はてなキーワード: 孫の顔とは
母が65歳になったそうだ。
「前期高齢者っていうんだって。もうおばあちゃんなんだからね」
実家から戻ってきて一週間経つが、そう言った母の言葉がずっと胸に突き刺さっている。
あの母が、もうそんな年になったのか。
祖母がおばあちゃんだったのに、母がおばあちゃんになるのか。
久しぶりに実家に帰ったというのもあって、突然押し寄せた現実を受け止めきれないでいる。
自分とその周りしか考えていなくて、似たような時間の流れ方をしていたから意識していなかったが、
ゆっくりと感じていた時間の流れが、一瞬で間を詰められた感じがする。突きつけられた感じがする。
歳老いていく母。
その母に、自分は何ができるんだろう、と考えた。
母もこの先死ぬんだよな。母が死んだら、と想像しただけで、泣きそうになった。
母に何かしてあげたい、と思った。
せめて近くに住んで、今よりも顔を見せることくらいはしてやりたい。
孫の顔とか見たいんだろうな。口には出さないが、結婚とか気にしてるんだろうな。
自分のことだけ考えて生きてきたけど、ちょっと考えさせられたよ。
婚活とか、始めるかぁ。。。
数日前、ホームセンターに行ったら「お盆玉の用意はお済みですか? お孫さんの里帰りに備えて」などと書かれたPOPと共に
ポチ袋が売られてた。
年始にあげるお年玉同様、盆休みに孫や親戚の子どもにあげる小遣いのこと。発祥は江戸時代の山形県の一部地域と言われ、
夏に奉公人に衣類や下駄などを渡す風習が、昭和初期に子どもに小遣いをあげるように変化したと言われているが、
『お盆玉』という名称は山梨県に本社のあるマルアイという、紙製品や包装用品の製造販売をする会社が作った造語
お正月休みにお年玉をあげるように、お盆休みにも孫や親戚の子などにお小遣いや心付けをあげるという新習慣のため、
夏の風物詩をデザインしたお盆玉用のポチ袋をマルアイという会社が2010年より販売
だそうな。
爺婆の孫かわいさを盾にしたようでイヤらしい。
でも一旦流行ってしまえば「他所の子は貰ってるのにウチだけあげないわけには…」とか
「あげなかったり金額少なかったりした所為で、帰省しなくなり孫の顔が見られなくなるよりは」
とかなっちゃうんだろうなあ。
昔からの女友達(not彼女)と2人で1泊2日の旅行に行くことになったのだが、
母親に「~日は泊まりで旅行行くから」とだけ話した。誰と行くとは話していない。
そうしたら、母親が「旅行に行くぐらいなら、お父さんとお母さんを温泉に連れて行きなさい。」と言ってくる。
・地方勤務を全力で阻止する
うちの会社は年に1回勤務形態を選べることになっている。Aコース(全国勤務)とBコース(地域限定勤務)の2種類ある。
Aコースを選ぶと母親に話したら、「お父さんもお母さんも歳なんだから、いつ倒れるか分からないのよ。いつ介護することになるか
と言われて、Bコースを選ぶことに。
・それなのに身を固めろ、孫の顔が見たいという
こんな状況なのに、「もういい歳なんだから身を固めなさい」「孫の顔が見たいわ」
と言ってくる。挙げ句の果てに「高校の同級生のT君が使った結婚相談所を使ったら?」と迄言ってくる。
俺は一番上に書かれた女友達と出来れば付き合って結婚しようとか考えているのに。
どうする、俺?
