はてなキーワード: 貴族とは
左翼は、既存の既得権益者(キリスト教や王侯貴族)に変わって自分たちが権力者になることを目指そうとした。
それには自分たちが宗教や王侯貴族よりも優れた思想や価値観を持っていることを示さなければならない。
その目的を達成するためには、敵の欠点や過失を徹底的に追及するのが一番手っ取り早い。
敵がいなくなった後に、自分たちがその席に居座ることによって、「左翼の革命」は完成する。
しかし左翼自体がクズの集まりに過ぎず、その後の政権運営はうまくいかずに社会は不安定化する。
ソ連のボリシェビキや中国共産党の末路を見ていれば、それは明らかだよね。
様々な酷評がネットを覆っているが、致命的だと感じた部分を何点か。
(多くの方が酷評してるキャラデザはアリだと思っている。キャラクターは社会や歴史を描くただの駒なのだ。それでも石黒版ではキャラ描写が秀逸で魅力的だったことは確か)
メカがCGになり、数万隻の艦隊を描く作画上のハードルはかなり下がったはずだと期待していた。実際に描かれたのは普通のSFにありがちな芯の感じられないデザインの戦艦が重厚感、巨大感をまったく見せずに軽快に動き回り、戦術の深淵を感じさせない異常なハイテンポの戦闘であった。雰囲気が軽薄すぎる。
数万隻がダイナミックに関わる作品上の見せ場のはずが艦隊の遠景描写も近景描写も全く石黒版に及ばない。
クラシック音楽による重厚なBGMも、耳に残らないありがちなものに置き換えられてしまった。虚空に伸びる無数のビームの描写も消え失せ、もはや苦痛でしかなかった。
根本的にスケール感、質量感、雰囲気を描くことに失敗している。そのうえでSFとしてよりリアル、あるいは盛り上げるにはどうするべきかという改善を試みた形跡がまったく無い。
②背景美術の軽薄さ
前述の戦闘の雰囲気にも通底した問題だが、社会、文明、文化、生活、どのような世界にキャラクターたちが生きていてどんな雰囲気が漂っているのか、セリフに出さずとも背景1枚で多くを語ることが出来る。石黒版はそのあたりも実に巧みで、数百年続いたゴールデンバウム王朝の頽廃や、戦争に疲弊し制度や社会が麻痺していく同盟を実によく描いていた。
残念ながら、新作では帝国、同盟ともに最近のアニメやSFにありがちなものとなってしまった。同盟側は比較的現代社会に近いので新作の方向性としてこうしますよ、というのであれば受け入れられなくもないが、帝国側の描写は悲惨そのもの。西洋建築や文化に詳しいスタッフがいなかったのか?というくらい軽薄な、なんちゃってヨーロッパとミスマッチなSF、安っぽい貴族趣味的豪華さが同居した地獄となっている。貴族的近世的な文化と高度な星間社会との落差を石黒版では見栄え上は完全に近代的文明を感じさせない方法で乗り切ったが、新作ではどっちつかずの半端な描写となっている。
③単純に尺が足りてない
これは多くの方が言及しているが削りに削って再構成した石黒版でさえアムリッツァまで15話かけている。新作は12話かけて直前まで到達。尺が足りない。全く足りない。足りてないのを何かで補うわけでもなく、必要な描写をばっさりカットしていき、①や②で述べたようにそもそもすべてが軽薄。もちろん①や②が改善されないまま15話かけても駄作扱いだっただろう。(多くのひとが言うように世間的な評価にはキャラデザも当然影響している。私はあまり気にしないだけである)
大事な順に書いたので、①さえまともなら、他がグダグダだったとしても楽しんでみていたと思う。せっかくCGでいくらでも艦隊戦出来るのに活かせてないのは本当にツライ。そういう意味ではガンダムジオリジンはかなりうまくやっていると思う。艦隊戦やメカ描写に並々ならぬこだわりを注いでいることがよく伝わってくるし、アニメ版のガンダムを良い方向でリメイクしている。(オリジンはオリジンのアニメ化であって厳密にはリメイクではないという意見ももちろん承知している)
左翼ってさもともとは、すでに敵対構造があるところに対して弱者を守って強者から譲歩を引き出すために機能してるわけ。平民と貴族とか、搾取される労働者と傲慢な資本家とかさ。最初から戦闘的な教義なわけよ。敵が居ないと存在できないから、左翼が過半数を占めるコミュニティでは内ゲバが始まって粛清ごっこが起きる。歴史がそれを証明してる。
でもさ現代日本ってのは基本的に豊かで平和なわけ。格差があるって言ったって餓死者が国民の二割とかそんなことはねえし学歴ガーとかいったって識字率ほぼ100%なわけっすよ。今日本において叫ばれてる問題なんてのは、歴史的に見て巨大な問題(飢餓、疫病、戦争)を解決した残り滓みたいな問題なんだよね。
