はてなキーワード: 中高生とは
2001年の2月、ジャニーズ好きの友人に見せてもらったビデオ(ザ少年倶楽部)で嵐を知ってハマった。
ジャニーズのJの字も知らない、「キンキどっちが好き?」って聞かれて「魚?」って答えるくらい無知だった。
そこから少ない小遣いやり繰りしてCDやアイドル誌買ったり、頑張ってバイトしてファンクラブ入ってライブ行って楽しんでた。
同級生に好きな芸能人を聞かれて「嵐」って答えると大抵「嵐って何?」「あ、なんかジャニーズにそういうグループいた気がする」
アイドル誌持ってって見せると大概センターにいたメンバーを指さして「この人がリーダー?」って言われてた。それは松潤です。
流行りもの好き女子中高生の知名度がクソの頃からの嵐ファン。アリーナの後ろの座席が埋まらない頃から嵐ファン。
真夜中の嵐でファンの自宅に夜中忍び込んでた頃からの嵐ファン(番組に鍵を送るファンもどうかと思うけど、実際行かせる企画作るスタッフもどうなの)
Cの嵐!でリーダーがクレーマーに土下座してた頃からの嵐ファン。Dの嵐!のコーナーAの嵐!(実験コーナー)で生ゴミ揚げて食べてた頃からの嵐ファン。
犬の着ぐるみ来て2時間番組(好評?だったのか単発かと思いきや2回目もあった)(犬の着ぐるみでライブもしてた)
白Tシャツにハサミ入れて両乳首こんにちは。ストッキング被って木彫り呼ばわり。楽屋に合宿みたいに布団引いてイタリアの大砲ってカメラに向けて尻を付き出す。
アングラ寄りの体当たりアイドルグループ嵐。当時、嵐にはいっぱい楽しませていただきました。
通達が来て「今まで使っていた会員番号(6ケタ)の前に、今後は00を付けてください(8ケタ)」の時点で「おや?」となった。
やっと行けたと思ったら会場の規模はドームになっててペラい衣装は派手になっててセットの豪華さがヤバかった。
テレビで目にする機会が増え、いろんなファンが増えたなって体感した。自分の周囲も嵐を認識しだして、何回かライブDVDを貸したこともある。
ネット上で見掛けるファンには今までの熱心な層に加え、ライト層、アンチ層が増えた感じ。アンチは人気の証拠みたいなもんだから構わなかった。
でも、熱心を超えた盲目的なファンは正直、気持ち悪かった。あと、タレントや芸人に無闇に持ち上げられすぎているのが気持ち悪い。
どんな言動しても奇声を上げるように褒め称えるのみ。彼らは可愛い赤ちゃんや幼児じゃないんだよ。
そういう立ち位置になったんだな、というのは理解しているけど、多分自分の中でアングラ寄りだった頃の感覚が抜けていないせいか、違和感が物凄い。
完全に自分の問題だと思うけど、気持ち悪い。嵐を見ると漏れなくそれらが付いてくるから、いつからか距離を取るようになっていた。
嵐メンバーのみで見ると、交わしてる会話とかコメントとかでアングラ寄り時代の残り香を感じるし、かといって昔のまま変わらずいて欲しいとかもなく、
SNS解禁とか新しい事に取り組んでるのも頑張ってほしいって思うから、嫌いになったわけじゃ無いとは思う。
ただ積極的に見に行くことは減った。見に行くと、漏れなく気持ち悪いが付いてくるから。
今の自分はたぶん嵐ファンなんだけど。ちょっと自信なくなってきたな。
コロナで色々制限掛かってしまったけれど嵐にはグループ休止までやりたいことやって駆け抜けてほしいし、個々での活動になっても応援したい。
中高生の時は社会規範から外れたことをするがカッコイイと思ってた。
ヤンキーに憧れたけどヤンキーにはなれず、周りと同じように勉強して並の高校に進学して並の大学に進学した。
本当に平々凡々な中高生活だったと思う。
その頃他人の容姿をバカにしてはいけないという社会規範に背くことでなんちゃってヤンキー気分を味わっていた。
その頃は周りの人間もやってたしこれくらいは皆やると思ってた。
今思えば最低最悪のやつだ。
自分だってゴリラみたいな顔してる癖に他人の顔をブスと批評するとか厚顔無恥にも程がある。
さすがに対面でバカにしたことはないと思うが、もしかしたら聞こえていたかもしれない。
自分の発言で自身の容姿に自信をなくして人生がめちゃくちゃになった人がいるかもしれない。
自分は過去に他人を容姿で差別したという十字架を背負って生きていく。
