はてなキーワード: 川岸とは
晴れ
風強い
水位かなり低い
気持ちいいザ・秋晴れって感じ
水面がキラキラ光ってた
コサギ2
川の真ん中、橋のすぐ下あたりにいた
甲羅干し亀9
住処を追われたサギが高速道路のICのカーブぐるっと回る真ん中の木にコロニー作ってた
あとチュウサギはあんまりいないらしいから自分がこれまでチュウサギだと思って報告してたのは多分全部コサギだったことがわかったのも衝撃だった
いつも 橋の上から肉眼で見るくらいだから、ものすごく近くからサギを見るのがすごく新鮮だった
とさかだけじゃなくて胸のあたりにも飾り羽?みたいなのがあったりした
エサも、くわえるんじゃなくてあのとがったくちばしでつきさすんだーとか、
かなり大きな魚も生きたまま丸のみにしてて飲み込んでる首の中で魚が暴れてるのがわかったりしてすごかった
クチバシの 端から魚の血が出てたりもしたし
くもり
水位中くらい
甲羅干しの亀2
川岸にいつも甲羅干しする段とその上にもう一段高い段があって2段階段みたいになってるんだけど、
もう一段高い方に2匹いた
いつも甲羅干しする段が水没してたから、それを足場にして上ったんだと思う
2匹とも同じポーズで寄り添ってた
首伸ばして頭を上に向けて空をあおぎみてるように見えた
後ろ足が両方とも段の上に乗りきってなくてはみ出てた
昨日の台風すごかったけど翌朝台風一過と思ったらすぐ甲羅干しに出るとはたくましい
昨日の台風はほんとすごかったなあ
最近台風すごいすごいサギみたいな感じだったけど昨日のはほんとすごかった
だいぶ離れてるはずの福岡ですらこの風と雨!!って感じでマジで暴風雨って感じだった
あれ台風って中心に遠い方が強いんだっけ
柿の木見てたら柿の実が風に揺らされまくって落ちる瞬間見れたし
くもり
水位は低いと中くらいの間
甲羅干しの亀なし
今日は水位もそこそこあって、サギも立てない・亀も甲羅干しできないくらいだと思ってあきらめて川見てたんだけど、
川岸の木に何気なく目をやったら、木の上に白いものが2つ見えた
よくみたら久しぶりのサギだった
木の上にサギがいるのなんて初めて見た
ふつう浅い川の中を歩いてるか佇んでるかの2パターンしか見たことなかったから、めちゃくちゃ驚きだった
まあ鳥だし飛べるし木の上くらいとまることもあるやろ、と言ってしまえばそうなんだけど
普段地面にしかいないもんだと思ってたのがいきなり木に登ってたら進化論みたような気になるよ
曇りがちな晴れ
気温涼しい
水位中ぐらい
サギなし
甲羅干しの亀は一匹だけいた
大きさが小さくて半分落ちかけてたから、こないだも甲羅干ししてた子供だと思う
博多駅そばにある川
この川も毎日渡ってるけどいつも生き物いない
きっちり護岸されてて木や草もないし、生き物がいない形だけの都会の川って感じだからしょうがないね
だからいつも見ることは見るけど9割9分何もいない
せいぜい魚が口だすときの波紋がたまーに見える程度
でも今日は超珍しく鳥がいた
川から見慣れない棒がつきでてると思ったら鳥の首だった
黒くてくちばしが黄色で、首だけだしてたと思ったらまたすぐもぐった
ウかな、と思ってぐぐったらたぶんカワウだ
めずらしいなー
晴れ
水位かなり低い
甲羅干しの亀は3匹
2匹は水中から顔出してるブロックの上、1匹は水位が高いときにしかのぼれないはずの川岸の高いコンクリートの上
後者は小さい亀だったし、子供で元気ありあまってるからまだ水位が高い時間から甲羅干しはじめたからこうなったのかなと予想(前回と同じ
相変わらず、水中をつつくでもなく何もせずにたたずんでた!!!!
前回遭遇したのいつだったか確認したら4/28だったから一ヶ月ぶりだわ
(距離が近めだったからいつもより大きく見えて、絶対的な大きさの判断が難しい
んーでも水位浅いしチュウサギかな?
ダイサギ←わかる
チュウサギ←えっ!?ダイサギのダイって大中小のダイだったの!?
