮捕者数であって、起訴された数ではない。
盗聴されて逮捕されても、起訴されない人もいるし、有罪にならなかった人もいるし、実刑にならなかった人もいる。
盗聴捜査は組織犯罪壊滅につながらないという批判は、もはや警察捜査成果として現実のものとなったのである。
麻薬の売人の運び屋や送金屋を何人逮捕したところで、犯罪組織にはなんの影響もないし、市民生活の犯罪に脅かされる市民社会は少しも良くならない。
これは警察がなまけていたからではなく、そもそもそういう制度を作ったことが誤りだったのである。
政府は、1年間で1万3778回の盗聴で対象となった事件数も公表した。
正解はたったの10件だ。
たったの10件の事件のために、無関係の無実の市民の通話が、たった1年間で1万回以上警察官に聞かれていた。
しかも、盗聴されていた事件のすべてが重大組織犯罪というわけではない。
たまたま手に入れた薬物をオバカなチンピラが売ったような突発事犯で盗聴捜査が成功しても、本物のヤクザ組織はびくともしない。
つまり、盗聴法による盗聴捜査は、捜査の実態結果から見た場合、
その捜査はわたしたち無実の市民の通話(電子メールやネット電話を含む!)に対して向けられている。
そもそも犯罪のプロの幹部たちが電話などで犯罪計画を連絡しているはずがない。
盗聴法による盗聴捜査のターゲットは、わたしたち無実の市民の携帯電話、電子メール、ネット電話であって、
そういう批判は法律制定前にもあったが、その批判はいま安倍政権のもとで現実のものになった。
「盗聴事実を当事者に知らせているから盗聴ではない」という批判が、盗聴法を作る側の警察官僚の側にはある。
たしかに盗聴法は、盗聴法によって盗聴された通話当事者に対して
盗聴記録が裁判に使われる場合にだけ、盗聴したという事実を当局が告知することになっている。
しかし、盗聴が犯罪と無関係で、盗聴記録を裁判の証拠として使わない場合は、
盗聴された人には盗聴事実の通知はされない。
つまり、事件化されない大多数の盗聴捜査で盗聴された無実の一般市民は、
盗聴されたことを知らないまま警察官に盗み聞きされ、
誰のためになんのためにどのようにに盗聴通話が使われているのかは、警察の闇の中だ。
盗聴法には、無関係な通話を盗聴させないようにするためと称して「立会人」という制度がつくられ、
「だから安心してください」と、盗聴法を作るために与党入りを決めた公明党指導者は訴えていた。
当時の政権批判野党だった公明党には、政府に盗聴されたくない犯罪陰謀事件などの弱みがあったと言われている。
過去には公明党は盗聴事件や脅迫事件なども起こし確定判決も存在し判決は公開されている。
盗聴される側ではなく盗聴する側になれば安心だという公明党の判断なのだろう。
「立会人」は盗聴法の規定により盗聴会話を聞くことができない。
だから、警察官が盗聴したり録音したりしている電話の内容が犯罪の理立証に不可欠な証拠かどうかを判断することは100%不可能。
しかも「立会人」は、消防士の事務職や警察OBなど、治安関係のお仲間が担当している。
だから、警察が違法不当な盗聴をしていても問題になることはない。
そもそも「立会人」は、立ち会うだけの義務しかなく違法な盗聴捜査の中止を命令する「制止権」が無いから、
「立会人」はお金をもらって隣の部屋でお菓子などを食べながら意味の無い時間をすごすだけの人になっている。
違法な盗聴捜査や意味の無い危険な盗聴捜査の「歯止め」としてまったく機能していない。
おそろしいことに、日本では盗聴法による傍受礼状が無くても事実上の盗聴ができてしまうことがある。
会話を録音して裁判の証拠として使うためには盗聴法を使わなければならないが、
録音しない場合、会話を裁判の証拠として使わない場合は、警察組織は傍受令状なしにいくらでも盗聴してもよいことになっている。
逆探知は誘拐などのときに使うものだと一般市民には信じられているが、実際はそうではない。
官僚組織などに質問や意見の電話をかける市民団体の参加者に対して、電話をかれられた側の官僚たちが、
電話をかけた者がどこの誰かを特定するために、当局に「行政執行暴力事件」として内偵を依頼し、
たとえば沖縄では基地問題をめぐってたくさんの沖縄県民が「暴力組織犯罪の容疑者」とみなされ
もちろんそれらの事件は、盗聴法によらない「通話者特定」だから、
盗聴法による報告はされないし、情報公開法による公開も除外規定により公開が制限されている。
このようにして、一般市民は「盗聴されているかもしれない」という事実によって管理され、
支配され、恐怖の統治を受けて公民権や言論は萎縮していくのである。
むしろその逆に、組織犯罪に必要な人的・予算的・組織的なリソースを縮小させ、
成果をあげる捜査のプロ刑事には、盗聴権限など不要というのが常識である。
盗聴捜査の対象は、罪の無い一般市民が大半であるという事実から、
