はてなキーワード: 声が出ないとは
※B'zファン以外に向けて書いた文章であり、2曲だけネタバレありますので、注意してください。これまでのネタバレ被害の方、本当に申し訳ありません。
すごいものを見た。誰もがそう思っただろうと思う。
一曲目で所々声が出ない稲葉氏。素人が見てもあからさまに調子が悪い。
でも、認めようとしないかのようにいつものようにシャウト。しかし、すればするほどガラガラ声に。
例えるなら、俺が酒飲んだ後にB'z歌う時みたいな声になった。
B'zファンは稲葉氏のストイックさに誇りを持っていたので、まずそこまで事故レベルの調子の悪さに唖然。
稲葉氏の顔は青ざめる。しかし、歌うのをやめることは絶対にしなかった。お約束のCDよりかなり手数の多いシャウトもサボらなかった。声はガラガラだが。
会場は暗転して、どよめいた。
稲葉氏には稲葉氏が全て、というような女性ファンがたくさんいる。彼女らは既に40-50代であることも多く、体も強いとは言えない。
そもそも会場が非常に蒸して暑かった。そのため、心労と重なりバタバタ倒れ、何人もの女性が運ばれていた。
しかし、稲葉氏がステージ上に現れた。そして稲葉氏はこう告げる。
「声の調子が良くなくて、聞苦しい声になってしまい本当にごめんなさい。正直なところ、このまま聞き苦しい声とならない状態でライブを続けられるかどうかは自信がありません。だから、皆さん僕が歌えるかどうか厳しい目でジャッジしてくれませんか。こんなことは初めてで、本当にごめんなさい。もしまた聞き苦しい声になってしまったら、その時は必ず埋め合わせをします。今日の僕のありのままの姿をしっかりと厳しい目で見てください。」
おそらく、稲葉氏にとって35000人の前で聞くに耐えないガラガラ声になるというのは人生最大のピンチだっただろうと思う。
しかし、彼は35000人の聴衆の前で「この俺を見てくれ」と言った。かっこ悪い自分をしっかり見てくれと。
黙って引っ込むこともできたと思う。しかし、今日の自分の至らなさを正直に認め、引っ込まなかった。そして、調子が悪いなりの歌唱、しかし、これまでにない鬼気迫る歌唱を見せてくれた。
謝罪してからは常に水を側に置き、曲中も何度も口にして喉を潤しながら歌っていた。正直、何度も水を飲む姿はカッコ良くはないかもしれない。でも、死ぬ気でステージで這いつくばる稲葉氏はこれまでで一番カッコ良かった。
「自信がない。」と率直に語り、初めて見た稲葉氏の弱さ。しかし、それを曝け出す強さ。そこは今までそれとなく聞いてきた歌詞の主人公の男そのままだった。
正直、B'zなサウンドと歌唱が好きな俺はそこまで歌詞を読み取っていなかった。いや、読み取ってはいたけど、作られた小説を国語のテストのように読み取るだけだったと思う。
初めてB'zの作品に血液がドクンドクンと脈打って流れ始めた気がした。
B'zは安定した演奏を聴かせてくれるもの、と安心しきっていた自分はB'zのことを何も理解していなかった。
35000人の観衆の前で人生最大のピンチと真正面に向き合う稲葉氏の歌唱は胸に響きまくった。
謝罪後に歌った「裸足の女神」と「WONDERFUL OPPORTUNITY」には胸を熱くさせられた。曲を知らない人はぜひ歌詞を読んでいただきたい。
何度もMCを挟み「心配事や悩みをB'zのライブの時だけは忘れて楽しもうとしているのに、何で僕の心配をしなきゃいけないんだよ、と思いますよね。」ということを何度も言っていたのが印象的だった。そういう強い意識を持ってライブに挑んでいたことが手に取るように分かる言葉だった。
こういう時に何でも野球に例えるのはおっさんの悪癖だが、今日の稲葉氏は調子悪いなりに、要所要所を抑えるようなピッチングをしたと思う。
謝罪後はシャウトの手数も減り、原曲より長音をいたずらに伸ばさなくなった。でもファンが「聞きたい」と思うポイントの長音やシャウトは全力でやってくれた。そのポイントで全力を発揮できるように温存しながら歌っていたのだ。
俺は個人的には普段も今日の歌い方でも十分なんじゃないかと思った。
普段、いかに稲葉氏が手を抜かずによりB'zらしくシャウトをし、長音を伸ばしてくれているかがよくわかった。
9回に全力を尽くす抑えの投手が先発で出てきて、1回~9回までミス無しで全力投球をして完封する。
