はてなキーワード: 大戸屋とは
以前ここではてブ婚活を見かけそのうち書いてみたいと考えていた。釣りではありません。
はてブは基本ROMで時々コメントを書き込む程度です。注目コメントに載るとちょっと嬉しくなります。新NISAを始めるとき大変参考になりました。20代で結婚出来たらいいなと考えているのですが今のところ厳しそうです。
来年東京から山梨の実家にUターンして正社員で就職、大卒見込み、自炊経験あり
日本酒を少し飲む、煙草は苦手。比較的ポジティブな性格でメンタルは安定している。動物が好き。
先日発足した東京都の男女同額なAIサービスをうらやましく思ったから。マッチングアプリは知り合いにばれるのが恐ろしくて入れたことがない。地元の官製婚活のホームページを見たところ、男性8000円で女性無料という歪な金額のイベントが多くがっかりした。お金を出せるものなら出したい自分には合わないと思った。旧Twitterを数年前に辞め、現在は小規模なブログを行っているだけで、ネット上の出会いはほとんどない。今のうちに何とかして他人と出会いたいと思った。今は大学生で東京にいますが一人暮らしの家賃は苦しいので来年実家に戻る予定。
どんな人がいいか
20代前後で、山梨、東京、長野、静岡あたりの方。身長は全く気にしません。男女も問いません。喘息があるためたばこは吸わない方がよいです。以前いい感じになった人が二人いましたが双方が筆まめではなかったためいずれも半年ほどで自然消滅しました。身内やごく親しい友人以外のLINEを即返信するのがどうにも不得手です。(メールは気楽で好きです)子供はいつか欲しいなと思っている。両親がお見合いで結婚してうまくいっているため、趣味を許容し放置してもらえるのであれば恋愛感情は特になくてもいいです。ADHD(未診断)らしき散漫さと過集中が交互に訪れる症状がありますが、それを見越してカレンダーに書き込み、早めの行動をする性格なので遅刻したことはありません。
読書、他人のブログをRSSで読むこと、神社仏閣に行って古い建物を見ること、一人旅、温泉、戦前の古本集め。収集癖がある。潔癖ではないが洗濯好き。中華料理を作るyoutubeのチャンネルをよく見ている。人の顔を覚えるのをかなり苦手としているため、好きな芸能人はいない。ドラマや映画は怪奇ミステリー系が好き。思い付きで行動してしまう。(これも突発的に書いた)
好きな食べ物:大戸屋の定食、シュークリーム、適当に淹れた紅茶、リンガーハットの長崎ちゃんぽん、海鮮丼、インドカレー
金銭感覚:一期一会になることが多い古本収集が趣味なので、欲しいものがあればすぐに買う。スーパーでは少しいい食材を買う。ブランド品にお金を使うことはない。
旅行が好き。海や湖のほとりも好き。朝4時台の電車の始発に乗って現地に向かうタイプ。フットワークは軽いほう。
xxxxxxx(アットマーク)gmail.com(メールアドレス)
ここに20代あたりの方がいるかすら分かりませんが、もし興味がありましたらお気軽にメールでお問い合わせください。友人も同時募集しています。
やっぱり素直にマッチングアプリを始めるのがいいのだろうか……書いてしまったものは仕方がないのでとりあえず投稿してみます。
ちょっと伸びていて驚いた。私もそのサイトは見ましたが、そもそも官製はかなりの割合で30代以上対象でした……無料ばかりは言いすぎましたすみません。
釣りと書かれると予測はしていました。本当なのに……証明しようはないですが、現在英語圏中心にレトロブームが起こっているのは事実で、私もそこに乗っかった一人です。feedの存在もそのコミュニティで知りました。
20代ではてなを見るような奇特な人間はマッチングアプリには居なさそうだと思い少し書いてみただけです。趣味が古くて同世代となかなか合わないのは確かにありますが、ほっておいて貰えれば問題ありません。あと異性愛者なので男女問わずは友人募集の方です。
うまみ調味料!にんにく!油!のパンチがきいたジャンクフードだ
肉の量も充実しておりとても満足感がある
餃子やラーメンも安くつけれる日高屋と勝負できているのだろうか?
