「こんな形で初盆を迎えるとは思っていなかった」そうつぶやいた父に私は何も言わなかった。言えなかったのではなく、言わなかった。扇風機の音、読むでもない新聞をめくる音。
父は「彼」に思い入れや思い出があるのだ。私が生まれる前の話、それは知っている。しかし私には何もない。「彼」と意思の疎通が図れたことも、まともに顔を見合わせたことも、互いの名前を呼んだことも、何ひとつない。そもそも私は父方の親類とは没交渉であったのだけど、「彼」とはその中でも格段に関わりがなかった。
年齢差もさることながらそれ以上に心の距離がはじめから埋められないほどに遠かったのだ。身内に○○な人がいる、その程度の知識しかなかった。他方、「彼」が私について知っていたことはもっとずっと少なかっただろう。私が小さなころ、近くにいると知っているときでも、ただの一度も顔を見せようとはしなかった。従兄弟なのだから話しかけてくれてもいいだろうに。避けられた理由は今もわからない。ただ強烈に嫌われていると感じた。子供心に関わってはいけないのだと思った。はじめから向こうから避けてきた人に、避けられ続けてきた人に、どうして思い入れを持つことなどできるだろうか。
「彼」が無惨な死を迎えたあとも思い入れの無さは何も変わらなかった。「へえ、そんなところで暮らしていたのか」それが一報を聞いたとき思ったことだった。
まだ若かった。死の瞬間を想像する分にはかわいそうだと思う。あんまりな話だとも思う。でもそれは、同時に亡くなった人びとに対する思いといささかの変わりもない。
葬儀には出なかった。行かなかったのは私くらいのものだったそうだ。親類たちは「彼」に迷惑をかけられた反面思い入れもあるのだ。親類の一部は私に対して怒っていたとも悲しんでいたとも聞いた(行けば行ったでこいつは誰だとか何故こんな奴がここにいるんだと陰口を叩かれるのだけど)。
もし「彼」が生き続けていたとしても私と会う機会などあのまま何ひとつなかっただろう。どこかですれ違っても互いの顔に気付くことなどないし、相手のことを想像することも一切ないままだったろう。平穏に死んでいたならば私が葬儀に出る出ないなど話題にすら上るまい。
それが、たまたま、悲劇的な死を迎えたというだけで、私は「彼」を悼むふりをせねばならんのか。ショックを受けた人や思い入れのある人のために?
葬儀は死者のためにするのではなく遺された者のためにする、それは知っている。けれど「彼」の場合、生きているときも私たちの暮らしとは十分に離れたものだったではないか。こんな出来事でもなければあなたたちは「彼」の死でそこまで集まりましたか。