そんなピッチングを絶対にしなければいけないのが稲葉投手なんだな、と思った。
しかし、野球選手は「調子悪いなりのピッチング」もする。俺はそれも立派なプロだと思う。
なぜならピンチでしっかり全力投球をして抑えるからだ。今日の稲葉氏はメロは控えめに、サビで全力投球するような歌唱だった。
全体を通していつもより声量不足気味ではあったが、やはり要所は圧巻だった。凄かった。
稲葉氏はライブの終盤で「30年やってきてこんな経験は初めてです。つまりはこれも30年やってきたからこそできた経験ということです。30年やってきてよかった!」と言い放ちました。これがプロなんだ。
結局、音楽鑑賞という気持ちは消え失せ、スポーツを見ているような気分でライブを見ました。
地方大会から一人で投げぬいてきたエースピッチャーが打ち込まれている。でも、ブルペンに他に投手はいない。
マウンドに上がるのは稲葉投手だけ。ここまでどれだけ練習しているか準備しているか、実力もみんな知っているから、誰も責められない。
一人戦うエースと、いつもどおりで淡々と仕事をこなすことでサポートするキャプテン松本。なんか甲子園みたいな気持ちだったな。
俺が普段カラオケでキツイ場所が、今日は稲葉氏もキツそうだった。
そんな姿を見て、当然だが「稲葉さんも紛れもなく、俺と同じ人間なんだ」ということを感じ取った。
今日の稲葉はこれまで見てきた稲葉で間違いなく最悪の稲葉だったが、これまで見てきた稲葉で間違いなく最高の稲葉だったとも言える。
稲葉氏は「ライブが始まっても自分の声が全然でなくて、真っ青になる夢をよく見る」と語っていた。
まさにその夢が現実になったのが、今日のヤフオクドームだったのだ。
言葉で言うのは簡単だけど、ピンチに真正面から向き合うとはこういうことなのか。
電話応対で、突然社名をつっかえたり吃るようになったのが2、3年前
なぜそうなってしまったのか、よく分からないけれども誤魔化しながら何とかやってきた。
ところが今年、ゴールデンウィーク明けになったら今度は社名を言おうとしても声が出ない。喉が詰まるような感じで声を出そうとしても例えば「……まっ、ま、ま…」という感じで言葉が出てこない。無理矢理言葉を出そうとすると、「ままままま…」と連続してしまう。これはおかしいと思ってネットで調べたら難発性の吃音と症状が全く同じだった。
それから今の自分の状況と対処法をネットの体験談を読み漁ってみた。症状を和らげることはできるけど完治は難しいらしい、
対処法としては早口にならないようにする、ゆっくり話す、社名の前にワンクッション置くなどなど…色々なテクニックがあるようだったのでとにかく試してみた。その結果、社名を言えなくなることはできたけどやっぱりどもってしまう。声の出し方を思い出せない。心と体が一致しないとか、脳がバグを起こしてるとか、そういう感覚がしっくりくる。
社名が言えればあとはスムーズに話せるけど、最初の第一声がちゃんと出るか不安で電話を取ることもかけることも怖くなってしまった。職場は電話がひっきりなしに鳴るところなので逃げ場が無くかなり追い込まれていたけど、今日やっと上司に相談して周りの人にもカミングアウトして協力もらうという話で落ち着いた。
多分ストレスが原因だと思うけど、(今は)あまり感じていないと思っていたので、半信半疑です。でも、入社してからは慢性胃炎になってしょっちゅうキリキリしてたし、元々体に出やすい体質なのかもしれない。
表面的な行動ならいくらでもできる。
老人に席を譲ったり、同僚の仕事を助けたり、
病の友人に見舞いをしたり、落とし物を届けたり、
後進のためにできることをやっておく、
家族のためにサービスする、彼女にサプライズして喜んでもらう、
できるだけ楽しい思い出になるように「ニコニコ仮面」を被りお調子者を演じる。
思っていた通りの反応。
その繰り返し。
だけど、俺は人を愛せない。
俺を慕ってくれている家族や恋人、友人には本当に申し訳ないのだが、
愛する人のために命を捨ててもいいというような境地に至ったこともない。
あまりにも演技が上手くいってるおかげで優しいとか気が利くとか評価され慕われている。
けれども、それは全てただの行動だ。
そう学習し行動してるにすぎない。
もちろん、誰かが傷ついているところを見ると心が痛む。