社会規範というのは長い間かけて社会が上手く回るように形成されたルールだ。
社会規範を破って悦に入るのはいいが他人がそれで傷つくかもしれない。
当時のクラスメイトの皆さんごめんなさい。
女子は収入も容姿も性格も家族も、できることならどれも妥協なんかしたくない
中高生のころから恋愛経験豊富な女子は相場観があるので適当なところで手を打つことができる
非モテ女子は相場観がなくてジャニやらBLやらで妄想ばかり膨らむので、何かの間違いでまともな男にアプローチされても、もっといいのが来ると思って妥協できない
行ったのしゃ〇葉やろ。
あそこは鍋みたいな食べ方するのがセオリーなとこある。
友達は元増田と高校生みたいにワイワイ楽しく食べたかったんやろな。
現役大学生同士、友達と二人で旅行した。コロナ禍なのを考慮して、電車を乗り継いでいけるぐらいの近場に、あえて車で行った。運転は自分がした。
車を自分が出すので、友人には宿の調達を頼んだ。友人曰く「ちょっといいプランの部屋がとれた!コロナのおかげかも」とのことだったので、どんな眺望が待っているのかドキドキしていた。
ところが、宿について案内されたのは低層階。部屋に入るとすぐベッドが2台。窓を開けると、温泉街(の大通り)が一望できる。いや、これ、どっちかというと安い部屋なのでは?しかし友人は「大きいベッドで寝れるのは旅行の特権だよな!」と上機嫌。でかいベッドって……そんなでかくないぞ?いや、部屋が広くて小さく見えているのか?あれ?と湧いて出た違和感を拭って、ひとまず風呂へ行くことにした。温泉地なだけあって、風呂は抜群によかった。
問題は食事だ。友人のいう「ちょっといいプラン」は地元食材の天ぷらや鉄板焼きが加わったものだったらしく、他の卓より2品多かった。比べられている時点でお気づきかもしれないが、個室食ではなかったのだ。ソーシャルディスタンスを保ちつつも大部屋でチマチマ食べていた。ちょっといいプランなのに?食事自体もまあ、まずくはなくおいしくもなく……という具合だった。
ベッドが主役の部屋に戻ったあと、主役に横たわってテレビを観つつ、もう1回風呂にいくかな〜とダラダラしていたら眠りに落ちていた。
次の日の朝の食事はビュッフェスタイルだった。そこも「ちょっといい」部分があった訳ではなかった。朝食後チェックアウトをする際にびっくりした。自然に「一人あたりの値段だよね?」と聞いてしまった。「これで二人分だよ」。なんとなんと「めっちゃお買い得な」お値段だったのだ。なんかいたたまれない気持ちになった。普段、旅行といったらこの倍ぐらいの値段を使うなあ…というぐらいの価格。
……旅行の帰りに、友人おすすめの店に立ち寄って遅めの昼食を取った。肉と野菜を食べ放題で頼めるしゃぶしゃぶ屋さんだった。野菜の質はよかったが肉がどうも美味しくなく、灰汁ばかり出るので、中途半端に腹を満たして解散した。
そもそも自分の普段の価格感ってなんだ?そうだ、家族旅行だ。子供の頃は親子揃って。高校生ぐらいになったら兄弟たちと。海外国内問わず色々行ったものだった。ベッドルームと食事する部屋はセパレートだった。そういうもんだと思っていた。そういう常識を友人にも一瞬求めてしまった。友人の家族がどういう旅行をしてきたかも知らないのに。
食事もそうだ。しゃぶしゃぶといえば、あらかじめ野菜などの具材を入れて用意された鍋に、大きめで薄い肉を少しだけつけて食べるものだと思っていた。だが友人にとってのしゃぶしゃぶは違った。しゃぶしゃぶ用とは思えない野菜を山ほど入れて、寄せ鍋のようにして肉を煮込んで、灰汁がついても気にせず食べるものだったのだ。
知らなかった。無知とはなんと恐ろしい。
姉と妹にこないだこの話をしたら「兄ちゃんは塾ばかり行ってて、友達とご飯食べに行ったことないから仕方がないんだよ」と慰められた。親から押し付けられた適当な勉強なんかサボって、社会性を学ぶべきだった。後悔しかない。
友人とはそれから当たり障りのない会話しか出てこない。旅行の話題はなんとなく出してはいけない気がしている。出した瞬間友人とは切れてしまうような気がする。自分から断絶してしまいそうだ。
こういうとき増田のみんなならどう話しかける?逆にどう話しかけてほしい?