夏目漱石のこころ、上「先生と私」で、「恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです」という、個人的に印象的な台詞がある。主人公の「私」が花の下で仲睦まじく歩くカップルに冷やかしの言葉を口にした時、先生が言った言葉である。私はこの言葉を下記のように超解釈する。
「リア充だったら『リア充ばくはつ』なんて言わんだろ」と。先生、この解釈絶対間違ってませんよね。
大前提として、先生は既婚者であり、可愛い細君がいる。「私」は未婚者でまだ恋もしたことがない(でも恋はしたい)童貞だ。現代でも過去でも、やっぱりなんとなく恋をしたことのない(でも恋をしたい)人間たちは、リア充を罵る傾向にある。私だって、そうだったからよく知っている。
喪女時代が長かったので、ずっと心の中でリア充を罵って生きてきた。手を繋いで歩いているカップルがいれば「轢いたろか、ワレェ」と思い、花火大会の花火の下でキスをするカップルを見れば「あのカップルに向かって、ロケット花火とかねずみ花火とか投げてやりたい」と、思っていた。とにかく、カップルを見れば内心舌打ちの連続だった性格のわるーい喪女である。
そんな喪女にも最近彼氏ができた。念願の彼氏である。しかも、めっちゃ性格良く、賢くてイケメンであらせられる奇跡のような彼氏なのだ。そして、何より私は彼のことが好きで、彼も(奇跡的に)私のことをとても好きでいてくれて、大事にしてくれている。
「喪女卒業!リア充の仲間入りだ!」と思った時、私の心の中に駆け巡ったのは、先生の「恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです」という言葉である。CV.子安武人で脳内に再生された。「ヤッター!もうこれで、カップルを見るたびに劣等感を感じて、孫の顔が見れないんじゃないかと落ち込んで一日ブルーになったり、友達の惚気話に内心舌打ちする生活はしなくて良いんだ!彼らや彼女たちを純粋に祝福できる!最高!リア充最高!」ってなんて思ったのだ。私は、「私」側の人間でなく、「先生」側の人間になったはずだった。
でも、そ ん な こ と な か っ た!
人生甘くない。やっぱり、カップル見ると「リア充がいるぞ!!全力であそこに羽虫が集まれ!」って思うし、「ケッ」と唾を吐きたい気持ちになるのは変わらない。わーん、先生の嘘つき!リア充だけど、めっちゃ「リア充ばくはつ」って言ってる!前より言ってる気がするぞ。特に、彼女とかが可愛いともう、駄目なのだ。石でも投げてやりたい気持ちになる。「きらきらしやがって!幸せそうにしやがって!」と、思う。
結局、私は比較してしまうのだ。彼女である彼女たちと、彼女である私と。「私、今の彼氏と釣り合ってるのかな」とか「あんなに、私たち幸せじゃないかもしれない」とか、「あんなに、可愛い喋り方できない」とか。やっぱり劣等感がつきまとう。可愛い女の子はリア充になるけれど、やっぱり喪女は喪女のまま。リア充になっても、偽物感がぬぐえない。私は「暖かい声」を出すことができない。カップルを心から祝福するなんて、できない。
やっぱりリア充爆発してしまえ。そして、こんな意地汚い自分も爆発してしまえ。
先生の、嘘つき。
★この前読んだ日経によれば、2100年の世界各国人口、ナイジェリアが9億人に達する予想らしい。
そのほか、西アフリカのサウスサハラ、ブラックアフリカな国々が、軒並み人口数億人になってる。
一方のアジア諸国は、中国が人口をどんどん減らし、東南アジアは「タイの出生率1.4、ベトナム1.8」なので、これまた減少する。
インドがどうなるかはわからないが、2100年には、世界人口の重心はアジアからアフリカにシフトすることが確実。
★これが1900年頃の世界人口分布マップだと、いわゆる「帝国主義の列強」の母国の人口シェアが、相当高いんだよね。
この100年で、列強側の人口はほとんど増えなかったが、アフリカ側は数倍になった。
あと100年で、さらに加速する。