だが、これは相手を思いやっているわけではないのだ。
誰かが傷つく可能性があるということは、いつか自分にその順番がめぐってくるかもしれない。
そういった不幸への恐怖心が俺の心を動かしている。
俺が募金をしないのは、募金を必要とするような大多数の不幸な人間のことまで考えてしまっては、
自分の心に生まれる恐怖心は膨大に膨れ上がり、日常生活を送れなくなるからだ。
だから当然アフリカの子供たちが何万人死んでいようが俺は救おうとも考えようともしない。
ただ己の範囲内でそういった人間がいると穏やかでいられないから、
他人の目からはそれは誰かを思いやった心から出た善意に見えるかもしれない。
しかし、俺からしたらストレスを減らすための自分のための行動でしかない。
どうすれば人を愛せるのか?
俺は人を愛したい。
だけど愛する心が無い。
こればかりはどうしようもない。
目が悪ければメガネをかければいい。
耳が悪ければ補聴器をつければいい。
足が悪ければ杖をつき、車いすに乗ればいい。
だが心が足りない人間はどうすればいいのか。
善意からくる行動をまねていれば、いつか答えが分かると思っていた。
誰かの喜ぶ顔を見れば、いつかこの冷めた心にも小さな芽が育つと思っていた。
だが、どれだけ待っても、芽はひとつも出ることがなかった。
元々そこに種はなかった。
俺自身、愛を信じていないのだろう。
本当に愛が素晴らしくこの世の真理であることが疑いのない事実であれば、
とっくの昔にこの地球は愛で満たされているはずだろう。
実際は今日も飢餓で死ぬ人間や殺される人間、貧困に苦しむ人間が
この地上には数えきれないほど存在する、今、この瞬間にも。
この世は地獄だ。
俺は単に、日本という社会、この時代に生まれ勉強することができ、
俺とアフリカの子どもの違いは、単に生まれた場所、境遇の違いだけだ。
俺がアフリカで彼らと同じように生まれたら、今のような生活は絶対に送っていない。
それは誰にも変えられなかったことであり、起きてしまったことだ。
愛せない人間はどうすればいいのか?
俺は必ず死ぬ。
産まれてきてよかったと一度でも思うことができれば、
自分も普通の人間と同じように趣味や仕事ややりたいことはもちろんある。
だが、それらは死への恐怖に打ち勝つだけの魅力にあふれる題材でもない。
愛だ。
人に愛してもらうのではなく、究極に人を愛する必要がある。
おそらくそれこそが死への恐怖に打ち勝つ唯一の手段であり、最も尊い行為だろう。
だが人を愛するには何が足りないのか未だに理解できない。
人を愛する人間と同じポジションに立てば何か分かると考えていた。
余計分からなくなった。
愛が素晴らしいのは分かる。
どうしても愛を手に入れたい。
親になり子を持てば分かるのだろうか?
表面上愛しているように見えて、子もそう思い信じている。
誰も知らなければいいというのは通用しない。
できる以上のことはやってきた。
何かを意図的に信じ込むことも試してみたがどうしてもできなかった。
愛はどこから与えられるのか。
愛を知る人たちが眩しい。
俺はこの先ずっと彼らに劣等感を持ちながら生きていくしかないのだろう。
俺は地獄にいる。
今までどんなのあったかな。。
上から下まで触られたのは辛かった…怖くて声も出せなかった。
多分二回有ったと思う。
突然車から食べかけのリンゴみたいのを頭におかれたことがあった…
中学生のときは冬の18時くらいにピアノ教室の帰りに自転車で帰ってたら、
高校生から電車にのりはじめて、お尻触られるは半年に1回くらいかな。
一度集団の男性陣に電車内でかこまれて、髪を触られて当時一番の恐怖だったかも
あと、通学の朝、すれ違ったおっさんがUターンしてきて後ろから触ってきたのもかなり恐怖。
しばらくその道は通れなかったな。
大学生になってもお尻触られるのはなくならなくて、
1限はそれ以来時間通りにいくことはなくなった。一応単位はとれたけど
あと、大学時代は昼間の電車のすいている時間でも普通に痴漢があった。
おばちゃんに席を移動しなっと促されてことなきを得た…
お店で突然後ろをとられてお尻触られたり…本当一瞬の出来事過ぎで声が出ない…
歩いてたらものすごいスピードで通り過ぎていく人がお尻触ってきたり…
セクハラは、人事権のある人から告られて、どうしようもなくなったこと。
何のつもりなのだろうか?
