はてなキーワード: 性役割とは
そもそも元記事が女性に対する偏見と「女性に相手にされない自分」という被害妄想に彩られていて、
受け身で居ることが許されず、口説いた相手に拒否されるリスクを男性だけが一方的に負わされているのが、「男性性役割」であり、「男性差別」の一つなのだと思う。
という「差別」という言葉の拡大解釈から始まっているのでどうしようもないんだけど、この記事に対して自分が
id:Red-Cometとid:fuyu77は普通に差別主義なんですが。選択的"差別主義者の詭弁"に優しいはてなーの知的レベル
というidコールを受けた。
ところが自分には、自分が差別主義者呼ばわりされる理由が全く分からなかった。
例えば一人の女性が居る。そしてAとBという二人の男がいる。問題を単純化するために、男たちはどちらも顔は並レベル、収入も同年代の平均的なランクであるとしよう。そして二人とも、彼女に対して恋心を抱いている。ひとつ違うのは、Aは彼女を口説くのだけど、Bは遠くから見つめているだけで何もしない、ということだ。
この場合に彼女がAを選ばずにBを選ぶということがありうるだろうか。
物理的にありえない。言われなければ好意を持たれているかどうかすら分からない。そんな男をエスパーのように感じ取って愛せというのだろうか。
それを「差別」だと彼は言う。
だけどよく考えてみると、Bに近い男性はそう思うのだろうと分かった。
振られるリスクを背負うことができるAと、リスクを背負うことが出来ないB。言ってみればBは社会的な不具であって、障害者手当的なものを受給すべき存在である、という主張なのだとわたしは理解した。
車いすの方が入りやすいように出入口にスロープを設けるように、非モテに対しても恋愛のバリアフリー化しなければならない、そういうことを言いたいんじゃないだろうかと想像した。
ぼくたちは好きな女性ができたならば、彼女のために何ができるかを考え、喜んでもらうことを行い、そうして彼女からの承認を受けるわけだけど、それは例えばある種の鳥がダンスを踊ってメスを誘うような本能的な行動であって、特に何の特殊技能も必要なく行えることだと思い込んでいる(そうでなければこれほど多くの人が恋愛を成就させているだろうか)。
だから、生まれつきそのような能力が欠如している人が存在することなど思いもよらず、「本人の努力不足だ」とか「勇気がない」などと切り捨ててきたわけだ。確かにこれは「差別」である。体の不具ならば目で見えるけれど、心の不具は目に見えないばかりにさらに根が深い問題なのだと気付かされた。
というブコメに対する、id:nt46からの回答がよく分からなかった。
id:Red-Comet それを選択しなければならないことが、それが差別かどうかだということが、おかしいとわかりませんか?
「それ」を「選択しなければならない」とはどういうことだろうか。誰に選択を強制されているのだろう。社会に?
そもそも女性には選ぶ権利があって、より好ましいと思う男性に惹かれるべきであろう。それが自由意志というものであって、女性に対する差別主義者ではないわたしはそれを尊重したいと思う。
だけどその自由意志を「それは社会に強制されて、そのような判断を行うようになったものだ。本来なら非コミュを愛さなければならない」と主張するのは過激すぎてゾッとしてしまう。「ここにイケメンとブサメンがいる、イケメンを選ぶのはブサメン差別だ!」というわけだ。ちょっとそれは、非モテをこじらせすぎているんじゃないだろうか。女性というものを、奴隷のように好まぬ主人に仕える存在だと思っているのだろうか。
ちなみに『異性をモノのように捉える理由について』と『優劣談義と集団への屈従を好む男性の性質について』については論ずる価値がないので触れないつもりでいたのだが、もしかしたら「恋愛不具の男性だから」女性をモノとして見てしまうのかなあとは思った。
ただこれはこちらの誤解かもしれない。ブコメでは短文過ぎて、わたしの読解力では真意を読み取ることができなかったので、id:nt46は増田で補足して欲しい。
あと、id:inukororiのブコメにはちょっと笑った。
合理的な選択が差別でないかのような主張はいただけないなあ。//たとえば、ろくでもない奴が混じってる可能性が高い部落出身者を排除するのは企業の採用担当にとって合理的だよね。
人を差別主義者だと断じる奴が一番の差別主義者であるという好例。いまのところid:nt46もその仲間のように思えているけど、本当のところはどうなのかな?