★だから、1800~1900年代に、列強が軒並みアフリカとかを「植民地」に出来てしまったのは、勿論軍事力の差が一番の理由ですが、
「列強側が、人口が多かった」の要因もあったと思う。今だと信じられませんが
★ちなみに、「満州は日本の事実上の植民地になった時点で、人口はわずか数百万しかなかった」と聞いてビックリした記憶がある。
だから戦前の人は「満蒙開拓団」で満州で農業開拓に行ってたんだな。
単に出生率が高いだけじゃない。
日本人が30歳でようやっと次世代を出産するのに対し、ナイジェリアは20歳で次世代を出産。増殖スピードが1.5倍
日本だと、60歳で「おばあちゃん」になり、子供2人孫4人なのに対し、
ナイジェリアだと、60歳で「ひいおばあちゃん」になり、子供5人孫25人ひ孫125人
ひ孫125人だと、いちいちひ孫の誕生祝いなんかしている余裕はないし、そもそも「ひ孫の顔や名前を、覚えきれてるか、疑問」
「人口の過半数が子供」という社会は、こういう社会なんだろうなあ
日本から見たら、「なぜナイジェリアは、ひ孫が125人もいるの?」だし、
ナイジェリアから見たら、「なぜ日本は、孫が4人しかいなくて、60歳なのにひ孫もいないの?」だろうな
明治維新の3000万人が、100年で12000万人になったというのは、そういうこと。
逆に言えば、2100年、ナイジェリアのラゴスが世界最大都市になってるだろうな。人口1億人都市とか。
★明治維新時の全人口が、今の日本では1都3県に集約されてるのか。
よく考えてたらすごいな。
因みに縄文時代の日本の全人口は、横浜日産スタジアム収容人員程度しかなかった(8万人)
★未來の人口大国ナイジェリアに、日本はほとんど関心示さないが、ちゃんと中国は接近している。
親孝行がしたい
おばあちゃんにひ孫の顔を見せたい
前みたいに色んな新しいことに挑戦したい
友達と飲みに行きたい
笑ってすごしたい
ブログはあるけれど、書いてもスターがつくわけでもなく、PVが増えてもアフィが無いのでここに書く。
いわゆる身の上話の日記帳だが聞いてほしい。
俺は今、社会人2年目として働いている
特に仕事が切羽詰まってるわけでもなく暇な時ははてブなどを覗いてるわけだ。
就活中、親は「県外でも海外でもどこでもいい、好きなところへ行け」と言っていた。
実際、面接では「国内外いたるところに異動があるかもしれないがいいか?」と聞かれる事も多く
親は内定を喜び、独り立ちする事を祝ってくれた。
初任給をもらう頃にはもう後悔していた、
そう「実家に帰りたい」と
自分自身に問わなかったんだ、本当に県外でいいのかと、
家族と別れるという儀式をせず、年度末には自然な流れで引っ越し、一人暮らしを始めていた事に。
親も祖父母も若くはない、あと何回も会えないかもしれない
いくら車飛ばせば3,4時間で着くとはいっても物理的に遠いものは遠いんだ。
親に子育ては成功とは言わないでも失敗してなかったと思ってほしい、
実際これは俺の自己満足かもしれない、
みなさんコメントありがとうございます!
高級風俗、好きですよ。アスコットクラブとか月1で利用してます^^
エロゲーはゴメンなさい。基本はヲタ気質なんですけど、二次元はかなり前に卒業してしまいました。
愛のあるセックス、という言葉を自分で打ったときに内省したのですが、
旦那からは「自分は子供が欲しいとは思わないが、君が望むなら作ってもいい」と言われているが
自分でも子供が欲しいかどうかがわからず、迷っているうちにこの歳になってしまった。
昔から子供が欲しいという願望はあまりなかったのだけれど、仲のいい友人たちが次々と母になっていき、
結婚当初から「子供はまだか」と急かしてきた実家の両親や祖父母も寂しい顔をしたまま何も言わなくなり、
高齢出産のボーダーラインと言われる35才を目前にして、このままでいいのかという焦りが出てきた。
しかし、もしも旦那が育児に非協力的だった場合にひとりで子育てできる自信がないこと、
「子供はいい」「案ずるより産むが易し」「子供嫌いでも自分の子は可愛い」
