はてなキーワード: 無自覚とは
このトラバには異論はない。そこで最後に追加で言っておきたいことを書いて終わりにする。
大学レベルの参考書(学術書)や論文を書く人も所詮は受験競争を経験した人で、受験勉強で得た知識が少なからずその後の思考の枠組みに影響を与えていると思うんだよね。
それで「枠組み」なんてものはなかなか自覚的に認識できるものじゃないから、その枠組みを共有していない人にとってはより言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずにそういう言語化をはしょって文章を書いている部分があると思う。
特に幾何学に関する記述は、本人のセンスにとっては空気のように当たり前のことでその説明がシンプルであったりしても、なんでそうなるのってことが枠組みの無い人にはわからない。ある人からすれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えない。
これは大学と高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いのだが、たとえば高校物理である角度と別の角度が同じという事実から式を導出するのに、なぜ角度が同じかという説明まではされてないみたいなことがある。
これは中学までの数学を身に着けた人にとっては当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明が必要。
しかし書き手はすべての読者のレベルに対応することは不可能だし、「枠組み」さえあれば当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことがある。
こういうことはは中学受験レベルの算数から差がはじまっていて、ああいうのが解けるような学力をセンスとしてあるいは勉強したことで枠組みとして身についてる人と、そうでない人とでは、同じ文章では伝わらない程度の断絶ができていると思う。
自分には大学レベルの本を理解する素地が足りているのか、と思うから、彼らが通っているはずの受験勉強から得た枠組みと同じものを自分にも構築すべく、高校レベルのことを勉強しなきゃという強迫観念がなくならない。学術書や論文の書き手も当然すべてのレベルの読者には対応してないし、かりに対応しようとしても「枠組み」は「空気」のようなものだから、枠組みを持たない人間を無自覚に想定読者として排除してしまうだろうから。
強制参加じゃない会社の飲み会に行かなかった陰キャが、飲み会で上司の機嫌を取った同僚の昇進に対して「能力以外の部分で評価されるのはおかしい!」って憤ってるのは甚だ滑稽
・表面的にでも友好的に振る舞うことすらできない思いやりのなさ
・友好的に振る舞うことのメリットも理解できない浅慮さ。数字だけが仕事の全てだと思っている頭の悪さ
普通に考えてストレス少ない人間と働くことを選ぶでしょ。いつ辞めるかわからないやつ昇進させるリスクも高すぎるし。
権利ばかり主張する奴は総じて頭が悪い、何も努力せずにリターンを得ようとしてるのが愚か。社会に依存してる癖にそれに無自覚で勝手にお金がもらえると思ってるのが本当にむかつく。そんなに嫌なら自分でお金稼げばいいのにね。
もし努力を神聖視するのが、恵まれた環境にあるお貴族様、無自覚・確信犯どちらであれ負のインフルエンサーだけに限られていれば、救いはある
だが、深刻なことに、社会的に弱い立場にある人たちこそ、トンチキな努力教の教義に共感し、強く主張する傾向にある
これは、自分が困難な状況にあることに対する正当な理由を求めているからなんだよな
例えば、『自分が苦しんでいるのは、必要な "キーアイテム" を持っていないからだ』みたいな感じでね
確かに、深刻な人種差別のような個人が抗うのが難しい状況では、"キーアイテム" が無いことが困難の原因となることもある。でも、多くの場合、単なる不運が理由だ
先進国に生まれなかったり、内戦が続く国に生まれたりした人々のように、ただただひたすらに残酷に運が悪かっただけ。世界は公平になんか出来ちゃいないのだ
"キーアイテム"を持っていても持っていなくても、苦難や不幸は不公平に訪れる。そこに正当性なんかひとつもない
努力を神聖視する努力教の信徒が、勝ち目のない不利なレースに挑むことまでは・・・・・まぁいいよね
だって、なにが吉と出るかはわからないし、自分のことを問題を解決できる人間だと信じることは非常に大切で素晴らしいことだから