ってなったわ
大雨が降ると、鯉とかオオサンショウウオが上流から流されてきた。
うちはお寺だったけど、肉や魚は普通に食べていて、
住職をしていたおじいちゃんは特にオオサンショウウオの肉が好物だった。
だから、雨が降り出すと、おじいちゃんは、
もっと降らんかのぅって楽しみにしていた。
私はそんな嬉しそうな顔をするおじいちゃんが大好きだった。
ある年、秋も終わりの頃に、台風が関西方面に直撃する時があった。
おじいちゃんは、
そして、おじいちゃんは川に流され、帰ってこなかった。
翌日、警察が川を捜索をしたところ、3km下流の川岸で死んでいるおじいちゃんが見つかった。
なんでも、その時のおじいちゃんの屍体に、
オオサンショウウオが群がっていたそうです。
ああ、これが大好きなおじいちゃんの味なのかなー、と思うのです。
北の増田家(一)が謀略によってあっさり滅亡したことで増田家(四)は周囲から孤立した。
さいわい増田家(八)が増田家(五)との戦いに集中していることは、いろいろな情報源から明らかになっている。
控えめにみつもっても二倍の国力差を埋めるべく、増田家は用意周到に戦いの準備を整えた。
増田家(三)も戦の準備を着々と整え、戦う前に勝負は決まっている状態を作って南下をはじめた。
なお、増田家(五)を増田家(八)と折半する戦略は、増田家(五)が好意的な態度を示していたことから否決された。
増田家(四)を併合して増田家(三)が圧倒的な存在になれば、増田家(五)は戦うまでもなく屈するはずだった。
せいぜい、敵に滅ぼされない程度に耐えてくれていればよい。
総兵力六万を号する増田軍は自慢の鯖街道を伝って一路、南進。国境を越えた増河のほとりで、
「背水の陣か……」
敵軍は増河が馬蹄形に屈曲した部分の内側に立てこもっており、カーブする上流と下流が約1kmまで最接近した部分に戦列を連ねていた。
側面からの攻撃は難しく、まずは正面から攻撃するしかない。その点では利に適っている。
だが、すいすい背水の陣は危険な戦法だ。兵は死力を尽くして戦うかもしれないが、負ければ河に退路を塞がれて壊滅は免れない。
この一戦に負ければ後がないとの増田家(四)の覚悟が伝わってくる。
当主は足止め部隊を残して敵軍を無視して先に進む妄想をもてあそんだが、
ここは海岸へ向かう重要な渡河点の近くであり、足止め部隊が負ければ、背水の陣になるのは自分たちの方だ。
敵がゲリラ戦に走らず、雁首そろえて出てきてくれたことを幸いとして、叩き潰すにしくはない。
増田軍六万は敵軍の前に堂々と展開した。
右翼には裏切りによって味方についた旧増田家(二)一門を中核とする増田勢、
中央にはもっとも頼りになる譜代勢、そして左翼には本領の国人衆と北の傭兵軍団。
前衛には降伏直後で信用されていない旧増田(一)勢が配置された。
秘蔵のカラトラヴァ騎士団は全軍の後方に配置され、名にしおう増田騎馬軍団の出現と、両翼部隊の万が一の裏切りに備えている。
それも旧増田(一)勢を使いつぶしにして波状攻撃をしかけることで最終的には数の優位を活かせる算段だ。
増田家(士)が増田家(十)攻めに使ったのと同類の戦法である。
一方、増田軍は二倍以上の敵を前にして多くの兵士が脱糞を済ませていた。
おかげで、はらわたを刃物にえぐられても感染症で死ぬ可能性が低下した。大量のうんこも背水に排水できた。
増河は赤く染まる前に茶色く染まった。
下っ端には到底勝てると思えない状況なのだが、当主は泰然自若としていた。
それがブラフなのか、本当に秘策があるのかは、火蓋を切るまでわからない。
戦いを先にしかけたのは劣勢の増田軍であった。すべての敵を視界におさめておきたい事情は彼らも同じだった。
激しく銅鑼をうちならし、一部の兵が増田軍前衛に突っ込んでくる。
昨日までの敵にむりやり戦わされている前衛部隊はそれでも勇敢な兵士たちであり、敵の攻撃を真っ向から受け止めた。
しばしもみ合い両者が離れた時には、大地は両軍の血で汚されていた。
「追えーっ!」
前衛部隊から誰かの声があがり先制攻撃をしかけて来た敵を追う。釣られて六万にのぼる増田軍全体が動き出した。
迎え撃つは増田軍の歩兵戦列。堅固に隊列をくみ、長柄の先をそろえた彼らは肝を据えて、馬蹄形陣地の栓になった。
増田軍の第一波はおしかえされ、前衛の指揮官は冷や汗を流しながら、まずは弓と投石で敵を崩そうとする。
飛道具で狙われた長柄兵は置き楯の後ろに隠れ、増田軍(四)の弓兵が応射する。
味方の支援の下に増田軍前衛が突撃すると、矢の雨が止んだ一瞬をついて、長柄兵が再配置され敵を押し返す。
その繰り返しは増田家(三)当主を苛立たせたが、確実に敵の体力を削っていった。
「両翼からも弓兵を寄騎にまわしてやれ!」
噂の手銃がたくさんあれば……と当主は唇を噛んだ。
いよいよ損耗が深刻になってきた増田軍の第一線は大量の矢を浴びながらやっと後退する。
だが、後退は交代であり、すぐ後ろには第二線の歩兵が穂先を連ねていた。
しかも、第一線と二線の間には浅い溝が掘られていて、いきおいをえて突撃した増田軍前衛は転んだところを刺されて大損害を被った。
「下がらせよ」
不機嫌そうに当主は言い捨て、こちらも前線にたつ部隊を変更させる。
両翼と中央から抽出させた精鋭部隊だ。さらに両翼の部隊には一部に増河をわたらせて敵の側面や背後に出るように命じた。
直接攻撃するにはもう一度、河を渡らなければならないので実害を与えるのは難しいが、心理的に与える影響は大きい。
もっとも増田軍は敵の迂回を歓迎していないらしく、渡河部隊は岸にたどり着く直前に伏兵の攻撃を受けた。
増田軍の中から悲鳴があがる。川岸に展開した増田軍の騎兵は水中で身動きの取りにくい敵を、馬上から次々としとめて行った。
同じ騎兵が相手をしようとしても武具が水を吸っていて分が悪い。何よりも渡河中で相互支援ができなかった。
おかげで両翼での戦いも思うようには進展しない。
「ワタシたちが出ましょうか?」
カラトラヴァ騎士団グランドマスダー、アトビーノは増田騎馬軍団の出現を受けて、当主に進言した。
「……しばし待て」
