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はてなキーワード: デザイナーとは

2024-04-08

再放送増田百合の園

マジレスするけど増田で『社内SE』や『SIネタ』や『自称コンサルネタ』(たぶん本人がそう思ってるだけでIT部隊の子) 書いてる子、

たぶん女だと思うぞ

増田でよく見る人じゃないけど組込みネタ書いてた人で女アピしてたのもいたようないないような・・・

あと看護婦増田もいる(いまは女性看護師って書かないとダメなのか?)

  

これらは何もおかしな話じゃなくて、単純に はてなオタクが多いからなんだよな

基本無料ソシャゲ跋扈する以前は、オタク趣味は男女共にそれなりお金がある人たちの趣味だったのですよ 

女にしたって古くからPC自作含めて触ってる、DTPオペやデザイナーCADオペ、3DCG(住宅パースなど)が多かった

そういう職では無くても、当時高額だったPCを入手出来る給与の職や、実家が太い人が多かった

ほんだけのこと

(なお、増田がやたら夜職・風俗解像度が高いのも同じ理由ジャニオタバンギャ2.5次元追っかけ、ソシャゲ廃人BL狂いに夜職は多い)

2024-03-31

葬送のフリーレンってデザイナーマンションみたいな感じしない?

絵柄もそうだし物語もそうで

デザイナーが一発かましてそれで終わりな感じがするんだよね

ものが整頓しすぎてて本当にここで人が生きてるんだろうかみたいな感じがする

ダンジョン飯最初そんな感じしたんだけど、生活感のようなものは感じる

おもいがけずヒットして後付けなのかしらんけど作者がガサゴソ世界人間臭さみたいなのつけ始めたかんじある

2024-03-27

anond:20240327103535

それはまた議論別になるよね。

 

委託して受けたデザイナー思想が悪いし、そういうデザイナーを選んじゃう客の程度が低い。

個性の無さと定番混同している一派がおるのよな。

FIRE以後、自分は人嫌いだと改めて認識しているんだけど、

みんな仲良くっていう教育なり道徳は、

そうしないと経済がうまく回らないからであって、

人間本来の性分としては、人間嫌いも別におかしくないのではないかと思う。


義務教育の何時に来て何時まで勉強しなさいとかいうのは、

そのまま工場工員にもあてはまってきて、至極奴隷的に思える。

こう考えると、今まで受けてきた教育なり道徳奴隷的な身分の秩序を維持するための物でしかなかったと思えてくる。


こういうシステムを考えて作り出した人達意図的奴隷的な階層を用意したんだろう。

そういう雇われの現代奴隷階級自分たちが奴隷だと気づかれると革命犯罪に走る危険性があるからね。


僕はデザイナー崩れなんだけど、人が作った物には作った人の意図が反映されていることをわかっていない人が多いと感じる。

物理法則自然以外は誰かが作った物。

そこには善意も十分に含まれるが。

善意

2024-03-26

フォントの思い出

Macを使ってるデザイナーが作ったデザインウェブ(当時はXHTML+CSS)に起こすことをやってたけど、

そのマシンしか入ってない&Mac専用品のフォントデザインで使って、

それはXHTMLでは再現できないのでよく似たフォント代用したら、デザイン完璧再現していないと全リテイクになったことがあったなぁ。

仕方ないのでXHTMLで書くのを諦めて、デザイナーイラレデータを細かくスライスして、各画像ALT文章を仕込むような作り方に変えたけど、

9割完成したところで、「区切り線を1px下にずらしましたので全ページ修正お願いします!」ってのが5回10回と発生したので、

そのうちめんどくさくなって、1枚画像を無加工で貼って、ホームページビルダーイメージマップ貼るだけの作り方にして最終的に納品した。

検索エンジンからは本文がなにもない画像だけ貼ったページにしか見えないので、SEO対策としては最低最悪のクズ品質だけど、

社内から顧客からも(デザインの良さだけで)大絶賛、いい仕事をしたと拍手喝采だったので、非常にアホくさくなった思い出。

更新保守とか絶対にしたくないので半年後には転職した。その後、あのクズ品質ページがどうなったかは知らない。

anond:20240326091004

外見にコンプレックスがある人は国籍わず美形じゃないと嫌みたいよ

自分が酷い目にあっているのは外見が理由でないと嫌だから

 

