はてなキーワード: 戦士とは
戦士呼ばわりされるの嫌なの?
https://togetter.com/li/1791822
「お気持ち」をシカトして「法に違反してなければ何してもいいんだよ」とやられたら法で殴るしか選択肢がなくなる。
それでまんだらけ側も大ダメージをおったわけだ。最初から近隣に配慮していればこんなダメージはおっていないだろうね。
法に触れてなければ何をしてもいい、という考えを大声でいいたてているというだけで、まるでタガのはずれた連中なのだなあ、としか思えぬ。
法に触れていれるというだけで一斉に黙ってしまう、というのもいかにも権威主義で、お上にはいっさいさからわないまま「表現の自由」などと抜かすのも笑えるな。
「表現の自由」を守るためには必然的に公権力と対峙する場面があるわけだが(そもそも公権力と対峙するために表現の自由はあるといえる)
実際に「法に触れなければ何してもいい」で大ダメージをおったよね。法治国家、というのは法以外の規範を無視してもよい、という意味ではないことくらい理解しようなw
風営法の200m以内がどうこう、というのはゾーニングど真ん中案件だということは理解しているかな? あとね、例えば中国で表現の自由を実践しようとしたら、必然的に法に抵触する。表現の自由は、とにかく法に従います、というところでは守れないんだな。
上でやりとりあったようにこれは風営法であって表現の自由案件じゃないんだけど。仮に表現の自由案件だったとして、現行法を超えた自由を得たいなら、まずお上に取り合って法を変えましょうというのが正規の手続き。やりたいことがあれば法だって無視しても良いという考えが表現の自由じゃないよ。性表現をそのまま支持する=表現の自由戦士が押し通そうとしてる、性表現が許されなかった=表現の自由戦士は無力 って背景も条件も考えずにどちらの結果でもスキあらば場外を叩こうとするからおかしな発言になるんだぞ
だからそのゾーニングが今回の場合は法律で明確に定義されててそれに抵触するってことが報道ではっきりしたんでしょ。曖昧だったり定義されてなかったり判断が割れたり法律に基づかない批判だったり現時点で適法だけどこれから違法化させたいとかそういう表現の是非を問う争点は無いわけで。そしてここは日本で、本件は日本の法律と照らし合わされる。勝手に全世界対応の表現の自由を進めたくて仕方がない人扱いされても知らんがな。
リベラルが「MtF(所謂トランス女性の事)問題」や「キラキラネーム問題」に際して自分から化けの皮を剥ぐという事態はもはやネットの風物詩である
ほぉらなにいってるかわからん
表現の自由の戦士は共産党ならやってくれるとおもってたら裏切られたんだよね?かっわいそwww
ごめんね俺は普通に規制と共存してけるのでなにも悲しくないんだわ、共産党さんもちゃんと規制はほどほどってわかってくれたじゃんw
まぁ普通に自民に最初から入れるつもりではあったけどねwww規制主義中国さんと仲良くなんかできないわwww
あとなんで話をくっつけようとしてんのかわからんけど
実写エロDVD小学校の周りで売るとか普通に犯罪じゃんwなんかいも注意されて辞めなかったとかw
まんだらけもとらもやりたい放題やってるのやめて普通の古書店とエログッズ店なみに規制受けろやwwww
表現の自由の戦士はとにかく表現つかって肌色丸出し幼児虐待とか性虐待とかの犯罪、それに女性差別をやって見逃してほしいんだよね
でもどこの党も(大手野党共産党でさえwwww)犯罪者に完全同意なんてしてくれないよwwwかっわいそwww全然同情しないけどうぇwwww
一生オンラインにひきこもってろwwwwww
猫先生って全然知らないし(夏目友人帳かよ)文脈不明な方法で切り取られてまともに読めないけど
言いたいことは大差ないんじゃないかなw
最近の表現規制の問題に関しては、建設的話題というよりは香ばしい話題となりつつあるので論点を整理したい。
似た趣旨の刑法175条(猥褻物頒布罪)は社会的法益が保護法益であると解されるのが専らであり、かつその規制対象は実在の人物を描写したものに限らない(仮想的創作物も含む)。
一方刑法175条に比して児童ポルノ規制に関しては重い刑罰を課しており、同一の法益の保護を目的にしたものと考えるのは難しい。加えて児童ポルノ規制において「性欲を興奮させ又は刺激する」かどうかの要件は記載されていない。そのため、自然な考えとして当該児童の人格権の保護を目的とする考えが生じてくるわけであり、現状においてこの点においてあまり争いはない。