俺にはわからない。誰か教えてくれ。中高生の放課後に学ぶべきだったことを教えてくれ……。
みんなコメントありがとう。たくさん来ててびっくりしてます。いくつか抜き出して返信します。
①予算のすり合わせはナシかよ?
まったくしてませんでした。すみません。
テレビ見ながらLINE通話で飲んでる(一人暮らし同士、結構頻繁にやってた)ときに、家族としか旅行したことがなくて……と言ったら、「Goto使って、俺と行こうよ!」と誘ってくれた。俺にはそれが嬉しくって予算どころではなかった。
②プランの発案してないの?
友人が「一人旅が趣味」だそうで、率先してプランは任せて!という流れになり、じゃあ俺は足になるよと。穏便に決まりました。おすすめがあるならついていきたいなと。もっと今度は調べたり協力しようと思う。
……この投稿のあと、友人に久しぶりにLINE飲みを持ちかけてみた。ごく自然にまた飲めた。酒の力を借りつつ、友人にここに書いたようなことを話したんだ。「俺が不自然なことして○○(友人)が不愉快になっていたら、本当にごめん」と。
そしたらそいつ、「道理でお前、ずーっと無口だったの!未知との遭遇だなw」「じゃあ今度は○○(俺)の好きなとこにしよ!俺は車がないから、新幹線のチケットを抑える。そしたらお互い知らないことが知れるし、とても楽しみだー!」とか言うの。もう、友人いいやつ過ぎで……。今度こそ予算を聞いて、いくつかプランを考えつつ友人と相談して決める予定だ。
そうそう。コメント欄に書いてあったしゃぶ葉っていう店も検索してみた。昼飯に行ったのはこのチェーンの大型店舗であってる。
あいつ色々教えてくれてたんだよ。「用意されてるタレ用の皿は小さすぎるから、お茶碗につけだれを入れな。引き上げた肉を休ませるのに調度いい!」とか「ゴマダレにきざんだオクラがめちゃめちゃ合うから豚ロースと食ってみ!」とか。
思い出しつつ、一人で予行演習でもしてこようかと思う。一人客もいたから別に変じゃないよな?
おまえらありがとな
数年二次から離れてて、最近久しぶりに新ジャンル開拓してびっくりした。今の中高生はスマホで絵を描くんだね…。
アイビスとか、サービス始まった時に試しに入れてみたことあるけど全然使い物にならないイメージだった。試しにもう1回入れて見たら、筆圧関知してくれるしブラシのカスタムできるしでさらにびっくりした。自分がスマホで描けと言われたら絶対無理やけど。
フォロワー万超のアカウントでもアイビス指描きです!とか言ってる人が普通にいるから驚いた。もともとの画力もある人なんだろうけど、ゲームのスチルみたいにキラキラして透明感あるイラストとか描いてて本当に私が使ってるスマホと同じなのか…?と疑いたくなる。
私が中高生の時は、コピックやペンタブに憧れた。最近はデジ絵を始めようと思ったらまずスマホ(アイビス)、本格的にやりたくなったらiPadとAppleペンシルが多いらしい。
このまえ友達と話してる時、セクシャリティの話になった。中学生のときバイだと思ってたとか、自分の恋愛対象が分かんないとか、そういうの。
異性の友達でも「気づいたら好きになってた」みたいな感じで曖昧になることはあるけど、同性ならどうなんだろう。
私にも彼氏よりよく遊んでた友達がいる。手を繋いだりハグしたりも、女同士なら当たり前にしてて、
そんで、友達。
「性別の違いあるじゃん」って思うかもしれないけど、男女カップルしか認めないなんてもう古い。
恋とか愛とか正直まだよく分かんないし、
セックスしたら恋人、もなんか違う気がする。中学生ならしない子も多いし。
女の子のまつ毛とかさらさら揺れるポニーテールに見惚れるのは何が違うんだろう。
LGBTとかセクシャルマイノリティとか、そういう言葉がなくなって、同性へのドキドキと異性へのドキドキが同じ土俵にたった時、