デートのイニシアティブを早くとらない男性を「情けない男」と呼び、デートのイニシアティブがあまりにも早く行われれば「レイプ犯」とその男性を呼び、彼がうまく引っ張ってくれない場合「最低な男」と呼ぶ。
この文章が、恋愛について受け身な人の嫌な点を非常に的確に表現していると思った。
鶉まどかさんのブログに出てくる「クラッシャられ男子」は、男子だから情けなくて最低と評されるのであって、女子だったら許されているのが現状だ。そこそこ可愛い女子に生まれて愛想も良ければ、クラッシャられ男子レベルの受け身ぶりでも、口説かれて結婚して子供を産んで…と、ドロップアウトせずに人生の王道を歩み続けることが出来る。
受け身で居ることが許されず、口説いた相手に拒否されるリスクを男性だけが一方的に負わされているのが、「男性性役割」であり、「男性差別」の一つなのだと思う。一方的にリスクを負わされていることに気づき、不平等な関係から降りたのが「草食男子」なのかもしれない。既得権は、得ている側は気づかないものなので、「草食男子」という降りた存在が現れたことで、女性が既得権を失う可能性が初めて可視化されたのではないだろうか。
しかしこれからも、「待ちの姿勢で居る高嶺の花的な美貌の女性と、その女性を捨て身の献身でもって落とした男性」のストーリーは男女の恋愛における憧れの対象として語られ続けはすると思う。フィクションだけではなく、芸能人の結婚話などで定期的に実話が投下されるとも思う。男性が「美貌の女性」に憧れる限り、女性が「捨て身の献身」に憧れる限り、そうしたストーリーの人気は続くだろう。しかし「美」も「献身」も希少であり、非常に高い価値を持ち、凡人には手が届かないものだ。簡単に手が届くという勘違いは、その人にとっての「世界」を「敵」に変える。凡庸な多くの人々にとっては、メジャーリーグやセリエA、オリンピックを観るような気持ちで、遠巻きに憧れの視線を送る程度がちょうど良いのだと思う。
個人的な拒絶を引き受けるよりもむしろ、若い男性は女性をセックスのための物として見るように変えることを学ぶ───物に拒絶された方が彼はあまり傷つけられずにすむ。物として扱われることは彼女に疎外感を与え、拒絶されることは彼に痛みと怒りと弱さを感じさせる。
「男性は女性を物のように扱う加害者で悪人で絶対的強者」という一方的な認識に一石を投じる解釈だと思う。
女性を物のように捉えることは、拒否されるリスクを男性だけが一方的に負わされ、そうした社会は変えられないという現状に対する、個人的な適応なのだ。夫に傷つけられ失望しきった妻の心が麻痺し、夫がATMにしか見えなくなるのも、一種の精神的な適応であると思う。非人間的な考え方の根源には、これ以上傷つくことを恐れるという人間的な理由がある。「だから女は肉便器、男はATMという考え方は正しい」と言いたいのではない。人間関係の問題を解決に向かわせるためには、加害者批判に終始するのではなく、加害者理解が必要なのだと言いたい。
男性は女性を性的に拒否すべきではないという強い規範も存在する。女性が幼い男性を強姦するケースもあるが、笑い話やポルノ的消費で片付けられてしまいがちだ。女性ストーカーに怯える男性も「男らしくない」と罵倒される始末で、男性被害者こそセカンドレイプに晒され続けている。男性がセカンドレイプに晒されることを当たり前と考えていると、女性をセカンドレイプに晒すことも当たり前になる。セカンドレイプの悪質さに、被害者が女性か男性かということは、一切関係が無い。
第二次世界大戦における日本人男性は、「武士道」の訓練をまだ受けていた。「武士道」は、屈従の方法であったので日本の軍人は、進んで天皇および祖先のために死んだ。死以外に勝利への代替方法は許されないと考えるように彼は訓練を受けた。神風特攻隊は、「武士道」、すなわち「他者」への総合的な奴隷になる道の結果である。