この状態で左翼が戦闘しようとしたら平地に乱を起こすしか無いわけっすよ。ラノベの表紙に女性のケツが載ってる!とかそんなの子供を売るような貧困のアフリカや爆撃を受けてるシリアでは問題にもならんでしょ。だってそれは生存する上であまりにも些細でどうでもいいから。
平和で豊かなこの日本においては、左翼ってのは生存競争の重大要素ではなく、娯楽でしか無いのよ。本屋にポルノがおいてあってコレを排除しやがれ!なんて、そんなの論争ごっこをしたい人のおもちゃでしか無いでしょ? また闘争的な現場がないと必要とされない左翼の自作自演でしか無い。
現代日本の左翼はそういう意味で分断加速装置なんだよ。そこそこ上手く行っている社会に対してテキミカタをレッテル貼りしてどんぱちさせることによって支持を集めてるわけ(集まるとはいってない)。
別にコレは左翼の存在そのものが悪って話じゃなくて、時代に合ってないみたいな話なのな。現代においてリベラルは、問題を解決する速度より問題を発生させる速度のほうが早い装置になってしまった。闘争をもとめるその性質が不都合な――つまり平和で豊かな社会になったんだよ。
小説家になろうを見ていると、中世ヨーロッパが多いもんで、貴族階級がでてくるんです。
フィクションにおける貴族の扱いと現実の貴族の仕組みを照らし合わせて比較してる本やら資料やらブログでもいいけどあります??
別になろうじゃなくても、海外の本格ファンタジー指輪物語と比較して~とか、海外のフィクション同士を比較してでもいいんですが。
軽く羅列していくと、、
その区別の中でも色々な仕組みの違いがあったり。
貴族しか騎士になれないみたいな話があったり、男爵は子どもに継がせられない一代限りの爵位だったり、公爵の仲にもデュークとプリンスの違いがあったり、
平民が冒険者組合でめちゃくちゃ結果を出せば子爵みたいに爵位をもらって土地持ちの貴族になれたり。。
貴族の子どもに生まれたらみんな爵位を継げる仕組みもあれば、長男しか爵位を継げないので次男は予備にされ三男などは陪臣になるみたいな仕組みとか、
そもそも血筋で貴族か否かが決まらなくて、魔法が使えるか否かで貴族かどうか決まったり、血筋はもちろんの話だが魔法が使えないと判明した時点で公爵から子爵とかに養子に出されたり、などなど。
あと平民は貴族に逆らったらすぐ首を落とされるような世界、貴族に対してため口でも大丈夫な世界、長男以外は冒険者なりなんなりになって平民と同様に暮らす世界、あとはそうだな都市の貴族は平民と関わりがないが地方の貴族は平民と付き合わないと生きていけないから平民と距離が違いみたいなのもあったな。
性欲に支えられている。
男尊女卑といえば男性が女性を保護して養ったり、逆に女性の自由を制限して男性に従わせたりすることだが、それは女性を囲い込んで縦にしたいと言う男性の性欲によるものだ。
それに対して女性が恭しく振舞ったりするのは、女性が優秀な男性の遺伝子を獲得し、また衣食充足するために、強者男性に迎合すると言う戦略を取っているのに過ぎない。
これが男尊女卑的で、女性が劣位に置かれているというなら、そのような風習が存続するためには、社会において男性の希少価値が高い必要があるだろうし、実際そうだったのだろう。例えば死亡率の違いによって、男女比に偏りがあったのかもしれないし、あるいは貴族社会で、男性は厳しく選別されたやんごとなきものしか参加していないが、女性は平民であっても美しければ受け入れられると言った仕組み上、偏りが生まれたのかもしれない。
現在の女権拡大運動や男女平等と言ったスローガンは男尊女卑を否定して平等に近づけようと言うものだが、これが本当に今までよりも女性に有利になるようにしようと言うものなら、そのような運動や文化が存続するためには男性の希少価値が下がっている必要があるだろう。現代では男性が戦争で死んだりすることは少ないし、貴族社会もないから、男性の価値が下がっていても不思議ではない。
ところで、男女という軸で見ると反対方向を向いているように見える男尊女卑と女権拡大だが、性欲に支えられていることには変わりはない。
もし男性に性欲がなかったら、どんなに一部の女性が女権拡大を叫んでも、男性に相手にされないし、男性に迎合して恭しく振る舞う女性に遺伝子獲得競争で敗北することになる。
結局、世の中はなにも変わっていないし、変わろうともしていないのだ。性欲と性の価値、つまり性の経済の話でしかないのである。
大正ロマンは悪いのか?