増田騎馬軍団に河を渡ってくる力がなく、迎撃に専念するなら、突破力のあるカラトラヴァ騎士団は中央での決め手として使いたい。
両翼にはせいぜい騎馬軍団を引きつけてもらおう。
増田家の当主はそんな判断で両翼の渡河作戦を続行させたのだけど、それをみた増田家の当主はわずかな焦りをみせた。
「やむをえぬ……我が自ら出るぞ。馬廻衆は続けぇ!!」
彼は第二線の直後まで本陣を進めて、盛んに督戦した。
「大将首だ!」
「ヒャッハー!!」
著名なションベンタレ(魚類、別名タカノハダイ)の前立てを目撃した増田兵が戦場の中央に殺到する。
その先から屈強な怖いお兄さんたちに追い散らされても次々と新手が押し寄せてくる。
血と泥と汗の渦、その中心に増田がいた。先に脱糞していなければ、脱糞していたかもしれない。
激闘は数刻の長さに感じられたが、実際には太陽はほとんど動いていなかった。
「御館様!これ以上は!!」
敵を刺して折れた槍を捨て、太刀を抜いて馬廻りが叫んだ。
同士討ちの危険を無視して弓矢が当主の近くまでびゅんびゅん飛んでくる。
「おのれ!ここまでか!?」
増田軍は第三線への切り替えをめざし、二度目の後退をはじめた。
「もらった!つっこめぇーーッ!!」
敵が下がるのを知った増田家当主は中央の譜代衆に命令をくだした。
最大の手柄は自分たちが収める。複数の地域を支配する家ならではの狡猾さが現れていた。
下がる増田軍は一気に圧力を増やされ、今度は思ったところで踏みとどまれなかった。
後ろは河なのにずるずると下がり続けてしまう。それをみて、敵は嵩にかかって攻め立ててくる。
もはや増田軍は風前の灯火。ついに殿をつづける当主を見捨てて、武具も脱ぎ捨て河を泳ぎ渡る兵士が出没しはじめた。
忠誠心の期待できない増田家(六)出身兵の行動だったが、動揺は増田軍全体に広がっていく。
「もうだめだぁ」
「お助けを」
武器を捨てるもの、敵の慈悲にすがるもの、戦意を失ったものがパラパラと現れる。
「御館様、ここはお下がりください」
「敵の勢いが激しすぎます」
「ここで生きながらえて意味があろうか。死中に活を得ん!」
最前線に躍り出て、鞘を抜き放つと、太刀を陽の光にかざして叫ぶ。
鎮北将軍といえば、かつて増田家(六)の血筋が東北の支配に任じられた極めて高位の官職であり、
増田家(六)の血筋を奪ったことで無理矢理名乗っているのであろうが、当主にとっては非常に不快である。
「あの僭称者の希望通りにせよ!首をとった者には一城、いや一国を授けるぞ!」
「「おおっ!!」」
目前に高価な肉をぶら下げられて六万人が一人の殺害に心を合わせた。
まさに殺到が起こり、圧死者が敵味方に発生する。もはや人の津波である。汗の蒸気が霧になり、戦場を覆った。
ちなみに戦場の喧噪の中で鎮北将軍は、ちんぽこ将軍と聞こえた。
もはや六万人の大半が馬蹄型の内部に入り込み、隊列の入れ替えも難しい状況だった。
目端の利く指揮官は川沿いを走らせることで、敵の側面攻撃を狙った。
太鼓の乱打音を受けて対岸に配置されていた増田軍(四)投石機部隊が偽装を撤去、全力射撃を始めたのだ。
「せーの!」
数十人が力をあわせて綱を引き下げると、腕木が旋回し、反対側にくくられた飛礫が高速で飛翔していく。
敵だらけなので狙いを付ける必要もない。ただ発射速度を優先して撃ちまくる。
綱を引くだけなら戦闘訓練なしの人材でも行える点も便利だった。
増田軍は決戦のために領内の投石機をかき集めていた。新造もおこない三十メートルに一基の密度で砲台を築いている。
さらに吊り井楼まで投入され、一挙に高所にあがった精鋭弓兵が対岸の的を射まくった。
増田兵が吹き飛び、苦悶の声をあげて倒れ、死体が折り重なっていく。射撃から逃れる遮蔽物といえば、その死体しかない。
増河屈曲部は地獄絵図と化した。
増田家(三)の当主は絶句する。ただ配置するだけではなく、偽装も完璧とは信じられない。
最近の設置であれば動きを察知できたはずだ。自分たちの進撃路は完全に読まれていたと言うのか。
「やつは海から一日行程以上離れない。そして、ここの先には有名な漁港がある……」
賭けに勝った増田家(四)当主はひとりごちた。長年にわたる地道な諜報活動のたまものであった。
東北で勝ち抜いたのが、以前から国境を接している増田家であることが幸いした。
他の二家であれば、ここまでの情報は集められなかったはずだ。
射程三百メートルを超える投石機の猛射撃によって増田軍はやむなく馬蹄型空間の中心に集められていった。
当初はひとりあたり六平方メートルあった空間が一平方メートルになってしまい、
武具や馬の存在を考えれば満足に体の向きを変えることさえできない。
本陣だけは馬廻りのスクラムで空間が確保されていたが、押しつぶされるのも時間の問題に思われた。
「ワレラが退路を切り開きもうす」
「よし、いけ!」
カラトラヴァ騎士団は蝟集する味方を吹き飛ばして後方へ走った。
だが、そこには敵の視界外から長駆して進出してきた騎馬軍団が展開を終えていた。
本当の増田騎馬軍団だ。両翼に伏せていたのは増田軍(四)の騎兵にすぎない。内通者によって、その誤認は導かれていた。
彼らは重騎兵との正面衝突をさけ、騎射でもっぱら馬を狙った。
「卑怯者ガ!!」
増田典厩は騎士の主張を鼻で笑う。彼らは戦場からの脱出を試みる敵をことごとく網に掛けていった。
そうこうしている間にも増田軍本隊は末期状態に陥っており、三国の出身者が混在しているせいで同士討ちさえ起こっていた。
「まて、拙者は増田軍だ」
「どの増田軍だ」
「味方だ」
「俺がどの軍か分かるのか」
「増田軍だ!」
もはやグダグダである。一部の兵士にいたっては自分の空間を確保するためにあえて味方を殺傷していた。
「降れ!降れ!」
「勝負はもう着いた」
もっともな勧告が正面から聞こえてきて、傷つき疲れ果て恐怖のあまり脱糞した増田軍はついに武器を放棄した。劇的な逆転であった。
カラトラヴァ騎士団のみが何とか組織を維持して戦場を離脱する。
増田家(三)の当主は三国の太守から一転、毎年サバ一年分の捨て扶持を与えられる身になった。
「おのれ!我が青ザリガニを大事に育てていることがバレるとは!!」