8月に湾岸でポルシェのGT2RSが起こした死亡事故について週刊誌が容疑者のプロフィールを暴露していたのを読んで「ああ、やっぱり」と思ったので、この機会に自分が知る「この手のスーパーカーを所有する人たち」について3つのカテゴリーに分けて全体に対する比率(自分の主観だが)も併せて書いておく。なお自分も跳ね馬を一台持っている者だ。
規模の大なり小なりはあるが、とりあえず一代で商売が当たって、憧れの車種を買った人間たち(自分はここに属している)。中小企業経営者が多い。このカテゴリに属する人間たちの傾向として、「車種」に対するこだわりが強く、小金持ちになったステータスとして高そうな車の中から気に入った車を選ぶのではなく「いつか〇〇社の〇〇が欲しい」とずっと思っていて、その夢を叶えた者たちである。
車の維持費もぽーんと出すんじゃなく、実は身を切る思いで捻出してるし、段差とかで擦ったりしたらハンドルを持ったまま小さく悲鳴をあげたりするし、高速道路の飛び石で傷がついたりしたら半べそかきながら我が子の髪を洗うかのように拭いたりしている。サーキットの走行会なんて半年に一度行くか行かないかで、行っても直線でちょっとだけ全開にするだけで大満足だ。
それでも人並みに承認欲求はあるので、おしなべて皆みんカラのアカウントは持ってるが、そのわりに友達もコミュもそう多くない。
とにかく大事に大事に乗ってるので、中古市場でよくあるショップの騙しではなく、本当に状態のいい個体が出てきた場合、前のオーナーはこのカテゴリーの人間で、しかも泣く泣く手放した個体と思っていい。
成りあがりAに比べると当てた一山が大きく、簡単に言うとAより金持ちである。名の知れた企業を一代で築き上げた経営者(あくまでイメージだけどZOZOの前澤氏みたいな人を想像して欲しい)もいるし、グループ規模に拡大した水商売経営者や芸能人、最近ではユーチューバーなんかがそうだ(あとは半グレ系?)。彼らの傾向として車は「まあ好き」であり、車種にこだわりはあまりない。彼らにとっての車とは夢ではなく「何かいいじゃんこれ」で衝動買いするものである。
維持費は特に気にしないし、雰囲気で乗ってるからあまり飛ばさない。したがってサーキットの走行会に現れることもあまりない。彼らも一応は大事に乗るが、彼らが大事に乗るのはリセールバリュー、つまり投機的価値も含めて下取り価格を落とさないためである。そのあたりがやはり彼らも成りあがりなのだ。
スーパーカーはすぐ壊れる。もう国産車じゃ考えられない所が考えられないような理由で壊れる。Aだと修理工場からの連絡をスマホの前で正座せんばかりにソワソワと何週間も待つが彼らは、あまりにそれが続くとさっさと下取りに出して次の車を買う。
コアな車好きとまでは行かない者が多いためか、みんカラのアカウントは持ってたり持ってなかったりで、持っていてもまったく更新されず「車を手放したのかな?」と思ってたらツイッターの方で活発に画像を上げてたりする。そして彼らもまた、友達もコミュもそう多くない。
※ここで前もって断っておくが御曹司と呼ばれる人種そのものに対して言ってるのではない。そのヒエラルキーに生きていながら、いまどきスーパーカーなんぞを乗り回す者たちのことだ。
高級車の中でも、スーパーカーを乗り回すのはこのカテゴリーが一番多い。親の代からの医者、親の代からの弁護士などの士業を始め、賃貸物件をいくつも持つ大地主、関西方面になると宗教関係が増える。言わば「生まれながらにしての勝者」だ。みんカラ率は高いが、主に走行会が多く、もっぱらInstagramで大皿にちょこっと乗っかった料理の写真を上げてる方が多い。
彼らに共通しているのは、そもそも裕福な家に生まれているので教育水準が高い者が多い。留学などの海外経験もあるし語学に堪能な者も少なくない。もちろん箸にも棒にも掛からず親に守られたまま大人になったような者もいるが、そういうのは比較的少数派で、この御曹司カテゴリの中もで少しずつ仲間外れになっていく。