『男性権力の神話』には、これまで男性がいかに危険な仕事に従事し、いかに使い捨てにされ、いかに国家に殺されてきたかという話が繰り返し出てくる。若い男性の労働力や命を、「名誉」を餌にして権力者が根こそぎ収奪して富を得ている構造がある。現在も「生活保護という不名誉」から逃れるために過酷な労働をしている男性が数多く居る。「他者」への総合的な奴隷、というのは上手い表現であると思う。
歴史を振り返るに、女性よりも男性の方が、よほど従属的だ。発言や態度が挑発的であったとしても、実際の行動が集団に従属的なのである。最近、男性が従属的で自尊心が低そうに「見える」女性を好むのは、支配欲というよりも共感なのではないだろうかと思う。男性向けの創作で、巨乳の存在に萎縮する貧乳が描かれたりするが、「優れた同性」の存在にやたらと萎縮する傾向は、女性より男性の方が、実際には強いと思われる。身体的な特徴を優劣・上下の関係に単純化したがる傾向は男性によくみられる。強さ議論が好きであり、劣ったものを侮蔑することを好む。男性の自殺が多い原因もここなのではないかと思っている。これが男女の器質的な違いによるものなのか、社会的な扱いの違いによるものなのか、あるいはその両方なのかは、専門家ではないのでわからない。しかし男性は「男は強くあらねばならない」と考えているため、自分が弱者・被害者の立場だったとしてもその事実を受け入れられず、強者・収奪者の価値観を内面化し、「収奪の社会構造を肯定する弱者」となってしまいやすいのではないかと個人的に思う。その結果が「喜んで徴兵される」「経済的に失敗したので自殺する」などの、集団に屈従した行動ではないか。
性的少数派である「ゲイ」と「ロリコン・ショタコン」の違い http://anond.hatelabo.jp/20150128232843
ジェンダー論者による「モテるヒント」 http://anond.hatelabo.jp/20150129001630
男女の人権と欲求と差別と、遠い未来についての思考メモ http://anond.hatelabo.jp/20150125162654
プライドが高いから男相手にも女相手にも見栄を張っていて本当に大変そう。
ばかにされないために常に無理しているように見える。男は泣くなとか、男は強くあれとか、性役割があるから仕方ないんだろうね。
そうして対外的に無理をしているぶん、彼女や妻が出来たら無尽蔵に甘えるよね男って。
社会から求められる成人男性の役割を頑張ってこなしているぶん、彼女や妻の前では赤ちゃんがえりするよね。
男に「理想の女は?」ってきくと、要するに「なんでも出来てなんでも許してくれる若い美人」なんだよね。
でも男は、女が「なんでも出来てなんでも許してくれる若いイケメン」と付き合いたいとか結婚したいって言うと、
身の程知らずにも程がある!なんて言って怒り出すんだよね。人が何を望んでようがあんたには関係ないのに…。
だから男とは付き合ったり結婚したりしないほうが得なんだと思う。
よそよそしい関係のうちは男は見栄を張って頑張るから、ずっとよそよそしさをキープしたほうが得。
性欲については、好きな男性キャラクターや好きな男性アイドルが居れば問題はないと思う。
貧乏だったり、嫡出子が欲しかったりしたら結婚するしかないかもしれないね。
なんで付き合って別れたあとに、また誰かと付き合いたいってなるのか、さっぱりわからない。
なんか話がよくわからんくなってきた。ごめんなさい。
自分が言いたいのはこの話題が出るまで誰も知らなかったような学会より、
視聴率40%超のドラマで堂々と女性の性役割のステレオタイプを放送したTBSのほうがより叩かれるべきなんじゃないってこと。
もちろん学会も批判されて当然とは思う。
http://anond.hatelabo.jp/20131228190610
id:usi4444 フェミが海外からセクハラと言う概念を導入するまでは「ケツ触ったぐらいでガタガタ言っているんじゃねーよ。」「職場にヌードカレンダー張ったっていいだろ。」と「普通」の男性は言っておりました。
という手合が湧くんだけど、アホか?
セクハラって概念が入ってきたのは2000年くらいだったと思うけど、それまでそんな感じだったか?
