はてなキーワード: がっかりとは
まあシンデレラというのは灰被り、継母に虐められる時期が必要だと言うのはわからないでもない。
キャラクターとしてみれば学校での人気者、シンデレラガールズというコンテンツで見ればチュートリアルから登場するメインキャラ扱い。もちろんアニメでも主役だ。
最近話題になるブルーナポレオンだってアニメにセリフこそなかったがでかでかと登場し、今年に入ってからは公式にブルーナポレオンがひたすら猛プッシュを受けている。
松本沙理奈はデレステで「声無しにもかかわらず声付きイベントコミュ登場」という異例の猛プッシュだ。
これだけ公式に推されても中間クール13位なのか、と思うとブルーナポレオンPにはちょっとがっかりしたが。
シンデレラガールズの登場アイドルの中にはアニメに背景や一枚絵ですら登場していないアイドルや、mobage側では未だに恒常入手可能なR以下のカードがなく0.008%をかいくぐってSレアをひかなければ偶然の出会いを得られないアイドルがいる。
なんというか、さっさと挿れろよと思ってしまう。我慢できない早くちょうだい、とか、とっとと終わらせたい、とかとは違うのだ。
どうしてだが前戯をしている時間が苦痛で、これさえなければ毎日でもセックスしていいなあという気さえする。
世の女性は前戯がないなんてありえない!という人が多い気がする。同性同士で猥談になっても、わたしのように前戯いらない派の人は見受けられない。
先日付き合っている男性に「そんなに前戯しなくていいよ」と使えたところ、「僕はするのすごく好きなんだけど…」とがっかりされてしまった。
それ以降セックスはしてないけど、次回があったときに前戯が短くなっていたら、どういう気持ちになればいいんだろうと少し思っている。
同じ役者が出ててもマイクありの新感線では滑舌が問題にならなくて
2.5では聞き取れなかったというなら
役者にマイクなしで聞かせる技術がないか音響の腕が悪いかどっちかでは
髑髏城の月は見てないので(ゲキシネなら見ようかなとは思ってる)
単に長台詞をがなりたてるだけの役者と破綻した演出と馴れ合いの面白くもない日替わりタイム()に何度もがっかりした
それでも2.5好きの人たちは「推しを支えなきゃ!」とかいってつまらない舞台のチケットを何枚も買い
そうして「これで稼げるんだ」と成功体験を与えていくんだからもう始末におえない
きっとやってる人たちは若手役者の登竜門として必死にやってるんだと思うよ
そしてそれを許容してるファン層にもいい印象は持てない
一瞬可哀想なような気がしたけど
これ逆でも十中八九避けられてるよな
男子生徒が「同じものにはまってるから」って見ず知らずの別のクラスの異性に接近しようとしたらまずアウトでしょ
のかわりに
「キモい」「ありえないw」って言われるぐらいでしょ
それはしんどかったねって思うけど
もし女子だけの話だと思ってるならそれは違うでしょ
むしろ雌より雄の方が「9割方が対象外であり要らない」って言われる性
女は恋愛対象でなければ有象無象、くだらないから友人にもなれないみたいな考え方を無意識にしている人
これだって表裏であって
同じ程度にスマートでない異性とは友達になろうとも思わんて女性いくらでもいるでしょ
(したとしてもそれを社会の概念の側から利用とか打算的とか理解される)
実際に対異性の局面ではそういう価値観や行動基準を内面化して生きてる女性はごまんといて
そういう女性と接した男性にとっては「女性はそういうもん」というのは彼の経験上の事実であって
私には私を恋愛対象としてしか見てない人よりずっとずっとそういう人の方が大事だし信頼できる
こちらをごく普通に人間扱いしてくれる男性のことが、少なくとも私は大好きだ
だからブコメとかでよく「信頼とか抜かして傲慢w」「ぬいぐるみペニス案件」とか揶揄されたりするけど
あんたの話は信用して、あんたにはフェアな関係の良い異性の友人がいることを肯定しても、
だって元増田は「騙されて利用されてたくそが」と思ってるんだから
あなたがあなたの交友関係を肯定して大事にするのは結構だけど、
明らかにあなたのそれとは異なる他人の交友を擁護して肯定しようとするのは何で?
あなたの異性の友人はあなたに「騙されたくそが」と思わないでしょ?
元増田はそう思ってるんだよ
(そして「思い返してみれば自分は呼び出されるたび喜んでついていってたけど自分から誘った時は来ない」みたいな非対称性の証言もある)
すべてにあてはまらない、どころか今問題にしてる当該元増田と女友達は明らかに当てはまらないやん!
