はてなキーワード: 連声とは
数日前に、急に話せなくなったとのこと。
しゃべろうとしてもなかなか言葉が出てこないらしい。
例えば、
12歳になるまで、言語の発達に関しては特に気になることはなかったので、夫婦ともに少々パニックになった。発症後4分の3は時間が解決するらしく、様子を見るしか無いのだが、要因が脳などの疾患だったら話が変わってくるので何はともあれ病院にて脳波やMRAなどの検査を受けた。検査の結果では特に問題はなく、原因は分からないが、まずは一安心だった。
一安心ではあるけども、これから短期・長期は分からないが、吃音と息子は付き合わなければならない。
親としては、まずは息子を取り巻く環境の改善を考えるが、特に要因がわかっているわけでも無いので、「何かを否定する」わけにも行かない。早寝早起きとか、身体的/精神的な疲労をより取り除ける方向に生活習慣を改めるぐらいか。あとは、無自覚にストレスをかけるようなことをしていないか自分を慎重にふりかえりつつ、今後の言動に注意するとか。
そして大きな課題は息子自身の人間関係だと思っている。担任の先生や学校には、現状を共有するとはいえ、それだけで不安要素が取り除けるわけでもない。息子に関わる人達に全て説明できるということでもないし。大人も含めてかもしれないが、子供同士ともなればますます、こちらが正解だと思っているような対応をみんながみんなとってくれるという期待はできない。
となるとやはり、息子はある程度、覚悟というと大げさだが、ある種の開き直りの心境でいたほうがいいだろうと、こんな話をした。
腑に落ちたのか、納得している表情に見えた。
一通りのやり取り後は息子も納得した表情のように見えたし、かみさんも同じような表情をしているようには見えたそうだが、一度話したぐらいでなんとかなるほど甘いものではないだろう。
一過性で解決してくれれば、それにこしたことは無いけれど、付き合いが長くなる可能性もふまえて、家族で考えていかないとなあ。
http://www.torekiken.org/trk/blog/oshirase/20150525.html
第一に、日本軍が「慰安婦」の強制連行に関与したことを認めた日本政府の見解表明(河野談話)は、当該記事やそのもととなった吉田清治による証言を根拠になされたものではない。したがって、記事の取り消しによって河野談話の根拠が崩れたことにはならない。強制連行された「慰安婦」の存在は、これまでに多くの史料と研究によって実証されてきた。強制連行は、たんに強引に連れ去る事例(インドネシア・スマラン、中国・山西省で確認、朝鮮半島にも多くの証言が存在)に限定されるべきではなく、本人の意思に反した連行の事例(朝鮮半島をはじめ広域で確認)も含むものと理解されるべきである。
国際的にも主流の見解であり, 女性の人権問題として現在にいたる問題でもある異論のない話だと思う。
日本軍「慰安婦」問題に関し、事実から目をそらす無責任な態度を一部の政治家やメディアがとり続けるならば、それは日本が人権を尊重しないことを国際的に発信するに等しい。また、こうした態度が、過酷な被害に遭った日本軍性奴隷制度の被害者の尊厳を、さらに蹂躙することになる。今求められているのは、河野談話にもある、歴史研究・教育をとおして、かかる問題を記憶にとどめ、過ちをくり返さない姿勢である。
ここでは「日本軍性奴隷制」という非常に硬直した語、 定義がそれほど緩くなく、議論を呼びそうな単語が入ってる。初出ではないのだが、あまりメディアでも登場しない言葉だ。この言葉が「従軍慰安婦」のように慰安婦問題の議論が錯綜することは、誰にとっても望ましくないはずだ。どうしてこの単語を入れてしまったのか、これは安倍政権にたいする敵意からの勇み足ではないか。
最近この議論に参加するときは拡散した論点の枝葉を切り落として本質に向かうような努力をしているのでこの言葉が入ったことに戸惑いを感じている。
また、安倍首相の極端な歴史認識に影響され感情的なベクトルが議論の両陣営に広がってることにも猶予せざるえない。熱くなった論争はイデオロギーの二極化を生みはじめてる。この対立の激化の行き着く先に光は見えない。
いま必要なものは冷たく、小さくても堅牢な言論ではないだろうか。政権の勢いに恐怖するあまり、闇雲に対処療法的な方法に走ることはもはや逆効果だ。安倍首相の就任から「ネトウヨ・ナショナリズム」問題にたいして行われた「レッテル貼り」が効果を上げていない現実から目を背けてはいけない。「攻撃のための言論」は真に人には届かないということを身を持って知りそれを改めるべきだろう。あるべき姿を見せることこそが道であり、鏡になってはいけない。論争の先になにを残すのか、それを心しておきたい。