はてなキーワード: 没交渉とは
四十代後半。それなりに若いモンに気を使って話題を合わせたりもしてるけど、やっぱり溝は埋められなくて、いつも話合わなくてゴメンナって思ってる。ジェネレーションギャップ話をしたがる同世代もいるので「それ俺たちは面白いけど若者はちっとも面白くないからやめな」ってことあるごとに言ってる。そんなふうに、話のわかるおっさんでありたいと思っていろいろ気遣いもしてきたけど、この増田読んで目が覚めたわ。俺たちはこういうふうに思われてんだなと。だったらこっちからコミュニケーション願い下げですわ。つまんない話も役に立つ話も全部まとめて閉店ガラガラです。増田の主語がでかいのでこっちもでかくするけど、君たち若者は断絶・没交渉をお望みなのよね?
「お袋」に任せきりだったようだけど。
元増田が全く顧みてなかっただけで、他の家族は知ってたんじゃないの?
他の家族と元増田との間のコミュニケーションはまともに行われていたんだろうか。
子供が生まれた途端に夫両親と同居させられた上に義父がアル中になった奥さんのストレスも相当なものだろうし、
アル中の祖父が暴れる様を見せつけられながら育つ子供への悪影響とかもどうなのかと思うけど
元増田はそういう発想も無いみたいで、本当に全く家族に関心がないんだな…と。
ってのも、人が複数一緒に暮らしてりゃ喧嘩が無いのはむしろ不自然で、
実際は喧嘩していたが元増田が気付かなかったのか、或いは喧嘩も出来ないくらい没交渉・或いは抑圧された家族だったのか……
とにかくこの無関心っぷりが怖い。
飲む前と飲み続けた現在ではどう違うか質問すると良くなっていると言う。
それは効いている、薬が合っていて、あなたがちゃんと病院に行き、服薬してきたから良くなってきたのだろうと自分が言うと、でも不安だと言う。
不安なら先生に話したか、質問したかと聞くと、ごにょごにょ呟く。
先生に聞くのが一番だけど、聞きづらいならまず自分でも調べたりしてみたのかと言うと思いもよらないことだったらしい。それが自分には思いもよらないことだった。
思わず、10年以上薬を飲んでぜんぜん知ろうと思わなかったの?と言ってしまった。
失言だったなと思う。
その時点で学校卒業から10年近く、読書は自己啓発書ばかり、ゲームは携帯の女性向けアイドルゲームを好み、未経験のアルバイトは徒歩圏のお洒落な店が良いと言い、ネット検索も恐がるくらいの人(ここまで、偏見にまみれてるとは思うよ…)に、自分で精神科の薬について調べろ(調べろとは言ってないがそのようにとっただろう)はあまりに大変な事だったかもしれない。でも短大を卒業するくらいだから調べる位…と思う自分がいる。
でも思い返すと病気になる前、子供の頃でも自分からしたら戸惑う位気弱だった。
簡単なことだ。あなたに百年に一度の才能とか、他を圧倒する実力があって、「それだけに没頭」していても周囲が許さざるを得ない存在であるなら、いくらでも「好き」だけに打ち込めばよい。あなたの打ち込むジャンルの歴史においても、そういうタイプの「天才」の一人や二人いるはずだ。人間的には破綻しているが、圧倒的な業績を残した人たちが。
だが、たいていの場合、それなりの研究者であっても「それだけ」で生きていける人は少ない。
母の言いたいことはわかるし,そうしたほうが自分にとっても良いはずだと思うのに,
頭のどこかで,それって本当に正しいの?と叫んでいる私がいるのだ.
私はどうやって生きていけばいいのだろうか?