ただ、努力教の信徒の多くは結局ズタボロになり、自分の無能を周囲に証明する取り組みをせっせとはじめるのよ
『努力の方法が分からない』、『努力にも才能が必要だ』、『自分には何もできないから周囲は自分を見捨てるべきだ』とかね
これらの考えや状態に陥ると、メンタルヘルスの専門家の助けが必要になる。本来出来るはずのことも出来ないとか言い出すようになる
でも、努力の仕方もなにも、そもそも、みんな、自分が好きなこと、できることだけに取り組んでいて、自分が乗り越えられるハードルしか超えていねーのよ
するべきは、自分が不利なレースに挑むことじゃなくて、勝てるレースを見つけて挑むこと、もしくはそもそもレースなんかしないでハイキングでもしながら人生を楽しむこと
あるいは、開拓者・求道者として、誰に笑われようとも、明後日な結果に終わることを恐れずに、続けられる楽しみを見つけること
令和で努力教は滅ぼそう
すごいなこれ、「攻撃性」って言いながら自分が攻撃しまくってる
棚上げがすごいっていうか、これが無自覚ってことかすごいな…って思ってしまった
保存させてもらうわ
不快感があるかどうかなんて、作者にしかわからないし、そのジャッジは権利者が決めることで他者が決めることじゃない
自分が描いたものに当然責任を持ってるし、ファンアートだって公式や権利者がやめてくださいといえば直ちにやめる
そして今話題になってる、個人漫画家の件なんて、権利者が明らかにやめてと言ってもやめない
それどころか学習禁止と明示してる絵師への嫌がらせをするやつもいる
同じなわけないでしょ
そして理解できないなら淘汰されていってほしいというその攻撃性。すごいよね
そこから感じるのは、あなたたちの根幹にあるのは強い嫉妬と、自分だって絵師たちのように評価されたいという歪んだ自己顕示欲、承認欲求じゃないですか
自分たちは手描き絵師のように描けない弱い存在だったから、今まで発表されてきた数多の絵をどう利用しようがいいよね!という馬鹿げた特権意識があるのはそっちだよ
「自分たちはまし」ってやってるのが行儀悪いって言ってるんだよw
そして今話題になってる、個人漫画家の件なんて、権利者が明らかにやめてと言ってもやめない
それどころか学習禁止と明示してる絵師への嫌がらせをするやつもいる
同じなわけないでしょ
兄は大人になっても未だに自分の喋りたいことを延々と話すタイプ。
発達障害の診断は受けている。自分も発達障害だからお互い様で適度に流すようにはしているんだが、どうにも耐えられない時がある。
遊戯王の新しいカードとか目新しいインディーゲームの話をしている時はまだ良い。
なろう系小説と美少女ソシャゲにひたすら文句をつけている時が本当にきついし面倒くさい。しかもたまたまランキングで名前が出てきたからとかCMが流れただけでスイッチが入って三十分くらい文句と悪口を言い続ける。しかもその時はトイレに行こうが風呂に入ろうが扉の前までついてきて喋りかけてくるのでしんどい。
そういうの聞きたくないって言うと「あんな安っぽくて低俗なものを肯定するのか!」ってキレてくる。嫌になって無視すると「誰も僕の話なんて聞いてくれない」と被害者面。アンチスレでやれ。
家を出ようかと思ったこともあるけど、自分が家を出たら母親がこれに晒される羽目になることを考えるととこっちで止めておいた方がマシだなと思う。母親なんて自分より長く兄に付き合わされてる訳だし。
発達障害って根本的に本人が困りごとを感じてないと対処とか改善とかに進まないし、兄は自分が困ってないから全然変わろうともしないんだよな。
氷河期世代だけどZ世代が「氷河期世代は甘えている」みたいな事を言うたびに思う。
それは「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」と同じ事だぞと。
就活で中小企業を100社以上落ちた事も、パワハラも長時間残業も給料上がらないのも当たり前で働いた事も、リーマンショックで職を失って自給850円でコンビニバイトした事も、新入社員が自分の給料と同じくらい貰ってることも経験しないで何を言ってるんだろうなと。
一般的な日本人の感覚として、日本社会は基本的に不正が少ない社会であるという認識がある。
その中で、ところどころニュースになるような不正が行われている「特殊なところ」もある、というような解釈をしている人が多い。
しかし、実際にはどうだろうか?
