夏目漱石のこころ、上「先生と私」で、「恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです」という、個人的に印象的な台詞がある。主人公の「私」が花の下で仲睦まじく歩くカップルに冷やかしの言葉を口にした時、先生が言った言葉である。私はこの言葉を下記のように超解釈する。
「リア充だったら『リア充ばくはつ』なんて言わんだろ」と。先生、この解釈絶対間違ってませんよね。
大前提として、先生は既婚者であり、可愛い細君がいる。「私」は未婚者でまだ恋もしたことがない(でも恋はしたい)童貞だ。現代でも過去でも、やっぱりなんとなく恋をしたことのない(でも恋をしたい)人間たちは、リア充を罵る傾向にある。私だって、そうだったからよく知っている。
喪女時代が長かったので、ずっと心の中でリア充を罵って生きてきた。手を繋いで歩いているカップルがいれば「轢いたろか、ワレェ」と思い、花火大会の花火の下でキスをするカップルを見れば「あのカップルに向かって、ロケット花火とかねずみ花火とか投げてやりたい」と、思っていた。とにかく、カップルを見れば内心舌打ちの連続だった性格のわるーい喪女である。
そんな喪女にも最近彼氏ができた。念願の彼氏である。しかも、めっちゃ性格良く、賢くてイケメンであらせられる奇跡のような彼氏なのだ。そして、何より私は彼のことが好きで、彼も(奇跡的に)私のことをとても好きでいてくれて、大事にしてくれている。
「喪女卒業!リア充の仲間入りだ!」と思った時、私の心の中に駆け巡ったのは、先生の「恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです」という言葉である。CV.子安武人で脳内に再生された。「ヤッター!もうこれで、カップルを見るたびに劣等感を感じて、孫の顔が見れないんじゃないかと落ち込んで一日ブルーになったり、友達の惚気話に内心舌打ちする生活はしなくて良いんだ!彼らや彼女たちを純粋に祝福できる!最高!リア充最高!」ってなんて思ったのだ。私は、「私」側の人間でなく、「先生」側の人間になったはずだった。
でも、そ ん な こ と な か っ た!
人生甘くない。やっぱり、カップル見ると「リア充がいるぞ!!全力であそこに羽虫が集まれ!」って思うし、「ケッ」と唾を吐きたい気持ちになるのは変わらない。わーん、先生の嘘つき!リア充だけど、めっちゃ「リア充ばくはつ」って言ってる!前より言ってる気がするぞ。特に、彼女とかが可愛いともう、駄目なのだ。石でも投げてやりたい気持ちになる。「きらきらしやがって!幸せそうにしやがって!」と、思う。
結局、私は比較してしまうのだ。彼女である彼女たちと、彼女である私と。「私、今の彼氏と釣り合ってるのかな」とか「あんなに、私たち幸せじゃないかもしれない」とか、「あんなに、可愛い喋り方できない」とか。やっぱり劣等感がつきまとう。可愛い女の子はリア充になるけれど、やっぱり喪女は喪女のまま。リア充になっても、偽物感がぬぐえない。私は「暖かい声」を出すことができない。カップルを心から祝福するなんて、できない。
やっぱりリア充爆発してしまえ。そして、こんな意地汚い自分も爆発してしまえ。
先生の、嘘つき。
あら可愛らしい 彼氏のために可愛くなりたいなんて良いじゃん
恋に満足してないじゃん。 釣り合ってるのかな、捨てられないかな、私よりあの人たちの方が幸せかな。 不満だらけじゃん。 先生は嘘つきじゃない。