(産んでみないと気持ちの変化はわからないが、そうではなかった場合に取り返しがつかない)
何より自分の一方的な都合で旦那に生活面や金銭面で枷をかけてしまうこと……などを考えると、
とても胸を張って「子供が欲しい」とは言えない。
周りがみんな子供を作っているから、両親に孫の顔を見せたいから、
夫婦どちらかが先に死んでしまったときに残された方が寂しいから、
すべて自分の中にある気持ちだが、どれも決定打にはならない。
もっと若い時に、将来像を具体的によく考えておくべきだったと後悔している。
もしかしたらあれこれ迷う以前に子供ができない体という可能性もあるが
いっそそうであったなら気持ちの整理がつくのに、とさえ考えてしまい自己嫌悪に陥る。
34才になるまであと数ヶ月。
30歳を過ぎても童貞のままでいると魔法が使える、という伝説の意味がようやく分かりました。
記事を書いている私は現在、31歳です。色々あって彼女が出来ませんでした。
というより、作ろうともしていませんでした。毎日涙を流すほど後悔してます。
中学・高校時代はともかく、大学時代に彼女がいなかったことが致命的でした。
そこで今年の初め、童貞のままではいけないと一念発起してソープランドに行ってきました。
金額相応なのかどうかは分かりませんが、若くてモデル級に綺麗な女性に当たりました。
ところが、結果として、射精するまでがとても大変でした。
しかも、ソープ嬢ではなく、自分で手コキしてようやく逝けたのが実態です。
最低2回は射精させてくれるはずのプロの技が通用しませんでした。
では、本題に入ります。
やらずに三十路な童貞が獲得する「魔法」の意味は、もしかすると
「 性 欲 / 性 機 能 の 衰 退 」 なのかもしれません。
日々の性処理に明け暮れている若い皆さんには信じられない奇跡ですよね?
事実、最近めっきり性欲がありません。以前はバカみたいにポルノを見て自家発電していましたが、
現在、パソコンのHDDに入っていたエロ画像や動画は全部削除してしまいました。
自分でも信じられないくらいポルノに対する欲求がなくなってしまいました。
ポルノを見ても、強い感情が湧いてきにくくなったからです。アホみたいだな、と思ってしまうのです。
もちろん勃起はします。しかし、持続しません。そういうわけで射精しにくいです。
まだ射精欲はあるのですが、我慢しようと思えば、何週間でも何か月でも我慢できます。
若い頃は毎日のように射精したくてしょうがなかったことを思うと、まさに魔法のようです。
精液は十分に蓄えられているのですが、どうも刺激に対する反応が鈍くなっています。
読者の中には、激しいオナニーのし過ぎではないか、という意見もあるとは思います。
けれど、私のやり方は極端に強い刺激を与えるものではないですし、そもそも現在はオナニーで逝くことも困難です。
話は変わりますが、童貞卒業の数週間後、初めてデリヘルを利用してみました。
低めの身長でスレンダーにも関わらず巨乳、言うことなしです。二次元キャラクターのようでした。
ホントにこの子とエッチなことをして良いのか、と焦るほどの美少女(っぽい成人女性)です。
ああ、それでも残念ながら、また逝くことが出来ませんでした。
女の子は自分のテクニック不足だと謝罪していましたが、むしろ悪いのは私の方です。
ところで、性欲が減退しているのにも関わらず、何度も風俗を利用してみた理由をお知りになりたい方もいるでしょう。
それは、消え入りそうな性欲の火をまた燃え上がらせることが出来るのではないか、と考えたからです。
というのは、私は分不相応にも家庭を築きたいと考えているのです。
世間体のこともありますが、何より両親に孫の顔を見せてあげたい。
それ以前に、一人でも良いから誰かの人生に濃密に関わりたい、と思うようになったのです。
(※20代までの私は、ほとんど対人恐怖症と言って良いほど、人間関係が苦手でした)
そのためには、まずお付き合いする女性と出会い、愛し合い、将来を誓い合い、子種を宿らせなければなりません。