このカテゴリだが、高い教育水準で身に着けたその知性と教養に反比例して、なぜか情緒と倫理が中高生くらいで止まっている。なんと言うか…幼稚なのだ。ざっくりまとめると絵に描いたような鼻持ちならない人種、そう、ワンピースに出てくる「天竜人」みたいな人たちだ。一言で言えば「傍若無人」である。この傍若無人さだが、他人のことなどお構いなしという傲慢さではなく、文字通り「傍らに人無きがごとく」である。ようするに他人を認識していないのだ。居酒屋でイキってるちょっと規模の大きな大学生のサークルをイメージして欲しい。
彼らはよくトラブルを起こす。自分が目の当たりにしたので多かったのは、ミーティング会場にしたレストラン、そのレストランの駐車場、高速のパーキングエリアなどだった。俗に言う(貧乏育ちの俺がこの表現使うのはおこがましいのだが)一般人からの、注意、クレームに対して逆上するのだ。「余に意見具申するか下民が!」とまさに天竜人のように。
たとえばガソリンスタンドを思い浮かべて欲しい。公道からそこに乗り入れるときにあなたの車が段差でこすってしまったとする。あなたはどうしますか?前述カテゴリ1である自分はその場で悲鳴をあげ給油前にリップスポイラーの傷を確認し、費用を鑑み修理するかどうかしばらく悶々とする。カテゴリ2の人間はたぶん「ああっ!…まあいっか」となる。ではこのカテゴリ3の人たちはと言えば、まず店員を呼びつけて「こんなに段差があるから自分の車に傷がついた。他にも被害に遭ってる客はいるはずだ。だいたい何でこういうのに配慮して段差を最小限にしないんだ、ガソリンスタンドなんて今青息吐息のくせに」となる(実話)。そしてあわよくば弁償すらさせようとする。ようするにこういう人間達なのだ。仮にも「先生」と呼ばれる職業であるにもかかわらずだ。
こういう人間たちが自分たちのヒエラルキーが通用しないトラブルが起きたときにどうするか?具体的に言えば警察沙汰である。主に事故である。彼らは事故を起こしたとき、警察よりも先に弁護士に電話をかける。よくツイッターで見かける「友人の弁護士」なんて真偽不明のものではなく、本物の弁護士の連絡先が彼らは普通に出てくる。友人のなんて言うふわっとした関係ではなく「代理人契約を視野にいれた」付き合いである。そもそも友人の弁護士による弁護なんて裁判所が認めるか甚だ疑問だ。
余談だが彼らの中には何人か、高校や大学時代に、自らが「やんちゃ」と矮小化するトラブルを親の雇った弁護士に解決してもらった経験がある者がいる。
あとは文字通り「弁護士に任せています」で終わりだ。刑事事件だと多少はめんどくさいことになるが、それでもだいたいは書類送検止まりか悪くて執行猶予である。これが民事だとしたら弁護士に依頼した時点で確実に終わりだ。あとは家の中にこもってコーンズから送られてきたカタログのページを平然としてめくっていればいい。怪我だろうが死亡事故だろうが弁護士は事実関係で争えない以上、執拗に和解に持ちかけようとする。そして大抵は和解になる。
おそらく彼らは親がそうやってトラブルから身を守る所を見ている。あるいは自分が起こした、被害者のいるトラブルを、親の雇った弁護士に解決してもらった経験がある。鼻持ちならないが、彼らにとってはこれは「当然の権利の行使」なのだ。
話を今回のポルシェ男に戻す。スーパーカーのオーナー達を多く見て、付き合ってきた自分として、この男はカテゴリ3の、なおかつ自分は箸にも棒にも掛からぬ存在だが、親と家に守られて歳を重ねて来たタイプと見た。彼はきっと今頃はとっくに保釈されて家で過ごしていると思う。なぜなら逃走する理由もなければ隠滅する証拠もないから。そして弁護士が遺族に和解の交渉をしているはずで、本人が被害者の家に謝りに行くなんて絶対にない。絶対にだ。
悲しいけど、悔しいけど今回の被害者の方たち、そして遺族の人たちは泣き寝入りするしかないと確信する。だからせめて和解金ふっかけるくらいはして良いと思う。幕引きのためなら彼らはおそらくポンと出す。