男性の側では女性を恋愛対象として見たり性的対象として見ることが今の社会の中ではとても自然で、
当然相手(女性)にとっても価値あることだろう、と思いがちだから翻って女性から自分がそう判断されないことが
価値なしと思われたりバカにされたりしていることと同義だろうととても自然に思ってがっかりしてしまうかもしれないが、
そうじゃなくて、自分の用事には盾代わりに呼び出して、相手に誘われたときは来ないんだってば
こんなん同性同士でも友達でも何でもねーだろ!
お前は本当に元増田の話を読んでるのか?
何に引っ掛かってるのかわかる?
「自分は違う」って話までなら素直に読めるんだけども、
そこから敷衍して明かに打算的搾取的な女性の例まで擁護しようとしていくところで理解不能になるの
もちろん打算的な女性も恋愛至上主義の女性もその他色んな女性がいるだろうけれど、そんなそれぞれ違う沢山の女性の中に
それは全くその通りだけど、元増田の話はそういう話じゃねーじゃん
友人としてすら合理化できない搾取的な付き合いをされてる男性がいて、
何でそんなことされてるのかと言ったら自分に脈があるのかという期待をしていて(なぜならよく誘ってくれるから)、
でもナンパ避けという概念を知って「自分が誘われてた理由がわかった」「気付いてみれば思い当たる節がたくさんあるぞくそが!」って言ってる
n=1の私の場合の話として「こういう側面もある」ということをなんとなく頭の片隅に留めてもらえたらと思う
けっこう前なんだけど
テレビのチャンネル回してたらやってた時代劇(たぶんNHKのその時の新作ドラマ 再放送とかじゃない)、
ちょうど回想場面になったところだったんだけど、そしたらそれが白黒映像なのよ!
馬っっっっっっっ鹿じゃないの!って思ってけっこう怒ってチャンネルかえた
だって江戸時代なんだから「昔は白黒」なんて認識も何もない! ので
で、毎週楽しみに見てる「いだてん」なのだけど!
これもやっぱり明治大正なので、今も昔も同じく写真/映像は白黒なんだから、「昔は白黒」なんて認識はない!
杉本哲太演じる生真面目なおじさんが昔はテニスボーイだったんだぞってことで流れたんで、
杉本哲太がサラサラヘアのカツラかぶっただけで若者演じてるのおもしろかったし、
そうやってちょっとふざけてたので、場面として浮き立たせるために白黒になってたのは明らかに効果あった
けど、そんなんで良しとはならない、許さん
いや、冒頭からしてスヤさんとの思い出がフィルム調で映されてて、そこでもうちょっとがっかりきてた
これを人に言ってみたら全然気にならないって言うので、仲間が欲しい・・・
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追補
「分かりやすい」「よくある」「ありふれてる」のは分かり切ったことですけど、だから何だっていうんだ!
あれセピア調で、80年代なのに変だぞって言ってる人もいたはずです
その人たち来て仲間になって
しみとか縦の線がちゃかちゃか入るやつ
本当だったらせいぜい60年代初頭あたりまでの映像にしか無いと思われるんだけど、
同じことですよ!
四三さんとスヤさんの思い出がああやってカラーフィルム映像で残ってるはずないわけでね
だからあれは劇中の実際物でもなく登場人物の思念でもなく、映像制作者が視聴者に向けた作為なわけでしょう
でも「カラーフィルムで撮られた思い出」ってものすごく時代性を帯びてて、
カラーフィルムが普及して廃れるまでの期間を回想するって場合にしか使うべき表現じゃないと思うのね
もうこれ誰も読まないでしょう
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いやさぁ、杉本哲太theテニスボーイはさぁ、その説明を聞いた、四三と可児くんだっけ、その脳裏に浮かんだイメージっていう扱いで出てきたのかもしれないじゃん。劇中の理として、って言ったらいいのか何ていうか
いや、ふたりが浮かべたイメージを映像制作者が混ぜ合わせたってことかもしれないし、まるっきり映像制作者の作為として視聴者に提示されたものかもしれない。ていうかあやふやっていうかまぜこぜですね。
でもとにかく一要素として、劇中人物の脳裏に浮かんだ映像って感じがあるし、その感じが強い、とする!
で、あの時代に、「昔=白黒」っていう共通認識があるかよ!? ってんだよ!