この目的を達成する大前提にあるのは、異性を求める強い性的な欲求があること。
しかし、今の私は言うならば「いつでも賢者タイム」というべき状態にあり、
女性に対する関心は消えていないものの、興味は薄らぎ、性への欲求が日増しに減っていくのを実感しています。
また、女性を妊娠させるにしても、挿入中、いわゆる中折れが起こって受精が成功しません。
10代同士のカップルによる望まぬ妊娠が話題になっていますが、そこまで勃起が持続されるのが若さなのですね。
もし若い方がこの文章を目にしているのならば、次のことに注意して30歳までの残りの日々を生きてください。
1. 30歳を過ぎても性欲がなくならない、とは限らないこと
2. 30歳を過ぎても女性への関心がなくならない、とは限らないこと
3. 30歳を過ぎても勃起を維持して射精できる、とは限らないこと。
もしかすると、私は一般男性よりも性欲が薄い可能性もあります。
もっとも、自慢ではないですが、10代後半~20代中盤までは毎日オナニーをしているほど性欲満点でしたよ。
あなたも今は性欲がみなぎっていて、やろうと思えばいつでも出来るという自信に満ち溢れているでしょう。
枯れ始めてから初めて女性との交際を志しても、心と体が付いて来ないのです。
ここで筆を置こうと思いましたが、もう一つ書いておきたいことがあります。
セ ッ ク ス そ の も の は 大 し て 気 持 ち よ く あ り ま せ ん。
ずっと憧れていた手コキやフェラも、実は大して気持ち良くないのですね。
一番気持ちが良かったのは、いわゆる本番行為でしたが、それでも逝くことは出来ませんでした。
(※ちなみに、実物の女性器は、無修正AVで見るものとは印象が違い、意外に美しいものです)
また、童貞を卒業して最も意外だったのは、キスが恐ろしいほど気持ちが良いこと。
もはや射精などしなくても良いので、ずっとディープキスをしていたいと思ったほどです。
それから、女性を愛撫すること、すなわち前戯は非常に心地よい行為です。
セックス指南本に書かれている通りに優しく愛撫すると、愛液がどんどん溢れ出てきて強い満足感を覚えます。
風俗嬢相手とはいえ、女性と心と体が通い合う(ような気がする)のは何ものにも代えがたい快感でした。
童貞の皆さん、概して女性の体に触れることは興味深く、気持ちの良いものです。
ですから、強い性欲があるうちに女性と深い仲になれるように努力すべきです。
ひとまずプライドと偏見と思い込みを捨てて、女性と仲良くなって交際してみるべきです。
だから、童貞の皆さん、彼女を作って愛し合いましょう。それだけで生きていることに感謝できるのです。
私の言っていることが信じられないなら、とりあえず風俗嬢に相手してもらってください。
(※ただ、風俗嬢との性交はどこか空しいです。相手が魅力的であるほど、空しくなるもののようです)
いや、これは魔法というよりは、「呪い」に似ているかもしれませんね。
最後に、それでも私は諦めていません。世界のどこかにいる一人の女性と結ばれる夢を捨てることは出来ません。
まずは、食生活の改善や運動不足を解消することなどによって性機能が回復しないかどうか試してみたいと思っています。
ご精読ありがとうございました。
★定年後、海外移住している夫婦を特集している書籍を何冊か借りて読んでるが、
こういう書籍に、不思議と「子供」「孫」の話が一切出てこない。
私見だが、定年シニアの海外移住を躊躇させる、最大のハードルは、言語でも日本食でも医療水準の不安でもなく、
「孫に会えない(会いづらい)」ことだと思う
★「海外」と書いたが、国内地方移住でも、実は似たような話な気もする。
例えば「老後は暖かい沖縄に移住しよう」ということで65歳で沖縄移住
⇒孫の顔をしばし見たい、世話したい、でも沖縄だし・・・と移住を後悔、
なんてシチュエーションは、ありえる
相当程度有意な確率で「子供がいない」という状況なんじゃないか、とも思う。
その辺の統計は、ないのかな?