女でいるだけでこんな嫌な思いするのって何かの罰ゲーム?
女ってだけでこんな罰ゲームうけなきゃいけないの?
男の罰ゲームって何?
思うというのは、当時はその病気の存在を知らなくて確定はできないから。
しかし、調べてみると症状が当時の自分に酷似しているのでまず間違いないと思う。
「家庭などでは話すことができるのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、学校や幼稚園といったある特定の場面・状況では話すことができなくなる症状が続く状態のことをいう。 幼児期に発症するケースが多い」
だそうだ。
私も家庭では普通に話していたが、学校ではうまく話せない、声が出ない状況だった。
原因はわからない。
この病気の怖いところは、話せない以外に特に障害がないので「ただの大人しい子」として認識されて周りが気づかないことだ。
私も親や友達、教師に気づかれることなく、自分でもなぜ話せないのかわからず一人で苦しんでいた。
少し話すことがあると「増田がしゃべった!」と囃し立てられたり、一斉に注目を浴びたりするので余計に話しづらくなる。
それに、高校生くらいまでは明るくて面白い方が友達はできやすい(一般的には)ので、話さない私に友達はほとんどできなかった。
大学に上がってから価値観の合う大切な友達もできて、恋人もでき、今はそれなりに幸せだ。
しかし、後遺症なのかトラウマなのかいまだに人前で大きな声を出すことができない。
コミュニケーション力が重視される就職活動ではこれが大きな枷になった。
最近になって場面緘黙症の存在を知った時、あの頃知って治療できていたらどれだけ生きやすくなっていただろうと私は泣いた。
周りに大人しい子がいたら少し気にかけて欲しい。
もしかしたら一人で理由もわからず苦しんでいるかもしれないから。
力になってあげてください、お願いします。
対策は思いつくけれど、そういう目に遭わないようにすることの優先順位は他のものよりも低いだけなんだろうなぁ。
外国人から無理矢理キスされた場合にどうすればいいんだ?という疑問についての答えは、腕をつかんで「痴漢です!警察読んでください!」と叫ぶだろうな。声が出ないなら防犯ベルを鳴らす。あなたがこれをしないことで、この男の勘違いは直らず、次の犠牲者が生まれ、その人が帰国して吹聴することでもっと多くの犠牲者が出る。
1. 見知らぬ人には親切にするよりも、「知らない」と答える。
2. 通りを歩く時は常に警戒する
3. 外国人が必要以上に近づいてきた時点で「近づくな!」と言う。
4. 小声で聞き取れない時は大声を出すように頼む。
そもそも、あなたが何かの担当者で、あなた以外に聞く相手が居ないという状況でないのにあなたに話しかけてくる時点でおかしい。
5. 服装からかわいい系の要素を捨て、男からなめられないようにする
「今日は絶対にこの女とセックスする!」と強く決心してきた人から自分で逃げることができない人は、一人暮らしをしちゃいけないということだと思う。でも、自己防衛できる人は異性とアルコールをそこまで飲まないし、つきまとわれた場合は「帰らないと警察呼びますよ?」と警告して、聞かないと本当に警察署や交番に入っていって「つきまとわれているんです」と相談でしょうな。
仲のいい先輩の知り合いにまでいい顔する必要はないと思う。仲のいい先輩に変なことを吹き込まれたら、ことの顛末を説明すればいいと思う。そういう冗談が通じる = あいつは簡単にやらせてくれると思われる方が損じゃない?