……そんなことは誰も知らなかった。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160611095343
次回
僕は恋人とふたりで川岸を歩いていました。10月にしてはやけに冷え込んだ、晴れた日のことです。仕事が忙しくてなかなか2人の時間が作れない僕は、久しぶりのデートにうきうきしていました。
彼女がふと足をとめ、見て、と地面を指さしました。左手―僕と繋いでいないほうの手をコートのポケットから出し、すっとかがみこんで何かを拾い上げます。得意げに広げて見せた手には、白いまん丸の石が、日の光を受けて輝いていました。
「きれいだね。卵みたい」
僕がそう言うと、恋人は嬉しそうに笑いました。はしゃいだ笑顔がかわいらしかった。石を受け取ってみると思ったよりずっしりとしていて、ひんやりと心地よい感触が手のひらを伝わりました。
石を慎重にポケットにしまってから、僕はきゅっと彼女の手を握りました。澄み切った高い空を、赤とんぼが一匹渡っていくのが見えました。
何か見るたびに出てくるね。
http://anond.hatelabo.jp/20120526091039 続き
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228386853560324
なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから神のように降ってくる存在だと思っていないだろうか。
https://twitter.com/kirik/status/206229674295181312
いや、公を誤認させてはいかんでしょ RT @sasakitoshinao なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228646128656384
公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、<私>がつくるさまざまな仕組みの集合体によって<公>が成り立つという方に考えを切り替えないと。
https://twitter.com/kirik/status/206230378468487169
先生、public というのはきちんとした定義のある言葉です。ご主張は理解しますが、今回の事例でそのような理屈は通らないと思いますよ。 RT @sasakitoshinao 公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/203695743184273409
おっしゃる通りです。情報は開示されてる。家入さんという個人の信頼でも担保されてる。詐欺じゃないでしょ。 RT @fox_m @sasakitoshinao 単位とらなかろうが旅行に行こうがそれをひっくるめお金出す人の選択の自由はあるという話を佐々木氏は言ってる気がするんだけど。
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206751155445956608
私は家入一真という人は、おおくの人が批判するように欠点もたくさんあるのかもしれないけれど、彼が追い求めている価値に共鳴している点で全幅の信頼を置いています。
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206752926461476865
そんな担保などあるわけないでしょう。すべては個人の意見。客観など幻想にすぎない。 RT @maitreya_K 公私とか自助公助とか、そういう切り口自体が佐々木俊尚さん、あなたのセルフサービスの問題意識と見受けられます。その見方はいったい何によって担保されているのでしょうか?
先ほどTwitterに連投したStudygift問題についての論考です。以下、少し整理して転載します。
一連の議論を見ていて思うのは、個別包摂と社会包摂がごっちゃになってしまっていませんか?ということ。社会包摂とは生活保護などの公的扶助をはじめ、誰もが平等に享受できるセーフティネット。個別包摂は、個人的なつながりの中でのセーフティネット。
たとえば隊長の「就学希望児童助成を軽いノリでやるな」という記事もそのひとつで、社会包摂としてはこの視点はそうだろうと思う。しかし個別包摂にまでそれを求めるのか?ということ。
■家入一真さんの例の件で願うことなど: やまもといちろう http://bit.ly/KArAfU
個別包摂なんて、親戚のおいちゃんおばちゃんに金出してもらうのと同じレベルで、単にそれをネットのオープンな場所でやってるだけ。だから「出したい人が出せばいい」と私は書いたわけです。そういう家族単位、知人単位、ソーシャルグラフ単位の個別包摂の集合体が、公的扶助などの社会包摂を補完していく可能性があるから。
だから個別包摂で、後から「なんだお前退学してたのか!」「男女関係からんでんじゃないの?」とかそういう話が出たとしても、おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話。「ほんまに復学する気があるのか?」「おまえ結婚しても学業続けられるんか」みたいな、そういうレベルの話。
そしてこの社会的包摂と個別の包摂の混同は、実のところ河本準一氏の生活保護騒動にもつながっている。「息子が支援(個別包摂)できるのに生活保護受ける(社会包摂)のはけしからん!」と。河本氏にあなたは個別包摂を利用せよと求めている。だったらなぜStudygiftの坂口さんには個別包摂によって支援を受けることを許さないのか? 二つの問題の根っこは、ここで実はつながっている。
Studygiftは皆が見える場所でやってるからけしからん、目に入らないところでやってくれという意見もあるだろう。まるで全員に門戸が開かれてるように誤解させるのはけしからん、と。だがこうした個別包摂でさえも可視化されてしまうのがネット時代の恐ろしいところなのだ。そしてこの可視化時代に、妬みや誹りや恨みの対象となるありようはそこらじゅうに可視化されている。今までは知らないで済んでいたことが、全部見えてしまう。これはある意味たいへん苛烈な時代だ。