https://togetter.com/li/1264601
こんなん公式がポリシーも知識もなく出したり引っ込めたりするから、さも「大正浪漫」が悪いみたいにみえとる案件やんけ。大正浪漫に何の問題もありません、と毅然と対応すればすむ話でアホらしいわ。
明治末から儲けていたのは財閥や成金であって、彼らは西洋に追随する貴族趣味の文化を謳歌してた。一方、「大正浪漫」は、生活の苦しみを味わいつつ社会の矛盾に目覚めた大衆であり庶民の文化や。政府の弾圧を受けながらも海外の文化、思想、自由主義や民主主義にあこがれ革命を夢見た人々。文学の世界で言えば浪漫派の中核にいた与謝野晶子は「君死に給ふことなかれ」という反戦詩を書き、石川啄木は「地図の上 朝鮮国に 黒々と 墨をぬりつつ 秋風を聴く」と詠んで韓国併合を行った政府の方針を憂い、現代人が直面する社会の矛盾や苦しみを「時代閉塞の現状」という評論にまとめた。これのどこが問題なんや? 「ご意見ありがとうございます。しかしながら、私たちが『大正ロマン』に込めた願いは以上のようなものですのでご理解いただければ幸いです。」と返せばそれでいい話や。引っ込めるからむしろ「やっぱ疚しいんや」と向こうが思いよったやろ。ふざけんなや。
大正浪漫から連想されるのは、帝国主義や財閥の下で苦しむ庶民が上からでなく自分たちの手で文化を生み、自由を謳歌しようとした時代とその文化なんや。そして、震災を経て、社会に絶望した連中のうち、純粋な連中は国家社会主義に走り、不純な連中は帝国主義を推し進めようとした。その結果、気が付いたら止めようとしてもどちらにも止められへんチキンレースとしての日本の暴走が始まったわけや。その直前の時代を代表する大正ロマンは、近代日本民衆のはかない目覚めの象徴やで。国家にぶんなぐられてすぐまた眠ってしもたけど、そのとき少しだけ日本人は「自由」を信じた。そういう文化が大正ロマンなんや。アナーキズム、女性解放、米騒動、ストライキ、自由恋愛、デカダンス、海外留学、魂を解放する芸術……そういうもんがないまぜになった文化、それが大正ロマンなんや。
せやからな、たとえばイギリス人がヴィクトリア朝の文化風俗をファッションとしてもてはやしてたら、インド人怒る、これは(余計なお世話でそんな暇なインド人おるんかと思うが)一応理解できなくはないよ。西部劇やその時代を称揚したら、ネイティブアメリカン怒る、配慮した方がええ、これも一応分かる。それらは、いずれも征服や迫害とその文化がダイレクトにつながっとるからな。しかし、日韓併合と大正ロマンはそうではない、むしろ反対や。そういうことを無視して味噌も糞も一緒にすんな。何より、大正ロマンに対してごく適当な理解をした連中が、今度は手のひら返してしたり顔で「大正ロマンはやっぱ帝国主義でダメですよ」とか言い出すのは耐え難い。お前らの知ってる「大正ロマン」てだいたいサクラ大戦やろボケ。そんなんで何か語んな。ほんまやっとれんわ。
非正規ワーキングプアの40代が嘆くなら同情するけどさ、正規の仕事して生活にも困ってないのに「孤独」だとか「生きる意味が見つからない」とか知るかよw
古代ギリシャでなぜ哲学や数学が発達したかって理由で、当時はそこそこ平和でギリシャの上級市民は家事&子育ての大半を奴隷に丸投げしてたから暇すぎて哲学とか数学とか考えてたって話きいて、これってまさしくお前らじゃんって思ったよ。
そんなに生きる意味が欲しいなら古代ギリシャ人に倣って社会人学生で大学にでも通って哲学か文学でも専攻してろよ。
「独身40代の孤独」に打ち勝つには家族&子供を持つことだって言ってたブログにミソジニーたちが炎上してたけど、あんなの当たり前じゃん。子持ち世帯は毎日が忙しすぎて「生きる意味」とか「孤独」とか悩んでる暇なんてないんだよ。