どうしても今のこの気持ちが抑えきれず、文章として書き起こすことにしました。
にわかハロヲタの駄文ですが、お付き合いいただければと思います。
忘れもしない7月25日。
その日は僕が好きなハロー!プロジェクトのグループ「Juice=Juice」が吉祥寺のライブハウスでコンサートをする日でした。
5月に行ったコンサートのあと、ハロプロ全体で新体制として色々な変動がありました。
Juiceには2人の新メンバーが入り、元々の5人グループから7人グループへと変わりました。
そして僕は吉祥寺で初めて7人体制になったJuiceのコンサートを見る・・・
はず、でした。
その日の昼頃、ハロプロの公式サイトで更新された「宮本佳林に関するお知らせ」というタイトルのニュース。
宮本佳林(みやもとかりん)ちゃんは僕がJuiceで一番好きなメンバー、いわゆる推しメンです。
何事かと思い記事を開き、そこに書かれていた文章を見て呆然としました。
医師との相談の結果、声を出す必要のある仕事を全てお休みさせて頂く事になりました。」
物々しいその病名に、僕はただ不安を掻き立てられました。
発表の数日前から開催されていたハロコン(ハロプロ全体の合同コンサート)の時点で、佳林ちゃんは喉の不調により歌唱には参加せず
聞いたこともない病名、これから行くはずだったコンサートに佳林ちゃんがいない事実。
そうして気がつけばコンサート開始十数分前。
他のメンバーの開演前アナウンスでも、佳林ちゃんの休業についてお知らせがされていました。
佳林ちゃんがいないのはとても寂しかったですが、Juiceの全員が好きな自分としては楽しまなきゃと思い、その場は考えないようにしていました。
開演を待つ中、スマホの電源を切る前にTwitterを覗くと佳林ちゃんがブログを更新していました。
その内容は、
7人体制になって間もない単独コンサートに参加できなかったこと、
ごめんなさい、ごめんなさいと、本当に悔しそうで、辛そうでした。
それでも彼女は前を向いていました。
焦らずにしっかりと治してまた帰ってきますと、力強い決意をしていました。
このブログを読んで、沈んでいた気持ちがぱあっと明るくなりました。
休業すること、声が出ないこと、一番辛いのは佳林ちゃん本人で。
でもそんな佳林ちゃんが前向きでいるのだから僕が落ち込んでる暇なんてないと、そう気づかされました。
そして自分にできることは、佳林ちゃんが帰ってくる場所で今まで通り、今まで以上に応援することだと思いました。
その日のコンサートは全力で声を出して、全力で紫(佳林ちゃんのメンバーカラー)のペンライトを振りました。
それから佳林ちゃんは毎日のようにブログを更新してくれました。
声が出せないならブログでファンの皆さんに届けたいという彼女の思いやりに胸を打たれました。
そして僕も、今まで頑なにしてこなかったブログへのコメントをするようになりました。
佳林ちゃんが帰ってくるまで書いてくれた記事には必ずコメントをしようという、ちょっとした願掛けのような気持ちでした。
そうしてあっという間に1ヶ月が経ち、8月28日。
再びハロプロの公式サイトに「宮本佳林に関するお知らせ」の文字が現れました。
「現在の回復の状態を見て、8月31日のコンサートから出演することになりました。」
気がつくと涙が溢れていました。
機能性発声障害についても素人ながら色々と調べて、長期の休業になるであろうという覚悟をしていた矢先の嬉しいニュースでした。
すぐに佳林ちゃん自身のブログでも発表があり、そこに彼女の思いも綴られていました。
声が出せない恐怖、周りに迷惑をかけてしまっている自分、色々な悩みがあったそうです。
それでも温かい周りの人たち、ファンからの励ましのコメントに支えられたと言っていました。
ブログにコメントをするくらいしか自分にはできないと思って、ひたすらに書き残してきたことが
少しでも佳林ちゃんの励みになっていたのなら、こんなに嬉しいことはありません。
不安や恐怖に心を折られて、そのままやめてしまってもおかしくない状況だったと思います。
それでも佳林ちゃんは、絶対に戻ってきたいと強く願ってくれたんです。
佳林ちゃん、戻りたいと思っていてくれてありがとう。
Juice=Juiceを好きでいさせてくれてありがとう。
キッスもまだ無い。
どこで間違えたかとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニヤニヤとアヌメを見ていた事だけは記憶している。
わたくしは下衆ノ極ミ乙女。というのをスマホで見た。しかもあとでググると、それはバンドマンという人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。
このバンドマンというのは時々我々を捕まえて煮て喰うという話である。
しかしその当時は何という考もなかったから別段恐ろしいとも思わなかった。
ただ彼らの掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがするそうである。
ふと気が付いて見ると私以外処女じゃないの。
たくさんいた処女が一人も見えぬ。
のそのそ這い出して見ると世間は非常に生きにくい。
しばらくして、鳴いたらバンドマンが喰いに来てくれるかと考え付いた。
ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。
わたくしは女子からババアの世へいつのまにか異動していたのである。
お腹が非常に減って来た。
泣きたくても声が出ない。
でも生きていたいの
普通でしょう?