あと外見にコンプレックスがなくてもデザインとか美に異常にこだわりがある人もそう

自分自身はチビだったりデブだったり結構個性的な顔だとだったりするのに、

めちゃくちゃモデルに厳しいデザイナーとかおるし、美形しか描かないアーティストおるし

2024-03-25

anond:20240325113639

小説版だとバーニィ生きてて良かった・・・

ポケ戦はMSデザイナーを出渕に切り替えたおかげでデザインも新しくなってて良いんだよな。

ケンプファーズゴックEは今でも大好きなデザインだわ

anond:20240325111539

商業仕事している人はイラストレーターデザイナー、等個々の名称でよばれてるような

で、漫画家イメージするのが商業作家が先に来てしまうみたいな

逆にイラストレーターデザイナーではなく「絵師」と呼ばれ

2024-03-24

生成AI推進派と規制派のバトルが過去のあらゆる界隈のキメラ化してる

今日今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。

直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバー配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁パブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。

生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネル飛ばしお気持ち表明を行い、相手バカにし、互いを憎み合っている。

AIの一部ネームアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦継続

そんなインターネット言論バトルを見るにつれ、思う事がある。

AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。

そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。

この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。

AIとツイフェミ類似点

温泉献血広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。

ツイフェミ電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママ発言をまとめたグッズの発売中止などである

そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である

この界隈と反AIとの共通点としては、以下が考えられる。

ネームアカウントが犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる

こんなシーンに覚えはないだろうか?

それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。

半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービス継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。

襲い掛かるツイフェミアカウント中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。

何なら、ツイフェミアカウント中の人通勤路上にそれらコンテンツ広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏日常を過ごしていただろう。

そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミ攻撃指示を受信するなり、

突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミルール攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。

この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である

AIについても同様の行動パターンが見られるのだ。

イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウントもやし、水玉、赤髪モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、

彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。

蚊帳の外から見ていると、異常である

言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。

しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。

ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。

まるで日頃から攻撃して良い存在ギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。

はっきり言って、異常である

生成AI規制する根拠現行法にそぐわず感情論に寄っている

まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。

筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球オリックスファンだ。

擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。

ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroイチオシだったりする。

何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。

二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。

問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情ベースとする事だ。

「私が嫌いなもの社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑しろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体存在したら、貴方はどう思うだろうか?

ちょっと距離を置きたくなるだろう。

AIの主張の一部には、上記主張が見受けられる。

例えば、某漫画家はかつて、生成AI批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。

あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒反社・スジモン…と形容した事がある。

生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。

ここで断言したい。現代日本社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である

なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳勉強をして頂きたい。

議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。

それがツイフェミも反AIもできなかった。

キモいモンはキモい!」「ケガレケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AI犯罪者から死刑!」……先鋭化した人物言葉は、やすやす社会通念上許されないラインを超える。

そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場からさなければならなくなるのだ。

少なくとも、謝罪を行い、過去無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場から出禁処置妥当であろう。

……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手罵倒言葉を繰り返すのみである

その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないか電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である

筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である

もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。

なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である

言わずもがなパブコメ喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である

殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。

AIと悪質撮り鉄類似点

悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為危険行為に及ぶ一部撮り鉄存在である

例を挙げると、電車撮影のために田畑私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。

定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である

この迷惑撮り鉄と反AI共通点としては、以下が挙げられる。

自界隈でのみ通用するローカルルール(ムラの掟)を妄信し。それらローカルルール法律より上に見ている

これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。

場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。

また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。

昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、

少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである

例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所言葉感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。

……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系部活では暴力や薬物の蔓延ニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルール法律を侵してしまったという事であろう。

AI界隈、特に絵師同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。

まり権威主義お気持ち優先である

大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性二の次だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!

あの先生発言邪魔となるルールは間違っている! 法律おかしい! 即売会ルールおかしい! 文化庁おかしい!