しかしこのような個別包摂の試みは今後も次々出てくるだろう。個人間送金が簡単になればさらに加速する。私はその多様化は社会包摂を補完するありかたとして否定すべきでは無いと思う。今回のStudygiftは拙速なのは事実だが、そういう試みの最初の小さな一歩にすぎない。
ネットを活用した個別包摂のセーフティネットに対して「うまくやりやがって」「詐欺だ」と怒る人たちは今後も増え続けるだろう。それは避けられない。たとえばこの記事などが典型だ。
■仮に僕膣と学籍詐称が無くてもstudygiftは駄目だよな http://bit.ly/KAuGAA
無償のリスペクトが応酬されているだけの評価経済社会に留まっていれば、問題は起きなかっただろう。だが評価経済と貨幣経済が結びつくことで、評価=カネということが実現してきている。これは大きな波紋を投げ掛ける。
すべての人々が平等に包摂されるような時代は最早やってこない。そういう包摂は戦後社会でも平等幻想でしかなかったが、その幻想さえも剥ぎ取られる時代になってきている。だからこの問題への怨嗟は今後もなくならないだろう。しかし社会亭包摂とは何かということをもう一度考えなければならない時期に来ている。
自らを助ける者が助かるだろう。しかもその「助かる」有り様は見えてしまっている。だったら自らを助けられる者だけが助かればいいのか? そして、自らを助けられない者をいったい誰が助けるのか? これはコミュニタリアリズムとリバタリアニズムの対立にも繋がってる。だからここから本当に真っ当な政治哲学的な議論が始まるのかもしれない。
そう期待したいけど。
いのうえ とーる 私もこれを全く社会包摂で語って批判する人が多いことに最初から不思議でなりません。説明不足である問題点を除けば、売りのある人、自分がいいなと思った人を援助することは不自然でもなんでもないわけですし、そこに不公平だと文句をいうのはおかしいと感じます。だから、わたしは批判のほとんどは単なるそういう行動ができない人の嫉妬にすぎないと思えるのです。
上田 康之 ぼくも佐々木さんの言わはることに賛成なんです。同棲してたとか、退学してたとか、どーでもええ話やと思います。
勝手にやりゃええ話やと思います。
ただ、隊長の話と少し似てるんですけど、なにぶん対象が「子ども」なんで「顔を出して、実名も晒して、学校に行きたいけどいけないというプライバシーを晒すことが、どれだけの苦痛を将来において背負うことになるのか」ってのが少しだけ気にはなりました。
この子は20歳超えた子ですし、その点は理解してるかもしれないですけど。
最上 雄太 Twitterにも幾つかレスしましたが、別に悪意も変な扇動をしようという気もないのは伝わりました。
寄金 佳一 星野智幸さんが小説家らしいさすがの感性で語っています。「私たちがバッシングし、叩こうとし、殺そうとしているのは、「俺」なのだ。自分なのだ。」と。
http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/05/26/6457416
で、悪意がないのにこういった事を本気で書かれているのにヤバいな、と思いました。
不特定多数と知人の区分けが無意味と言いつつ、個別包摂と社会包摂に分けて考えろっていう起点自体が無茶苦茶ですよね。
先の「無視すればいい」という発言もそうですが、本質が全く見えてらっしゃらない。
今回こういう騒ぎになっているのは、一言で言えば「当事者に納得感が無い」からですよね?
この納得感というのは言うまでもなく必須要件であり、また今回の「当事者」は支援をする側される側だけじゃないですよね。
皆まで言いませんが、仲良しごっこも同好会ノリで楽しくやるのも全然いいんですが、迷惑かけないでって事です。
おおつね まさふみ これは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話すようなトークを、単にネットという開けた場所でやってるだけ」って言われるだけのような……
おおつね まさふみ 「社会的包摂と個別包摂はネットで差別される。前者について発言するのは自由だが、後者については言論の自由は制限される。理由は◯◯だ」の、理由の部分がなんだかわかりにくいので、そこを聞きたい所。
川岸 義明 今回の件で、就学希望児童助成自体が世間的に眉唾に思われたのであれば....個別包摂,社会包摂に関わらず、痛い話だなぁと...支援者がそれを正しく区別できるのでしょうか....よくわかりませんが...
Kanehira Takashi 学費援助の件では、否定派と肯定派の対立軸がすぐに出来て、両者を包摂するとしたら、弱者を助けたい人(肯定派)の役回りになりそうです。生活保護の件でも、否定派と肯定派の対立では、やっぱり弱者を助けたい肯定派が、否定派に地道な説得をすることでしか包摂が来ない気がします。否定派は日本版ティーパーティーに見えます。閉塞感があるとさらに狭い方にいくのだなと。歴史を振り返ると、女性参政権を勝ち取った人はなんて偉いんだろうと想起したりもします。
くらます りょういち 個別包摂の試みというのは、ずいぶん前からありますね。いわゆる「○○ちゃんを救う会」。海外で手術受けるのに○千万円必要です、みたいな。
しかし、その「○○ちゃん」の情報が、もし事実と異なるものであったとしたら。それがお金を集めた後に明らかになったとしたら。
はたしてそれは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね。
上田 康之 くらますさんの【「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね】は、それで済ませたらええんちゃうかなぁ。
もし、その子が将来、極道になったとしても、文句言わんと、それ込みで支援したろうって思ってやったらええんちゃうかなと思います。