当方、10歳の頃から難発性吃音の症状が出て20年になるが、症状が全く出ない時期も出る時期もあって波がある。
ひどい時は10秒ぐらい何も言えない時があってドン引きされてるのもわかるが、長い人生において10秒なんて一瞬だなと思ってもう開き直っている。
今日も郵便局で切手を買おうとした時にすぐ発言できなくて、購入すべき切手の組み合わせをものすごい全力で考えてる人みたいになったけど、所詮一瞬だ。
増田の息子さんも症状が治らないまま大人になったらつらい思いをすることも沢山あると思うけど、声が出ようが出まいが解決するのが難しい課題は人生には沢山あって、それらは声が出る・出ない関係なく解決する方法が必ずある。
吃音者の一部は「ちゃんと喋れさえすれば何もごともうまくいく」という極端な思考に陥りやすい傾向があるらしいが、
「うまく声が出ないこと == 人生何やってもダメ」なんていう極論に走らず、足が遅いとかその程度のもんだな、と思って、本当に集中すべき課題に集中して人生を生きてくれることを祈る。
数日前に、急に話せなくなったとのこと。
しゃべろうとしてもなかなか言葉が出てこないらしい。
例えば、
12歳になるまで、言語の発達に関しては特に気になることはなかったので、夫婦ともに少々パニックになった。発症後4分の3は時間が解決するらしく、様子を見るしか無いのだが、要因が脳などの疾患だったら話が変わってくるので何はともあれ病院にて脳波やMRAなどの検査を受けた。検査の結果では特に問題はなく、原因は分からないが、まずは一安心だった。
一安心ではあるけども、これから短期・長期は分からないが、吃音と息子は付き合わなければならない。
親としては、まずは息子を取り巻く環境の改善を考えるが、特に要因がわかっているわけでも無いので、「何かを否定する」わけにも行かない。早寝早起きとか、身体的/精神的な疲労をより取り除ける方向に生活習慣を改めるぐらいか。あとは、無自覚にストレスをかけるようなことをしていないか自分を慎重にふりかえりつつ、今後の言動に注意するとか。
そして大きな課題は息子自身の人間関係だと思っている。担任の先生や学校には、現状を共有するとはいえ、それだけで不安要素が取り除けるわけでもない。息子に関わる人達に全て説明できるということでもないし。大人も含めてかもしれないが、子供同士ともなればますます、こちらが正解だと思っているような対応をみんながみんなとってくれるという期待はできない。
となるとやはり、息子はある程度、覚悟というと大げさだが、ある種の開き直りの心境でいたほうがいいだろうと、こんな話をした。
腑に落ちたのか、納得している表情に見えた。
一通りのやり取り後は息子も納得した表情のように見えたし、かみさんも同じような表情をしているようには見えたそうだが、一度話したぐらいでなんとかなるほど甘いものではないだろう。
一過性で解決してくれれば、それにこしたことは無いけれど、付き合いが長くなる可能性もふまえて、家族で考えていかないとなあ。
俺の場合は「痛かったら手を挙げてくださいね〜」と言われているので、激痛が走ったときのみ両手を挙げて「超イタイ」アピールしているぜ。
一応ちゃんと手を止めてくれるし痛かったところはソフトに扱ってくれてる気がするぜ。
ところで口をあけているときに歯医者さんから色々聞かれたりするじゃん。みんなジェスチャーで答えてる?