筆者の見解:一般の児童を性欲の対象とする風潮からの保護を目的にする(社会的法益の保護は含まないが、拡大された個人的法益を保護する)。
単純所持も現在規制の対象になっているが、これは児童の人格権保護という観点のみからは正当化できない。何故なら頒布や児童への所持の告知なし、もしくはそれらを目的にせず所持している場合において、直ちに児童の人格権が害されるとは言えないためである(例えば、親族の遺品に児童ポルノがありそれをそのままにした場合など)。
そのため単純所持の規制の根拠としては児童を性欲の対象とする風潮からの保護を目的にしているためと解釈される。これはいわば抽象化された個人的法益とでもいうべきものであり、社会的法益と解釈できる余地があるように思えるが、これは明確に社会的法益を含まない。このことは判例としてもあり、「同条3項にいう「児童ポルノ」とは,写真,電磁的記録に係る記録媒体その他の物であって,同項各号のいずれかに掲げる実在する児童の姿態を視覚により認識することができる 方法により描写したものをいい,実在しない児童の姿態を描写したものは含まないものと解すべきである」(最判令和2年1月27日)
海外では非実在児童ポルノ規制が現実として行われている側面があり、この場合の規制の根拠として模倣説(児童ポルノが実際の児童への虐待を誘発する)及び市場説(児童ポルノの市場の形成自体を防ぐことによりさらなる流通を防ぐ)という2つの説によっている。翻って日本においては児童ポルノの規制が個人的法益の保護が目的であるという判例がでたため、非実在ポルノへの規制を行うには2つの方法があると思われる。
1. 抽象化された個人的法益を保護法益としながらも、非実在児童ポルノへも規制する旨明記する。
2. 保護法益が個人的法益に加えて社会的法益も含む旨加えた上で非実在ポルノへの規制を行う。
1.は(流通するのが非実在児童ポルノである以上)模倣説を採用することにより正当化されることになるが、これは違憲審査基準と合わせて考えると違憲となる可能性がかなり高いと思われる。何故ならいわゆる模倣説は科学的に立証されたわけでなく、児童の人格権が直ちに侵害される、いわゆる明白かつ現在の危険を有しているとまでは言えない。加えて日本においては子供の入浴の写真を撮ることが一般的とまではいはなくとも受容されうるという現状がある以上、国民の一般的な通念上と照らし合わせてみても違憲である可能性が高い。
2.はおそらく現行憲法下において規制の理由とするのであれば最も妥当な論理になると思われる。再度述べるが刑法175条は健全な性道徳という社会的法益を保護することが目的であり、かつそれは合憲であるという判決が何度も出ている。そのため、同様に児童ポルノ規制の保護法益は「児童が健全に成長する社会」を保護するという旨を明記するのであれば、刑法175条と同様の論理で正当化されると思われる(再度注意しておくがこれは筆者の見解であり当然議論があると思われる)。また、保護法益は互いに二律背反ではなく、社会的法益及び個人的法益の双方が保護されうる(下級審判決などに判例がある)。そのため、この場合であれば児童ポルノ規制は個人的法益及び社会的法益双方を保護するものとして解される。
筆者の見解:現行憲法下でも新たな立法による表現規制を正当化することは不可能ではない(難しいかもしれないが)。
ポルノ規制に社会的法益の保護を根拠とするのはふさわしくないと考えている。そのため、
が私の考え方である。
ただ注意しておきたいが、この種の規制の問題に当たってはやはり児童の保護という観点を重要視して欲しく思っている。表現の自由はもちろん保障されるべきであるが、児童の目に触れないための厳格なゾーニングを求めたい。自ら謳歌する自由が他者の尊厳を損なうことがないよう、気をつけて欲しい。
また、議論の際には建設的な議論を求めたい。相手をナチス呼ばわり、もしくは戦士呼ばわりなど持っての他である。安易なレッテル貼りは議論を口論にかえてしまう。健全な民主主義は誰もが自由に参加できる建設的な議論を礎にしていることを忘れないでほしい。
おっす!おら表現の自由戦士!
例えロリエロ同人だろうと他人の権利を侵害しない以上、表現の自由は守られるべきだと思ってはてブやらTwitterやらでそんなことを呟いてはいるだけで特に署名とかはしない派! 投票はするよ!