愛があれば二次創作合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権親告罪から権利元が文句を言わなければ合法

生成AIは愛が無いか違法! こんな技術違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!

……いや、ちょっと待ってくれ。

大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか

フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌プレミアが付く事と、法解釈妥当性については何の因果関係も無いではないか

大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁職員法律勉強を行い、法解釈政務実践をしていたのだ。

なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。

まず、専門家意見を聞く。耳を傾ける。傾聴する。静聴する。

そういった学習勉強プロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?

絵師界隈であれば、あなたのお言葉法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。

だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルール通用しないのだ。

なのになぜ、あなた絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。

それと、二次創作と生成AIについて。

端的に言うと、生成AI著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正必要となる。

その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性依拠性といった判断基準見直しが発生する可能性があるのだ。

そうなると、同人誌権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪である

また、類似した絵柄や画風、塗りや作風ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデア保護である

現在日本二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。

その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。

……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である

ここまで書いて疲れてしまったので、ここでいったん投稿する。

後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。

まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。

AI限界左翼類似点

ゼロか100かの極端思考物事を濃淡で捉えられず、100%迎合以外は敵認定
浮動票無党派層といった本来取り込むべき層への脊髄反社攻撃

AIと反ワクチン界隈の類似点

度を越えた誹謗中傷と法的措置の発生
陣営に有利な海外ニュースを熱心に取り上げ、その後の顛末を発表しない
科学技術の軽視。論文技術書を読まない。論拠は「私がこう思うから正しい」

2024-03-23

正社員に雇うときは身元調査するけど業務委託なら特にしない問題

会社って不思議なことに正社員に雇うとき学歴調べたり前の会社での実態を調べたりするけど、フリーランス外注するときは何も調べないんだよな。

外注デザイナー学歴とか調べないっしょ?

水原一平の学歴詐称もこれなんじゃねえの?

プリキュア商品の生成AI利用疑惑

結果的公式否定する結果になったけど、公式が使うんなら全然問題無いよな。

公式側が特定デザイナーの絵柄を学習させたうえで、生成AIを利用したとかだとまたややこしくなるけど。

2024-03-22

anond:20240322171256

DTPとかデザインさせられるのもよく聞く話だよね。「デザイナーじゃないのに!」っていうハウツー本があるぐらい…

自分は本職がデザイナーなんだけど、学生時代に君そういうのうまいから学級新聞描いてよって言われたの思い出した。

仕事から」って言うなら専門職雇ってくれよって感じなんだけどな〜。

2024-03-20

フェルスタッペン移籍はあり得るのか?

クリスチャン・ホーナーセクハラ騒動から端を発したレッドブルチームのゴタゴタが沈静化しない。

当初はあり得るわけがないと受け止められていたフェルスタッペンメルセデスへの移籍絶対にありえないわけではないと真実味を帯びつつある。

とはいえ果たして現在最強のマシンをフェルスタッペンが本当に捨てることなんてありえるのか?

筆者はありえると考える。

といっても、

それはヘルムートマルコに対する信頼であるとか、

ホーナーとフェルスタッペン家の不仲とかいった問題ではなく、

純粋レースをするうえでの競争力を考えてのことだ。

レースで勝つためにはレッドブル以外のチームへと移籍しなくてはならない。

そのようにフェルスタッペンが考えている可能性がある。

そのためには現在長期契約を結んでしまっているレッドブルと何らかの方法契約を解除しなければならない。

そのための方便としてレッドブルチームのお家騒動を利用しようとしているのではないか

要するにこれは2026年からPU競争力の話なのだ

御存知のとおりF12026年から大幅にレギュレーションが変わる。

マシンのものも変わるし、PU仕様も大幅に変更になる。

そのとき果たしてレッドブルは勝つためのPUを用意できるのか?

そのことをフェルスタッペン疑問視しているのではないだろうか?

2026年には現在レッドブルPU供給しているホンダとは袂を分かち、

レッドブルは自社製のエンジンフォードが開発した電動モーター部分で戦うことになる。

そのPU果たしてグランプリ勝利できるのか?