市民の通信活動に対する不要な萎縮が起り、基本的人権である通信の秘密が破壊される。
したがって、盗聴法を制定した当初の立法者意思や立法目的は、完全に破綻した。
制定当時に言われていた「安心材料」は、結果的にすべて否定された。
問題は、このようになんの意味もなく成果もあげなかった盗聴制度を永久に維持させるために、
安倍政権は組織犯罪ではなく一般犯罪に対しても警察権力に「盗聴権」を付与させ、
そしてなにより盗聴法には、公務員犯罪を取り締まるために使うことができないという制約がある。
警察官や自衛官や刑務官による密室暴行、それらの密告を監視するために盗聴法を用いることはできない。
盗聴法は完全に破綻した。こうした恐怖政治のための危険な道具を日本は持つべきではない。
だが、いまはまさに「バカが刃物をふりまわす」状態になっている。
危険だ。日本国は、いまや世界最大級の盗聴国家であり、恐怖政治国家である。
それでも盗聴法を維持させなければならないのなら、政権交代を実現し、
盗聴法に賛成してきた自民党幹部と公明党幹部を有罪にする実績をつくればよい。
テレビで彼らの処刑を中継をやってもよいだろう。
そうすれば、「それはやりすぎだ。盗聴法には歯止めが必要だ、警察権力の強化は危険だ」という正論が出てくるに違いない。
そのとき「だったら盗聴法を廃止してしまいましょう」と議論してもよいだろう。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150206/k10015260271000.html
上川法務大臣は6日の閣議で、捜査当局に携帯電話などの傍受を認める「通信傍受法」に基づいて、去年1年間に違法薬物の密売など10の事件で通信傍受を実施し、これまでで2番目に多い72人を逮捕したことを報告しました。
平成12年に施行された「通信傍受法」は、違法薬物の密売など組織的な犯罪を捜査する際、ほかの手段では事件の解明が難しい場合に限り、捜査当局に電話や電子メールの傍受を認めるもので、捜査の行き過ぎを防ぐため、通信傍受を実施した件数や逮捕者の数などを、毎年、国会に報告するよう政府に求めています。
上川法務大臣は国会への報告に先立って、6日の閣議で去年1年間の実施状況を報告しました。
それによりますと、去年は、違法薬物の密売や拳銃の所持など10の事件で、携帯電話の通話を合わせて1万3778回傍受するなどした結果、これまでで2番目に多い72人を逮捕しました。
この結果、法律の施行後、通信傍受を実施した事件での逮捕者は525人となりました。
通信傍受を巡って法務省は、新たに振り込め詐欺や組織的な窃盗、それに誘拐事件などの捜査でも行えるようにする通信傍受法の改正案を、今の通常国会に提出する方針です。
高校のころにファミコンとであってずっとゲーム。で、最近のゲームはマイキャラが人間のばっかりだ。昔はペンギンやらネズミの警察官やら猫の母さんやらいろいろあったのだけど、今は人間。それも軍属。
拳銃が生活圏にある文化のゲームが増えた。俺からすれば拳銃をぶっ放すのもドラゴンスレイヤーをぶん回すのも距離は同じなんだけど、手元に拳銃がある人だとぜんぜんゲームの手触りが違うのだろうと思う。おもうまま拳銃をぶっ放したいけどできないからゲームの中でそれをするんじゃないかと。文化的オナニーとでもいえばいいのか。俺には趣味の合わないアダルトビデオを見せられている感覚が強い。日本人にはモザイク処理が入ったAVが合うんだろう。ワビサビ。
なんとなーくゴールドフィンガーとかロシアより愛をこめてとか一部だけ聞きかじってた程度だったけど、Wikipedia見て鼻血出そうになった。
全部かっこ良すぎる。
イっちゃいそう。マジで。
カジノ・ロワイヤル Casino Royale (1953年)
死ぬのは奴らだ Live and Let Die (1954年)
ダイヤモンドは永遠に Diamonds Are Forever (1956年)
ロシアから愛をこめて From Russia, With Love (1957年) 映画版の邦題は「ロシアより」であるが、小説は「ロシアから」である。
わたしを愛したスパイ The Spy Who Loved Me (1962年)
女王陛下の007 On Her Majesty's Secret Service (1963年)
007は二度死ぬ You Only Live Twice (1964年)
黄金の銃を持つ男 The Man With the Golden Gun (1965年) 映画版の邦題は「黄金銃」であるが、小説は「黄金の銃」である。
バラと拳銃 For Your Eyes Only (1960年) 旧邦題『007号の冒険』
危険 Risico
珍魚ヒルデブラント The Hildebrand Rarity