あなたが社会と関わりを持つうえで、間接的にせよ直接的にせよ何らかの不正が行われていることに接する機会は多いのではないだろうか?
本来はこのようにしなくてはならないと決まっているが実際にはそれが行われていない。
ということが、ごくごく当たり前のように存在するのが日本社会だ。
それもかなり重要な部分でそれが行われている。
そう考えると不正が少ない社会という認識そのものが間違っている。
少し前に転職をした。
同じタイミングで中途採用をされた人が複数人いるのだが、そのうちの1人のことをものすごく見下してしまう。
その同期はの第一印象は過剰にハキハキした高い声で喋る芋オタク女だな、であり、私が苦手なタイプの人間だったからだ。
あとショタコン腐女子らしいのも、なんだか個人的に苦手さに拍車をかけていた。
元気な挨拶、きびきびとした応対でしか企業への忠誠心を示せないので、
(もちろん根暗無能なため、態度や返事だけが良く内実が伴わない)
彼女がそういう感じに収束するのはわからないでもないのだが、どうしても無理だ。多分同族嫌悪なんだと思う。
妙に私と競おうとしてくるところも嫌だ。
1度、かかってきた電話を2、3コール目で取ろうと手を伸ばした時、
向かいに座るその同期が(私側にある)受話器をひったくって出たことがあり、けっこう引いた。
とはいえ、ここに関しては私側が先に、無自覚に闘争心を発動させている可能性があり、私側が原因である可能性も高い。
最初は嫌悪感を隠すため、過剰に下手にでたのも失敗だったかもしれない。
他にもいくつか仕事上の出来事があり、最近は強くイライラするようになってしまった。
自分では抑えているつもりだが、当人含め多分周りは察していると思う。
服飾規定がないため、普段すっぴん前髪なしひっつめひとつ結び、パーカーなのはまだわかる。
飲み会の時、上記の通りの地味な服装+女児が使うようなビタミンカラーのヘアゴムでのひとつむすびで登場し、
と、いう感じなのに「ここのネイルいいですよ」とオタク御用達っぽいネイルサロンを紹介された。
自分自身だってあか抜けない方のオタクである自覚がずっとあり、
もがいた過去があるから同族嫌悪で彼女にイライラしてしまうのだろうか?
でも、もう一人の同期も簡単なひとつ結びにジャージ、すっぴん眼鏡で出勤しているオタクなのだが、
彼女にはまったく嫌な気持ちはせず、もっと仲良くなりたいとさえ思うのだ。
苦手な同期がまっとうなことを言っていても、正しい仕事の依頼や修正指示であっても、
暇空と揉めるまでヨッピーの存在自体知らなかったのだが、彼のTwitter見るとまあひどい
子供はみんな可愛い、というのは嘘で、幼児にだって美醜の差はある
成長後も残念な顔確定だろうなという子から、天使のように愛らしく子役にスカウトされそうな子もいる
ヨッピーの子供は可愛い、だから自慢したくてマウントしたくてたまらないのだろう
誰にマウントしているかといえば、結婚できず子供も望めない弱者男性にだ
暇空は資産の面では弱者ではないが、結婚願望や育児願望が強いのに婚活に失敗しており男としては弱者だ
男が言う「腰が痛い」というのはセックスやりすぎた自慢だ、マウントでしかない
ヨッピーの妻はその時妊娠中で今年になって出産したのだが、安定期だったからやりまくったというマウント
暇空にもその意図は伝わっている、だから腰が痛いというたびに暇空はイライラしていた
ヨッピーは無自覚に子供自慢セックス自慢する人間ではなく、独身の暇空に効くとわかっていて執拗に繰り返す
妻が妊娠中で~上の子の育児やってて~スペースに出るため友達に子供の面倒見てもらってて~
ヨッピーは何度も自慢を繰り返して暇空を痛めつけた
こんなことする人間なのだから、スペース以前に子供の写真を載せまくっていたのも「弱者男性に効く」と自覚は絶対にあった
動画を流した男よりも、それをみて自慰に耽っている男の方が圧倒的に気持ち悪いしタチが悪いよね、普通に考えて。
ハメ撮りした当事者の男も確かに悪いとは思うけど、彼は正当な手段で女性と肉体関係に至ったわけで、その同意の中でハメ撮りもしたんだと容易に想像できるよね?