若かりし杉本哲太theテニスボーイはあの時点から30年は前のことでしょう。1880年代とかですぜ。
写真館とかできっちり撮った写真ぐらいしかなくない? いや勉強不足で知らないんだけどね。
だからあのドラマの時代に身近な人の昔の写真を見る機会とかある? あるかもしんないんだけどね。無いってことにする! 特に庶民は!
そしたら、あくまでそしたらだけど、四三さんたちが白黒で思い浮かべるのはおかしいじゃないですか!
でもちなみにだけどもしもあれモノクロでも白黒じゃなくてなんか赤とかと白のモノクロだったら映像の遊びとして受け入れてぜんぜん怒ってないんですよ!
仲間来て!!!
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フィルム調も白黒も、スマホの縦型動画と同じぐらいに、特定の時代らしさを帯びてしまう表現と思ってた
でも白黒については、記憶とか回想に際して色を勘案しない人が若い人でもまあまあいるのかもってわかったので、ひとまずあきらめよう
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命にかかわる危機のとき、視界が白黒になったりスローモーションになったりするって聞きますから、
おそらく、それなりに、そういう人間の生理における実際に即してる、準じてる、って感じがするので、受け入れられる気がする
階段転げ落ちの危機だけじゃなく男女入れ替わりの衝撃を表現するのにまで白黒映像が用いられてるとしても、そりゃあ驚天動地の一大事だからそうもなるだろう、って感じだ
納得だ
見たらわからないが
「犬神家の一族」も白黒の回想場面あるとのことで、
これは最近見たのに、あったかどうか覚えてないぐらい気になってないですが、
だとしたらなんだけど、これも人の命の危機だし、下手すりゃ自分の危機なので、白黒になるの納得いきます
なんか、現実に即してなければだめだ! って言ってるみたいですけど、ちがう!
でも現実に即してるっていうのは、腑に落ちやすくするためにかなりかなり有効な手段なんだから、やるべきところでやればいいでしょ! やるべきところはここだ! 俺が掟だ! って話だ!
もう白黒についてはほとんどあきらめたんだけど、やっぱり「いだてん」冒頭のフィルム調だよ! 15話だよ
本っっっっっっっっっっっっっっ当に同じことだと思うよ
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「仲間来てって何様なんだろう」っていうの、ほぼ意味わからない
同じように思う人いたら味方して、というつもりで書きました
格差を放置してはいけないと思ってはいるんだが、ちゃんと金持ちからとった税金が本当に弱者のために還元されるのかというのがなんか引っかかる
頭では民主主義だから税金を活用するための政治は選べるというのはわかってはいるんだが本能的な部分で政府というものへの猜疑心がどうしても拭えずにいる
極論だけど政府のほうが悪いことやりだすと凶悪なんじゃないかっていうね…
一応機械的な運用がしやすいベーシックインカム制度ならいいんじゃないかって個人的には思ってるんだが、はてなの人たちにとってはそれもだめらしい…悩む
ところで俺が見た中で政府というものに懐疑的な人たちはネトウヨ的な人が多い、多分俺は本質的にネトウヨなんだろうなと自分で自分にがっかりする
上司と先輩と飲んでたら上司が何度もモテたいと言う。中学生か。アラフォーの既婚者なのにモテたいと公言するとは。私はアラサーの独身だけどモテたくはない。ただ好きな人がこっちを見てくれたらいいのではと思ってる。こんな男が東カレ買っちゃうんだなと思いがっかりした。
言っても上司はモテる。仕事の依頼も部下からの相談もひきをきらないし、家族も何だかんだ大切にし、家族からも尊重されている。なのにまだモテたいのか信じられない。私なんか隣で飲んでていつ抱き寄せられてもいいなと思ってこの時間を楽しんでいるのに。向かいの先輩も上司が大好きだから自分から帰ると言った試しはない。そんな先輩や上司との関係を壊したくないし、仕事も続けたい。
上司は好きだけど、そんなにモテてもまだモテたいなら、この人には幸せにさせられても幸せにしてはもらえない。だからぜったい告白なんかするものかと思う。それでこの人はずっとモテたいと言い続け、私たちはそれをかわいいなと眺める悪循環を、みんなでずっと繰り返す茶番。モテたいバカな子どもの男、黙ってりゃ渋い大人の男だけど、それを言って嫌われたくもなくて笑ってる女の私もモテたいだけの相当のバカ。幸せにしたい男のために東カレ買ってくるわ。
昔々、あるところに働き者の若者がおりました。
ある日、若者は馬を買いに行きました。
しかし、若者は意地悪な男たちに騙されて死にかけのみすぼらしい馬を買わされてしまったのです。
でも、若者は必死に馬の世話をし、愛情を込めて馬を育てました。
すると、なんと馬は美しく国で一番足のの速い馬になりました。
その立派な馬はたちまち世間の評判になり、やがてお殿様も知るところとなりました。お殿様は馬と一緒に若者を召し抱えたい言い、家来に馬と若者を連れてくるように言いました。
〜〜
ところが、その話を聞きつけた元の馬の持ち主と意地悪な男たちが若者の所にやってきて言いました。
「これは俺たちの馬だ。すごいのはお前じゃない!」
意地悪な男たちは馬を連れて、お殿様の所に行き、馬とともに召し抱えられました。
〜〜
馬を取り上げられた若者は大変がっかりしていましたが、やがて新しい馬を飼い始めました。
〜〜
馬を手に入れたお殿様は、国中の足自慢の馬を集めて、馬のかけ足比べレースを開催しました。
「勝ったものには褒美を与えるぞ!」
一番足の速い馬持っているお殿様は自信満々に言いました。
そして、レースが開催されました。
勝ったのは……
あの働き者の若者の新しい馬でした!