オクトパシー Octopussy and the Living Daylights (1966年) 旧邦題『007/ベルリン脱出』
オクトパシー Octopussy
私がまだ小さい頃、祖父と一緒に近所のスケートリンクによく行った。
祖父はいつも「やい、クロックノールいくぞ!」と声をかけてくれた。
クロックノールとはアイススケートの俗語でノールが湖、クロックが時計。
湖の上を時計のように回ることからクロックノールと言うと祖父が教えてくれた。
そんな祖父が今年の夏、天国へと旅たった。
祖父は私が社会人になった時に満州事変の話しを詳しく聞かせてくれて
世の中は甘くないから心してかかれよと!と激励の言葉をくれた。
その祖父の話しの中で祖父がキャノン機関の関係者だという事を知った。
そして祖父の押し入れの奥からボロボロに錆びた拳銃が見つかった。
可能且つ必要であれば企画書き、司令官、PG、デザイナーなんにでもなるべきだと思うわけよ。
それを言ったら、エンジニアもデザイナもそうあるべきだけど、
能力には限りがあるから、手を広げすぎると、本分が疎かになるからバランスが大事。
職域飛び越えて口出したくなるよね。
話が逸れた。
もの作りにおいて、何を削るかってのは、加えることより重要且つ難しいわけ。
例えば、マリオ。
現実世界にクリボーが居たとしたら、倒す手段はたくさんあると思うのよ。
殴ったり、包丁で刺したり、突き落としたり、銃で撃ったり。
それを踏み潰すという行動に絞ってる。
これが抽象化なんだよ。
ユーザの限られた時間と能力で最大限の面白さを与えられると思えるものしか、盛り込むべきではないわけだよ。
だけど、根幹を蔑ろにするな。
ユーザに面白さを与えるために、その機能を「使いこなせるのか?」
今一度考えてほしい。
やってみなきゃ分からない。とか、
逃げるな。
逃げるな。立ち向かえ。
考えることから目をそらすな。
身近な社会人達が、いざ仕事となると、ガラっと表情を切り替えて仕事モードにシフトしてゆくのが不思議でしょうがなかった。
あのモードチェンジは、社会人になったら勝手に身に付くものなのだろうかと思っていた。
そして同時に、いつも心のどこかで冷めてる自分には到底真似できそうもないなぁ、とも感じていた。
同時期にペルソナというゲームが発売されて、心理学にペルソナ(職能的仮面)という概念定義がある事を知った。
ゲーム内では「周囲の社会という外圧に対抗する為に人が用意する、対外的人格にして心の仮面」というような説明がなされていたけれど。
実際は少し違って。
職能的仮面とは、職務に従事する際に人が守る一定の行動様式と、そこから定義づけられる合理的な実務性を有した、無個性かつ社会的な擬似人格。
だいたいそんな様なものだった。
セーブポイントまで三十分かけて急ぎつつ、社会人のみんなが使うモードチェンジはこれなのかな、と思っていた。
時を経て社会人になり、長い事仕事をしてきて今改めて思うのは。
“職業というのは一種の狂気であり、それを内包する事で職務従事者たり得る”という事だ。
人は生まれつき何かの職業にすんなり適応するようにはできていない。
業務への適応は、きちんとした教育と、長くたゆまぬ修練と、多彩な実務経験と、それらすべての慣熟によって成される。
しかし、どうしても受け入れがたい一線、というものは確かに存在する。
それは人が人である以上、受け入れてはいけない、受け入れる事のできないものであると言ってもいい。
人は、部品にはなれない。社会の歯車にはなれても、本物の歯車にはなれない。
誰もが拒否反応を示してやまない、もはや狂気とも言えるほどの、人間性を否定するレベルでの職務への徹底。
そこまでする必要はない。
しかし、そこで受け入れられるかどうかで、異物であり続けるか、同化し得る存在であるか、が別れてしまう。完全に分かたれてしまう。
もちろん、人は職業そのものではない。職場と一体化すべきものでもない。
だから、異物であり続ける方が人の全うな感情としては正しいのだろう。今もそう思う。
しかし、異物であればいつまでも異物のままで、職場にはそぐわない場違い感を覚えたまま生きていく事になる。
その一方で、だからといって仕事や職務や職場と一体化するような共同幻想を抱けるほど、人は無機質ではない。
だからこそ、職場で熟練者から見せ付けられる職務への異常なまでの徹底ぶり、その受け入れがたい狂気をこそ。
少しずつ時間をかけてゆっくりと受け入れてゆく事こそが、職務従事者としての慣熟への道なのではないだろうか、と考えている。
どんな時でも笑顔で、愛想よく。モンスターにもにこやかに対処。タガの外れた依頼にも喜んで応え、相手の望む結果を導き出す。
3年目は拒絶しかなかった。
5年目は徐々に狂気を受け入れてゆく恐怖に苛まれていた。
7年目には、すべてが変わった。
時計がゆっくりと出勤時間を指し示すと。今日も私は心の中で叫ぶ。
(ペルソナァァァーーーー!!)