日夜不毛な争いをしてるんだけどまんだらけの件とか明らかに法に抵触してる物にまで「フェミがああああ」って突っ走ってく基地外にはほとほと嫌気が差してるんだよ
今後彼らの事は「表現の自由狂戦士(バーサーカー)」と呼んで区別していただきたい
フェミニストだってツイフェミとかラディフェミみたいな切断処理してるんだからこっちも過激派への切断処理は許してほしいんだわ……
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/WANPOWANWAN/status/1451240243030495234
賛同である。それだけに相応しくないものを公の場に掲示したい人たちを苦々しく思う。大多数の不快に配慮しないことがいかに危険であるか、ということ。
考えは理解できる。無知で申し訳ないが、多様な表現を受け入れてもらうために、業界は何か活動をしているのだろうか?不快に思う人を無視してやりたい放題、を避けるための施策が知りたい
国家権力に表現規制をさせてはいけないから、性暴力表現を表に出さないことが大事なのに、いまだ公共のポスターや動画でおっぱい揺らしたり股の線描かれてて女に嫌がられてもエロじゃないもん!と居直るバカがいる。
ヘイトスピーチがなぜ規制されるかってことに頭が及ばないオタクが主だからなあ。あるいはヘイトスピーチも野放しにすべきと彼らは考えてるわけで。だから話し合いすら拒む。どちらが思考停止しているか。
こういう人々は、名誉毀損や脅迫も表現の自由のもとに正当化するわけですね。「○ね」「おたくのお嬢さんが無事だといいんですがねえ」というのも言論の自由ですからね。
街頭インタビューで戸定梨香を不快だと言った人はほとんど居なかった件について・・・
この人が言ってることは、他人に任せるな、つまり自分を律せよ、とも言えるわけで。
「表現の線引きを他人に委ねない」ためには、表現者たちも社会的な合意に参画すべきで、「表現の線引きは不要!!」と開き直ることではないんだけど、それは表現の自由戦士には伝わらないんだろうな…
あのね。「公権力に好悪判断を握らせてはならない」からこそ自浄しろって言ってんの。それが理解されないから諦めたの。好きにすれば。
「権力者に生殺与奪の権利を握らす前に調整を図ろう」という意見を「法律が禁止していないから一切不要!」と圧殺するのですけどね。表現の自由戦士は端から生殺与奪の権利を権力者に付託済みなんですよ。
影響がない、非実在だから全く実害がないという詭弁はやめて、こういった姿勢を示すべきで、表自戦士みたいに敵認定して騒ぐのは規制に向かわせるだけだよ。
児童ポルノの件については、エロ絵が無料でお手軽に楽しめる状況を守りたいだけの人が反対派の中に溢れてんだよな。ゾーニング強化したら年齢登録や個人登録必要になるから嫌って。表現規制反対はただの口実。
「乳揺れ」や「ロリ美少女」のような志の低い(カモ消費者にウケる)表現を擁護しようとして、却ってその他「表現一般」について《政治が介入する隙》を与えている、という構図に見える。
うーむ、、児童ポルノは二次元だろうがダメって国はたくさんあるけど、どうなってるんだろうね/だから共産党はしつこく「議論しよう」と繰り返すのではと
↓
権力に規制されたくなければ・・・わかるだろ?という輩の主張する「調整」ってなんだ?