既に1990年代にはセンシティブな話題になってたし、性役割の議論は1980年代からあっただろう。
クズがはなし盛ってる感がでるんだよね
マルチを作ろうと思った研究者は、「ヘテロなゲロ妄想にとりつかれた、ゲロカス野郎」。
一方、「古の性役割からの解法」を願い、性に縛られず、社会理念を全うする研究者は、【さいこうーのナイスガイ!!】。
ってことだよな。
そんな人間は、「何もしちゃいけない」のだろ?
http://anond.hatelabo.jp/20131212154541
37歳、1歳半男子の父親です。 君より年上なので、なんとなく分かるって位の共感ですが。
まぁ男性に求められる性役割みたいなものもあったよね。しかも「矛盾してるじゃん」みたいな要素もある。
で、最近、嫁さんが借りてきた本で「お母さんのための『男の子の育て方』」って感じの本があったのよ。
自分の世代からすると「ん?これってジェンダーフリー的にどうなの?」って思ったりしたんだけど、
著者いわく、私もそういったジェンダーフリーの空気の中で育ったものですが、どうもそうではない。女の子と男の子は違う。私が育児中に知っておきたかった事を本にしました。みたいな事が書いてあって、なるほどな、と思った。
過去、20年くらいかな、変なジェンダーフリー感で世の中が進んできて、
中学生高校生向けに、働く母親働かない母親働く独身女性など様々な人生のパタンを持つ例をいっぱいいっぱい提示したらちょっとはましになったりしないかな。
働かない母親は「性役割の固定」を増長する、とフェミニストから反対されたんではないかな。
教科書なんかは女性だけが料理している図って消えたんじゃなかったっけ?
個人的には様々なライフスタイルを提示、選択可能にした方がいいでしょ、とは思うよ。
あと日本の少子化に関しては、「なぜ団塊Jr女性は適齢期に結婚しなかったのか?」という話になるんじゃないかねぇ。話がそれるけど。
この世代のインパクトは大きくて、「女性の賃金は上がっていったのだが、ハイパーガミーは消えなかった」という世代になる。
男性が若い時点では結婚自体が成立しない、という社会になった。
トラバさんへ
これさ、最近の事例を紹介してもらえます? 1970-1980年代に関しては「主婦の地位向上」を目指している面がある。実際、主婦の割合が多かった訳だしね。
男女間パワーゲームに負けつつある女子の保守化、それに伴うフェミニズムの減退。
結果として男性の発言が許される空気になりつつある、と思ってる
特に女子高齢化は痛い。基本的に男性は女性に「若さ」を求める(女性は男性に金を求める)。
団塊Jr女性ももう40代半ば。 彼女達が若かった時代にはいろいろ女性にも勢いがあった。 が、今はない。
団塊Jr女性が子供を作って入れば、もう少し状況は変わったのかもしれない。
例えば女の子を持つ親が女性の社会進出を望むみたいな感じで、勢いを残すこともできたかもしれない。
が、そういう未来はもうない。40を越えて出産はあまり望めないだろう。
10年くらい前は男性が結婚生活を肯定するのははばかられる空気があった。
どうしても男女の性役割的な話になってしまい、「男社会を肯定するのか」みたいな話になりがちだった(フェミニズム華やかなりし時代です)。
男がね幸せでも、いっちゃいけないのです。
結果として男性の非婚化が進み、婚活市場に女性が供給過多になり、女性の市場価値が下がることになってしまったが。
今でもまぁ「男性の感じる幸せ」みたいな事は匿名掲示板にしかかけないか。
会社だとどうしても独女に気をつかわざる得ないし。
そもそも女性には家計を成り立たせる役割は求められていませんでした。
私が家計の話を出したのは、昔は性役割を求められていて、今は求められていない、という事がいいたかったため。
↓ これはそうだと思いますよ。全体的にモラトリアム期間は伸びているでしょうね。
一般論としてもモラトリアムの延長は高学歴化による社会に出る年齢の上昇が主な理由だろう。
私はそれに加えて、今の男性には「元増田が求めるような男性像」のために自立を促すプレッシャーがないとも思う。
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
男らしさ女らしさみたいなのは失礼な意識
自ら求めたりするのも遅れていると
それで大人になった現在、
メディアの記事で「女の子として扱って欲しい」みたいな女の声を聞くと
本当にガッカリするしイライラと謎の怒りが湧いてくる
実際に接する女も
なんかそういう「女として」とか、
求められることが事実あるわけですよ
親しくなってくるほどそういう面を出してくる気がする
そのたび「お前の本性もそれか!」みたいな、
なんなの?それ?
っていう
今日テレビ見てたら上戸彩が「ガツガツした野獣のような、守ってくれそうなタイプがいい」と言ってました
公共の電波で!
こうも前近代的な!