と。
そんだけ人数いるなら
一個一個出力するよかよっぽどはえーわ。
そんだけの数を作るために3Dプリンタ買うってそれこそナンセンスで。
というか、それだけの人数で頑張ったところで
伝手さえあればマカロフなんて
20万ありゃ買えちゃうけどな。
拳銃の入手って、あっちの人にとって別にそんなハードル高くないのよ。
「発射装置」として精度がかなり良いものは現在手作りでも普通に作れる。
横だけど、ヤクザは改造銃の製造販売くらいはやってるよ。
そんで検挙されたりもしてる。
鉄パイプを使って銃弾を飛ばす装置も、技術があれば作るかもしれないね。
コピー品でも拳銃を買うと数十万円する上に、ライフリングの関係で使い捨てなので安価で2~3発撃てる銃が出回れば銃を使った事件へのハードルが下がるだろうとは思う。
ただし、ヤクザは組織があって、責任者は部下の暴力行為のとても重い責任を取らされるので、銃を実際に犯罪に使うようになるのはいわゆる半グレの人たちだろね。
・
ヤクザが関係する半グレに密造銃を販売はするだろうと思うけど。
実際は実銃よりも銃弾の方が……
ペンは剣よりも圧倒的に強い。これは精神論じゃない。事実だ。剣は錆びる。人は死ぬ。しかし言葉は紡がれ続ける。紙は消えない。ペンは言葉を残す。本はいつの時代も人の心を揺さぶってきた。ペンがあれば紙に文字を書ける。言葉は人を縛ったが開放させることもできる。ペンはいつの時代も何よりも強い。剣が拳銃や兵器に変わったようにペンはMacBook Airに変わったとしてもそれは変わらない。言葉を紡ぐ人間が一番強い。人は死んでも言葉は残り続ける。論文だって言葉で書かれている、ペンは何よりも強い。そこにペンがあるからTwitterはどんなウェブサービスよりも強い。これはお金の話とか経済の話とかビジネスの話ではない。人の心はいつの時代もペンと紙によって伝えられてきた。伝聞の力も大きいが、紙の上に展開したときのそれは伝聞とは比べ物にならないくらい強力だ。聖書をもたないクリスチャンはいない。坊主はお経を詠む。それらはすべてペンによって書かれている。筆と言う場合もある。10年後、聖書はすべて電子書籍になるか? なるわけがない。データと、ペンと紙ではモノとしての存続性が比べ物にならないからだ。紙は残り続ける。出版業界が縮小し続けようとそんなことは関係ない。小さな話だ。データよりも紙が強い。ペンがキーボードに変わったとしてもペンが剣よりも強いことは変わらない。矛盾しているが、どちらにせよ、そのどちらもが剣よりも強いことは間違いない。
あれを見て「本人は差別の意図がなかったとのこと」とか「差別ともとれる表現」という言い回しとかが大量に見られて、正直同意できないでいる。
揺れている各位の解釈でもその大多数は、FIFAの広範に取る基準に照らしてアウトであることには異論は比較的少ないようだ。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20140314-OYT1T01219.htm
これの
「ゴール裏は自分たちのエリア。他の人たち、特に外国人が入ってくるのは困る」
とある。これを信じて、ここではその仮定でひとまず進める。
これが、まず
「ゴール裏は自分たちのエリア。他の人たち(日本人と外国人がまったく同様に)が入ってくるのは困る」
であり、かつ、これその通りの文面を日本語とその正確な英訳文が掲示されていたとする。
もちろん、これが人種差別案件としては扱われなかったと思われるし、それに類する扱いとしても、人種差別という観点でここまでの問題にはならなかったであろう。
これなら、人種差別じゃないだろ、と言う意見にはある程度同意する。
しかし、実際は「特に外国人が」が入っている。外国人を特に排斥する意図が明確に現れている。
「ゴール裏は自分たちのエリア。他の人たち(日本人と外国人がまったく同様に)が入ってくるのは困る」