そのことを不安視しているのではないだろうか。

現在連勝街道を驀進し、

我が世の春を謳歌するフェルスタッペンだが、

以前は、その非常に優れたドライビングテクニックをもってしても

優勝どころかトップ争いに絡むこと無く終わるレースのほうが多かった。

その主な要因は競争力のないルノーパワーユニットに起因するものだった。

シャーシー自体は優れていた。

それは史上、最も優秀なF1カーデザイナーであるエイドリアン・ニューウェイ設計によるものからだ。

レッドブルホンダジョイントして、

メルセデスに対抗できるPUを搭載するようになると、

途端に優勝を争うマシンへと返り咲いたことがその証明だ。

ルノーPU時代でもレッドブルマシンは優れていたのだ。

そしてフェルスタッペン能力も十分に高かった。

それでもPUが駄目ならば勝てないのだ。

そのことの再現2026年にも起こるのではないか

そのことをフェルスタッペン危惧しているはずである

2026年からPUは当初それほど難しいものではないと目されていた。

現在ターボエンジンから排出した熱エネルギー電気へと変換しそれでモーターを回すなどという目もくらむような複雑さを捨てて

単純にエンジンモータを組み合わせるだけのシンプルものになるはずだった。

しかし、フタを開けてみるとそれほど簡単ものではないことが理解されるようになった。

ICE信頼性が非常に重要システムであることが判明したのだ。

エンジンをできるだけ全開にして発電をしたい。

コーナーの立ち上がり部分やストレート部分以外でもICEを全開にして発電をしなければ、

サーキットの途中でバッテリーエネルギーが枯渇して失速してしまう。

とにかく可能な限りエンジンを回して発電したい。

それが次世代PUの特徴となる。

そのためにはパワフルで信頼性の高いICE必須となるのだ。

果たしてレッドブルがそれを作れるのか?

今まで自社でエンジン生産した経験のないチームが

レース用はおろか市販車でもだ)

これまで数十年もの歳月エンジンと向き合ってきた企業が作り出す

ICEと互角に戦うことが出来るのだろうか?

そのように考えたときに他のチームへと移籍する可能性を考慮しないわけにはいかないのではないか

とくにフェルスタッペンのようにルノーパワーユニットに幾度となく苦虫を噛み潰すほかなかった経験を持つドライバーなら。

もちろん、フェルスタッペン来年他チームに移籍したなら来年度のチャンピオンシップは捨てることになる可能性が高い

(それでも今のフェルスタッペンなら…と期待させるものはあるが)。

しかし、その次の年、2026年のことを考えるのならレッドブル以外の選択肢を選ぶしかないような気がしないでもない。

2024-03-18

発注されたデザインを見てコーディングしてると、いつの間にかデザインがすり替わってた

発注されてから顧客デザイナーが変更を繰り返してた。そんなことはつゆ知らず、納品するたび、顧客からデザインと違います。しっかり仕事してください。」と怒られた。何が起きてるのかさっぱりわからず、自分の目が狂ってるのかと思った。1時間で終わる仕事のはずが、10時間かかった。もちろん、デザイン指示書仕様書も全て意味不明だった。発注前に、「どのエンジニアデザイン通りに仕事してくれないんですよ。」と顧客愚痴られた伏線は、回収された。

ウェブ開発をやっているMacユーザーぼやき

Appleウェブ開発者への冷遇が堪えるようになってきた

特にDockerネイティブサポートがないってのは我々からすると年々Macの致命的な弱点になってきてる

SafariPWA対応にも及び腰だし

Appleからすれば何で自社プラットフォーム以外に投資せにゃならんのってことなんだろうけど

ウェブ開発者Appleの売り上げにかなり貢献してると思うんだよ。特にDHHMacを勧めたおかげでMacに乗り換えたウェブエンジニアも少なくないってかかなり多いはず