なんつうか、話し合う気もなければ、表現を許す気もないのに
話をしよう、あれは今から36万・・・いや、1万4000年前だったか まあいい 私にとってはつい昨日の出来事だが、君たちにとってはたぶん 明日の出来事だ
ある政党が言った
どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う
君たちはこれが未来の話だと思ってるだろう?違う、昔これをやった連中がいる。なに、昔話だ。ある国ある政党。彼らは敵対者を葬りたかった、出来るだけ体裁よくね。
どうしたか?まず敵を徹底的に悪魔化して、晒し上げました。同時に国民運動を仕掛けて不買・契約拒否で実体的な企業価値の棄損をします。金融網にも当然圧力をかける。資金繰りは死ぬよね。これを側面支援したのが配給条項の改訂。敵対者の企業への配給を絞って、チェーンのどこかに居られなくしました。まあ配給についちゃ昔のことだから勘弁してほしい。もっとも今でもサプライチェーンを攻撃することは、同じ手法で可能なんだ。
さて、どんどん敵対者の企業価値は棄損されました。そうなったらおまんまの食い上げだから、敵対系企業はこれを売らざるを得ない。でもそれはあくまで「民間の商行為」という体裁なわけ。さらに買い叩いた御用銀行。最後には「ヤツらがいる企業には企業価値は原則認められない」という判断が通り、二束三文なんで目じゃない価格で、党シンパが手に入れました。看板を付け替えただけ。ピーク時には買い手より売り手が多くなってマーケットの破綻がちらついたほどだった。
最後にどうなったって?奴らが買っている実力部隊が究極のボイコットとして、企業襲撃をやりました。それを「民衆の声」だとして、敵対系企業は全て国(≒党)が接収して、シンパに払い下げることになりました。この襲撃、商店のガラスが散らばったのが水晶みたいで綺麗だったよ。
勘のいい諸賢ならもうお分かりだよね、これはナチ党がやった「経済のアーリア化」という政策。襲撃はいわゆる「水晶の夜」です。
いいかい?これが
の究極の姿だよ。
そして、君たちはこれが未来の話だと思ってるだろう?違う、彼らはまさに今それをやっている。
思い返してごらんよ。彼らの上澄みの主張は
だよたしかに。そして、それはまあ全員の合意を得られる話題ではある。
でも実態は支持者が「死ねロリコン」「表現の自由の戦士ガァァァァ」ってやるわけ。最近もデマを元に「あいつらはカルト!」「カルトと完全に手を切った証明がない限り、疑いは晴れない!」ってやらかしてたよね?こうやってちょっとづつ信用を棄損していくんだよね。
これがある日「萌え絵を使う企業は犯罪企業」「お宅は犯罪企業と取引があるんですか?ならちょっと考えたいなぁ」「なんで犯罪者に融資が実施されているんですか許しがたい」に化けないと思うかい?しかも「民間の動き」で「政党は関係ありません(支援してるけどヌルヌル否定)」とくる。彼らは「民間の声だから」という理由で責任なんか取らないよ。そのために直接動かないんだから。
思い返してみよう、彼らが何を「ポルノ」と罵ってきたか。ただの絵。しかもヤッてるところじゃなくて、ただただ女性を描いたいわゆる萌え絵、というだけで彼らの突撃隊が火をつけて来たよね。その上で、不買と周辺企業・行政への圧力を繰り返している。あれあれ、(今はまだ)規模はしょぼいけど、やってることはナチと同じだよね?
もう信用の棄損をする試みはだいぶ前から始まっている。むろん統一した指導があるわけではないが、それを利用しようという機会主義というものはあるだろうね。それが今可視化されてきたという訳さ。
そして、手数と民主的正当性を糊塗し、対行政に絶対的な圧力を振える手先議員、暴力を理論立ててごまかす御用学者、リアル暴力であるしばき隊etc.。もう共産党の手元には、ナチの再現をするだけの兵隊が揃ってるんだ。彼らがそれを再現しない理由も動機もないよね?
いや、今度はもうちょっとうまくきれいに見せかけるかもしれない。でも起こることは、本質的に同じだ。
彼らは散々言っていた。「民主主義を破壊する○○だけは排斥していいのだ、奴らはパブリックエネミーなのだ」と。ならばすでに自由の敵・民主主義の破壊者である共産党とそのシンパをどう処遇してやればいいのか、答えは一つしかない。彼らの理屈を最後に彼らに適用すればいいのだ、お前たちこそパブリックエネミーなのだと。
一つ、ヒントを置いておこう。
かつて、クレムリノロジーという概念があった。これは全く情報がないソ連共産党の権力構造を解明するため、あの国の重鎮の並び順でそれを推測する(そしてまあまあ当たる)というものだ。ソ連亡き後、ほそぼそ生き残っているのが北朝鮮の内部序列観察である。
ところで、共産党はフェミにはちょっと怒られただけで秒で焼き土下座を敢行した。一方で表現の自由に対しては一切の応答を見せちゃいない。これがつまりどういうことか、彼らの党内序列に於いて何が最重視され何が軽視されているのかよくわかるよね。身内には謝るけどそれ以外にはシンパの支援砲撃を利用しつつぬるぬる逃げ切る。誰が誰より偉いのか、どういう態度を見せているのか、きちんと理解すべきだよ。
性別はまあどっちもありえるとして、子どもに性的なことをする意図の作品だろ?