これが、実によく問題の核心を表していると思う。
「それだけ」で生きていくだけの圧倒的な才能のない、その他大勢の凡人は、「好き」を貫くために、自分以外の人に「好き」に打ち込むことを許してもらうための「説明」をしなくてはならない。「説明」を求めないのは親くらいで、それ以外の人は、必ず「説明」を求めてくる。あなた自身ですら、いずれ自分に「なぜ」という説明を求めることだろう。そのとき、たとえば「それでいいの」と問いかけられたくらいで動揺して「私はどうやって生きていけばいいのだろう?」なんて考えてしまう程度の姿勢で、この先あなたはどうやってあなたの「好き」を貫くつもりなのか。たとえば研究のことで他人から「やめちまえ」と罵られたら、あなたはやめてしまうんだろうか。恋人から「就職しないの?」って聞かれたら? 親が病気になって介護が必要になったら? 自分が命に関わる病気の可能性があるとしたら?
結局のところ、そういうあなたの「ひ弱さ」は、あなた自身をも含めて、誰も幸せにしない。「あなたとお母さんは違うんだから…」とか書いている人もいるが、そういう問題ではない。あなたに見えている世界は狭くて、あなたのお母さんに見えている世界がもう少し広い、ただそれだけのことだ。「好き」を守るためには、人間にはそれなりの「幅」が必要だ。「好き」だけに打ち込む人間には、自分の「好き」を守り続けることができない。
そして、あなたがそれなりによき研究者であるならば、今あなたに見えていない「外」のことは、決して無駄にはならず、あなたの研究に生きるはずだ。もし外のことが雑事にしか感じられないとしたら、それはあなたが研究者としてまだまだであるということに過ぎない。日々歩き、飲み、食い、人と交わり、自然を眺める中で研究することが、あなたの研究に命を通わせる。そういった一切と没交渉で行う研究には、いわば「血が通わない」。夕食を眺めても取り組んでいる数式の証明に関わる新しいアイデアを考察し、眺める景色に流れる空気をみては誰も想像しない物質について思いをめぐらし、異なる考えや文化に触れては法や経済を思考し、何気ない子供の一言や恋人との語らいに哲学を見い出す、24時間、行住坐臥研究ならざるはなし、それが研究者という生き物だろう。
それができないなら、結局のところそれは研究者として生きることに向いていないということだと思う。「研究」の世界以外にも、あなたの「好き」に関わる仕事は世の中に多い。別なキャリアを探すことを考えてもいいだろう。それは決して人生の終わりを意味しない。何かに向いていないことは、別の何かに向いていることを意味しているかもしれないのだから。
年賀状は好きだ。望んで交流を断ったわけではなく、環境や地理的に離れてしまい没交渉になった気のおけない友人知人と、年に一度だけモールス信号を送り合うような機会だから。トン、トン、ツー。
小さい頃はもっと好きだった。学校に通っていたころ。あと何日かしたら会える友達に向けて、去年はあれが楽しかった、実はあのときこう思っていた、なんてちょっと心のうちを明かす機会。好きな子から届いた年賀状は、そっけない文面でも顔が浮かんで嬉しくて、枕の下に入れて眠るくらいだった。
私にはまだ喪中はがきは届かない。届いても、友人のおばあちゃまおじいちゃまなんかで、正直そう悲しみを背負って辞退しているとは思えない。
両親にはこの時期から喪中はがきが毎日届く。姉が亡くなりました、妻が他界しました、娘が、母が、義理の父が。昔は気にも留めなかったけれど、12月は知己の悲しみを知る一ヶ月。若いころ一緒に楽しんだ家族ぐるみのつきあいが思い出されるだろう。父は無言ではがきを重ねてトントン揃え、部屋の一角に積み上げていく。
死が近づくのはどのくらい怖いことだろうか。父母の気持ちを慮る。耳が遠くなり、計算がすぐにできなくなる。目をこらして読む新聞には高齢者が社会の負担になる話が多く肩身が狭い。そんななかに届く喪中はがきは、命のカウントダウンのようだろう。
私にもいつか喪中はがきが届くようになる。むしろ私が喪中はがきを出すかもしれない。グレーがかった紙を郵便受けから引き出すたびに考える。あとどのくらいでカウントダウンが始まるだろう。それまでに何かできるだろうか。