フロリダにディズニーランドがあるため、「孫が来てくれる」という理由もあるらしい。
孫を寄り付かせるため、東京ディズニーランドをド田舎へ移転しよう。(真顔)
★そう考えると、沖縄・北海道という、「エッジの効いた地方」への移住は、
「孫が遊びに来る確率が高い」という点で、おススメなのかもしれない。
中途半端な四国や東北の山村へ移住しちゃうと、孫が遊びに来てくれない。
★キッザニアって、休日チケットの整理券は「始発で豊洲にいかないと、入手できない」というプラチナチケットらしい。
⇒ド田舎にキッザニアを多数作って、シニアをド田舎へ移住させる。孫がキッザニア目当てにド田舎に来てくれるので、孫にも会える。
当時の気持ちを言い訳するつもりはありませんが、実に幼い好奇心だったと反省しております
相手は1つ年下の近所の女の子でした
中学に上る前の頃でしたが、いわゆる幼なじみといえる関係のその子は自分を兄のように慕い心を許してくれていました
親同士も仲が良かったことからお互いの家に行き来もしましたし、一緒にデパートや遊園地に出かけるなんてことも普通にありました
そうした関係の中、家族同士で行った旅行先で寝ているその子のパンツに手を入れました
すでに性行為というものの存在を認識していた頃で、自分がそういったものに急速に好奇心を抱いたことを記憶しています
その子に好意がなかったといえば嘘になりますが、それよりも単純に好奇心と興味が勝ったことによる行動でした
どれくらいの時間どのように触っていたか思いだせませんが、何を考えたのか最後にその子のパンツを脱がせたことを覚えています
その子には妹と弟の、わたしには二人の兄がいて、子どもたち同士で大部屋で雑魚寝していたのですが、朝起きた時に一体どんな反応をするのか、これも今にしてみれば単なる好奇心やいたずら心だったのだと思います
しかし、翌朝はそのことに触れられることもなく皆はいつも通りに過ごしていました
わたし自身もそのことについて特に感想を持ったわけでもなく、いつの間にか記憶は風化していきました
その子との関係は別々の学校に進学した中学生になってからも付かず離れずのまま続きましたが、お互いがお互いの生活に忙しくなって来た頃、ある日その子は別の街へと引っ越して行きました
それから数年でわたし自身もその街から離れ生活をしていましたので、その子の存在すらいつの間にか忘れていました
ここまで色々と煮え切らない表現で申し訳ないのですが、年代や詳細に自信がないのは、自分自身、実につい最近までこの出来事を忘れていたからなのです
それから時がたち、20数年ぶりにその子に会う機会が訪れました
親同士が街中で偶然出会ったことから食事でもどうかという話になったそうで、たまたま時間が空いていたわたしとその子が同席することになりました
これも単純な懐かしさから久しぶりに話をしてみたいという気持ちからの行動でした
齢30半ばを過ぎたわたしには今、妻と4歳の息子、1歳の娘がいます
当時付き合っていたなどという後ろめたさもないことから、わたしは家族を同席させることにしたのでした
久しぶりに会ったその子は地味ながらも清潔感があり、知性を感じさせる会話やそつない気遣いなど、今時には少しめずらしいような気立ての良い女性へと成長していました
当然わたしの子どもたちにも優しく接してくれましたし、妻ともわたしの昔話で楽しそうに盛り上がっていました
それほどの器量でありながら聞くとまだ独身とのことで、わたしは無責任にも結婚経験者としてのうんちくを垂れ流していました
それが多少しつこかったのか、急にその子はトーンを落としてボソリと申し訳なさそうに一言をつぶやきました
「実は、わたし男性が怖くて」
なぜならこの一言をきっかけに突然先述のシーンが頭のなかに蘇ってきたからです
言葉を返せないでいるわたしに気遣ったのか、その子はさらに胸をえぐるような言葉を続けました
「○○くん(私の名前)のことは大丈夫だよ。むしろほんとのお兄ちゃんみたいで安心できるし。」
「ただ、○○くんとか○○くんはちょっと苦手かも」
この時、わたしの中で全ての出来事がつながっていくことがわかりました
当然すぎるほど当然の話に気づけないでいた自分が恥ずかしくなりました
この子は傷ついていたのです
この歳になっても癒えないほど、心に深く傷を負っていたのです