そのDHH最近Windowsに移行してしまった

それ自体はBasecampとAppleの三割税をめぐる争いもモチベの一つだろうとは思うけど、単純にウェブ開発が快適な環境を求めてのことだろう

Appleとしてはマジョリティに売り込む方が大事で我々のような層の売り上げは微々たるものと考えているのかね

まあそうかもしれない

でもさ、今の時代ネットサービスを快適に開発できて快適に使えるっていうのはきれいなフォントと同じくらい重要なことだと思うし

作曲家デザイナー映画製作者と同じくらい、ウェブエンジニアに訴求するのも悪くないと思うんだけど

Apple経営陣の考えは別なのだろうね

結局この10年くらいは偶然我々の求める開発環境MacBSD環境が重なっただけの期間だったのかもしれない

このままだとウェブエンジニアMac離れはどんどん加速するだろうね

とはいえ自分MacフォントUIから容易には離れられない体になってしまった

ああフォントのためだけにうん十万のディスプレイをポンと買えたり代わりにiOSアプリ開発してくれるエンジニアを雇えるようになりたいでござる

2024-03-17

anond:20240317143919

多分やねんけど、プログラマー気質の人は明示するべきと考えるんじゃない

ワイもそう

デザイナーがめちゃくちゃあやふやな指示したときは、詰める

そうじゃないと行き違いが発生する

あれで客責めてるブクマカは頭ふわふわ察してちゃんなんやろな

2024-03-13

anond:20240313170614

監督非公式です!って言いながらアイカツ公式ロゴ使ってアルコール有りの宴会開いたり、

公式の人が同人イベント公式名乗る感じで参加してごった返しにさせたり

アイカツ3期からカップリング要素ばっか増やす様になってウンザリしてたわ。

1~2期のアイドル×デザイナー関係性が好きだったのに、3期以降はねだって作って貰う展開ばっかだったし。

デザイナーフーズ計画

なんかWikipedia野菜のページみるとまあまあな割合で「この野菜デザイナーフーズ計画に選定されて云々」みたいなの書いてるけど

あの記述いる?

とうのデザイナーフーズ計画のページみるとすでに20年前くらいには終わってる計画らしいし今となっては信憑性も怪しそうな感じだし

もはや載せる意義無いんじゃないの?

2024-03-12

WIRED JAPANメンバーシップ試写会に参加して視聴した『燃えるドレスを紡いで』

この作品パリオートクチュールコレクション2023年の時点で唯一参加する日本人ファッションデザイナー中里馬氏に密着したドキュメンタリー映画だ。これはファッション業界地球に対してネガティブな影響が多すぎること、GHG排出量や環境汚染の大きな原因になっていることに対してファッションデザイナー自身が向き合い、コレクション制作に取り組んだ記録である

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ここ以降、ネタバレ的な話、映画制作に関わったステークホルダーたちの発言抜粋などにも一部言及する。そのためこれから視聴を控えていらっしゃり、なんの前評判も誰の感想も読まずにまず自分主観作品を視聴したい方は、ここ以降は念のため読まないでください。

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ファッション業界地球に与える影響は甚大だ。

>Fashion production makes up 10% of humanity’s carbon emissions, dries up water sources, and pollutes rivers and streams. What’s more, 85% of all textiles go to the dump each year (UNECE, 2018), and washing some types of clothes sends significant amount of microplastics into the ocean.

>ファッション生産人類二酸化炭素排出量の 10% を占め、水源を枯渇させ、川や小川汚染していますさらに、毎年全繊維製品の 85% がゴミ捨て場に送られており ( UNECE、2018 年)、一部の種類の衣類を洗濯すると、大量のマイクロプラスチックが海に流されます

引用:The Geneva Environment Network, https://www.genevaenvironmentnetwork.org/resources/updates/sustainable-fashion/

しかファッション業界も、企業ブランド毎に速度も歩みの幅も大きく異なるが、ネットゼロへ進みはじめている。2023年後半の時点で、NIKEadidasの靴やアパレルを購入した際には、この2ブランドについては、製品タグを付ける紐は紙製、靴の梱包材も全て紙製など生分解性素材への移行が見られた。近年adidasコラボレーションを発表し続けている英国デザイナーであるステラマッカートニーは、ステラ自身アパレル化粧品において早くから持続可能性を追求している点でも名高い。

それでも私たち人間が消費するファッションアパレルとしての服や靴それ自体が、最終的にゴミとして扱われ、それがアフリカへ、良い言い方をすれば「皺寄せ」、正確に言うと「ゴミ処理先」として送られる。