そんなんきもいし別に規制したって困らない。というかむしろ規制してほしいくらいに個人的に思っている。
反対してる人って要はロリエロ漫画を支持してるキモオタでしょ?
ってくらいの感覚なんだよな正直。
でもさ、本当は「この表現規制を皮切りにどんどん規制範囲が広まるのを危惧してる」っていう感じなんでしょ?
だったらそこらへんをもっと推していかないと反対派=ロリエロを守りたいキモオタ集団くらいにしか見えないと思うんだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20211003134639
児童は小、生徒は中高、学生は大学だがまとめて生徒と呼ぶことにする
ギャルゲエロゲは「ゲームとしてはアニメや漫画に近い」に入ると思う
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/sai_arts
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/IkaMaru
ぷよぷよ通と書くつもりだった。以降のシリーズはすまん知らなかった
通のストーリーの簡素さは初代〜64のマリオシリーズに近いと感じる
通より後からは急にストーリー濃度が上がるのはサンシャインに近そう
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/tsz
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/miruna
学校通ってたら旅できないじゃん
主要キャラが生徒という描写が少しでもあれば生徒主題と認定している
学校「や生徒」が主題と書いたのはここをはっきりさせるためだったが
さすがにさりげなさすぎて伝えられなかったようだ。申し訳ないと思う
生徒が主要キャラでも学校シーンはあまり描かないアニメや漫画は多く
例えばドラえもんやセラムンは学校の話は少なくコナンにはほぼ出ない
むしろ授業シーンに力が入っているハリポタなどの作品のほうが珍しい
だから生徒が主要キャラでも旅できるのは多くの作品で証明されている
ジョジョ三部など生徒でありながら数々の国を巡る大冒険を繰り広げた
お遍路の区切り打ちのように旅の途中で家に帰る変則的方法も行われる
光の石の伝説や日帰りクエストなどローファンタジーではよくあること
有名なのはソードアートオンラインのアルヴヘイム編とガンゲイル編か
劇場版ドラえもんもどこでもドアやタイムマシンで一旦帰ることがある
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/aa_R_waiwai
妙に多いといえば現代日本の子供が学校に通っている割合こそ妙に多い
現代の文明社会に生きる子供キャラを描いたらほとんど100%生徒だ
ttps://anond.hatelabo.jp/20211004124738
ゲームもオブジェクトを用意する手間が割としんどいのかもしれない
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/gabill
漫画の場合は授業時間などをスキップして学校行事や放課後だけをつまみ食いできるけど、ゲームだと省略し過ぎると没入感が削がれる。
納得がいくようでもありいかないようでもある。識者の登場が待たれる
しかし例えばドラクエ2の勇者は王子らしい生活がほぼ描かれてないが
そのせいでプレイヤーが没入しにくいという話を聞いたことはないから
生徒の生徒らしい生活描写もほんの数カット程度で足りたかもしれない
一揆をする農民や色を揃える医者もゲームの中ではただ戦ってるだけだ
初めはアキネイターぽちぽちしながら適当にぶちあげた理論だったけど
ブコメ見ながら考えてたり返信書いたりしていたら頭が整理されてきた
またブコメやトラバで学校が舞台のゲームとしてあげられているものが
想定となんか違ったので自分の立てた疑問がずれていることに気づいた
そうして浮かんできた思いつきとこのブコメが符合したので貼っておく
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/AKIYOSHI
ゲームはプレイアブルコンテンツだから、物語のベースにいわゆる「学園的共通体験」がなくとも自分ごとになるからでは。だから最初から世界で戦える。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/cotbormi
言われてみればゲームに少ないのは学校のような特定のものというより
平凡だった人間がある日突然変わった出来事に巻き込まれる物語構造だ
生徒が主要キャラになりにくいのはこの傾向が生む結果の一つのようだ
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/nakex1
マンガ等なら学生が思いがけないことから冒険や戦いにってするところを,ゲームだと最初から戦士や兵士ってことは多いかもしれないな。
https://anond.hatelabo.jp/20211003134639
児童は小、生徒は中高、学生は大学だがまとめて生徒と呼ぶことにする
ギャルゲエロゲは「ゲームとしてはアニメや漫画に近い」に入ると思う