はやし りょう 社会的包摂と個別包摂を区別してるんじゃなくて、資金の集まり如何に依らず目的を達成出来ない可能性を明らかにしないまま支援名目で投資を募ったのが叩かれてる原因じゃないですか?社会的包摂と個別包摂で区別して云々って論調が通るならば極論すれば「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」って話になりますし。
今回の件は何がよくて何がだめだったのかを議論してブラッシュアップを図るのが第一で、論じる人の社会的な関係性に論点ずらすのは単にこのネタつかってプロレス見せてるに過ぎないと思います。
おおつね まさふみ それだと「支援もしないし、興味もないけど、紛らわしい弱者風の錯誤でカネ集めているのは見過ごせないから個別包括をネットのオープンなところで主張する」という人だって居てもいいよね。
はやし りょう おおつねさんの発言がStudygiftをウェブで展開する事の意義だと思います。意見を述べている人の立場を以て「あなたには発言する権利がない」というのはもう本当にナンセンスですよ。そんな主張は第一次世界大戦でもう過去の遺物になってるんだから、知的なブラッシュアップに社会的立場とかホント混ぜないでほしい。
芝尾 幸一郎 個別包摂の取り組みだったら、金くれ http://kanekure.ssig33.com/ と言うサイトで良い気がします。そして、現にこのサイトは別に炎上していない。個別包摂の例なら上のサイトの方が適切な気がします。
金くれ
kanekure.ssig33.com
松本 孝行 社会が面倒を見るのか個人が面倒をみるのか、それを河本さんの話だけで語るならいいですが、studygiftを混ぜてしまうと、とたんに焦点がぼやけてしまいます。その問いかけはたしかに社会起業家やサッチャー・レーガンの社会福祉削除の話とも関連して、非常に重要だとは思います。しかしstudygiftの話はまた別問題です。それに私的な援助ができるのはジャストギビングなどもあるわけですし、なにもstudygiftがダメに成ったから全てダメになるということはありません。むしろ、今回の件は私的な寄付という行為へのハードルを上げたと思っています。
とにかく論点はそこじゃないと思いますよ。
荒巻 里江 個別包摂と社会包摂の区別以前の問題では…? 被支援者が嘘(あるいは誤解を招く言葉)を堂々とサイト上に掲げ、お金を集めようとしたことは、仮に悪意が無かったにしろ問題のある行為ですよね。そして「お金を出したい」と思わせる為の嘘に気付けば、いくら身内のおっちゃんと言えど腹が立つのではないでしょうか。そしてそんな嘘に騙されたおっちゃんの存在を知った周囲が、姪を批難するのは至極当然の流れだと思います。私には佐々木さんが「騙したのが身内のおっちゃんなら何ら問題ない」と仰られているようにしか見えないのです…。そんな馬鹿な話がまかり通るのであれば、世の中の詐欺は無くならないでしょうね。
稲畠 康 概ね同意ですが、個別包摂とはいえ間にサービス提供事業者(本件ではLiverty)が入っている訳で、「おっちゃん」と「姪」の間で話せばいい話と言う下りに疑問があります。
小林 啓一 私も次長課長の河本さんの件とstudygiftの問題はほとんど同じく(Twitter風に言うなら公式RTする様に)感じていました。
これって例えば子供が自立した夫婦の片方が亡くなった時、残された方が再婚する事に親族が反発してしまう話と同じと考えています。
つまり日本社会では成人でさえ個人としての自立が得られず、私で解決すべき問題と公で解決すべき問題の線が引けない、判断できない。
しかもそれに対して、それこそ非当事者が当事者の問題にずけずけと土足で入り込んで、さもしたり顔で持論を押し付ける。
こういう嫌らしい社会にしない様、個々人の当事者性を高めるにはどうしたらいいでしょうかね・・・?
佐々木 俊尚 叩きやすいものを叩く。叩かれてるものを擁護すると、「今さら何擁護してるんだ佐々木は、バカじゃないの?」という反応が湧き出てくる。ドヤ顔で勝ち馬に乗る連中が大量に湧き出てる。
おおつね まさふみ 「誰にでも叩く理由があれば叩く自由は有るよね?」って話なんですが、批判者ウザいっていう話だったのかな?
河村 明 当事者でないものはもの言うな、という考え方は当事者性を高めるのと、逆のところにあるような気が...違和感を感じました。
荒巻 里江 少し気になったのですが、佐々木さんは『問題点を指摘して批判すること』と『ただやみくもに叩くこと』を一緒くたにされてませんよね??? studygiftに対して批判的な意見は『すべて悪だ』と思われてませんよね??? 汚い言葉を吐き捨てるだけの人間も勿論います。しかしstudygiftを批判している人間全てが、ただ勝ち誇りたくて、ドヤ顔をしたくて、運営側に行動を起こしている訳ではないのです。佐々木さんに言わせれば『これは当事者だけの問題だから周りが口を出すな!!』ってことなのかもしれませんが、(揚げ足をとるようで非常に申し訳ないのですが、)もしそうであるなら『非当事者である佐々木さんがstudygiftに関して擁護的な意見を述べられたこと』にも違和感を感じざるをえません。個人的には、改善すべき点を完全に無視して、盲目的に運営側を擁護されるのは少し危険なのでは、と思います。
Shuichi Asai 恥ずかしながら、個別包摂という言葉は初めて聞いたのですが、「個別」と「社会」という分け方が、そこまでデジタルにできなくなってきてるのではないでしょうか。人の姪のことでも、親しい家族以外の人でも、アドバイスする可能性があるでしょ?インターネットでおおっぴらにやられると、なんでも身近に感じてしまうんですよ。コンプガチャ問題も、同じようなもんでしょ。みんな、コンプガチャなんてやっていないのに、嫌悪感を持つ。インターネットに人間がいる以上、このような現象が避けられないので、これを考慮してリスクヘッジするか、覚悟して強行突破するしかないのではないでしょうか?