双方合意の上で性的な関係になっている2人に気持ち悪い要素も責められる要素もあるわけないと思わない?
そんなのより、自分では何も成してないのに、当然のように自分の性欲を何の同意もなく無関係の女性で消化する加害性と、あまつさえそれを「エモい」みたいに捉えている無自覚さがキモすぎるって話じゃん、本当にわからないの?
古文漢文なんていらねぇ!という主張は、とにかく評判が悪い。受験期になると毎年のようにこの手の論争が再燃するが、話がまともに前進することは稀である。
ほんとうに意味のない教養信仰やマウントやwhataboutismをとりのぞいたとき、私の考えでは、必要派のまともな論拠は以下の一点に絞られる。すなわち、古文漢文を学習することは、日本人としての文化的アイデンティティを養うことに繋がるので、古文漢文は学ばれるべきなのだ。
いずれにしたって、古文漢文に優先的に学ばれるだけの価値があるとすれば、それは役に立つからである。
任意の学問について学ぶことにはそれ自体価値がある(誰もこれを否定するべきではない)のだが、それだけでカリキュラムに組み込まれるわけではない。古文漢文は英語や数学とならんでとりわけ役に立つからこそ、受験科目にするほどの価値を認められているのだ。そうでないとすれば、あれやこれを受験科目にせず、古文漢文を受験科目にすることがまったく正当化できない(これはいくらかwhataboutismだが)。
古文漢文はなんの役に立つのか。古文漢文をやっていれば、これに絡んだワードセンスや物語の優美さ・ユーモアが汲み取れる、というのはどう考えても小さすぎる利点なので、この程度の「役に立つ」を指摘して満足してしまうのは小物のやり口である。
もっとがっつり役に立つ、例えば大学や社会に進んだら漢文や古文を読む機会がたくさんある、古文漢文で読解力や論理的思考が大幅に養われる、などと指摘するのは嘘つきのやり口である。そんなことないからこそ、不要論が立ち上がるのだ。
したがって、古文漢文が真に役に立つのだとしたら、上に述べた通り、日本人としての文化的アイデンティティを養うことに繋がるというのが、その「役」なのである。この「役」は、聖書やプログラミングを学ばせても代替できない点で、古文漢文をとりわけ優先するもっともらしい理由を与えてくれる。中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきであり、古文漢文はこの望ましい帰結をもたらすからこそ役に立つ、優先的に学ばれるべきなのだ。というか、これこそが古典教育の目標であることは(ここまで露骨ではないものの)高等学校学習指導要領に書かれている。
古典としての古文と漢文、古典に関連する文章を読むことによって、我が国の伝統と文化に対する理解を深め、生涯にわたって古典に親しむ態度を育てる。
古文漢文必要派は、この一点突破を狙うべきだろう。小さすぎるお役立ちを挙げるのも、大きすぎるお役立ちを挙げるのも、教養信仰やマウントやwhataboutismに徹するのも、墓穴を掘って自らを辱めるだけだ。
しかし、「中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきだ」という前提は、すでにかなり党派的なものである。それはれっきとした国粋主義であり、軍国的な仕方で「国民」なるものを要請している。このグローバル化が進みきった時代において、なぜ日本人(にっぽんじん)としてのアイデンティティを持たなければならないのか、それがなんの「役に立つ」のかという疑問はスキップされており、とにかく、「文化的アイデンティティを養うべだ」という義務だけが突きつけられている。