うっかり私立高校に行かれたりしたら、3年で100万以上?掛かる。(妻に任せてるから詳細は知らん)
私立の理系に行くかもしれない。とんでもない。年間100万以上かかる。
何が言いたいか。年収一千万でも、自由になる小遣いは5万がいいとこなのだ。
そこから飲み代を出す。趣味の経費もここから払う(ガジェットとか)。本も買う。CD(MP3)も買う。ヘソクリは月に5,000円~10,000円は貯めたい。
当然、残る金は少ない。
そんなオトーサンが、例えば妻以外の女性とデートに行くとする。
いきなりラブホテルでヤルだけ、という訳にはいかない。まずは食事でもするだろう。年収一千万のオトーサンはワタミには行かない。それなりの個人経営居酒屋で軽く食べて飲んで二人で6~8千円。いい感じになって「バーにでも行こう」となる。二人でカクテル3,4杯飲んだらやはり7、8千円はかかる。で、ラブホテルで5千円。2万弱である。仮に割り勘したとして1万。100%こっちが出してたら、月に3日の不倫ですっからかんである。
時間だってない。定時で上がったところで、40を超えて体力と精力が落ちたオトーサンは、これからデートしてFU*Kしようなどとは思わない。(思う人もいるのだろうか)
土日は心安らかに趣味に没頭するか、のんびり好きな本だか音楽を聴いて過ごす。
断交しても経済的に問題はないという筋書きが多いのだが、1972年の出来事をもう忘れたのかという気がする。
半官半民の日本航空が、国交を断絶した「地域」へ航空機を飛ばすのはまずいということでつくられた子会社だ。
日本の大手電機メーカーが、その断交した(はずの)「国」の資本に吸収されたのはいつのことだったか。
国交を断絶することがイコール絶縁することにはならないのだ。
もし、そう思い込んでいるならアメリカ映画の見過ぎだ。
かつて、日本空港の免税店にこっそり貼られていたポスターに気がついた人も多いだろう。
「キューバ製の葉巻をアメリカに持ち込もうとすると、税関で没収されます」
日本が国交のない国へ経済制裁を加えることができるのは、貿易が行われているからである。
http://anond.hatelabo.jp/20170131120959
これと似たようなことを叔母にやられた。母方の祖母が亡くなった時の話だ。
私の母と、母の姉である叔母は元々あまり折り合いが良くなかった。私は母からしか話を聞いてないので一方的な見解になってしまっているかもしれないが、少なくとも母の話を聞く限りでは、母の実家はかなりの機能不全家庭だったように思われた。
母は祖母ともあまり折り合いが良くなく(それでもたまに電話くらいはする仲だった)、年に一度の会う機会だった正月の訪問すら数年ほど行ってなかった。母は心を病んでいた。折り合いの良くない親族と無理に会わせる必要はない、という父の判断だった。母もそれを望んでいた。
そんなある日、親戚(叔母ではない)から祖母が入院したということを聞いた。どのような病状だったのか、私は詳しく聞いていないが、少なくとも、その時点ではそこまで深刻な状況ではなかったようだった。
夜、私がトイレに起きると、居間で母と父が何やら話をしていた。祖母のお見舞いに行くかどうか、みたいな話だったと思う。母は泣きながら「行かなきゃ、でも行けない」「怖い」「お母さんにも姉貴にも会いたくない」というような意味のことを言っていた。父は「無理して行くことない」と応えた。私はその話し合いに口を挟むことはしなかった(当時私はまだ高校生だった)が、私としては母の精神安定を最優先に考えてほしいと思っていた。精神が不安定になった時の母に当たられることも多かったためだ。
それから1、2か月くらい経った頃か。部活動が終わって家に帰ると、部屋の中から母の泣き声が聞こえた。中に入ると、ぼろぼろに泣き腫らした顔をした母と、父がいた。処方された薬を飲んで、母が少し落ち着いた後、父から顛末を聞いた。
昼間、普段は全く没交渉だった叔母から母に電話があった。祖母の葬儀を終えた、という事務的な連絡だったそうだ。錯乱状態になった母はなんとか父に助けを求め、父は会社を早退して駆け付けた。
泣く母を見るのは初めてではなかったが、あそこまでボロボロになった母を、私は見たことがなかった。
――してやる!