これは好みの調味のためにテイクアウトしている
学生時代はコーラをコンビニで買えば安いという下心がなかったといえば嘘になるが
クラチはケチャップ、マスタードをたっぷりつけてブラックペッパーをたっぷり振って食べる
この北海道ポテト+トリュフ塩はまじで最強にうまいので騙されたと思って試してほしい
鶏の黒酢あん(単品、2個増量)、大戸屋ばくだん小鉢、たまごプリン
鶏の黒酢あんとチキンかあさん煮はなんだかんだよくてきてるとは思うが他もうまい
大戸屋がいいのはおかず単品とか肉増量とかサイドとかかなり細かくカスタマイズがきくのと
たまごプリンが甘くて大量のバニラビーンズが入りとにかくうまいということだ
しかしノーマル牛丼に七味に紅生姜に玉子という王道が結局圧倒的にうまいのだ
そしてすき家は肉の盛りが他チェーンより良い気がする
15年前はすき家のノーマル牛丼は食べるのが厳しいレベルだった記憶だが今はそんなことはない
個人的におしんこの土くさい感じがあまり好みでないのが残念である
ポーク1辛、300g、メンチカツ、ほうれん草、オムエッグ、ルー追加
ココイチは自分の好きな具材をカレーソースで食べる店ととらえている
特徴を抑えたうますぎないルーがトッピングの邪魔をせず、トッピングや好みの調味を加えて始めて完成する
冷だと麺のコシも悪くないしこのだしもうまい
ちくわ天はうどんにどぼん、とり天はそのまま、コロッケはウスターソースをかけて食べている
コロッケはカロリー的にやりすぎだがソースのアクセントが楽しいのでつい足してしまう
大戸屋は安くて気軽に入れる店かなあ
大戸屋選んじゃう人でも一言「大戸屋でいいですか?」が言えるようになればいいんだよ。
店選びに限らず自分がいいと思ったことが相手にとってどうかなんて確認しないとわからないんだから、黙って大戸屋連れてくやつはそもそも基本的に逐一確認する誠実さが必要。
大戸屋に連れて行く
しかし婚活の現場で「男と女」ではなく「人間と人間」として向かうべきお店とはどんな店だろうか
そもそも「人間と人間」の婚活の重さというものがよく理解できない
まあ生涯のパートナー選びという観点ではとても大事なことなのだろうが、
そもそも初対面でお互いパートナーとして認めているわけでも無い人間と小洒落た店に行く必要はあるのだろうか
ビジネスで大事なのはスモールスタートだ 「小さく始めよう すぐに始めよう」が大事なのだ
小さく気軽に始めればいいんじゃないかね
人間として扱われて喜ぶべき場面だよね
婚活で最初の顔合わせが大戸屋だったっていうツイートが物議かもしてて、個人的には大戸屋はないと思う派の女なんだけども
それに対して大戸屋でいいっていう女性だと判断された、その程度の価値って言ってる男性いるけどそんなわけない
本当に本当にこういう男女で行くお店というものが判断できない人はいる
中学生の頃に、突然手土産買ってきてって言われたら変なの持っていっちゃう可能性あるし、どこに売ってるのかどのくらいの価格帯なのかもわからなかったと思うしそういうことなんだよ
ただそこで、なんとなくちゃんとした方がいい気がする、有識者に聞いてみようができないとこういうことが起こる
そういう男性を育てる気は無いのかっていう意見も見たけど、婚活市場で年齢の期限もあるなか新卒採用からの研修はじまりは厳しすぎる
家事全般できません!って女の人に教えればいいじゃん(ただし今後一定レベルまで成長するかはわかりません)とは割り切れないと思うんだよね
ブラインドを閉じる
コピー機の電源を切る
モニターの電源を切るのを忘れない
システムの打刻
最終退館の入力
照明を落とす
施錠とセキュリティを起動
廊下の消灯で一度真っ暗になる
エレベーターで1階に降りる
表玄関は閉じているので裏口に向かう
大通りを歩く
高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている
小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代の合唱コンクールの課題曲でも。車が多いから迷惑にはなっていないと思ってる。
いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。
自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。
自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分で自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。
酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。
誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日をちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式。最初はちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さない1人遊びがたくさんあった。
何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分のなかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、
あのとき取りこぼしてしまった自分の気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。
泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。
公園の横を抜けて、ファミレスの駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端な惣菜や軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員がシフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。
徒歩25分。家も職場も駅からあまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。
机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。
日中は、
「食事か睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」
「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」
働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。
「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫」
「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫」
「朝は起きて支度できるからまだ」
部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマもデスクワーカーの職業病。もっとひどい生活の人はたくさんいる。いつもの、ちょっと忙しい時の感覚だ。
そんなふうに捉えて、「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。
いつのまに切り替わったかわからないが、これらの「まだ大丈夫」が、どこかのタイミングで「まだ私が故障しないから、ダメになるまで待つしかない」の諦めになった。
大丈夫な私は、まだ働かなくてはならない。みんな何かしらの苦しさを抱えながら生きているのだから、私が勝手に投げ出して良いものではない。この苦境からの脱出方法は、壊れるまで働くしかない。多分本気でそう思っていた。
勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。
ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。
対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫。
大丈夫な自分を演じているのか、大丈夫ではない自分を演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫って何なんだ?
わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議で通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないから大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。
わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある
他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものをあなたは拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた
書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ
病院探しを始めた。
躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラのプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。
まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。
うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。
相手に自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった
紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。
名のついた診断が出た。
有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫だから、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端な診断書を持ち帰った。
朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのものは業務に差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。
なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。
もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。
この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから、二元論で考えることが間違っていたと思う。
この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬の頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫。大丈夫の数をまだ数えていた。
そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日
物音が大きく聞こえる日
そんなものをちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった
退職願を書いた。
できるだけ綺麗な文字でしかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。
遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。
下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。
退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分にバツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。
同僚が出勤してくる
涙が止まらない
10時半過ぎ、何も変わらない
ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした
そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分の感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分を社会と切り離すことに成功した
今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。