実際、古文漢文不要派の一部は、まさにこの「国民」の押し付けにこそ反対しているのであり、特定の文化的アイデンティティに固執するべきではないと考えているのだ。必要派が本質的にナショナリストならば、不要派は本質的にアナーキストである。
というふうに、「古文漢文必要派vs不要派」の争いは多分に政治的な争いであり、私が思うに、発信する人の多くはこれを分かっている(ほんとうに無自覚な人もいるが)。しかし、両陣営ともに自らの政治的立場を明言しないのが普通である。というのも、露骨に党派性を示してしまえば、そうしなかった場合には言いくるめられたフォロワーまで引かせてしまうからだ。そのせいで議論はいつも上滑りし、互いに口汚く罵り合って、相手は馬鹿だと結論し、翌年の再戦を待つばかりだ。
「中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきだ」という前提の是非にのみ話を絞れば、古文漢文の必要性をめぐる議論はもう少し見通しが良くなるだろう。
なんにせよ、アイデンティティを持つことは、心身の健康にとって必要不可欠であるかもしれない。国民であるという拠り所すら失われたときに、人はどれだけの孤独を感じるのか。そんなものに寄りかからず自分の脚で立て!というマッチョな個人主義に、みんながみんなついていけるわけではない。
はたまた、仮に日本人としてのアイデンティティを養うべきなのだとして、古文漢文をやらせるというのは理にかなった方法なのかという疑問も意味をなしてくる。これだけ少なくない人々に、古文漢文という科目への悪いイメージを植えつけているのだとすれば、それはいわゆる「義務教育の敗北」ではないか。
はたまた、少なからず党派的な思想を陰に陽に植えつけようとする事自体、中高生の自律性を脅かすパターナリズムでなくてなんなのか。「自分の脚で立て!」とまではいかないにせよ、子どもたちには一定の選択が与えられるべきであり、古文漢文を必須の受験科目とすることはその道を閉ざしているのではないか。
そんなに言うなら、私立理系に進めばいいだけの話だ!と言われるかもしれない。しかし、だとすれば理系はなぜ日本人としての文化的アイデンティティを養う義務から(ある程度)自由を許されるのか、と問われるかもしれない……。
疑問・議論は尽きないが、私たちはいまや「古文漢文は必要なのか」というはじめの問いよりも、はるかに全うな問いたちを手にしつつあるのではないか。
成婚させる意思がある結婚相談所は誠実だと思いますわ
真面目にカウンセリングする気・成婚させる気あるなら
ホワイトニング(日本人エナメル薄いのにな)させてジムでも行せてランニングさせて
なによりもデミセクシャル・アセクシャルの結婚相談所参加は弾くと思うし性意識の確認はしておくと思う
セックスできない人(性的な魅力を感じない人)をアプローチを受けたからって理由で選ぶ死ぬほど受け身で意味不明な男女と
無自覚デミセクシャル・アセクシャル・空気読めずにがっつくアスペの巣窟になってたりしない
婚活業界のお仕事は金を巻き上げることで成婚させることじゃないので
マジで一度、婚活サービス提供側として参画することをお勧めする
大前提として、デートや食事会ではなく"面接"です。面接が嫌なら自由恋愛してデートしよう
性トラブル防止のためにここは婚活業者も別に勘違いを利用者に与えていないと思うんですけど、
婚活はお手軽に恋人が出来てデートができるシステムでは無いです
配偶者候補と"面接"ができるシステムです
ただ、出会いは出会いなので、配偶者候補としてお互いに出会っても、
一目惚れや自然と恋人関係になれるということもあるというシステム