――してやる!
――してやる!!
目を血走らせ、物騒な言葉を口走る母を見て、人はここまで人を憎めるのか、と思ったのを今でも覚えている。
もちろん、私も叔母のしたことは許せなかった。何を思って叔母が「葬儀が終わるまで祖母の死を母に知らせない」という行動を取ったのかはわからない。叔母には叔母なりの理由があったのかもしれないが、叔母とはそれ以来絶縁状態になってしまったので、今さら聞きようもない。
❨実は私一人で一度だけ会いに行ったことがあるが、けんもほろろに追い返された。❩
「ひどい」とその時、私は父に言った。どんな理由があったかは知らないが、どうして祖母との最後の別れの機会を奪われなければならないのか。祖母のたった一人の孫として、理不尽だと思った。
葬儀の準備を進める中で、父が私に「叔母さん、どうしたい?」と聞いてきた。私は「一応連絡はしよう」と言った。連絡は父がしてくれた。電話がつながらず、直接話は出来なかったようだったが、電報を打って一応の義理を果たした形だ。
知らせない、という選択が頭をよぎったのは確かだ。しかし、人としてあの人と同じレベルにまで自分を貶めたくはなかった。生前に母に確認したわけではないが、母は多分叔母に来てほしくはなかったと思う。しかし、それとこれとは話が違う。人とのつながりの中で生きている一人の人間として最低限果たすべき義務だと私は思った。
数名しかいない、こじんまりとした葬儀だった。生前仲の良かった母の友達が一人来てくれて、棺の前で最後の別れをした。葬儀屋に渡された花をいくつもいくつも、数えきれないほど入れた。母の友達は「生前に渡せなかったから」と、手作りの人形を棺に入れた。
「じゃあね。○○ちゃん、じゃあね」
結局、叔母は葬儀には来なかった。駆けつけてくれた母の数少ない仲の良い親族の人から「私も連絡が取れないからよくは知らないが、どうも年の離れた恋人と暮らしてるようだ」と聞いた。繋がりを一つ一つ丁寧に断ち切るように生きてきたその人がどういう最期を遂げるのかは知らないが、私はその知らせを受けることはないのかもしれない。それでいいと思う。
そういうふうに、あなたは生きればいい。
今年になってから母が転んだり入院したりと明らかに今までより老化のグレードが上がったと漠然と感じていた。
入院した際、退院後のレンタル用品も増えるだろうと予想し介護認定の再申請をして良いケアマネと知り合うこともできたが母は直接介護事業所に電話してあんなものはいらないこんなものはいらない設置した手すりのせいで転んだなどと文句を言っている。
ベテランのケアマネは様々なところで尽力してくれるが「お母様は難しい性格の方」という評価をした。
このセリフを聞いたときに私は一瞬にして女子高生に戻ってしまった。
そして当時なんとなく感じていた言葉や形にできない母への憤怒は間違っていなかったのだなとあの頃の私の肩をたたいて励ましてやりたい。
毒母とまでは行かないまでも当時40代の母は支配傾向が強く自分の思い通りにならない私が気に食わないようだった。更年期との折り合いが上手くつかなかったのかもしれない。進学校に通っていた私には比較的裕福で穏やかなご両親を持つ友人しか周りにおらず母のことを愚痴ってはみたもののあまり彼女たちにはピンとこない様子だった。母と比較する対象の大人サンプルをあまり知らない私にとって、私が悪いのか、もしくは私と母の相性が悪いのかが判断できず、かなり情緒不安定で精神安定剤に頼る子供となっていた。進学したいのでグレるという選択肢はなかった。
私がやっと自分の人生を送り出したのは離婚後の30代半ばだと思う。
思い返してみれば結婚した主な理由は結婚しないと母の機嫌が悪くなるので、というのでは結婚生活などうまくいくはずもない。