反動的思想を垂れ流してて、誰も咎めてないんです
なにそれ?男に守ってもらうとか
21世紀にありなのそんな幼児的な願望
でまたイライラする
わかってますよ
フェミニストとそういうこと言ってる女が違う集団だという言い分は
はいはい
そこでさあ
たまーにでいい、アリバイ作り程度でいいから
そうすれば自分が子供の頃から刷り込まれてきたフェミニズム価値観を信じ続けられるし
遅れたアホ女を見たときのイライラが減ずる気がするんだ
「男から女への性欲なら何を言ってもいいということはない」という日記が興味深かったので自分なりに考察してみるテスト。
こういう考え方をする人が多いのは、多分「エロは男のナワバリ」という時代が長かったからではないかと。
腐女子は「俺たち男だけで気楽にやっていた空間に、突如入り込んできてナワバリを荒らす不届き者」として
男性ファンに散々叩かれてきた結果、自己のふるまいに気をつけるようになったんだろう。
要するに新人イビリの結果ですな。
逆に男性が女のナワバリに踏み込んでひどい目に遭うこともあるわけだし、
「腐女子が男キャラをどうこうするのはダメだけどヒロインならおk」という風潮が生まれた原因は、
女性が男性より気遣いができるからではなく、単に女性が二次エロという分野において新規参入者だったからだと思われる。
さらにもう一ついえば、男性が「他者から性的欲望の対象として扱われること」に不慣れなのも原因だと思う。
女性は現実に男性からセクハラを受けたり、巷に溢れかえっている男性向けのエロい商品を見かけたりすることによって、
「女性は男性にとって性的欲望の対象なのだ」ということを嫌でも自覚する。
また、女性は成長に従い、少々のセクハラはスルーするスキルを身につけていく。
今でこそ「セクハラ」という言葉が知られるようになったけれども、
依然セクハラ行為をする男性は多いので、それにいちいち反応していてはスムーズに社会生活を営むことができないのだ。
女性は男性からセクハラを受けても(それがあまりにひどいものでなければ)、
心の中で「死ね、氏ねじゃなくて死ね」と思いつつも、表面上は「やだー」とかなんとか言ってにこやかにかわす。
セクハラによるストレスは、女同士で「セクハラ魔人」などのあだ名をつけ、陰口を言い合うことによって発散する。
これができない女性は、たとえ正しいことを言っていたとしても「自意識過剰」「KY」などといった烙印を押されてしまう。
こうした日々の受難により、女性は男性から性的欲望の対象として扱われることを不愉快には思うものの、
「男ってやつは、ほんとスケベでしょーもねーな」という諦めと、
いちいち男性向けのエロ表現にぶち切れたりしない忍耐力を獲得しているのだ(ただし、いたいけな若いお嬢さんは例外である)。
一方、男性が受けるセクハラは「男なんだから○○しろ」系の性役割を押し付けられるものが中心で、
女性から直接性欲を向けられることは少ない(金銭欲や物欲を向けられることはよくあるが)。
「女ってしょーもねーな」と流すことができず、自分のことは棚に上げて思わずマジ切れしてしまうのじゃなかろうか。
そうであるならば、同じ考えの男子がいてもそのポジションに入れずに、成果主義から逃れマッタリとしたサラリーマン生活を送るすべを持たないというのは逆差別なんじゃないかなと思う今日この頃。
そうなる理由は何となくわかる。
他の女の子がお気楽な雑用係にある事で、最前線に立ちたい女性社員が仕事面で信用を得辛くなったり「お前も出来て当然」と余分な雑用を押し付けられたりする事があるように
同じ考えの男子を雑用係に置く事で、恐らく最前線に立ちたいであろう増田を含めた男性社員がそれと同じような不利を被る可能性があるからなんじゃないかな?
良くも悪くも性役割が固定していたから仕事が有利に働いていて男一枚岩で動けていたのに、その境界が無くなってしまいました。
女子社員と同じように男性も「雑用係予備軍」のレッテルを貼られながら、自分を何とか雑用係と差別化しながら仕事をする必要が発生します。
そうなると同性社員同士でのギスギスも確実に多くなるでしょう。職場にホモソーシャルな居心地の良さを見出していた人はそれを失う羽目になります。
マッチョフィルターにも頼れないので男も女も勝間和代みたくならなければ出世できません。
「うわぁ…そんなの嫌だよね」と増田自身もなるのでは?