それとも「ふぁい、ほうへふ」「ふぁいひょうふふぇふ」みたいにお腹から声をしぼりだしてる?
俺はお腹から声をしぼりだすのがどうしても恥ずかしくて、うなずいちゃったり頭を左右に振ったりしちゃうことがあるんだけど、これって危険が危ないよな。
アイコンタクトで返事したりもしてるんだけど、顔に紙をかけられてるときはアイコンタクトもできない。
ジェスチャーで答えられるときはそうするけど、たまに無言になっちゃったりしてるぜ。
これって歯医者さんからしたら無視してるように見えてるのかな。無視してるわけじゃないんだぜ。マジで声が出ないことがあるんだぜ。
返事せずにいるとたまに同じ質問を繰り返されるときがあるんで、そういうときは頑張って「ふぁいひょうふふぇふ」って蚊の鳴くような声で答えてるけど超ハズいんだぜ。
お母さんを捨てて、自分のことを考えたいのにお母さんに好かれたい選択肢を選んで苦しくなるんです。
私の中から消えてほしいんです。
物心がついてからの一番古い記憶は「お母さんかまって」「遊んでほしい」だった。
けれど、かまってもらえず、カラーボックスに入っている絵本を繰り返し読んだ。
お母さんはつまらなそうに、みのもんたが出ているテレビをつまらなそうに眺めてたね。
ときおり、移動図書館がきて、いつもと違う本を読んだ時だけ空虚な気持ちが消えた。
お母さんに触れたくて、でも触れるのを嫌がられた。
一緒に布団の中に入って、髪の毛を触らせてもらえたのが唯一のふれあいだった。
ある日「うざったい」と髪の毛を触るのを拒否された。
かなしくて、母親のいないタンス側の隙間をのぞいて、じっと泣くのをこらえた。
タンスの隙間から湿ったようなかび臭いにおいを今でも覚えている。
鏡でもよく遊んだ。好きな設定は鏡の中に、将来の自分が映るというもの。
女の子というものは年頃になれば、みんなきれいになるんだと思って妄想していた。
お母さんは、クラスのかわいい子に「○○ちゃんは華奢でかわいい」とか「笑顔がかわいい」と言っていた。
私のこと可愛いって言ってくれたことあったっけ。
おばあちゃんが服を買ってくれると言ってくれたから、淡いピンク色に二足歩行のうさぎと花畑が刺繍されていたワンピースを買ってもらった。
かわいい洋服を買ってもらい満足して、お母さんに見せたら「なんでこんなもの買ってもらったの」と責められた。
私にはセンスないよね、お母さんのいないところでお洋服買ってもらってごめんなさい。
小学生のころは週5で習い事があり、放課後に同級生と遊ぶのは稀だった。
ピンクと答えようとしたけど、それはかわいい子しか使っちゃいけない色なんだって思い出して「水色」と答えた。
それから、水色のものをもらうことが増えていったけど、本当はピンクを持てる子がうらやましかった。
気に入る内容のものはなくて、一番印象に残っていたのは種子島銃の本。
小学校1年生になっても補助なし自転車に乗れないのは恥ずかしいといわれて練習したね。
言い出しっぺはお母さんだったけど、練習は1人か、週末だけいるお父さん。
補助輪つき自転車に乗るより、誰もいないで1人練習するほうが恥ずかしくて心細かった。
乗れるようになってもほめてもらえず、できて当たり前で終わっちゃったね。
お母さんに悲しいことがあって泣きついたときに慰めてもらえることはなかったね。
「泣くのは甘え」といわれて育られたね。
だから、人前で泣かない子になったよ。
クラスで泣いている子がいても、慰めず「あいつは甘いヤツだ」って見下してたよ。
でも、高校生のころに人前で泣くのに怒られないで、慰められているところを見て、私の中の何かがぐらついてしまったんだ。
それから人の目がないところだと、今まで泣いてなかった分を取り戻すように声を押し殺して泣いたよ。
気づいたら、声が出ないで涙がツーっと落ちるようになったよ。
お母さんとの思い出、たくさんあって書ききれない。
でも思い出すと苦しいことばかり。
仲の良い親子がうらやましい。