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/sai_arts
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/IkaMaru
ぷよぷよ通と書くつもりだった。以降のシリーズはすまん知らなかった
通のストーリーの簡素さは初代〜64のマリオシリーズに近いと感じる
通より後からは急にストーリー濃度が上がるのはサンシャインに近そう
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/tsz
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/miruna
学校通ってたら旅できないじゃん
主要キャラが生徒という描写が少しでもあれば生徒主題と認定している
学校「や生徒」が主題と書いたのはここをはっきりさせるためだったが
さすがにさりげなさすぎて伝えられなかったようだ。申し訳ないと思う
生徒が主要キャラでも学校シーンはあまり描かないアニメや漫画は多く
例えばドラえもんやセラムンは学校の話は少なくコナンにはほぼ出ない
むしろ授業シーンに力が入っているハリポタなどの作品のほうが珍しい
だから生徒が主要キャラでも旅できるのは多くの作品で証明されている
ジョジョ三部など生徒でありながら数々の国を巡る大冒険を繰り広げた
お遍路の区切り打ちのように旅の途中で家に帰る変則的方法も行われる
光の石の伝説や日帰りクエストなどローファンタジーではよくあること
有名なのはソードアートオンラインのアルヴヘイム編とガンゲイル編か
劇場版ドラえもんもどこでもドアやタイムマシンで一旦帰ることがある
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/aa_R_waiwai
妙に多いといえば現代日本の子供が学校に通っている割合こそ妙に多い
現代の文明社会に生きる子供キャラを描いたらほとんど100%生徒だ
ttps://anond.hatelabo.jp/20211004124738
ゲームもオブジェクトを用意する手間が割としんどいのかもしれない
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/gabill
漫画の場合は授業時間などをスキップして学校行事や放課後だけをつまみ食いできるけど、ゲームだと省略し過ぎると没入感が削がれる。
納得がいくようでもありいかないようでもある。識者の登場が待たれる
しかし例えばドラクエ2の勇者は王子らしい生活がほぼ描かれてないが
そのせいでプレイヤーが没入しにくいという話を聞いたことはないから
生徒の生徒らしい生活描写もほんの数カット程度で足りたかもしれない
一揆をする農民や色を揃える医者もゲームの中ではただ戦ってるだけだ
初めはアキネイターぽちぽちしながら適当にぶちあげた理論だったけど
ブコメ見ながら考えてたり返信書いたりしていたら頭が整理されてきた
またブコメやトラバで学校が舞台のゲームとしてあげられているものが
想定となんか違ったので自分の立てた疑問がずれていることに気づいた
そうして浮かんできた思いつきとこのブコメが符合したので貼っておく
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/AKIYOSHI
ゲームはプレイアブルコンテンツだから、物語のベースにいわゆる「学園的共通体験」がなくとも自分ごとになるからでは。だから最初から世界で戦える。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/cotbormi
言われてみればゲームに少ないのは学校のような特定のものというより
平凡だった人間がある日突然変わった出来事に巻き込まれる物語構造だ
生徒が主要キャラになりにくいのはこの傾向が生む結果の一つのようだ
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/nakex1
マンガ等なら学生が思いがけないことから冒険や戦いにってするところを,ゲームだと最初から戦士や兵士ってことは多いかもしれないな。
ぬるい。
人気商売っていうのはな、例え本人に責のない何かに由来する評価だったとしても『人気が落ちたらアウト』なんだよ。
それはもうジェンダー論がどうこうの話じゃない。
結果が全ての世界の話なんだ。
そういう意味では、逆に人気さえ維持できるなら、たとえこれが本人に問題がある不貞行為でのスキャンダルだった場合でも、俺は役を継続して良いと思っている。
彼女が降板させられることが不当だと思うなら、お前が本当にするべきことは「わたしのりそうのしゃかい」を実現するための都合の良い戦士になってくれと彼女に対して他力本願することではなく、離れていったオタクの分、お前とそのお仲間が彼女を買い支え、彼女の人気維持に貢献してやることだ。
そうすれば、お前の言うところの「自由を象徴する女神」にも需要があることが証明され、そうしたスタイルの声優も雨後の筍のようにドンドンデビューしていくことだろう。
人気とかけた真剣勝負の芸の道に薄っぺらで一方的なジェンダー論が介在する余地はないが、需要と供給の理屈の中でならお前の望みが叶う可能性はある。