それなのに、次の日からもわたしと普通に接してくれたのは、当時まだ小学生だったわたしではなく、わたしの二人の兄どちらかによる行為だったと考えていたからなのでしょう
この気立ての良い女性が幸せをつかめない原因は、紛れも無く、先ほどまで偉そうに結婚を語っていたわたし自信にありました
ただ、その子の一言で雰囲気が悪くなってしまったと思わせないようにすることと、重くのしかかる罪悪感とで必死に言葉を選んでいたことだけを記憶しています
家についてからわたしの娘が性的暴力の被害にあってしまうことを想像してみました
いくら考えても加害者を殺しに行こうとするわたしの姿しか思い浮かびませんでした
それがたとえ娘が兄と慕う心を許した相手であってもです
しかし、死して詫びさせることよりも相手の傷が癒えるまで贖罪を続けさせることしか考えられませんでした
この矛盾によって、わたしがなんと身勝手で心の弱い人間なのかを突きつけられることになりました
性的暴力の被害者は男女問わず想像以上にいるという話を聞きます
わたしにしてみれば、それは全く不思議な話ではありません
今回言及するにふさわしい話ではありませんが、わたし自身も学生時代までに、自覚しているだけで3度の性的暴力に遭遇しています
それは、異性からも同性からも、また、身近な人間からも見知らぬ他人からも受けたものでした
同じくそれは性的暴力の加害者も想像以上にいることを意味しています
そうした経験の中には、当時のわたしのようにそのことによって引き起こされる事態に対する想像力が欠けていることで、加害者になっていることの自覚がないものも含まれているからです
もしその時に戻ることができるなら、わたしは自分にどれだけ手を上げてでもそれが悪いことだということをしらしめることでしょう
先日その子の父親が急の病で亡くなったことを聞きました
いつもにこやかにやさしく物事を教えてくれる人でした
それなのに孫の顔を見れなかった無念を思う度、わたしの胸は再びえぐられるように苦しくなります
それからというもの、その父親の怒りと悔しさに歪む顔が頭に焼き付いたように離れません
未だにその子に対してお詫びができたわけでもなく、何かをしてやれたわけでもありません
ただ、その日から罪の意識と自分の心の弱さだけを重く引きずり続けています
その子が加害者に何を望んでいるのかは、今を持ってしてわかりません
わたしはもう家族の前ではうまく笑えなくなっているかもしれません
最後に何を言いたいのかを見失ってしまいましたが、無責任ながら数多くの被害者の心の傷が一日でも早く癒えてくれることと、このどうしようもないわたしの話がきっかけである日突然終わりなき贖罪を抱える自覚なき加害者が少しでも減ってくれることを祈っています
タイトルの通り、12/23に喧嘩し、12/25に別れたので(私が振った)、彼という一人の人間のことを振り返ろうと思う。若干フェイクはいってます。
本当にきっかけは恐ろしくくだらないことだったんだけど、上記の欠点のこともあり、年齢のこともあり、これは改善しないだろうな、
と思ってお別れを切り出しました。案の定25日に電話したときも「仕事で精神的に限界きてるから手短に」って言われたので、
「別れてください」と言って、「わかった」という答え。その割に23日も仕事でトラブってて精神的にヤバかった、と言い訳する。
何なの。別れたいの別れたくないの?と思いつつ、そういうところ全部ひっくるめて嫌になってしまった。
私的には「ごめん」の一言が聞ければ別れを切り出すつもりはなかったんだけど、2日経っても言い訳しか出てこなくて、謝罪の言葉は
一切なかったからもうダメだな、と。結局相手がどういう気持ちなのか、まったくわからないまま別れることになっちゃった。いいんだけど、モヤモヤする。
彼の荷物がかなり我が家(ひとり暮らし)にあるので、近々とりにくるみたいだけど、会いたいような会いたくないような複雑な気持ち。
年齢 = 彼女いない歴が30越えて、立派な魔法使いになってはや数年が過ぎようとしているところなんだけれど、非モテが慢性化したせいで、三次の女の人の綺麗とかブスとかの好みの基準がよくわからなくなってしまった。実はどっかにとっても狭いストライクゾーンが隠れてて、見た途端にドスッと心臓を射抜かれる、みたいなこともあるのかもしれないけれど。