Shuichi Asai あと「ドヤ顔で勝ち馬に乗って、したり顔している連中」は佐々木さん側にも沢山いますよね。
木下 孝二 生活保護の件、社会包摂の不正利用という1事例にすぎない。学費の件は、個別包摂を依頼する側の本人、仕掛人の当事者性が不足してましたね。「投資」ではない借金や資金支援というのは財布の中身やネガティブ情報も十分に相手に晒す必要がありますから、パブリックな場で募集しようとすれば当然それらを全公開する覚悟が要る。中途半端に情報量を抑えようとしたから、支援要件としての情報量を満たせなかった。
木下 孝二 やまもと氏は「学業支援という未成年中心の支援に機微情報全公開の手法はふさわしくない」と述べていてそれに同意するわけですが、佐々木さんも述べている既存のクローズド(親類)から一歩だけ進んだ、クローズドなソーシャルグラフ上での支援というのが、「一歩先のネット時代の支援」の形ではなかったかと思います。studygiftはいきなり全公開ですから、ちょっと勇み足が過ぎたかなという印象です。
最上 雄太 確かに叩く事自体が目的の人も散見されるので、イライラされるのも、ニュートラルを保つのが大変なのも分かりますが、勝ち馬とかドヤ顔とかいう言葉が出てくる事自体に驚きです。叩かれてるとか周りがどうとかではなく、それこそ極めてニュートラルな視点から感じた事を僕は言っただけですし、ほとんどの方も同様なのでは。論点ずれるのでこの辺にしておきます。
佐々木さんの論考には賛同しかねます。なぜなら、佐々木さんが個別包摂という概念を持ち出すのであれば、Studygiftでは支援者と被支援者との関係が、おじさんと姪のような信頼性が担保される関係には無いからです。ネットの時代の個別包摂だからといって支援者に寛容を求めるのは、支援者にはあまりに酷な話でしょう。
そもそも包摂とかコミュニタリアリズムとか、そんな複雑な概念で論考するような深刻な事案でしょうかね?私には小難しい言葉を意図的に多用して御自身の主張「出したい人が出せばいい」の正当性を守ろうとしているようにしか読めないのですが。
やまだ まさゆき 個人的には「親戚のおじさんが、懇意にしてるキャバクラの女店を持たせたいけど、身銭で賄うんじゃなくて、「この子の夢を叶えてあげたいので、ちょっと金をくれないかな」って言ってきたって印象。
てめーの女なんだからてめーで金出せよって思うし、どうみても「かわいそう」だからじゃなくて、下半身問題にしかみえないのを「かわいそう」という綺麗事を全面に押し出そうとしているから問題視されているのだと思う。
「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」という書き込みがあるのだけれども、studygiftで今回提示されている案件は血液型占いを本気で信じている人だって「あー・・・これは」って気づくくらいの作りになっていると思うのね。オレオレ詐欺なんか比較にならないくらいにユルいというか最初から、ぐぐたすで有名になったおねーちゃんがiPhone持ってインドなうにお金出してね☆(・ω<)だっていうのは誰の目にも明らかなのに綺麗事で押し通そうとするから、切り込み Permalink | 記事への反応(1) | 11:15
スーパー堤防をわかりやすく説明すると、「進撃の巨人」の壁を厚さ1kmくらいにして、その上に住んじゃおうぜって感じ。
それだけ厚ければ超大型巨人がきても壁は破られないし、その上は安全ってこと。
ただ、そのペースが異様に遅い。
現在計画されてる範囲をカバーするのに400年かかるって試算もあるけど、実際に有効にするためには現在の計画じゃダメ。
進撃の巨人の世界と同じように、巨人の驚異があるところ(=都内のすべての川岸)を1kmくらいの厚さにしなきゃいけない。
だって、弱いところを一箇所でも破壊されたら、巨人(=水)は中に入って蹂躙してしまうから。
川岸から1km以内の街をすべて更地にして、そこに盛土をして、再度街を造り直さなきゃいけない。
住んでる街の人々の立ち退き料もかかるし、盛土にも金がかかるし、もちろん新しく造り直す街もすべて国の予算。
いまあるインフラすべてを一から作るんだから、もう想像もつかないお金がかかる。
しかも、それがすべて完成するまで治水効果が薄い。
効果があるのは盛土された新しい街の上に住んでる人たちだけ。
その日、仕事が長引いて終電に間に合わなかった私は先輩に車で家の近所まで届けてもらった。
ここで大丈夫ですよ、と送ってもらったお礼も伝えて下りた場所は家までまだ少しある。
いつもの駅はちょうど反対側だったから最近あまり通っていない道だ。
川づたいに延びる土手をテクテク歩く、昔はよくこの土手で遊んだなあ。
坂の上から寝っ転がってクルクル回りながら「あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!」とかしたっけ。
小さいの頃のことを色々思い出してノスタルジックな気分になる。
時刻は深夜、昔と何一つ変わらない場所に、夜ハイな私、水面は街頭を反射してキラキラきれいだ。
辺りをぐるりと見回してみたけど誰もいない、今がチャンスだとばかりにバックを置いて横になる私。
と、こんな風に書くとまるで生粋の頭の悪い子なのだけど、もちろんそこに至るまではためらいもあった。それもおおいに。
でも子供のころ楽しかったことが大人になるとできないのは何か嫌だというか、もう半ば意固地になってしまい暴挙に及んだ。
つまり「あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!」である。
いざやってみると恥ずかしさもあったけれど、童心に帰れた気がして少しの満足感もあった。
河原の部分まで転げ落ちる。
そしてふと顔をあげ。
あ、人がいる。
寝転がる私とそれを見る男性というのは遠くからシルエットだけ見てみればさぞシュールな光景だったろう。
私は光の速さで服を整えさっと起き上がったが何もかも手遅れだった。
どこかのスナイパーみたいに全身に草を散りばめた前衛的なファッションの私にその若い男性は明らかに笑いを堪えている。
もういっそ川に飛び込みたい、走って逃げたい。でもそうもいかず足の指先から頭の先まで真っ赤に染まった私はそこから動けずにいた。
いっそトコトコとすぐ側まで歩いて来たその人を川に突き落としてやろうかとも考えたけど、たぶんご近所さんだろう足が付く。
気まずい空気が流れる。
笑いながら通りすぎていってくれれば良かったものを変に律儀なのか
その男性は立ち止まって、さっきまでの吹き出しそうな顔はどこへやら今にもごきげんようなんて言いだしそうなポーカーフェイスを装っている。
髪に絡まった葉っぱをできる限りの上品な仕草で取り除きつつ私は「こんにちは、お散歩ですか、じゃあさようなら」なんて
適当に会話を済ませて一刻も早くこの状況から抜けだしたいと頭の中で会話をシュミレートしていた。
が、