映画燃えるドレスを紡いで』では、中里馬氏監督関根光才氏がアフリカを訪れた。中里氏は自身が身を置く業界がうみだしたものたちが消費された結果どこにいくのかという点で、行き着く先のひとつとしてアフリカを選んだのだ。映画本編では、彼らがアフリカで過ごす様子を視聴したのち、中里氏の仕事風景を見ることができた。そしてそのまま、彼のオートクチュールコレクション映像と、それらへの評価メディアの反応などを見ることができ、映画は終わった。

ファッション業界とそこに携わる人間としての中里氏の考えなどについては、ここでは言及しない。それぞれが視聴した上で、それぞれの考えを抱いて欲しい。

私自身は、人間存在とその経済活動ほとんど全てが地球への負荷であると考えている。ファッション業界の影響が大きいにしても、私そしてあなた存在地球環境に負荷をかけているのだから、それをわきまえれば「特定業界が悪だ、最悪だ」なんて意見は軽薄ではないかと思う。気分によっては、2024年子供を産もうとしている人は、2044年や2064年の地球環境は確実に悪化するだろうことがわかっている中で、なんて酷なことをするのだろうと考えることもあるくらいだし、しかし、そう考えるが子供を産み育てる人を軽蔑や見下げたりすることは決してない。ファッション業界けが地球環境悪化させているわけではないと言いたい。

しかし、人間たちの研究開発と技術革新は進み、各業界既存業界課題技術ブリッジが続く中、ファッション業界においては、消費者意識とともにいろいろなことが遅れているのかもしれない。

映画燃えるドレスを紡いで』で中里氏がアフリカで過ごしている時の映像で、中里氏がたびたび自分の見たもの景色に対して「美しい」と口にしていたのが印象的だった。その形容詞が、多勢に同じ感想を与えるものかはわからない。実際、監督も「どのあたりが美しいですか」というように問うていた(言葉が少し違ったかもしれない。違いましたら後日修正します)。

アフリカ映像は、日本などの先進国とは全く違う環境で、雑多としたものたちに溢れ私たちゴミとして扱うものが最終的に行き着いたアフリカゴミ山や、雨が降らず乾燥し切った土地、そこを移動しながら暮らす遊牧民たちの生活などだ。

中里氏はここから美しさを見出したし、私はそれに感動した。キュレーションされていない場所に行って何を見て何を感じ、どう言語化するか?、これは人による。単純すぎる感想だが、美しさを見出せる人は美しいものを作る側にもなれるのかもしれない、と思った。

中里氏がアフリカから戻り、チームに制作のコンセプトなどを発表したときの様子が好きだった。

制作のコンセプトをチームに発表する、チームはそれに従う、でいい。それでいいのだが、そのときにチームメンバーがそれぞれ発言をして、その様子は「中里氏に完全に従う」といった様子ではなかった。語弊があるかもしれない、もちろん彼の名前で発表するコレクションであり、彼のチームメンバーは彼のコレクションのために働くことになるのだから結果的には従うことになる部分が大きいだろう。しかし、中里氏の決意や発表に対して、取り掛かる前に、チームメンバー各自発言ができること自体が、これができるチームは日本にある数多の組織の中でも意外と少ないのではないかと思えたのだ。とても良いチームに見えた。

私はオートクチュール制作現場に対する知識ほとんどないに等しいが、ステークホルダーの多さや切迫感は目を見張ったし、最終的に時間との戦いになるさまには共感できる部分もあった。私などが共感を覚えるなんて言葉選びとして軽率では?おこがましいのでは?という点は一旦脇に置くとして、スケジュールの甘さや時間管理の不備ではなく、自分名前成果物を提出するときに「もう少し、どうにか良くできるのではないか」と思えてしまい手を止められなくなった経験は、私に限らず、ビジネスパーソンとして経験したことがある人も多いはずだ。さらにそれが、オートクチュールコレクション!?その後のルックメディアなどで写真動画そしてモデル取材者の感想とともに二次三次と広がる。なんて覚悟のいる仕事だろう。「とりあえず自分の持っているボールをなんとかして、次の人に投げれば、なんとかしてくれる、そしてそれはとりあえず所属会社名前として世の中に出る」ような仕事のやり方と比較すると、全く異なる状況だ。自分名前作品を出す、誰も拭えない。そんな状況、いつまでだって試行錯誤したくなるに決まってる。これで完成だ、と手を止める瞬間はどう決めるのだろう?、あるいは降りてくるもの?そんなことも思った。