まあ、多分このまま一人で暮らしていくんだからそれでもいいかと思っていたんだけど。一人っ子だから孫の顔が見せられないのはちょっと親不孝かなあとは思ったりはしていたのさ。
で、こないだ仕事先でひょんなことから話がみょんな方向に転がってってお見合い? みたいなことをすることになったのよ。お相手さんはだいたい自分と同じくらいの年齢で結婚相手を探しているらしくって、それがたまたま自分のところにまで飛んできたってことみたい。
一応写真も見せてもらったけど、どんな顔してたのか覚えてない。なんとなく地味めな感じで、ちゃんとお化粧したらそれなりに美人さんになるかもしれないなと思ったのだけは覚えてる。なかなか人の顔覚えないタチなのよ。だいたい一ヶ月くらい顔合わせてれば覚えるんだけどね。
女の人とちゃんと話すのなんか滅多にないことだから、どうしたものかと考えてみたりもしたんだけど、あんまり適当な事も思い浮かばないので、経験積むと思って色々話してみればいいかなと思ってる。うまく行かなくて当然、くらいの気持ちで。
実は結構浮かれてて、それが却って不安。非モテこじらせたのが下手に女の人と関わると暴走して大変、みたいなのを増田でもよく見るでしょ? 多分自分ものぼせ上がって醜態晒すんだろうなあと思うとなんだかなあという気分になる。でも、端から何も期待しないでいるよりもマシかなってのと、せっかくなんだからおもいっきり浮かれていればいいじゃないって思ったりする。だらだらこんなのを書いてるのもそのへんの気持ちを少しでも整理したかったから。
なんとなく婚活をしていたんだけど、ちょっとわからなくなってしまった。
一番の理由は世間体、なんとなく結婚したほうが幸せになれそうな気がする、結婚して子供育てるのが「普通」だと自分や周囲の人が思っていて「普通」が無難なんだということ。
会社でもお前はまだいい人できないのか?みたいにネタにされることが多くて辛い。
親が孫の顔を見たいと言っていて、それをかなえてあげたい、という思い。
あとは、一人はさみしい、誰かと一緒にいたい、一人身の生活は何かあった時、老後が不安だということ。
そこまで深く考えてなかったんだけど、やっぱ結婚しないといけないよなあと思って何年も婚活をしていて、結構いろんな人と会って、でもなかなかうまくいかなくって、今の人と巡りあって。
その人は上に書いた条件にかなわないんだけど、僕は週末に食事に誘ったんだ。
まだ全然早いんだけど、この人と本気で将来を考えると、親が泣くだろうなあとも思う。
俺、なんで結婚したいんだろう。
なんであの人誘ったんだろう。
親(私にとっては祖父)のコネで大企業に入り、転勤なんのその勤め上げ、退職後資産運用に失敗、アル中から脳梗塞痴呆で5年間寝たきりだった父が死んだ。
家庭を顧みない父だったが気の小さな優しい人だった。本社で祖父に見張られるを嫌がり、地方を転々として、私達も10数回の引越しについていった。
祖父が死んでから、東京に戻り祖母が同居することになった。気位の高い人で、私達家族を見下げていた。当時高校生の私を筆頭に家庭は荒んでいき高校を卒業する子供達はと次々家を出た。
祖母が死んだ後、妹達に財産放棄させた父は浪費のあげく騙されて資産を失い、うつからアルコール依存症になった。
たまに孫の顔を見せにいくと飲んでいるかこれから飲むか、飲みすぎて寝ているかだった。
母や私達の言うことを聞くはずもない。隠れて飲み、断酒会も続かず、強制入院を考え始めた矢先、脳梗塞で倒れた。
母は専業主婦だったがパートで稼ぎ、自分のへそくりから返済した。
二回目に脳梗塞の発作が起きて、母は父を病院に連れて行き、発作がおさまった後、自宅に連れ帰ることを拒否した。
父は精神病院に入り、三ヵ月後完全に廃人となり、要介護で施設に入った。
あれから二年経ち、先日ようやくお迎えが来た。
遺体の口に酒を注ぐと、笑っているように見えた。
親が転落していく時、子は無力だ。
私は、父を助けられたはずである母を恨んでいる。私は長女で、父が好きだった。小学生のころ、父は母のものだと理解して以来、母恨んでいたような気がする。
大好きだった父や祖父と同じ墓に入れないと言われた時に、母を憎いと思った気がする。
私は長女で、祖父の家で生まれて(弟たち里帰り出産だった)、立派な門のあるあの家に毎年預けられていたのだ。
あの家の嫁としての勤めを果たせず、身代を食いつぶした母を私は許せない。