馬と若者は大勢の喝采をうけ、抱えきれないほどの褒美を手にしました!
〜〜
ところで、お殿様の馬はどうなったのでしょう?なんと、意地悪な男たちはお殿様の馬を上手く走らせる事が出来ず、馬を怪我させてしまったのでした。怪我をしたお殿様の馬はゴールまで走るのが精一杯でした。
それもそのはず。
意地悪な男たちは事あるごとに
「すごいのはこの馬だ。あの働き者の若者じゃないぞ!」
といい若者の悪口を言い、わざと若者のすることと反対の馬の世話をしていたのです。
それで馬はすっかり元気がなくなっていたのでした。
その後、全ての顛末を知ったお殿様はかんかんに怒り、意地悪な男たち打ち首にしたのでした。
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(この話はフィクションです)
嘗て好きなように書けず苦労したのち、好きなように書ける御身分になった作家が、今度は言うに事欠いて己の意にそぐわない表現に対して「ガイドラインを作れ」(検閲)とか「滅びろ」(処分)と言うのが許されていい訳がない。
そもそも「少女漫画のせいで」とか「少年漫画の女キャラに自我がない」などと決めつけること自体が古臭い思い込みによるバイアスそのものではないのか。
あと20日で令和だが、正直ご自身がジェンダー齧ってた昭和時代から時が止まってないか?
自身が求める、ジェンダーバイアスを排除した(私は全然排除できてないと思うけど)芸術的でアーティスティックな作品を追求していくのは勿論構わない。
しかし「そうあることが好ましい」の範囲を超え「それが正しい」として漫画業界または漫画という文化そのもの、他の作家や読者など他者にまで「かくあるべき」として強要すべきではない。
ジェンダーバイアスを逆手に取り活かして売れ筋の作品を作る権利も、ジェンダーバイアスに嵌まらなかった故に嵌れた場合の世界を模倣する権利も、創作においてはある。
様々なバイアスにそれぞれガイドラインを作るの?そんな雁字搦めになったら新しい表現は生まれなくなる。
そして読者がどんな作品を選び、何を見て、どこをどう感じ、どのような選択するかという内心の自由もある。
それを「漫画に影響されてる」と決めつけ、他者の想像力、取捨選択能力を蔑み、作品から何かを読み取り思索し、新たにイマジネーションを得て空想する自由まで蔑ろにし、侵害している。冗談じゃない。
作品に在る女性像のように見目麗しく恵まれており社会性に極端に乏しく自分のことでいっぱいいっぱいな女性ばかりになったら社会が良くなるとは到底思えない。
ちなみに余談ですが、ジェンダーバイアスは設定詰めてないからとまるで作家のスキルが低いかのように仰ってたが、ご自身の思うジェンダー論=別のジェンダーバイアスを自己投影した人物にセリフで言わせるのは漫画のプロとしてはスキルが低い。
そもそも漫画と言うものにかなりのバイアスかけて蔑んでるのが感じ取れるので、漫画における表現というものに対する研究心向上心はないんだろうけど、キャラクターの特性、行動や性格に絡めて物語に組み込むのがセオリーだと思う。
安倍さんが全員野球だって言ってたのにいったい誰が辞めさせたんだよ。
じゃあなにか?この辞任は選挙対策だと言い切れるのか?