なぜ自分がこんなエントリを書こうと思ったかと言うと、今回のポルシェ男は息子が同乗してたと知ったからだ。息子は父のしでかしたこと、そして幕引きに至るまでの振る舞いをどう感じるだろうか。心底軽蔑して自分はそうならないと固く心に誓うか、それとも「なるほど、俺んちはこうやれば謝らなくても片がつくんだな?」と思うか。
定期的に行われる逆カプへの憎悪学級会、もうなんかよくわからなくなってきた。
自分も中高生の頃は「AB固定!」とかなんとか言ってた気はするし、
それなりにカップリングにこだわりもあったと思うけど
歳をとったからなのか、そもそも色んな人生経験を経て価値観が変わっていったからなのか分からないが
じゃんけんで抱く・抱かれるを決めてもいいし、そもそも性交渉しなくってもいいし、しなくていいならABでもBAでもいいというかABAというか...。
だけど、この「どっちでも」派がめちゃめちゃに生きづらい。
びっくりするくらいみんなに「え、地雷」って言われる。
ABの人にとってもBAの人にとっても地雷な存在らしい私は。(ジャンルにもよるのかも?)
いや、別に個人の趣味趣向なのでいいんだけど、そんなに面と向かって「地雷」って言う...?ひ...人が好きだっつってるモノに...。
Twitterでの学級会でも、いつも仲良くしている人たちがすごく強い言葉で「逆カプ無理」について呟いていて。
「無理なものは無理、理解し合えないから黙っていてほしい」「うるさい死ねえぇぇ」みたいな...
普段ニコニコいっしょにパンケーキ食べにいく友達にも、同じテンションで同じこと言ってみてほしい。
ついついインターネットだからって、普段現実では言えない強い言葉を使っちゃうこと、私自身もあるんだけど
カップリング論とかって、そんなに強い言葉使って伝えないといけないほどのことでしょうか...?
気の合う人と同士で、好きなことだけ話していてはダメなんですか?
対談読んだが、大手企業が就活サイトに載せてる理想の新人像みたいな内容でちょっとキモかった。
肝心の「15歳~18歳の少年をターゲットとした、王道の少年漫画」について具体的なイメージが伝わってこず、漫画家目指している人たちだって、これ読んで「こんな漫画描いてみたい」っていう構想湧くかなっていう。
「なんでもいいから漫画持ってきて」じゃなくて、編集部はターゲットの中高生男子たちとちゃんと向き合ったほうがいいんじゃない?
まぁ「もちろん今の時代だと、読者の中には女の子や何年も読んでくれているファンもいっぱいいますが」は言わなくてよかったやつだけどね。こういうとこなんだよなー今のジャンプ編集部が反感もたれちゃうの。
もしかすると、傷ついたとムカついたの区別がつかない人なのかな。
他の人だったら傷ついたと思うような場合も、ムカついたと思うような場合も、同じ感情しか抱かない(または抱いたことがない)。
言ってみれば、青色と緑色の区別がつかず、「青色ってなんだよ?要は緑色だろ?」と言うような感じ。
「拗ねとるだけやん」「本当に「傷付」いてるの?」「自己憐憫」ってくだりを見ると、
弱さを許せないタイプの考え方なのかな?とも思ったけど、
傷付いた感情を外に出すかどうかではなく、傷付いたという感情を抱くこと自体に
疑問を抱いているようにも見えるので、単に区別がついていないのかなと思った次第。
「まとめて「ウザい」「ムカつく」等の大雑把な表現しか出会わないと自分の感情が理解できなくなり」、
とのブコメの指摘の通りかも?とも思ったが、
両者の違いを言語化できていないのにとどまらず、感覚的にも両者を区別できていない、のかもしれない。
ちなみに、「むかついてるならやりかえせよ」という主張は、それはそれでよいのだけど、
自分に非がないにもかかわらずやり返すことができない場面で、人がどういった感情を抱くかに
見事なまでに想像が及んでいないのだなと思った。