「楽しそうですね」これが男性の第一声だった。
後から考えればこの人なりのフォローだったのだろう、でもこのときそれを言われた私は正直恥ずかしすぎて涙ぐんでいたと思う。
大の大人がスカート履いてああああ言ってればそれは楽しそうに見えただろう、でもそこは武士の情けでしょう。
毛を逆立て顔を真っ赤にしながら押し黙ってしまった私に
少し挙動不審となった男性は、昨日引っ越してきたばかりで近所を歩いていた、そこの建物に住んでいる、近くにコンビニはないかみたいなことを身振り手振りで聞いてきた。
コンビニはあるけど駅の近くなので私の帰り道と同じ方向だ、ゆっくりと腕を上げ向こうの川岸を指して、私はあっちとまるっきりデタラメを言ってしまった。
そのままバックを拾って振り返らずに家まで帰ったけれど、あの人は橋の方までUターンして行ったのだろうか。
後日よくよく思い出してみると相手はいいお年頃の男性だ。恋愛上手なお嬢様ならこれも出会いのひとつにしてしまうのかもしれない。
でもやっぱりあんな出会いは嫌だなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20090121161944
(M)我々が誰なのか、我々がどれほど遠くまで旅してきたか。今日という日を、それを記憶に刻む日にしよう。
(A)さあ、この日を胸に刻もう。私たちが何者で、どれだけ遠く旅をしてきたかを。
(Y)だから、我々が誰なのか、どれほど長い旅をしてきたのか、その記憶とともにこの日を祝おう。
(M)アメリカ建国の年、最も寒かった時、愛国者たちは氷で覆われた川岸で、たき火のそばに寄り添い合った。
(A)建国の年、最も寒い季節に、いてついた川の岸辺で消えそうなたき火をしながら、愛国者の小さな集団が身を寄せ合っていた。
(Y)米国誕生の年、酷寒の中で、愛国者の小さな一団は、氷が覆う川の岸辺で、消えそうなたき火の傍らに身を寄せ合った。
(M)首都は見捨てられ、敵は進軍し、雪は血で染まった。
(A)首都は放棄された。敵が進軍していた。雪は血で染まっていた。
(Y)首都は見捨てられた。敵は進軍してきた。雪は血で染まった。
(M)独立革命が本当に実現するか不確かな時、建国の父たちは、この言葉をきちんと読むよう求めたのだ。
(A)独立革命の行く末が最も疑問視されていたとき、建国の父は広く人々に次の言葉が読み聞かされるよう命じた。
(Y)我々の革命の結末が最も疑わしくなった時、我が国の祖は、この言葉を人々に読むよう命じた。
(M)「未来の世界に語られるようにしよう。厳寒の中で希望と美徳だけが生き残った時、共通の脅威にさらされた国や地方が前に進み、それに立ち向かうと」。
(A)「将来の世界に語らせよう。厳寒のなか、希望と美徳だけしか生き残れないとき、共通の危機にさらされて米全土が立ち上がったと」
(Y)「酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることができない時、共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た、と未来の世界で語られるようにしよう」
(M)アメリカよ。
(A)アメリカよ。
(Y)アメリカよ。
(M)共通の脅威に直面した非常に困難なこの冬に、これら永遠の言葉を忘れないでいよう。
(A)共通の危機に直面したこの苦難の冬の中で、時代を超えたこの言葉を思い出そう。
(Y)我々自身が共通の脅威に直面している時に、我々自身の苦難の冬に、時を超えたこれらの言葉を思い出そう。
(M)希望と美徳をもって、この氷のような冷たい流れに勇敢に立ち向かおう。そしてどんな嵐が来ようとも耐えよう。
(A)希望と美徳をもって、いてついた流れに再び立ち向かい、どんな嵐が来ようと耐えよう。
(Y)希望と美徳を抱き、このいてつく流れに再び立ち向かい、どんな嵐が訪れようとも耐えよう。
(M)将来、我々の子孫に言われるようにしよう。試練にさらされた時に我々は旅を終わらせることを拒み、たじろぐことも後戻りすることもしなかったということを。
(A)私たちの子供たちのまた子供たちに、私たちは試練のときに、この旅が終わってしまうことを許さなかった、と語られるようにしよう。
(Y)そして、我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか。我々が試された時、旅を終わらせることを拒み、後戻りすることも、くじけることもなかった、と。
(M)我々は地平線と注がれる神の愛を見つめ、自由という偉大な贈り物を前に送り出し、それを次世代に無事に届けたのだ、ということを。
(A)そして、地平線と神の恵みをしっかり見据えて、自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語られるようにしよう。
(Y)そして、地平線と神の慈しみをしっかりと見つめ、自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と。
「よなよな友達と遊び回り不規則な睡眠時間。
栄養の偏った食事。暴飲暴食。一気のみ。
自炊なんてせず、カップ麺とかお総菜(油モノ・肉モノばっかりのやつ)。
大抵は外食。」
というステレオタイプな「心は健康、体は不健康」像を挙げておくが、
こういう大学生が多数派かどうかは知らない。
簡単な料理くらいならする!ってやつも一定数いるだろうし、
そのことを語るのはおいておいて、閑話休題。
これはありがち。
今が楽しけりゃいいんだよぉ!
「酒が水だ!水分補給の手段は酒!」
「あそこのドラッグストアでいっつも買いだめしてる」
「閉店間際のスーパーだね、やっぱり。」
「やべえ昨日も徹マン」
「今週最高記録。週7飲みカラオケwww昼夜超逆転www」
これ最強。リア充が規則正しく生きたらこうなる。
女の子なら実現してる人は多そうな気も・・・
なんとなく、大学生で家族公認の彼氏がいて普通体系で特に悩みも抱えずそれなりに友達もいて、っていう。
これもなんとなくありがち。
心が不健康だから食事をつくる気力がなかったり、
友人がいない俺は寂しい日々を送っていた。
そんな俺だが、26時に寝て8時に起きる。
昼もしっかり。夜は食い過ぎず。食ってすぐ寝ず。
決まった時間に。間食はせず。
自転車で毎日2時間。15から25km/hで。
65あった体重は57に。
寝覚めは最高。体の切れもいい。快便快調。
晴れた日なんか死んでもいい。
晴れた日に川岸をいく。海をいく。カモメを聞く。波を見つめる。
風を切って走る。適度な火照り。きれいな道を颯爽と走り抜ける一台のロードレーサー。
仕事も事務的な会話のみ。
メールは11月に入って1件だ。
プライベートでの会話。店員のみ。「300円になります」。
体は元気はつらつ。
しかし精神はよどんでいる。
カップルを見ると死にたくなる。
ニヤニヤする。
献立を考える。
料理する。
楽しい。
仲間が欲しい。