離婚後の私は実家と没交渉になり1年に1度帰るか帰らないか程度、留守電も放置していた。距離を置いたことにより母と私は上手く行っていると思いこんでいた。
しかし、今年に入って何度も実家に行って母と会うと実は状況は凍結されていただけで改善されているわけではないということがわかった。
そして冒頭の「お母様は難しい性格の方」という言葉で私は母が他人から見てもかなり難ありな人間だと知り救われた。
また母と同居している弟は「元々キチガイなんだから気に病むな。」と言う。じゃあ、弟も母をヤバいと思っていたということなのか。この件について兄弟で話し合ったことはないが私だけが母と合わないわけではなく単に弟のスルースキルが高かっただけどわかった。
なんだか目の前の霧が晴れたような気分だ。
私はもうすぐ50に手が届く年齢だ。
特技も人より詳しい分野もなくて、趣味も時間とお金があればやるけどどうしてもしたいとは思わないし、何が楽しくて生きてるんだろうって思ってしまう
特技だとか詳しい分野とか、なんの努力もせずに生きてきたから当然なんだけど、30年生きててこのために努力したいと思う物事がひとつもなかったんだけど、純粋に怠惰なのかな
時間があれば布団で寝ていたいし、飽きたらまとめサイト見るけどそのうち寝ちゃうし
趣味は読書と言っているけど、本屋の平積みの文庫本を適当に表紙が好みだったら買うだけで、好きな作家も好きな作品もない
恋人も好きな人もいたことはないし、両親や兄弟とは没交渉だし、親しい友達もいないけど、そんなに対して問題なく生きてきた
「こんな形で初盆を迎えるとは思っていなかった」そうつぶやいた父に私は何も言わなかった。言えなかったのではなく、言わなかった。扇風機の音、読むでもない新聞をめくる音。
父は「彼」に思い入れや思い出があるのだ。私が生まれる前の話、それは知っている。しかし私には何もない。「彼」と意思の疎通が図れたことも、まともに顔を見合わせたことも、互いの名前を呼んだことも、何ひとつない。そもそも私は父方の親類とは没交渉であったのだけど、「彼」とはその中でも格段に関わりがなかった。
年齢差もさることながらそれ以上に心の距離がはじめから埋められないほどに遠かったのだ。身内に○○な人がいる、その程度の知識しかなかった。他方、「彼」が私について知っていたことはもっとずっと少なかっただろう。私が小さなころ、近くにいると知っているときでも、ただの一度も顔を見せようとはしなかった。従兄弟なのだから話しかけてくれてもいいだろうに。避けられた理由は今もわからない。ただ強烈に嫌われていると感じた。子供心に関わってはいけないのだと思った。はじめから向こうから避けてきた人に、避けられ続けてきた人に、どうして思い入れを持つことなどできるだろうか。
「彼」が無惨な死を迎えたあとも思い入れの無さは何も変わらなかった。「へえ、そんなところで暮らしていたのか」それが一報を聞いたとき思ったことだった。
まだ若かった。死の瞬間を想像する分にはかわいそうだと思う。あんまりな話だとも思う。でもそれは、同時に亡くなった人びとに対する思いといささかの変わりもない。
葬儀には出なかった。行かなかったのは私くらいのものだったそうだ。親類たちは「彼」に迷惑をかけられた反面思い入れもあるのだ。親類の一部は私に対して怒っていたとも悲しんでいたとも聞いた(行けば行ったでこいつは誰だとか何故こんな奴がここにいるんだと陰口を叩かれるのだけど)。
もし「彼」が生き続けていたとしても私と会う機会などあのまま何ひとつなかっただろう。どこかですれ違っても互いの顔に気付くことなどないし、相手のことを想像することも一切ないままだったろう。平穏に死んでいたならば私が葬儀に出る出ないなど話題にすら上るまい。
それが、たまたま、悲劇的な死を迎えたというだけで、私は「彼」を悼むふりをせねばならんのか。ショックを受けた人や思い入れのある人のために?