試写会では作品上映後にトークショーが行われ、WIRED編集長の松嶋氏が進行をつとめ、登壇者から話を引き出した。

松嶋氏はアフリカゴミ山で服が舞う様子や鳥が飛ぶ様子が美しかったというようなことをおっしゃった気がする。実際に美しい映像だと思った。嘘みたいに大きい鳥(そして実際にも多分、とても大きい鳥)が前後左右に悠然と歩いたり止まったりしている間でゴミを拾う子供女性映像洋服やその切れ端などが鳥とともに空を舞う映像。その映像を現地で撮影した関根氏と中里氏は、現地で風が吹いたり竜巻が起きたりした時は死ぬかと思ったと笑いながら話してくれたが、その裏側は本編に一切残さず、本編では映像として映すのみで、感想は見る側に委ねてくれたことを嬉しく思った。

全体を通して、感想視聴者に委ねるような仕上がりになっていたように受け取ったし、私はそれに感謝した。この映画で見ることのできる映像たちに、美しい、汚い、怖い、綺麗、綺麗事、すごい、面白い、行ってみたい、行きたくない、見てみたい、着てみたい、など、どのような感想を抱いてもいいし、自分の抱いた感想に対して、なぜそう思ったのか掘り下げたらいいだろう。白黒はっきりつけず、議論し続けるべき話題はたくさんある。WIREDで取り上げられる特集話題ほとんどがその類のものだ。人々は対話を続けなければならない。だからこの映画燃えるドレスを紡いで』への感想も、私のようにとても良かったと考える人もいれば、地球温暖化は陰謀だとか、アフリカゴミが集まるのは当然だといった感想を抱く人ももしかしたらいるのかもしれない。自分あるいは他人が抱いた多様な意見に対して、なぜそう思ったのか、と対話を続けること、対話を諦めないことが日本にも世界にもファッション業界にも必要なのだろう。

この映画を見て、自分が買っている服、ひいては、自分の買い物という消費行動を見直したい、誰かに拭わせるような生活仕事をせず自分の責務やその範囲を適切に見定めて、その範囲を広げたりしっかり守ったり、うまく守れた時は余力で周りを助けたりしながら自分地球関係性をよく考えながら生活したいと思った。

あと、WIRED JAPANが大好きなので、これからも愛読し続けたい。

追記

映画に登場する人々に、登場シーンでクレジット登場人物名前所属)を表示させた上で、もちろんエンドロールにも名前掲載する、という画面の作り方は、ドキュメンタリー手法としてめずらしくはないのでしょうか。この辺りの知識がないため滅多なことは言えないのだが、登場人物名前所属をその画面で明示する編集が好きだった。やはり、協力者の一人として自分が登場するシーンには、期待や嬉しさなどをもっているはずだ。私はこのような、協力者たちへ感謝を伝えるようなあたたか編集や画面作りに強く好感を持つ。1人ではできなかったことへ協力したくれたステークホルダーにできる限りの感謝を述べる姿勢を、私も忘れないようにしたい。

鉄拳とかソウルキャリバーとかのナムコ格ゲー

キャラクリでゴテゴテ装飾つけられるシステム止めて欲しい。

世界企業デザイナーの渾身のデザインより、自分キャラクリの方がかっこいいとか訳分からんわ。

2024-03-11

anond:20240311101524

尾田が異常なだけで基本的に大概の漫画家って(スカスカ→)密度上がる→密度下がるって感じに遷移していく

情報量を上げることが必ずしも作品にとってプラスになるわけじゃないって気づくんやろ

無駄情報量があればあるほど見せたいものがぼやけるし

漫画家に限らず音楽家とかデザイナーもそうやけど、過渡期はどんどん情報量上げていって

キャリアを経るにつれてになるとどんどん落としていく傾向がある

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