人付き合いが煩わしいからって面倒な人間関係を断っておいて、いまさら人恋しいとか言われてもねー。
本当に貧困状態で困っているシンパパ、シンママはブログで愚痴る時間も気力すらないから、お前らみたいな面倒くさいミソジニーどもの愚痴ではてぶが埋まっていくのも高学歴&非コミュが集まるはてならしいな。
https://kensuu.com/n/n8a6373dcdb37
この記事に対して
元記事は「短所も考え方と工夫の次第で長所になるよね」っていう話をしてるのに
このコメントした人は、長所って言葉を「特に何の苦労もなく人に誇れる点」
って感じで定義していると思われる。
全く議論が噛み合ってない。
アイドリッシュセブンの公式ツイッターへのリプライが今、ハングル文字で溢れています(9/4現在)。
今回(発端は二年前ですが)、再燃しているアイナナの大正ロマン問題。
大正ロマンをやめろというタグが出回り、あまつさえ、運営公式のツイッターにまで書きこまれる事態が起きました。
すべてを読んだわけではないですが、『#大正はロマンじゃない』『#アイナナ大正ロマン使わないで』『#アイナナ9月花鳥風月イベント特効カード大正ロマン解明しろ』等々のハッシュタグを使用してのリプライ及び発言では、過去の戦争で着用された衣装を着ていることが不謹慎であり、植民地支配をうけたとされる韓国への配慮がなされていないという内容がほとんどでした。
これは果たして、アイナナの大正ロマン系カードに対して、適切な認識をしていると言えるでしょうか?
大正ロマンカードは、アイナナのアプリゲーム上で行われた『アイナナロマン』というイベントのカードでした。イベントはテーマパークのオープンプロモーションを兼ねた脱出系バラエティ番組を模したもので、モチーフが大正ロマンというだけあって衣装も書生、探偵、紳士、花魁(?)、貴族など、文明が開けた大正時代の瀟洒でハイカラなものばかりです。それをアイドリッシュセブンやTRIGGERやRe:valeが着用していました。
それだけです。
けれど、アイナナがイベントで衣装のモチーフとして切り取ったのは「戦争をしていた大正時代」ではなく、「文化が花開いた大正時代」の側面です。そこに戦争を含む意図はなく、ましてや他国を侵略した際に着用していた衣服だという含みなどありはしません。
戦争は確かにいけないことです。けれど、古い教えや聖書にもあります。
『罪を憎んで人を憎まず』
既に戦争は終わり、その時代に生きていた人々も数を減らしています。私達は戦争を経験している世代でなく、伝え聞いた世代です。
戦争はいけない、平和こそ未来に繋げるべきものだと教えられました。だからこそ、戦争という罪は憎みます。許されない行為だと思います。
けれど、憎みあった相手の子々孫々にまで、その感情をぶつけるのはおかしくはありませんか。
それでは同じことを繰り返してしまう種火を、遺恨ないはずの未来にまで持ち越す行為だとは思いませんか。
戦争は時代の側面です。時代の負の面です。けれどその中だけで人間は生きているわけではありません。
くりかえしますが、文化という側面を切り取ったのが、大正ロマンとされるものです。
ハイカラで洒脱な雰囲気に浸って、その時代の華やかさに心を馳せたいだけなのです。
今、アイナナ(他のソシャゲやジャンルもですが)に関わっている韓国の方々は二分されていると思います。
ハッシュタグを使用して大正ロマンを転覆させようとしている人に関しては、もう一度カードやイベントの背景に「戦争の美化や正当化」があるかどうかを確認して欲しいです。