葬儀は死者のためにするのではなく遺された者のためにする、それは知っている。けれど「彼」の場合、生きているときも私たちの暮らしとは十分に離れたものだったではないか。こんな出来事でもなければあなたたちは「彼」の死でそこまで集まりましたか。
この記事を書いたら、もうこのページは放置。振り返らない。読み直さない。読み直したらオレの負けだ。
(長文ですが斜め読みでもしていただければ幸いです)
ある日気づいたら、Twitterのアカウントが5つもあった。
おまけにYahoo!のコメント欄に今年初めから200以上も投稿していた。
整理してみよう。
去年の春、体調不良で会社を辞めてからほぼ引きこもりとなり、その後仕事もせず、家族の金で暮らしている。いわゆる「メンヘラ」ってやつだ。
人から見たらメンヘラなんだろうけど、自分ではそう思ったことがない。単なる持病の一つだと思っているから。薬を飲んで、時々寝込むけど、なかなか働けないという以外は普通に暮らしている。家事も手伝っているし。
家族には本当に迷惑をかけている。心から申し訳ないと思っている。
でも、それ以外は助けてとも言ったことはないし、当然友人たちにもメール攻撃して「苦しい辛い助けて助けて」なんて絶対言わない。
その友人たちとも今は没交渉だ。SNSでたまに絡む程度で、絶対会わない。遊びに行くお金もないし、ドクターストップでお酒も飲めないから。
というわけで、今のオレの話し相手は病院の先生以外は家族だけだ。
病気の話に戻るが、今年になってただのウツがどうもソウになったらしく、横になっても頭だけはぐるぐる回転し、後から後から面白いことが浮かんできて困るくらいだと医師に言ったら、ソウを抑える薬を処方された。
その薬が効き始めるまでは、とにかく自分の素晴らしいアイディアを世界に広めたくて堪らなくなり、用途別にTwitterのアカウントを増やしていった。
3.Yahoo!のコメント欄にリンクさせたアカウント(ヤフコメ垢)
残り2つは昔からやっている個人的なものと、趣味でやっているHPから自動投稿させているだけのものだ。
メンヘラ垢に関して:
ここでは辛いとか苦しいとか○○たい(あえて伏せ字)という心の内をとにかく吐き出した。
時には役に立つ言葉や情報をリツイートし、自分の慰めや励みにしていた。
エロ垢に関して:
これはもう勘弁(笑)。本当に恥ずかしい。思い出すだけで○○たくなる(あえて伏せ字)。
とにかくしたくてしたくて(ああ恥ずかしい)、その手のアカウントをフォローしてはリツイート。異性と意味深なDMのやりとりをしては妄想に耽っていた。
ヤフコメ垢に関して:
Yahoo!のコメント欄を読んでいつも面白いと思っていたので、自分も参加してみようと思った。
オレの考えていることをここに書き込むことで、自己表現ができると思ったのだろう。
自分のコメントに関して「そう思う」という人もいれば「そう思わない」人もいるわけで、批判をされることで自分も打たれ強くなると思ったし、また同意してくれる人もいれば「一人じゃないんだ」って思える気がしていた。
厳密に言うと、エロ垢はずいぶん前に消したし、今日消したのはそれ以外すべて。
まず最初に消したエロ垢だが、ある日調子のいいときにそのアカウントにログインしてみたら、自分のTLにボカシなしの性器画像(リツイートした)が並んでいたのでビックリした。
何やってるんだろう、オレ(本当の性別やセクシュアリティに関しては追求しないで下さい 笑)。
DMが何通か来ていて、その中で異性から「ホントに○○○(性器の口語?)が好きなんだね~」と言われ、自分が心底イヤになり、その場でアカウントを削除した。
後で調べると、ソウ状態の時は性的に逸脱することが多いそうで、まさしくその通りではないか!と思った。妄想だけで実行に移さなくて本当によかった。
今こうやって振り返っても死ぬほど恥ずかしい。
ソウの薬が効いてきて、それとともに副作用がひどくなりしばらく悶絶していたが、最近になって副作用も消えた。