の現れとして、
「Japanese Only」というのを掲げたとしよう。この場合の意図は「日本語がどうの」という意図ではなかったことはよい明白となる。
従って、「常識的に外国人お断り」という意味に取られることは常識で判断できる。
※彼らが本当に、そういう意味になることを理解できていなかった可能性はここでは否定しない。
若干脱線しよう「誰が見てもこんな至近距離で拳銃を撃ったら相手が死ぬとわかるだろう」事案で「本人がそうならないと信じていた場合」、
「刑罰とならないのは、責任能力がないと思われる場合で(児童等で判断力がない場合はとりあえずここでは除外して考える)。責任能力があるとされる場合裁判をやればまず、他の証拠を含めた評価として、責任回避で出任せの嘘をついていると見なされるか、100%の嘘ではないとしても、常識的に結果が高い確度で予期できるわけだから、せいぜい未必の故意に見てもらえれば上出来であろう。
そして前述のことが再確認される。
「ゴール裏は自分たちのエリア。他の人たち(日本人と外国人がまったく同様に)が入ってくるのは困る」
の現れとして、
「Japanese Only」というのを掲げたとしよう。この場合の意図は
従って、この「Japanese Only」の部分は「外国人お断り」を意味していたと-例え他の何か適切な表現を書く英語力がなくてそれしかかけなかったとしても-当然予想することができたわけだ。
しかし、前述の通り、公表された意図には「特に外国人は」とあり、一例として、日本語の達者な日本国籍のない人がいても結果的に向けられてしまう表現になっているわけだ。しかも、会場のどこかにはあったのかもしれないが、「同等に内輪以外の日本人サポもよってくんな」という掲示が日本語ですらあったかというと、そんな話はみかけないが、あったら教えてもらいたいが、なかったのなら、つまり、外国人に入ってくるな、という意図だけが伝わるようなことをして、それは当人の意図の通りそのものであった(他は内心には思ってても同等の横断幕表現等をしなかった)。
整理すると、
彼らの意図のうち「外国人お断り」の部分を「外国人お断り」だけが伝わる形で表現した。
つまり彼らは「外国人お断り」の意図で「Japanese Only」を書いた似すぎない。
彼らの主張は、もしかすると、ただの言い訳かもしらない。彼らの行為が「人種差別」の類いになることを本当に知らなかったお馬鹿さんである可能性もある。
しかし、繰り返すが、記事に従えば、
彼らの意図のうち「外国人お断り」の部分を「外国人お断り」だけが伝わる形で表現した。
これは客観的に評価すれば、どっからどう見ても、(彼らがそれが差別にあたると思っていなかったとしても)
繰り返すようだが、
不審車両が警察官2人はね逃走、警視庁が発砲し身柄確保 殺人未遂容疑で逮捕へ 東京・新宿
23日午後5時20分ごろ、東京都新宿区大久保の路上で、警視庁第2自動車警ら隊が不審車両を停車させようとしたところ、車が体当たりして同隊員2人をはね、パトカーや一般車両に衝突しながら逃走した。
同隊員が拳銃を発砲したところ、車を運転していた30代男が右太ももに銃弾を受け、全治1カ月の重傷。命に別条はないという。警視庁は殺人未遂と公務執行妨害の疑いで男の逮捕状を請求。男の回復を待って逮捕する。
警視庁地域総務課によると、車は停車後も職務質問に応じず、同隊が窓ガラスを警棒でたたき割った直後に発進。車の助手席側にいた男性巡査部長(50)が車と立木の間にはさまれ、右太ももを切るけがを負い、別の男性巡査部長(36)も胸を打撲した。
男は発砲後も助手席にいた20代女と車両を乗り捨ててタクシーに乗り換えて逃走を続けたが、数キロ先の交番で新宿署員が発見。新宿署に任意同行を求めたところ、負傷していたことが分かり、都内の病院に搬送された。