ハッシュタグの件で恐縮してしまっている、純粋にアイナナを楽しんでいる人は、今とても肩身の狭い思いをしていると思います。韓国人が全員、そんなふうに怒っていると思わないでと悲しんでいる人がいるのも見ました。その声は届いています。これからも、感情論だけでなくクリアな視野でいて欲しいと願います。そして、ツイッターであっても、その声を発信してくれてありがとうと伝えたいです。
その他になってしまいますが、韓国人はアイナナを辞めろと言う方々もいらっしゃいますが、その差別はきっと、アイドルは喜ばないと思うのです。
アイドリッシュセブンにはナギがいます。彼はハーフです。外国人だから、という牙は彼をも害します。
人を見てください。他国の人だという大きすぎる括りはあまりにも大雑把です。
長々と取り留めなく書き散らかしたようにも思いますが、わかってほしいのはただ一つ、戦争の意図などなく、運営公式は誰を害するつもりもないということです。
どうとでもなる未来に、いつまでも争いの種火を持ち越し続けるか、もう犯してはならないことだという決意のみを伝え続けるか、どちらが有意義でしょうか。
「家出」して困ってるのに、カラオケオフに来るお金はあるの?貴族かなんか??めちゃめちゃ怪しいんだけど。
「明らかに業者臭いエロ垢の女の子」日常的にそういうオッサンの扱いくらい慣れてそうです。むしろおっさんがカモなんじゃない?
若い子達は、自分たちがそうしたかったこと(家出の女子)(業者のエロ垢女子)に声をかけたりしそびれてしまってるから、おじさんを恨んでるように思う。
単に若い人に混じってアニソン歌いたかったおじさんなんじゃないかなぁ。
声掛けされた人たちがまず声を上げていたら、話は別だけど、増田さんがモヤモヤしてるだけですよね。
だれも文句言ってないなら本当に宿を貸したり、エロい業者の子の処で遊んだのかも知れないけど
それ以上でもそれ以下でもないんじゃないの。
家出もエロ業者女子も、どっちも厄介そうなのにおじさん一手に引き受けてくれてるじゃん。どっちもめちゃめちゃ面倒じゃない??
だって家出の子の行く末は、家族が捜索願を出してれば探されるだろうし、事情がありそう。
業者の人は、それこそ海千山千でしょう。あるいは営業目的できてたのかも、お金使わない若い子より見栄張ってくれるおじさんのほうが歓迎かもよ。
自分はアラフォーで給料そこそこ、彼女なし&結婚できないレベルの人間。
こういう状態にあると、様々なことがどうでもよくなる。
・色恋全般
付き合ってる相手が~旦那が嫁が~というの見るたびに苛々するし
何ならはやく破綻しろと感じる。(これは昔でいうリア充爆発的な何かか)
独身税か?何故お前ら勝ち組のためにしわ寄せをうけないといけないのか?
恋愛・結婚・子供を持って人間として生きられるような恵まれた人間にさらに支援が必要か?
実質的に独身税で、それによって貴族がさらに幸せに、独身がさらに貧乏に、惨めになる。
何も良いことがない人生で、電車にのればガキが泣き叫び、ファミレスいけば放置された
ガキが走り回り、それを当然のような顔するクソ親共。
心の余裕に満ち溢れた勝ち組様なら優しく見守れるだろうが、自分はそうではない。
人生勝ち組で子供までつくって幸せを謳歌し、さらに周囲の安寧まで奪うのか?
同性愛とか極めてどうでもいい。結婚を認めろ!とか言ってるのを見ても
性別関係なくパートナー見つけられてる貴族共を何故支援する必要があるのか疑問に感じる。
恵まれている人間は自己肯定感が強いからポリティカリー・コレクトな内容に乗ると必然主張も強い。
今進められている施策は、内容は正しいし、そのまま進めていくべきだろう。
ただ、いわゆるキモカネオッサンは完全に詰んでいて、こういう「社会的健常者」を益々富ませることが