頭がぐるぐる回転して、次から次へと考えが浮かぶこともなくなっていた。
ここしばらくは気分もそれほど悪くなかったのだが、この2,3日ワケもなく落ち込んでいた。
不眠のため軽い眠剤をもらっていて、昨夜はそれを倍くらい飲んでいたので、寝起きは最悪だった。
慰めにメンヘラ垢を開いた。
朦朧としていてあまりよく覚えていないのだが、異常なほどの嫌悪感を抱いた。
鍵をかけていたし、取り立てておかしいことも書いていなかったが、「オレ病気~」って威張ってるアカウントが存在しているから自分がダメになるんだと直感し、アカウントを削除した。
病気であることを書くことが悪いんじゃない。自分にとってその病気は病気であって、人格ではないと思っているから。
オレを慰めてくれたり励ましてくれたりした人もいて、その人たちには心から感謝しているけど、自分はここにいたらダメになると思った。その人たちが悪いのではない。お別れを言えなかったのは申し訳ないと思う。
そしてヤフコメ垢のアカウントを開いた。ヤフコメの投稿にリンクしていた。
正直我ながら鋭い視点で芸能界を斬るヤフコメ民だと思い込んでいた。今思えばちゃんちゃらおかしい。
自分はいわゆるネトウヨではなく、ニュートラルな方だと思うが、「これはおかしい」というものがどうしても無視できなくて、それを片っ端から叩いていたように思える。
特に最近海外でも大人気のメタルを歌う女の子3人組がイヤで(本人たちじゃなくコンセプトが)、同じ考えの人の話が聞きたくて何度も疑問視するコメントを書いたけど、ただのアンチと思われたのか逆に叩かれる始末。
(AKBを叩いてもあんまり叩き返してくる人はいないので不思議だなあと思ったけど)
それだけではない。ある番組の批判をすると「見なきゃいいじゃん」とご丁寧に返信してくるお方もいらっしゃり、「はて、これがオレの望んでいた交流か?」とふと気づいたのが今日のこと。
そもそもヤフコメなどに交流を求めていたということが間違いだった。
いや、ヤフコメ民には意図的に悪意のある書き込みをし、それに対する反応を見て楽しんでいるかわいそうな人たちがたくさんいることを、投稿を始める前にわかっていたはずではないか?
(もちろん常識のある方々がたくさんいらっしゃいました。温かい返信もたくさんいただきました)
自分の考えを表現し、打たれ強くなりたい、とは思ったけど、何もここじゃなくてもいい気がする。
即座にすべてのコメントと、リンクしていたツイッターアカウント(ヤフコメ垢)、おまけにそれをまとめていたブログ(!)をすべて削除した。
あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すっきりした!!!!!
この数か月、オレは一体何をやっていたんだろう。
ベッドに横たわってケータイを握りしめ、腱鞘炎になるほど書き込み&書き込み&書き込み…(エンドレス)
そんな暇があったら仕事くらい探せたんじゃなかろうか。
家族の金でネットやって、罵詈雑言(+えっちなこと)ばかり書き込んで、オレ本当に最低だ。
気づいたんだ。オレやっぱり寂しいんだよ。
社会に少しでも役立って、お金稼いで、少しでも家族に恩返ししたいのに。
自分はかまってちゃんだと重々承知している。でも、いくらコメントしようがツイートしようが、どんなに頑張ったってバーチャルなつながりしかできない。
やはりリアルなつながりを構築しないと、人はダメになると思う。
かといってお金もないのに闇雲に「遊ぼ~」と誘うわけにもいかないし(笑)、やっぱり社会に出て、貢献して、報酬を得て、胸を張れる自分になって、人脈を作って、友達にも会おう。
こういうことに気づけたから、裏垢作りまくって書き込みしまくっていた時間も無駄じゃないのかな(笑)。
昔から使っているTwitterやFBは今後近況報告程度に使おうと思う。アプリやウェブサイトも都度ログアウトしているが、いつまで続くか自分でも楽しみだ。
何か書きたいことがあればまたどこかに書くだろう。でも今はその時期ではないようだ。