オリンピック代表なのに白血病なんかなるやつもそもそもアレだし誰もががっかりしてる。
それに震災のときに国道が健全に動いていなかった場所はそもそもそんな場所は日本とは呼べない。そんな場所は日本と呼ぶレベルに達してない。
ほんとのことを言ったらクビだよ。バカバカしい。
いしまきだろうがいしのまきまきだろうがどうでもいい。揚げ足取ってお疲れ。
地方なんかどうでもいいんだよ。
ある界隈で長いことオタクをしているんだけど、未だに行動を共にできるような友達がいない。
沼に落ちたばかりの頃、同じ趣味の人がリアルには誰もいなくてネット上でなら…とそのジャンル専用のTwitterアカウントを作った。
推しへの萌えを語りながら、あわよくばいつか現場に一緒に行くような仲間ができないかな、とぼんやり期待していた。
その頃は何人かとリプやDMのやり取りもちょくちょくあって、推しとは別の共通の趣味(音楽とか)が見つかって雑談することもあった。
現場が被ったらいつかご挨拶でも、みたいな言葉が交わされることもあった。
ただ基本がコミュ障な私は自分からリプの一発目を送ることはあまりなく、会話中も一つの返事を打ち終わるのに数十分単位で時間をかけるぐらい毎回緊張していた。
そのたびに
「今日は○○行く」「会場着いた!会える方いたらご挨拶させてください!」
といったツイートが飛び交い、TLは賑わった。
私は行きの新幹線の中で、会場近くのタリーズの中でそれを追っては、ドキドキと胸が跳ねた。
返信マークを押して、
「私も今日来てるんです!」「●●さん会いたいです!いまどこにいます?」
だって他のフォロワーさんに比べたら私とのリプ回数って少なくない?むしろ内容も他の人との方がいつも盛り上がってない?ここで返信送ったら優しいからきっと「会いましょう!」って返してくれるけど(お、おう…お前か…)って内心がっかりさせない?気遣わせない?今後気まずくならない?
こんな考えが一気に押し寄せてきて、舞い上がってた自分が急に恥ずかしく思えてしまった。そうこうしてるうちに各発信者へ共通のフォロワーがリプで反応したのが見えてますます送りづらさを感じてしまい、結局Twitterを閉じた。
公演後は「会えて嬉しかった」というやり取りを後悔と嫉妬を抱きながら眺めた。
これが毎回だった。
そうして少しずつできていく輪のどれにも自分は入っていない気がしてしまって、現場が近づくほど黙るようになり、実際その通りになってしまった。
周りはチケットを一緒に申し込んだり、LINEで連絡を取り合う仲間ができていた。
いつしかTL内で会う人を募るツイートを見かけることもなくなった。
一時期はこの劣等感に苛まれ過ぎて、公演が終わった後打ち上げなんてこともなく一人で帰るだけなのがすごく惨めな気がして、家に着くとボロボロと泣いていた。最中はすごく楽しかったのに、その余韻を押し退ける寂しさがあった。
さらに見なきゃいいのにTwitterを開いては、それぞれの推しのメンバーカラーのカクテルが並ぶ写真(会場近くの居酒屋だとメンバーの名前を付けたサワーとかがその期間限定で用意されたりしている)や、カラオケの壁一面に映されたライブDVD映像の写真が溢れるTLをわざわざ追って、勝手に劣等感を増幅させていた。完全にSNSとの距離感がおかしくなっていた。
今はそれから年数も経って、専用アカウントをやめて雑多に趣味のことはなんでもフォローするアカウントを作り直した。公演期間中も、推しのドラマ放送中もおかまいなくいろんな情報が自分の目に入るようにしたことで、なんとなく人は人、自分は自分、と割り切れるようになってきた気がする。掟ポルシェさんには感謝してます。
人との交流が向いてない、一人が向いてる性格なんだともわかったので、一人のオタク活動も、無理なくできる今の自分のベストなんだと納得している。
もう一人で遠征もするし、一人で推しの写真とご当地名産並べて撮影会するし、一人でロケ地も巡るけど、隣で一緒に盛り上がってくれる人がいたらもっと楽しいんだろうな…ってやっぱりときどき考えてしまう。
一人が向いてる=一人が平気(好き)というわけではないから難しい。
ここまで書いてたの見返すと、仲良くなりたい特定の誰かがいるわけじゃないのに(たぶん好きな人を彼氏にしたいじゃなくて彼氏という存在が欲しい的な感覚。自己中ですね)めっちゃ重い。この感じがなんとなく伝わってるんだろうな…。